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京都工芸繊維大学 文藝部

Top / 活動 / 三題噺 / 創像のとき
Last-modified: 2007-06-24 (日) 20:18:08 (6149d)
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創像のとき ―― 


 僕の名前はマグネシウム。誰かが、僕と僕以外の人間を区別するためにつけた名前。それが何のためかは、残念ながら僕にもわからない。だって教えてもらっていないから。

 みんなからは、マグとかエムジーと呼ばれている。いつから呼ばれているのかな。自分でもよくわかっていない。これからのことも、これまでのことも。薄もやの中を歩いているように生きている。生きる意味も、そんな不確かな場所にとどまりたくはないという恐怖心からきているのか、もしくは目的のために、またはその目的を探すために生きているのか、僕はわからない。ただひとつ、僕にかせられた絶対的な命令は、いつか、この世界の中心に立つ塔“マグダラ”に向かわなければいけないということだ。それがいつになるかは、わからないけれど。
 一週間前までは、こんなふうに考えることなんてなかった。この世界に疑問を持つことなく、誰に逆らうでもなく、田畑を耕し、機器の点検、地球が正常に回転しているか検査したのちに、問題点のあったところについて討論を行う。時折まとまった休みをもらい、みんなが考え出した遊戯に汗を流しては、問題点を列挙し、その遊戯を洗練させていく。

