KIT Literature Club Official Website

京都工芸繊維大学 文藝部

Top / 活動 / 霧雨 / vol.1.2 / 首都高の女神
Last-modified: 2007-06-21 (木) 18:10:22 (6393d)
| | | |

首都高の女神 ――登美丘 隆志


日産シルビア(SILVIA)・・・「女神」に由来する名を与えられた日産自動車最後のライウェイトスポーツカーである。最終モデルであるS15型が排ガス規制により惜しまれつつも平成14年夏に生産中止。

少し前の話になるが、真夜中の首都高を走るクルマの噂が首都高関連のホームページを賑わしていた。とてつもなく速い白のS15型シルビアspecRで、しかも女性ドライバーらしいということが話題を呼んでいたのだ。彼女を見かけた走り屋が追いかけてもすぐ見失うほど速いため、ほとんど伝説に近い存在になっていた。一度首都高を走ってみたかったので、彼女を一度でも見たいという気持ちがきっかけになり、首都高を走ろうと決心がついた。まだ見ぬ彼女に恋をしていたのだ。大学が夏休みに入ったある日、僕の住む群馬を出発。東京に向かった。

 とりあえず夜通し首都高を走ってみようと思った。首都高にはサーキットや、峠、普通の高速道路にはない特別な魅力があるという事をクルマ友達から聞いていたので、それを自分自身で走ってみて確かめたかった。そして伝説の彼女に会いたかった。その為だけに、峠ではそこそこ早いスプリンタートレノ(AE111)から長距離高速移動に適した直列6気筒のスカイラインGTsターボ(ECR33)に乗り換えたのだ。
 発進時はボディが重い為か、ゆるやかでおとなしい性格であるが、アクセルを踏み込むとまさしく暴力的な加速性能を発揮する。
 そのクルマで夕方に東京に到着すると、まず銭湯に行き、食事を取り、仮眠して首都高走行に備えた。起きたのは夜の11時、首都高に向かった。
 料金所を通過して、一気に加速、環状線左周りに合流した。そこにはもう「一般車」は
ほどんとおらず、明らかに走りを意識したクルマばかりだった。シビック、インテグラ等の前輪駆動車の姿は見えず、RX-7、スカイライン、スープラ等の後輪駆動車が目立っていた。環状線でバトルするクルマや、湾岸線で最高速トライアルをするクルマも何台か発見できた。しかし私はそのどちらにも興味はなかった。
環状線を一周して気づいた事は、高速道路にしては、カーブ、アップダウンがきつく、
地下や地上を出たり入ったりを繰り返す特徴がある事だ。しかも走っていると周りの無機質な壁やビル群が首都高を走るクルマに迫るような感覚になる。
 二周目、三周目でコースを覚え、四周目以降で走ることそのものに集中できた。
その後、首都高新環状線左回りに入り、レインボーブリッジが姿を現す。柱の光が美しく輝いていた。それは単なる「道路」の領域をはるかに越えており、ブリッジを通過することそれ自体が芸術性をもち、さらにはなんらかの儀式を意味するかのようである。ここで 私は完全に首都高の虜になってしまった。眠さを忘れるほど興奮してしまい、「もっと走れ」と誘惑する。しかしその気持ちを抑えて、エンジンと自分自身の体を休憩させるためにパーキングエリアで休むことにした。パーキングエリアはまさにピット状態でサーキット仕様のクルマだけでなく、整備専用車両も何台か発見できた。
 トイレを済ませて、洗面所で歯を磨いた後、少し仮眠することにした。でも目を閉じても眠れない。あのレインボーブリッジの輝きが忘れられない。今走れば伝説のシルビアに会えるかもしれない。これは一種の恋の感覚に近いものがある、いやこれが恋そのものなのかもしれない。もう一度だけ走ろう、そう思った。エンジンをスタートして少し暖気運転。アクセルを吹かしエンジンが快調であることを体で感じ取り、ミッションを一速へいれる。ゆっくりと確実に僕のスカイラインは動き出し、パーキングエリアを出た。最初の左カーブを抜けて、初めてアクセルを全快にした。その時メーターは140km/hを越えていた。アクセルを少し緩め、そしてハンドリングにすべてを集中した。
 一瞬のミスも死につながる緊張感が張り詰める中で、サイドミラーに映る非現実な景色。
 ナトリウムランプが流星群のように映る恍惚空間。ただ走るだけで芸術家になれる気がした。眠らないネオンの都会の中で、スピードをあげて街のノイズを遠ざける。ただ聞こえるのはエンジンのうねりとマフラーの咆哮。
 
