ある最期 ―― garand †
鼓膜に叩きつけられるような爆音で目を覚ました。どうやら少し離れた場所に砲撃が有ったようだ。重い目蓋を押し上げ、慎重に頭を上げながら急いで辺りを見渡す。近くで土煙が上がっていた。俺は再び塹壕に身体を沈める。いつ眠ってしまったのか記憶に無い。任務遂行中の睡眠など言語道断、軍法会議は避けられぬので、眠らぬよう気を張っていたのだが、身体に溜まった極度の疲労はそれを許してはくれなかったらしく暫くの間眠っていたらしい。幸運にも伍長は、シャツの裏に住み着き全身を這いずり回る虱どもを蝋燭で炙り殺すのに夢中だったようで、俺の軍規違反には気付かなかったようだ。あの忌まわしい虱どものお陰で俺は処刑を免れたらしい。
今までは、いくら眠くとも極度の緊張と軍規の為に、実際に眠るなどということは無かったのだが、2週前から数日前まで続いた敵軍の大攻勢の被害により我が方が人員不足に陥った為、宿泊所にもほとんど戻れず、後方勤務が取り消され前進壕に回される事も珍しくなくなっていた。
その後、日が落ちるまで砲撃は続いた。日が落ちてからが一番危険なのだが、その夜は何事も無く終わった。次の日、ようやく予備壕勤務に就く事となった。8日間の前進壕生活もやっと終わり、少しは休める生活に戻る。予備壕に移動し、少し緊張が和らぐと、町に残っている妻と娘の姿が脳裏に浮かんできた。まだ町に被害は出ていないだろうか。元気にしているだろうか。そんな事を考えているうちに、だんだんと眠りに落ちていった。
静かな銀杏並木を、女性と子供が手をつないで歩いている。女性の方は20才を少し過ぎた位で子供の母親、子供の方は学校に通うには少し幼い位の女の子だった。綺麗な黄色に染まった銀杏の葉はもう殆ど落ちてしまい、地面を黄色で覆っていた。女の子はきれいな色の銀杏の葉を見つけたので、母親の手を離し拾いにゆき、また母親と手をつないだ。風も無く、静かな夕暮れだった。
予備壕でのぶくぶくと太ったネズミども(なんせ、“餌”達は毎日のように地面に転がっているわけだから)との4日間は相変わらずの生活で、小銃の手入れかモグラの様に穴を掘っている他は、いかにしてシャツの裏の友人たちと和平条約を結ぶかを考えているか、さもなければ、この暗く湿った場所で、足を腐らせて切らずにするにはどうすればいいかを試行錯誤しているかのどちらかだった。
4日後、再び俺は前進壕へと向かったが(俺にとっては不幸な事だが)この4日間は特に大きな突撃や偵察がなかったらしい。これからの8日間はネズミの“餌”があまり出ないことを祈りつつ、3日もあれば塹壕足になれそうな持ち場に着いた。
1週前までは大進撃を続けていた敵軍が動きを止めていた。これは近い内に再び大侵攻作戦を立てているのではなかろうかと心配していたのだが、悪い予感は当たるもので、3日目の深夜、物音に気付き耳を澄ますと、すぐ近くまで敵部隊が迫っているようだった。すぐに機銃手を叩き起こし、機銃を用意させ撃たせる。こちらが気付いたため敵も進撃速度を上げたようで、段々と匍匐前進の音が近付いてくる。少しづつ近付く敵に恐怖を覚えながら、俺はそいつらが居ると思われる辺りに鉛弾をばら撒いた。しばらくすると防衛線は突破され暗闇の白兵戦となる。元々敗退気味だった我が軍は1週間まで続いた敵軍の大攻勢により壊滅的な被害を受け、壕への兵の配置がまばらになっていたので味方からの援護はほとんど期待できないだろう。だが敵は撃っても撃っても後続が来る。それを繰り返していると、見方の機銃がジャムを起こしたらしく、機関銃の音が止んだ。堰が崩れたように敵がなだれ込んでくる。機銃手は真っ先に全身を穴だらけにされて地面に倒れた。
俺も腹に弾を食らった。痛みを感じる暇もなく第2撃を食らう。倒れこんだ俺を、敵は何度も刺した。刺されて程なく意識が薄れてきた。俺はそのまま永久に起き上がることが出来なくなった。
俺達の居た場所だけではなく、敵軍は広正面に部隊展開を広げ、大規模な浸透戦術で、既に弱体化していた我が軍に致死傷を与えた。我が軍はこの後撤退し、国の防備に勤めるが、既にこの戦いの大きな流れを変えることなど到底出来るはずも無かった。
急に吹いた強い風によって、少しだけ残っていた銀杏の葉も殆どが落ちてしまった。風は突然吹いたので、女の子は手に持っていた銀杏の葉を風にさらわれてしまった。急に気温が下がってきたようなので母親は羽織っていたカーディガンを脱ぐと、子供に着せた。しばらく歩くと駅が見え、そこから歩いてくる男を見ると、女の子はその男のところに走っていった。
「パパ!」
「お迎えありがとう。わざわざ歩いて迎えにきてくれたんだな。」
女の子の父親である男は女の子を抱きかかえながら妻に言った。
「何故か今日は急に冷え込むな。1週間ほど前から暖かくなってたのにまた寒くなってきた。」
「もう冬の雰囲気になってるわね。秋の気配なんか消えちゃって。」
「どうして寒い冬なんかが来るの?お山もきれいになる秋がどうして終わるの?」女の子が両親に尋ねた。
父親は少し考えた後に答えた。
「…えーと、1年中ずっと自然の中に秋や春の精霊さんが居たら冬や夏の精霊さんたちが怒っちゃうだろ。だから秋の精霊さんもしばらくしたら仲良く冬の精霊さんに代わってあげるんだよ。」
父親は、説明しても娘は解からないだろうと思い、空想話をして納得させた。
「ふーん。」
父親は妻に言った。
「今日突然寒くなったな。早く家に帰って暖まろう。」
「今日の晩御飯はシチューにしたの。寒くなってきたから暖まれてちょうど良かったわね。」
3人の親子は葉が散ってしまい寂しくなった銀杏並木を歩き出し、駅から遠ざかっていった。辺りには冬の気配が満ちてきていた。少し前まで秋がそこに存在していたことなどすぐに分からなくなってしまいそうだった。