活動/霧雨/vol.35/I wanna be the/5

第5章 真実 bookmark

 ここは? 僕は一体どうなった? 確か、戦いが終わって、エースがやって来て、それで……
「エースがレインメーカーを殺した……」
 それを思い出した瞬間、体中の全神経が覚醒した。耳には近くで躱される会話が。手や足からは未だ激しく残る痛みが。そして嗅覚からは、消毒液の臭いがそれぞれ感じられた。
「てめえ、いい加減にしろよ」
 聞こえてきた会話は、ずいぶん険呑な雰囲気があった。
「連れて来たものは仕方ねえだろう。怪我人を痛めつけて、お前は納得するのか?」
 どうやら、誰か二人が近くで言い争っているらしい。
「ヘッドセットを殺した連中の一人だぞ。いや、アイツだけじゃない。俺たちの仲間を奴らは……」
「けど、その敵も、もうあらかた死んでいる。残ったのはこいつだけだ」
 目は無事だ。ちゃんと開く。ゆっくり光にならしながら開けていくと、自分が寝かされたベッドの先に、二人の人間が立っているのが見えた。
「なんでお前、あの場にいたんだよ。召集はかかってないだろ」
 部屋にいたのは二人だけではない。他にも五人ほど、ソファやベッドに腰掛けて、成り行きを見守っている者がいる。
「偶然だ」
「嘘つくんじゃねえよ。偶然あんなとこにいてたまるか。ヘッドセットが呼んだんだ。あいつは死ぬ寸前まで、お前を頼りにしていたんだよ! ……俺じゃなくてな」
 ヘッドセット? 彼らは何の話をしているんだ? あの恰好、どう見てもアカデミーズの物ではない。
「あの……」
「あ?」
 返ってきた返答は恐ろしく冷たかった。言い争っていた二人のうち、細長い金属の棒を腰に下げた方が、酷薄な眼でこちらを睨む。まるで、これから殺してやると言わんばかりな……
「……もういい」
 一通り睨みつけた後、金属の棒を腰に下げたそいつは、そっぽを向いてしまった。
「いい加減、どっちに着くか考えといたほうがいいぜ。エリック。俺たちか、あの女、どっちの肩を持つのかをな」
「……わかってる」
 とても口を挟める雰囲気じゃない。鉄の棒を下げた方は、仲間を連れて部屋から出て行ってしまった。
「目が、覚めたんだな」
 残った方も、けして友好的な態度とは言えない。それは単に話すことが無い、というよりも、投げかけるべき言葉が多すぎて、どれから話すべきか迷っているような口調だった。
「えっと……、ここは?」
「ストレイドッグのアジトだ」
 質問には答えてくれるようだ。ストレイドッグとだけ告げられても、さっぱりわからないけれど。
「自己紹介が遅れたな。俺はエリック。ストレイドッグの能力者だ」
「ああ。えっと、僕はフレイムスロアーです。所属は……」
 いや、勝手にしゃべってもいいのだろうか。アカデミーズとばれたらまずいんじゃないか?
「アカデミーズ、だろう?」
 そんな迷いを見透かしたかのように、エリックが言葉をつないだ。
「え?」
「素性は分かってる」
「そうですか……」
 わからない。ここは一体どこだ? 彼らは何者? ストレイドッグなんて組織、聞いたことがない。少なくても、ヒーローじゃないことは確かだけど。
「あの、エリックさん?」
「なんだ」
「何故僕はここに? ストレイドッグってのは何ですか?」
「俺が連れて来たからだ。あの倉庫からな。そしてストレイドッグは、能力者の集まりだ。どこの子飼いでもない、寄せ集めの集団」
「寄せ集め……」
 ヒーローや犯罪者の下についているわけではない、ということだろうか。僕らが今まで相手をしてきたのは、必ず誰かの下で働く能力者だった。独立した存在と言うのは初めてだ。
「かつて存在した犯罪者、ミディアバル、ブシドー、キャプテンラフィー……俺たちはそいつらの子飼いだった。時代遅れの戦い方、時代遅れの犯罪。結局生き残ることはできず、奴らはヒーローによって倒された。後に残され路頭に迷っていた能力者を集めたのが、俺たちストレイドッグってわけさ」
 聞いたこともない名前ばかりだ。
「何故、そのストレイドッグが僕を助けるんですか?」
「勘違いするな。助けたのは俺だ。他の連中はお前を歓迎していない」
 歓迎していない……どういうわけだろう。
「ではなぜあなたは、僕を?」
「表向きの理由は。利用できるから……アカデミーズと言えば、ヘリング・エースの子飼い能力者。その戦闘データは当然高く売れる。犯罪者はヒーローの動向を知りたがるもんだからな」
「おかしいですよ。僕のデータなんか取って、一体何になるっていうんですか?」
 何か変なことでも言っただろうか。エリックは不思議そうな顔で見返してきた。
「何を言ってるんだ?」
「いや、だから。僕の戦闘データなんかとっても、役に立たないって……」
「次にヒーローがどんな能力を手に入れるか、それが分かるだろう?」
「えっ?」
 予想外の返答に、理解が追い付いて行かない。僕の戦闘データとヘリング・エースに一体どんな関係があるんだ?
「どうした? そんなに不思議なことか? そのために俺たち能力者はいるんじゃないか」
「どういうことですか? 能力は一人ひとつのはずです。同時にいくつも思い込みを処理できるほど、脳は器用な存在じゃない……」
 今回エリックが見せた表情は、驚愕と納得がないまぜになったような、奇妙な物だった。予想はしていたけれど、実際に目にするとやはりショックを受ける、そんな何かを見たような顔。
「そうか。それが奴のやり口か……」
「どうかしたんですか?」
 嫌な予感がする。答えは聞きたくない。
「お前、何でアカデミーズにいたかわかるか?」
「それは。僕が能力者だからです。超能力に目覚めたから、自分で志願してアカデミーズに入りました」
「あくまで、勝手に能力に目覚めたと、そう言いたいわけだな」
 エリックはその黒髪をかきあげた。途方に暮れているようだ。
「いいか。フレイムスロアー。お前のその記憶は偽物だ。超能力は勝手に目覚めるものじゃない」
「バカなこと言わないでください。僕にはちゃんと両親と過ごした記憶がある」
「記憶?」
「ええ。父は教師です。母はジムのトレーナー。郊外の家に住んでいました。車はガレージに一つだけ。それほど裕福だというわけではないですけれど、二階に自分の部屋があるくらいには大きな家に住んでいました。所謂、中産階級ってやつです」
 そうだ。わざわざ言葉で確かめるまでもない。この記憶は確かだ。作り出せるようなものじゃない。
「中産階級……そんなものは支配階級が考えたお仕着せのイメージに過ぎない」
 しかし、即座にエリックは反論してきた。
「確かな記憶です」
「今この国にそんな家庭が築けるはずがない。何もわかってない金持ちが考えた、都合のいい幻想だ」
 吐き捨てるかのような口調。彼は何に怒っているんだろう。その怒りの矛先が、自分に向いていないのは分かる。でも、だとしてらどこへ?
「IMAGNASの登場で、この世から戦争は消え去った。入隊と侵略でなんとか回っていた下層階級の経済は崩壊。街は失業者であふれかえり、家を奪われた子供が次々に浮浪児に変わり、やがて犯罪に手を染める。それがこの国の現状だ。お前の言う中産階級なんかどこにも無い。あるのは街をうろつく貧乏人と、それを上から眺めるだけの支配階級だけだ。ヒーローはそいつらの気まぐれの道楽に過ぎない」
 嘘だ。だって、僕はちゃんと覚えている。芝生の香りも、ベッドの柔らかさも、カーテンの隙間から差し込んでくる光だって。
「記憶が弄れるはずがないでしょう」
「じゃあ聞くが、お前はどうやって能力の使い方を学んだ? どうやって戦えるようになった?」
「それは、アカデミーズで訓練して――」
「お前しか使うことができない能力を、誰がお前に教えてやれるんだ?」
 キネシスの膜を作り出して、熱運動を閉じ込める……説明を受ければ納得するけれど、これに自分で気づくことがはたしてできるだろうか。いや、でも僕は自分で能力に……
「いつ自分が能力を使えるようになったか、思い出すことはできるのか?」
 いつだ? いつだ? あるはずなんだ。初めて膜を作り出した日が。初めて水を爆発させた日が……
「思い出せない」
「そうだ。そんなものはない。それに、説明がつかないだろう? 能力があるのはともかくとして、何故筋肉や神経系まで人間以上に発達する? 能力が一人ひとつなら、身体能力が上がるのはおかしいと思わなかったのか?」
 そんなこと、一度も考えたことなかった。だって僕は、
 僕は生まれた時からそうだったから。
「嘘だ」
「残念だが、本当だ。まさか記憶を書き換えてあるとは思わなかったけどな……」
 じゃあ、僕は? アカデミーズってのは一体何だったんだ?
