活動/霧雨/vol.35/I wanna be the/3

第3章 IMAGNAS bookmark

 機密情報局ラプラス。かつて世界に争いに満ちていたころに、ネットワークの動向を監視していた組織は、形を変えて今もひそかに活動を続けていた。
 ネットワーク上に流れる情報をくみ取り、真偽や重要性などを吟味しより分ける。それが現在の組織の仕事。そしてこの日、彼らはネットワークの海からある情報をサルベイションすることになる。
「主任。見てください」
 若きハッカーに呼ばれ、主任――パトリック・ロウアーは席を立った。
「どうした?」
「真偽は分かりませんが……その、こんなものを拾いました」
 ファイル名――IMAGNAS 出所は不明。特殊な暗号で構成されており、即座に解読できるものではない。
「これは――!」
 この暗号。見覚えがあった。かつて自分と共に働いていた人間。国防、軍事に携わる情報の世界に身を置きながら、真に世界の平和を願った――そして実現した狂人。この暗号は彼しか知らないはずだ。完成させる前に、自分の前から消えたのだから。
「回収して独立のメモリに保存しろ。ネットワークにつながっていないものにだ。それができたら、ネットワーク上にあるこのファイルを全て消せ」
「え?」
「いいから早くやれ。これは本物だ」
 さすがにいきなり言われたら面食らうだろう。だが、彼は優秀だった。若きハッカーは指示通りに、ファイルを小型の情報素子に入れた。
「一体何なんですか? これ?」
「私にもわからない。だが、これはIMAGNASを作った人間の手で作られている」
「まさか――」
 察してくれたようだ。彼の話はラプラスの中では半ば伝説と化している。
「だとすると、これは一体なんです?」
「わからん。解析してみなければな。だが、そのためには――」
 この施設ではダメだ。ネットワークに繋がっていない演算機が必要。
「サイバーテロ対策でここから二十キロ東に独立したコンピューターが隠してある。今日の業務が終わり次第、そこに向かおう」
「わかりました――⁉」
 その時だ。突如甲高い音が施設内にこだまする。地震や水流などの自然現象の物ではない。まるで電ノコでコンクリートを切断しているかのような――
「侵入者! 侵入者!」
 アラート共にディスプレイに監視カメラの映像が映る。
「能力者か……!」
「まさか、このファイルを奪いに?」
 ありえない話ではない。テレパスか、あるいは千里眼のような能力か。如何にセキュリティを強化しようと、世界そのものを歪める彼ら相手では力不足だ。黒を基調としたジャージのようなスーツ。そして、奴が腕を掻くたびに起こる不可解な破壊現象。間違いない敵は犯罪者、ラストワン子飼いの能力者だ。
「ヒーローに連絡だ」
「もうやっています」
 緊急通信で信号を送る。かつて軍人だった彼とは付き合いも長い。すぐに来てくれるはずだ。
「至急、出動を――」
 若きハッカーの声はあの電ノコのような音にかき消された。コンクリートのシャッターが四角く切り取られ、切断したブロックを蹴飛ばして黒いジャージを着た人間が現れる。
「さて、ここですね」
 年は十五を越えたくらいか。声自体は落ち着いているが、その雰囲気は異常にせわしない。常に左右に揺れ動く両目に、小刻みに振動する膝。時折肩を引くつかせるその動作は、ひきつけの発作を起こしているようにさえ見える。
「なるほど、銃を用意していましたか」
 机の影に身を隠した職員を視界に入れることもなく、その能力者はつぶやいた。揺れ動く両目が一点に定まり、貧乏ゆすりが止まる。
 机の陰で銃を取り出した職員たちは、物蔭から緊張した面持ちでそれを眺めていた。
「この部屋まで到達したということは、奴、表にあったセントリーガンを突破してきたということではないですか?」
 ヒーローへの連絡を終えたハッカーが問いかけてきた。
「相手は能力者だ。何かトリックを使ったのかもしれん。電子機器を無効化するようなものをな」
 とはいえ、パトリック自身もそれが何の慰めにもならないことを自覚していた。奴らは平気で銃弾を避ける。これだけの密度、多方向からの射撃には対応できないと思うが、それでも何一つ安心できる要素はない。彼らに対抗できるのはヒーローだけだ。
「全部で二十、ですか、なるほど」
 能力者がそう告げた途端、職員は一斉に銃撃を開始した。
「コゥアー!」
 奇声を上げて、能力者は真横へ跳んだ。柱の間、左右には壁のくぼみがある。錯乱したか? これでは弾を避けることはできない!
「静止していただきましょう」
 だが、敵は何らうろたえることなく、袖口から何かを取り出した。銃口がその姿を追っている間に、瓶詰にされた何かをばら撒く。粉だ。小さな粉は光を反射し、彼の全面に薄いヴェールを作り出す。発砲。銃声を聞く直前に、パトリックは彼が縦にかざした右腕を水平方向に掻くのが見えた。
「くっ!」
 再び例の音が聞こえた。さっきよりも強烈だ。耳を塞がなければ耐えられない。
 その強烈な音響攻撃が終わったその時、敵が無傷で柱の隙間から歩み出てくるのが見えた。
「やれやれ、ヒーローに連絡をされましたか。これは厄介ですね」
 足元に散らばった銃弾をまたぎ、能力者は頭を振りながらつぶやいた。まだ弾が残っていたのだろう、彼の死角へ移動した職員の一人が、震える手でその頭に狙いをつける。
 能力者はその姿を一瞥することもなく、手近の机にあったボールペンを投げつけて、彼の手に突き刺した。
「おや、急所を外してしまいましたか」
 声は平静だが、多少苛立っているようだ。貧乏ゆすりが激しくなっている。能力者が腕を掻くと、ボールペンの刺さった職員の手がはじけ飛んだ。
「連絡したのは――」
 跳躍。およそ人間では考えられないジャンプ力により、能力者はパトリックの隠れる机の上に着地した。
「あなただ」
 何故わかった――そんな疑問を口にする間もなく、能力者の腕がパトリックの胸倉をつかむ。机に立膝になりながら、敵はパトリックを吊り上げその顔を鼻先まで近づけた。
「そして、あなたが持っている。そうでしょう? 出してください」
「何の話だ?」
「コゥアー!」
 奇声と共にその体が大きく痙攣し、能力者の顔が歪む。
「データですよ。あなたメモリに移し替えましたよね。出してください。そのために来たんですから」
 視界の外で狙いをつけた人間にまたもボールペンを投擲し、能力者は息を吐きだした。
 胸倉をつかむ右手とは反対側、震える左手で懐に手を伸ばし、銀紙に包まれた板状の物体を取り出す。
「はむっ、早く、だ、はむっ出してください」
 その物体を貪り食いながら、揺れる瞳孔でこちらをねめつけてくる。口元から零れ落ちる破片は茶色。チョコレートだ。
 クソッ。どうにかならないのか。下で震える若きハッカーに目で合図を送る。時間を稼ぐから、自分だけで逃げろ――。
「ひょっとして、そちらの方ですか?」
 左右に揺れていた瞳が止まる。まずい。能力者はすでに板チョコを懐に戻し、改めて若きハッカーに左手伸ばし始めている。ああ、ヒーローはまだ来ないのか――


「ええと、何を話そうかな。こういうのは初めてだし、あんまり話が上手な方でも」
 これじゃ、ダメだ。もう少し短くまとめないと。
「やあ、元気にしてる? 僕は――」
「何してるんだ?」
「わあ!」
 びっくりした。誰も部屋には入ってこないと思ったのに。
「レインメーカー…… なんでここに?」
「いや、外を通ったらなんかぶつぶつ聞こえて来たから。お前何をしてたんだ?」
 確かに、部屋は二人で共有だ。そういう意味ではプライバシーなんてものはない。
「ビデオレターの、練習を」
「ああそうか。そろそろだったな」
 エースアカデミーは定期的に家族のもとに送るビデオレターの撮影を行っている。このネットワークが発達した時代になんでこんな前時代的な方法をとるのか。説明だと、安全性に配慮してのことらしい。身内にヒーローの卵がいる、と知れたら、犯罪者に狙われてしまう可能性があるからだと。
「まあ、そんな緊張するなよ。お前はどうも考えすぎる癖があるからな」
 ビデオレターは郵送で届けられる。もちろん巧妙に偽装されたうえで。返事が返ってくることはまずない。
「でも、使える時間は限られてます。十分しかない。伝えたいことはたくさんあるのに」
「いっぺんに全部喋らなくてもいいんじゃないか? ビデオレターは一度きりってわけじゃない」
「そうですけど……」
「なんだ?」
「いや、なんでもないです」
こんなこと、話したってしょうがない。
「おいおい、水臭いこと言うなよ」
 レインメーカーが微笑みかける。
「家族のことか?」
「はい」
 こういうこと言うのは、ちょっと女々しいというか、情けないものだと思う。
「僕は、一人っ子なんです。両親と一緒に、郊外の一軒屋に住んでいました。父は教師、母はジムのトレーナー。そんなに裕福なわけでもないですが、家族の仲は良かったんです」
「そうか……さびしいんだな」
 やっぱりこの人にはかなわない
「はい。一回に送れるメッセージは十分きり、それに一方通行で返事もない。どうにかして、安心させてあげたいんです」
「俺と同じだな」
「えっ?」
 同じ? レインメーカーにもこんな時期があったのだろうか。
「俺の父親も教師だった。俺も最初はこんな風に悩んでたんだな」
 しみじみと自分に言い聞かせるように、そう言うと、レインメーカーはドアに手をかけた。
「訓練があるから、もう行くよ」
「あの、止めたりはしないんですか?」
「止める? 何をだ?」
「いえ、その、この練習とか」
 何を言ってるんだろう。夜、能力の練習をしていた時のような言葉を期待しているんだろうか。
「いや。止めたりはしないさ。これについては、じっくり悩んでもいいと思う。訓練をおろそかにしないならな」
 そう言って、レインメーカーは部屋かれ出て行った。


