活動/霧雨/vol.35/I wanna be the/4

第4章 ターニングポイント bookmark

「こないだのミッション。よくやったじゃないか」
 ふいに肩を叩かれて、思わずトレイを落としそうになった。危うく昼食が台無しになるところだ。
「レインメーカーさん。驚かさないでください」
「ああ。悪い悪い」
 食堂は、天窓から差し込む光で明るく照らされている。少し時間をずらしたから、人もそれほど多くない。
「でも聞いたぜ。俺がいなくなった後、一人でリサーチャーズの奴を倒したんだろ?」
「アサルトの協力があってこそのものです。僕一人だと死んでいた可能性もあります」
 あの時手榴弾を投げてもらわなかったらどうなっていたことか。彼はピンが敵の能力で消えてしまったからあわてて投げたと話していたけれど。
「それでも、だ。どうやったかは知らないけど、能力者を倒したんだぜ。それもただ倒しただけじゃない。確保だ。見事なもんだよ」
「あ、ありがとうございます」
 そうだ。パンを口に運ぶ手を止めて、僕は気になっていたことを尋ねた。
「そう言えば、あの捕まえた能力者はどうなるんでしょう。何か聞いてませんか?」
 ラストワンに実験動物として使い捨てられるはずだった彼ら。アサルトの話だと、例え拘束できたとしても、薬の欠乏症で死ぬという話だった。
「エースさんが話を通したらしい。ジャックナイフが抑えたラストワンのアジトから薬を押収。それを分析して、徐々に薬の量を減らす治療を行っている、ってさ」
 よかった。ラストワンの確保は、全く僕が関わっていない出来事ではあるけれど、でも、自分がしたことは無駄じゃなかった。
「しかし、いよいよヒーローらしくなってきたな」
「そうでしょうか」
「これだけ仕事をこなしてるんだ。エースみたいにテレビに出れるのも、そう遠い話じゃないかもしれないぜ」
 ヒーロー、か。あまり実感はわかない。テレビに出ている自分はなかなか想像できないし、エースのように市民を助ける姿なんか、到底自分とは思えない。でも、近づいている。
 憧れがドアの向こうに待っている感覚は、ぼんやりとだが掴めるようになっていた。
「あ、エースさんだ」
 備え付けのテレビが、またもエースの活躍を映す。燃え盛るビルに閉じ込められた子供達を救い、カメラに向かってサムズアップ。汗で濡れてはいるものの、その表情は至ってさわやかだ。
「なあに。子供たちに火遊びはまだ早い。そう思っただけです」
 インタビュアーの質問を軽いジョークでかわして、エースはあっという間にカメラの外へと去って行った。
「インタビューの練習とかしといたほうがいいかな」
「さあ、それは君たち次第かな」
 割って入る、新たな声。この声は――
「エースさん!」
「やあ、驚かせてしまったかな」
 まるで、画面から抜け出してきたかのようだ。シャワーを浴びてきたのだろう。未だ湿っている毛先は、先ほどの画面とのデジャヴを感じさせる。
「でも、そろそろだと思うよ」
「ヒーローになれるんですか⁉」
「言葉を繰り返す様で悪いけど、それは君たち次第だ」
 エースは、手首に装着された携帯端末を展開した。
「新しいミッション。君たちのチーム全員で挑んでもらう。これが終われば、アカデミーズは卒業だ」
「本当ですか⁉」
「ああ、事実だよ」
 レインメーカーのガッツポーズ。
「やったな。フレイムスロアー」
「ええ。頑張ります」
 端末に表示される情報は、いつものブリーフィングルームを示している。その他必要な情報をメモリーに記録。
「がんばってね」
「はい!」
 急いで昼食をかきこむと、僕らは急いでブリーフィングに向かった。
 間違いなく、人生最良の瞬間だった。


「納得いかねえ」
 あの日以来、レジスターとはまともに口をきいていない。面と向かっても彼女は目を逸らすばかりだ。一方的に休暇を宣言し、アジトに戻ったまでは良かったが、それでもなお怒りは収まらなかった。
「怒ってるね、エリック」
 ヘッドセットの声が頭に響く。いつもなら口で返事をしてやるところだが、今はそういう気分じゃない。寝そべっているソファーの上で、俺はため息をついた。
「自分だけ特別扱いしてもらえなくてすねてるのか? いい加減気づけよ、あの女にとって、俺たちはただの手駒。それはお前も例外じゃない」
 横から口を挟むのはアイアンロッド。口調は軽薄だが、こいつの言うことはある意味いつも的を得ている。そこがまた腹が立つ所ではあるが。
「あの場で俺を指名するってことは、俺が一番死んでも困らない奴だって判断したってことだろう? あれだけ働いてるのによ」
「確かにお前はよくやってるが、やった仕事は過去のものだ。次の仕事の成果や成功を保障するもんじゃない。いつも言ってたじゃねえか。市場を読めるのは彼女だけ、経営ができるのは彼女だけ……。自分があぶれたから、今度はふてくされて八つ当たりかよ」
「喧嘩売ってんのかてめえ」
「あくまで、個人的な意見だ」
「なんだと」
 クソ。一発くらい殴ったって死にやしないだろ。このふざけた面に――
「待ってエリック」
 ソファから立ち上がった瞬間、ヘッドセットの声が脳に流れ込んできた。
「何だよ。俺が今何を考えているか、とっくにわかってるんだろう」
「間違った情報を元に判断を下すのは、私は良くないことだと思う」
 この声はアイアンロッドには聞こえていないようだ。立っている自分が間抜けに思えて俺はソファに腰を下ろした。突き上げた怒りは、まだ形を変えずに残っている。
「レジスターがあの時エリックを選んだのは、エリックのことを不要だと考えたからじゃない」
「そうか。現実に俺は選ばれたんだがな」
 ヘッドセットならレジスターの胸の内を知ることもできる。
「レジスターがエリックを選んだのは、エリックのことが大事だったから。残念だけど、これは事実。
あの女は、エリックに執着してたの」
 言葉は強烈だが、それに付随するイメージ、彼女の真意は読み取れた。執着。それは依存ともとれる。
「自分の中のエリックに依存している部分を断ち切ろうとして、あの女はエリックを切り捨てることにした。そうすることで、組織のリーダーになろうとしていたの」
「つまり、自分から嫌われに行った、ってことか? 俺が彼女を憎めるよう。俺に頼ることができないように」
 それを聞いて、突き上げられた感情は急速にしぼんでいった。代わりに得られたのは、空虚な満足感と、さっきとは真逆の方向性を持つ怒り。
「うん」
 ヘッドセットの返答が引き金となって、俺は立ち上がった。じっとしているのは我慢できない。
「おい、どこ行くんだよ」
 コートを羽織るとアイアンロッドの声を無視して、俺はアジトの外へ出た。
 今はただ歩こう。頭が冷えるまで、他のことはできそうにない。
 そうしてアジトを出た先の、レンガ造りの建物を抜けてしばらく歩くと
「ここは……」
 なんだかひどく見覚えのある場所にたどり着いた。四方を薄汚い集合住宅に囲まれた、ビルの谷間に存在する広場。真ん中にあるマンホールが、さながら何かの象徴のように、日光を反射して輝いている。辺りには、住人が好き勝手に放置したゴミ。ぼろ布、ビニール、空き缶、酒瓶。とりわけ強い既視感を放つのは、異臭を放つ生ごみに群がる浮浪児たちの姿だった。
「あっ、おい!」
 そのうちの一人がこちらに気づき、肩を叩いて仲間に知らせる。こちらを睨みつけるその目は、敵意と警戒心に満ちていた。
「なつかしい、のか?」
 かつて、自分もあの中の一人だった。記憶はおぼろげだが、それでも消えずに残っている。もっとも、今ではゴミの味などまるで想像もできないところにいるが。
「おい、ちょっといいか」
 ゴミ箱へ近づいて行くと、浮浪児たちは獣のように身をすくませた。単に敵意を持っているだけじゃない。何かを恐れているようだ。
「何だよ」
 一番体格のいい少年が、仲間を守るように前に出た。俺より頭一つ分ほど下。年の割にはなかなかの背丈だ。
「いや、昔のよしみだ。あるいは、単なる気まぐれか。まあ、どっちでもいいさ。そんなことは」
「だから、何が言いたいんだって聞いてるんだよ!」
 ずいぶんと威勢がいいな。だが、まだ子供だ。肩の震えは隠せていない。
「ほらよ」
 財布から金を数枚抜き取って差し出す。こいつらに憐れみを感じたか? あるいはそうかもしれない。平時ならなれなれしくこっちに近寄ってきて、財布を抜き取って行くぐらいはするだろう。少なくとも、俺はそうしてきた。
「なんだ……これは……」
 しかし少年は受け取ろうともしない。その表情から読み取れる感情は、実に共感可能性の高いものだ。この世に無償の施しなど、そうありはしない。何か裏がある。金をとった時点で契約成立――
「取れよ。生ごみよりはマシなもんが食えるぞ」
「何だよ、手口を変えて来たのか? 汚い真似しやがって。ただで金渡す馬鹿がどこにいるってんだ」
 まあ、それもそうだ。だが、こいつらの怯え方は尋常じゃない。確かに無力な子供にとって、年上の存在はそれだけで脅威。だが、俺は見てくれはただの人間だ。俺を能力者と見抜いたはずがない。力の差はさほどないと判断するのが自然なはずだ。それに、手口……? 何かあったのか?