「僕は一体、何者なんですか?」
「答えは、あきれ返るほど決まりきってるぜ」
 エリックの声は、少し角が取れたようだった。
「お前は浮浪児だった。俺や、他のストレイドッグのメンバーと同じ……もっというと、あらゆる組織の子飼い能力者と同じようにな」
 子飼い能力者。初めて聞く言葉だ。だけど、それの意味するところははっきりと分かる。
「ヒーローやら犯罪者やらが作った組織に拉致された浮浪児は、そこで人体実験を受ける。超能力を使えるようにするために、思い込みのパターンを脳に刷り込み、より繊細かつ強靭な動きができるよう、筋肉や神経系を優れたものに取り換える。この工程はずいぶんとパターン化されてて、一度に何十人も試すことができるんだとよ。もっとも、その大半は死ぬか廃人になって捨てられるけどな」
 エースも同じことをやっているのだろうか。街の平和を守る傍ら、子供をさらって殺し続ける。そうした実験の果てに生まれたのが、自分。
「実験が成功したら、今度は記憶の消去だ。部下にするなら従順な方がいい。何もない空っぽの人間は最初に見た物に従うようになる。そんで、空っぽになった頭に、詰め込むわけだ。能力を最大限生かして戦えるように組まれた、戦闘プログラムをな」
 エリックはこめかみを指で指した。
「何故、子供をさらうんですか?」
「大人じゃだめだ。生活習慣病がある」
 違う。聞きたいことはそういうことじゃない。
「子供をさらって、能力者に変えることで何かメリットがあるんですか? その、ヒーロー達にとって?」
「成功例があれば、自分達もその能力を取り込めるだろう?」
「どういうことですか?」
「能力は一人ひとつ。お前はそう思い込んでいるみたいだが、これは間違いだ。思い込みの刷り込みは複数個行うことができる。一人の人間が複数の超能力を持つことは可能だ。流石に同時に使える数には限りがあるけどな」
 その為の実験、か。自分達が安全に能力を手に入れるために、まずは浮浪児で実験する。
「そして、さっき話した戦闘プログラム。これは完全じゃない。訓練したり、実戦をこなすことで、随時更新されていくものだ」
 そうか。もう話が見えてきた。だからミッションが終わるたびに、僕らはデータの提出を求められていた。
「更新を繰り返し、より効率よく能力を使えるようになった、完成された戦闘プログラムをインストールすることで、ヒーローや犯罪者の親玉は、何の苦労もなく最高のパフォーマンスを発揮できるようになるわけだ」
 僕らは、そのために駆り出されていた。はじめからヒーローになることなんて、出来なかったんだ。
「結局の所、ヒーローにしろ犯罪者にしろ、やってることは金持ちの道楽に過ぎない。理想の自分を演じるために、莫大な金をつぎ込んで体を改造し、自己満足の善行に浸る。そんなくだらない自己実現のために子供が何人死のうがお構いなし。それがやつらの正体さ」
 でも、まだわからないことがある。何故僕はここにいる? どうしてエリックは僕をここに運んだんだ? そして、何故エースは……
「あの。まだ聞きたいことがあります」
「ああ。あるだろうな」
 そう。これが本題だ。エリックの目つきが変わった。
「何故あなたは僕をここに連れて来たんですか?」
「倒れているのを見つけたからだ。あの倉庫でな。そして、ヘリング・エースがお前の仲間を殺すのが見えた」
 レインメーカーのことだろう。でも、僕の仲間? あの場には敵能力者の死体もあった。陣営の区別がつくはずが……
「……まさか」
「察しがいいな。そのまさかだ。俺はお前達が殺した奴らの仲間。ストレイドッグは、昨日お前達と殺し合いをした相手だ」
 寒気が全身を包み込む。僕は、これからどうなるんだ? こいつらは犯罪者。戦闘プログラムを抜き取って、僕の能力を調べるつもりだ。そして、それが済んだら……
「殺すのか?」
「そうしたいと思ってる奴がほとんどだ」
「あなたは?」
 エリックは天井に目を向けた。
「俺は、これ以上死者を増やしたくないと思った。だから、助けた」
 信用していいのか? 確かにあのままでは、僕はエースに殺されていただろう。でも、これも僕の戦闘データを抜き取るための方便かもしれない。
「データは渡さない」
「考え直した方がいいと思うぜ。別にデータを抜き取ったからって殺したりはしない」
 それでも、犯罪者に渡すわけにはいかない。
「まあ、構えるなよ。時間はある。じっくり答えを聞かせてもらうとするさ」
 エースは、そばに置いてあった椅子に腰を下ろした。
「ところで」
「なんですか?」
「聞きたいことはそれだけか?」
 まだあるにはある。でも、そんなの、彼が答えられるとは到底思えない。
「一つ、わからないことがあります」
 疑問を口にしたところで、不利益をこうむるわけじゃない。結局僕は尋ねることにした。
「俺がお前を助けた理由、か?」
「それもそうですけど、別のことです。ヘリング・エースのこと」
 エース。敬愛していたその像はまやかしだった。僕は、まったく彼のことを理解していなかった。
「エースはどうして、僕の仲間、レインメーカーを殺したりしたんでしょう」
「さあな。これはあくまで推測だが……たぶん昨日あった戦闘そのものに関係しているんじゃないか?」
「戦闘そのもの……?」
「エースはあえてお前達アカデミーズを見殺しにしたような気がする。昨日派遣されたメンバーに、ジャミングができる奴はいなかった。お前達は本部に、つまりエースに助けを呼ぶことができたはずだ」
 手当の際に外されたのだろう。エリックはベッドの脇に積まれたアカデミーズとしての装備を指した。
「ところが、実際にはエースが来たのは全てが終わった後だった。お前達が救援を要請しなかったとは考えにくい。つまりエースは、あえてお前達の信号を無視したことになる」
「一体、何のためにそんなことを?」
 エリックは、自嘲気味に笑った。
「流石にひどすぎて、俺もすぐには思いつかなかったよ。やっこさん、お前らアカデミーズに死んでほしかったんだ。空きを作るためにな」
「空き?」
「能力者を養うにも金がかかる。戦闘プログラムが完成したとなれば、いつまでも生かしておく道理はない。人手なんか、そのへんから攫ってくりゃあいくらでも増やせるんだからな」
 空きを作る。僕らは不要だと、そう判断されたわけだ。だからレインメーカーは……
「正義とやらにこだわるのはいいが、お前のそれはあくまで植えつけられたものだ。それに、俺だっていつまでも庇えるわけじゃない。そこをじっくり考えろよ」
 それだけ言うと、エリックは部屋に置いてあるソファに向かって歩いて行った。


「……まいったな」
 あいつの戦闘プログラムには価値がある。そう言ってレジスターを丸め込むことはできたが、どれだけこちらを信用しているか、わかったものじゃない。と言うより自分が彼女を信用できない。ヘッドセットが語った以上、あれは彼女の真意なのだろうが、以前と同じ関係に戻るのは不可能だろう。結局フレイムスロアーのこと以外で、彼女と言葉を交わすことは無かった。
「ダメ、だな」
 ヘッドセットのことも、まだ気持ちの整理ができたわけじゃない。大事な仲間だった彼女が死んで、それを殺したかもしれない敵が、のうのうと生き残っている。フレイムスロアーを助けたのはあくまで自分だが、それで彼への憎しみが無くなるわけではなかった。
「しょうがねえ」
 このまま部屋にいても、考えが堂々巡りをするだけ。何か別のことを考えた方がいい。何か建設的なことを。
 ふと、コートに目が留まった。最近急に冷え込んできた。そろそろ雪が降るのではないかと言う季節。あのコート、長く着ていたとは思っていたが、改めてみると想像以上に傷んでいるのがわかった。
「買い替え時だな」
 とってつけたような動機だが、これで外へ出る理由ができた。カーキ色のコートを羽織り、ドアを開いて外へ出る。資金の心配はない。レジスターから支給される金は、たまの買春で使う程度で、後は理由もなく貯蓄していたからだ。しかし
「結構遠いな」
 ちゃんとしたものを買うとなると、この貧民街を離れる必要がある。まあ、それだけ問題から離れられると考えれば、願ったりかなったりか。
 俺は寒空の下、ゆっくり歩き始めた。


 しばらくは、何も考えられなかった。考えるのが怖かった。これからのこと。世界のこと。死んだ仲間のこと。そして、自分が殺した敵のこと。
 何も考えないようにしていると、部屋に残った能力者たちの話が耳に入って来た。現実から逃れるために、すがれるものはそれしかない。内容を把握するのに、さほど時間は必要にならなかった。
「結局よぉ。あの女が得するだけじゃねえか」
 男の声だ。歳は、僕と同じか少し上くらいだろう。いかにも、といった喋り方だ。
「データが手に入る。手駒も増える。確かに、奴にとっちゃメリットしかねえ」
 こちらは、先ほどの声よりももう少し年上だ。喋り方からは、あまり賢そうな印象を受けない。
「なんだってエリックの奴は、あの女に肩入れするような真似を? 惚れてんのか?」
「まあ、見てくれは悪くねえからな。だからこそむかつくってのもある」
「悪くねえってのは、どっちが?」
「どっちもだよ。エリックを連れて店に行くと、女共が黄色い声を上げるからな」
「へぇええ。あーいうのがモテるのか! 真似してみっかなあ。髪を黒に染めてさあ」
「バーカ。鏡見て物言いやがれ」
 あっちこっちに飛ぶ会話。話題がころころ変わり、実情はなかなかつかめない。まあ、だからこそいいのかもしれないけれど。
「しかし、結局、何でエリックはあのガキを連れて来たんだ?」
 僕のことだ。自然と体に力が入る。いや、何も考えるな……
「あ? 愛しのレジスター様にプレゼントって訳じゃねえのか?」
 レジスター? 話の流れから推測すると、恐らく女性だろうけれど。一体誰だろう。彼らの話を聞く限り、とても良い人間とは思えない。
「女がガキもらって喜ぶかよ。なんつーか、無理やりって感じがするぜ」
「何が無理やりなんだ?」
「いや、だってよ。仲間が減ったから、生き残ってた敵を連れてきました、ってわけわかんねえぜ? なんだってエリックはあいつを生かしておいたんだ?」
「確かに。普通ぶっ殺すな」
「これが女なら納得もできるんだけどな……まさか!」
「まさかって……
お前こういいたいのか? 『エリックは男に興味が……』」
 いや、それはないだろう……ないはずだ。
「まあ、これは冗談だ。けどな……最近、俺はあいつが分からねえよ」
「俺もだ。あいつ、どっちの味方なんだ? 俺たちと同じ側に立ってるはずだよな」
 同じ、側? どういうことだろう。ストレイドッグには派閥のようなものがあるのか? 見たところ、十人にも満たないような規模だけれど。
「あいつ、あの女に肩入れしすぎてるぜ。ちょっと度を越してる」
「そうだ。あの女がいなきゃ組織が壊れるとか言ってるけどよ、ホントにそうか?」
「はじめは口車に乗せられて俺たちも戦闘データを渡したけどよ。よくよく考えてみたら、あれで得するのはあいつだけだ。俺たちのデータを使ってあいつはどんどん強くなる。俺たちが働いて金を稼げば、あいつはその金で体を弄って、俺たちの能力や戦法を取り入れる。ずっと強くなった今じゃ、完全に顎で俺たちを使いやがる」
「あいつらが死んだってのに、それを殺した奴を新しく仲間に入れる……やっぱり、あの女むかつくぜ、許せねえよ」
 どうやら、レジスターというのはストレイドッグのボスらしい。そして、彼女は自分の部下達に憎まれている。成り立ちは他のヒーロー達とは違うけど、行きつくところは結局同じ。組織のリーダーとして責任を受けた彼女は、同時に力を得る大義名分も手に入れた。
 はじめは平等な寄せ集め集団だったストレイドッグに、格差が生まれた。立場、そして能力の。
「そろそろ、エリックの奴にもどっちにつくか考えてもらわねえとな」
 この組織で立場が危ういのは、どうやら僕だけじゃないみたいだ。もし彼がストレイドッグの面々に殺されたら? 僕を守ってくれる人間はいなくなる。それに、純粋に彼が殺されるのは嫌だ。助けてくれた恩義というものだろうか。あれだけストレイドッグの面々を殺した後で、こんなこと考えるのはあまりに身勝手かもしれない。けれど、僕は少しだけ、彼の力になりたいと思った。


「さて、どうするかな」
 コートは買った。しかし、古い方のコートはまだ手元に残っている。もう着ないだろうし、捨ててしまっても構わないだろう。このまま持って帰るのはどうも無駄だろうし。
 しかし、流石にそこらに捨てるわけにもいかない。治安やモラルなどあってないような街だが、だからといって自分の品位を貶める必要はないはずだ。