侵入者の指が襟首を捉えるかと思ったその瞬間。
「くたばれェ!」
 突如窓ガラスが破られ、鉛弾ともに人影がなだれ込んできた。引き金を引くのは、その先頭に立つ人物。両手に構えたオートマチック拳銃が敵能力者目がけて火を噴いた。
「ぐぁっ!」
 首にかかった手が離れ、パトリックは床に尻もちをついた。回避を試みた敵能力者であったが、面食らったのか避けきることはできなかったらしい。割れた窓を通じで聞こえる、ヘリのローター音。技術の進歩で音は抑えられているが、これだけ近いとやはり存在を意識せざるを得ない。
「ジャックナイフさん!」
「待たせた」
 二丁拳銃の後に続き、悠然と室内に入り込んでくる大柄な人物。ミリタリージャケットに身を包んだ傭兵ヒーロー、ジャックナイフが到着した。
「いたぁい……とても痛いですね……」
 銃弾を受けたのだろう。身を隠した机の影から敵能力者のうめき声が聞こえる。
「ヒーローのお出ましですか。これは勝ち目がないですね。それもこんなにお仲間をぞろぞろ引き連れて……」
 腕を抑えて立ち上がる能力者。二丁拳銃が火を噴くが、弾が発射されるよりも先に、敵は横にある柱の影へと跳んだ。
 なおも続く銃撃。二丁拳銃を撃っているのもまた能力者なのだろう。彼は跳弾を利用して、柱の陰に立つ敵に狙いをつけることまでやってのけた。たまらず影から飛び出すが、そこには既にもう片方の弾丸が撒いてある。銃弾を目で追うことのできない人間の視界からでも、パトリックはその射撃がタクティカルなものであることを無意識に理解した。
「ああ……」
 再び銃弾を受けて、敵は無様に転倒した。懐から零れ落ちた瓶が開き、粉末を床にまき散らす。あわてた様子でそれを拾うと、敵は一目散に部屋の出口目がけて走った。
「逃がすか!」
 二丁拳銃の彼が、射線を確保するために追いかける。床にこぼした粉末には、だれも注意を払っていない。パトリックは嫌な予感がした。
「ぐぉおお⁉」
 追跡を行っていた彼が、突如足を抑えて叫びだす。
「どうした!」
 他に敵が来ないか否かのクリアリングを行っていたジャックナイフが、素早く彼の元に駆け寄る。
「わかりません。何か鋭利な刃物で足を切られました」
「刃物だと」
 当然、そこにあるのは粉末だけだ。ジャックナイフは舌打ちをして顔を背けた。
「これだから超能力は……!」
 ジャックナイフはその信条により超能力を使わない。彼の子飼いの能力者も、皆筋力技術に優れた者だけであり、超能力を使う者はいないのだ。現実的な戦闘手段にとって代わり、見栄えや自己実現のための非合理的戦闘技術であるとして、軍人上がりの彼はその価値を認めることができないのだ。
「あの、参考になるかわかりませんが……」
 若きハッカーがおずおずと問いかける。
「なんだ」
「あの能力者、目視することなく我々の銃撃を予測しました。完全に死角に立っていたにも関わらず、返り討ちにあった者もいます。ひょっとしてテレパスか何かを使っているのではないでしょうか」
「それはない」
 ハッカーの案を、ジャックナイフはバッサリと切り捨てた。
「奴はリサーチャーズ――ラストワン子飼いの能力者だ。ラストワンの目的は人類が全て滅ぶような事態になっても、自分一人超能力の力で生き残ること。第三者の存在が前提にあるテレパスは、奴の信念に反する」
 となると、別のやり方で攻撃を察知したことになるな。考え込むジャックナイフの先で、敵は今まさに部屋から逃げようとしていた。
「あの、アイツが……」
「わかっている」
 彼は動こうともしない。敵が壁に開いた穴に足をかけようとしたその時。
「あっ!」
 ふいに影が動いた。いや、影ではない。人だ。いつの間に移動していたのだろうか。ジャックナイフの仲間であろう、ナイフを握った少年が、敵能力者に向かって攻撃を仕掛けていた。
 しかし……
「躱した、だと?」
 ジャックナイフの表情は暗い。完全に不意をついたかに思えたが、敵は一瞬早く踏込み、見事壁の向こうへと逃れてしまった。
「まただ。さっきもこんな風に、敵は不意打ちを躱していました」
「ナイフエッジの技量があれば、まず人間の五感で気づかれることはないはず……。あいつの能力、正体はなんだ?」
 考え込むジャックナイフ。そんな彼を見て若きハッカーは泣きついた。
「そういうこと言っている場合ですか? 逃げられてしまいますよ?」
「その心配はない」
 その言葉を裏付けるように、シャッターの向こうで爆発音が上がった。
「えっ?」
「ボマー――仲間の一人だが、彼があらかじめ仕掛けておいた。高分子爆薬を、入り口にな。死体も確認できた」
 インカムからの報告を受けているのだろう、ジャックナイフはひとしきり相槌を打った後、通話を切った。
「それじゃあ、いったい何のために、ナイフの彼は攻撃を行ったのですか?」
「念のためだ。それに、ナイフエッジの攻撃が外れたとしたら、敵の能力を知る手掛かりになる。敵の能力はいずれラストワンが手にする。いや、すでに手に入れているのかもしれないからな」
 そう言いつつ、ジャックナイフはシャッターの切断面に手を当てて調べ始めた。負傷した足に応急手当てを施した、二丁拳銃の彼が、その後に続く。
「特徴的な断面だな。これは刃物による切断ではない。何かを繰り返しぶつけてできた傷。まるでレーザーのような……」
 ある程度検分を終えると、ジャックナイフは振り返った。
「何故敵が襲ってきたのか心当たりはあるか?」
「恐らくは、このデータだと思います」
 情報素子を手渡す。
「ネット上でこのデータを発見しました。サルベージ後にデータは全て消去したのですが」
「何のデータだ?」
「IMAGNAS」
「それを入手したのは?」
「五分ほど前です」
「なるほど……」
 しばらく考え込んだ後に、ジャックナイフは告げた。
「とりあえず。身を隠せる場所が必要だろう。子飼いがやられたと知って、ラストワンは本腰を入れてくるはずだ。当てはあるか? すぐに出発したほうがいい」
「一応は……」
 サイバーテロ対策でサーバーから独立した演算機を置いてある施設が近くにある。そこでなれデータの解析を行うことができるだろう。
「あの能力者がそのデータを狙ったのは間違いない。とすると、どうやってその存在を知ったかだが」
 荷物をまとめている間にも、ジャックナイフは考え込んでいた。
「音……か?」
 床にまかれた粉末。仲間の足を切り裂いたそれを撫でると、ジャックナイフは結論付けた。
「音。そうだ、音だ。恐らく敵は音を司る能力を持っている」
「音?」
「発動条件は分からないが、物を振動させる能力を持っているのだろう。その力で扉を破壊し、ストックの足を切り裂いた。粉を高速で振動させることで」
「敵がこちらに気づいたのは?」
「逆もまた然り、と言う奴だ。物体を振動させるだけでなく、能力の影響下にある物体が振動しているかどうか判別できるんだろう。その波形までな。あらかじめ部屋に入った時に近くにあったものを、敵をサーチするための鳴子に変えておいた。だから窓ガラスから飛んできたストックの銃撃は躱せず、物蔭から近づいたナイフエッジには気づいた」
「ですが、それだと我々がデータを入手したことに気づくことは……」
「あらかじめ服や社員証を鳴子にされていたんだろう。職員の銃撃に気づいたのもそれで説明がつく。ハックじゃない。コンピューターと言う文明が前提にあって初めて成り立つハッキング能力はラストワンの信条に反する」
 情報はすべて筒抜けだった訳か。パトリックはふがいなさを感じた。無力感も。
「準備はできたか。行くぞ」
 ヒーローに連れられヘリへ乗り込む。ジャックナイフはどこかに連絡を取っていた。
「能力者が相手だ。詳しい奴の助けがいる」
 通話を終えたジャックナイフが言った。
「アカデミーズに連絡を取った。異論はないな」
 ヘリング・エースの子飼い。協力者としてはこれ以上ないほど申し分ない。
 アンチェインドでなくてよかったと、パトリックはほっと胸をなでおろした。


「最近仕事無いね」
 頭の中に響く声。その主は、頭のすぐ隣にいる。
「前回のダメージがひどかったからな。療養のために休暇をもらったんだ」
 やることもなくソファに寝転がる午後。ずっとこうだと退屈してしまうが、たまには悪くない。
「このままずっと、何の仕事もなきゃいいのにね」
「そういうわけにはいかないさ。立ち行かなくなっちまう」
「こんな組織無くても私は行けていけるよ。心が読めればいろいろできる……」
「そう甘いもんじゃない」
 賭博に手を出せばイカサマとして、ギャングや他の能力者集団とことを構え、占いに手を出せば、何の後ろ盾も持っていないとして即座に追放、犯罪行為を働けば、ヒーローかその子飼いに目をつけられて、あっという間にお陀仏だ。俺たちは、組織の庇護なしには生きられない。
 あえて声には出さなかったが、テレパスの彼女なら言わんとすることは理解できるだろう。あくまで正論。だが、なんとなく後ろめたくなって、俺は寝返りを打った。
「そうだよね。じゃあ、組織を乗っ取るってのは? 私がボスになったら、エリックを危ない目には合わせない」
 その軽薄な物言いに、ふいに怒りが湧いてくる。相手は年下。まだ子供。それはわかっているが。
「あ……ごめん」
 心を読まれたのだろう。言いたいことを先に察され、怒りは行き場を無くして肚の中に落ちていった。
「この組織を維持するために、レジスターも苦労してるんだ。決して楽な仕事じゃない。彼女でなければできない仕事だ」
 市場や金の流れを読み、コントロールする能力。超自然の力ではないが、それがレジスターに与えられた能力だ。俺たちの誰も、真似することはできない。
「私とじゃ、やりづらいよね」
 答えの出ている問いだ。そもそも質問の出所が、答えそのものに直結している。答える代わりに、俺は逆に問いかけることにした。
「他人の言葉はどれくらいわかるんだ。その、つまり、考えてることが、ってことだけど」
「全部。言葉にならないことも含めて」
 言葉にならないことも、か。
「人間は考える時に、全部が全部言葉で考えているわけじゃない。時折関連するイメージが映像や匂いや音で現れる。考えているというのとはちょっと違うかな。無意識に言葉を回していると、って感じ。そういう時は感覚がより具体的に現れる」
「言葉の理解が早かったのもそのせいか?」
「うん」
 他人の言葉を頭に入れると同時に、それに付随するイメージを五感で追体験する。定義や具体例の理解度は、段違いだろう。
「なるほど……いや待てよ?」
 それだと、まずいんじゃないか? うちははぐれ物の能力者集団の集まり。犯罪者の下で働いていた連中ばっかりだ。どんなろくでもない言葉を拾ってくるかわからない。たとえば――
「よっしゃああ! 報告終わりっ! 今からあの女をハメるって考えただけでギンギンになってくるぜ」
 ――こんな風な。
「おい。アイアンロッド、あまり騒ぐな」
 部屋に乗り込んできたアイアンロッドをロックが後ろから引き留める。
「いいじゃねーか別に。仕事終わった、し……」
 目があった。意気揚々と得物である金属製の棒を振り回していたアイアンロッドは、一瞬ぽかんと口を開けた。
「ひょっとして、お邪魔だった?」
「いや、そう言うわけじゃない。ただ……」
 横目でちらっとヘッドセットをうかがう。俺の心中を読み取った彼女は、いたずらっぽく微笑みかけてきた。マジかよ。
「なんでもない」
 別に今更どうこう言ったってしょうがないだろう。そう自分に言い聞かせたが、冷や汗は止められなかった。
「あ、そうそう。玄関に誰か来てたぜ?」
「何? 誰だ?」
「いや、知らない。うちに用事があるって言ってたけど、怪しいからまずレジスターに話をつけなきゃまずいと思ってさ」
 別組織の人間? 何か取引を持ちかけに来たのだろうか。ヒーローの手先だったら最悪だ。
「連絡を頼む。俺は様子を見に行くよ。ちょうど退屈していたところだ」
 相手の素性は分からないが、こちらにはテレパスがいる。念のためヘッドセットを背中に隠して、俺はその訪問客に会いに行った。
「どうも。ストレイドッグの方ですね。私はバイナリィと言います」
 出迎えたのは白衣の男だ。歳は自分より少し上、十八かそこらだろうか。ピラミッドとコンパスを掛け合わせたような黄金色のマークが胸元についている。
 メガネはしていないが、学者のような雰囲気だ。こんな掃き溜めにはふさわしくない。
「そうか。俺はエリック。後ろのこいつはヘッドセットだ」
「今日はあなた方にお願いがあってきました」
 やはり、何かの取引か? それにしても、こんな相手は初めてだ。
「正式な取引だというのなら、ボスに話を通してもらおう」
「もちろんそのつもりです。既に連絡されているでしょう」
 アイアンロッドの声がかすかに聞こえる。ヘッドセットは相手の言葉にうなづいた。
「そこで待ってるのもアレだからな。入りな。話は聞いてやる」
「ありがとうございます」
 正直見知らぬ人間を中に招き入れるのはどうかと思ったが、何かあればヘッドセットが言うはずだ。俺は白衣の人間――バイナリィを暖炉前のソファーに案内した。
「悪いけど、紅茶やコーヒーなんて洒落たものは出せないぜ。水で我慢しな」
「いえいえ。お心遣いありがとうございます」
 やりづらい相手だ。俺は無言で、レジスターからの返答を待った。
「話は聞いた」
 返答は電話口からではなく、玄関から届けられた。外面向けにばっちりメイクを決めたレジスターが部屋へと歩いてくる。
「あれが、うちのボス。ストレイドッグのリーダー、レジスターだ」
「どうも。レジスターさん。イクエイションの能力者、バイナリィです」
 イクエイション。どこの子飼いだ? 歳と身なりからなんとなく予想はしていたが、こいつもどこかの犯罪者の元で飼われている能力者ということだろうか。
「イクエイション? プレディクトの子飼いの?」
 レジスターは知っているようだ。怪訝な顔をしていたが、すぐに合点が行ったという調子で話し出す。
「つまり、行き場を無くして、私達ストレイドッグに入りたい、とそういうことかしら?」
 どうやら、こいつらのボスはヒーローに逮捕されるか、殺されてしまったらしい。そう言えば、プレディクトと言う名前は、ラジオでちらっと聞いたことがある。
「いいえ。違います」
 しかしバイナリィはレジスターの話をばっさり切り捨てた。
「将来的にはそれも必要になるかもしれませんが、私の話はもっと急を要するものです。あなた方に、あるミッションの手助けを頼むために、私はここに来ました」
「仕事の依頼、ということか?」
 俺たちの仕事相手は、基本人間で構成されたギャングだ。人間では為しえないことを実現するため、あるいは単に護衛やヒットマンとして、ストレイドッグの面々は駆り出される。だが
「能力者が能力者に依頼か。初めてのケースだ」
 そこだ。一体何を頼むつもりなのか、皆目見当もつかない。まさか、プレディクトの脱獄か? そんなリスクを背負い込むわけには
「仕事の内容。それと、報酬について聞かせてもらおう」
 舐められたら終わりだ。レジスターはその点をわきまえていた。
「あるものを盗み返していただきたいのです。正確には、あるデータ、ですが」
「データだと? うちにはハッキングができる能力者はいない」
 これはハッタリだ。恐らく、相手がどれだけこちらの手の内を知っているのか試しているのだろう。バイナリィは特に否定はしなかった。
「ハッキングに関しては、問題ありません。私が行います。ポイントは、建物への侵入、そして、私の護衛です」
「護衛……どこに侵入するつもり?」
 バイナリィは、無言で図面を差し出した。
「ネットワークから独立した演算基地です。それゆえに物理アクセスの必要があります。アクセスポイントは施設の最深部。現在この施設はヒーローと、複数の能力者に守られています」
「ヒーロー……? 奴らとことを構えるのは御免よ。私は慎重派なの」
「あくまで潜入です。うまくいけば表沙汰にはならない」
「敵は?」
「ジャックナイフと、彼の子飼い、ネオソルジャーズです。アカデミーズからも三人ほど護衛が来るようです」
「精鋭ぞろいね。悪いけど、この話は……」
「IMAGNAS」
 会話を切り上げようとしたレジスターに割って入り、バイナリィは決断的に告げた。
「それが、何?」
「今回の報酬です」
「そんなもの、ちょっと金を積めば簡単に手に入る」
「いえ、渡すのは兵器そのものではありません。IMAGNASの秘密――弱点です」
「弱点⁉」
 IMAGNASは完全な兵器のはず。欠点は存在しないはずだ。
「何故そんなものを? あなたが?」
「簡単な話です。アレを作ったのは我が主。プレディクト様であるからです」
 そこからバイナリィは流れるように語り始めた。
「IMAGNASを開発したプレディクト様は、その致命的な欠点も認識していました。けして修正することのできない欠点――その欠点を記したデータを彼はネットワーク上に残していました。物理媒体では盗まれる恐れがある。自身の脳を端末に接続し、リアルタイムで解除パスコードを変更し続けることで、プレディクト様はその秘密を守ってきました。しかし、主は投獄された……。ネットワークから庇護者が切り離されたため、データはネットの海を漂うことになりました。気づいた時には――すでにサルベージされた後でした」
 にわかには、信じがたい話だ。だが、真偽はすぐにわかる。
「嘘は言っていない」
 ヘッドセットの声が頭に響き渡る。レジスターは考え込んでいた。あまりにもリスクの大きい賭け。だがその分、見返りも大きい。
「サルベージしたものの、解析には時間がかかります。しかし、そう悠長に待つことはできない」
「わからない点が、一つ」
 レジスターはもう声を取り繕っていない。虚勢ではなく、真剣な意志のみで言葉を発していた。
「なんでしょう」
「何故、サルベージした人間がデータを得ることはよしとしないのに、私達にそのデータを報酬として渡す? そこが知りたい」
 沈黙。何か考えがあるのか? ヘッドセットに目を向けるが、彼女は首を横に振るだけだ。嘘はつけないはずだが、一体――
「それは」
 バイナリィが口を開いた。
「それは、彼らが政府側の人間であり、あなた方、犯罪者、反政府側の人間であることに起因します」
「どういうこと?」
「我らが主、プレディクトは、『世界を平和にするために』IMAGNASを開発しました。核を越える抑止力として、完全に争いを終結させるよう機能させるために」
 平和のため、だと? 正気でそんな真似ができる人間がいるとでも? 
「その方法が正しいか否かの判断はあなた方に任せます」
 ヘッドセットはやはり首を横に振り続けている。つまり、事実はどうあれ、バイナリィはそれを信じているということだ。
「政府や力のあるものにこの情報が渡れば、再び争いが生まれるでしょう。それは主の望むところではありません」
「私達がその情報売り払ったり、悪用しないという保証はどこにあるの?」
「それは――あなた達を信じるほかありません。我々は戦闘が苦手ですし、主の逮捕で仲間も散り散りになっている現状です。あなた達しか頼れるものはないのです」
 その殊勝な態度に反して、ヘッドセットは怪訝な表情をしていた。
「嘘を言っているのか?」
 心の中で問いかける。返事はノーだった。
「違う。嘘は言っていない。でもこの人、絶対の自信がある。私達が情報を手にしたとしても、決して悪用しないという自信が」
 まるで分らない。結論は全てレジスターにゆだねられた。
「この件に派遣できる人間は一人が限界。それで構わないというのなら」
「ありがとうございます」
 どうやら、取引は成立したようだ。
「それじゃあ、エリック。あなたに任せるわ」
「なっ……」
 俺が? そんな……。このリスクの高い任務を? ショックだ。単に仕事が危ないというだけではない……期待していたのだろう、自分が彼女の特別であると。
「よろしくお願いします」
 差し出されたバイナリィの手を、曖昧な感情のまま握る。ヘッドセットは、俺の感情を受け取ったのか、感情を押し殺すような目つきで成り行きを見守っていた。