「手口、と言ったな。何かあったのか?」
「すっとぼけんじゃねえよ。お前らなんだろう。あいつらを――」
 まじまじと俺の顔を見つめる。途切れた言葉は、疑問文に繋がった。
「何だよ、ほんとにあいつらじゃねえのか?」
「さあな。あいつらが何か、俺にはさっぱりわかないからな」
 差し出した札束を引っ込める気にはなれない。気まぐれは思ったより頑固だ。
「じゃあ、なんで……俺たちに金なんか渡して……」
「こうしよう。この札束は情報料だ。あいつら、についての話を聞かせてくれよ」
 詭弁だ。だが、こっちも妙な意地があった。取るに足らないプライド。そのくだらない肚の底を見透かされたのか、あるいは迷う時間が無駄だと考えたのか、少年は、俺の手から札束をむしり取った。
「あんまり詳しい話はできないぜ。恨むなよ」
「ああ。分かってる」
 もともと渡すつもりで出した金だ。
「ええとな……」
 金を懐にしまうと、すこし落ち着いたようだ。地べたに腰を下ろすと、少年は話しはじめた。
「最近、またいなくなったんだよ」
「いなくなった?」
「俺たちの仲間だ。前にもこんなことがあった。消えるんだ。五人から十人ぐらい、いつの間にかな」
 消える、か。確かにそれは異常だ。浮浪児には浮浪児の縄張りがある。故に宿無しと言えど、前触れなく自主的に消えることはありえない。
「攫われてるってことか?」
「たぶんな。俺も実際見たことは無いけど。前はそういうのに詳しい奴がいたんだ。何か月かごとに子供が消える時期があるから、その時はあまり出歩かないように、ってな感じにな。けど……」
「そいつもいなくなった、か」
「ああ」
 さっきの警戒心は、こういうことから来てたんだな。納得と同時に、少し罪悪感が湧いた。犯人が誰かは分からないが、その目的ははっきりとわかる。それを伝えても何の価値もないのが、無力感を呼び起こした。
「俺は、アイツらを守らなきゃならない。まだ小さいんだ」
 ゴミ箱の陰に隠れた子供たちは、物言わずじっとこちらを見ている。観察しているというよりは、諦観しているような目だ。
「ああ。分かるよ。昔を思い出す」
「馬鹿いうなよ。俺たちみたいな奴が、気前よく金を渡すわけがねえ」
「いや、本当だ。俺も昔はここにいた。はっきりとは思いだせないけどな」
 ここかどうかは分からない。正確な場所なんか不明だ。頭にあるのはおぼろげな風景だし、似たような景色はどこにでもある。ただ、こうしてこいつらと同じようにゴミをあさって腹を満たしていたことだけは、確かだ。そして、傍らには――
「俺もここにいたんだよ。はっきりとは覚えてないけどな。そして、さっきお前が言ってた連中の手で、弟と引きはがされた」
「そうかよ」
 もう少年は会話に興味を無くしてしまったらしい。背後にいる仲間と共に、札束を数えている。
「じゃーな」
「おう」
 別れ際、振り返りすらしなかった。一抹の寂しさを覚えながら、俺は広場を後にして、また当てもなく歩き始めた。


 動きやすいジーンズに、季節感あるパーカー。そして、極めつけはニット帽。これで、誰も僕らをアカデミーズとは思わないはずだ。
 車内で着替えている間に、先ほどのブリーフィングの内容を反芻する。
「今回のミッションは、少々条件が特殊だ」 
 教官はそう言っていた。
「最近犯罪が活発になっている地域がある。位置はマップにある通りだ。犯罪者は互いに縄張りを維持するため、お互いに牽制を行う。これまでのパワーバランスから考えて、この数値はありえない。特定の組織複数にのみ肩入れしている存在がある。そして、過去の抗争の結果から判断するに、関与しているのは能力者の集団だ」
 自分から何らかの目的のもとに犯罪を犯すのではなく、ビジネスのために犯罪組織と取引し、力を貸す。さながら一部界隈での経済的発展を目的とするような手口は、これまでにはないタイプの敵だと言えた。
「この能力者集団をあぶりだすために、君たちには囮になってもらいたい」
 アカデミーズが襲ってきた、となった場合、敵はエースの存在を恐れて、戦うよりも逃げることを選ぶ。しかし、襲ってきたのがどこか別の組織の能力者だった場合は、縄張り(シマ)を守るために、能力者組織に増援を要請するに違いない、とのことだ。
 そのための、変装。鏡を見て服装をチェックするがなかなか悪くないと思った。ジーンズやパーカーは丈が余っているし、ニット帽で覆われた頭部は個という要素をあやふやにしているようだ。
「なかなか似合っているぞ」
 レインメーカーとお互いの恰好を確認する。ゴーグルはともかくマスクはあまりに異質すぎるので、彼はスカーフで口元を覆っていた。さながら革命家かアナキストといったいでたちだ。
「しかし、この格好。普通っぽいというか、統一感が無いように思えるんですが」
 いつもの制服になれているせいだろうか、なんだか落ち着かない。
「確かにな。だが、少なくともパッと見でアカデミーズとは見抜けない」
 それで十分だ。そう言って、レインメーカーは持ち場に着いた。僕もおとなしく所定の位置に待機。揺れる車内で、号令がかかるのを待つ。
残り十秒。移動用車両の座席が稼働し、車体後部のハッチへと体が向けられる。五秒。シートベルトが外れた。
「三……二……一」
 後部ハッチ展開。眼下を流れるコンクリートに向かって、僕らはダイブした。
 目の前には、沿岸部に立ち並ぶ倉庫の数々。荷物の搬入がところどころで見られるが、軍需企業の縮小に伴い使われなくなった倉庫も多い。
「目標ポイントは、第四ブロック 七番倉庫。先導するぞ。遅れるな」
 リーダーであるガンメタルが、僕含めた四人に指示を出す。サイクロン、ブリンク、レインメーカー。いつもの五人だ。僕が初陣を共にした仲間。
 倉庫の屋根から屋根へと飛び移り、まっすぐに目的地を目指す。かつて企業が兵器の裏取引で使っていた、地図にない倉庫。そこに、目的とするギャングのアジトはある。
 ネイムレス。顧客情報や個人情報の売買、企業の暗証番号やパスワードの奪取、更にはビザやパスポートの偽造を行うことでマメに稼いでいるギャングだ。その活動規模には似つかわしくない金の出入りがあったことで、今回標的に選ばれることになった。
「あれだ」
 並走するサイクロンが指を指す。見えてきた倉庫は他と比べて、何か特別変わった点があるわけではない。しかし、整理された外観や、地面に残っているたばこの吸い殻などから、明らかに人の出入りがあることが分かる。事実上廃棄されているにも関わらず。
「情報は正しかったみたいだな」
 屋上から飛び降り、倉庫真正面へと着地。
「やれ」                       
 ガンメタルの指示で、僕はあらかじめ作り出しておいた火球をシャッターへと投げつけた。
 能力解除で爆発が始まる。轟音が響き、爆風が髪を吹き上げ、焦げた金属の異臭が鼻を突く。敵の反応は迅速だった。煙がはれるよりも先に、銃撃が始まる。
「行くぞ!」
 上半身を硬質化させたガンメタルが、銃弾を弾き飛ばしながら突進を始める。後に続くのはブリンクだ。瞬間移動を繰り返し、煙の切れ目、視界が晴れた場所を捉えて、一気に敵を蹴り倒す。
「俺たちも行くぞ」
 二人の切り込み隊長に続き、レインメーカーが準備を始める。浮かぶ水球を横に大きく引き伸ばして弾幕から身を守る盾に変更。僕とサイクロンが後ろに隠れたのを確認すると、銃撃する敵のもとへと一気に走った。
「この距離なら」
 完全に煙は晴れた。クリアになった視界で、敵の人数と位置を確認。見えているだけでも十五人はいる。完全に不意打ちだったこともあり、装弾のタイミングは調整できていないようだ。全員がそろってリロードを始める。このタイミングなら
「今だ!」
 再びの投擲。距離の調整は慣れた物だ。この位置なら、相手を殺すことなく意識だけを奪える。
「クソ、化け物どもめ!」
そして、爆発。吹き飛ぶ前に発せられた言葉は、耳に心地よいとは言えない物だ。
「増援だ。さっさと連絡しろ!」
 部屋の奥からボスらしき人物の指示が飛ぶ。
「高いみかじめ料払ってるんだ。今こそ役に立ってもらおうじゃないか」
 それの意味するところは明白だ。そのために、今日僕らはここに来た。
「来るなら来い」
 爆発から逃れ、裏口から退避していく敵をあえて追うことはせずに、僕らは後にやってくるであろう能力者に備えた。


「仕事よ」
 アジトに入ってくるなり、開口一番にレジスターは告げた。いつもはメンバーを自分のオフィスに入れてから説明を始める。このパターンは初めてだ。つまり、
「緊急の用件、か」
 ソファに座っていたアイアンロッドが顔を上げる。
「六人。六人いれば十分。今すぐ仕事に向かってもらう」
 そう言うと、こちらの意見も聞かずに名指しでメンバーを上げていく。
「ランチャー、クロックダイル、それと、フェンサー……」
「おい、どういうことだよ」
 傍若無人な態度に憤り、アイアンロッドが席を立つ。このままじゃトラブルだ。トラブルは、望ましくない。
「襲われたの。ネイムレスがね」
「あ?」
  アイアンロッドが足を止める。これで、少なくとも暴力沙汰にはならないだろう。仮にそうなったとしても、レジスターが負けることはほぼありえない。ただ、こんなところで無駄に怪我人が増えるのは嫌だっただけだ。
「ネイムレスっていうと、うちと取引してるギャングじゃねえか。やったのはどいつだ?」