 そんなわけで、捨てるに捨てられずコートを握ったままアジトの近くまで戻ってきてしまった。さて、どうしたものか。誰かにおさがりとして渡す? 悪くないアイディアだ。確かにボロいが、別に着れないほどじゃない。普段格好に頓着しないようなやつ。たとえばヘッドセットなんかは……。
「いや、あいつはもういないんだ」
 無意識の思考に不意を突かれ、胸の底から何かがすっぽ抜けたような感覚が襲ってくる。今までと同じように考えたらダメだ。ヘッドセットはもういない。
 改めて直面した喪失感は、想像以上に大きかった。今までも仲間がいなくなることはあったけど、こんなのは初めてだ。このむなしさを怒りに転換できればいいのだけれど、あいにくそれをぶつける対象は、自分の手で救いだしてしまっている。
「クソッ」
 もういい。考えるな。何か別のことを……
「あ」
 大通りから建物と建物の間、所謂裏路地に目を向けると、そこに人影が集まっているのが見えた。
「あいつは」
 あの姿。年の割に背丈のある、けれども態度や声はまだまだ子供のあの浮浪児は
「この前のガキじゃねえか」
 向こうもこちらに気づいたのだろう。仲間に耳打ちし、自身の背後に下がらせる。
「なんだよ。何か用か?」
「ちょうど今、用ができた」
 お互いに歩み寄り、建物の陰で向かい合う。
「用ができた? 一体どういう――」
「ほらよ」
 余計な詮索は面倒だ。俺は担いでいたコートを投げ渡した。
「なんだよ、これ」
「やるよ。俺にはもう必要ない」
「なんか、あったのか?」
 鋭いな。それとも俺が分かりやすいだけか? 顔に出ていたのかもしれない。
「持っていると、余計なことまで思い出してしまいそうだからな」
「誰か死んだのか……」
 やはり浮浪児たちを束ねているだけはある。事情を察してそれ以上詮索しようとはしてこない。
「なあ、これもらっていいのか? こないだみたいに、何か話でもしたほうがいいか?」
「余計なものを引き取ってもらうんだ。本来ならむしろこっちが金を払わなきゃならない」
「そうかい。ありがとよ」
「じゃあな」
 それだけ言うと、俺は再び大通りに戻った。肩が軽い、コートと一緒に、何か大事な物まであいつに渡してきたような気がする。
「ん?」
 呼び出し……レジスターからだ。何か緊急の用事でもあるんだろうか。
「しょうがねえか」
 気が進まないが、会いに行くほかないだろう。アジトはすぐそこ。赤茶色の色をした、古いアパート。足早に歩き、アジトと同じアパート内のレジスターのいるオフィスに向かう。
「思ったより早かったわね」
 部屋に入ると、レジスターが声をかけていた。視線は座っているデスクへ、上へ載っている書類へと向いている。相変らず、目を合わせるつもりはない、か。
「緊急の用事があると聞きましたから」
 表情の読み取れないポーカーフェイス。最近では常にこの調子だ。
「ええ。そうだったわね。緊急の用事」
 書類に判を押し、一息つくと、レジスターは語り始めた。
「例の情報屋の件は覚えているかしら。あなたが調べてくれた。あの」
「アカデミーズの息がかかった信用ならない男、ですか?」
 懐かしいな。あのころは、もっと互いの距離が近かった。
「そう。あの男がまた動き始めたの」
「信用を下げ、社会的に殺す。あなたはそう言っていませんでしたか?」
「それは既に実行しているわ。私達と提携している所で、奴の話を真に受ける組織はない」
「では、何が問題なんですか?」
 この気まずい空気を、長く楽しむつもりはない。その声は、自分で思っている以上に、冷たかった。
「あの男。今は人を探している」
「人を?」
 嫌な予感がする。このタイミングで、ヘリング・エースの息がかかった人間が探すとなれば……
「特定の個人というわけじゃない。探しているのは、カーキ色のコートを着た人間よ」
 ああ。思い当たる節が嫌と言うほどあるな。この特徴は。
「コートを着ている人間なんて山ほどいるでしょう」
「それが普通のコートだったら、そうでしょうね」
 どういうことだ? あのボロのコートは、特に変わったところはなかったが
「エリック。あのコートをどうやって手に入れたか覚えているかしら」
「ええ。以前ギャングの事務所を潰した時に、壁にかかっていたところを拝借してきました」
「あのコート、実はビンテージの品だったのよ。見る人が見れば即座にわかる。賢いあなたのことだから、これの意味するところは分かるでしょう?」
 逃れようがない。それははっきりとわかった。
「監視カメラに映っていたらしいの。ネイムレスの倉庫からあの能力者を運び出す、あなたの姿が」
 顔は特定されていないけれど。彼女はそう付け加えた。
「それで、俺に一体どうしろと?」
「コートを始末すること、まずはそれから」
「それは既に終わりました」
 ついさっき、新調したばかりだ。
「それじゃあ……」
 そこで、彼女の言葉が詰まる。
「追放、ですか? どこか遠くに行ってしまい、二度と戻ってこない? あの能力者も連れて行きましょうか?」
 組織のことを考えるなら、この選択肢が一番だろう。このまま二人とも居座り続ければ、いずれヘリング・エースがやってくる。
「勝手なことを言わないでちょうだい。決めるのは私よ」
「では、これ以上の選択肢があると?」
 俺は何を言ってるんだろう。彼女を追いつめるような真似をして、一体何がしたいんだ? 
 胸のうちとは裏腹に、出て行く言葉を止めることはできない
「この間のように、切り捨てればいいではありませんか」
 言ってしまった。まるであてつけのような言いぐさだ。いや実際その通りだけど。彼女に対してだけは、こんなセリフを吐きたくはなかった。
「失礼します」
 気まずさをごまかすために、俺はオフィスを出ようとした。
「待って」
 意外、だろうか。レジスターが呼び止めてきた。
「なんでしょう」
 振り返ることなく、口先だけで言葉をつなぐ。
「は、話はまだあるの」
 どもった? 体裁を保つことに全神経を注いでいる彼女が?
「ネオシフターズのことよ」
 ネオシフターズ。最近頭角を現してきたギャングだ。大企業をバッグに地上げを生業とし、それゆえにストレイドッグと提携することもない。
「か、彼らの活動範囲が広がってきているわ。この事態は見過ごせない。いずれ事務所を襲ってもらうことになる」
 確かに、大事な話と言えなくもない。だが、今言うことだろうか? それを俺個人に言ったところで、何になるというのか。
「わかりました。いずれ他のメンバーがいる時に、改めてその話はしましょう」
 こんな話をするために、わざわざ呼び止めたのだろうか。合理主義者の彼女らしくない。そこに一縷の望みを抱きかけたが、結局俺の足は退室を選んだ。オフィスのドアに、手がかかる――
「エリック!」
 がたん、という音。どうやら、レジスターは席を立ったらしい。振り返ると、立ち上がった彼女がまっすぐこちらを見つめていた。
「まだ、何か――」
 言い終わる前に彼女が歩み寄ってくる。机の脇を通る際、積み上げた書類が倒れ、散らばる。しかし、落ちた書類には目もくれずに、レジスターはただこちらを見つめていた。
「えっと、あの……」
 さっきまでの威勢はどこへやら、近くで相対した途端、話す言葉があやふやになり始める。俺は、彼女が想像していたよりも小さいことに気が付いた。ヒールを履いているにも関わらず、背丈は自分より頭一つ低い。
「どうしました?」
 それは意地の悪い問いかけだったかもしれない。返答を待っていると、彼女は意を決したかのように、こちらに頭を下げた。
「ごめんなさい」
「えっ」
 ここまでとは、予想していなかった。困惑する俺を余所に、彼女は堰を切ったかのように話しはじめた。
「あの時は本当にごめんなさい。あまりにもあなたが優しいから、それに慣れきって頼り切るのが怖かった。私はみんなを支えなきゃダメだし、ストレイドッグを運用できるのは私だけだし。ここが無くなったらみんな行くところが無くなるし。私は強くなければいけないの。だから、あなたと距離を取るために、あんなことを……でもダメだった。あなたを忘れることができない。怒っている? 怒っているでしょう? 本当に――」
 際限なく話し続ける口を手で押さえて、強引に言葉を遮る。
「ええ。怒っていますよ。正直に言うと、絶望しそうにもなりました。けど、あなたの真意はヘッドセットから聞いています」
 それを聞くと、話そうと動いていた彼女の口が止まった。もういいだろう。塞いでいた手を離す。
「だから、謝らなければならないのはお互い様です。あなたが俺を必要としていることに気づいていながら、俺はそれを無視した」
「エリック……」
 微妙な空気になってしまったな。微妙だけど、さっきよりはずっと心地いい。
「あの、私、何か手を考えるから。あなたが出て行かなくても済むような方法を……」
「ありがとうございます」
 それが可能かどうかはどうでもいい。彼女がそれを考えてくれることが大事なんだ。それだけで、働く気力がわいてくる。
「あと、それから」
 頭の後ろに手を回し、彼女は耳元に顔を近づけてきた。
「私、あなたのことが好きよ。それだけは知っておいて」
 想像していたよりも、ずっと子供っぽい台詞だ。普段のレジスターがどれだけ虚勢を張っていたか、この時俺はようやくわかった。
 ヘッドセットの戦闘プログラムはあるが、レジスターに心は読めない。他者の精神に同調する能力は、高い技術力が無ければ移植することができないからだ。
 でもこの時俺は、そんなことまるで考えていなかった。よしんば彼女が心を読めたとしても、間違いなく同じ行動をとっていただろう。これほどシンプルでわかりやすいことなど、他に無いからだ。
「俺も、あなたのことが好きですよ」
 それ以外に、何を言う必要があろうか。


 どれくらい時間が経ったのだろう。二、三日くらい? 結構な傷を負っていたはずなのに、思ったより回復は早かった。体はもう十分に動かせる。僕はベッドから起き上がった。
「お? 起きたか……へへっ、起きたのね」
 この間、僕の前で話していた二人のうち、若い方が顔をニヤつかせながら近づいてきた。
「へへっ、さあて、どうしよっかなあ」
 彼の名はジャベリン。僕が今、もっとも殺したい相手だ。
「何を、するつもりですか?」
 目は合わせない。情けない話だけど。ここ数日、動けない間にこいつから受けた仕打ちの数々は、決して忘れられるものじゃない。
「俺? 俺は何もしやしねえよ。やるのはお前だ。体が動くようになったんだろう?」
 そう言って、下から顔を近づけてくる。煙草と酒が入り混じった、臭い息を吐きかけながら。
「四つん這いになれ、犬のマネをしてもらおう」
「な、なんでそんな!」
 いや、聞くだけ無駄だ。こいつに理由はない。虐げられる大義名分さえ手に入れば、誰にだってこんな真似をするような奴だ。
「ションベンのかかった飯をクソと一緒に食らう奴なんか、犬畜生とそう変わんねえからだよ」
 あの時の記憶がよみがえる。こいつが食事を運んできた時点で警戒するべきだった。
「おっ? 切れるか? それとも泣くか? エリックに泣きつくのかぁ?」
 握りしめた拳の中はしかし、振り下ろされることはなかった。ガントレットが無い以上、僕は能力を使えない。それに、ここで手を出せばアジトにいる全員を敵に回すことになるだろう。耐えるしかない。
「おらどうした。さっさとやるんだよ」
 だが、黙って従う道理はない。頭を抑えつけようと伸ばしてきた手を払いのけると、捕まえようとするジャベリンの腕をすり抜け、僕はアジトの外に出た。
「待ちやがれ!」
 身勝手な怒号を上げ、ジャベリンが追いかけてくる。やっかいなことになったな。まるで他人事のように思考が解決策を探し始める。他に追いかけてくるストレイドッグのメンバーはいない。どこか水の多い所に誘い出して、そこで――
「そこで、殺してやる」
 後のことなど知るものか。助けたのはエリックの勝手だ。僕にはあんなところに居座る理由はない。殺してしまえば本格的に彼らとことを構えることになるかもしれないが、今この状況において、それは些細な問題だ。意を決して、僕は二つのビルの壁を交互に蹴り、屋上まで登って行った。水場を探すには、高い所に昇るのが一番だ。
「変わったな。僕は」
 誰に聞かせるわけでもない言葉が、ひとりでに口から零れ落ちる。確かに、変わった。以前では考えられない思考だ。こんなにあっさりと、相手を殺すことを考えるなんて。確保にこだわっていたのが嘘のようだ。
「追って来ないな」
 どうやらジャベリンは諦めたらしい。考えてみればただの嫌がらせだ。そこまでの労力を割くのはばかげている。ほっとしたような残念なような、そんな自分でもよくわからない感情のまま、僕はビルの上から街を見下ろした。