「フレイムスロアー レインメーカー サイクロン。緊急要請だ。至急ビークルへ来い」
 ちょうど、前の撮影が終わり、いよいよ自分のビデオレターの番だというその時に召集がかかった。
「な、なんだよぉ」
 文句を言いつつも内心ほっとしている自分がある。先延ばしは良くないことだと思うが、止むを得ない事情なら仕方がない。
 召集に答えるべくアカデミーの校舎を抜け、ビークルの格納庫へと入る。中に乗り込むと、車内には既に二人が待っていた。
「おっ、来たな」
 レインメーカーが手を振った。向かいに座るサイクロンは、腕を組んだまま動かない。
「よし、そろったな」
 教官が、社内のスクリーンを起動させた。プロジェクターに映像が投影されると同時に、エンジンがかかりビークルがスタートする。
「今回は、ジャックナイフから要請を受けた。急を要する話だ。ある施設を守ってもらう」
「ジャックナイフというと、あの軍人の?」
「そうだ」
 元傭兵のヒーロー。超能力に頼らず筋力と銃火器、戦闘技能のみで戦うヒーローだ。そのやり口から人気や知名度は低いが、確かな実力を持つとして主に上流階級で支持されている。
「施設がある犯罪者に狙われているため、応援が必要だという話だ」
「その施設の場所は……」
「詳しくは、あちらとの通信を聞いてもらおう」
 教官がスイッチを入れると、スクリーンに映像が映った。
「よし、通信状態は良好だな……アカデミーズの皆さん。俺はクラック。ジャックナイフの下部組織、ネオソルジャーズの能力者だ」
 映っている人物は一人、迷彩服に身を包んだ、自分より三つばかり年上の男だ。背景には、建物の外壁だろうか、灰色のコンクリートの壁と、そのコンクリートの壁が立っている雑草の生えた地面が見える。
「こちらの現在地は。B4-I9……外界からネットワーク的に閉ざされた情報処理施設のうちの一つだ。ネット環境が無いからこうして外で通信を行っているわけだが……。話しがそれたな。ミッションの内容はシンプルだ。ここでの情報処理が終わるまでの間、諸君らに防衛を手伝ってもらいたい」
「情報処理と言うのは?」
「三十分前に、『ラプラス』で、ある情報がサルベージされた。それのデータ解析だ。これ以上は通信を盗聴されている可能性があるため話せない。現地で報告させてもらう」
「なるほど。それで、我々は具体的に何を?」
「処理が終わるまでの間の警備と、恐らく襲ってくるであろう犯罪者、能力者の撃退。それが今回アカデミーズに依頼したいことだ。警備の指示は現地でジャックナイフさん自らが行う」
「襲ってくるであろう……つまり、仮想的が大体定まっているということですね」
 鋭い。流石はレインメーカーだ。細かい所を見逃さない。
「その通り。敵はラストワン。そして奴の部下のリサーチャーズだ」
「ラストワン⁉ まさか、彼本人がやってくるんですか?」
 ただの能力者ならいざ知れず、ヒーローと互角にやりあうような大犯罪者なんか、絶対に勝ち目はない。
「ああ。このミッションの危険度はかなり高い。君たちが相手をするのは下部組織の連中だろうが、ラストワンに攻撃されるリスクは覚悟してもらいたい」
 ラストワン。地球上最後の一人となるべく、使える超能力を増やし、最強の人間になろうとしている犯罪者。ジャックナイフとは対照的に、彼は超能力以外を信頼していない。
「ラストワン本人が直接出向く。その情報、相当価値があるものらしいな」
 腕組みをしたままサイクロンが呟いた。
「一つ聞いておきたい。何故アカデミーズなんだ?」
 レインメーカーの疑問も最もだ。協力を要請できるヒーローは他にもいる。
「ΣH2とその子飼いが防衛には最適だろう。だが、電磁波を操り金属を腐食させるラストワン相手に、機械の体を持つ彼らは相性が悪い」
 ΣH2 とある科学者が開発したと言われているマシンの体を持つヒーローだ。自律型AIによって戦闘を行うΣH2には戦闘をサポートするサイボーグ集団、ギアメーカーがついている。AIによる演算と最新兵器の火力を使い、理詰めで圧殺するヒーロー。彼らの協力を得ることができないのは苦しい。
「バンブーフォレストの連中とは、連絡がつかなかった」
 バンブーフォレスト、マスターリオ率いる忍者ヒーロー。この科学が発展した時代において未だに忍術や怪しげな戒律を持ちだす不可解な集団だが、実力は確か。あまりにも忍びすぎていて連絡がつかないのが玉に瑕だけれど。
「そして、アンチェインドの連中に防衛は任せられない。理由は言わなくてもわかると思うが。適任なのは君たちだけだということだ」
「なるほど。了解した」
 そうこうしているうちに、目的地が見えてきた。
「ダムみたいだ」
 そびえ立つ灰色の壁。コンクリートを積み重ねたその建物は、ダムから水を取り払ったかのような構造をしていた。


「クソッ、まさか俺が選ばれるなんて……」
 大人数で行けば、大々的にストレイドッグが関わっているとみなされる可能性がある。仕事を任せられるのは捨て石にしてもいい一人だ。その一人に、まさか自分が選ばれるとは思わなかったわけだが。
「浮かない顔ですね」
 そんなこちらの事情を知ってか知らずか、バイナリィは平坦な声で話しかけてくる。
 森を歩くその足並みに、乱れたところは一切ない。インテリじみた格好から勝手に体力がないと思い込んでいたが、曲がりなりにも能力者。この程度の悪路は屁でも無いようだ。
「別に……コートを着てくるのはちょっと早かったかなって思っただけだ」
 冷えるだろうと思って持ってきたが、思っていた以上に暑い。着古してボロボロになったカーキ色のコートは、今の自分の心境を表しているようでなんだか嫌だった。
「まあリスクが高いミッションだと言いましたが、私の能力さえあればそう危険ではないはずです」
「能力? そういえば、何ができるかまだ聞いてなかったな」
 プレディクトの子飼い……数学に関係する能力を使うと聞いたことがあるが、どんなものかは全く想像できていなかった。
「すぐにわかります。そろそろですね」
 木々を抜けると、不意に灰色の壁が現れた。これが、目標とする施設、か。
「おい。どうするんだ? ただの壁だぞ? 隠し通路があるのか?」
「そんなもの必要ありませんよ。私の能力をもってすれば」
「壁を通り抜けるのか?」
「その通り。合図したら壁に向かって跳んでください」
 跳ぶ? ジャンプしろということか? バイナリィは俺の腕を掴んできた。接触が発動条件に含まれるのか?
「一……二の……三!」
 わけが分からないが、俺はバイナリィの言う通り、跳んだ。いや、跳ぼうとした。
「えっ?」
 体が動かない。視界が暗転し、まるで何も見えなくなる。一瞬――わずか一秒にも満たないような時間だが、俺は『自分がこの世からいなくなる』ような感覚を味わった。
「うわっ⁉」
 ふいに光が戻ってくる。蛍光灯の明かりに照らされた廊下。灰色の壁で囲まれた屋内の風景が、目の前に広がっていた。
「静かに。既にこの施設には見張りがついています」
 唇に人差し指を当てる、この上なくわかりやすいジェスチャー。荒くなる呼吸を抑えて、俺は努めて静かな声を作り、バイナリィに問いかけた。
「今のは? お前何をした?」
「離散化能力。それが私の能力の正体です」
 離散化? 何の事だかさっぱりわからない。
「ゼノンのパラドックスの一つ、飛んでいる矢は止まっている、と言う話を聞いたことはありますか?」
「悪いな。学がないんだ。さっぱりわからん」
「では、アニメーションの原理はご存知ですか?」
「パラパラ漫画のことを言っているなら、イエスと答えられるけどな」
「その認識で間違っていません」
 バイナリィは胸ポケットに入っていたペンを――このミッションに何の関係があるのか知らないが――取り出した。
「アニメーションは、連続した静止画です。現実の運動は連続量、切れ目なく流れるように時間に沿って物体は動きます。私の能力はそのアナログな運動を、アニメと同じデジタルな静止画の連続に変換することにあります」
 取り出した鉛筆を掲げると、バイナリィは手を離した。鉛筆はそのまま空中に留まっている。
「今この鉛筆は落下しています」
「どう見ても止まっているように見えるが」
「ええ。まだ『次の瞬間』が来ていないためです。連続した静止画に置き換えると、今はまだ『ページがめくられている最中』と言うことになりますね」
 言い終わった瞬間。鉛筆が消えた。今は地面から三十センチほど上方に止まっている。
 バイナリィが手を降ろすと、そのまま鉛筆は落体の法則に従って地面に落ちた。
「能力のことは分かった。けどよ、これと壁抜けにどういう関係があるんだ?」
「エリックさんは、パラパラ漫画のコマとコマの間を想像したことはありますか?」
「いや。そんなこと考えたこともないな」
 普通は目に見えるものじゃない。能力者の動体視力を使えば認識できるだろうが、アニメを紙芝居にして何の得があるというんだ。
「コマとコマの間の時間は空白です。静止画はその空白を跳び越えるように現れる……刻み幅を十分にとってやれば――壁と壁の厚みを通り抜けるほどの時間まで取ってやれば、静止画が次に現れるのは壁の向こう側になります。壁に当たるという過程は、連続量なればこそ起こりうる事象。離散化してしまえば、その過程は跳び越えられます」
 わかったようなわからないような。
「つまり、コマとコマの間の時間に起きるはずだったことは、『無かったこと』になるのか?」
「ええ。しかし、コマからコマへ移動するまでの時間、ずっと残像が残り続けることもまた事実。残像に力が加えられれば、それだけ次のコマの運動に影響を及ぼします」
「つまり?」
「壁を跳び越えるまで、我々の像が前いた位置に残り続けてしまうということです。これを攻撃されると当然軌道もずれますし、ダメージも受けます」
「なるほど。だから護衛役が必要なのか。好き勝手に壁を透過できるなら、自分一人でさっさと潜入してしまえばいいだけだからな」
「その通りです。さて、どうやらこの辺りには見張りはいないようですから、さっさと先に進んでしまいましょう」
 再びの壁抜けに備え、俺たちは助走のため後ろに下がった。