「わからない。でも能力者なのは確か」
 レジスターの心を読めば、相当の焦りがあるのが分かる。今ここで縄張りを維持しておかなければ、信頼に関わってくるからだ。
「そう。敵の正体はわからない。だからヘッドセット」
 え? この展開は、読めなかった。
「相手の素性を確かめるためにあなたにも現場へ向かってもらう」
 そういうこと。ようやくレジスターの思考スピードに追い付くことができた。相手の所属している組織を突き止め、情報を調べ上げて対策をする。ただ倒すだけじゃダメだということか。
「戦闘に参加する必要はないけれど、近くにはいてもらうことになる」
 テレパスは距離に応じて感度が変わる。戦闘中で派手に動いている相手を捉えるには、否が応でも近づかなければならない。
「おい、俺は!」
 指名されなかったアイアンロッドが詰め寄る。だけど、その返答は分かりきっている。
「向かうのは指名した七名だけ。あなたは待機していなさい」
 それだけ言い残すと、レジスターはオフィスへと戻って行った。
「行くぞ」
 呼び出された六人の仲間が、武器を整え、アジトから出る。レイピアを武器にするフェンサー。中世の大砲を引きずるランチャー。突撃槍を構えたランサーに、たくさんの火縄銃を担いだシード・アイズルが続く。残るは素手の二人。吸着グローブをはめたリバーシと、時代遅れのパイレーツスタイルなクロックダイル。彼らに続いて、自分も同じように部屋を出る。
「おい」
 部屋を出る瞬間に、アイアンロッドに呼び止められた。口を開かなくても、彼が言いたいことは分かる。その多くが、言葉としてまとめられないことも。
「死ぬなよ」
 数多渦巻く言葉の中から彼が選び取ったのは、そのシンプルな一言だった。


「来たぞ」
 占拠したネイムレスのアジト。四方に待機していた僕らの中で、まっさきに敵を発見したのは西を見張っていたブリンクだった。
「数は……三人か? 思ったより少ない――」
「いや待て、こっちも確認できた。どうやら二方向から攻めてくるつもりらしい」
 南を見張っていたサイクロンの声が通信機を通して聞こえる。
「数は二人だ。デカイ荷物をしょってるやつが見えるぞ」
 ついで、レインメーカーから通信が入る。
「こっちも二人……いや、一人だな。見間違いだったらしい。デカくはないが、何かしこたま荷物を担いでいるのが見えるな」
 北には何も見えない。海が広がっているばかりだ。敵は倉庫の屋根の三方向から、同時に攻撃を仕掛けてくるつもりらしい。
「全部で六人。こっちより数が多いな。気を付けろ」
 ガンメタルの激励が飛ぶ。
「デカイ荷物を担いでた奴が止まった。これは――大砲だ!」
 サイクロンの報告。振り返ると、ガンメタルが南の方角へ倉庫から飛び出していくのが見えた。そして
「来るぞ!」
 重い爆発音が、空気を伝わり鼓膜に届く。そして、一拍遅れてくる硬い物体どうしの衝突音。通信機を通じて、ガンメタルの声が届く。
「ぐぉおお!」
 見張りは不要。加勢すべきだ。僕は持ち場を離れ、屋根を走って、即座に攻撃を受け止めたであろうガンメタルのもとへ向かった。
「なんて威力だ」
 コンクリートの地面を抉ったのは、ガンメタルの両足だろう。衝撃に対して踏ん張ったが、地面の強度が持たなかったらしい。めくれ上がったコンクリートが二列のラインを描き、その先に直径一メートルほどの球体を抱えて静止しているガンメタルの姿がある。
「やりやがる」
 僕の見ている前で、球体はボロボロと崩れていった。よく見るとそれは、レンガやアスファルトの破片のようなガラクタの塊だ。
「物体を一点に集約する能力らしいな。このタイミングで解除されたということは、発動できるのは一度に一つ……」
 大きく息を吐きだしながら、ガンメタルが状況を分析する。硬化能力により体には傷一つないが、そう何度も受け止められるほど軽い攻撃では無いようだ。
「そして、解除する理由は一つしかない。次が来るぞ!」
 いや、射線は待っすぐにアジトそのものを狙っていた。中にネイムレスの構成員がいないことを知っているのだろう。それに、あの距離から近づいてこないってことは、接近戦は苦手なはずだ。
「おい待て!」
 ガンメタルの制止を振り切り、南の方角へ向かって跳びだす。敵の接近を待っているのだろう、サイクロンは動かない。
 再び、火薬の炸裂する音が響いた。砲弾の軌道が目で見える。確かに速いが、躱せない速度じゃない。一度地面を蹴るだけで、その軌道から……
「えっ?」
 散弾――まっすぐこちらに発射されていた弾丸は突然空中で崩壊。無数の石礫となって、速度を伴ったまま炸裂した。
「わっ、わわ」
 足がすくむ。もうどこにも逃げ場は……
「伏せろ!」
 ふいに前に現れる影。ガンメタルの硬質化した体が、散弾を全て弾いてくれた。
「理屈立てるのはいいが。早合点するんじゃない。能力解除で弾がバラバラになるんなら、空中でバラすこともできるはずだろう」
 サイクロンは、拳を突き出した姿勢を取っていた。自身の周りに竜巻を作り出すことで、散弾を防御したのだろう。
「うかつな接近は危険だ。言っただろう。敵は二人。恐らく奴には接近戦が得意な味方がカバーに入っているはずだ。一人で近づいたとしても勝てるとは限らない」
 サイクロンがガンメタルの隣に立つ。次の攻撃に備えるために。そして、敵への接近を試みるために。
「おい! 人手がいるぜ、こっちは三人相手にしてるんだ!」
 ブリンクからの通信。
「ここは俺たちに任せて、ブリンクのカバーに行って来い」
「あ、あのごめんなさい」
「反省は後だ。まずは、片をつける」
 昨日のあれで、浮かれすぎていたみたいだ。こんなんじゃ、一人前のヒーローにはなれっこない。
「いってきます」
 苦い思いを抱えながら、ブリンクのもとへと走る。
 ネイムレスのアジトは、ひどい有様だった。
「うわっ……」
 鉄球でも撃ち込まれたかのように壁には大きなクレーターができていた。その中心部に穿たれた穴は、先のとがった細長い得物によるものだと容易に想起させる。はたして、これを行った敵は? 思案する間もなくその答えは、前方にいるブリンクに攻撃を仕掛けていた。
「やべっ!」
 テレポート前の位置を通り抜ける残像。攻撃を避けられ減速したその敵の正体は、突撃槍を構えた能力者だった。
「ぐっ」
 移動した先で、五本の刃がブリンクを襲う。その能力の特性上、彼は必ず空中に現れる。何かを蹴らなければテレポートすることはできないため、移動後は無防備をさらしてしまうのだ。
 体をひねったためか、傷は浅い。攻撃の主は、積み上げられた荷物の上に立っていた。バンダナに、ストライプの入ったタンクトップ。さながら絵本や漫画の世界から抜け出してきたかのような、時代遅れの海賊がそこにいた。
「ちっ」
 攻撃したのはしかしサーベルではない。金属製の細く伸びた右手の指が、刃の形を作っている。
 そして、落下するブリンクを待ち構える、三人目の敵、アジトのテーブルに手を付き、勢いを乗せて体を持ち上げる。天地逆になったその姿勢から鋭い蹴りがブリンクに放たれた。
「ぐっ」
 これに対してブリンクはただガードすることしかできない。体勢を崩され吹き飛ばされた先では、さっきの突撃槍が既に攻撃の準備を始めている。持ち手に付けられたスラスターが火を噴く。
「やべえ」
 ブリンクが起き上がるよりも、敵が轢殺するほうが早い。スピードが必要だ。僕は敵への攻撃を諦め、あらかじめ作っていた火球に――ロケットに火をつけた。
 訓練でおおよそ飛行は身に着けた。地面を滑るように飛翔し、間一髪、槍が通過するよりも先に、ブリンクを抱え込む。爆発が終わるタイミングは合わせた。ロケットの炎が、彼を焦がすことはない。
「助かったぜ」
 とはいえ、三対一なことには変わりない。見たところ何か能力を持っていそうなのはあの爪の海賊だけだ。特に機械化されているようにも見えないし、何よりあんな爪だと普段の生活に著しく支障をきたす。
「まずは、誰を狙いますか」
 飛び道具を持たないのか、海賊と素手の二人組は、機敏かつ変則的な動きで、こちらへの距離を詰めてくる。
「あいつら、やりやがるぜ」
「えっ?」
 意図していた答えじゃない。だが、ブリンクは続けた。
「この短期間で、俺がテレポートできる距離に限りがあると……それもそう長い距離じゃないってことを見抜いてきやがった。俺がテレポートしても即座に対応して攻撃できるよう互いの距離と位置を一定に保ってる。俺を挟むように、互いに二十メートル離れて……高低差も完璧だ」
 このアジトはもともと倉庫だったこともあり、天井が高い。天井を蹴ってテレポートする、という選択肢は端から封じられたことになる。
「もうすぐ、あの槍が戻ってきます。それまでに移動しておかないと」
 既に火球は作ってある。後はどこを攻撃するか、だ。しかし、この状況で、当たるだろうか? 突撃層は爆破のタイミングがつかめないし、あの二人の軽快なコンビネーションでは、爆発も躱されてしまう。コンビネーション。
「ブリンクさん。これを持ってください」
 作り出した火球を、ブリンクに預ける。能力を解除しない以上、触れただけでは爆発しない。
「おい。どういうこと……」
「これを持って、テレポートしてください。上へ、奴ら二人のいる位置へ!」