「流石に、あそこには戻れないな」
 エリックには悪いけれど、戻ってもトラブルになるだけだ。もう一度ジャベリンが追って来ないか確認すると、僕はビルからビルへ飛び移って、ストレイドッグのアジトから離れた。しばらく進んだ所で、壁面をつたい地面に降りる。
「これからどうしよう」
 行くあてはない。アカデミーズに戻っても、エースに殺されるのがオチだろう。とりあえず、ただ立っているのがばからしくなって、僕は歩いてみることにした。あるはずもない変える場所を探して、大通りから細い小路へ。自分が求める場所を探して、商店街から住宅地へ。本当は、いずれアジトに戻るのだということは分かっていた。あそこ以外に僕を受け入れてくれるところがあるはずがない。それに、エリック――あの後何度か言葉を交わしたけれど、彼が守ってくれる限り、僕はたぶん大丈夫だ。
 そんなことを考えながら歩いていると、どこかから子供の泣き声が聞こえてきた。
「なんだろう?」
 普段なら気に止めることもないだろうけど、あいにく今は時間を持て余している。僕は声の聞こえてくる方向に近づいてみた。声から判断するに、幼児とは考えられない。もう少し上の、おおよそ七、八歳くらいの年齢。そして、これほど感情をあらわにした泣き声。何かあったことは疑いようがない。ひどくショックで、恐ろしい何かが。
 徐々に目が慣れてきて、薄暗いビルの谷間を見通せるようになる。泣いているのは予想通り子供、背丈を見るに、やはり七歳くらいだ。近づくと、風貌が明らかになる。その有様に、僕はひどくショックを受けた。
 街は失業者と浮浪児であふれかえっている。エリックから聞かされてはいたが、僕はそれを単に情報としてしか認識していなかったことに気が付いた。
 脂と埃で黒ずんだ金髪。そしてサイズの合わない服の上からでもわかる、異様に細いシルエット。明らかに、栄養が足りていない。食事をとれない人間がどんな姿になるのか、僕は今、具体的な形で思い知った。
 自分も、かつてあの中の一人だった。エリックの話だとそういうことらしいのだけれど、あんな風に泥だらけで痩せこけた自分の姿は、到底想像できそうにない。
「ひっ」
こちらの接近に気づいて、その浮浪児はしゃくりあげた。怯えている。無理もないか。
ストレイドッグから借りた服は、あまり友好的なデザインをしているとは言えない。
「あなたがやったの?」
「やった?」
 そうだ。この子は泣いていた。何か悲しいことがあったのか? それとも……
 その視線が、下を向いていることに気づいた。うつむいているんじゃない。明確に、何かを見ている。それが彼女を怯えさせている……
「なんだ?」
 心臓が高鳴る。恐る恐る彼女の視線の先を探し、僕はそれを見つけた。暗がりで良くは見えないけれど、この格好は間違えようがない。
「これは……」
 あの日、目覚めた僕と一通り話をした後、確かに彼はこれを着て出て行った。この、カーキ色のコート。デザインまでそっくり同じやつを。
「嘘だ……」
 けど、ありえない話じゃない。ベッドの前で繰り広げられた会話を思い返せば、この可能性は考えてしかるべきだった。
 もう浮浪児のことなんかどうだっていい。壁に手を付き、荒くなっていた呼吸を整えると、僕は表通りに向かって一目散に駆けた。
「エリックが……」
 頭の中には浮かぶのは明白なセンテンス。
「エリックが、死んだ」


「そろそろ、アレを持って帰って、エリック」
「アレ?」
 わざととぼけたふりをするが、それでなびくようなレジスターじゃない。黙って指差した先には、新調したコートがかかっている。買ったその日から、ずっとここに置いてあった。
「何故ですか? ここにあったほうが効率がいい。実際俺が外に出るのは、仕事の時か、あなたに頼まれて買い物や雑用を済ませる時だけです」
 何を言い訳しているんだ、俺は、理由は明白じゃないか。
「効率……言い訳にしても、あまり良くない言い方ね。エリック」
「では、それ以外に何か理由があるとでも?」
 図らずとも、からかうような口調になってしまった。ああ。俺は彼女に言い当てられたいのだろう、このこっぱずかしい感情を。
「そうね……、あ、あなたは」
 途端、レジスターの顔が赤くなる。何も気負うことのない自然体の彼女。俺だけが見ることのできる表情だ。
「あなたは、わ、私の部屋に来る口実を作るために……ここにコートを置いているのよ!」
 ああ。まさしくその通りだ。
「会いに来てくれるのはうれしいけど、やっぱりけじめは必要だから……このままじゃ私、ダメになっちゃいそうだから」
 ダメになっても構わない。むしろこのまま二人で、組織を捨ててどこかに逃げてしまいたい。心の中ではそんな欲求が暴れまわっていたが、あいにく頭はそこまで馬鹿になりけれなかった。
「そう、ですね」
 組織の為だ、仕方がない。そう言って、コートに手をかけたところでさらにレジスターが呼び止めた。
「あの、例の能力者のことだけど」
「フレイムスロアー、ですか」
「そう。元アカデミーズのね」
 そうだ。いつまでも先延ばしにはできない。フレイムスロアーと、ヘリング・エースのことは。
「この三日間考えたけれど、やっぱり私はあなたと離れることはできない」
「では、どうするんですか?」
「彼の、戦闘データを使うの」
「戦闘データを?」
 使ったところで、レジスターの戦闘能力が少し上がるだけだと思うが。
「エースが彼を狙うのは、ひとえに彼が『エースがこれから使う能力』を持っているから。情報が漏えいされることを恐れて、ある種口封じのためにエースは襲ってくる」
「けど、どうやったってその事実は変えられないのでは?」
「事実は変えられないけれど、状況は変えることができる」
 何を考えている? フレイムスロアーが傷つくようなものじゃなければいいが。
 彼女が誰かを傷つけるところは、あまり見たくない。特に、身内は。
「そのためには、彼の……フレイムスロアーの戦闘データが必要になるわ。なんとか渡す様、説得できるかしら」
 一筋縄ではいかないだろう。でも、それで彼女と一緒にいられるのなら、やらない理由は見つからない。
「わかりました」
 コートを肩に担ぎ、自分達の部屋へと戻る。何とか説得できればいいが……
 そう思って、ドアを開けたところ
「よお。色男のお帰りだ」
 アイアンロッドに出くわした。
「とうとうあの女とねんごろか、いいご身分だな。お前はよ」
 この態度には慣れっこだ。アイアンロッド……根は悪い奴ではないが、意見や立場には分かり合えないほどの隔たりがある。
「彼女はあくまで俺たちのことを考えてる。多少ミスをしたり思い詰めたりすることもあるが」
「ミスで痛い目被って死ぬのは俺たちなんだよ。ヘッドセットのことをもう忘れたのか?」
 ヘッドセット……心の読める彼女がいない今、俺たちは互いを真に理解する機会を永久に失ったと言える。
「彼女の件は、レジスターも考えがあったんだ。敵の考えを読むことができれば、目的や所属する組織が……」
「それで、戦闘員でもないヘッドセットを前線に送る? けっ、馬鹿としか言いようがねえな。俺たち全員でその敵をぶちのめして、一人生け捕りにしたらよかったんだ。ヘッドセットがわざわざ行く必要なんか、どこにもねーんだよ」
「もし、その間に本部が襲われたら……」
「それこそ、あの女が一人でなんとかすりゃあいいだけの話だ。自分の身を自分で守る。そのために俺たちはあの女に能力を渡してるんだからな」
 アイアンロッドの言うことには、常に一部の理がある。だからこそ、腹が立つのだが
「むざむざ派遣する仲間の数を絞り、非戦闘員まで駆り出すなんて、そんな馬鹿にリーダーをやらしていいのかよ」
「もしも相手が強敵だったら、俺たちは全滅していた可能性だってあった。レジスターの決断は犠牲者を減らすための策だったんだよ」
「そのために、アイツらが……ヘッドセットが死んでも良かったっていうのか?」
 ヘッドセットは本来死ぬはずじゃなかった。そして何より、レジスターもその事実に心を痛めていたことに変わりはない。単にテレパスは替えが効かない、というだけでなく、純粋に仲間の一人を失ったこととして。
「ひょっとして、あの女すでにテレパス能力を移植したんじゃないか? テレパスは二人もいらない。それで、心が読めるヘッドセットを――」
 言葉が言い切られる前に、俺はアイアンロッドの喉に刃を突き付けていた。蝋で作ったサーベルの刃を。
「おい、なんだよ。やる気か?」
「訂正しろ。彼女はそんな人じゃない」
 肩をすくめるとアイアンロッドは首を横に振った。
「わかったよ……収めてくれるあいつはもういないしな」
 アイアンロッドは扉の前から一歩下がった。ようやく、中に入れる。
「お前の覚悟は分かったよ。十分にな」
 珍しく、アイアンロッドはあっさりと折れた。いつもなら殴り合いになってもおかしくないのだが。
「そうか……」
 まるで何かを諦めたかのような態度だ。釈然としない。
「フレイムスロアーはいるか?」
 パッと見たところ見つからない。
「先ほど、出て行ったな」
 渋い声。ロックだ。奥のソファに座っているその姿は、まさしく岩山と呼ぶにふさわしい。
「出て行った?」
「そこのバカが、いらん手出しをしたからな」
 ロックが顎で指した先にはふてくされているジャベリンがいる。
「なんだよ。あいつは仲間を殺した敵だぜ? 何やったっていいだろうが」
「品性を貶めるような真似はしないほうがいい。俺はそう言いたいだけだ」
 なんだ? まるで説教か何かあったみたいじゃないか。
「それで、あいつはどこに行ったんだ?」
「知るかよ」
 参ったな。今外に一人で出歩かせるのはまずい。いつエースが出てくるかわからない上に、最悪このアジトの場所が割れて全滅する可能性すらある。
「探してくる」
 俺はコートを羽織ると、外に飛び出した。

 これからどうしよう。波止場に座り込んで、行きかう船をあてどなく見つめる。
現実は僕が思っていた以上にハードだった。元アカデミーズである僕は――他の能力者もそうなのかもしれないけれど――身分証を持っていない。働くことはおろか、ホテルに泊まることすらできないのだ。
 ヒーローや組織は能力者を搾取し利用している。でも、その一方で、僕らは組織の力なしには生きていくことができない。僕たちが今まで見ようともしてこなかった世界は、どうしようもなく大きかった。
 けど、エリックは死んだ。もういない。この世界で僕は一人生きていかないといけない――
「探したぞ」
 波の音に混じって、最近覚えた声が聞こえてきた。いや、そんなはずはない。だって彼は
「エリック⁉」
 信じられない。五体満足。傷一つない状態で、エリックが隣に立っていた。
「でも……そんな、殺されたはずじゃ」
「何言ってんだ? 俺は別にどうもしてねえぞ」
 怪訝そうに眉を上げるエリック。どうやら、本当に何も知らないようだ。でも、あの時見たのは
「あれは確かにあなたのコートでした。カーキ色で、使い古されてボロボロになっていた――」
 いや、よくよく思い返すと、確かに顔は見ていない。ただ同じコートを着ていた別人だという可能性もある。場所が場所だけにエリックと誤解してしまっただけで
「俺の、コート?」
 傍らに立つエリックのコートは黒。僕が以前見た時とは違う。
「つい最近、新調したんだ。それで、あのカーキ色の……古い方はあげちまった」
 そう語るエリックの顔は驚くほど蒼白だった。何かとても深刻な事態を目の当たりにしたように。
「殺された。そう言っていたな」
「はい。カーキ色のコートを着た死体……明らかに他殺でした」
 自殺するにしても場所は選ぶだろう。あんな往来で胸を刺し貫いて、屍をさらすような人間がいるとは思えない。
「まずいことになった。とりあえず、早くアジトに戻った方がいい」
「どういうことですか?」
「説明する暇はない……」
 強引に引っ張って行こうとする手を、僕は振り払った。
「戻れませんよ。あそこには」
「なんだと?」
 語気は強いが、いらだっているというより、何かを恐れているような感じだ。
「あそこに、僕の居場所はない。所詮僕はあなた達にとって憎むべき敵だ。うとまれ、さげすまれ、嫌がらせを受ける。このままじゃ僕は、あそこにいる誰かを殺してしまうかもしれない」
 誰か、その名前は明白だ。こんな意見が通るとは端から思っていないけど、脳の感情的な部分は、それを理解して従ってくれるほどおとなしくなかった。
「ジャベリンか……あの野郎」
 顔を覆うように、エリックは髪をかきあげた。
「奴に対しては俺から言っておく、だから……」
 そこでエリックは言葉を切った。諦めたようにため息を付き、そして、静かに言った。