「IMAGNASに関するデータ、か」
 基地に着くと、口頭での説明を受けた。曰く、解析しているのはIMAGNASのデータ。それも、設計者本人による兵器の欠陥を記したものだと。
「それを狙ってくるラストワンっていうのはどんな犯罪者なんでしょうか」
 能力の相性を考慮されたため、僕はレインメーカーと同じ警備ポイントにつくことになった。施設西側。眼下に広がるのは森ばかり。ラストワン本人は最短ルートでコンピュータを目指すから、ここから来ることは無いと予想されていたが、それでも不安な物は不安だ。
「ラストワンは、最後まで生き残ること、に重きを置いた犯罪者だ」
 横に立つネオソルジャーズの能力者、アサルトが言った。その名の通り、アサルトライフルを下げている。
「奴の目的は、人類が滅びるような天変地異、最終戦争に陥ったとしても、自分だけ生き残ること。それもシェルターに隠れたりするんじゃない。ただ超能力だけで生き残ることを考えているんだ」
自分と歳は変わらないように見えるのに、アサルトの声はとても落ち着いていた。不安や揺らぎのない、自分を知っている者だけが放つ、確かな自信。
「超能力で生き残る?」
  そんなことが可能なのだろうか。
「そもそも人ひとりが使える超能力は限られているはずでは? どんなに優れた能力であっても、それ一つであらゆる事象に対応することはできませんし」
 あれ、どうしたんだろう。アサルトは怪訝な顔でこちらを見ている。何か変なことでも言ったんだろうか。
「お前、一体何を言ってるんだ?」
「いや、超能力は一人ひとつだから、IMAGNASの情報を知ったところで何もできないのでは?」
「今更何を――」
 何かを言いかけて、しかしアサルトは口をつぐんだ。
「そうか、お前らアカデミーズだったな」
「えっ?」
 その声には微塵も悪意などなかった。どちらかと言えば、優しさ。本心からの優しさで発せられたような雰囲気の言葉なのに、何故かとても嫌な感じがする。
 そう以上語ることなく、アサルトは口を閉ざしてしまった。
「それってどういう――?」
「無駄口叩くな。敵が来る」
 質問は、レインメーカーに阻まれた。窓から窓の外を指す。人影が二つ、森を歩いてくるのが見えた。
「あの黒いジャージ。間違いない、ラストワンの子飼いだ」
 横からアサルトも覗きこむ。流石能力者と言ったところだろうか。森の中、道なき道を、さながら犬や猫のように、一目散に駆けてくる。
「あっ!」
 途中、敵は二手に分かれた片方はまっすぐこちらへ、もう片方は反対側、東側のフロアを目指している。
「これじゃ対応できない」
「焦るな。東側はサイクロンたちがいる。それよりもまずは、この近づいてきている奴だ」
 気づかれていることを知ってか知らず可、敵は身を隠そうともしない。そのまま一階にある入り口を目指して、どんどん森を進んでくる。
「今ならこっちに気づいていないかも」
 不意打ちだ。手の平に火球を作り出す。ドアを開いて外付けの非常階段を歩き、こちらに目もくれず進んでくる狙いをつける。自身の肩力と目算がかみ合った瞬間、僕は火球を投げた。
「おい、何してる?」
 こちらの様子に気づいたアサルトが、ドアを開けて追ってきた。だが、そちらに注意を払う余裕はない。タイミングが大事だ。一……二の……
「三!」
 能力解除。膜が破れ、熱エネルギーが放出されるのが分かる。電離した水素と酸素は低いエネルギー準位をめざし、結合の果てに爆発が起こる。
 爆風はジャージ姿の人影を吹き飛ばし、木の幹に叩きつけた。
「やった!」
「やったじゃない! よく見ろ!」
 アサルトに胸倉をつかまれ、無理やり非常用通路の柵から体を乗り出させる。一体どうした? 敵をやっつけたのに、何でこんなに怒ってる?
「あ……」
 吹き飛ばされた敵は奇妙に体を痙攣させると、姿勢を直して立ち上がった。感情のこもらないのっぺりとした動作で首が上がり、能面のような無表情がこちらの位置を捉える。
「どういうつもりだ? お前、手加減しただろう」
「手加減?」
「あの威力――お前の能力なら、奴の体をバラバラにすることなどわけないはずだ。お前もそれを知っていた。知ってた上で奴が死なない程度の距離で爆発が起こるように調節していた」
 こちらを認識した敵は、再び走り出した。より俊敏に、より狡猾に。木々に身を隠し、隙をうかがい、攻撃が来ないタイミングを見計らって跳び出だす。不意打ちのチャンスは、完全についえた。
「クソッ!」
 徐々に距離を詰めてくる敵に対してアサルトは銃撃を行うが、隙をついて追ってくる敵に弾丸は通じない。そして、敵が物蔭から現れた瞬間―― 
「とうとう出たか」
 体から粉が噴き上がったかと思うと、敵はその前面に、茶色の盾を浮かべていた。
「野郎!」
 弾倉を取り換えてなおも射撃を行うアサルト。だが、敵は躱すそぶりすら見せない。放たれた弾丸は、全て茶色の盾に阻まれて地面に跳ね返っていく。
「おい。大丈夫なのか?」
 奥の様子をうかがっていたレインメーカーが戻ってきた。
「一階だ。一階の裏搬入通路。敵は恐らくそこから攻めてくる。早く行け!」
 銃声に負けないよう声を張り上げるアサルト。頷くと、レインメーカーは彼の指示通り走り始めた。
「弾切れだ」
 空になった弾倉を手荒く引き抜くと、アサルトは振り返った。
「いいか。こうなったのはお前の責任だ。よく理解しろよアマチュア坊主」
「仕留めきれなかったことは謝る。加減をしたのは事実だ。でも、確保が第一だろう?」
「とことん甘い連中だな。アカデミーズってのは。救いようがねえ」
 アサルトは扉に手をかけると、息をゆっくり吐きだした。
「確保第一なんてのは表向けの方便、ただの犯罪者を相手にするときの考え方――殺るか殺られるかだ。能力者を相手にする時にはな」
「彼らも犯罪者だ。法の裁きを受けさせるべきだろう?」
「馬鹿いうな。俺たちの仕事は犯罪から人を守ることだ。犯罪者を守ることじゃない。それに、能力者を法で裁けると思うのか?」
「――どういうことだ?」
「留置所にぶち込む。ムショで刑期を全うさせる。そんなこと不可能だ。精神感応、念動力、瞬間移動――。あらゆる手段、可能性を持つ能力者を一所に完全に閉じ込める? 不可能ではないだろうが、コストも労力も段違い。能力者にここまでして守ってやる価値などない。まして、それがリサーチャーズの連中ならなおさらだ」
「えっ?」
 ドアを開いて中に入ると、アサルトはあきれたように鼻で笑った。
「なんだ知らないのか。リサーチャーズの連中は、超能力の威力を高めるために薬に頼ってる。依存性のある化学物質をしこたま詰め込んだチョコレートをな。糖分とカフェイン、それに薬物の中毒症で、奇声やチックのオンパレードだ。奴らから能力を奪う方法は簡単。薬を断てばいい。まあ、その瞬間、欠乏症の発作で、奴らの息の根も止まるがな」
「そんなの、人間の扱いじゃない……」
「当たり前だろう。実験動物と同じさ。あいつらも……」
 そこで、何かを思い出したかのようにアサルトは口をつぐんだ。
「まあいい。行くぞ」
 強引に言葉をつなぎ、アサルトはそのまま階段へと走って行った。
「そんな……」
 いくら犯罪者と言えど、仲間は大切にするものだと思っていた。それは無自覚の、勝手な期待だったかもしれない。だけど、そんな期待でも裏切られたら、怒りが湧いてくるのだと分かった。ぶつけようのない怒りではあるけれど。
「制圧――殺すしかない相手もいるのか」
 だとすると、やることは一つだ。ヒーローを目指す以上、戦いから逃げることはできない。
「行かなきゃ」
 失敗を取り返すためにも、僕は二人を追って一階に向かった。
 階段を駆け下り、灰色の壁に挟まれた前時代的デザインの廊下を抜ける。
 敵が侵入してきたであろう通路で、アサルトとレインメーカーが立ち尽くしていた。
「厄介な相手だ」
 通路の先から向かってくるのは、黒いジャージに身を包んだ少年。身長は高いが、その顔は残酷なまでに幼い。自分と同じか少し上くらい。時折肩をひくつかせるその歩き方は、さっきアサルトから聞いた話を反芻させる。
「止まれ。うかつに近づくのはまずい」
 レインメーカーが手で制止した。
「見えるか、奴を取り巻く茶色の粉。ここまで臭いが飛んでくるだろ?」
 敵が腕を交差させるたびに、そこから茶色の粉が噴き出してくる。腕についているのは、自分と同じようなガントレットだ。ということは、あの粉はあそこに入れてあったのだろうか。
「臭いで大体わかると思うが、これは結構きつい毒物だ。うかつに吸い込んだら肺がやられて息ができなくなる」
 硫黄のような臭い。火山灰のようなものだろうか。天変地異で人類すべてが滅びても、一人だけ生き残る能力――ラストワンも、よくここまでピンポイントな能力を持つ人間を見つけたものだ。
「そして」
 銃口を敵に向け、トリガーを引く。一瞬早く対応した敵が前方に手をかざすと、当たりを待っていた茶色の粉が集まり、球の平面を切り取ったような、湾曲した壁を作り出した。
「さっき俺の銃撃を防いだのはこの能力だ。何をやっているのかはわからないが、奴は壁を作って銃撃を防ぐ。飛び道具も使えない」
 敵はゆっくりと歩いてきていた。さっきまでの俊敏さとは違う、余裕を持った動き。何が変わったのだろうか? さっきと今、何か違いが?
「おい。お前の能力を試してみろ。今度は、殺す気でな」
 言われなくともやってやる。ひとまず疑問を頭の隅に追いやり、水を使って手の平に火球を生み出す。加減はしない。どうすることもできないなら、せめて一撃で
「えいっ!」
 ほぼゼロ距離。張られた茶色の壁に触れるか触れないかのあたりで、能力を解除。爆風が通り抜け、髪が後ろにたなびいていく。焦げた硫黄の臭いと共に、煙がはれたその先には
「ちっ!」
 変わらず敵が立っていた。
「効いていない」
 爆風の影響を受けることもなかったのだろう。髪型に目立った変化はない。攻撃がまるで通じなかったという現状。普通なら忌むべき事態だろうに、どこかほっとしている自分を自覚せざるを得なかった。
「間違いなく今のは加減なしの一撃だ。それは分かる。しかし、全然効いてないとは……どんな能力してやがるんだ?」
 銃撃を続けるアサルトだが、茶色の壁はまるで破れる様子が無い。
「燃焼で化合物の組成が変わっても、障壁の効果は維持され続けるのか」
 そんな敵の様子を眺めてレインメーカーが呟いた。
「何だ? 何か言いたいことがあるのか?」
「いや、少し考えていたんだ。敵の能力、その正体について」
 ゴーグルの奥で目を細める。彼は既に、何か掴んでいるようだ。
「何か分かったのか?」
「ああ。恐らくあいつの能力は、『人体に有害な物質』をせき止めることだと思う」
「『有害な物質』……あの粉のことか?」
「そう。あいつの足元を見ると分かる」
 確かに。敵がこちらに歩みを進めるたびに、まるで見えない箒で掃かれているように、落ちた粉が動くのが見える。
「敵の目的は毒殺だろう。周りに毒をまき散らす中、自分だけ無害でいられる。そうした優位な状況を作り出すことが目的なんだろう」
 そうか。
「あいつ、あのガントレットに毒の元を入れているんだ。それぞれでは無害だけど、掛け合わせれば有害になるような物質を入れておいて、交差させることで掛け合わせる」
「化学反応で有害になった瞬間、能力による選別に引っかかって、バリアの外に飛ばされる。そうやって粉をまき散らしているのか」
 感心したようにアサルトが呟く。
「当然、化学反応に使える物質には限りがある。外で能力を使ったのは、攻撃されてからだった。狭い室内じゃないと、アイツの戦略は通じないわけか」
「けど、奴の目的は屋内。外におびき出すことはできない。こちらからのアプローチは通用しないからな」
 レインメーカーが補足した。確かにその通りだ。これだけの情報では、何の役にも立たない。
「でも結局。あいつに攻撃が通用しないことには変わりないんじゃないですか? どうしようもないのでは?」
「そう簡単にあきらめるな。戦いは、論理の積み重ねだ。能力と敵の目的を考えれば、自ずと攻略は見えてくる」
 レインメーカーのゴーグルは、まっすぐ敵を見据えている。油断はないが、自身に満ちた――絶対に解決してやろうという気概のある目。
「何か、策があるのか?」
「今はまだ。だけど、わかったことがある」
「何だ?」
「一つ。奴の能力だと銃弾は防げない」
「馬鹿いうな。現に防がれてるじゃねえか」
「あれは能力を応用しているだけだ。その証拠に、銃撃に対しては、有毒物質の壁を作って防いでいる。銃弾が有毒物質に当たっても、障壁に阻まれてそれ以上有毒物質が動かないから、銃撃を防ぐ盾になっているんだ。あの茶色の壁の隙間さえ狙えれば、勝機はあるかもしれない」
「……なるほど。しかし、あいつどんな原理で盾を作ってるんだ? あくまで有害物質を防ぐのが能力の本質なんだろう?」
 ひょっとしたら。分かったかもしれない。
「静電気だ……」
「静電気?」
「微粒子は帯電しやすい。テレビの裏に埃がたまるのと同じ理屈です。あいつは、静電気を使ってバリアに張り付くように微粒子を集めているんじゃないですか?」
 それだと、手をかざすような動きにも説明がつく。
「それだ。その調子だぞ、フレイムスロアー。見えてきたな」
 悠長に話している間にも、敵は距離を詰めてくる。だが、まだ余裕はある。汚染をより確実にするためか、敵は決して走ってはこない。
「話をまとめると、あいつは服や人間、さらには銃弾を防げない。前者に関しては、人体まで能力の選別にかけると、奴自身の体が吹き飛んでしまう、と説明ができる。後者に関しては、盾を作っている所から見て間違いないだろう。近づけば何とかなるかもしれない」
「あの粉を吸い込まなきゃ、の話だがな」
「上のフロアを崩して下敷きにするってのはどうですか?」
「銃弾と同じように天井も弾くだろう。奴の能力は力じゃない、条件だ。その前提がある以上、威力の強弱は問題にならない……」
 レインメーカーは能力を使い始めた。周囲の水分が一か所に集まり、歪な水の球が肩のあたりに浮かぶ。
「多方向から同時に攻撃しよう。俺とフレイムスロアーが後ろに回って左右から攻撃する。アサルトは正面から銃撃を頼む」
「あの粉はどうすんだ? 吸い込んだらまずいだろう」
「俺はマスクがあるから多少は大丈夫。それに、さっさと片をつければいいだけだ」
「了解」
 アサルトが銃を構えると同時に、僕らは敵に向かって走り出した。
 茶色の壁に阻まれる銃弾が敵の足元に転がって行くのが見える。ここから先はいよいよ有毒エリア。大きく息を吸い込むと、行先を見定めて目を閉じ、ひとっ跳びに通過する。
 有毒物質の効果を信用しているのか、敵が何らかの妨害を用いることは無かった。
 手の平で火球を作り、振り向きざまに放り投げる。火球の原料は所詮水だ。プラズマ状態の火球を阻むことはできても、爆風と、それに伴って生まれる水を防ぐことはできないはずだ。
「何っ!」
 正面からの銃撃を防ぎつつ、敵は新たに壁を展開しこの攻撃も防いで見せた。左手に対応して壁が動き、別方向から近づくレインメーカーを阻む。どうやら、静電気を発生させる装置は、両手についているようだ。
「クソッ、らちが明かない」
 その後何度か攻撃を試してみたが、一向に敵の隙を突くことは叶わなかった。爆風に巻き込まれる可能性があるため、レインメーカーは僕と同時攻撃することができない。そのため、障壁を動かすのに十分な時間を、常に敵に与えてしまうことになる。
「そろそろ、毒が危険になってくる」
 何か、策が必要だ。この状況を破る策が。
「やはりな。あいつ、目視で状況を確認している。ならば……」
 ふいに、レインメーカーが呟く。そして
「うわっ!」
 浮かんでいた水球が、急速にしぼんでいく。それに伴って、視界が霧で覆われた。
「能力を、解除したんだ」
 レインメーカーの能力は飽和水蒸気量の操作。能力を解除することで、水球は水を保持しておくことができなくなり、水蒸気に変わって周囲へと分散していく。多量の水分はしばらくは完全に蒸発することなく、微小な水滴として、霧を発生することになる。
「これで、どこから攻撃するかわからない」
 だけど、それはこちらも同じだ。レインメーカーの位置が分からない以上、フレンドリーファイアを避けるためにうかつに攻撃はできない。
 そうして成り行きを見守っていると
「あっ……」
レインメーカーの姿が見えた。そして、敵の姿も。
「クソッ! まさか、ここまで考えていたとは」
 両者の間に、茶色の壁は存在しない。にも関わらず、レインメーカーは見えざる力で接近を阻まれていた。
「これだけ長時間近くにいたんだ。当然予想すべきだった」
 レインメーカーが再び水を集め始めたのか、霧が晴れてきた。しかし、その行為に何の意味があるのか。敵はバリアに阻まれているレインメーカーへと踏み出した。背後には、コンクリートの壁、このままバリアと壁で、押しつぶすつもりなのだろう。
「こいつ、有害物質が服に付着するのを待っていたんだ!」
 接近を繰り返せば、当然散乱する有害物質の中を何度も通ることになる。そして、微粒子が付着するのは、そう難しいことではない。十分服や体に微粒子を付着させ、バリアを通れなくなったところを攻撃する。それこそが敵の狙いだったのだ。
「ぐっ、ああああ!」
 レインメーカーの押し付けられた壁に、ヒビが走って行く。対する敵は、なんの労力も感じていない。ただ歩いているだけだ。その手が板チョコを取り出し、口元へと運ぶ様が見えた。こちらが攻撃できないと知ったうえでの、余裕。対するレインメーカーは、いまだ水球すら作れていない……。
「……あれ?」
 いや違う。チョコレートを口へと運ぶ、その手首。ふわふわと浮かぶ水球が、徐々にその輪郭を表していく。そして
「あぶぇえばばばぁ!」
 余裕の表情でチョコレートをほおばっていた敵が、何の前触れもなく痙攣し、倒れた。
「間に合ったか」
 マスクの端から血を流しながら、レインメーカーは着地した。敵が気絶したせいなのだろう能力は解除されている。毒の影響を避けるために、レインメーカーはその場から素早く離れた。
「あれは、一体?」
「お前のおかげだよ。フレイムスロアー」
「僕の、おかげ?」
「奴が静電気で微粒子を集めているってのを思い出してね。感電するように奴の手首に水を集めた。水は有害物質じゃないから、奴の能力じゃ防ぎようがなかったわけだ。能力の射程上、近づかなきゃできない芸当だったけど」
 あの推測は無駄じゃなかった。それを思うとなんだか救われた気がした。
「おい。無事か」
 アサルトがこちらにやってきた。
「どうだろうな。さっきのでだいぶ肋骨にダメージがある。あと有毒物質がだいぶ付着してるのも見過ごせないな」
「無理はするなよ。ヤバイなら奥で待機していてくれ。足手まといの世話をする余裕はない。しかし……」
 アサルトは倒れた敵に目をやった。
「こいつ。まだ息があるな」
無造作にその手が銃身を掴み、敵の頭に狙いをつける。これでいいのか? 犯罪者だからといって見殺しにすることが?
「やめろ」
 トリガーが引かれる寸前、思わず伸びた右手が、銃身を掴んでいた。
「おい。何をする」
あれだけの発砲。銃身は恐らく相当の熱を持っているのだろう。だが熱を封じ込める手の平は、まるで影響を受けることなく頭から狙いを引き離した。
「やっぱり、殺すなんてダメだ」
「馬鹿いうな。仲間が殺されかけたのを見ただろうが」
「でも、僕らは生きている。彼にも、その権利はあるはずだ」
「お前、さっき説明したことをもう忘れたのか? こいつらぶち込んだ所で、牢屋の中でのたれ死ぬだけだ」
「ラストワンを逮捕すれば、チョコレートの供給ができるはずだ。それを解析すれば、依存症も治るかもしれない」
「全部仮定の話じゃねえか。いいか! こいつは敵なんだよ!」
 敵だから、ただそれだけで納得できるはずがない。そんな理屈で押し黙るのが、ヒーローであるはずがない。
「彼らはもともと、僕らと同じだったはずだ。ラストワンに目をつけられたから、こんなことになっているだけ。やり直すチャンスを与えるべきだ」
 遠くで、爆発音が聞こえた。既に別の地点で戦闘が始まっているのだろうか。
「時間の無駄だ。好きにしろ」
 アサルトは銃を降ろした。
「レインメーカー。大したものだよ。アカデミーズを呼んで正解だった。能力者の相手は、能力者。これは間違いないだろうな」
 横目で僕を睨みつけながら、アサルトはレインメーカーに言った。
「だが、アンタの傷は軽いものじゃない。悪いけど、このぶっ倒れた敵を背負って奥の部屋まで戻ってくれないか。足手まといがいると危険なんでな」
 横柄な物言い。だが、レインメーカーは素直に従った。
「ああ。わかった」
 立ち上がり、倒れた敵に肩を貸した後、こちらを一瞥。
「チャーリー」
「はい」
「論理的に考えを積み立てること。忘れるなよ。勝機はそこから生まれる」
 まだ何か言いたそうにしていたが、結局それ以上口を開くことなく、レインメーカーは歩いて行った。