 伝えられるのはこれが限界だ。突撃槍の攻撃が通過。間一髪でその場を離れる。意図は伝わっただろうか? テレポートで逃れたブリンクが、空中に現れる。その手には、火球が。
「なるほど。これで、あってるんだよな!」
 ちょうど二人の接近がピークに達した瞬間。ブリンクは、火球を『蹴った』。
 瞬間、能力を解除、爆風は移動に必要な足がかりを生み、自身の体が焼かれるよりも先に、ブリンクがテレポートを行う。そして、
「敵は俺を攻撃するために、爆風の射程圏内に入っている!」
 爆風によるダメージは零ではないが、ブリンクは無事だった。
「ちょっと威力が弱かったかな。テレポートで酸素がオゾンに変わっちまったから……」
「あまり影響はないはずですけど」
 一人は、逆立ちの姿勢でけりを繰り出していた方は、吹き飛ばされ壁に叩きつけられて伸びている。肝心なのは、海賊の方。彼は
「まじかよ。あいつの方が近かっただろう?」
 いつの間に手にしたのか。盾をかざして爆風を防いだようだ。
「どっから持ってきたんだ?」
 歪に切り取られたスティールの板。敵が着地したデスクの上には、いやその近くにさえ、あんなものはなかった。
 そして、盾を落とした時に明らかになるその右腕。さっきまでの爪はない。普通の人間と同じ腕をしていた。
「能力を解除したってことか? 攻撃を防御するために?」
 まるで正体が掴めない。そこに、減速し、姿勢を立て直した突撃槍が突っ込んでくる。
「……えっ?」
 攻撃を躱すべく真横に跳んだその時、視界の隅に海賊の姿が映った。かがみこみ、落とした盾と机の間に、自分の手を挟み込んでいる。
「何だ?」
 受け身を取るための前転で、視界から海賊の姿が消える。視界を戻した時にはすでに敵の右腕は新しい武器、全ての指が一体化した斧に換装されていた。
「あれが、発動条件なのか? 何かで挟む?」
 鉛色に輝くその武器は、さっきの鉄板を元に作られたような形をしている。それを裏付けるかのように、鉄板と地面の一部が、斧の形にくり抜かれていた。
「くっ!」
 しかし、冷静に考察する時間は与えられない。再びの突撃槍。速度はさっきに比べると落ちるが、攻撃頻度が上がってきている気がする。
「わっ!」
 ブリンク以上の脅威と判断したのか、海賊がこっちに斧を振り下ろしてきた。ステップで軸をずらして対処するが、敵は即座に切り替えし、水平に斧を放ってくる。
 距離を取る時間はない。とっさにかがんでやり過ごす。この体勢はまずい。姿勢が崩れたところに、再び突撃槍の突進が襲ってくる。
「こ、こうなったら……」
 多少無茶だがやるしかない。放つ機会がなく手に握っていた火球の一つを地面に置く。そして、突撃槍がこちらを刺し貫くそのコンマ五秒前――
 僕は能力を解除し、置いた火球を爆発させた。
「ぐっ、ぅううう!」
 痛い。確かに僕の能力は熱を防げる。でも熱だけだ。爆風の威力はもろに受ける。水平に五メートルばかり吹き飛ばされ、並べられていた机を三つばかりドミノ倒しにして、ようやく止まることができた。幸い骨は折れていないけど
「やった、かな?」
 ひょっとしたら、致命傷になってしまったかもしれない。しかし、あの状況。足の力で動くことができなかった以上、ああするよりほかに槍を逃れるすべはなかった。
 ショックでぼんやりしていた視界が、徐々にはっきり見えてくる。突撃槍と共に、倒れている人影。死んでいる? いや、倒れているだけだ。その指先が空を掻き、体を起こそうと上体が持ち上がる。
 味方のフォローに入るべく、いち早く体勢を立て直した海賊が僕の前に立ちふさがる。接近戦では分が悪い。そして、ガントレットに残る水。右はもう空、左もあと一発が限度だ。
 つまり、躱されたら終わり。なんとかして当てないと。突撃槍が立ち上がる前に――
「おらぁ!」
 この膠着を破ったのは、ブリンクだった。助走をつけた後のテレポートで慣性を乗せた蹴りを海賊に叩き込む。しかし、敵もさるもの。不意を突かれたというのに、完全には姿勢を崩さず、斧の牽制で次の攻撃を捌く。敵の実力は互角以上だ。だが、突撃槍までの道は開けた。
「よし!」
最後の一発。さっきの攻撃で意識が奪われなかったことから、敵は思った以上にタフだ。あの突撃槍の衝突のインパクトに耐えるには、やはり相応の耐久力が必要なのだろう。それを踏まえて、今一度――
「せえ、のっ⁉」
 腕にダメージ。一体何だ? 完全なる死角から、火球を構えた腕に攻撃が入った。まっすぐの打撃。海賊はブリンクが相手をしている。とすると、これは?
「あっ!」
 あの時吹き飛ばした足技使い。どういう原理でそうなっているのかわからないが、そいつは両手で壁に張り付いて、垂直に体を伸ばしている。まるで、九十度重力が向きを変えた世界で、逆立ちでもしているかのように。
「気絶したと思ってたのに!」
 体をブレイクダンスのように回転させて、連続で蹴りが放たれる。普段意識することの無い角度、見事に死角を突いてくるその攻撃は、避けるだけで精一杯だ。いや、それすらも。
「ぶっ!」
 ガードの合間を縫って、つま先が頬を捉える。視界が揺れ、痛みが衝撃に続いて上がってきた。そして、一瞬確認できた背後。突撃槍は既に攻撃の準備を整えている。
 逃れるか? いや、敵の攻撃は実に巧みだ。距離を取ろうと膝を曲げた瞬間、意識を奪う蹴りが延髄に叩き込まれるのは確実。逆立ちの姿勢で壁の上を歩いているというのに、腕力からか普通に後退するだけではまるで距離を放せるものではない。
 頼みの綱のブリンクは海賊の敵にかかりっきりだ。突撃槍が加速を始めた。このままだと、刺し貫かれる!
「こうなったら」
 ゼロ距離で火球を爆破させる。この状況を打ち破るにはそれしかない。爆破の反作用でこの場を離脱。そして、壁を伝う敵は爆風の直撃を受ける。だが、そんなことをしてしまっていいのだろうか? 確保優先。この攻撃は、間違いなく彼の命を奪う。
 一瞬のためらい。致命的な隙だ。壁の敵は味方の攻撃に合わせて退避。予備動作を取ることができなかった僕は、回避が間に合わない――
「えっ?」
 突然、視界が塞がれた。二人の間に割って入る人影。いや、割って入るというより、偶然その場に出くわしてきたかのようだ。それが証拠に、その人物は姿勢を崩して地面に倒れている。なんだ? 予想外の乱入者に、槍の動きがわずかに減速。なんとか攻撃をやり過ごすことができた。一瞬の空白。僕は改めて乱入者の姿を確認した。
「レインメーカー!」
 東側で戦っていたはずの彼が、何故ここに? いやな予感がする。
「くっ!」
 かざした手の先に水の壁を移動した途端、レインメーカーを銃撃が襲った。発砲音が通常の銃火器の物ではない。むき出しの火薬が爆ぜるような音。きわめて原始的な武器だ。
 銃弾は水の壁にせき止められ、ゆっくり沈んで零れ落ちた。よく見ると、レインメーカーは負傷している。それも一か所や二か所ではない。脇腹からの出血が激しく、弾丸が当たったのか、肩を抑えて荒い息をしている。
「クソッ。あいつ、かなり強いぞ」
 銃弾を水の壁で防げるレインメーカーが苦戦している? 一体どんな相手なんだろう。東側から現れたその敵は、無数の……なにか棒状のものを背負っていた。
「あれは……?」
 その形状から銃だとは分かる。しかし……ずいぶんと原始的だ。導火線のようなものが銃身から伸びているのが見える。あれに火をつけて使うのだろうか。作り自体は最新の素材でできているのだろう。だが、もはや骨董品と言っていいレベルの射撃システムだ。
 新たな敵の登場で、場の流れが変わる。突撃槍と、足技使いそれぞれが戦闘を再開しようとしたその時。
「ぐぅあああ!」
 壁を突き破って部屋に転がり込んでくるのは、全身を硬化させたガンメタルだ。追撃を防ぐべく、サイクロンがカバーに入る。次いで、攻撃を仕掛けるべく室内に入ってくる二人の敵。一人は、先ほどの大砲を使う能力者。そして、もう一人は――二人の予想通り、接近戦を得意とするのだろう、レイピアを構えていた。
「……これは、まずいな」
 硬化を解いて起き上がるガンメタル。
「確保は不可能。一時撤退だ。本部に増援を要請する」
 頭部通信機を起動し、ガンメタルはビーコンを送った。敵の追撃を避けるべく、アジトの奥へ、僕らのいる方向へ走ってくる。
「おかしい……通信が繋がらない!」
 返答を待っていたガンメタルが叫ぶ。
「なんだと?」
 通信機の故障か? 彼に倣い、僕らもデバイスを起動した。しかし
「マジかよ」
 流れてくるのはノイズだけ。通信状態に問題はないはずだ。ジャミング? 原因は分からないが、今とてもまずい事態に陥っていることはわかる。
「どうする?」
 敵は当然逃がしてくれそうもない。
「自力で脱出だ。確保は諦め、制圧に切り替える」
 制圧……。それしか方法はないのか? 四方を囲む敵、数の上でも不利を背負うことになる上、その実力もけして加減して戦えるものではない。それでも、ヒーローなら……
 状況は、僕の決断を待ってはくれない。レインメーカーが対峙していた敵、銃使いの発砲によって、戦闘は再開した。
「ぐっはっ」
 脇腹に銃撃を受けよろめくレインメーカー。能力者は、普通の人間よりも頑丈だ。射撃システムが古いこともあり、致命傷には至らない。しかし、どういうことだ? レインメーカーを襲った弾丸は、真横から飛来したものだ。正面からの狙撃は水の壁に阻まれている。何故敵は死角から攻撃ができる?