「歴史というものが、根本的に足りていないんだよ、この世界には」
 アルミニウムは憎々しい表情を浮かべながら、地面の土を蹴った。
「別にそれが悪いわけじゃない。だって、僕たちは自力で楽しいことを創造しているからだ。そう思うだろ?」
「そうだね」と僕は曖昧にうなずいた。
「しかしだ。もしも、僕たちが考え出したこれまでの遊戯、ソール(ボールのこと)を蹴るものや投げるものが、僕たち以外の人間、例えば、あの偉そうに突っ立ってこちらを見下ろしているマグダラの中の奴らが、作為的に、こちらの無意識の領域に関与して、誘導しているとしたらどう思う」
「マグダラの中に人間がいる、ということが僕にはわからないよ」と僕は困惑した。「それは本当の話かい?」
「さあね。信じるのは君だよ、マグネシウム。いつだって真実は僕たちのここにしか存在しないし」と彼は自分の胸を叩いた。「いくつもの様相を呈しているんだ。ひとつしかないけれど、だからといって、ひとつの面しか持っていないわけじゃない。豚が殺されるという真実には、僕らの食料になるという人間からの視点と、仲間が殺されるという豚の足りない脳みそでは、それ以上は理解できない二つの意味がある。ただ、同属を殺された豚が、悲しみを覚えているかについては疑問だが、少なくとも涙は流していると、僕は考えているよ。涙っていうやつは、絶対に自分の都合では流れないからな!」
 アルはそっぽを向いて、ため息をついた。
「悪いな、気が立ってるんだよ。約束の日が近づいてきたから」
 震える声で、泣くのを堪えようとしているアルミニウム。みんなからは、アルとかエールとか呼ばれている。彼だけは、僕の名前を略さないで呼んでいた。
「マグネシウム」
「なんだい」
「僕は、今のままでいいんだ。永遠なんていらないんだ」
 約束の日とは、マグダラに向かわなければならないとき。それは幸福なことだ。幸せでコーティングされ、そしてマグダラで永遠の快楽を与えられる儀式。そこでは、僕たち人間は、その枷を外されると聞いたことがある。それは平等に、僕たちにおとずれる。周りのみんなは、そのために生きているのだと楽しそうに笑う。アルは、マグダラで快楽を与えられる儀式を、チーズフォンデュのようだと揶揄した。「いまのままの僕たちじゃ口当たりが悪いんだろうさ」
 そう言ってアルは、無理に微笑もうとした。
「遠い昔の話、人間がまだ電気という発明に頼っていた時代、地球全土を巻き込んだ戦争が起こったんだ。戦争というものが理解できるかい、マグネシウム。人間が私利私欲とか誇りとかいったものに命をかけるんだ。だれもがそれを嘆きながらも、認めてしまう世界があったのさ。不思議だろ、生きること以上に必要なものを欲しがるなんて。とにかく、その戦争という巨大な災禍はとどまるところを知らず、人間やその他の動植物を絶滅の危機にまで追いやってしまったんだ」
 アルミニウムは、まるでいやいや覚えた詩を暗誦するように、こう続けた。
 人類が、その愚かな過ちを二度と繰り返さないために、この世界ができた。
 ここでは、経験から得られた、平和でいられる人数が揃っている。小さないさかいがあったとしても、それを取り除けるだけの秩序と余裕がある。欲望という観念を抱かないように、平等が尊ばれている。同じだけの土地をもらい、同じようにそれを使うことで生活を安定させられる。年齢の幅も狭く、成長すればマグダラへ向かい、また新たな彼が生まれてくる。身長も体重も肌や瞳の色も鼻の高さも運動能力も食の嗜好も眠る時間も。何もかもが平等であり、ただそれぞれに名前だけが与えられる。
「ペタクラスのコンピュータが六台あれば、その人間の一生をシュミレーションすることができるそうだ。そうやって人間を観察、分析することで、人類という種がいかに存続できるかについて研究しているのさ、あのマグダラは、その研究機関の中枢なんだ。あそこでは日々、僕たちの動向を点検している、僕たちが、この地球が正常に自転しているかについて議論するように、奴らも、僕たち人類が戦争をしないかどうかについて額を寄せているんだよ」
「そんな、わけないだろ」
僕は驚いていた。何をそんなに驚いていたのか。アルミニウムの話した荒唐無稽な机上の空論だろうか、それともその信じがたい事実だろうか、それとも、彼の言うことを真に受けようとしている自分自身か。
田畑の耕し方について、誰に教えてもらったのか。教えてもらった、それは覚えている。だけど、誰に教えてもらったのかは思い出せなかった。じゃあ、数学はどうだろう。言語は、科学は、誰から学んだのだろう。
そうだ、きっとマグダラの中だ。僕が生まれた場所、そして、僕の還る場所。みんなが生まれた場所、そして、みんなが還る場所。
「とにかく、僕が君に言えることは、これで全部だよ。これを知ったとして、何かが変わるとは思っていない。でもね、何かを変えるためには、全体を見てはいけないんだよ。まずは手元から、足元から踏み固める必要があるんだ。どんなに広い畑だって、家畜や遊戯も、はじめは小さい一歩なんだ。そうさ、これは僕たちにとっては小さな一歩かもしれない、でも、世代が進み、幾人ものアルミニウムがこの大地を踏みしめるとするなら、これは、大きな一歩になるかもしれない。だから、僕は話したんだよ、マグネシウム。どうか僕を恨まないでくれ。君は、誰よりも早くマグダラに呼ばれるかもしれない。来週か、早ければ明日にでも。なぜならマグダラはすべてを見ているからね」
「なんで、なんで君は僕にそれを教えてくれるんだい」
「僕は君を、その、なんていったら言いか教わっていないから、僕なりの言葉でいうのなら、手を伸ばしたい存在なんだ」
「手を伸ばしたい存在」
「そう、これからも君を見守るよ。そんなこと意味がないかもしれないけれど。でも、それが必要だと思ってくれるなら、西の波打ち際に来てくれ」
「そこには、何があるんだい」
「海に沈む夕日があるよ。それに手を伸ばしてくれ。太陽にとける手の先には、いつでも僕がいる」
 永遠ほどつまらないものはないかもしれないけれど、君を待つということ、君がもし、誰かにこの話をして、その誰かがそれを信じたとするなら、その彼を待つのも悪くないかもしれない。
 そういって、アルミニウムはマグダラへと向かって歩き出した。

