活動/霧雨/vol.35/I wanna be the/6

第6章  幕引き bookmark

 雨の降るアスファルトの道路で、僕らは戦闘を続行する。
「うぉお!」
 ジャベリンの投擲。彼の隣に立つツインブレイドも、己の得物、両端に刃のついた棒を放つ。
 目標は一人だ。飛来した槍を半身で躱すが、回転刃は空中で展開。両端に刃のついた鎖鎌へと変形する。
「かかった!」
 その右腕が絡め取られる。伸びた鎖のもう反対側を握り、ツインブレードが叫んだ。
「応!」
 そして敵の両サイドから現れる二人――ロックとアイアンロッドが、同時に敵へと襲い掛かった。
身を沈めてそれを避けようとする敵だが、腕にかけられた鎖がそれを許さない。仕方なく敵は一歩前へ踏み込んだ。鎖の余りを利用して、真横に張り私アイアンロッドの鉄の棒を防御。しかし後方への対応が間に合わず、ロックの拳を背中で受ける。
「かはっ」
 口から息を吐きだし、敵は前方へつんのめった。だが、やはり一筋縄ではいかない。受け止められたアイアンロッドの棒は既に鎖に絡め取られている。
 なんらかの能力を使ったのだろう。敵の右腕は拘束を脱し、張り詰めていた力が解放されたことで、アイアンロッドの得物と共に、伸びきった鎖が水平にスライドする。バックキックで追撃をけん制したのちに、敵は手を取られて体勢を崩したアイアンロッドに膝蹴りを叩き込んだ。
 そして、始まる一対一のやり取り。手数、速さ、力強さ。すべてロックの方が上だ。次第に押され始める敵。だが、彼女はまだ奥の手を残していた。
 その体が揺らいだかと思うと、何か大きな力に引っ張られているかのように、彼女の体が宙を跳んだ。その到達点は、僕の傍らに立つ。ツインブレイド。さきほど巻き取られた鎖の中に、それを掴んでいる手首があった。
「ちょっと、これは一体――」
 余計なことを喋らせる暇は与えない。火炎放射。アスファルトの鎧を身にまとったペトロメイルがジャベリンとツインブレードをカバーする。敵は――?
「やったか?」
 炎がおさまり、陽炎の中から人型が姿を現す。全身真っ黒。焼けたから? いやそうじゃない。
「クソッ 俺たち全員の能力を使えるんだったな」
アスファルトの鎧をまとったレジスターがそこに立っていた。
「説明してもらえるかしら。何故こんなことをしたのか」
 怒り、驚き。そうした感情の下に押し固められた深い悲しみを滲ませて、レジスターは声を絞り出した。
 そう、これは数時間前にさかのぼる。

 ナイトメアキャストとの戦闘から三日後。この日、僕はエリックに誘われていた。再びミッションを受けることを。
「今度のターゲットはネオシフターズ――最近この辺りで幅を利かせ始めた新参だ。俺たちと関わりを持たない組織。いずれ障害になる」
「それも、あなたの言う『領分』からの行動ですか?」
 問いかけそれ自体に意味はない。次の言葉を導くためだ。
「まあ、はっきり言っちまうと、今回はあまり関係ないかもな。ただの醜い犯罪者の共食い。そう思ってもらって構わない」
「では、その仕事は一人でお願いします。受けるわけにはいきません」
 もとよりエリック一人に任された仕事だ。僕がいなければならない理由はない。
「……わかった」
 特に粘ることもなく、エリックは引き下がった。仕事を行うため、黙って一人、アジトを出る。僕はこの瞬間を待っていた。
「あの、話があります」
 隙間が寂しさを呼び起こす、無駄に広いアジト。スペースを持て余し、イミテーションの暖炉前にたむろしていたストレイドッグの面々に、僕は声をかけた。
「話だぁ?」
 文句をつけようとするジャベリンをロックが手で制止した。
「何の話だ?」
「エリックがいない今だからこそ言える話です」
「だからなんだって聞いてるんだよ!」
 吠えるジャベリンとロックが抑える。よし、いいぞ。他のメンバーも注意をこちらに向けてきた。このタイミングだ。
「レジスターの裏切りについてです」
「裏切りぃ!」
 まっさきに食いついたのはアイアンロッドだった。胸倉をつかみ、額と額がくっつきそうなほど顔を近づけてくる。
「お前それどういうことだ? あの女何しやがった?」
 微塵も疑っているようには見えない。いや、むしろこれが彼の願望なのだろう。暴力を振るえる大義名分が欲しい。そういう思考。そして、かれとレジスターの関係は日ごろからまるでよくなかった。エリック以外のストレイドッグはみんなそうだ。
「ええと。話します。話しますから」
「ああ。悪い」
 そうだ。この話は全員に聞かせないとダメだ。
「レジスターは僕らを裏切りました。自身が助かるため、僕をヘリング・エースに売ろうとしています」
「はあ? どういうことだよ。なんでエースが関係してくるんだ?」
 口を挟むジャベリン。今度はロックも、制止しようとはしなかった。
「僕は、エースに狙われています。正確には、僕の戦闘プログラムが」
「自身の戦闘プログラムが敵の手に渡る前になんとか回収する、それが奴の目的か」
 ロックが呟く。
「はい。僕はまだ戦闘プログラムを渡していません。しかし、彼女はすでに取引を決めてしまったようです。さらに、エースは犯罪者を見逃さない。僕を引き渡すついでに、ストレイドッグも壊滅させてしまうでしょう」
「あの女、俺たちをエースに売って、自分だけ逃げるつもりでいやがるのか」
「許せねえ」
 口々にののしり始めるストレイドッグのメンバーたち。やはり、彼らは直情的だ。あまりものを考えてから動くタイプじゃない。
「待てよ。証拠はあるのか?」
 さっきまでとは打って変わって、アイアンロッドが慎重に切り出す。
「証拠?」
「そうだ。レジスターが俺たちを裏切ったという証拠だ。俺はまだお前を信用していない。引っ掻き回してストレイドッグを内部分裂させようとしている……その可能性だってないとは言い切れないだろう」
 なるほど。用心深い。ここが正念場だ。彼やロックに気取られれば終わり。裏を返せば、他四人は既に味方に付いたと言える。
「ええ。これはレジスターの会話を盗み聞きしたものです」
 戦闘プログラムから先日の会話の記録を抽出し、手を加えて再生できるようにする。アジト備え付けの再生機器にメモリを差し込んで、僕は録音された音声を流した。
「他の犯罪者にプログラムが渡れば、最悪能力をコピーされてしまうし、そうでなくとも手の内が一つ明らかになる 二人や三人は口封じできても、百人二百人となると、さすがに労力に見合わなくなる、でしょう? 裏取引の準備を整えたわ あなたの戦闘プログラムを渡す。そういう取引よ。今、攻撃したら、ストレイドッグは壊滅させられる。アカデミーズと闘った能力者集団。探している、でしょう? さすがに、私は、潰されたくはない。だからこその取引よ」
 僕がつなぎ合わせたレジスターの声に、ストレイドッグの面々は言葉を失った。
「これは……疑いの余地が無いな」
 アイアンロッドの顔がいよいよ蒼白になる。いい傾向だ。
「取引まであまり時間がありません」
「ああ。それに、前々からあの女、気に入らねえと思ってたんだ」
 手の平に拳を打ち付け、アイアンロッドが淡々と話す。
「お前ら、準備しろ。あの女が取引先から返ってきたら、速攻片を付ける」
――そして今、僕はここにいる。レジスターを打倒し、ストレイドッグを手駒とするために。


「そろそろだな」
 敵のアジトは街のど真ん中にあった。大規模なショッピングモールの地下。情報によると、今日の夕暮れ、四時から六時までの間のどこかで、ネオシフターズは仕事で内部の警備が手薄になるらしい。
 喫茶店で時間を潰すこと数時間。向かいにあるショッピングモールの搬入路が開き、トラックが数台出て行くのが見える。奴らなりの偽装工作と言うことだろう。
「行くか」
 勘定を払い、何気ない風を装って、道路を渡った先の、搬入路へと近づいて行く。車体が監視カメラを覆い、運転手が前方に注意を向けたその瞬間、バックミラーの死角を縫って、俺は閉じていくシャッターに滑り込んだ。
「ふう」
 なんとかなったな。警報は鳴っていない。積み上げられた荷物の奥に、地下へと続く階段が見える。閉塞感のある構成。一度踏み込めば、おいそれと逃れることはできないだろう。脱出ルートは限られる……
「落ち着け」
 何をナイーブになっているんだ? たかだか人間を数人殺すだけじゃないか。 チャーリーのことが気がかりなのか? 何か嫌な予感がする。いや、きっと気のせいだろう。
 チャーリーのことで少し思い悩んでいるせいだ。
 階段を降り、扉に手をかける。 大丈夫、何も問題は――
「ようこそわがサーカスへ!」
 突然の大音響。赤白黄色の原色で飾り付けられた、ド派手な空間が目に飛び込んでくる。
「なっ……!」
 そこは人の出払った閑静な事務所ではない。そこは……
「なんだと?」
 サーカスのテントのように、にぎやかな様相を呈していた。
「こいつは一体どういうことだ?」
 大玉に乗っている奴。ジャグリングをしている奴。即席で作られた火の輪をライオンがくぐり、笛の音に合わせて蛇が鎌首をもたげる。部屋の隅でパントマイムをしている奴がいるかと思えば、自転車の軽業を見せる奴までいる。そして、彼らを見下ろす存在。一段高く設けられた席に、ネオシフターズのリーダーが腰かけていた。
「依頼を受けたのですよ。ここに一人能力者が来るので、始末してほしい、と」
 ジャグラーから発せられる明るく、芝居がかった声。トーンが高い。あいつ、女か? いや、よく見ると背が低い。性別以前に、ここにいるサーカス団員、すべて子供だ。
「依頼だと……?」
「ええ。そして、見る限り、あなたがその能力者の様ですね」
 ジャグラーの手から手へと渡りゆくのは、十本あまりの小型ナイフ。
「襲撃がばれていたのか?」
 ここにいるクラウンのメイクをしたガキどもは、明らかに能力者だ。聞いたことがある。クーパルニア。小児性愛好者のピエロが作った、いかれた殺人サーカスがあると。
 壇上の依頼者、ネオシフターズのボスは黙して語らない。クソ、何故だ? 何故襲撃の情報がばれた?