「くっ!」
 考える時間は与えられない。ブーストして突っ込んでくる突撃槍を躱すと、机に倒立した足技使いが、ひねりを加えた蹴りを入れてくる。とっさに手で打ち合うが、一撃の重さが段違いだ。さらにカウンターを狙おうにも、天地逆さになった敵には狙うべき急所が見当たらない。残った火球は一つ。後一回の爆発が限度。再びの銃声が聞こえたその時に、僕は行動を決定した。
「ぐぉ!」
 爆風を絞り、爆破の反動で背後へ。不意打ちを受けた足技使いは体勢を崩すが、何らかの力で張り付いているのだろう、体を支えていた手は机の上から離れない。そして、僕が吹き飛んだ先には――
「よし!」
 ――レインメーカーの作った水の壁が待っている。
 水のクッションで衝撃を吸収。全身びしょ濡れだが、レインメーカーがいる以上、すぐに乾燥してしまうだろう。単に衝撃を抑えただけじゃない。水にくぐらせたガントレットは弁を開いて補給を行う。これでもう、残弾の心配をする必要はない。
 そうして水の壁を通り抜けた後に、振り返り、投擲。狙いは銃使い。背負った銃は使い捨てているのか、半分ほどに減っている。
「行けッ!」
 火種をくれてやる。銃の暴発を狙い、僕は能力を解除した。
 爆発。しかし敵は一瞬早く攻撃に対応していたようだ。長い筒を背負ったシルエットが、すぐ右斜め前にあったロッカーの陰に隠れたのが見えた。
「もう一発!」
 隠れても無駄だ。既にもう片方の手に火球を作り出している。ロッカーに向かって振りかぶり――
「左だ!」
 投擲の直前。レインメーカーの警告が飛ぶ。これが命を救った。
「えっ⁉」
 銃声。放たれる弾丸。さっきまで敵が立っていた位置。背中に積んであった銃の一つが、銃口をこちらに向けていた。
 体中の神経を総動員し、体をよじって弾を躱す。完全には避けきれず、脇の下を弾丸が
通過。熱によるダメージはないけれど、摩擦によって皮膚が削り取られるのが分かる。
 脇の下から流れる血が、かりそめの意匠を赤くを染めた。
「今のは?」
 まさか、爆発で着火することを見越して、あらかじめあそこに銃を置いていたのか? 
「あれが、奴の戦術だ。導火線が無くなると同時に、引き金が引かれるよう細工をしているんだろう。クロスファイア。旧式の武器のくせして、こっちの裏をかいてくる」
どうやっているのかは知らないが、銃は狙いを保てるように固定されている。足技使いの手の平と同じ原理だろうか。
 攻撃してこないとみるや、銃使いは物陰から飛び出し、再び狙撃を行った。さらに、背後から迫る突撃槍。このままでは不利だ。何か無いのか? 周囲に注意を向けると、視界の隅に、足技使いの姿が見えた。先の爆発で脱臼した手首を戻そうとしている。
「これだ!」
 手の平に残っていた火球をロケットにして、挟み撃ちを真上に逃れる。そして、勢いを乗せたまま方向転換。狙いは当然、いまだ体勢を立て直せていない足技使いだ。
「わっ」
 目測を見誤り、突進の力をぶつけることはできなかった。だが、これで十分だ。敵の繰り出した反撃は、さっきの蹴りに比べると数段キレも威力も劣る。どうやら蹴り技以外はからっきしらしい。そして、今敵は致命的急所、すなわち顔面をさらしている形になる。
「せいっ!」
 シンプルな右ストレート。再び、足技使いの意識は刈り取られた。
「おい! 何加減してやがる! 止めを刺せ!」
 余裕なくまくしたてるブリンク。テレポートに対して大きく空間を占有する斧で対応してきた敵に、いらだちを隠せていない。ブリンクが移動できるのは、空気以外に何もない空間だけ。斧が振り回されている以上、移動先は限られる。テレポートのアドバンテージは大幅に殺され、決定打に欠けるという弱点だけが浮き彫りになる。
「ブリンク!」
 背後からの攻撃をテレポートで躱すブリンク。移動先はやはり制限されている。こちらに敵をひきつけないように戦っていた彼が移動するのは、空中。斧を振り下ろしたばかりの海賊に、踵落としで強襲。しかし、それこそまさに敵の狙いだった。
「あっ!」
 もはやその瞬間、僕らは見ているだけしかできなかった。ガンメタルが相手をしていた、大砲の能力者。空中でほどけた砲弾が石礫に変わり、その面の攻撃は、
「ぐああああああ⁉」
 空中で自由が効かないブリンクに叩き込まれた。
「……え?」
 しばらく、言葉が出なかった。だってそうだろう。あそこにあるのは、ブリンクであってブリンクではない。制服ごとズタズタに避けた肌。二の腕や腹部、太ももに瓦礫が刺さり、胸部からは折れた肋骨が露出。そして何より、あの顔。顎から上が抉られたように無くなり、残った髪の毛が風に吹かれて揺れている。
 死。生命活動の停止。ヒーローを目指していたはずの僕らの仲間、ブリンクの命は、そのわずかの時間で完全に消え去った。
「う、嘘だ。こんなの……」
 こんなのありえない。僕は、僕たちはヒーローになるんだ。こんなところで死ぬはずがない。ヒーローを殺していい奴なんて、いないはずなんだ。
「おい! 伏せろ!」
 ふいに飛んでくる怒号。反応が間に合わず、誰かの手で頭を抑えつけられ、地面にうつぶせに押し倒される。背中をかすめる何か。恐らく突撃槍だろう。摩擦とバーニアの熱が、服に焦げ目を作る臭いがした。
「え、えっと」
「おい! しっかりしろ!」
 肩を掴んで持ち上げられる。声の主は、レインメーカーだ。ゴーグルの奥に見える瞳が、まっすぐこちらを射抜いてくる。
「あ、あの」
「まだ戦闘の最中だ! 死にたくなきゃ気を抜くんじゃねえ!」
 こんなレインメーカーは初めてだ。いつもの余裕は見られない。そして、この声。滅多に声を荒げることのない彼だからこそ、その迫力に重みがあった。
「加減するな……制圧だ。生き残るにはそれしかない」
「制圧……」
 制圧。つまりは相手の命を奪うこと。殺すことと同義だ。いいのか?  確かに、ここは戦場だ。そして今、ブリンクの命が奪われた。けど、本当にそれが正しいのだろうか。
 生き残るために敵の命を奪う。それがヒーロー?
 気持ちは依然整理されていなかったが、脳と、そこに刻み込まれた戦闘プログラムは、意識の外で理性的な判断を行っていた。ガントレットから水が供給され、キネシスの膜につつまれて火球と化す。
  意識を失い倒れ伏した足技使いに目を向ける。今なら殺せる。手の平をあいつに向けて、能力を解除すれば――
 迷い、攻撃できずにいる僕をよそに、再び、例の大砲が放たれた。空中で広がった散弾は、レインメーカーの水の壁で勢いを殺される。タイミングを見計らったかのように次の攻撃を仕掛けてくる突撃槍。回避は、間に合わない。
 「くたばれ!」
 敵の怒号で、意識がはっと戻ってくる。どうする? もう回避は無理だ。残された手段は、手の平の火球のみ。ジェットエンジンで推進力を得た槍が、喉元へと迫ってくる。
「あ、ああ……」
 このままじゃ、死ぬ。ブリンクの顔が、抉れた死に顔が脳裏をよぎる。死にたくない。その原始的な感情が湧きあがった瞬間、迷いも葛藤も吹き飛び、僕は取るべき行動をとっていた。
「うわぁあああ!」
 能力解除。キネシスの膜が部分的に開き、圧力から解放された水素プラズマが爆風となって出口から飛び出す。
「どうなった?」
 わざわざ口に出さなくても、結果は分かりきっている。
 晴れた視界の先にあったのは、火だるまになって転げる人型。もろに食らったようだ。突撃槍はその性質上、急な方向転換ができない。
 「まだ、だ」
 まだ相手は動いている。息をしている。黒焦げになり、全身を炎で焼かれながらも、敵は生命活動を停止してはいない。おぞましいことに。
「僕がやったんだ」
 こんな状態では長く生きられるはずがない。よしんば命をつなぎとめたとしても、まともな生活には決して戻れないだろう。今僕は、確かに一人の人間の未来を奪った。
「それの何が悪いんだ?」
 そうだ。僕は生きるためにやったんだ。こんなところで死ぬわけにはいかない。ヒーローになる。生き残るんだ。そのためには……こんな奴ら、死んでもいい。
 そうだ。何をためらう必要がある? 正義のために戦ったブリンクが顔を失ったのに、こいつらがのうのうと生きているなんておかしいじゃないか。
なら殺さないとだめだ。銃使いの攻撃。左右と正面三方向から弾丸が迫る。構うものか。再び、右手を構える。指向性を持たせることができたのなら
「広げることもできる!」
 解除箇所を変更。爆風の広がる範囲を拡大し、迫りくる銃弾を全て爆風でせき止める。さらに、逆の手に作っておいた火球。地面を転がり火を消していた槍使いが、体勢を立て直そうと手をついている。
「隙だらけだ」
 追撃の二発目。火球を投擲し、ゼロ距離で爆発する。
「ぐぁあああ!」
 断末魔の悲鳴。上半身の消え去った突撃槍の姿を見て、僕は改めて自分の能力の威力に気づかされた。これでよかったのか――
「ぐああ!」
悩む時間はない。銃使いの追撃が左腕を撃ちぬき、痛みが思考を現実へと引き戻す。
 完全なる不意打ちだ。筋をやられたのだろうか。もう左手で投擲を行うことはできないだろう。だけど、僕はまだ生きている。攻撃の正確さから察するに、これは敵本体じゃない、設置した銃によるものだ。
「くそお!」
 痛みをこらえて足を動かす。止まっているのはまずい。敵の攻撃はクロスファイアが前提のはず。単発で仕掛けてきたのには、何か理由があるはずだ。銃の配置の傾向から敵の位置を割り出す。クロスファイアを実現させるために、次に敵が動くべき地点は……
「ここだ!」
 ロッカーを蹴倒し、待ち構えているであろう敵に右手を構える。だが、そこにあったのは旧式の銃だけ。