「わかった。すぐにはアジトに戻らねえ。個人的な話もあるしな。だが、このままここにいるのはまずい。目立ちすぎる」
 目立ちすぎる……確かに波止場は遮蔽物が少ない。僕らがいることは、遠目からでもすぐにわかるだろう。
「場所を変えるぞ、ついてこい」
 今度は手を引くことは無く、エリックは走った。選択が、ゆだねられている。そのことに思い当たるよりも先に、僕は彼を追って走っていた。
「ここならいいか」
 たどり着いたのはビルの屋上。
「ここなら下から死角になるし、近づいてくるやつがいてもすぐわかる」
 一通り周囲を確かめた後、エリックは切り出した。
「さて、殺された、そう言っていたな。俺が着ていたコートを着た人間が……」
「はい」
 それと、周囲を警戒することにどんな関係があるのか――僕はなんとなく予想がついてしまった。
「たぶんそいつは、俺と間違われて殺されたんだ。拷問されたかもしれない。情報を聞きだすためにな」
 情報……このタイミングで、エリックを殺してまで聞きだしたい情報となれば
「僕のこと、ですね」
「そうだ。エースはお前を探してる。お前を連れ去った俺のこともな」
 そう語る彼の顔は、壮絶なものだった。行き場のない怒りと、なにがしかに対する悔しさと、それに伴う自責の念。心が読めるわけではないけれど、まるで隠しきれていない感情を察することは、そう難しいことじゃなかった。
「何か、あったんですか?」
「いや……殺されたのはたぶん、俺がコートを上げた奴だろうって、そう考えていただけさ」
 こちらに振り向いた時に一瞬だけ垣間見えた彼の殺意は、明らかに僕に向けられた者だった。
「ここ数日で、ヘリング・エースの息がかかった情報屋が動き始めた。奴らの狙いは、あのコートを着ていた人間を探すこと。つまりは俺だ」
 情報屋。僕らがミッションの前に様々な事前情報を入手できたのも、ひとえにその存在があったからだ。アカデミーズにいた時は、特に意識することもなかったけど。
「奴らの目的はフレイムスロアー、お前だ。ヘリング・エースに行き渡るはずだった戦闘データを握っているお前は、奴にとって不都合な存在だ。消されるに値するほどな」
「消される?」
「当たり前だろう。万一お前が他の犯罪組織に戦闘データを渡したらどうなる? 最悪の場合、自分が手に入れるはずだった『アップグレードされた』戦闘プログラムと一緒に、敵が新しい能力を手に入れることになる。そうならないにしても、自分の手の内が一つばれるのはけっして望ましい状況じゃない。奴は消しにくる。お前と、お前が情報を渡したと思しき人間を全て」
 そうだ。戦闘データ。これがあるからこそ僕は殺されず、ストレイドッグに受け入れてもらえた。それだけの価値があってしかるべきもののはずだ。
「じゃあ、やっぱり僕は戻れませんね」
「もう手遅れだ。お前がエースのもとに出向いて命を差し出さない限り、いずれ俺たちも消される」
 でも、それじゃあ
「それじゃあ、一体何のために僕に会いに来たんですか? まさか、殺すため?」
「そのつもりならとっくにやってる。こうして長々と話なんかしねえ」
 そう言いつつも、彼の態度は見るからに穏やかではない。自らの怒気に気づいたのか、エリックは大きく息を吐きだし、肩の力を抜いた。
「戦闘データを渡せ」
「えっ?」
「そうすればすべて丸く収まる。レジスターが、おさめてくれる」
 レジスター。ストレイドッグのボスか。渡したところで彼女が強くなるだけじゃないのだろうか。
「できません」
「なんだと?」
 何より、僕が積み立ててきたデータ、例え偽りであったとしても、ヒーローになるために残してきた努力の成果が、犯罪に使われるのは我慢できなかった。
「話聞いてたのか? エースがお前を狙っているんだぞ」
「それ自体。嘘かもしれない。戦闘データが取り出せるのは、パスコードを知っている僕だけ。戦闘データを引き出した僕を、用済みと切り捨て始末する、ということも考えられます。コートの件だって、たまたま話を聞いて、その場ででっち上げただけかもしれない」
「いい加減にしろよ」
 抵抗する間もなく、僕はエリックに胸倉をつかまれていた。
「俺があの時どんな気分でお前を担ぎ上げたと思ってやがる。俺やあの人がどんな気分で、お前を迎え入れたと思ってるんだ」
 押し殺したような声で、エリックは続けた。
「ストレイドッグは、行き場を失った奴らの集まりだ。それはヒーローの下にいた奴だろうが、犯罪組織にこき使われていたやつだろうが関係ない。俺は、命が無駄に潰されるのを黙って見てられなかったんだよ」
 胸倉を掴んでいた手は、徐々に力を失って行った。
「俺の意思を無駄にしないでくれ」
 あの目は、本気だった。一方で、僕を殺したいとも思っている。その事実は疑いようがない。でも、エリックは僕のことを、本気で助けようとしていた。
「あなたの話を、聞いてもいいですか?」
 ひょっとしたら……希望、勝手な期待。それでも僕はエリックにかけてみようかと思い始めていた。彼について行こうと。
「俺の話?」
「はい。気になっていたんです。何故、あなただけコードネームが無いのか。何故エリックと名乗っているのか」
「大した話じゃない」
 エリックは少しうつむきながら言った。
「俺はもともと、キャプテン・ラフィーって犯罪者の子飼い能力者だった。と言っても、そこで活動したことはない。体を能力者に作り変えられ、戦闘プログラムのインストールと記憶の消去を受けている最中に、キャプテン・ラフィーは襲撃を受けた。組織のあった施設ごとな。処置は完遂される前に中止され、俺には中途半端な記憶だけが残った。孤児だったころの記憶が。そして、コードネームをつけてくれる奴はいない……仕方ないから、目の前で死んでいた研究者の名札から拝借して、エリックと名乗ることにしたんだ」
 孤児としての記憶がある。僕にはそれが、なんだか少しうらやましく感じられた。自分が自分であるための足跡が残されているような気がして。
「どうだ? 面白くもなんともない話だろう」
「いえ。そんなことはないです」
 まだ何か言いたそうにしていたが、エリックはその言葉を引っ込めた。
「なあ」
 代わりに出て来たのは、慎重に言葉を選ぶような声。
「俺たちに、チャンスをくれないか?」
「チャンス?」
 そんなもの、僕が与えられる立場だろうか。
「もし、ストレイドッグで働くことができない。居場所が無かったり、主義や主張に反する、ってことになったら。出て行ってくれて構わない。もっともその場合、俺も一緒に出て行くことになるけどな」
 確かに。エースが探しているのは僕だけど、そこにたどり着くまでの手がかりとして、エリックもまた狙われている。
「だけど、それを決めるのはまだ早い。だから、チャンスをくれ。ストレイドッグを正当に評価する、チャンスを」
「具体的には、どういうことなんですか?」
「一緒に仕事をしてくれ。縄張りを荒らし始めた、能力者を始末する仕事を」
 仕事? 犯罪者の醜い縄張り争いじゃないか。
「何故僕が、それに協力すると?」
「確かに。身勝手な話かもしれない。それでも俺は、お前に死んでほしくない。居場所が無くて消えていくのを見てられないってのもあるし、何よりストレイドッグを正当に評価してほしいってのがある」
「評価? ただの犯罪者組織以上の評価を求めると?」
 エリックはうなずいた。
「確かに俺たちは犯罪者だ。他者を搾取することでしか、生きるすべを持たない社会の寄生虫。その点については、疑いようはない。だけど俺たちは、宿主を殺したりはしない。俺たちはどこからもつまはじきにされる、落伍者の集まりだ。だから、分をわきまえている。犯罪者にもルールってものがあるんだ。他人を虐げ、搾取する。そのこと自体に変わりはないが、一定の領分ってのがある」
「領分……」
 まさしく、身勝手な物言いだ。社会や虐げられる側からすれば、何も関係が無い勝手なルール。それでも、僕の心は動き始めていた。
「けど、その領分をわかってない奴らがいる。趣味、遊び、『自己実現』。財力を持ったデカい犯罪者は、街や市民を自分のおもちゃだとしか思っていない。寄生虫は、宿主の死とともに死ぬ。そんな理屈は抜きにしても、奴らをのさばらせるわけにはいかないんだよ」
 自分達は、他の犯罪者よりマシ……。本当に、勝手な言い草だ。それでも僕は心を開きかけていた。発言そのものが琴線に触れたとは思えない。ただ、エリックが僕のために話してくれている、その事実がとても大切なもののように感じられた。
「わかりました」
 戦闘データは渡さない。それでも、何も知らないままストレイドッグを見限ることだけは止めようと思った。

「これでどうだ?」
「いい表情ですね。もう少し下からのアングルも取りたいので、照明を調節しましょう」
 声だ。声が聞こえる。エリックに連れられて向かったのは、一昔前に建てられたような赤茶けたレンガの壁を持つ一軒家。街中に建てられたそれは、禁酒法時代の名残か、地下にだだっ広い空間を有していた。マフィアが、裏取引で使っていたような。
 地上には誰もいなかった。一見すると無人に見えるだろう。だが床に備え付けられていた隠し扉を開くと……今眼前に広がっている空間が姿を現すわけだ。
「地下だぜ。奴ら、逃げ場がない。チャンスだ」
 隣についてきていたジャベリンが、興奮したようにいった。
「それは、俺たちも条件は同じだ。情報が正しければいいが」
 飛び込んで行こうとするジャベリンを、そばに立つ能力者、筋骨隆々のロックが諌める。
「まずは、ライブジャックがいないことを確認しないとな」
 ライブジャック――今回の僕らのターゲットはその子飼い能力者集団、ナイトメアキャストだ。話しによると、ライブジャックは元映画監督。異色の経歴を持つ犯罪者だ。感動を理詰めで作り出す映画産業に辟易した彼は、より原始的でむき出しの感情を求めて、デスゲームやスナッフビデオを撮影し続ける犯罪者と化した。
「ふざけた犯罪者だが、こんな奴でも組織のボスだ。相手にするのはリスクが高すぎる」
 階下で交わされる会話に再び耳を傾けるエリック。事前の情報ではライブジャックは出かけている。その様子を目撃した人間がいるという話だ。だが、油断はできない……。
「えっ?」
 ふいに視界がぼやけ始めた。焦点が合わない。眼前にある物体が、角のとれた丸いシルエットに変わっていく。
「なんだこれは……?」
 どうやら、僕だけじゃないらしい。ぼやけて見える他の三人も辺りを探るように手を動かしていた。そして
「敵だ!」
 階下から上がる声、どうやらさっきのぼやけた視界によって敵はこちらの存在を認識したらしい。
「どうなってやがる……」
 ぼやけた視界は始まった時と同じように即座に戻った。階下で、激しい物音が鳴った。
「隠し扉でも作ってやがったのか……?」
 なんにせよ、即座に襲って来ないということは戦力の不備を認識しているということ。
「恐らくライブジャックはいない。しかし、何を考えているのか気になる……」
「先手必勝!」
 考え始めたエリックを余所に、ジャベリンが穴へ飛び降りた。
「あのバカ!」
 それを追って飛び降りるエリック。ロックは僕と顔を見合わせたけれど、かぶりをふって飛び降りてしまった。
「行くしかない、か」
 穴の底に着地。改装したのか、その床はむき出しのコンクリートで覆われていた。
「これは――」
地下には箱が積み上げられて壁を作っていた。中身は撮影機材か小道具か。いずれにせよ。見通しがいいとは言えない。
「いたぜぇ!」
 ジャベリンが叫ぶ。身を隠す、忍び寄るといった発想は、端から持ち合わせていないみたいだ。壁の先、突き当りに空いたスペースに向かって、彼はなにか構えを取っていた。
 ジャベリンの手が壁に触れると、さながら砂に埋もれていた流木のように、壁の一部が削り取られ、中から彼の得物……その身長ほどもある投槍が姿を現す。これが彼の能力か。
「しゃああ!」
 それを投げるためだ筋肉が用意されているかのように、彼の投擲フォームは流麗だった。戦闘プログラム――きっと彼にはあらかじめ、投槍のフォームがインプットされているのだろう。
「何⁉」
 しかし、音を聞く限りどうやら攻撃は失敗したらしい。重い金属音が響く。槍が何かに遮られてしまったらしい。
「どうなってんだ?」
 やっと追いつくことができた。隣に立つエリックとともに、荷物の隙間から壁の向こう側に目を向ける。
「なんだ……これは……」
 眼前にあったのは巨大な鉄の壁だ。ジャベリンの攻撃を防いだのは恐らくこれだろう。表面に傷が入っている。相当の大質量と見えるのに、背後からそれを支えている能力者はまるで負担を感じていない。
 だけど、僕が衝撃を受けたのは、そのさらに背後にあるものだった。まさか、彼らはこれを……これを撮影していたのか?