「それでは、ショーの開幕ですね」
 狼狽する俺を余所に、ジャグリングされていたナイフが三本放たれた。


「終わりだ!」
 ラストステップがレジスターへと踏み込む。彼が立つのは彼自身がアスファルトの地面に刻みつけた幅五十センチ程度のラインの上。何の変哲もない地面にできた傷が彼の能力により結界と化す。
「くっ!」
 ラストステップのサーベルを避けるため、たたらを踏んだレジスターの足が結界の縁を踏み、はみ出たくるぶしから血が噴き出す。これがラストステップの能力。一度結界に踏み込んだ者は、ラストステップがそこから出ない限り、結界から出ると抉り取られるようになる。
「おらっ!」
 続くラストステップの追撃。レジスターは身を屈め、地面を叩いた。迫る刃。ジャベリンの能力によって作り出された槍が、その攻撃を受け止める。
「ぐへっ!」
 そして、手痛い反撃。一対一ならレジスターの方が実力は上だ。だが、僕らは一人で戦ってるわけじゃない。
「もらった!」
 結界の外から飛んでくるツインブレードの鎖鎌。斬撃は巧みにかわされるが、たわんだ鎖がレジスターの腕を捉えた。ツインブレードは力任せに引っ張り、彼女を結界の外へと引きずり出そうと試みる。
 しかし、これは予想されていたようだ。拘束された彼女の腕は、黒い何かに覆われている。ペトロメイルの能力。腕を覆っていたアスファルトの鎧がはじけ、一瞬で来た隙間から、彼女は腕を抜き取った。
 だが、このやり取りは致命的な隙だ。体勢を取り戻す間もなく、ラストステップのサーベルが振り下ろされる。体勢を崩したレジスターが、結界の縁に手を突いた。移動もままならない彼女に向かって、ジャベリンが投槍を放つ――
「はっ!」
 倒立の姿勢。体に槍が突き刺さるよりも先に、レジスターは縁でバク転を行うことで対応した。しかし、その先にあるのは地面。結界から外の地面に降りた瞬間、彼女は前進を抉り取られて消滅する他ない。
 支えや勢いを殺してくれる者はない。勝った――
――しかし、勝利を確信した僕らの前で彼女は予想外の動きを見せた。
「あれは!」
 エリックの能力。手から流れ出た蝋が、手の平と地面をがっちり固定している。そして、例の足技使いの戦闘技能――逆立ちの姿勢から放たれる蹴りが、ラストステップを死角から襲う。
「ぐあっ」
 この予想外の反撃に、ラストステップは対応できない。結界から吹き飛ばされ、能力が解除される。
「まずい!」
 即座にカバーに向かうペトロメイル。ダメだ。間に合わない。その能力の特性上、ラストステップは近くに味方を寄せ付けていなかった――
「あぐっ」
 ペトロメイルが射線上に入った時には、既に攻撃は終わっていた。ラストステップの腹から突き出した槍。動体を貫かれた彼は、口から血を流し息絶えた。
 沈黙。その場にいた全員の顔から、血の気が引いた。
「こ、これでもう、後戻りはできなくなった」
  何より動揺しているのは、投槍を放った本人だ。一瞬その顔が、泣き出しそうな表情に変わる。もしかしたら僕は、とんでもないことをしてしまったのかもしれない。けど、ここで止まるわけにはいかない。もとより望むところだ。罪悪感を振り払い。一言叫ぶ。
「まだ終わってない! 行くぞ!」
 作り出した火球を投擲。ラストステップはもういない。爆風に巻き込まれる味方はもういないのだ。
「うぉおおお!」
 爆風の晴れた中に向かい、三人が駆け寄る。ロック。ペトロメイル、そしてアイアンロッド。爆風の中から立ち上がる黒い塊に向かって、それぞれに攻撃を放つ。
「ぐはっ」
「くそっ」
 はじき出される人影二人。鎧の強度を生かして、レジスターは強引に切り抜けたようだ。
 そして、打ち合いが始まる。残ったのはロックだ。ストレイドッグでも頭一つ抜けた実力を持つ彼は、レジスター相手でも後れを取ることはない。
 徐々に鎧にヒビが入り始める。ロックが打ち勝っているのだ。さらに、体勢を立て直した他の二人が加勢に加わる。防戦一方。さっきと同じ展開だ。割れる寸前に、レジスターは鎧を弾き飛ばす。その瞬間がチャンスだ。
 鎧で三人が弾き飛ばされれば、同士討ちの心配もない。三人が吹き飛ばされた瞬間に投擲すれば、確実に彼女を仕留められる。能力を解除した瞬間なら、鎧に邪魔されることもない。
「今だ……えっ!」
 確かに、彼女は鎧を弾き飛ばした。だが、他三人が、それに弾かれ、吹き飛ばされることはない。力を受け流すこともできないまま、黒い塊を全身に受ける三人。一体何が? 正体は彼らの足元にあった。
「エリックの……」
 液状化した蝋を流し込み、足元に広がった状態で能力を解除する。足を縫いとめられた三人は、逃れることができなかった。そして、横一線に手を薙ぎ払うレジスター。遠心力で飛ばされた蝋が、刃の形で固定される。
「クソッ……」 
 グロッキー状態からいち早く回復したアイアンロッドが、振り下ろされる刃を鉄の棒で受け止める。レジスターは、深追いはしなかった。蝋で得物を固めて力任せにガードをこじ開けると、他二人に攻撃されないうちに、輪の中から抜け出す。
「これは、あなたの仕業ね。フレイムスロアー」
 目に涙をためて問いかけるレジスター。答える義理はない。向かってくる彼女に向かって、僕は手の平を構えた。
「あの取引――」
 これ以上口をきかれるとまずい。十分な距離とは言えなかったけれど、僕は強引に炎を浴びせかけた。
「くっ」
 しかし、相手の動きは素早い。攻撃範囲からたやすく逃れ、左側から僕へと走ってく
る。
「クソッ!」
 次いで、逆の手で攻撃。ダメだ。今度は逆に、近すぎて狙いが定まらない。
「ぐあっ!」
 首元を掴まれ、背後の壁に押し付けられる。残った火球はあと一発。手の平にあったそれが、地面へと零れ落ちた。
「放しやがれ!」
 僕の身を案じてか、ツインブレードとジャベリンが同時に攻撃を仕掛ける。首を掴んでいない左手を壁に押し当てるとレジスターは槍を作り出した。面白くもなさそうにそれを振るい、背後から迫る攻撃を打ち払う。
「話してもらうわ。フレイムスロアー。あなたが何をやったのかということを、他のみんなに」
 顔を近づけ小声で話す。そのトーンに滲むのは、深い悲しみ、そして淡い希望。
「何の話ですか?」
「ふざけないで、あなたがこの裏切りを扇動した。そうでしょう?」
 鋭い。
「どうしてそう思うんですか?」
 まずいな。アイアンロッドたちが蝋の拘束を砕いた。この会話が聞かれると、これまでの苦労が水の泡だ。
「反旗を翻すとなった時に、アイアンロッドが余所者のあなたをただでメンバーに入れるはずがないからよ」
 なるほど。ストレイドッグの評判だと、組織のことを何もわかっていない無能な印象だったけれど、なかなか内情を分かっているじゃないか。
「今ここであなたが正直に白状すれば、まだなんとかなる。けど、もしそうしなかったら、本当にストレイドッグは壊滅するわ」
「あなたが壊滅する、の間違いでは?」
「ふざけないで」
 首を掴む手に力がこもる。背後からジャベリン達の攻撃が飛んでくるが、レジスターは気にも留めない。先ほどと同じように、彼女は無造作に叩き落とした。
「早く言って。でなければ、あなたを殺す」
迫る三人。これ以上、時間の猶予はない。多少のダメージは覚悟するしか無いようだ。
「わかりました。終わりにしましょう」
 僕は、足元に転がった火球の能力を解除した。
「か、はっ!」
 爆風で、体が壁に押しつけられる。背後にあったレンガ造りの壁を突き破って、僕はその建物の中に叩き込まれた。
「おい! 大丈夫か?」
 駆け寄るアイアンロッド。ずいぶんと親しげだ。はじめにあった時には考えられない笑顔をしている。
「え、ええ。レジスターはどうなりました?」
「くたばったよ」
 アイアンロッドの指した先には、全身を焼かれて黒焦げになったレジスターの死体があった。
「意外にきれいなもんだったぜ。とっさに顔を庇ったんだろうな。あの女、いつも外面にばっかり気を使ってたから……」
 含み笑いを漏らしながら、アイアンロッドが話す。
「爆風に巻き上げられて、全身を火傷、その後地面に叩きつけられてショック死、ってとこだな。脈は確認した。ちゃんと死んでるよ」
 そして、一つ大きな笑い声をあげる。
「やったぞ! これで俺たちは自由だ!」
 先日の虐待されていた女性を思い出して、僕は少し胸が悪くなるような気分になった。
「にしても、一体どうやった?」
「どうやった、とは?」
「あの女だよ。俺たち三人でもかなわなかったのに、どうやって倒したんだ?」
 ああそうか。当たり前だけど彼らはあの時かわされた会話を聞いていない。無論。そうでないと困るんだけど、