「そんな……」
どうやら敵は、さらに先を行っているようだ。
「いつから? まさか、さっきの十字砲火の時点で、既に移動していた?」
 この状況も、奴の計算通りなのか? 銃から伸びる導火線の上を、小さな炎が這い上る。
「まずい」
 炎を手で握りつぶす。まさかこれも、囮にするための布石か? 自分は今、最悪の隙をさらしていることに……
「ぐふっ」
 しかし弾が当たったのは自分ではなかった。もっと悪い。真後ろからの射線に割って入ったのは、満身創痍のレインメーカー。左方向からの弾丸は水の壁でカバーできたが、能力の特性上防げるのは一方向だけだ。レインメーカーは水の壁を分離させることはできない。口から、血が噴き出す。
「レインメーカーさん!」
「悪い。やられちまった」
 膝から地面に崩れ落ちるレインメーカー。敵の射線を割出し、急いでロッカーの陰に隠れる。
「そんな……しっかりしてください!」
「心配するな。致命傷じゃない。動くのは厳しいけどな」
 僕のせいだ。また勝手な推測を立てて、仲間を危険に……
「おい。また思い詰めてるだろ。そんなふざけたこと考えてたら生き残れねえぞ」
 床に血を吐き捨て、レインメーカーが息をつなぐ。
「で、でも、どうしたら」
「実はな、俺の能力は防御だけじゃない。攻撃に応用できる。編み出したのは最近だが」
 攻撃に? 水を補充しながらレインメーカーに尋ねる。
「何故、今までそれを使わなかったんですか?」
「水の壁が無くなるからだ。一回使うともう一度防御のために壁を作りなおさなきゃならない。そうなると、まずいだろ?」
「なるほど……それで、僕は何をすれば?」
「俺はもう動けない。このロッカーの真後ろ。そこに敵をおびき寄せてくれ」
 真後ろ? そこで大丈夫なのだろうか。恐らく攻撃は水の壁を使うものだと思うのだけれど、向こう側と水の壁をつなぐのは、ロッカーに空いたわずかな穴だけだ。
「わかりました」
 疑問は尽きないけれど、いかんせん時間がない。僕は敵を殺すために、再び走り始めた。
「うぐっ!」
 横っ飛びに吹き飛ばされてきたのは、サイクロンだ。竜巻ではあの散弾の威力を殺しきれなかったのだろう。ガンメタルが大砲使いの元まで近づいたことから追撃の心配はないが、もう一人の敵、レイピアを構えた能力者が、吹き飛ばされた彼を追って、まっすぐに刺突を繰り出してくる。
「くっ!」
 バックフリップでレイピアを躱すサイクロン。その際に地面を叩いた手によって竜巻が発生する。風邪で追撃を阻まれたレイピアは、即座に僕へと矛先を変えた。
「ちっ!」
 風の切れ目を狙って、銃弾が撃ち込まれる。既に攻撃を予測していたのか、サイクロンは最小限の動きでこれを躱す。クロスファイアはない。
「そうか!」
 あの時導火線を止めた銃。あれが本来、この攻撃に使われるはずだった。
 使える銃の数が限られてきているのかもしれない。とすると、さっき敵がこちらの隙をつけたのは偶然か? 敵は思っているほど万能じゃない。付け入る隙はある。
「サイクロンさん。狙撃手は任せます」
「おい。良いのか? お前、接近戦は分が悪いだろ?」
「構いません」
 サイクロンの能力であれば四方から弾が飛んできても対応できる。それに、接近戦は必要じゃない。
「わかった」
 狙撃手の位置は割れている。いずれ片が付くだろう。ひとまずは、目の前の敵だ。火球を作り投げつける。てっきり躱されるものだと思っていたが、敵は逆に突っ込んできた。
「しまった!」
 爆破のタイミングが狂う。レイピアの一振りで火球はその軌道を逸らされ、解除の遅れた火球が空中でむなしく爆発する。
「うわっ!」
 敵の踏込は早い。とっさに状態をそらすと、剣先が鼻をかすめて宙を切る。だめだ。もう投擲はできない。バックステップで何とか距離を取る。火炎放射で……
「いや、ダメだ」
 敵のフットワークは相当のものだ。狙いをつけるよりも先に、射線を逃れて刺突を繰り出してくるだろう。だったら……
 僕はレインメーカーが影にいるロッカーに目を向けた。


 ダメだ。遠すぎる。時折倉庫から轟音と爆炎が上がるが、中の様子はまるでつかめない。戦闘によってめまぐるしく位置関係が変わり、テレパスがうまく機能しないためだ。
「もっと近づかないと」
 戦場に近づくのは賢い選択肢とは言えない。心を読むことができても、この状況で味方に伝えるのは困難だ。思考を阻害し、判断を鈍らせる可能性もある。敵に発見されるようなことがあれば、自分を庇って味方が不利益を被ることも十分考えられる。何せ自分は、テレパス以外の能力を持っていない……
 だが、そのリスク有ってなお、接近と言う選択肢は頭から消えなかった。敵の素性を探る、自分に与えられた任務のことを考えたのもそうだが、何よりも仲間の安否が気になる。
 戦闘は未だ続いていた。一体何がどうなっているのか……。敵が逃げようともしないところに、空恐ろしいものがある。
 立ち並ぶ倉庫を抜け、北にある正面入口へと歩いていく。混線したラジオのようだった脳内に流れ込む言葉が、徐々に意味のはっきりとしたセンテンスを紡ぎ始めた。
「クソッ! 近寄られる前に、吹き飛ばしてやる」
 これは……? 同時に伝わる金属の筒を掴むような感覚。ランチャーだ。心に響く感情は恐怖。床に手を触れることで能力が発動。コンクリートがめくれあがり、一つに丸まって砲丸を作る。ランチャーは、それを大砲に装填した。中に詰め込まれた火薬に着火しようと、腕が引かれ――
「ダメ! 待って!」
 叫びたい。伝えたい。敵の意図を汲みとった瞬間、ランチャーの行動を制止しようと思念波を送る。しかし、どうやって? この状況を打開する解決策は思いつかない。でもこのままではランチャーは死ぬ……
「吹き飛べ!」
 必死に送り込んだ思念波はしかし、ランチャーの分泌したアドレナリンによって押し流された。発射の瞬間、大砲に手を突っ込む敵。硬化した腕がガンメタルの輝きを放ち、進路を塞がれて行き場を無くした鉄球が、爆発のエネルギーが、その場にいる双方を襲う――
 テレビの電源を切った時のような感覚とともに、ランチャーとの回線が途切れた。あらゆる感覚、触覚、痛覚、臭い、音、そして自律神経と拍動。そのすべてが消えた。これの意味するところは一つ。
「ランチャーが死んだ……」
 ダメだ。警告では救えない。もっと近づかないと。意識をより同調させないと。敵の思考を読むことはできる。でもこの距離では、記憶や個人情報を読み解くことはできない。
 そして何より、仲間を助けるだけのメッセージを送ることができない。もっと近づかないと。倉庫正面の通路を横断。とうとう、その建物まで来た。ネイムレスのアジト。砲撃によって開かれた穴の傍らに立ち、内部の人間と思考をリンクさせる。
 ランチャーを殺害した能力者は、休む間もなく反対側で展開されている戦闘に参加しようとしていた。だけど、決して油断はしていない。背後から忍び寄るクロックダイルに気づいている。
 けど、これは警告する必要はない。クロックダイルはそこまで読んでいる。彼の手は、能力を解除し、元の人間の手に戻っている。攻撃を仕掛けるには不利な条件だ。彼の能力は、物体どうしで手を挟むことで、その物体を変形させて、新しい手を作り出す能力。生身の手がその場に残るのが弱点といえば弱点だけど、この能力は、硬化能力を持つ敵を殺すのにぴったりだ。
 完全に死角、それも背後からの攻撃だったにも関わらず、敵能力者は攻撃を受け止めて見せた。心臓部を狙った刺突を、脇で挟んで対処する。捉えた手を抜かれないよう、挟んだ部分を硬化。クロックダイルの手は完全に固定された。脇に挟まれた形で。
 激痛と共に驚愕が脳に伝わる。前触れなく心臓周りの肉を三十センチもえぐり取られれば、誰だってそうなるだろう。手を挟んだ物体を自由に切り出し新たな『手』にする能力。敵にできることは防御だけだと見抜いたクロックダイルは、自身の能力をもっとも効果的に発揮した。
 よかった。少なくとも、クロックダイルが即座に死の危険にさらされることはない。
 だけど、その反対側。ちょうどこの真裏で行われている戦闘は、そうもいかないみたいだ。
「レインメーカーが隠れているのは、あの裏だ」
 レインメーカー? それが能力者の名前なのだろうか。確かにロッカーの裏に隠れているのが一人いる。感覚を共有させると、ゴーグルやマスクで顔を覆っているのがわかった。
「いいぞ。うまく敵を誘い込んでいるな。あと少しだ。後少ししたら、ウォーターカッターでそいつを貫いてやる」
 狙われているのはフェンサーだ。対峙するのは若い能力者。大きく膨らんだガントレットを付けている。フットワークとレイピアで攻めてはいるけれど、まだ決定打には至っていない。
「いずれにせよ、時間の問題だ」
 二人の力量の差ははっきりしている。明らかにフェンサーの方が上、ガントレットの能力者は、接近戦を想定した戦い方ができていない。彼が油断するのも無理からぬことだ。
「待って! あいつには隠れている仲間がいる!」
 警告を飛ばす。今度は、間に合った。
「何?」
 足を止めるフェンサー。でも、まだ不十分だ。ガントレットの能力者は何か繰り出そうとしている。
「火炎放射?」
 これだ。これでフェンサーの位置をずらそうとしている。炎が放たれた時、間違いなく彼は右に避ける。隠れた敵に、背中をさらす格好で。
 させるものか。見つかるかもしれないという恐怖。さらには全滅の可能性と言うリスク。それらは全て、ただ一点の感情に塗りつぶされた。合理的な判断はいらない。私は仲間を救いたい!