 首を鎖でつながれた七人の男女。円状に配置された彼の首には、それぞれ鍵がぶら下がっている。そして、彼らの上部には――まさかこのために特注したとでも言うのだろうか、スパイクのついた鉄の板がゆっくりと下に降りてきていた。
 待っていれば潰されて死ぬ。生き残るためには、互いに殺し合い、首の鍵を奪わなければならない。パッと見たところ分かるのはこれくらいだろうか。既に犠牲者が出ているらしく、おびただしい出血と、頭と胴体が離れ離れになった死体が三体も見える。つまり、もともと参加していた人数は十三人。殺し合いの為の刃物が、サークルの真ん中に散らばっていた。
「言っただろう。一定の領分。こいつらを見逃すわけにはいかないんだよ」
 淡々と告げるエリック。しかし、堅く握られた拳を見れば、けして平坦な感情でないことは確かだ。
 腰に下げられた刃の無いサーベルを引き抜くと、エリックはそれを一振りした。噴き出した液体が一瞬で凝固し白い刃を作り上げる。
「行くぞ!」
 新たな武器を作り出したジャベリンと共に、エリックは踏み込んだ。
 ジャベリンの投擲。鉄の盾はこれを防ぐ。けど、この攻撃は囮だ。側面に回り込んだエリックが白い刃を振り上げる。
「バケモンかよ」
 しかし、敵の行動は早かった。あれだけの大質量だというのに、いともたやすく持ちかえて、即座に側面のエリックに対応して見せた。硬い壁に阻まれ、白の刃が砕け散る。
 けど、まだ僕の攻撃が残っている。
「えいっ!」
 盾をエリックに向けたことでがら空きになった側面へ、作り出した火球を投げつける。
 当然敵は即座に対応しようとするけれど、エリックは二刀流、もう片方の刀がある以上、うかつに防御を解くわけにはいかない。
「ぐおおお!」
 このアンビバレントな状況に対して、敵は強引にエリックを押し込むことで対処した。鉄の壁でエリックを圧迫し、脇へ追いやることで火球の射程から逃れようとする。
 判断は悪くないと思うけど、残念ながら手遅れだ。僕は能力を解除した。
「畜生!」
 吐き捨てるような声。やったか? 爆発による煙が晴れて、攻撃の結果があらわになる。
「えっ?」
 結論から言って、敵は生きていた。無傷だ。でも、僕が驚いたのはそんなことじゃない。
「発泡スチロール……」
 爆発を防いだ鉄の壁。敵はどうやら壁を二つに割くことで、状況に対応しようとしたようだ。エリックの斬撃を防ぎ、僕の爆発も同時に防ぐ。そのために割かれた壁の断面からは、鉄の代わりに見知った物質が顔を覗かせていた。
「まがい物、か……」
 そばで観察していたロックが、静かに告げる。
「発泡スチロールに塗装を施すことで、本物の『鉄』に見せかける……。あれを鉄だと認識した『俺たちの思い込み』によって、まがい物の壁が本物に変わるわけだ」
 以前戦ったマリオネットと同じ。相手を超能力者に変える、思い込みを司る能力者。
「当然自分はそれを本物だと思っていないわけだから、ただの発泡スチロールと同じように扱える。怪力じゃない。化けの皮がはがれたな」
 ごつい見た目に反して、慎重な考察を行う人だ。その目はまっすぐ発泡スチロールを握った敵を見据えている。
「クソッ! ばれちまったか!」
 エリックの刺突を盾で受け止めるが、剣はたやすく貫通した。正体がばれたことで効力が切れたのだろう。発泡スチロールの繊維をまき散らしながら壁はたやすく切り裂かれた。
「やばい……!」
 逃げる敵、追いかけるエリック。だがそこで、ロックが叫んだ。
「止まれ! エリック!」
「クソッ!」
 一体どうしたというのだろう。怪訝な顔をしながらも、エリックはおとなしく止まった。その顔が見る間に青ざめていく。ここからでは壁に遮られて見えない。彼は何を目撃したんだ?
「どけえ! エリック!」
 ジャベリンが新たな槍を作りだし、ハリボテの壁を貫く。敵はとっさに身を躱したが、壁を吹き飛ばした槍は、敵の狙いを明らかにしてくれた。
「なるほど……」
 塗装する能力。敵はただ盾を持って近づいていたわけじゃなかった。
「炎の床か」
 こちらを攻撃するための罠として、盾に隠れながら床に塗装を施していたのだ。踏み込んできたエリックがやけどを負うように、赤熱した岩石に見える床を塗装していた。
「危ないところだった」
 けど、これはチャンスだ。既に火球は作ってある。敵はもう盾を持っていない。そして今、敵は槍を回避することで、自らエリックと距離を取った。これなら、彼を爆発に巻き込む心配はない。
「えい!」
 火球を投擲。逃れようとする敵を焼き尽くすように、僕は能力を解除した。
「ぐああ!」
 仕損じた。致命傷じゃない。奥に吹き飛ばされた敵は、地面を転がって体に着いた火を消した。
「はぁ、はぁ、もういいだろう⁉」
 荒い息をして立ち上がった敵は、奥にいた誰かに告げた。
「ええ。十分です」
 声は、さっきのデスゲームの現場から聞こえた。
「新手か」
 即座にエリックが刃を向ける。例の塗装屋が注意をひきつけていたからか、まるで気づかなかった。
 縛られていた男女は、その様相を劇的に変化させていた。涎を垂れ流し、奇妙な唸り声を上げながら、しきりに鎖から逃れようと暴れている。さっきまであった、恐怖の中に残された理性が、完全に取り払われた状態。何より異常なのは、その顔。短期間で何があったのか、全員紛れもない人狼に変わっていた。
「来るぞ
 頸木を外された人狼たちはわれ先にとこちらに襲い掛かってきた。
「クソッ、なんだよこいつら」
 向かってきた一匹をエリックが切り伏せるが、人狼まるで堪えた様子が無い。即座に身を起こして再び彼に飛び掛かって行く。
「うわっ!」
 当然僕も傍観者ではいられない。飛び掛かってきた人狼の爪を躱すと、その後ろに、さらにもう一体。とっさに手の平に作っておいた火球をロケットにして距離を取る。炎が毛皮を焦がしたけれど、今のでどれだけ効いたのか。
「加減してんじゃねえぞ新入りぃ!」
 ジャベリンの怒号。投擲が主となる彼だが、接近戦もこなせるようだ。作り出した槍を振り回し、襲ってくる人狼を薙ぎ払う。しかし、いかんせん数が多い。三体もの人狼に押され、次第に状況が悪くなっていく……
「ふん」
 押し倒されて喉笛を食いちぎられる、その寸前、彼を囲っていた人狼は放射状に弾き飛ばされた。
「相手を選んで噛みつく……非常に合理的な思想だ。見た目以上に頭がいいらしいな」
 ロック。彼の手には何の武器も握られていない。まさか、素手で? 素手であの一瞬のうちに人狼を三体も弾き飛ばしたのか?
「二人に向かって行ったのは囮。ジャベリンが接近戦が苦手だとふんで、まずそこに戦力を集中させた……」
 そのうちの一体に歩み寄り、思い切り足を振り下ろす。その凄惨なありさまに僕は思わず目を逸らしそうになった。頭がもげている。
「これでもう、動けないな」
 淡々と告げるロックの足元で、人狼の体が元の人間に戻って行った。
「おい、メイクアップ。こいつはやばいぜ」
 さっきの塗装屋が不安げな声を出す。
「あのごついのを始末させないとよ」
 メイクアップと呼ばれた側、恐らく人狼を作り出した張本人が相方に震える声で答えを返す。
「無理だ。私の能力はあくまでも外見上の変化を施し対象を怪物だと思い込ませること……操ることではない」
 ロックの戦闘力に恐れをなしたか、ジャベリンを囲っていた二体は唸り声をあげて後ずさりを始めた。
「クソッ、一体どうすりゃいいんだよ」
 足並みの崩れた連携に合わせて、エリックも対峙していた人狼の腹を掻っ捌いた。そして僕も……上にのしかかってきた一匹の人狼、その腹部に手を密着させて、火炎放射で焼き貫く。どてっぱらに風穴を開けられ、その人狼は息絶えた。
「さあ、どうする」
 戦況は圧倒的にこちらに有利。けど、気を抜いちゃだめだ。まだ、さっきの視界を奪う能力者が姿を現していない……。一体残った人狼が、飛び掛かろうと、腰を落とす。いつでも対処できるように、僕は手の平に火球を作り出した。ガントレットが軽い。撃ててあと三発か――
「ぐあっ」
 人狼が飛び掛かってきたその瞬間。視界が突然ぼやけ始めた。
「あいつか!」
 例の能力。目の焦点が合わなくなり、周囲の輪郭がぼやけて膨らみ始める。人狼は? ぼやけた塊が空中を直進してくる。牙も、爪も、まるで捉えることはできない。
「えいっ!」
 あてずっぽうに腕を突出し、やみくもに炎を噴射する。フレンドリーファイアの心配はないはずだ。こっちの味方がいた記憶はない。どこに命中したかはわからないけれど、攻撃がぼやけた塊に当たったのは見えた。爆風により、塊が後ろに吹き飛ばされる。それが地面にぶつかった瞬間、奪われた時と同じように視界が急に戻ってきた。
「なんだったんだ?」
 炎を噴射する直前、僕の手は確かにあの塊に触れた。でも、あれは……。毛の生えた獣の体じゃない。あれは、人間だった。
「能力が解除された? 視界が奪われたことで?」
 さっぱりわからない。それに、こっちの視界を奪うのが敵の能力なら、なんでその間に攻撃してこなかったんだろう。銃撃を行えばまず間違いなく倒せたはずだ。
「この『視界を奪う能力』 対象を選べないんじゃないか?」
 エリックの意見は賛同できる。そうとしか考えられない。でも、それだと大きな疑問が残る。
「問題は、何故奴らは今能力を使ったか、ということだな」
 ロックが人狼の首をへし折りながら淡々と言った。
「けっ! なんだっていいぜ。あの野郎が明後日の方向を向いてる今がチャンスだ!」
 ジャベリンの言う通り、塗装屋は首を左に向けている。何かあるのだろうか? 視線の先は積み上げられた荷物や機材に阻まれて見えない。見ていると塗装屋は、近くにあった機材の箱を、梱包材として入っていた発泡スチロールを取り出した。
「死ね!」
 ジャベリンの攻撃。投擲された槍が塗装屋に迫る。しかし彼はまるで動じていない。無造作に右腕をかざし、手の甲を槍前面に向ける。
「何っ!」
 金属音。槍は塗装屋の手を貫通することなく脇へと弾き飛ばされた。
「なるほどな。そのために視界を奪ったのか」
 歯ぎしりするジャベリンにロックが淡々と告げる。
「奴はその能力の特性上『描いている所を見ている人間』に効力が無い……俺たちの視界を防ぐために、三人目の敵が協力したんだ」
 白銀色に塗られた手首。彼は何の制約もないかのように動かすが、それは傍目に鋼やチタンに見える。
 けど、ロックの推測だけでは足りない気がする。彼は間違いなく左側を見ていた。結果的にそれは隙ではなかったわけだけれど、何か目的があったことは間違いない。
 彼は何を見ていた? 拾った発泡スチロールの直方体に向かって、指の先から塗料を塗りつけている。あれは、一体何だ?