「彼女は僕の戦闘プログラムを持っていない。だから知らなかったんです。僕が熱によるダメージを負わないことを。自爆するとは考えてなかったんでしょう。だから、自身が爆発の射程範囲に入っても、離れようとしなかった」
「なるほどな」
 彼女が説得を試みていたというのが、実際は一番の要因だろう。首を掴むことなくさっさと刎ねていれば、僕は既にこの世にいなかった。まあ、どの道能力は解除されて彼女は道連れになっていただろうけど。
「それより、まだ安心はできません」
「そうだな。この女、ヘリング・エースに俺たちを売りやがった。いずれ奴がこっちに攻めて来る」
 アイアンロッドの笑みが消えた。結局勝利の余韻なんてそんなものだ。現実を忘れさせてくれるわけじゃない。
「ええ。ですから、こっちから逆に迎え撃ちましょう」
 本当の所、エースはまだ僕らの位置を把握できてはいないはずだ。しかし、それを彼らにわざわざ教えてやる必要はない。
「どうするんだ?」
「郊外に、ちょうどいいホテルがあります。そこを占拠して、迎え撃つ準備をしましょう」
 当然、襲えば誰かが通報を入れる。警備システムに僕の顔が映っているのが分かれば、エースは他の誰にも任せず、単身乗り込んでくるはずだ。
「わかった。やろうぜ。毒を食らわば皿までだ」
 ストレイドッグのメンバーを招集し、アイアンロッドは作戦を伝えた。


「クソッ!」
 飛来したナイフをサーベルで叩き落とし、次に向かってくる攻撃に備える。ジャグラーの攻撃は厄介だ。このナイフ、何かに刺さると、内部のスプリング機構が稼働して、持ち主の手元に跳ね返るようにできている。獲物の体を大きく切り裂きながら。
 十を超えるナイフの投擲を完全にはさばききれず、脛や太ももに切り傷が増えていく。そして、敵は奴一人だけじゃない。
「なんだぁ、こいつは……?」
 ナイフの右側から迫るのは、経線方向にラインの走った巨大なボール。上に乗るピエロが転がすそれが、速度と質量を伴って、こちらに迫ってくる。
 そして、同時に放たれるジャグラーのナイフ。攻撃を捌くことで足止めし、その間に引き殺すつもりなのか――
「させるかよ」
 地面に刃を叩きつけ、蝋のサーベルを傘へと変える。ナイフの攻撃を受け止めながら、俺はボールの進行方向から外れるよう走った。ギリギリの攻防。回転するボールが、背中をこするのが感じられる。だが、間に合った。
「今だ!」
 当然、それで終わるつもりはない。もう片方のサーベルを引き抜き、刃を作って、ボールを切りつける。
「クソ、硬い……」
 ならば作戦を変えるまでだ。斬りつけていたサーベルに能力を発動。液状化した刃がボール表面に触れた瞬間に、能力を解除する。これでサーベルは『ボール表面にべったり張り付いた』
「うおっ!」
 そしてボールは回転している。弾ころがしの勢いに持ち上げられて、俺の体が上へと、ボールを転がしているピエロのもとへと運ばれる。傘にしていたサーベルを一振り、刃に変えて攻撃の準備を――
「なっ!」
 俺の見ている前で、弾ころがしのピエロが飛んだ。その小さな体が天井付近まで到達し、そして
 回転しているボールを思い切り踏みつけた。
 その瞬間、俺は布一枚隔てた先、ボールの内部に何か硬いものがあるのを知覚した。ボールを膨らませていた空気が、衝撃によって漏れ出す。そして、その内圧の変化により
「まずい!」
 中に仕込まれていた無数の刃が一斉に飛び出した。
「げほっ」
 幸いにして致命傷は避けることができた。一瞬早く対応できていたこと。そして、蝋が張り付いてたおかげで、刃の射出が阻害され、他の部分と比べて一瞬のタイムラグあったことが、生死を分けたと言えるだろう。
 とはいえ、ダメージは少なくない。肋骨の間に刃が差し込まれ、肉がわずかに抉り取られている。蝋で即席の止血を作ったが、たぶん体にいいものじゃないだろう。早めにけりをつけないと。
 ダメージを確認し、追撃が来る前に体を起こしにかかる。だが、不意に差し込む影、頭の上から覆いかぶさるように、モノトーンのメイクをしたピエロが立っていた。
「ん……?」
 どうした、何故即座に攻撃してこない? まるで俺が気づくのを待っていたみたいじゃないか。唐突に空中に手を伸ばすと、その白黒ピエロは空を握った。さながら、そこに何か細長い棒が存在しているかのように。
「まさか……」
 パントマイム。不可視の得物はいよいよ質量を手に入れた。白黒ピエロの肩が、重さを和らげるために上下する。まずい……今の俺は完璧に奴の手に握られたハンマーを認識してしまっている。
「くっ!」
 振り下ろされる瞬間、俺は何とか横に転がることができた。何もないただの空間が、コンクリートの床に亀裂を刻み付ける。そのスイングスピードは、実際のハンマーではありえないほど速い。奴からしてみれば、何も握っていないのと変わりないからだ。
「野郎……」
 立ち上がり、サーベルを構え、白黒のピエロへと振り下ろす。今度奴が作り出したのは壁だ。典型的なパントマイム動作で、不可視の壁が構築される。
「クソッ!」
 やはりダメだ。思い込みの力。この壁を作り出しているのは俺自身の認識のせいだ。しかしそれが分かっても壁を無くすことはできない。
 そして、敵は三人だけではない。自転車に乗ったピエロが、軽業のように車体を持ち上げ、ウィリーの姿勢で突っ込んでくる。
「うわっ」
 前輪が振り下ろされ、かすめた二の腕から血があふれ出す。なんて奴だ。このピエロ。タイヤの中に刃を仕込んでいる。
「マジかよ。そのためにわざわざ戦闘プログラムを組んだのか?」
 いかれてるぜ。こいつらを作った奴は、殺しを遊びか何かだと思い込んでいるようだ。
 前輪が床に着くと同時に、車体が回転。今度は持ちあがった後輪が襲い掛かる。
「うっ!」
 なんとかサーベルで受け止めるが、これはまずい。客観的に見たら冗談のような絵面だ。蝋の刃が削られる。それも自転車の後輪によってだ。ピエロが自転車をこぐことで、後輪が回転の速度を速める。その至極当然な事実に、ヒステリックな笑いが込み上げてきた
「ちっ」
 笑ってばかりもいられない。サーベルが折れるその直前に、真横から押してタイヤをどかす。なんとか間に合った。呼吸を戻すために息を吸い込もうとしたその時、
「くっ!」
 四足の獣、鬣をたなびかせたライオンが、その牙と爪で背中から襲い掛かってきた。
 唸る喉、風切る爪。打ち鳴らされる鞭の音に合わせ、機械的なコンビネーションでじりじりと退路を断ってくる。
「まずいな」
 気が付くと、壁際まで追い込まれていた。背中に乗っているピエロと目が合う。いい傾向だ。奴は気づいていないらしい。
 俺が地面に撒いていた『石鹸化された』蝋に。
 これで止めとばかりに、ピエロの鞭が振るわれる。例のごとく床に叩きつけられたそれは、しかし音を失いその場で止まる。理由? 言うまでもない。俺が能力を解除したからだ。
「あっ!」
 声を漏らす背中のピエロの視線は、固形化された蝋に縫いとめられる鞭に向いていた。石鹸を床に撒いていたのはこのため。そして、指示を待ち動けないライオン。この隙を逃すわけにはいかない。
「くたばれ!」
 蝋のサーベルがライオンの心臓を貫く。その主たる背中のピエロは、一瞬早く離脱していた。崩れ落ちるライオン。そして、その後ろから迫るモノクロの人影。パントマイマーが武器をひっさげ、こちらに向かって跳んできた。
「またか」
 すんでのところで攻撃を躱す。不可視のハンマーが真後ろの壁を抉り、中にあった送電線が、途中で千切れて露出する。
 このままじゃまずい。前転から相手の追い打ちを躱し、再び部屋の中央へ駆ける。
「逃がしませんよ」
 しかし、出口に向かうことは叶わない。全てのナイフを回収したジャグラーが、ジャグリングしながら佇んでいた。
「数が増えてねえか?」
 空中を回るナイフは、計二十本。そして、俺のカウントを待っていてくれる敵ではない。
「くっ!」
 同時に三本。両腕の他に足まで使って、縦にナイフが放たれる。傘を展開。カートリッジの残りが心もとない。だが、今はこれしかないだろう。
 蝋の傘に傷跡を刻み込み、内蔵されたスプリングで、ナイフは主の手元へ返っていく。そしてその間も攻撃は続く。傘の傷跡を増やし、隙間や足元を狙い、俺の脇をそれて飛んでいく……
「それる?」
 なんだ? 嫌な予感がする。前にもこんな状況があった。デジャブ。そして今、俺の隣にバイナリィはいない。
「はぐっ!」
 死角からの攻撃。真後ろから飛んできたナイフが、背中に深々と突き刺さった。
「が……はっ……」
 どこだ? どこをやられた? 腰より少し上の辺りか? スプリング機構は働かない。一体なんだ? 何が起こった?