「今の爆発は?」
 データ解析はまだ半ばだ。まだ終わりそうな時間ではない。もっともこれが終わったところで、しかるべきところにデータを運搬する作業が残っているわけだが
「ボマーの仕掛けた爆弾だ。とうとうやっこさんが現れたってとこだな」
 通信機の先から、ジャックナイフの声が聞こえる。データ解析はハッカーの仕事だ。パトリックは壁に備え付けられたモニターに目を向けた。施設内の監視カメラの映像が、侵入者の姿を捉える。
「あれが、ラストワン……」
 ライム色の肩まで伸ばした長髪に、苦労や挫折を知らないまま大きくなったような、子供っぽい顔立ち。配下の能力者たちと同じように黒いジャージを着ているが、彼らのように体を痙攣させたり、不自然に目を動かすことはなかった。
 現れたのは施設中央。まさしく正面突破するためのルートだ。彼の背後には爆発で崩れた壁。恐らく直撃したであろうに、その体には傷一つついていない。
「そこから動くなよ。何とかここで食い止める」
 ジャックナイフの姿が監視カメラに映った。マズルフラッシュが画面を照らし、それに対応した銃声が、廊下の奥から鳴り響く。だが、効果は薄い。画面越しなので良くわからないが、何らかの不可視の力を使ってラストワンは銃弾を左右にそらしているようだ。
「その。大丈夫ですか? 効いていないように見えますが」
「奴が同時に使える能力の数には限りがある。枠の一つを潰すには、銃を撃つのが一番手っ取り早い」
 通信機は音声だけをクリアに切り取って伝える。銃撃を続けながら、敵へと接近するジャックナイフ。対するラストワンもまた、この部屋を目指して廊下を走り始めた。
 そして、両者の交差する一瞬。その動きは早すぎて目で追えないが、直後の姿勢からジャックナイフが彼の最も得意とする得物、コードネーム通りのナイフを取り出したことはわかった。突き立てようと振り上げた手が、空中で止まる。ラストワンの能力だろう ジャックナイフの攻撃は、決定打にいたらない――
「これは?」
 そう思ったのもつかの間、振り上げたナイフの刀身が水平方向に吹き飛んでいく。振り下ろされる刃。噴き上がる血。刀身を失ったナイフが、いかなる原理かラストワンの体に傷をつけていた。
「あのナイフ。どうなっているんだ?」
 即座に抜き取ったナイフには、先ほど飛んで行ったものよりも一回り小さい刃がついていた。マトリョーシカのような構造のナイフ。攻撃を終えると、ジャックナイフは垂直に跳んだ。直後、彼のいたスペースを、正体のわからない衝撃波が襲う。何かを発射したのだろうか、砕かれた壁がその威力を物語る。
「中に象牙のナイフを仕込んでたんだ。あの能力は特性上、金属は弾けても生物の体は拒絶できない」
「じゃあ、もう勝ったってことですか?」
「いや、奴には再生能力がある。完全に回復するわけではないが、傷を塞いで血を止めるくらいはやってくる奴だ」
 再びジャックナイフへと掌を向けるラストワン。衝撃波をジャンプで躱すジャックナイフだが、空中にいる彼を地面から伸びる蔦が絡め取る。
「……こいつは初めてだな」
 即座にナイフで拘束を切り払おうとするが、ラストワンは次の攻撃に移っている。どう考えても間に合わない。だが
「よくやった、スナイプ」
 ラストワンは、頭部に衝撃を受けたかのように後ろに吹き飛んだ。スナイプ。この部屋よりもさらに奥に待機している狙撃手の能力者。彼女の放った弾丸は、能力に遮られることなくラストワンを捉えた。
「やったか? いや、浅いな」
 敵との距離を保ちながら、再び武器を構えるジャックナイフ。
「銃撃は効かないはずでは?」
「勝負を焦ったんだ。射撃防御を解除して、別の能力で俺を仕留めにかかった。悪い手じゃない。だが、こちらは一人で戦っているわけではない。奴はそれを頭に入れていなかった」
 むくりと、ラストワンがその身を起こす。頭部に銃撃を受けたというのに、即死しなかったらしい。
「一瞬早く射線から逃げていたな。かすっただけか」
 ジャックナイフは距離を保つよう敵の接近に合わせてじりじりと後退している。何か策があるのだろうか。このままでは一気に近づかれて攻め込まれてしまうのでは?
 案の定、ラストワンは特攻を選択した。人間を越える筋力を活かし、廊下を走破せんと一気に踏み込んでくる。合わせるように背後へと飛ぶジャックナイフ。何を思ったか、ラストワンは攻撃で砕けた壁の破片を、走りながら掬い取った。そして、
 爆発。火炎と粉塵で、カメラの視界が塞がれる。地雷か何かを仕掛けていたのだろうか。ラストワンは、見事ジャックナイフに誘い込まれた形になる。
 粉塵がはれ、監視カメラの視界が戻る。ラストワンは無傷。何の役割を果たしたのかはわからないが、その手に持った石が赤熱しているのがわかる。画面外から打ち込まれる銃弾。スナイプの狙撃は、またも能力に阻まれる。
 だが、ラストワンは気づいていない。自身の背後に立つ気配を消した暗殺者を。
「やった!」
 象牙のナイフが心臓部から飛び出し、ラストワンの口から血がこぼれる。ナイフエッジ。陰に潜むナイフ使いの能力者は、完全に隙をついていた。
「やりましたね。ジャックナイフさん」
 宙をかいていたラストワンの手が、体から突き出す刀身に触れる。
「いや……違う。ナイフエッジ! 今すぐ離れろ!」
「えっ?」
 即座に離れようとするナイフエッジだが、ナイフが抜けない。もしや、再生能力か? カメラの映像ではよく見えないが、傷口をふさぐ能力で、止血と同時にナイフまで固定した?
 こうした推測を巡らせている間にもラストワンは攻撃の準備を進めている。右腕を掻くあの動作。ラプラスを襲った能力者と同じ――
「なんて奴だ」
 ナイフエッジの手から血が噴き出す。振動能力。あの時の能力者と違い、ラストワンは粉末が無くても攻撃できるらしい。
 そして、自身の体に突き立てたナイフを振動させたというのに、その体に新たな傷が刻まれることはなかった。振動の指向性まで持ち合わせているのか?
 いずれにせよ、パトリックはラストワンが、一筋縄ではいかない難敵であることをまざまざと見せつけられていた。