「よそ見するんじゃねえ!」
 手を出せないでいる僕を余所に、エリックが切り込みに行く。人狼が行く手を阻むが、後ろから駆け寄ったロックの全体重を乗せたタックルが、エリックを煩わせるより先に敵の骨格を粉砕する。迎え撃つのは能力者のみ。塗装屋を庇うように、メイクアップと呼ばれていた敵がエリックの前に立ちふさがる。
「どけっ!」
 刃を振り下ろすエリック。しかし、そこで包帯で隠された敵の左腕がその正体を露わにした。
「なっ⁉」
 その左腕から生えていたのは、一匹の大蛇だった。ひるんだエリックの隙をついて、大蛇は振り下ろされる刃に向かって行った。その牙が白刃を捉える。
「蛇を移植したのか?」
「さあ、どうでしょうね」
 牙が刃を打ち砕く。そのまま蛇はサーベルに身を絡ませ、エリックの手元へ……
「かかったな」
 蛇の動きが急に止まった。見ると、エリックのサーベルは、柄の部分からどろどろに溶けていた。溶けた刃が蛇の上で再び固まり、がっちりとその体を固定してしまっている。
「これで、逆にお前は逃げられないわけだ」 
 そしてエリックは二刀流。右腕に握られた刃が、動けない敵に向かって振り下ろされ……
「スティールロール! まだですか!」
「できた! いいぞ、レソルーション!」
 レソルーション……未だ姿を見せていない『視界を奪う』能力者。彼は仲間の指示に答え、再び能力を発動させた。
「なんだと……」
 暗転は一瞬だった。その一瞬で、何が起きたのか、蛇は高速を逃れ、再びエリックに鎌首をもたげている。
「なるほどな。メイクアップ――あの人狼も、その蛇も、お前の特殊メイクのたまものだというわけか。本物だと思い込ませることで、本物にしてしまう能力……視界を塞いでしまえば、蛇は元の腕に変わる――初めから蛇になっていたことなどなかったかのように」
そして、変化はそれだけではなかった。
「あいつがそうか」
 三人目の敵。レソルーションが、塗装屋――スティールロールの傍らに立っていた。
「これでいいか」
 スティールロールが、黒く塗装した箱をレソルーションに見せる。箱に触れたレソルーションは首を縦に振った。
「十分だ」
 他二人よりも一段年上のような声。ロックが最後の人狼を叩きのめした瞬間を見計らって、奴らは動き出した。
「くらいな!」
 レソルーションから受け取った箱をスティールロールが投げつける。瞬間ぼやける視界。何もかもが不確かな世界で、その投擲された箱だけが、輪郭もはっきりと捉えることができた。
「しゃらくせえ!」
 投げつけられた箱を叩き落とすジャベリン。僕らは彼があれを塗装するところ見ている。何に見せかけようとしたかは知らないが、その影響を受けることはない。
「クソッ」
 しかし、目が使えないのはまずい。適当に攻撃したら、同士討ちしてしまう危険性もある。だけど条件は敵も同じはずだ。飛び道具は使えない。ぼやけた塊が近づいてきたら、その瞬間を狙って……
「ぐぁっ!」
 なんだ? 背中を切られた。幸い、傷は浅い。でもどうなってるんだ? これは一体……。
「ぐっ!」
「いってえな! 畜生!」
 ボケた色の集合にしか見えない世界で、次々にストレイドッグのメンバーが悲鳴を上げる。
「くっ!」
 今度は脇腹だ。視界をぼやけた影が通るのは見えるけど、まるでその姿を捉えることはできない。
「なんでだ? なんでこっちの死角が分かる?」
 二度の攻撃はどちらも背後からなされたものだ。敵も僕らと同じように視界が奪われているのなら、僕のいる位置は分かっても、背後を向いているかどうかわかるはずがない。
「クソッ!」
 背中から攻撃するというのなら、こっちにも考えがある。胸の前で腕をクロスさせ、両脇の下から掌を背中側に向ける。今度近づいてきたときがチャンスだ。攻撃してきた瞬間に、すかさず炎をぶち込んでやる。
「今だ!」
 ふとももを斬りつけられたのを認識した瞬間、僕は能力を解除した。両手から火炎が吹き出し、背後に来ていたであろう敵に集中砲火を浴びせる。これで流石に仕留められたはず……。
「ぐはっ!」
 そんな……アレを躱した? どうやって? 腹部に突き立てられたナイフは、敵の無事を証明する。絶体絶命。火球はもう、あと一発しか撃てない。
「そういうことか……」
 ロックのうなり声が遠くに聞こえる。彼でさえも、この状況は苦戦するようだ。
「あいつは、わざと俺たちに見せつける形で塗装を行ったんだ」
 何もかもが不確かな視界の中、際立ってはっきりと見えるのは、さっき投擲された箱。
「三人目の敵の能力は、単に視界を奪うわけではない。一つの物体以外見えなくすることだ」
 どう考えても見えるはずがないのに、人間の視力を越えているはずなのに、僕はその箱に施された塗装、細部まではっきりと捉えることができる。アンテナなようなディティール。立体的に浮き出て見える枠線。そして、側面に備え付けられた接触端子……
 敵があれを何に見せかけていたか、僕はようやくわかった。
「モニター」
 当然その画面には、何も映っていない。あたりまえだ。ただの絵なのだから。でも、敵二人にとってはそうじゃない。
「恐らくあのモニターは、この部屋に仕掛けられた監視カメラを映しているものを模している」
 敵は、直接相対する前に、僕らの存在に気づいた。監視カメラがあることは疑いようがない。
「そして、敵の二人は、あれが塗装される瞬間を『あえて見ていなかった』能力の効果を得るために」
 二人にとってあれは、本物のモニターと同じ効果を持つ――すなわち、あそこには、僕らの姿を撮影している監視カメラの映像が映っている。
「一つの物体に焦点を合わせ、人間の目の分解能(レソルーション)を越えて、遠くの物体をはっきりと見せる……それが奴の能力の正体か」
 あれだけ離れているのにディティールまで捉えることができる。つまり、どれだけあれが離れていようが、敵はその内容を読み取るのに苦労することはない。
 ダメだ。絶望的。ぼやけた視界のなかで、敵と思しき影がゆらゆら揺れる。
「なら、あれをぶち壊してやりゃあいいんだろ!」
 ジャベリンが槍を投擲するが、そう簡単にはやらせてくれない。立ちふさがったメイクアップが、右手で槍を受け止める。箱の前に立ったことで一時的に焦点が合わさり、特殊メイクを施した右腕が、周囲の視線で本物に……金属に覆われたロボットアームに変わる。
「ぐあっ」
 二投目は無い。もう片方の能力者、レソルーションがジャベリンを襲う。流石に画面越しに確認しているためか、その攻撃は決定打に欠けるが、このままじゃ僕らはなぶり殺しで全滅だ。
「クソッ! 新入り! 火でこいつらをぶっ飛ばせよ!」
ジャベリンが叫ぶ。だけど、僕にはどうすることもできない。残った火球は後一発。仲間を巻き込む覚悟で撃っても、三人全部倒せるかどうか……
「フレイムスロアー! どうして攻撃しない?」
 エリックも苦戦している。何か無いのか……?
「ダメです。僕はもう、あと一発しか炎が撃てません! 敵を倒すのは不可能です」
 失望させてしまうだろうか。いや、この際そんな細かいことはどうだっていい。何とかしないと、何とか……
「一発……一発撃てるんだな」
 エリックの声音が変わる。
「え、はい」
 なんだろう。あの自信に満ちた声は。
「よし、ならそこから地面を這いまわって、濡れている所を見つけろ」
「えっ?」
「早くしろ!」
 言われた通りするしかない。敵らしき影をおぼろげながら判断して、僕は床を転がった。確かに、何か濡れているところがある。
「ありました!」
「よし、ならそこに火をつけろ!」
 ここに、火を? 迷う時間はない。それでなんとかできるなら。
 僕は手の平の火球を爆発させ、その液体に火を放った。
「くっ⁉ これは?」
 途端に煙が噴き上がる。どうやら可燃性の液体だったらしい。熱の伝わり方がおかしいのか、普通では考えられないほどの煙が起こった。
「けほっ」
 思わず口を手で覆う。一体何だ? これに何の意味があるっていうんだ?
「伏せろ!」
 エリックが叫ぶ。わけもわからず僕は従った。爆発はもう済んだ。一体何が襲ってくるっていうんだ?