「野郎」
 そのすべては、背後に目をやることで氷解した。パントマイマー。モノクロのピエロが、後ろで不可視の壁を作り出している。跳弾。キネシスの壁で跳ね返ったナイフが、背中側から襲い掛かったというわけか。
「クソ……」
 どうする? さすがに両側の攻撃を捌ききる自信はない。そして、背後の壁は絶対だ。たとえ俺が目を瞑っても、ジャグラーがいる限り、不可視の壁は維持され続ける。
 となると、進むしかないのか? しかし奴の投擲量は絶望的だ。全てのナイフが使えなくなるまでに、三回は殺されるだろう。
「だったら……」
 俺は、蝋の盾を後ろへ――パントマイムの方へ向けた。これしか生き残る道はない。


「いい感じじゃねえか」
 ホテルの襲撃はあっけなく片が付いた。所詮は旧世代の遺産。老朽化したホテルは大したセキュリティもなく、簡単に掌握することができた。
 中にいた宿泊客を叩き出し、従業員を何人か捕まえて、施設の位置や見取り図を確認。世間的に見れば刹那的な犯行。ストレイドッグのような力のない能力者集団のすることじゃない。でも、僕にははっきりと確証があった。このホテルに攻め込んでくるのは、エース一人だろうという確証が。
 エースが僕を狙うのは、情報の漏えいが怖いから。間違っても他のヒーローには任せないはずだ。ハッキングのできるΣH2や傭兵のジャックナイフ。普通の警察は元より、彼らに任せても事態がややこしくなる恐れはある。何より自分の部下を殺そうとしているなんて、知られたくないに決まってる。
 ストレイドッグの面々は気づいてないけど、エースは僕のいる位置を把握していない。
だからこそ、僕はこのホテルを選んだ。国道を監視する近くの監視カメラの中にはこちらを真正面から捉える物がある。顔が把握できなくても僕のガントレットが眼に入れば、嫌でもエースは動き出すはずだ。
「これならやっこんさんがどっから来てもすぐにわかるぜ」
 見張りは全方位に渡っている。そして、このホテルがあるのは郊外。視界を遮る建物は他に存在しない。これなら
「……そうかな。僕はそう思わないけど」
 聞きなれた、しかしストレイドッグの誰のものでもない声。背中に怖気が走り、体が全力で振り向くことを拒む。
「エース!」
 それでもやるしかない。なんとかアイアンロッドと二人、恐怖をかみ殺し振り返る。
「久しぶり、チャーリー。いや、フレイムスロアーか」
 まばゆい金髪。光り出しそうなほど整った歯並びに、まっすぐ通った鼻立ち。
「元気にしていたかい?」
 ヘリング・エースがそこにいた。
「手前! どこから入った! なんで、監視に気づかれてねえんだ!」
 前者は無理だけど、後者の答えは推測できる。ブリンクの能力をテレポートで死角から死角へと動けば、監視に気づかれることはない。
「うるさい犯罪者だ」
 ロビーの明かりの下、見事に芝居がかったしぐさでわざとらしくため息をつく。それがアイアンロッドの逆鱗に触れた。
「野郎!」
 腰から鉄の棒を抜き、エースに向かって跳びかかる。対するエースは躱そうともしない。ガンメタルの能力。硬質化した腕が鉄の棒を受け止め、反対側の腕がアイアンロッドの腹部にささる。
「ちょっと黙っててくれ」
 サイクロンの能力。風に吹き飛ばされたアイアンロッドは、受付のカウンターまで吹き飛んで行った。
「さて、フレイムスロアー。ようやく話ができるね」
「話すことなんかなにもない」
「そう構えないでくれよ。僕は敵じゃない」
 その満面の笑みを前にすれば、恐らくほとんどの人が微笑み返すだろう。凝り固まった心を解きほぐす、太陽のような笑顔。今の僕にはただ空恐ろしいだけだ。
「奴らに何を吹き込まれた? ヒーローは敵? 搾取する者? ばかばかしい。実際に犯罪を犯すのは彼らだ。彼らがいるから僕達がいる」
 あくまで自然な風を装いながら、しかしエースは着実にこちらへと歩みを進めてくる。
「どっちだ? どっちを信じる? 市民を虐げ略奪する彼らか。それともヒーローである僕か。答えは明白だろう?」
「あなたは、あの時来なかった」
「仕方がなかった。残念に思うよ。でも僕の体は一つしかないんだ」
 別件で行けなかった。あくまでそう言い張るわけか。
「本当に残念だ。もし僕があの場にいたら、君たちが死ぬことは無かっただろう。だからこそ。そう、だからこそ僕は君に信用してほしいんだ。もう仲間が死ぬのは見たくない」
 一瞬。本当に一瞬だけ、僕はエースを信じてみたくなった。こちらの不安と罪悪感を巧みに利用した、心理的誘導。実に見事だ。だから僕は、それに乗っかることにした。
「本当に、信じても?」
「もちろんだ。だって、ずっとそうしてきただろう?」
「……わかりました」
 近づいてくるエースを後ろ手を組んで待ち受ける。
「そうだよチャーリー。大体、僕を信じない理由があるかい? 僕は――」
「あなたは――」
 手の平の火球がロビーにまばゆく
「レインメーカーを殺した」
 腕を振り抜き、エースの胸へと押し当てるゼロ距離の爆発。爆破の反動を推進力に変えて、僕は真後ろに飛んで離れた。
「したたかになったね」
 まるで堪えた様子はない。ガンメタルの硬質化、そして――僕の能力。
 エースに熱の攻撃は効かない。予想はしていたけれど、冷や汗はやっぱり止まりそうもなかった。
「あれを見られていたのかぁ」
 レインメーカーの能力。エースの手の平に水の球が形作られる。ある程度の大きさになったところで、エースはそれを前へとかざした。狙いは僕だ。まっすぐ伸ばされた手は、僕の胴体に狙いをつけている。そして
「はっ!」
 ウォーターカッター。横っ飛びに躱すことはできたけれど、攻撃はそれで終わりじゃなかった。
「ぐあぁっ!」
 爆発。エースは僕の能力も使える。爆弾に変えた水をまっすぐ射出し、放たれた軌道から爆風であたりを吹き飛ばす。火球を投擲する何で原始的な真似をする必要はない。
 そして、再び集まる水球。エースに弾切れはない。そこが僕との大きな違いだ。
「いくら火傷しない、っていっても爆風のダメージは避けようがないみたいだね」
 既に第二弾の準備が始まっている。水球が手の中で大きさを増していき、そして
「残念。苦しむ時間が増えただけのようだ」
 次なる攻撃が放たれる!