「さて、ここまでは順調だが」
 三度目の壁抜けにより、ずいぶん奥まで到達したように思える。バイナリィの目指す進路は、建物中央、そして、下だ。現在地は地下の二階層。全てのアクセスポイントからの演算を一手に引き受けるマザーコンピューターが、最下層にあるらしい。
「これは、どういうだ?」
 先へ進むべく廊下の角を曲がると、そこには予期していなかった光景が広がっていた。ひび割れた壁、破壊された床。なんらかの戦闘行為があったことは間違いないだろう。道の中ほどに倒れている、黒いジャージを着た人物。頭から血を逃しているところを見るに、恐らく既に息絶えた後だろう。
「リサーチャーズ。ラストワンの子飼いですね。我々より先にこの場所の到達し、そして始末された」
「つまり、ここには見張りがいる、ってことだな」
 廊下の曲がり角に戻り、そこから顔を覗かせる。戦闘によって破壊された廊下、脇道から出てくる人間に注意を――
「気を付けない、と……」
 ちょうど自分と同じように、角から様子をうかがう奴が一人。首から銃を下げていて、頭にはヘッドフォンのような特徴的な通信機を装備している。最悪なタイミングだ。見事に、目があった。
「まずい……」
 顔をひっこめた瞬間、鼻先を銃弾がかすめた。クソッ。敵は一人だけか? さっきの戦闘の規模を考えると、どうもそんな気はしてこない。
「敵か!」
「どこだ? どっちにいる?」
 廊下の奥から新たに上がる声が二つ。
「最悪のパターンですね」
「みたいだな」
 さて、どうする? 角に隠れている以上銃弾は当たらないだろう。奴らがここまで近づいてきた瞬間に、バイナリィの能力で『角を跳び越え』れば、なんとか奴らを抜けて奥まで移動できるかもしれない。
 逃げるとなると、背後からの攻撃を防ぐ盾が必要だ。サーベルを振って刃を作り、石鹸に変えて液状化する。そのまま壁に叩きつけてやれば、飛沫の飛び散る瞬間に能力を解除してやることで、蝋燭の傘を作ることができる。
「なあ。バイナリィ、一つ考えがあるんだ。角を曲がってこない限り、奴らは攻撃できないから――」
 頬をかすめる弾丸。まるで俺のミスをあざ笑うかのように、顔のすぐ左側のコンクリートに弾痕が一つ出来上がっていた。
「すまん、忘れてくれ」
 跳弾。偶然などではない。二度、三度と反射を繰り返し、的確にこちらを狙ってきている。角にいれば無事、などという理屈は、もはや何の説得力も持っていなかった。
「マジかよ」
 次いで放たれる弾丸を、蝋の傘で防御する。二発、三発。数を重ねるごとに、狙いは正確になって行く。
「このままではまずいですね。着弾頻度から計算するに、敵はこちらに近づいているようです」
「じゃあどうすんだよ!」
「こちらも近づくほかありません」
「マジか⁉」
 制止する間もなく、バイナリィは角から飛び出していった。後追う他に道はない。前方に傘をかざし、即座にバイナリィのカバーにはいる。
「なるほど……考えたな」
 銃撃はあくまで正面からのみ。問題は、傘の強度だけだ。それに関しても、新しく傘を作ってしまえば解決は可能。真正面から盾で銃撃を受けてしまえば、跳弾の心配をする必要もない――
 ――敵が普通の相手だったならば。
「ん? なんだ?」
 直進の最中、不意に弾丸の残す音に異常が混じり始める。傘にぶつかる音ではない。それに、音の数と銃撃を受ける回数に広がりが見え始めている。まさか
「嘘だろ⁉」
 跳弾。壁や天井を使った複雑怪奇な軌道により、敵はこちらの真後ろから銃弾を送り込んできていた。信じがたい技量。信じがたい演算能力。まさか跳弾の軌道を計算することが奴の能力だとでも言うのか?
「まずいぞ……」
 盾の生成は間に合わない。このままじゃ、後ろから来る銃弾に蜂の巣にされちまう。
「任せてください」
 しかし、この局面にあってもバイナリィは冷静だった。背中合わせの姿勢をとると、飛来する銃弾四発を、右の手の平で受け止めた。
「弾丸を離散化しました。そのまま動かないでください」
 まるで時間でも止められたかかのように、空中に留まる弾丸。一秒か二秒過ぎた瞬間、それは銃撃によりところどころ穴の空いた、蝋の傘の前に現れた。
「離散化により、『我々に当たるという過程』を跳び越えさせました。そして」
 能力解除。俺たちに飛来した時と変わらぬスピードで、弾丸が自らを撃ちだした主の元へ返っていく。
「ぐっ!」
 弾丸が命中したのは、例の特徴的な通信機をつけた能力者だ。即座に肩を抑えて、脇道の一つへ逃れていく。まずは、一人。進路をふさぐのはあと二人だ。
「このまま押し切るぞ!」
「ええ」
 接近に対して警戒したのか、跳弾を放つ能力者も後退を始める。目下立ちふさがるのは一人。白地に黒のラインが入った制服。アカデミーズの能力者。
 盾を左手に握り直し、右手のサーベルを振るって刃を作り出す。銃弾に耐え切れず、ついに崩壊する蝋の傘。だが、かまうものか。俺は右手のサーベルで、立ちふさがる能力者を切りつけにかかった。
「ふん!」
 対する敵の攻撃は、実にシンプル。右ストレート。まっすぐこちらに突き出された拳を、俺は最小限の首の動きだけで躱した。
「……も、もらったぁ!」
 接近戦の実力は、こちらの方が上らしい。このまま直接右のサーベルで……
「でっ⁉」
 なんだ? 一体、何が起こった? 足が地面から離れたのが分かる。足がかりを失ったことも、そして、まっすぐ後ろに吹き飛ばされたことも――
「くっ!」
 隣で同じように飛ばされたバイナリィと共に、背後にあった廊下の突き当たりまで叩きつけられる。目の前に広がる瓦礫の破片が放射状に広がっているのを見て初めて、俺は自分が風に吹き飛ばされたことを認識した。
「どういう能力だ?」
「風を起こす力のようですね。拳を突きだすことが発動条件になっているのではないでしょうか」
 じっくり検分したいところではあるが、のんきに喋っている暇はない。こちらが吹き飛ばされたことを受けて、後退していた二丁拳銃持ちの能力者が即座に射撃を再開した。とっさにさっきまでの廊下の角へと逆戻り。こちらを追ってくる跳弾を躱すために、俺は右のサーベルを傘に変えた。
「クソッ。このままじゃらちが明かないぞ」
 左のサーベルに蝋のカートリッジを詰め直す。残念ながら、こちらに飛び道具はない。このままじゃじり貧だ。
「こちらに近づいてきているようです」
 弾丸の打ち込まれる間隔で測っているのか、バイナリィが呟く。
「敵も焦っているんだろうな」
 あるいは、さっきの攻撃で確信したか。こちらに飛び道具が無いことがばれた可能性が高い。
「あいつ、体のあちこちに弾倉をつけてやがった。二丁拳銃のくせにリロードが早いのはそのためだ。このままじゃ、弾切れを狙う前に、盾が耐えられなくなるぞ」
「一端奥へ下がりましょう」
 何か手はないのか? 何か、足止めする方法は? このままあいつが追ってきたら――
「待てよ」
 追ってくる? 
「バイナリィ、一つ考えがあるんだ」
「何でしょう」
 先を進むバイナリィが振り返る。
「お前の能力で、斜めにこの壁を抜けることはできるか?」
「ええ。可能です。これ以上奥へ進まなければの話ですが」
「よし」
 一度来た廊下を戻り、サーベルを液化し、道の途中にぶちまける。これで準備は完了だ。
「敵は後どれくらいで角を曲がってくる?」
「あと、およそ五秒」
 十分だ。傘を、敵が出て来るであろう曲がり角の方向へ向ける。
「跳ぶぞ」
「わかりました」
 多くを語らずとも伝わったようだ。バイナリィの元へ戻り、壁へ向かって助走をつける。
「今だ!」
 跳躍した瞬間と、敵が角から姿を現したのはほぼ同時だった。
 視界が暗転し、あらゆる感覚が置き去りにされる。傘を支える右腕が、くぐもった衝撃に揺らされるのがぼんやりと感じられた。数秒間の沈黙。そして。
「よし」
 さっき吹き飛ばされた廊下が目の前に現れる。能力が解除され、地に足がつくのが分かった。
「どこ行った?」
 さっき俺たち二人がいた地点、廊下の曲がり角の先から二丁拳銃の能力者がうろたえる声が聞こえる。
「こっちだ! こいつらテレポートしてきたぞ」
 正面に立つ風使いが、状況を伝える。このままでは、挟み撃ちの形になるだろう。このままなら、の話だが。
「今だ」
 曲がり角の先から響く水音を聞き逃すことは無かった。能力解除。石鹸として液化した蝋が元の硬さを取り戻す。さっき廊下に撒いておいた石鹸が、相手の足に接触した状態で――
「何だ? 動けない!」
 これであいつは追って来れない。蝋の拘束はそう長持ちするものじゃないが、時間稼ぎには十分だ。後一人。正面にいるあいつを出し抜けば、バイナリィの能力で、一気に最深部まで移動することはできる。
「見事です。あなたが味方で良かった」
 バイナリィと共に、最後の風使いと相対する。
「ところで、あの敵を何とかする方法は考えていますか?」
「いや。悪いが出たとこ勝負だ」
 カートリッジを詰め替え、即座に刃を二振り作り出す。さて、どう攻略したものか
「では、私に任せてもらえませんか」
 答えも待たずにバイナリィは飛び出していった。風使いの方へ、まっすぐと。
「何するつもりだ?」
 勝算あってのことだろうが、バイナリィは近接戦闘が得意なわけではない。それに、あの能力。たとえ拳を躱すことができたとしても、風を起こされ吹き飛ばされるのは目に見えている。一体――。
 勝負は、すれ違いざまの一瞬、クロスカウンターで決着がついた。
「べぐっ!」
 無様に声を上げ、崩れ落ちたのはバイナリィの方だ。その顔面に相手の拳が思い切りたたきこまれるのが見えた。案の定の展開。風使いは
「えっ?」
 その場で静止していた。
「う、ううう……痛いですね。これは痛い」
 ゆっくりと身を起こすバイナリィ。さっき俺たちを吹き飛ばした風は、何故か襲って来ない。
「おい。どういうことだ?」
 そばに駆け寄り体を起こす。こんな無茶をやらかす奴だとは思わなかった。
「敵の能力の発動条件は、拳が伸びきることだった。だから、相手の拳が伸びきる前に、自分から当たりに行ったんです。そして、そのタイミングで動きを『離散化』した」
 言いながらも、バイナリィはそそくさと敵の正面から離れ、裏側に回った。
「行きますよ。そろそろ能力が切れる」
 背後で風が作り出されるのが分かる。敵はすぐに振り向き、俺たちを追いかけてくるだろう。
 俺は右手の剣を傘に変え、左の剣を液化してばら撒いた。次の目的地は下だ。攻めあぐねている敵を尻目にバイナリィはどんどん進んで行く。
 所定の位置に到達した瞬間、俺たちは跳んだ。離散化能力で、真下のフロアに移動するために。
「待て――」
 聴覚が消え、敵の声が途絶える。そして
「うわ」
 次に視界が開けた時に、俺は暗闇の中に放り出されていた。
「どうなってんだよ、これ」
 離散化しているため、これ以上落下することはない。だが、この高さは――
 下に見える床まで、ざっと五十メートルはあるように見える。
「どんな設計してやがる。この高さ、流石に能力者でもまともに飛び降りたら骨が折れるぞ」
「ええ。ですから――」
 離散化が解かれ、体がまっすぐに落下を始める。体が自由になると同時に、バイナリィは懐から何かを取り出した。
「スーパーボール? 何使うんだ?」
「こうするんですよ」
 カラフルな手のひらサイズの球体。いくつかあるそれを、バイナリィは真下に投げた。
 そして、再びの離散化。
「何だ?」
 消えていく感覚の中で、何かが自分を打ち付けるのが感じられる。先ほどのスーパーボールか? 地面に当たって跳ね返ったボールが、何度も繰り返し体を打っているらしい。
「痛ってえ!」
 感覚が戻ってくると同時に痛みが襲ってきた。
「まあ、こればっかりは仕方ありませんね」
「こうやって減速するのか?」
「離散化した状態でも運動量は保存されます。外部から力を受ければ、それだけ速度が変化するんです」
 つまり、下から跳ね返ってくるスーパーボールに何度も体を打たれる衝撃で、無理やり速度を落とすってことか。離散化している間は空中に静止しているから、止まった状態で何度もボールが当たることになる。
「ぐっ!」
 それでも、着地の衝撃は馬鹿にならない物だった。したたか床に叩きつけられて、体が悲鳴を上げる。バイナリィも慣れていないのか、うめき声をあげていた。
「これ、帰りはどうすんだよ」
「スーパーボールを離散化して空中に止め、階段に変えます」
「なるほど……」
 それができるなら、ボールで階段を作って降りるって手はなかったんだろうか。
「ここは、外部からのメンテナンス通路を通らなければ到達できません。敵もすぐには来ないはずです」
 目の前には目的のマザーコンピューターがあった。正直、ただの黒い直方体にしか見えないが。
「処理にかかる時間は、一分程度。時間は十分です」
「なんでもいい。早く始めてくれ」
 バイナリィがコンピュータへ向かう。眺めていると、その腕に備え付けられていた情報端末からウィンドウが展開するのが見えた。機器からコードを伸ばし、立方体の隙間に差し込んでいく。後ろから展開したウィンドウを覗いてみたが、黒の背景に、良くわからない緑の文字が羅列されているだけだった。
「では始めます」
 さっさと終わってくれるといいが。この部屋へ通じる唯一の入り口に時折目を向けながら、俺はハッキングの終了を待った。


