no Carnival ―― 哉 †
侍女というよりは、秘書というほうがしっくりくるアリスが、いつものようにファイルを小脇にはさみ、六つの数字の描かれたサイコロを差し出してくる。それを受け取ったジラルディーノ伯爵は、まるで祈りを捧げるようにサイコロを両手で握り締めた。
「さっさと振ってください」
黒いスーツに身を固めたアリスが、眼鏡を正しながら主人に向かって、ややぞんざいな口調で言った。
しかし当のジラルディーノ伯爵は、彼女のことなど眼中にないように、一つのことを繰り返し呟いている。
「霜降りは飽きた、霜降りは飽きた、霜降りは飽きた」
「いい加減にしてください。元はといえば、伯爵の提案なんですよ。夕食はサイコロで決めるって」
「だってそれは、君が美味しいものばかり食べていたら、いつか嫌気が差して幸せが遠のいていきますと、言ったからではないか」
「不満なんですか、霜降り。高級ですよ」
「高級だからってうまいとは限らないだろう。それに、我輩はもっと淡白な方が好みなのだよ」
堰を切ってなだれてくる伯爵の愚痴を、なあなあに受け止めるアリス。
「もう、文句を言ったって何も始まらないんですから、さっさとサイコロを振ってください。そうしないと、食事を用意しませんよ」
わかっているとも、と半ば納得しきれないまま、ジラルディーノ伯爵は立方体を空中に放り投げる。
六面ダイスは、そのまま重力に引き寄せられて、石畳の上を転がり、そして止まる。
出た目は、六だった。
それを確認したアリスが、ファイルを手に取りページをめくる。
「はい、今日の食事はアメリカ人の二十三歳。今日は取れたてですよ、地元の三流大学を卒業した直後に捕獲。おお、やりましたよ、伯爵。彼女は処女です」
「そんな情報はいいから、サイズを頼む」
「えーと、上から八十三、五十二、八十九です。これは当たりですよ」
「で、体重は?」
「身長は百七十ですか、大きいほうですね」
「アリスくん、今日のディナーの体重を教えてくれ」
「本当に節操が足りませんね、伯爵のくせに」
ため息をついたアリスは、呆れながら言った。
「たった百二十キロですよ」
「ひゃくって、ちょっと待ちたまえ」
「良かったじゃないですか、伯爵。昨日より五十キロ痩せてます。淡白です」
「そういう問題ではない。おい、アリスくん。もしかして、君が集めている食事は、そんな丸々と肥えたものばかりなのか」
「まさか。わたしだって伯爵の体調のことを考えて食事を用意してるんですよ。それなのに、毎回似たような体型の食事ばかりを選んで。太っても知りませんよ」
「だから、それなら私に好きに食べさせてくれればいいだろう?」
「伯爵が好き勝手に食事をしたら、この世界にモデルの遺伝子がなくなるじゃないですか!」
「食は細い方だから、安心したまえ」
「そんなこと言って、一回の食事で百キロを平らげるくせに」
「君が、『お残しは許しまへんで』なんてふうに睨みを利かせるからだろう!」
ジラルディーノ伯爵が、アリスに詰め寄る。
アリスは、まあまあと鼻息の荒い伯爵を宥めていると、伯爵が、彼女の持っているファイルに目を落としていることに気がついた。
やばい。
伯爵の目の色が変わった。
「アリスくん、もう一度、六番のスリーサイズを読み上げてくれ」
えーとですね、とわざとらしく咳払いして答えた。
「フランス人の十五歳。身長は百四十三センチ、スリーサイズは六十三、四十二、五十八です。体重は三十九」
沈黙が館に降りかかる。
伯爵の言葉が響く。
「何故、別の食事のプロフィールを読み上げたのか、言い訳はあるのかな」
「まあアレです。伯爵は、どちらかというと嫌いなものから先に食べるタイプですよね?」
確かに、と不気味に微笑んだジラルディーノ伯爵は、引き下がろうとするアリスの背後に音もなく回りこみ、彼女の首筋に息がかかるほど口を近づけて呟いた。
「そうとも。つまり、君がメインディッシュだ」
冷たい汗が背中を走り抜けていく。アリスの腰はいまにも抜け落ちてしまいそうだった。
それを何とか支えて、彼女は震える声を無理やり縛り上げて、冷静な口調で答えた。
「わかりました」
よろしい、と伯爵は長いマントをひるがえす。
「今日は、その豚で勘弁してやる。だが、次も同じような策を弄そうものなら、君の鮮血で私の歯を赤く染めてくれる」
彼はつかつかとテーブルに着き、いまだに足が竦んでいる秘書兼食料をみやって微笑んだ。
「まったく、カニバリズムとは困ったものだ。愛でるだけでは味わいなど、得られないのだから」