「あれ?」
 おかしい。水は狙いをそれ、明後日の方向へと飛んで行った。
「みんな……」
 エースに組みつき狙いを逸らしたのは、近接戦闘最強のロック。
 そして、エースの背後に現れる。ジャベリン、ツインブレード。遅れて現れたペトロメイルが、即座にエースへ殴りかかる。
「面倒だ」
 硬質化能力。アスファルトと金属化した表皮がぶつかり、ロビーに音を響かせる。チャンスだ。硬質化は長く持たないし、使っている限り変化した部分は動かせない。ペトロメイルが掴みかかり、ロックが即座にその場を離れる。掴まれている間テレポートは不可。これなら――
「本当に、めんどくさい」
 硬質化解除。そして、放たれる二つの攻撃。ジャベリンによる投槍と、ツインブレードの鎖鎌が、別方向からエースに襲い掛かる。
「あれは……」
 ロビーの明かりを反射して、エースの手元で何かが光る。水だ。手の平にできた水の球が、一瞬煌めき、そして消える。
 もはや着弾までに一刻の猶予もなくなったその瞬間。ペトロメイルの頭部がはじけ飛んだ。
「なっ!」
 崩れ落ちるアスファルト、突き刺さる投槍。鎖鎌はエースを捉えることなく、ペトロメイルの死体の傍らに突き刺さった。エースは……
「上だ!」
 テレポート。ペトロメイルの拘束を逃れたためだろう。既にエースは移動していた。
「そういうことか……」
 あらかじめ水球に僕の能力で熱を閉じ込めておき、アスファルトの向こう側、ペトロメイルの顔付近に改めて水球を改めて作り出す。呼吸のためにペトロメイルの鎧には空気口がついている。水蒸気を妨げることはできない。後はそのまま能力を解除してしまえば、顔面ハンバーグの出来上がりだ。
 着地と同時に格闘戦が始まる。ロックとエースの一騎打ち。エースの対応能力は高いが、自力ではロックの方が上だ。時折エースが体を硬質化させるのが見えるが、それでもロックは対応し続けた。
「クソッ!」
 同士討ちの可能性を考えると、うかつに手を出すわけにはいかない。反対側で、ジャベリンが歯噛みしているのが見えた。
 長いようで短い膠着状態がいよいよ終わりを告げる。空を切るエースの拳、隙をついてロックの膝蹴りが胴体を捉える。勝ったか? いや。
「ぐおっ!」
 吹き飛ばされたのはロックの方だ。サイクロンの能力。接近戦が得意な相手に対しては、強制的に仕切りなおせるということか。すかさず手をかざしてエースはロックに狙いをつけた。
「させるかよ!」
 割って入るのは、グロッキー状態から回復したアイアンロッドだ。受付カウンターから飛び出して、背中からエースに襲い掛かる。
「やれやれ」
 ため息とともに、かざした手をおろし、作り出していた火球を後ろに放り投げる。たたそれだけの動作で、エースは攻撃を終えた。その体が鋼鉄で覆われ、地面に転がった火球が、能力を解除され轟音とともに爆発する。
 爆風の後に現れるのは、無傷のエースと横たわるアイアンロッド。ひどい有様だ、あれだけ全身を焼かれていれば、まず生存は絶望的だろう。
「ちく、しょう……」
 わずかばかり息が残っていた彼の首をエースは踏みつけへし折った。
「さて、残り四人だね」
 芝居がかったしぐさで指さし確認をするその姿を見て、僕は戦慄を覚えずにはいられなかった。


「クソッ、こうなったら」
 普段はまるでやろうともしないが、こんな状況なら話は別だ。打てる手は全て打つ。懐からライターを取り出し、俺はサーベルに火をつけた。
 発動と解除を小刻みに繰り返し、指向性を持った火種が、剣の先端へと駆け抜ける。蝋の溶ける臭いが立ち込め、教会を連想して辛気臭い気分を呼び起こす。人間いつかは墓の下に行く。だがそれは、今じゃない。
「喰らえ!」
 背後から迫るナイフを躱し、炎の刃を不可視の壁へ叩きつける。物体そのものは通さなくても、あるいは熱なら……
「だめか……」
 まるでダメだ。不可視の壁は、熱の放射さえも完全に遮ってしまうらしい。パントマイマーはまるで堪えた様子が無く、距離を詰めながらパフォーマンスを続けている。
 不可視の壁には、溶けて飛び散った蝋が、べったりと張り付いていた。
「……そういうことか」
 避けきれず、ナイフが二の腕に切り傷を作る。だが、構ってられるか。視界のなかで、張り付いた蝋が落ちていくのが見える。壁からずり落ちたんじゃない。まるで初めからそこには何もなかったかのように、自由落下運動で塊ごと落下している。
 パントマイムはパフォーマンスが見えていない以上発動することはない。蝋がへばりついた部分だけ周囲から隠され『見えなくなった』それゆえに壁はその効力を失い、支えを失った蝋が落下したんだ。
 なら、可能性はある。ただ蝋を貼り付けるだけでは壁を無効化することはできない。無効化した瞬間に蝋が零れ落ち、再び壁が力を取り戻すからだ。だが、この方法なら……サーベルの大部分を液化させ、火種を保ったまま、壁に斬りつける。触れた端からへばりつき、そしてさっきと同じように、蝋が壁の力を失い落ちる。再び迫るナイフ。計算されつくされた軌道だ。全部避けるには不可能。致命傷を避けるには、右手か左手、どちらかを犠牲にしなければならない。
「くっ……!」
 俺は迷わず左手を差し出した。手首の付け根に深々とナイフが刺さり、スプリング機構でナイフが飛び出した傷口から、一筋の血が噴き出す。構うものか、この勝負、すでにパントマイマーには勝っている。俺は能力を解除した。
「はぐっ!」
 背後で上がるダメージの声。今まで一言も発さなかったモノトーンのピエロが、最後にわずかな断末魔を残した。
「なっ、なにぃ!」
 パントマイマーの手は、煙で覆われていた。視界を塞ぐほどの煙。蝋の中に残していた火種が、固形化により外部の酸素を取り込んで一気に燃え上がる。その結果、手元は一時的に『誰からも見えなく』なった……
 燃える物が無くなり、燃焼がおさまったその時、仲間のナイフで胸を貫かれた、モノクロのピエロの姿が明らかになった。
「よ、よくも……!」
 さすがに仲間の死は遊びだのうちに入らないらしい。ジャグラーがこちらを睨んでくる。
 満身創痍。ナイフを差し込まれた関節部は、まともに動きそうにない。アドレナリンが痛みを押し流してくれてはいるが、軽いダメージでないことは自分でもよくわかる。
 となると、この方法しかない。なんとか動く脚で、迫りくるナイフを避け、ついで襲いくる蛇と自転車をよろめきながらなんとか躱す。さながら猟犬に追われるキツネだ。傷の痛みは想像以上の疲れを生み、火のついた蝋を撒きながら走る足を、幾度となく止めてきた。
 四人がかり。そして俺を追うのは能力者だ。猟犬とは違う。五分もたたないうちに、俺は壁際まで追いつめられていた。さっきと同じだ。パントマイマーが砕いた壁が、今再び俺の真横にある。
「まずいな」
 身を沈め、それが発動するのを静かに待つ。とりあえず、床一面に蝋を撒き、そのすべてに火をつけてきた。発動するのは時間の問題だ。残ったカートリッジ一つで、準備は全て終えることができた。後は……
「もう逃げられないぞ」
 歌うような口調は鳴りを潜めている。残っているのは、静かな憎悪と殺意。流石にこの四人すべてを相手取るのは不可能だ。一人倒した時点で、俺はすでにこのありさま。やるなら、一気に決着をつけるしかない。
 まだか……? 霞む視界の中、迫る四体の人影が揺れる。まだ、発動しないのか?
「ん?」
 敵の一人、猛獣使いのピエロが、異変に気づいて上を向いた。起動音。部屋に備わった装置が、その役目を実行する。
「スプリンクラーか」
 火災に備え。ネオシフターズのアジトはスプリンクラーを備えていた。俺の起こした煙に反応して、辺り一面に水がまかれる。
「残念だったな。何を考えていたかは知らんが、お前のやったことはすべて無駄になった」
 視線を上に向けると、ネオシフターズのボスが傘をさしているのが見えた。
「火は消えた。最後のあがきは、結局何も生まなかったな」
 水面に足音を反響させて、ピエロ四体が歩み寄る。既に水深は五ミリ程度の所まで来ていた。
「何も生まなかった……? いいや。俺は、この瞬間を待ってたんだ。床一面水浸しになるこの瞬間をな!」
 傍らの壁から露出するのは、施設内に電力を送る送電線。それを蝋のサーベルでひっかけ、手元へと引きずり出す。
「まさか……やめろ!」
 狼狽するピエロ達を余所に、俺はその先端を水面に押し当てた。
 鶏が絞められる時のような情けない声を上げ、いかれたサーカスが幕を閉じる。後に残ったのはネオシフターズのリーダーのみ。余裕の表情は、傘の下で凍り付いていた。
「な、なんだ⁉」
 怯えた声を余所に、水浸しの床を歩いて渡る。出口への道は水で塞がれてある。無理にこのアジトを出ようとすれば、感電は免れないだろう。逃げ場はない。
「何故だ⁉ 何故お前は感電しない⁉」
 とうとうここまで来た。腰を抜かしてへたり込むその男に、足先を指示してやる。
「何だ? この白い塊は?」
 そうだ。予想していた以上に歩きにくい。蝋で覆われた足ってのは。
「蝋はな。通電しないんだよ」
 種明かしと同時に、俺は男の首を刎ねた。


「さて、後は君一人だ。チャーリー」
 ロックは死んだ。ジャベリンも、ツインブレードさえも死んだ。ホテルで生き残っているのは僕一人。予想はしていたけれど、エースは一筋縄で倒せる相手じゃなかった。
「くっ……」
 逃げるしかない。対峙することを諦め、僕はエースに背を向けた。走るしかない。テレポーテンションで追ってくるエースから逃れるために、時折ロケットの力を利用する。目指すは地下。ホテルの厨房だ。
 いよいよガントレットの残量が底を突きそうになった時、ようやく僕はそこへたどり着いた。金属の扉を蹴破るように開けて、一心不乱に内部へと進む。目指すは水道。水を補充しないことには、僕は全く戦えない。
 あった。蛇口。震える手で何とかひねり、そこから流れる水をガントレットへ――
「補充か。なるほど」
 しかし、水は不意に方向を変えた。凄まじい勢いで気化していく水蒸気が白い筋を残し、現象の主へと導かれていく。レインメーカーの能力。これを起こしているのは
「エース……」
「逃げたわけじゃなかったのか。よかったよかった。追いかけるのは手間だからね」
 水の球はその手の平の上で、どんどん大きさを増していく。そして、圧力が十分たまった時が最後――この閉鎖空間に逃げ場はない。
「何故ですか?」
「ん?」
 今はただ話をつないで時間を稼ぐんだ。そして、注意を逸らす。生き残るにはそれしかない。
「何故、僕たちを騙していたんですか?養成所と偽り、ヒーローになれると扇動し、挙句の果てに使い潰す……何故僕らを騙すような真似をしたんですか?」
「ふうん。よく喋るね。僕に答えてあげる義理なんかないんだけど」
 そういいつつも、エースは乗り気だ。右手に作った最後の火球。それにも気づいていないらしい。
「まあいいや。おしゃべりは嫌いじゃないし。話を聞けば、君も快くこの世からいなくなってくれるかもしれないからね」