「爆発は、ラストワンへの攻撃によるものだ。俺たちが行っても仕方がない」
 アサルトの判断は冷静だった。
「だが、それだけじゃないぞ。クラックからの報告によると、屋根と天井、二つの地点に敵がいる」
「早くいかないと」
「ああ。地下はストック達が向かった。俺たちは屋根の方だ」
 位置情報は既に把握しているのだろう。アサルトの足に迷いはない。施設外壁の通路に出ると、能力者の脚力を活かし、階段部分の手すりを蹴って上のフロアに登る。横方向への移動が無い分、普通に階段を登るよりもよほど早い。そうして屋根にたどり着くと、いかなる能力によるものか、大きな穴が空いているのが見えた。
 崩れたコンクリートから露出する中の鉄骨は、無惨にも断ち切られ、赤茶けた切断面を見せている。異様な崩れ方だ。何かで叩き割ったというような感じではない。コンクリ―トの大部分は、ほぼそのままの状態で真下に落下したように見える。まるで
「クッキーの生地をかたぬきでくり抜いたみたいだ」
「ああ。それに、この切断面。奴の仕業だな」
 赤茶けた鉄骨。正体は錆だ。まるでここだけ十年ほど野ざらしにされたかのように、断面は錆でボロボロになっている。
「奴?」
「ああ、言っただろう? リサーチャーズには金属を錆びさせる能力者がいる。鉄骨の一部を錆で脆くしてくり抜いたんだ」
「それじゃあ、銃は通じない?」
「いや、効果を発揮するまでに時間がかかる。飛んできた銃弾を即座にダメにすることはできない」
 そう言うと、アサルトは空いた穴に飛び降りた。
「追うぞ。ついてこい」
「了解」
 着地したフロアには、また別の地点に同じような穴が空けられていた。何も言わずに穴へ飛び込む。次のフロアでも同じように、穴へ。
「いたぞ!」
 そうして、二階層ほど潜ったその時、ようやく敵の姿を捉えることができた。黒いジャージ。黒い短髪。作った穴に飛び降りる際に見せた頭部の痙攣は、疑いようもなくリサーチャーズの能力者だ。
 発見と同時に放たれた弾丸は、しかし、落下する敵の頭部をかすめるにとどまった。当然、止まる理由はない。敵を追い、次のフロアへと空いた穴に向かって、僕ら二人は廊下を駆けた。そして、穴の縁へとたどり着く、あと一歩の地点。
「⁉」
 突然、足が何かに引っかかった。何かが突き出したわけではない。むしろ、その逆。
「しまった!」
 右のくるぶしから先が、床に飲み込まれてしまっている。
「あの野郎!」
 当然予想してしかるべきだった。敵の能力。金属を錆びさせる力。
「俺たちが来ることを読んで、あらかじめ穴の手前を脆くしておいたのか!」
 歯噛みするアサルトの手の中で、握られた銃が朽ちていく。十分な時間さえあれば、金属を壊すのはたやすい、と言うことなのだろう。
「うわっ!」
 なんとか出られないものかともがいてみたが、もう片方の足も床に埋まってしまった。体を起こそうにも、支えになる部分が無い。手で触れた端から床は崩れていき、その一方で、決して下までは落下しない程度に鉄骨が残っている。
「畜生!」
 アサルトが崩れていく銃の引き金を引くが、銃弾は明後日の方向へ跳んでいくばかりだ。この状況。恐らく真下にいると思しき敵に、弾丸を届かせるすべはない。
「クソッ。俺はストックと違って弾道を計算する能力が無い。このままじゃ奴を仕留めることは……」
 そこで、アサルトの言葉が止まる。どうしたんだろう。顔色が悪い。
「熱っ! なんだこりゃ⁉ めちゃくちゃ熱いぞ!」
 肉の焦げるような臭い。膝まで埋まったアサルトの足から、おぞましい香りが立ち上る。
「えっ!」
 熱による攻撃? 能力の特性上、僕は熱のダメージを受けることはない。キネシスの膜が守ってくれる。しかし、アサルトにその力はない。
「鉄は酸化すると発熱する。まさか、奴はここまで計算して?」
 単に銃を使えなくするだけじゃない。奴は僕らを殺すためにこの場に留まっている。僕ら二人を始末してから、ゆっくりデータを奪うつもりだ。
「くっ、これは結構まずい!」
 脂汗を流してアサルトが呻く。何とかしないと。
「おい。何考えてる? まさか床ごと吹っ飛ばすつもりか?」
 右手に作った火球を見てアサルトが声を荒げる。
「大丈夫。掴まれ」
 左手を差し出す。怪訝な表情をしていたが、他に打つ手はない。アサルトは従った。
「おい、何するつもりだ」
 穴に火球を投げ込めば、下のフロアにいる敵を攻撃することはできるだろう。けど、それでアサルトを攻撃に巻き込まない保証はない。だから
「この火球は、あくまで動くために使う」
 できるはずだ。火球を真下に向ける。能力を部分的に解除。火炎放射の応用だ。その反動を利用する。膜が開き、熱運動が解放。水素と酸素が結合し、体積の膨張が爆発を生み出す。
「うわぁあああ!」
 予想以上の勢いだ。さながら水圧ロケットのように、僕らは天井まで飛んだ。
 そのまま、無理やりに方向を変え、床に開かれた穴へと入る。床に叩きつけるように着地すると、敵が後ろに走り去っていくのが見えた。その先には、既に開けられてある新しい穴。
「おい待て、追うな」
 アサルトが引き留める。錆びついた銃は完全におしゃかになってしまったらしい。
「また、床にはまるぞ」
「もう大丈夫。空を飛ぶ感覚は掴めてきた」
「馬鹿いうな。さっさと火の球を投げて爆発させてしまえばいいだろうが」
「……それだと――」
 生死が確認できない? いや、そんな言葉でアサルトを説き伏せることはできない。彼と自分では根本的に考え方が違う。ならば
「あ、おい待て!」
 制止を振り切り、空中へ飛び出す。跳躍から着地する寸前に火球を解放。爆発の反作用を両手に受けて、ぽっかりと空いた穴に飛来する。
「あっ!」
 しまった。認識が甘かった。穴の上に到達して初めてわかる事実。
ワッフルのように床から切り落とされた鉄骨。錆びて風化したことでコンクリートが崩れ落ち、内部の鉄骨が露出している。敵の能力で部分的に崩され、剣山のように無数の針を上に向けた、おぞましいトラップ。
「罠だった――」
 方向転換? いや、間に合わない。エネルギーを失い急速にしぼんでいく火球。ただ落下していくことしかできない。死ぬ? ここで? 追いつめていたはずが、いつの間にか……
 死を悟ったその時、アドレナリンの作用で鈍化した時間の中、僕は、後ろから飛来する何かに気づいた。
「これは――」
 ピンの抜けた手榴弾。アサルトが投げつけたのだろう。この局面で、もっとも必要な支援。迷わず僕は、それを握った。
 爆発の力を能力で抑え込み、タイミングを合わせる。追加のロケット。針が体に触れる寸前、再点火した手の平の炎により、落下の軌跡を真横にずらす。左腕の側面を針がかすったが、それ以外は、無事に下の床に降りることができた。
 案の定、着地した途端床は崩れた。二重三重のトラップ。敵はかなり抜け目がない。だが、こちらのダメージはまだかすっただけだ。熱による攻撃は、僕に通じない。
 いや、かすった……? 何か嫌な予感がする。恐る恐る左のガントレットに目を落とす。
 最悪だ。見事な穴。零れ落ちた水が足元を濡らす。こちらを仕留めることに変わりないのだろう。剣山を挟んで反対側の地点に、敵が佇んでいるのが見えた。
「おい! 無事か!」
 上からアサルトの声が聞こえる。
「大丈夫。ありがとう」
 敵の能力の特性上、もう彼の力を借りることはできない。ここからは、一人で決着をつけないと。追って来ないと判断したのか、敵は背を向けて歩き出した。そう。敵の目的はあくまでもデータ。僕らを殺すことじゃない。しかし、あの歩き方。何かある。
「そうだ」
 ロケットの力で、床から抜け出す。それは確定だ。だが、やみくもに突っ込んでも、また同じ轍を踏むだけ。着地した瞬間、床が抜けて、さっきの二の舞にならないとも限らない。だから
「くらえ!」
 僕は壊れたガントレットを外し、思い切り敵に投げつけた。
 当然、敵は避けようとする。得体のしれない物体。そして僕は、爆発の力を持っている。その行動は、ごく自然なものだ。だが、その歩みは想像していた物より遅い。走ってはいるが、どこか道を選ぶような歩き方。予想通りだ。僕は『能力を解除』した。
 ガントレットが空中で弾け、中の水が辺りにばら撒かれる。あらかじめガントレットに残った水を爆弾に変えておいた。その破壊は決して規模の大きいものではないが、ガントレットを破壊するに十分な威力。そして、あたりに水を撒くことにも成功した。当然、敵の進んでいる先にも。
「よし!」
 右の手の平に火球を作り、ロケットにして床から抜ける。片手での制御は難しいが、目標はすでに見えている。
「なんだと⁉」
 敵が初めて人間らしい言葉を発した。飛び出したことに驚いたわけではない。それは端から織り込み済みだ。当然既に、敵は走り始めている。彼が驚いたのは、そんなことじゃない。
「何故だ? 何故、正しいルートが分かる?」
 正しいルート。思った通りだ。論理的に考えを積み立てること。さっきの攻撃で、敵があらかじめ罠を張っていることは予想できた。留まっていたのはわざと。追って来させるように仕向け、脆くなった床を踏み抜いたり、床そのものを剣山にしたり、こちらが罠を踏むように誘導するのが敵の狙い出たのだろう。
 けど、その能力は、即効性のあるものじゃない。
「く、来るな!」
 敵は走って逃げるが、相変らずその足取りはぎこちない。それもそのはず。こいつは僕が追ってくる前に、廊下のあちこちを部分的に錆びさせている。間違った部分を踏めば、自分自身が罠にかかる。道を選んでいる以上、まともに逃げられるはずがない。
 右の手の平に火球を作る。迷いはない。行くべき道は示されている。
「ま、まさかさっきの……さっきの水が!」
 はっとした様子でこちらを振り返る。ようやく気づいたようだ。さっきガントレットを壊したのは、攻撃の為じゃない。水をばら撒くためだ。廊下一帯を濡らした水は
「足跡を浮かび上がらせる」
 敵の歩いた後を歩けば、決して罠にはかからない。そして、敵はわざわざこちらの接近を待っている、能力の射程はさほど長くないことは明白。もうじき、トラップゾーンが終わる。
「今だ!」
 右の手の平のロケットを点火。爆発の勢いを乗せた体当たりは、敵能力者の意識を奪った。