 そして環状線から湾岸線へ入りしばらくするとレインボーブリッジが見えてきた。
その時、ルームミラーに一筋の閃光が走った。サイドミラーで確認しようと右を向こうとした時はすでに抜かされてしまったが、あれは間違いなく白のシルビアだ。大変な速度で走っていた。少なく見積もっても200km/hは出ている。この目ではっきり見てやるぞ。瞬きしている時間はない、自分のできる最高の走りをした時、彼女となんらかの出会いがあると信じた。5速から4速に落とし、一気にアクセルを踏み込んだ。ターボが過給する音と共に体がシートに叩きつけられる。レッドゾーンまで回転を引っ張った時は既にスピードメーターを振り切ってしまった。それでも彼女との差は開いていくばかり。完全に彼女を見失ってしまった。「だめだ、速すぎる。異常な速さだ・・・。」一瞬の彼女との出会いに我を忘れてしまった。でも彼女の後ろ姿を見れたので一応目的は達成したのだ。噂が本当だったことを確認でき、どことなく満足感が溢れた。
レインボーブリッジを抜けると現実世界に引き戻された。そして湾岸線から新環状線を経て、パーキングエリアに戻った。首都高の走り屋達もほとんど引き揚げて静かだった。車を停めると急に睡魔が襲ってきた。
 
そして朝が来た。目を覚ますと辺りはトラックと商用車ばかり。深夜とはまったく別世界だ。これが首都高の朝、大都会の風景なのだ。空気も自動車の排気ガスで汚く、濁っているように思えた。僕自身の中には、どことなく祭りの後のような空しさが残っていた。
 昨晩の夜のことは睡眠不足のためか、はっきりとは覚えていないが、もう一度走りたい、そしてもう一度彼女に会いたい、という気持ちだけは強く残っていた。
  目覚めに缶コーヒーでも飲もうか、と思い自動販売機に向かった。すると一人の女性がいた。その彼女が財布からお金を取り出そうとした時に、クルマのキーを落とした。私が拾ってあげて見てみるとそれには「シルビア」の刻印があった。「どうぞ、これシルビアのキーですね」「はい。ありがとうございます。」物静かそうな女性は言った。「ひょっとして昨日、私のスカイラインを抜かしませんでしたか?白のS15で。」まさかとは思ったが尋ねてみた。「え?」彼女の表情が突然変わった。そして彼女は言った。「たまに走っていますよ。レインボーブリッジを走るのが好きなんです。何か別の世界にいる気分になるんです。」僕は彼女に完全に一目惚れしていた。「クルマを見せて頂けませんか?」と尋ねると彼女は頷き、屋根付のトラックが止まっている所に案内してくれた。なんとトラックのリアに昨日見た白いS15シルビアが隠すように積載されていた。明らかにサーキット仕様のチューニングが施されていた。「このクルマは病気で亡くなった恋人のクルマなんです。生きていた頃は、よくこのクルマで首都高を一緒に走っていました。このクルマで走っているとその彼にもう一度会える気がしてならないの。」彼女は少し悲しそうに言った。
 「でもネットで話題になってますよ。このクルマ。」「ええ、でも今日会って話したことは秘密にしておいてくださいね。そろそろ仕事の時間なので行きます。」と言い、彼女はトラックの運転席に乗り込んだ。「勿論秘密にしておきます。またいつか会えますか。」と尋ねると「ええ。走った後はこの時間に、この場所にいると思います。さよなら。」と言い残して、彼女は行ってしまった。
その日の昼前に帰宅した時こう思った。「また走りにいこう。そして次会えたなら自分の気持ちを告白してみよう。」と。
 
 その日から約一ヵ月後、新聞で彼女の死亡記事を見た。首都高湾岸線で全損事故、即死だったらしい。もしあの時、彼女に恋する気持ちを告白していたなら、そして走ることをやめるように説得できたなら、彼女は死ななかったかもしれない。でも会ったその日に自分の気持ちを打ち明ける勇気なんて僕にはなかったのだ。

 アクセルを踏む時にも、ブレーキを踏む時にもベストのタイミングがある。
 恋する気持ちを打ち明ける時のタイミングを僕は逃してしまったのかもしれない。 

 東京の会社に就職した僕は今夜も首都高に走りに行く。
 もう会えるはずのない首都高のシルビア(女神)に再び出会えることを信じて。

(了)



この作品を評価を評価する

点数: 点 ◆よろしければコメントもお願いします