 つながった。後は、致命的な隙をさらすのを待つだけだ。僕は、流れ続ける水に手を当てた。
「僕がヒーローをやっているのは、ひとえに僕が恵まれた存在だから。それにつきる。ノブレスオブリージュ。高貴な者は、高貴な振る舞いを。亡くなった父がずっと言っていた言葉だ。その言葉のせいで死ぬことになるとは夢にも思わなかっただろうね」
「死んだ?」
 続きを促しながら、それとなくエースの位置を確認する。ちょうど上に備え付けられた棚の下にいる。位置は完璧。あそこに何が入っているのかは事前に調べてある。
「十五の時、僕が始末した。利益を上げ、資産を増やすために、途上国の南米の子供たちを奴隷のように扱っていたからね。残念ながら、父は高貴であっても正義ではなかった」
 正義の為と言う大義名分を掲げ、弱者を踏みつけ利用する。彼は自分が殺した父親と、何も変わらない。資産を守るという目的が、正義を守るという目的に置き換えられただけ。
 彼に父親を非難する権利は全くない。
「正義? 正義ってなんですか? 罪のない子供を攫ってきて、実験動物にした挙句、尖兵として使い潰すのが正義だっていうんですか?」
「必要な犠牲だ。正義は守る力じゃない。罪人や悪を壊す力だ。その過程で投げ捨てられる命に、目をかけてあげるほどの価値もない」
 声音が変わる。いつもの柔らかく親しげな口調から、堅い一本の鉄心のように冷たい声に。
「考えてもみなよ。僕は市民の最後の砦だ。万が一僕が死んじゃったりするようなことがあったらどうする? その後犯罪に襲われる人を守ってくれる物が無くなっちゃうんだよ? そうなった時の穴を誰が埋めてくれるんだい? 君か? いや、君だと力不足だ。結局の所、僕以外の存在なんて、端役に過ぎないんだよ。」
 端役だから、死んでもいい。彼の言う高貴な振る舞いなんてものは、結局の所自分本位に過ぎないのだ。自己実現――エリックの言葉が反芻する。
「ああ、それで、理由だっけ。なんで、記憶を弄ったのかっていう――」
 また、いつもの――仮面をかぶった口調が戻ってきた。
「高貴な者は、高貴な振る舞いを。ヒーローに品性が無ければ示しがつかないだろう。僕は大衆の模範にならなきゃいけないんだ。僕だけじゃない。市民の目に触れることはほとんどないとはいえ、君たちにもそれ相応の振る舞いは求められる」
「だから、記憶を弄ったんですか? 偽りの記憶を、偽りの使命感を植え付けて、行儀よく仕事を行わせるために?」
 結局は全て、自分本位。アカデミーズとしてふさわしい振る舞いをしてほしいというエゴのために、エースは僕らの記憶を弄った。そういうことだろう。
「それ以外に、深い理由はないさ。しいて言うなら、こうして始末する時に、手がかからなくなるってことぐらいかな。便利なのは」
 レインメーカーは、最後までエースを信頼していた。そして、今目の前にいるこいつは、それをたやすく裏切り、利用して殺した。
「さて、話は以上。おしゃべりは終わりだ。満足して逝きなよ、チャーリー」
 やっぱり、こいつは殺さないとダメだ。勝利の余韻を楽しみたいのか、エースはえらく勿体をつけたやり方で、こちらに狙いを合わせてきた。端的に言って隙だらけ。諦めて待つような真似はしない!
「喰らえ!」
 エースの攻撃よりも先に、僕は最後の火球を投げつけた。狙いはエース上部。能力を解除し、火球を爆発させる。この棚の中に入っているのは――
「うわっ! なんだこれ、小麦粉かい?」
 爆破の衝撃をやり過ごしたエースが、こともなげにつぶやく。爆発でできたのは、棚を破壊し小麦粉を撒いただけ。もう一つ火種が必要だ。そして、既にそれは準備してある。
 僕は再び能力を解除した。
「えっ?」
 二度目の爆発。エースの手元にあった水の球が、はじけ飛ぶ。それは次々に舞い落ちる小麦粉に火をつけ、そして――
――粉塵爆発を引き起こす。
「ぐぁっ! がっ! はあ!」
 爆風に体を吹き飛ばされて、ステンレスのテーブルや機材に次々と衝突する。青痣ができる程度のダメージ。痛いけど、大したことはない。僕はエースのいた方角へ、爆破の中心点へ目を向けた。
「ははっ、なるほど」
 直立する人影。煙を割いて現れるエースは、傷一つ追っていなかった。
「粉塵爆発か。面白いね。熱を無効化する君なら、近くで喰らっても吹き飛ばされるだけで済む。そして、僕の能力を利用したね? 蛇口から流れる水にキネシスの膜を張ったのか。それが水蒸気として僕の作り出した水球に取り込まれることで、至近距離で爆発を起こすことができる……」
「レインメーカーの能力だ。お前のじゃない」
 我慢できなくなって、止める間もなく言ってしまっていた。
「ふうん。まあ、与えたのは僕だ。奪ったのも僕。君たちは、ただ使われていただけ。それをわきまえて欲しいな」
 そう言いながら歩くエースの服は、ところどころ焦げた小麦粉で黒いシミが出来上がっていた。
「でも、まあ。予想外だったよ。ここまで成長するとはね。君を切ったのは早計だったのかもしれない」
 その口調は至って平坦な物だけど、そこに静かな怒りが混じっているのを僕は見落とさなかった。
「素晴らしい戦闘プログラムだ。評価するよ『フレイムスロアー』……でもね」
 とうとう目の前に来た。腰を落として座り込んでいる僕の目には、エースの股を通して向こう側の景色が見える。
「僕の服にシミを作ったことは許し難い」
 顔面に衝撃が走り、首が九十度真横を向く。一瞬、何をされたのかわからなかった。顔のすぐ横にあるエースのつま先を見るまでは。
「こんな恰好でヒーローをやれって? まったく。手間を取らせないでくれよ。いつマスコミに撮られるわからないんだ」
 淡々と語る言葉と共に、踵やつま先が体に叩き込まれていく。
「大体、ここまで来るのだって手間だったんだ。貴重な僕の時間を割いたんだよ? それがどれだけ重要なことか、君は理解しているのかなあ」
 腹部への衝撃。やられたのはどこだ? 何か袋が破れたような感覚。内臓をやられた? 込み上げてくる液体を噴き出すと、真っ赤に染まっていた。
「カメラ調べたり、情報屋を使ったり、ただじゃないんだよ! 君の! 命は!」
 語気と共に勢いが増していく。最後の蹴りを放った時になると、エースは肩で息をしていた。
「はあ。少し休もうか。あと十発は蹴りを入れてやらないと気がすまないね。合理的に怒りを処理するには、それしかない」
 きっと、我慢や忍耐とは縁がない人間なんだろう。もうろうとする意識を保つために、僕は思考の焦点をエースに定めつづけた。
「さて、覚悟は……な⁉」
 エースの体が揺らぐ。ようやく。ようやく効いてきたのか。息を殺して待っていた甲斐があった。
「な、なんだ?」
 困惑した表情で、エースは膝をついた。あれだけ激しい運動だ。当然酸素は消費するし、それに伴って空気を吸い込む。這いつくばっている僕では吸うことの出来ない、上層の空気を。
 震える腕で体を持ち上げ、腹這いの姿勢からゆっくり身を起こす。その瞬間、ちょうどエースと目があった。目線が同じ高さにあった。
「動けない」
 あの時、まるで見えていなかったけど、ライブジャックの子飼い能力者は、こんな風に崩れ落ちていったのだろうか。ヘモグロビンの働きを阻害され、体は動かず意識だけがはっきりと残る。悪夢だろうな。まるで他人事のように僕は思った。
「や、やめろ!」
 脳にも血が回ってないのか、能力で妨害されることもなかった。狼狽し、後ずさろうと手を伸ばし、力が抜けて仰向けに倒れる。一連の無様な動作は、見様によっては滑稽とさえ言えた。
「なんだ? これは? 何故動けない⁉」
「一酸化炭素中毒。成長性がないとあなたが切り捨てた能力の、新しい使い方です」
 拳を握る。ガントレットに水はない。止めを刺すことができるのは、己の肉体のみ。
「さようなら」
 僕はその頭蓋に向かって、拳を縦に振り下ろした。


「なんだ……これは……」
 満身創痍の体に鞭打ってアジトに戻ってきた俺を待ち受けていたのは、なみなみならぬ破壊と暴力の痕跡だった。
「襲撃か?」
 レジスターのオフィスは、ガラスが割れ、書類が散り、本棚が真っ二つに割れて倒れている。ところどころにある抉り取ったような特徴的な傷跡。これはジャベリンの能力だ。
 もっともレジスターもこれを使えるので、実際に戦闘に参加したのがどちらなのかはわからないが。
「あるいは、両方という可能性もある」
 そして、壁に穿たれた大きな穴。戦闘は外まで続いているようだ。
「襲ってきたのはどこのどいつだ?」
 金庫やPC周りが意図的に荒らされた形跡はない。物取り目的じゃないのか? 単なる暗殺? しかし、外部からこれだけ派手に攻撃してきた以上、金を奪って行かない理由はないように思えるが……
「まあいい」
 壁に空けられた穴から外に出て、戦闘の跡を追跡する。ほどなくして、一つの終着点、倒れ伏す人影にたどり着いた。
「これが、今回の襲撃者か……」
人影は一つだけ。恐らく敵の物だろう。仮にレジスターがやられたとするならば、それ以前にストレイドッグの面々の死体を目にしていなければおかしい。彼女が先にやられることなど、万に一つも――
――だが、近づくにつれて、嫌な予感がどんどん増していった。もし勝ったのがこちらなら、何故レジスターは電話に出ない? 備え付けの電話以外に、彼女は携帯端末も持っている。何かトラブルが起こったと考えるよりほかにない。足が、歩くのを拒否しようとする。疲労とダメージのせいだけではない。けど、進むよりほかにできることは無かった。
「ラストステップ……!」
 胸に穴をうがたれたその有様を見た瞬間、背筋に悪寒が走った。死んでいたのは敵じゃない。ということは、他のストレイドッグも――
「あれは?」
 すこし離れた地点思い切り穴の空いたレンガの壁の傍らに、別の死体が転がっている。
「嘘だ……」
 遠目では、その姿をはっきりと捉えることはできない。炎に焦がされ、その全身が黒く変色していたからだ。ただ一か所。顔面を除いて。
「そんなはずはない」
 それでも、いよいよ足は言うことを聞かなくなってきた。嫌だ。見たくない。まるで子供の様に原始的な感情が胸の内を占め、体の制御が効かなくなる。
「クソッ」
 このまま足を止めることができれば、どれだけよかったか――生憎と俺の精神はそこまで未熟じゃなかったらしい。声高に叫ぶ主張に慣れきった神経は、体の自由を取り戻した。
 アドレナリンが引いていき、痛みと共に、明確な意志が戻ってくる。あれを、あの顔を見なくてはならない。
「……畜生」
 その時発せられた理性ある言葉は、これが限界だった。レジスターの死に顔。その事実をはっきりと認識したその時、俺はこらえきれずに絶叫を張り上げていた。
「誰だ……?」
 絶叫はいつまでも続かなかった。体は正直だ。のどの痛みが思考を現実へと引き戻し、悲しみの中から理性的な思考が始まる。この感情を抑えるにはどうしたらいい? 未来永劫続くこの罪を、重荷を、どうすれば軽くすることができる?