「うわぁあ!」
 ふいに扉が開き、解析にいそしんでいた部下のハッカーが跳びあがった。当然の反応だ。監視カメラの配線が切れたと思ったら。
「戦いは遠くでと思っていたが」
 現れたのはラストワン。ナイフや弾痕、そして火傷と、満身創痍のありさまだ。だが、彼は立っていた。傷は全て能力でふさがって行く。このままでは危険だ。パトリックは即座に通信機に手を伸ばした。
「ジャックナイフさん。敵がここまで」
「心配するな」
 返答は肉声で返ってきた。ラストワンの背後から、ゆらりとジャックナイフが姿を現す。
「ぐっ」
 軽く背中を押されただけで、ラストワンは地に伏した。それだけの体力が残っていないのか、立ち上がろうとするそぶりすら見せない。
「人間は血液の三十パーセント失うと失血死する。それは能力者であっても変わらない。身体改造の差にもよるが、能力を行使するために血流で糖分を運ぶ必要があるこいつにとって、血を失うことがもっとも致命的なダメージになりうる。傷を塞ぐことはできても失った血を取り戻すことはできなかったわけだ」
 倒れたラストワンは、もはや何の力も使えないのか、近づいてくるジャックナイフに対して抵抗らしい抵抗を見せない。
「とはいえ、こっちも無傷じゃない。ボマー――仲間が一人やられた」
 表情は変わらないが、声音から決して平常心ではないことが分かる。自身の背後に待機していた部下に、ジャックナイフは指示を出した。
「頭部は無事だ。戦闘データの回収。いつも通りやれ」
「了解」
 彼の背後に待機していた部下、ナイフエッジは、押し殺した声で告げると、扉の陰に消えていった。
「あれがあいつの墓標だ。いつも通り、な」
 全てが終わったのか、その声には感傷がにじんでいる。なかなか言い出しにくい空気であったが、パトリックは気になっていたことを口にした。
「あの、ジャックナイフさん?」
「なんだ?」
「何故、止めを刺さないのですか?」
 そう、まだラストワンには息がある。何か仕掛けてくる様子はないが、このまま放置しておくのは危険ではないだろうか。
「刺さないんじゃない、刺せないんだ」
「どういうことですか?」
 ジャックナイフは忌々しげに倒れた敵を睨みつけた。
「今ここでこいつを殺すと、こいつのデータを引き継いだクローンが現れる」
「クローン?」
「ラストワンは無数にいるんだ。自己複製で自分と全く同じ存在をストックしている。こいつが死ぬと、新しいラストワンが現れるというわけだ」
「しかし……では何故、この敵は一人で現れたんですか? 大勢でかかれば我々からデータを奪うことなどたやすいでは?」
「我が強すぎるからだ。二人以上同時に現れた場合、ラストワンはお互いに殺し合う。地上に残る最後の一人になることが目的なんだ。二人は不要。そういう考えだ」
 そう言うと、ジャックナイフは通信機を口元に当てた、部下の一人を呼び出しているらしい。
「クラックを呼んだ。こいつのどこかにある通信機を使って、クローンがいる場所を逆探知する。活動する前のクローンなら、殲滅することは簡単だ」
 既に何度も煮え湯を飲まされているのだろう。ジャックナイフは相手の手の内をことごとく知り尽くしていた。
「あれ?」
 作業に戻っていたハッカーが声を上げる。
「どうした?」
「わかりません。急に画面がブラックアウトして――」
 かたんという金属音。何か軽くて小さいものが、アクセスポイントのコンピューターから外れたようだ。まさか――
「こいつ!」
 外れた部品はラストワンの手元へ飛んでいく。メモリだ。解読したデータをかきだしていたメモリが、物理的に奪われた。
「まずい!」
 ジャックナイフが手を伸ばすが、一歩遅かった。ラストワンの腕に備え付けられた端末へと、もがれたメモリが吸い込まれていく。軌跡には、赤茶けた粉末。物体を錆びさせる能力でコンピューターから切り離したらしい。
「この野郎!」
 端末のウィンドウが展開し、メモリの情報を視覚的に書きだしていく。ジャックナイフが組み伏せにかかるが、ラストワンの目はウィンドウから引き離せない。データの解析結果、IMAGNASの致命的弱点が、ついに、敵の元へさらされる――
「あん?」
 しかし、同時にウィンドウを覗いていたジャックナイフは、怪訝な表情を返してきた。
 無表情なラストワンだが、大きく見開かれた目は明らかに驚愕を表している。驚愕と、失望を。
「どうなってんだこれは」
 力なく降ろされた腕が、ウィンドウの情報明らかにする。
「えっ?」
 そこにはブラックスクリーンの他に、何も映っていなかった。


「終わりました」
「あ、ああ」
 確かに、バイナリィの言う通り、作業は一分程度で終わった。それ自体に問題はない。だが、あの最後に映った一文、恐らく向こうで解析された内部データの一部だろう。あの文言は一体……?
「どうしました? 早く退散しましょう」
「ああ。それは分かってる。だが」
「何ですか?」
「最後に出た文章、あれが信じられなくてな」
「見たんですか?」
「一瞬で通り過ぎたから、全部読めたわけじゃないが――」
「見たんですね」
「IMAGNASは存在しない。そう書いてあった」
 肩をすくめるようなしぐさ。そこにどんな意図があるのか、俺に読み解くことはできなかった。
「まずはここから出ることが先です。あと五十秒もしないうちに敵が来ます。急いで離れなくては」
「ああ」
「IMAGNASについては約束通り、仕事が終わったら説明します」
 言って、空中に向かってバイナリィはスーパーボールを投げた。落下する途中で再び触れると、ぴたっと空中で静止する。その静止したボールに、バイナリィは飛び乗った。
「行きますよ」
 ご丁寧に、俺の分も用意してある。見よう見まねで飛び乗り、タイミングを合わせて同時にジャンプ。瞬間、能力が解除されたボールが、踏みつけた力と重力により、真下に叩きつけられ跳ね返る。そうして跳ね返るボールを再び静止させることで、次々に上への足掛かりができる。全て計算しているのか? 天才数学者プレディクトの子飼いというだけあって、ボールの軌道に狂いはなかった。
 天井を抜け、壁を抜け、施設から出て森に逃げる。追っ手の人数やルートを計算した逃走経路だ。帰りは誰にも見つかることはなかった。
「終わりましたね」
 ここまでくればもう安心だろう。辺りを木々に覆われた森で、バイナリィは足を止めた。
「少し、休みましょう。あなたも、真相を知りたがっているでしょうから」
「ああ。『IMAGNASは存在しない』これ、どういう意味だ?」
「それは、そのままの意味なんです」
 バイナリィは語り始めた。
「IMAGNASと言う兵器について、知っていることは? 安価で、絶大な破壊力を秘めており、ID、人種、性別で効果対象を切り替えることができる。シェルターに隠れても無意味で、効果範囲は町ひとつから大陸ひとつ……。まったく、絵空事にも程があると思いませんか?」
「だが、事実だ。実際IMAGNASはあらゆる国家や大規模犯罪組織、テロリストが保持している」
「いいえ。そんなもの、彼らは持っていませんよ。持っていると思っているだけです」
 なんだと?
「終末時計の針が進むのを感じ、我らが主、プレディクトは一つの発明を成し遂げました。もうけして人類が互いに殺し合うことのないように、非生産的な争いが消えるように。その発明がIMAGNASです」
「世界平和のための発明が、兵器だっていうのか?」
「人が争いを起こすのは、戦闘によって得られるメリットが、戦闘によって失われるリスクやデメリットを上回るからこそ。絶対に越えられないリスク、デメリットを付加してやれば、人や国家が争うことはありません」
「抑止力ってわけか。世界中どこを攻撃しても、別の誰かから攻撃される」
「ええ。全員の認識として、究極兵器IMAGNASがあれば、決して争いは起こりません。IMAGNASに性能差はない。つまり、兵器開発の競争すら起こらないのです」
「なるほど。開発の理念は分かった。だが結
局IMAGNASとはなんだ? 存在しないとしたら、俺たちの知っているあれは何なんだ?」
「IMAGNASが過去に使われた記録、ありますか?」
 バイナリィの返答は、予想だにしない物だった。
「えっ?」
「記録です。IMAGNASが使われたという記録」
「いや、えっと……」
 ない。恐ろしい威力を持った兵器だということは知っているのに、その威力を指し示すデータは、思い出す限り全く見つからない。
「ありませんよね」
「あ、ああ」
 なんだ? これはどういうことだ?
「これが、答えです。IMAGNASの正体。一度も使われたことが無いのに、その性能は地球全土の人間の頭に『植え付けられている』」
 まさか、そういうことか?
「そう。IMAGNASの正体は、催眠兵器なのです」
「催眠、兵器……」
 記憶の祖語、説明不可の違和感。その一言で、全て合点がいく。
「我らが主プレディクトは、打ち上げられる衛星に、一つの装置を組み込みました。不可視の波長、目で捉えることはできても、脳が映像として処理できないサブリミナル的な波長をもつオーロラを発生させ、人の心を操る装置です」
「その装置でIMAGNASを作ったのか。俺たちの心の中に」
 知らず知らずのうちに、頭の中を作り変えられているという事実。冷静に考えると、恐ろしいことに他ならない。
「ええ」
「世界平和が目的なら、全員同じ思想に染めてしまえばよかったんじゃないのか? 心を操れるんだろう?」
「それでは、針の進みを止めることはできません。全員が同じ思想にかたまってしまうと、過度の生産に歯止めが効かなくなる恐れがあります。それゆえ、争いを消すための抑止力を我らが主は作り出したのです。実際に使われることのない、頭の中だけの幻想として」
 バイナリィは続ける。
「その結果、副産物として、超能力が生まれました。繰り返し、絶えず暗示にかけられた脳は、思い込みを固定しやすくなった。世界を歪めてしまうほどに。自分が見たものが世界を作る。思い込みの力が激しくなることで、そういうメカニズムが明らかになったのです」
「それならIMAGNASも同じじゃないのか? 世界中の人間がIMAGNASの存在を強く『思い込んでいる』なら、IMAGNASが存在するようになるんじゃないのか?」
 しかし、バイナリィは首を横に振った。
「いいえ。我らが主はそこまで予測していました。予測(プレディクト)、その名の通りに。IMAGNASは世界の誰もが存在していると思い込んでいる一方で、誰もがその存在を信じていないのです」
「何?」
「そういう暗示です。論理では完璧に騙せる。IMAGNASを使わないのは、絶対に報復されるから。そういう風に思考するよう、催眠プログラムは組まれています。しかし実際は――あんなものが存在しないと、心の底ではわかっているのです。決して、気づくことはありませんが」
 まさか、ここまでとんでもない頭の持ち主だったとは。そんな頭脳の持ち主が、何故捕まるようなへまをしたのかはわからないが。
「まあ結局、主の目的はそれだけにとどまらなかった。生産や発展をコントロールしようとして犯罪者に身をやつし、あの有様です」
「助けに行かなくていいのか? プレディクトが拷問でもされてこの秘密を吐いたら今日やったことすべてが無駄になる」
「大丈夫です。催眠兵器の対象は、地球全土の人類すべて。我らが主も例外ではありません。そのために、このデータがあるのですから。IMAGNASが存在していないことを、主自身が忘れないために」
 さらに、バイナリィは続けた。
「それに、仮にこの秘密を話したとしても、そう簡単には崩れません。催眠兵器の役割を果たす衛星は百を越えます。全て機能停止させない限り、世界の平和は崩れません」
「百? 一体どんな方法を使ったんだ?」
「簡単ですよ。『衛星を打ち上げるときは、催眠装置をつけること』という内容の催眠オーロラを作ってしまっただけです」
「じゃあ、なんで、今回はわざわざデータを取り戻したんだ?」
「この盤石な守りを崩せる敵が二人いるからです。彼らにデータが渡ることだけは、どうしても避ける必要がありました」
「二人? 一体誰だ?」
「ラストワン。そしてΣH2」
 ラストワン――超能力に特化した犯罪者だ。そして、ΣH2は、最新鋭のAIによるロボヒーロー。
「ラストワンは、絶対にこの情報を知りたがると思っていました。そして、彼ならこれを無効化することすらやってのける可能性がある。暗示を無効化する能力を作ることで」
 暗示を無効化。よく考えるとこれはおかしな話しだ。超能力は全て暗示の元に成り立っている。それを否定するということは、暗示を無効化する能力そのものも否定することに他ならない。パラドックス。決して成り立たない仮定。それでもラストワンの執念を考えれば、ありえない話ではなさそうなのが恐ろしい。
「そして、ΣH2。ロボットである彼に暗示は効きません。あのAIがこの真実にどんな判断を下すか。想像することはできませんが、不確定な不安要素を見逃す理由にはなりません」
「なるほど。全部納得した」
 俺たちなら、話してもさほど害は与えられない。何より、情報そのものが突拍子もない上に、いずれ催眠で上書きされる。
「一応、戻ったらレジスターさんにも今の説明を繰り返させていただきます」
「ああ。頼む」
 この答えで彼女は納得するだろうか。いや、構うものか。もとより働いたのは自分。彼女は何もしていない。自分の中にある悪感情をぼんやりと自覚しながら、俺はバイナリィとともにアジトに戻った。


「やあ。急な仕事、大変だったね」
「エースさん!」
 ビデオレターの列は、自分で最後。でもまさか、このタイミングでエースさんに会うなんて。
「戦闘データは?」
「提出しました」
「それは良かった」
 まぶしい笑顔だ。彼の掲げる正義と同じく、そこにはどこにも陰りが無い。
「あ、ひょっとして、緊張しているのかな。君はビデオレター初めてだったろう?」
「え、えっと、はい」
 まただ。気の利いた一言も言えない自分が嫌になる。
「初めてだし緊張するのは当たり前だ。そう取り繕うこともないよ。僕だってそうだった」
「えっ?」
「両親への手紙だよ。特に父親に送る時が一番緊張したな。とても厳しい人だったから」
 そうだ。今更気づくなんて、間抜けとしか言いようがない。彼も、ヘリングエースも僕らと同じように、両親がいて、頑張って力を積んで、ヒーローになったんだ。
「ノブレスオブリージュ。恵まれた者はそれ相応の振る舞いをしなければならない。僕達みたいに力のある人は、無力な人達の代わりに正義を成し遂げなきゃいけないんだ。父は身を持ってそれを教えてくれた」
 過去を懐かしむ彼の顔は、ちょっとだけ、僕らに近いような気がした。
「自分の話ばっかりして悪かったね」
「いえ、そんなこと……」
「でも、両親に送るメッセージってのはとても大事なものだ。もう誰かにいわれかもしれないけど、悩むのは悪いことじゃないよ」
 遠く離れて暮らしている両親。いつか僕も、二人を守れる存在になる。
「次、フレイムスロアー」
 名前が呼ばれた。
「それじゃあ、これからもがんばってね」
 去っていくヘリングエースに礼をしてから、僕はビデオレターを取るために部屋に入った。


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