 空いた穴から中を覗きこみ、護身用に渡された拳銃を構える。仮にも能力者。大人用の銃を扱うことなんてわけない。狙うのは敵の右手。フェンサーに向かって突き出され、攻撃の構えを取る――
「ぐあっ!」
 銃声、そして、脳に反響する手の甲へのダメージ。
「くっ」
 攻撃を止めることはできなかったけど、狙いを逸らすには十分だ。放たれた炎はわずかに角度を変えた。フェンサーが躱したことに変わりはないけれど、それでも、その距離はずっと小さい。
「やった……」
 ウォーターカッター。思念を読み解く限り、能力効果範囲を極限まで縮めることで、水の圧力を最大限に高めて、解除と同時に、鉄砲水のように解き放つ技だったらしい。
 空を切った一線の水が、反対側にあるデスクに命中。小さなクレーターと共に、使った水が流れ出すのが見える。
「助かったぞヘッドセット。そして、隠れたもう一人の位置もわかった」
 攻撃が放たれたロッカーに向かって、レイピアを突き刺す。鉄板に穿たれた穴から血が噴き出すのが見えた。共有した感覚から判断するに、突き刺されたのは左の肺の辺り。即死するような位置じゃないけど、もう戦うことはできないはずだ。
「もう一人いたのか……」
 残った一人、ガントレットの思考はしかし、恐ろしいほどに冴えきっていた。作戦が失敗し、挙句仲間を殺されるような状態にあるにも関わらず。思考は冷淡。だけど、それ以外の部分、感情に伴って現れる感覚は、全て断絶されたように消えていた。神経が閾値を超えた怒りを伝えることを放棄してしまったかのように。
「お前も、仲間と一緒にあの世に行きな」
 もうその手に火球はない。左手は初めから使えないし、右手もさっきの銃撃で、すぐに構えられる状況じゃないだろう。実際迫りくるフェンサーに対して、彼は手を上げようともしていない。にも関わらず。
「なんで?」
 わからない。彼はまだ戦うことを諦めていなかった。その思考が繰り返すのは、ただ一文のみ。
「ここまで来たら解除する。ここまで来たら解除する。ここまで来たら解除する。ここまで来たら」
 予備動作も、新しい準備もなしに、彼は殺そうとしているフェンサーを。それが終わったら次は自分だ。心が読めるのに、その思考は読めない。既に準備を終えている? 一体どうやって……
「が、は、……」
 銃声。自分の物じゃない。シードの物だ。シードの使う火縄銃の銃声が響き――何故かフェンサーが倒れている。胸を撃ちぬかれて。
「あ、ああ……」
 壊れたラジオのように繰り返された思考が止まり、その切れ目から作戦の一部始終が流れ込む。既に、準備してあったのだ。発射されずに導火線を火が這う状態で設置された火縄銃を見つけたガントレットの能力者は、その火を握りつぶした。彼の能力は熱を閉じ込め増幅するキネシスの膜。導火線を這っていた火、その熱エネルギーはずっと残り続けていた。そして、彼が能力を解除したことで燃焼を再開。シードの火縄銃は導火線が切れると同時に引き金が引かれるよう改造を施してある。仲間の不意打ちが失敗した段階で、その射線上にフェンサーが来るよう誘導することを考えていたのだ。
「に、逃げなきゃ」
 フェンサーは死んだ。自分を守ってくれる者はもういない。起き上がる敵に銃を撃ったけど、こちらを視認した敵は、造作もなくこれを躱した。ダメージがあるのは腕だけ。勝ち目はない。
「殺す、殺す、殺す」
 思考パルスが伝えるのはシンプルな一つの意思。純粋な殺意。ダメだ。さっき踏みつけた恐怖が、倍の力を得て戻ってくる。
「助けてエリック!」
 思念波が届くありったけの範囲で飛ばしたその信号は、自分が最も信頼している人の名前だった。


「助けてエリック!」
 頭の中に響く声。海を眺めていると、突然頭に流れ込んできた。
「ヘッドセット⁉ 何があった?」
 別の能力者集団が攻めて来たのか? ヒーローだったら最悪だ。
「おい、場所は?」
「ネイムレスのアジト。お願い早く着て! もう……!」
 そこで、テレパスは途切れた。戦闘に集中するためか? あるいは既に……
「クソッ! なんであいつが前線に出てるんだ?」
 ヘッドセット能力はテレパス。心を読み取り相手の真意を探るための能力者だ。前線に出して戦わせる能力じゃない。
「レジスター……何を考えてる?」
 ネイムレスのアジト。ここからならそう時間はかからないはずだ。走っている間にも、思考は無意識に流れ続ける。
 ヘッドセットは無くてはならない存在のはずだ。テレパスは希少な存在。替えが効く能力じゃない。
「何か取引があったのか? そして、そこを狙った別の組織が……」
 考えても仕方ない。俺は、例の倉庫を目指して一目散に走った。


「終わった……」
 敵はこれで全部。銃を使っていた能力者は、サイクロンが始末した。風で弾丸は弾かれ、遮蔽も全て吹き飛ばされ、抵抗らしい抵抗もできないまま、拳を叩き込まれ死亡した。
 だが、そのサイクロンも……
「すみません」
「気に、するな」
 残った一人、海賊姿の能力者を生け捕りにしようとして、失敗。敵の抵抗は想像以上だった。腕を細長い刃に変えた敵は、リーチと速度を活かして、こちらを攻撃してきた。風で吹き飛ばそうにも、壁や床に刃を付きさし、しつこくこちらを攻めてくる。火球を投げつけることができない僕は、どうすることもできなかった。サイクロンの犠牲なしには。
「無茶ですよ」
 激しく動きまわる敵を止めるために、サイクロンはわざと刃を受けた。刃が体を貫通した瞬間に、筋肉を硬直させて固定する。敵は、能力を解除せざるを得なくなった。
「予想通り、だっただろう」
「はい」
 敵は、武器を作り出す際に、どういうわけかその場に自分の……生身の人間の『手』を残す。もしやと思ってみていると、能力を解除した瞬間に、その手が能力者本人のもとに飛来し、崩れ落ちた刃の代わりにすげ替わった。
「特定の目的に特化したキネシス。ある種自動操縦じみたところもあるんだろう。物体を自分の肉体と同化させるために『手』、そのものを切り落とす必要がある、のかもしれない」
「喋らないでください。傷が開きます」
 そう。サイクロンは読んでいた敵が能力を解除することも、そして、手首が戻ってくることも。
「ただ刺されただけじゃない。直撃でないとはいえ、僕の爆発も受けたんですから」
 あらかじめ、僕は断ち落とされていた手首に火球を握らせておいた。両手をやられ、火球が投げられなくなった僕でも、これなら攻撃ができる。敵が自分自身のもとへと火球を運んでくれるからだ。
 もくろみ通り、敵は爆発の直撃を受けて、手首の千切れた死体に変わった。
「心配するな。ミッションは終わった。すぐに、エースが来てくれる。ジャミングをしていた奴がいたかもしれないが、敵は全て倒した」
 そう、全て。影に隠れていた七人目の敵は、僕が始末した。腕が使えなくとも、何も問題がない弱敵。首に蹴りを叩き込んでやると、木の枝を踏んだ時のような音を立ててあっさり骨が折れた。
「ええ、そうですね」
「ああ。ブリンクとガンメタルはダメかもしれないが、レインメーカーは……」
 視界を横切る影。そこで、サイクロンの言葉が途切れた。体が何か大きな力を受けて、真横に吹き飛ぶ。それが終わった時僕の正面に立っていたのは、敵の生き残り、例の足技使いだった。
「そうか……お前を殺すのを忘れていた」
 ああ、なんてうかつだったんだ。この殺し合いを終えた今では、サイクロンの死に関しても平坦の感想しか浮かんでこない。座り込む僕に対して、敵は攻撃の予備動作を取った。三歩ばかり後ろに下がり、勢いをつけてロンダード。敵のつま先が、真上から襲い掛かる。僕にはもう、手で相手を狙うことはできない。
「仕方ない」
 だから、さっきと同じように。僕は火球を、ただ床に置いた。この位置だと、自分も爆風をもろに食らう。熱によるダメージを受けないけれど、吹き飛ぶことはどうしても避けられない。それでも、ためらいはなかった。能力を解除。火球を爆発させる。
「ぐぁああああ!」
 最後の花火は派手に打ち上がった。爆風は敵を飲み込み焼き尽くし、僕の体と共に、真上に吹き飛ばしてくれた。かつてこの倉庫が倉庫として使われていたころの遺物、屋根のすぐ下に渡された金網の通路が、僕の体を受け止める。黒焦げになった死体が落下していくのが横目に見えた。これで、本当に終わりだ。
「ミッションは失敗。生け捕りにはできなかった」
 生き残ったのは僕とレインメーカーだけ、か。
下を見ると、ロッカーにもたれかかり、血を流しながらも、息をしている彼の姿が見えた。早く助けが来ないと、このままでは時間の問題だ。やきもきしていると、下の階、入り口から差す光に、一つ長い影が形作られるのが見えた。
 敵の増援? いや、タイミングとしては遅すぎる。影の主はどんどん近づいてきた。そして、入り口を潜り抜け、姿を現す。
「エースさん……」
 ヘリング・エースが、やっと助けに来てくれた。
「呼ばなきゃ。僕はここにいるって」
 待ち望んだ助けがやっと来たのに、胸の内の苦い感情は消えるどころか増すばかりだった。何故、もっと早く来てくれなかったのか。どうしてこんなになるまで姿を現さなかったのか。敬愛するヘリング・エースへの恨み節があふれ出し、そんな自分への嫌悪感で、また悪感情が沸き起こる。
「エース、さん」
 出たのはかすれた声にならない声だけだった。背中から金網に落ちた時に、思い切りぶつけたからだろうか。肺に少しダメージがあるみたいだ。
 待っていればいずれ助けてくれるだろう。僕はそこから見下ろす形で、エースの動向を見守った。
「なんだ。敵いないじゃん」
 耳を疑った。開口一番に放たれた言葉が、それ? エースの口調はいつものジョークを言う時とまるで変わりがなかった。
「敵いないよ。入ってきても大丈夫」