「誰だ? 誰がやった? 見つけ出して殺してやる。この手で、必ず」
 そのためには? そのためにはどうすればいい? 監視カメラ。理性はまっとうな解を導き出してくれた。ストレイドッグのアジトに仕掛けられた監視カメラの映像。PCが荒らされていないなら、襲撃時の記録が残っているはずだ。
 のろのろと来た道を引き返し、アジトに戻ってPCを立ち上げる。
「クソッ! パスワードだと?」
 それを知る術は残されていない。教えてくれるであろうレジスターは既にこの世を去っている。手詰まりか……? いや、方法は一つある。
「アイツがいた」
 俺は連絡を取り、奴の到着を待つ間、応急手当と蝋の補充を行った。ソファで横になり、復讐のための英気を養う。相手が何人だろうが構うものか。俺が必ず――
「起きてください」
 どうやら眠り込んでいてしまっていたようだ。肩を揺さぶり起こすのは、白衣を着た男。以前あった時そのままの姿だ。
「バイナリィ……やっと来たか」
 プレディクトの子飼い能力者、バイナリィ。基地からIMAGNASのデータを盗み出せたこいつなら、パソコンのロックを解除することなどたやすいだろう。
「ひどい、有様ですね。信じがたい。いや信じたくないと言った方が正しいでしょうか」
「ああ。だから、こいつをやった犯人を見つけるんだ。パソコンにここの監視カメラのデータが……」
「もう、終わっていますよ」
 そう語るバイナリィは蒼白な顔をしていた。
「どうした? 顔色が悪いぞ? 敵はそんなにヤバイ奴なのか?」
「ご自分で確認されるのが一番かと」
 バイナリィがモニターをこちらに向ける。襲撃直前の時点における監視カメラの映像が流れ始めた。
「なっ……!」
 この時俺は、自分が何をしてしまったのかを、如何に愚かな選択をしてしまったのかと言うことを、はっきりと自覚した。画面に映っている打つべき仇。その正体に、俺の罪は、軽くなるどころかますます重さを増していった。
 オフィスの壁が割れ、戦闘が外へ流れ行く。
「もういい。もう十分だ」
 動悸が止まらない。ああ。クソ。アイアンロッドが正しかった。俺はなんてことをしたしまったんだ。
「助けるんじゃなかった……」
「襲撃者はあなたの仲間、そういうことですね。以前見受けられなかった方もおられますが……」
「もういい。黙っててくれ」
 フレイムスロアーがレジスターを裏切った。それは変えようのない事実だ。彼女はもう帰ってこない。となると、もうやることは一つしかない。後戻りできる道は、どこにも無かった。
「決着をつけてやる。奴がどこに行ったか分かるか?」
 バイナリィは無言で割れたテレビをつけた。ノイズまみれの映像。だが、何が起こっているかははっきりとわかる。報道番組だ。
「あなたの仲間はライブ中継されていました。ヘリング・エースの活躍として」
 アイアンロッドがホテルを占拠している姿が映っていた。現在の映像ではない。日の傾きから過去に撮影されたものだと分かる。今から行っても既に、全てが終わった後かもしれない。だが、
「場所は分かった。俺一人で行く」
「その傷で、ですか?」
 確かに。時間経過と睡眠で多少マシになったとはいえ。やはり手首や体を動かすのに不自由することには違いない。
「それでも、行かなきゃならないんだよ」
「では、私が送りましょう。車くらい運転できます」
 いやに親身な言い方だ。何か裏があるのか?
「なあ、お前は部外者だ。何もここまで関わる必要はない」
「勝手な人ですね。そちらから一方的に頼み込んできておいて」
 こいつ。こんなに感情的に話す奴だったか?
「あなたには以前大変助けられた。そのお返しがしたい。そう考えているだけですよ」
「わかったよ」
 断るのは、時間と労力の無駄だ。俺はバイナリィに従った。
「ただし、奴とやりあう時に手は出すなよ。決着は、俺一人でつける。俺が死んでもなにもするな」
「心得ています」
 バイナリィが頷く。準備はできている
「行くぞ」


 どれくらいの間そうしていたのだろう。不意に誰かに襲われることを警戒し、ガントレットに水は補充した。けど、そこが限界だった。ダメージに体がふらつき、ロビーの階段を登りきったその時、僕は地面に倒れ伏した。うつぶせの姿勢、もうろうとする意識で、時間の感覚があやふやになり、ぼんやりとおぼつかない思考が頭の中を巡り続ける。このままここにいるのはまずい。いずれ警察がやってくる。そうでなくても、エースの息がかかったどこかの組織が来るはずだ。早く逃げないと。
 しかし、危惧していた敵対存在は、なかなか現れなかった。エースは今回の戦闘を人に見られたくはなかったはずだ。事件を解決するから近づくな、とでも言っていたんじゃないだろうか。警察が来ないのは、そのため……
「よお」
 正面限界の回転扉が開き、夜の闇を背負って、そこから誰かが入って来た。ロビーの明かりに照らされて、その顔が明らかになる。
「エリック……」
 ネオシフターズめ。せっかく忠告してやったのに。
「エースはどうした? 死んだのか?」
 しかし、エリックも無事ではない。彼らが雇った能力者集団も、ただでは死ななかったようだ。おぼつかない足取りがダメージの深刻さを物語る。
「生きているってことは、勝ったのはお前だな。そしてお前がエースを生かすことはない……まあ、どうでもいいことだが」
 首を大きく回し、戦場となったホテルを観察。欲しい情報はすぐに見つかったようだ。エリックの口から、生気のない言葉が続く。
「他の仲間はどうした? みんな死んだのか? これもお前の計画通り。そうなんだろ?」
 ああ。その通り。レジスターを殺し、エースを殺し、その過程に起きる戦闘で、ストレイドッグをみんな死なせる。賛同しそうにないエリックには単独で仕事に行ってもらい、その先で敵に殺されてもらう。こうして犯罪組織をつぶし、エースを殺し、あらゆる頸木から逃れて自由になることで、僕はやっとヒーローになれるんだ。
 もう少しで全部うまくいく。最後の最後で邪魔されてたまるか。
「エリック。誤解です」
「誤解?」
 相変らず感情が読めない声。説得は無意味か? いや、やってみないと分からない。
「ストレイドッグは普段からレジスターに不満を抱いていた。いつ暴発してもおかしくなかった。それがたまたま今日だっただけ。あなたがいない時に起きたのは不幸としか言いようがない」
 腕を組んだまま、エースは黙って聞いている。
「僕はよそ者だ。彼らを止められるはずもない。結局、レジスターは死んでしまった。不幸な出来事です。でも、起こるべくして起こったと言える……」
「面白い。続けろ」
 また一歩、エリックが近づいてきた。その影が触れそうになるほどの距離。
「トップがいなくなり、彼らは暴走した。結果、ご覧の通りホテルを襲い、そしてエースに目をつけられた。僕は生きるために必死で戦ったんですよ! 彼らを守るなんて、僕にはとてもできなかった」
 無言だ。エリックは何も答えない。その両手が、腰に下げられたサーベルにかけられる。
「結局生き残ったのは僕だけです」
「俺もいる」
「そうですね。まだ救いはある」
 ゆっくりと、うつぶせの姿勢から身を起こす。なんとなく、相手がそれを望んでいるような気がした。
「ストレイドッグは、所詮犯罪者集団です。どれだけ取り繕って道理を説いても、弱者から搾取していたことには変わりません。滅んで当然の組織です。でも、あなたは違う」
 よし、ちゃんと体は動く。致命的な後遺症はない。
「あなたには葛藤があった。正義の心があるんです。僕と一緒にヒーローをやりましょう。世界をエゴでゆがめる輩を一緒に蹴散らしていくんです。二人なら、それができる。一緒に、正義の味方を――」
「なるほど」
 僕の言葉はエリックに遮られた。
「それがお前の言い分か」
「ええ。だから――」
「そうやって、あいつらを丸め込んだわけだな」
「えっ?」
 なんだ? エリックはどこまで知っている?