 一秒、二秒……何も起こらない。代わりに伏せて動けない僕を狙って、敵が上から攻撃してきた。やみくもに転がって、ナイフの攻撃をなんとか避ける。もう起き上がってもいいのか? エリックからの返事はない。
「エリック⁉」
「その口を閉じてろ!」
 作戦は失敗したのか? エリックの口調は厳しい。敵の攻撃はなおも続き、避けきれなかったか、時折仲間の悲鳴が上がる。もうだめだ。眼前に立つぼやけた人影、この位置の攻撃は避けられない……
「えっ?」
 突如その人影がもがき始めた。苦しんでいるようにも見える。体がどんなふうになっているのか、それは分からないけれど、落としたナイフが床に当たって、からんと小さな音を立てるのが聞こえた。
「えっ?」
 一体何があった? 他でも同じようなことが起きているらしい。ジャベリンからも怪訝そうな声が上がる。そして
「戻った」
 視界が再び通常通り、完全に晴れた。
「な、何だ? お前ら何をした?」
 わけもわからず腰が砕けたように座り込むのは、能力の特性上戦闘に参加していなかったスティールロールだ。他二人は、すでに意識を失っているのか、コンクリートの床に倒れ伏している。
「お前に教えてやる義理はない」
 静かに歩み寄ったエリックは、その胸に刃を突き刺した。

「一体、何がどうなったんですか?」
 階段を登って地上に抜けた時に、僕は新ためてエリックに尋ねた。
「火事の時の最大の死因、知ってるか?」
 そもそも僕は熱が効かない。火事で死ぬなんて考えたこともなかった。
「いえ、知りません。火傷ですか?」
「違う。一酸化炭素中毒だ」
「一酸化炭素?」
「不完全燃焼を起こすと空気よりも軽い一酸化炭素が発生する。吸い込むと血中のヘモグロビンの働きが阻害され、酸素を全身に運べなくなるわけだ。そして、燃焼が起こっているということは、そもそも酸素が消費されているということ。奴らが倒れたのは、ひとえに酸欠のせいだ」
「酸欠……じゃあ、あの液体は?」
「エリックの能力だ」
 ロックが代わりに答えた。
「エリックの能力は、蝋を鹸化して液状化することだ。液化して地面に撒いたのを、着火前に蝋に戻したんだろう。不完全燃焼を起こすように、な」
「……すごい」
「俺みたいに超能力が使えない奴には、逆立ちしたって真似できない頭脳プレーだ」
 ロックの言葉は、心なしか、少し誇らしげだった。
「あんまりほめないでくださいよ」
 エリックがはにかむ。そんな二人の様子が面白くないのか、ジャベリンは肩をすくめて早足になった。
「おい。待てよ」
 エリックの制止も聞かずに先へ進むと、ジャベリンはこちらを振り返った。
「今日の所は認めてやるぜ、新入り」
「えっ?」
「けど、おかしなことしたら容赦はしねえ。それを覚えておけよ」
 それだけ言い残すと、彼は走って先へ行ってしまった。
「あの野郎。妙な真似しないように、きつく言っといたほうがいいな」
「いえ。大丈夫です」
 ちょっとだけここでやっていけそうな気がした。まだ完全に、彼らの考えに賛同したわけじゃない。でも、彼らの、ストレイドッグの考え方が、少し理解できた気がする。
「少し、風に当たりたいんです。先に戻ってください」
「いいけど。早めに戻ってこいよ。お前はエースに狙われてるんだからな」
 ゆっくり歩こう。そして、ゆっくり考えよう。
 これからのことを。前向きに。


「おら、さっきまでの威勢はどうしたぁ?」
 死なない程度に軽くスイング。特殊合金でできた棒は、鈍い音を立てて女の脇腹にめり込んだ。目が潤み、せき込み、そしてすがるような視線をこちらに向けてくる。鬱憤がたまる毎日だが、この瞬間だけは生きている喜びを実感できる。
「お、お願いです。止めてください」
 仲間の一人が感情に任せて一発殴ったため、その顔には青痣ができている。風俗店のオーナーだというのに、不釣り合いなほど若い。この街のガキは十を超えるか超えないか辺りで売春を始める。こいつもその口だろう。そして、金回りのいいパトロンをひっつかまえて、店を譲り受けた……
「やめてください。なんでもしますから」
 そのパトロンは既に死体に変わってる。倒れた女から二十メートル後方。オフィスビルの二階は凄惨な殺戮現場と化し、ギャングの構成員二十名ばかりの血が流れた。その収穫が、この女だ。
「何でもする? じゃあそこでおとなしくサンドバック続けてくんねえかな」
 年齢に不釣り合いなほどの地位。そして、かつて自分と同じ立場であった娼婦を、王か何かにでもなったかのように扱うその姿勢。レジスターと重なることの多いその姿は、いつも以上に暴力衝動を加速させた。
「な、なんで? 私が何かしましたか? 私はただ買われていただけ。悪いことしてたのはあの人たちじゃないですか」
 無言でアッパースイング気味に、その胴体を殴りつける。
「その悪い人からもらった店で、無茶な運用をして女を使い潰してたのはどこのどいつだ? 性病をうつされ、尻穴を壊され、喉をやられて喋れなくなった女たちの前でも、同じセリフが吐けるのか?」
 むろん、これは詭弁だ。女共に対する慈悲や共感は全くない。ただうろたえ罪悪感に苦しむこいつの顔が見たかっただけだ。そして、それは叶った。
「だって、私経営のこととかわかんないし……」
「わからないのに店を持ったのか。自分は矢面に立つことなく高みの見物……」
 棒で殴るのは止めだ。髪を掴んで無理やり立たせると、人通りの少なくなった道路のほうに引きずって行く。
「な、何するんですか……」
「知ることになんの意味がある?」
 この辺りでいいだろう。ふらつく足の甲を踏み抜き、移動手段を完全に立つ。
「この辺りは浮浪者がよく集まるんだ。お前に潰されて捨てられた女共もな。いい遊び相手になるだろうぜ」
 女はヤルより、ぶちのめして嬲るに限る。プライドを引き裂かれ後悔にむせび泣く女以上に興奮をかきたてられるものはない。
「さーて、まずは――」
「やめろ、アイアンロッド」
 肩に手を置いたのは同じストレイドッグの仲間、ラストステップ。
「そろそろ行くぞ」
 もう時間か――楽しい時は早くすぎる。このまま一晩中楽しんでもいいが、もって帰るのは流石に面倒だ。
「わかったよ」
「あとそれから」
 よほど言いにくいことなのか、ラストステップは眼帯を指で弄んでいた。
「何だ?」
「お前のことを、新入りが見ていた」
 新入り――フレイムスロアーとか言っていたな。
「なんであいつがいる? 別の仕事を任せられていたはずだろう?」
「さあ。もう終わったんじゃねえか」
 まあ、ありえない話じゃない。能力者同士の戦いと言えど、早く終わることもある。
「それで、新入りが見ていたから何なんだよ」
「懐柔するから今はなるべくまずいことは見せるなって、エリックがよ」
「あいつの点数稼ぎに付き合う義理はねえ」
 これで新入りがまずったことになろうが、俺には何の関係もない。何よりあいつは、ヘッドセットを殺した奴らの一人だ。必要無いと判断したら、すぐにでもぶち殺してやる。
「……帰るか」
 腹いせに女の腹に一発蹴りを叩き込んだ後、俺は仲間と共にアジトに戻った。


 やっぱり。あいつらは薄汚い犯罪者だ。それでも行くあてのない僕は、ストレイドッグに戻るしかない。無抵抗の女の人を引きずり回して嬲り続けるなんて……。彼だけが異常なのか? それともストレイドッグ全員? 心の中の甘ったれな部分は、エリックだけは例外だと声高に叫んでいるけれど、この声はここ数日でだいぶ弱弱しくなってしまった。
「止めようとしないなら、全員同罪だ」
 ここは僕のいるべきところじゃない。かといって、他に僕の居場所はないんだけど。帰るべき場所だったはずのアカデミーズなんて、始めから存在していなかった。
「あ、フレイムスロアー」
 オフィスとアジトをつなぐ廊下で、エリックに声をかけられた。
「なんですか?」
「レジスターが呼んでた。オフィスのほうに向かってくれ」
 レジスター。ここのボスか。彼女はこのありさまを知っているのだろうか? 知らないはずはない。
「わかりました」
 エリックの言葉に従い。廊下を歩いて扉を開ける。
「こんにちは。あなたがフレイムスロアーね」
 待ち受けていたのは、若い女だった。
「私はレジスター。ストレイドッグ全体に仕事を与えている人間よ」
「つまりは、ボス……そういう認識で問題ないですか?」
「リーダーという呼び名の方が、私としてはありがたいのだけれど」
 どっちだっていい。呼び名で彼女の立場が変わるわけじゃないんだ。
「それで、僕は何故ここに呼び出されたのですか?」
「ヘリング・エースのことで話があるの」
 なるほど。大体見当はついた。
「エリックが言っていました。僕はエースに狙われている」
 だから戦闘プログラムを渡せ、と。
「そうね。正確にいうと、狙われているのはあなたの戦闘プログラムだけれど」
 そういうと、レジスターはゆっくり話しはじめた。
「私達ストレイドッグは、あの日、アカデミーズ――つまりあなた達が戦った相手。エースは当然こちらを探しているわ。今エースが攻撃してきたら、ストレイドッグは壊滅させられる。慎重にふるまわないといけないわ。こちらの動向を気取られるわけにはいかない」
「なるほど」
「そんな時期だから、エースがあなたのことを探し回っているのはとてもマズイの。足跡を辿られて、このアジトが割れたら、ストレイドッグは壊滅。せめて、あなただけでも何とかしたい」
「それで、僕にどうしろと?」
「エリックから聞いたと思うけど、戦闘プログラムを渡してもらいたいの」
 確かに彼はそう言っていた。けど、意味が分からない。
「何故戦闘プログラムを渡さなければいけないのか、そう言いたそうね」
「ええ。納得できませんから」
 何をするつもりか知らないけれど、データを彼女に渡したところで、エースから逃れられるわけじゃない。エースのターゲットが一人増えるだけだ。
「まあ、そうでしょうね。無理もない……今から説明するわ」
 レジスターは立ち上がった。
「エースがあなたの戦闘プログラムを狙う理由。それは何故だと思う?」
「僕のデータを回収して、能力を使えるようにするのが目的でしょう?」
 エリックから聞いた話だと、こういうことだったはずだ。
「確かに。それはそう。けど、あなたのデータなら既にエースは持っているはず。アカデミーズにいたころ、ミッションが終わるたびに戦闘データを要求されたでしょう?」
 そういえばそうだ。失敗や反省点、改善点をフィードバックするためと称して、いつもプログラムは回収されていた。
「だから、最新のデータじゃないにしても、エースは戦闘プログラムを入手している。能力を使うため、という動機は不適当よ」
 となると理由は一つしかない。エリックの言っていた言葉を思い出す
「情報の漏えいを防ぐことが目的、そう言うわけですね」
「その通り。他の犯罪者にプログラムが渡れば、最悪能力をコピーされてしまうし、そうでなくとも手の内が一つ明らかになる。ヒーローにとってこれ以上の痛手はないわ」
 エリックも同じことを言っていた。きっと常識なのだろう。ヒーローの真実を知る者にとっては。
「それを防ぐために、エースはあなたの命を狙っている。あなたが誰かにプログラムを渡すよりも先に、直接殺してしまおうと」
「その事実はどうあっても変えられないんじゃないですか? 戦闘データを渡すことで、どう状況が好転するというんですか?」
「エースの動機を消すことができる」
 レジスターは言い切った。
「この三日の間。私は方々根回しを行って、裏取引の準備を整えたわ」
「裏取引?」
「あなたの戦闘プログラムを渡す。そういう取引よ」
 最悪だ。そして、意味が分からない。
「いったい何故?」
「エースがあなたを狙うのは、あなたしか情報を持っていないから。市場に流れ、誰もが普遍的にそれを手に入れられるようになった時、情報は価値を失う」
「なっ……⁉」
 大勢に公開される? 犯罪組織の連中が、僕の育て上げた戦闘プログラムを使って人々を苦しめるようになるということじゃないか。
「二人や三人は口封じできても、百人二百人となると、さすがに労力に見合わなくなる……エースも諦めるはずよ」
 もっとも、安全のためにアジトの場所は変えないとダメだけど。レジスターはそう付け加えた。
「でも、そしたら……そしたら僕の能力が他の組織にばれてしまいませんか?」
「さすがに、組織を潰されたくはない。だからこその取引よ。背に腹は代えられないわ。それに、あなた一人に仕事を任せるわけじゃない。他のサポートがあるわ。一人放逐されてあてもなくさまようよりはマシでしょう?」
 僕は……僕はどうすればいい? ここで生き続けるのか? 弱者を虐げ暴力に振るう奴らと? 自分も犯罪者に身を落とすのか? 
 できない。弱弱しい声だったが、胸のうちははっきりと答えてくれた。それはできない。
確かに僕の信じていたヒーローはまやかしだった。だけど、それで僕がヒーローを諦める理由にはならない。正義を為す物がいないなら、自らが正義を行えばいい。
「考えさせてください」
「取引は三日後。それまでに決めて。ここを去るか、戦闘プログラムを渡すか」
 既に肚のうちは決まっている。後はそれを実行するだけだ。
 「わかりました」
 静かな決意と共に、僕はオフィスを後にした。


AND OR