 通信機で連絡を取ると、新たに二名、人影が現れる。二人とも、白衣を着ていた。
「バイタルサイン消失が三名……ガンメタル、サイクロン、ブリンクです」
 研究者だろうか。アカデミーズのエンブレムを付けているけど、あんな人見たことない。
「サイクロンとブリンクはどうでもいいけど、ガンメタルをやった奴は気になるな。どんな能力を使ったんだろう」
 まるで談笑でもしているかのように軽い調子で話しながら、ヘリング・エースは歩き始めた。彼に付き添う白衣の二人が、あたりを検分し始める。彼らが最初にたどり着いたのはガンメタルの死体だ。
「胸からばかっと抉られてるね」
「戦闘データを取り出してみましょう」
 白衣の男達がガンメタルの頭部に手を当て、メモリを取り出す。
「他の奴らも頼むよ」
 研究員がメモリをしまったのを確認すると、エースは次に向かった。
「ブリンクか。相変らず、臭いは残るみたいだね」
 顔をしかめてエースが呟く。
「これだけ血と脂が飛び散った中でも香るのか。これはまずいかもね」
「自分と、移動先の空気の位置を揃って入れ替える能力ですからね。気体の分子運動に対して辻褄を合わせるためにも、酸素の一部をオゾンに変える必要があります」
「ヒーローなんだから、どうせならもっとフローラルな香りにできないかな」
「善処します」
 何を言ってるんだ? 超能力は持って生まれたもの。人為的に変えることなんかできないはずだ。それに仮にできたとして、当の本人であるブリンクはもう死んでいるじゃないか。
 何か、おかしい。あれは本当にエースか? みんなのヒーロー、アカデミーズの創始者、僕らが憧れ敬愛するヘリングエースは、仲間の死体を見ても涙を流すどころか、臭いに注文を付けるような人じゃないはずだ。
「さて、データは抜き取ったし……」
 エースの目が、今度はレインメーカーに向けられる。やめろ。思わず叫びそうになった。でも声の代わりに出て来たのは、か細い息の音だけだ。
「た、すけ、て……」
「生きているんだよね。よくやったと思うよ。君は実に優秀だ」
 レインメーカーに語りかけるヘリングエース。その表情は物陰で隠れて見えない。
「でも、悪いけど。君はたぶんこれ以上伸びないだろうからさ」
 本当に、声音は何一つ変わっていない。今日僕らにミッションのことを告げた時と同じように、優しくて、ユーモラスで、そして紳士的な口調。そんな普段通りの態度のまま、
「バイバイ」
 エースはレインメーカーの頸を折った。
「さて、彼の分も回収だ」
 何事もなかったかのように、死体に変わったレインメーカーの頭部から戦闘データ―を抜き取る。たった今、命を奪ったというのに。
「さて、次に行こうか」
 このままじゃ殺される。それを知っても僕にはどうすることもできなかった。


「ここだな」
 ようやくたどり着いたネイムレスのアジトは、えらい有様だった。上の方に取り付けられた窓は割れているし、レンガ造りの壁には度デカい穴が空いている。中は静かだ。戦闘が終わったのだろうか。ヘッドセットは? ここにいるのならすぐにテレパスで知らせてくるはずだ、逃げたのか?
「ダメージを受けて動けないのかもしれない」
 いてもたってもいられず、俺は彼女を探そうと空いた穴から部屋に入ろうとした。
「ん?」
 穴から一歩踏み込んだところで、足に何かが引っかかった。一体なんだ? これは……
「ヘッドセット……!」
 自分が見た物が信じられなかった。床に倒れ伏すヘッドセット。きれいなものだ。戦闘があったとは到底思えない。
 首が折れてさえいなければ。
「ああ。そんな……」
 急いで首筋に手を当てるが、既に無駄だと分かっていた。案の定、脈はない。ヘッドセットは死んでいた。
「間に合わなかった……」
 やったのは誰だ? どこのどいつだ? 探し出して殺してやる。どうしてヘッドセットなんだ。彼女は進んで戦うような性格をしていない、能力もだ。レジスター……一体どうして彼女をこんな目に……。
 調べないと。更に踏み込んで奥に進もうとした時、視界にとんでもないものが入って来た。
「ヘリング・エース⁉」
 まさか、あいつか? あいつがヘッドセットを? 幸いなことに奴はこちらに気づいていない。俺は一端倉庫から出た。壁を蹴って屋根に上る。天井付近の窓が割れていた。ちょうどいい。ここから入ってとことん調べてやる。
 窓のすぐ下には鉄の網でできた通路があった。ここなら、敵に見つからずに倉庫中を見渡せる。中もひどい有様だ。そして、見知った顔が何人も倒れているのが見えた。
「あいつはランチャーだ。フェンサー、それにシード・アイズルも……どうなってるんだ?」
 ストレイドッグと思しき能力者が六人。ヘッドセットも含めると七人だ。今日これほど大規模な作戦が展開されるなんて、まったくの初耳だった。それに、敵は何者だ? ストレイドッグ以外の死体もあちこちにある。
「エースじゃないことは確かだ。ヘリング・エースやアカデミーズが相手ならレジスターは間違いなく撤退を選ぶ」
 しかし、アカデミーズでないとしたら、エースがこの場にいる意味が分からない。エースはストレイドッグ以外の死体から、戦闘データを抜き出していた。戦闘データの抽出には、対応するパスコードを知っていなければいけない。アカデミーズ以外の能力者からデータを抜き出すことはできないはずだ。
「まさか、変装か?」
 倒れている敵はどれもラフな格好だ。そこいらのチンピラと対して変わりはしない。もしもアカデミーズがこの格好で襲ってきた場合
「レジスターは別の犯罪者組織からの襲撃だと思う」
 それで縄張りを維持するために急きょ派遣した。ストレイドッグのメンバーの半数をも。
 しかし、何故ヘッドセットまで? 謎は解けない。
「こうなると、彼女を殺した能力者も、既に死んでいる可能性が高いな」
 怒りが行き場を無くし、急速にしぼんでいく。このありさまを見れば、それはほぼ確実だ。ざっと見たところ、ストレイドッグの生き残りはいない。勝ったのはどちらか? 恐らく相討ちに近いだろう。もしもアカデミーズの生き残りがいたのなら、エースのそばで話しているか、あるいは自分達のアジトに搬送されているはず。だがここにくる途中、それらしき車両は見かけなかった。表に止めてあったバン――おそらくエースが乗ってきたものだろうが、あれに医療用の設備があるとは到底思えない。
 生き残りがいれば、助けるはず。その至極まっとうな思考が、しかしエースとアカデミーズの間では成り立たないことを、俺は目の当たりにすることになった。
「なっ!」
 思わず声が出た。なんてことだ。あの野郎。
「バカな……あれはストレイドッグのメンバーじゃねえ。アカデミーズ……あいつ、自分の子飼いを」
 ゴーグルにマスクで顔を覆った能力者。ロッカーにもたれ、胸から血を流しながらもまだ息をしているそいつを、ヘリング・エースは何のためらいもなく殺害した。
「いかれてるってのは聞いてたが、ここまでやるのかよ」
 常識が通用しない相手。何故だ? 何故自分の子飼いを? 思考の果てに浮かんだ答えは、あまりにも救われないものだった。戦闘の相手、自分の仲間を殺した連中だというのに、アカデミーズに対して同情の念すら湧いてくる。
「はっ!」
 近くで鳴った物音で、現実に引き戻された。まずい、考え込んで周りが見えていなかった。ヘリング・エースに見つかったか? もしそうなら早く逃げないと――
 しかし、エースの姿は依然変わらず下の階にあった。とすると、これは? 何の音だ? 渡された通路を、ずっと先まで見渡す。音はこの金網を伝ってきた――
「あれか?」
 通路の先に倒れている人物が一人。背丈は自分より一回り小さいくらいだ。味方か? 暗がりで顔がよく見えない。
 味方にしろ、敵にしろ、このままじゃエースに殺される。今はこれ以上命が消えていくのを見たくはない。近づくことに、ためらいはなかった。
「おい、しっかりしろ……」
 ひどい傷だ。両手は血だらけ、弾丸で穴を空けられているのか? 銃火器を武器にするといえば、シード・アイズルだ。いや、そう言えば、ヘッドセットの屍も、その手に銃を握っていた――
「まさか、こいつか? こいつがヘッドセットを?」
 暗がりで顔がよく見えない。俺はそいつを引っ張って、明かりのもとにその顔をさらした。
「テッド……」
 なんだ? 誰の名前だ? 記憶の底から文字の羅列が音になって現れる。そして、この顔。ひどく懐かしい感じだ。まさか
「弟、なのか?」
 もはや名前も忘れてしまった、かつての兄弟。共にゴミ箱をあさっていた顔が、倒れている能力者と重なる。
「そんな馬鹿な」
 完全には消えていなかった記憶。それは都合よく歪められた、ただの幻想だったのかもしれない。こいつは敵だ。しかもヘッドセットを殺した可能性が高い。そうでなくても仲間の何人かは確実にやってるはずだ。余計な感傷はよせ。この場は放置して離れるんだ。エースがすぐにこいつを……
「いや、もうこれ以上死人は必要ない」
 憐みか? 確かにそうだ。アカデミーズの連中の運命や境遇を考えると、とても見捨てられるものではない。八方美人。確かにそうだ。仲間に手をかけた敵に、情けをくれてやる必要はないだろう。それでも俺は、こいつを助けてやりたかった。記憶をよぎる過去の幻想が、まるで関与してないとは言わない。だがそれ以上に、このまま投げ捨てられる命を、黙って見過ごすことはできないと思ったからだ。
 その能力者に意識はなかった。ただ何かうなされているような声を時折漏らしている。
 俺は黙ってそいつを担ぎ上げると、天井部に空いた穴から、外の装甲外へと飛び出した。


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