「何の話だか……」
「レジスターは焼かれて死んでいた。それができる奴が、お前以外にどこにいる」
 やっぱりダメか。即興で作った演説にしては、悪くないと思ったんだけどな。
「あ、あれは何かの手違いで……」
「正義? 自分の都合で人をそそのかして殺し合わせるのが、お前の言う正義か?」
「彼らは犯罪者だった! 滅びるべき存在だったんだ! あなたもそれが分かるはずだ!」
「だから、それを壊した自分は、正義だと?」
 相変らず。その声は淡々としている。嘲るような口調。でも、にじみ出る怒りは隠しきれていない。
「誰も救わない正義に、何の価値があるんだ」
「僕は救った! ストレイドッグに搾取されてきた人たちを! これから搾取される人を!」
「そうやって、俺たちはみ出し者の居場所と食い扶持を奪ったわけか。自分自身の『夢』とやらのために、扇動し、殺し合わせ、始末する」
 うつむいていたその視線が、初めてこちらを射抜いた。まさしく刺し殺すような強い殺意。
「お前は、ヘリング・エースと何も変わらないよ」
「……望むところだ」
 ヒーローを名乗れるなら、外道に身を落とすこともいとわない。だって僕は
「そのために作られたんだから」
 振り抜かれるサーベル。形作られる刃。接近戦ではこちらが不利か? 作り出した火球を爆破させ、ロケットにして距離を取る。
「喰らえ!」
 投擲。もう片方の手に合った火球を投げつけ、エリックのいる位置で爆発させる。サーベルの一薙ぎ。蝋の刃が白い軌跡を作る。爆破の直前に真横に弾かれ、爆発は致命的な威力を持つに至らなかった。
「クソッ!」
 解除のタイミングがつかめない。液化してリーチを伸ばす蝋の刃が、火球を弾きながら近づいてくる。そして、この近距離。敵の攻撃の射程圏内だ。この距離で爆破すれば、流石に自分もただでは済まない。火炎放射に切り替える。
「くっ!」
 炎の軌跡を完璧に見切り、エリックがさらに一歩踏み込んでくる。サーベルの射程圏内。逃れないと。地面を蹴り、火炎放射の足掛かりを取っ払う。放射の反作用で、さらに後ろに距離を取ることができた。仕切り直しだ――
「⁉」
 突如空を裂き飛来する何か。とっさに顔を庇ったガントレットに、それは深々と突き刺さった。右のガントレットに穴が穿たれ、そこから水が漏れていく。これは……
「蝋の刃」
 刀を振るう瞬間に、刀身の真ん中だけ能力を発動させ、先端部分を切り離す。蝋を石鹸に変える能力の応用か。
 そして、エリックのサーベルは二本。次いで二発、新たな刃が迫りくる。
「まずい!」
 手数では相手が上だ。火球を作って投げつけるが、乱れた姿勢からでは攻撃として成り立たない。あさっての方向に飛んで行った火球が、むなしく爆発する。
 そして、この間もエリックは距離を詰めてくることを忘れない。回避に専念させることで、こちらが反撃も逃走もできない状態にする。片手でカートリッジを交換するため、攻撃の隙を突くこともできない。万事休す。じわじわと壁際に追い込まれていく。
「こうなったら!」
 一か八か。ロケットで真上に飛び、方向を調節してエリックへと向かう。このまま逆に接近できれば、流れをこちらに――
「えい!」
 落下と爆破の勢いを乗せた拳は、しかしバックステップで躱されてしまった。構わない。このまま畳み掛ければ、いずれ……
「あっ!」
 足が動かない。クソッ。気づくべきだった。床にまかれた石鹸が固形化し、足を地面に縫いとめる。対応しようと火球を作り出す前に、エリックの攻撃が飛んできた。
 まっすぐな殺意で襲いくるサーベル。首筋を狙ったその一撃を左のガントレットで何とか防ぐ。接合部が破壊され、水をまき散らしながら、ガントレットは地面に落ちた。これでもう使えるのは右手だけだ。
 次なる刃を身を屈めて躱し、思い切り殴りつけることで、拘束を逃れる。振り下ろされる刃を後ろに逃れるが、既にエリックは次の攻撃に映っている。このままじゃじり貧だ。 
 確実に切り殺される。火球を放れば弾かれる。火炎放射は躱されるし、自爆はダメージが大きすぎる上に不確かだ。何か無いのか? 右側のガントレット、火球一つで状況をひっくり返る逆転の一手は――
「もう逃げられない。だったら!」
 逆に、突っ込む。火球を握った腕を開き。指の隙間から爆風を逃す。掌底。炎をまとった掌で、勢いを乗せて刃に突っ込む。
「何だと⁉」
 成功だ。熱と速度で刃は折れた。エリックに残されたのは柄のないサーベル。そして、この至近距離。カートリッジを装填させる時間は与えない。このまま、けりをつけてやる!
 未だ熱を保った掌をエリックの胴体に叩き込む。ガントレットを握って引きはがしにかかるエリック。だが、もう遅い。後は水を掌に供給し、それを爆弾に変えれば――。
「あれ?」
 水が、出てこない。そんな馬鹿な。ガントレットは確かに傷を刻み込まれたけれど、さっきまで問題なく動いていたはずだ。エリックが触れるまでは――
「あっ!」
 蝋を液化した石鹸に変える能力。ガントレットにはさっきの攻撃、蝋の刃が刺さったままだ。エリックが触れば液化してガントレット内部の水と混ざる。水の通り道で能力を解除すれば
「嘘だ」
 水の流れを断ち切ることができる。
「お前を治療した時に、構造は既に調べてある」
 残った刃が引き抜かれる。止めろ。僕はヒーローになるんだ。ヒーローは死んじゃいけないんだ!
「あばよ。フレイムスロアー」
 はじめに感じたのは、痛みじゃなくて冷たさだった。さながら喉に氷でもつめられたかのような感覚。そして噴き出す血が首筋を、頬を濡らす。最後に焼けるような、絶望的な感覚。
「が、は」
 いやだ。ここで終わりなんて。死にたくない。僕は――
 なんだったんだろう。僕は


「終わりましたか」
「ああ」
 バイナリィはずっと外で待っていてくれた。と言っても、さほど時間がかかったわけじゃないが。
「終わったよ。何もかもな」
「そうですか……」
 しばらく、無言の時間が続いた。新しかったコートは。もう血まみれで穴だらけだ。隙間から吹き付ける風に身を縮こまらせながら、俺はこれからどうするかを考えていた。まずは、コートを新調しないとな。それから。レジスター達を弔い――
「これは」
 それがあまりに久しぶりすぎて、涙だということを忘れていた。誰かを思って泣いたのはずいぶんと久しぶりだ。そして、誰かを悼んで泣いたのは、初めての経験だった。
「どうしました?」
「わからねえ。ただ、悲しくなっちまったのかもな。終わったのは俺たちだけだ。あの人が死んで、組織が潰れて、こないだ仲間に入れた奴をこの手で殺した後だってのに、世界は今まで通り、何も変わらず回ってるんだからよ」
 空が白み始めた。夜明けだ。この狂った悲劇の幕引きにちょうどいい。
「全てが終わったわけではありません」
 バイナリィはそっと肩に手を置いてきた。
「まだ、あなたは生きています」
「ボスがいない。組織もない。そんな状況で、どうやって生きていけって言うんだよ」
「私の仲間が、新たに主を失った能力者を束ねる組織を作っています」
 そうだった。主を失ったのはこいつも同じだ。獄中にいるか、あの世にいるかって違いだけで。
「行き場がないというのなら。我々に加わるというのはどうでしょうか」
 どうだっていい。このままのたれ死ぬか、また寄せ集めとして働くか。その違いでしかない。俺たちに与えられた選択肢なんて、そんなものだ。
「わかった。ありがとよ」
 今はただ、眠りたい。寝床があるならそれで十分だ。疲れ切った頭をぼんやりと動かし、俺は開けた視界の先にある、地平の果てに目を向けた。
「日の出か。まぶしいな」
 薄汚い街に不釣り合いな、きれいな朝日だった。

(了)

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