 だから、僕は西の波打ち際に立ち、柔らかい日差しに右手を差し出す。
 変化するということが、悪いことなのか良いことなのか、僕には判断できない。例えば、遊戯のルールが、それまで不利だった守備側を助けるものだとするなら、それは正しい変化の仕方だといえるかもしれないけれど、家畜たちが餌を残したり、足の付け根のところにしこりを作ったりすることは、これらが病の症状であるので、悪い変化の仕方だと思う。
 僕の心は、アルミニウムの気持ちで変化してしまった。これは、どうすればいいのだろう。
 いくら手を伸ばしたって、答えは出ないとわかっているけれど、夜になり、空に星が輝きはじめても、僕は疲れて腕が上がらなくなるまで手を伸ばし続けていた。
「あと、少しだったのにね」
 月夜に照らされた砂浜、僕の後ろにはフェルミウムが立っていた。
「あと少しで、君の祈りは、誰でもないものに向けられていたというのに。アルミニウムのせいで台無しになってしまった」
 お手上げだというように肩をすくめ、首を振ったフェルミウムは、快活なステップで僕の目の前にやって来た。
「エムジー、君は信じちゃったわけだね、アルの戯言をさ」と彼は口元を釣り上げて笑った。「アルは、不幸な男だったよ。操られているということも意識せずに、自分が唯一、真実の中で苦しんでいると思い込まされていた。不憫すぎて泣けてくるよ」
「彼を馬鹿にしているのか、フェルミ」
「おっと、怒ったのかい」とフェルミは目を大きく見開いた。「これはまた、野郎は余計なことをしてくれたもんだ。まあ、今回のデータはなかなか興味深いものになったからいいか。成功にたどり着くために、失敗は避けては通れない道だからね。落陽と一緒さ。夜が来ないと、朝が迎えられないのと同じだね」
 彼は、くくっと笑いを漏らした。まるで夕日を僕だと思ってくれといったアルミニウムが間違いだったというように。
「それで、君はこれからどうする。どうなりたい、どんなことをしたい。何もしないという手もあるけれど」
「考えていないよ」
「本当に?」
「もう、うまく物事を考えることができなくなったんだ。魚たちが水を失ったのと同じようにね。僕の呼吸できる場所がなくなったことは理解できるけれど、それは道標を失うことと同じだったみたいだ。今はもう、生きていることが苦痛でしかない」
「じゃあ、君は神様を裏切るんだね」
 フェルミは悲しそうな苛立ちを隠そうともせずに、唾を吐いた。僕は、彼の口にした言葉の意味を考えていた。
「はは、不思議そうな顔をしているね、エムジー。冥土の土産にこの世界のことを教えてやるよ。おっと、この表現では君に伝わらないよね、言いかえるなら、そうだな、マグダラへの土産ということにでもなるのか」
 僕はフェルミウムのきつい視線から逃れることができなかった。蛇に睨まれた蛙のように、ただ立ち尽くしていた。
「戦争、という単語を覚えているかい。昼間に聞いただろ。戦争にはね、あと二つの理由があるんだよ」とフェルミは指を二本立てた。「その一つ目が女という存在さ。……あれ、どうしたんだよ、エムジー。気分が優れないのかい。よく考えればわかることだろ。人間だって動物なんだ。オスとメスに分かれていなくちゃおかしいじゃないか!」
 僕は足元が揺らぐのを感じた。これまで僕の見てきた世界が瓦解していくのがわかった。それでもなんとか、耐えるために腹に力を込めて、フェルミを睨み返そうとした。
「人間には、大きく別けると三つの欲があるのさ。食欲、睡眠欲、そして性欲。君たちは、食べることで成長し、休むことで肉体の疲れを癒す。そして子孫を残すために、君とそっくりな体、でも、決定的に君とは違う作りの体を持つ、女というものと性交する。これまで何億年と営まれてきた生命の鎖だよ。そしてそれは快楽なのさ。人間も動物も、これらの快楽を逆らえないような仕組みになってるんだ。そして、その快楽のために人は堕落し、楽園を追放されてもなお、求め続けずにはいられないものなんだ。たとえ同属を殺したとしても」そして、と彼は言った。「それは、僕たちが滅びることを、生まれる前から、遺伝子のレベルで否定されているということを意味しているんだ」
 誰の仕業だと思う、とフェルミは口元を歪めた。
「ここで、二つ目の理由が出てくる。人間はね、神様というもののためになら、平気で自らの命を絶つことができるんだよ」
 神様、人間を作ったもの、その他の生命を作ったもの、と我々人間が信じているもの。
「不思議だと思わないか。神様は、人間やその他の動植物に、生きろ、と命令している存在なのに、また別のところでは、その命を我に捧げよ、と地団太を踏んでいるんだ。きっと君には理解できないだろうね、なぜなら、マグダラは新しい神様を欲しているんだから」
フェルミは、仲間はずれにされたときの哀しさと、そんな馬鹿馬鹿しいことなんてこちらから願い下げだというような嘲りが同居した、複雑な表情をした。
「神様を知るために、人間を知ることが必要になってくるんだよ。だって、動植物の中で神様を崇めているのは人間だけなんだから。だから、ペタなんていうゼロが十五個も並んだキャパシティをいくつも使って、マグダラは人という存在を測ろうとした。でも、それじゃあ足りなかった。だって、僕たちは触れ合うことで枝分かれ的に自己を形成させていくからね。そんなの情報にしたら、とてつもない数字になってしまう。だから、本物を使うことにしたんだ。君やアルや他の者たちを作って、最低限の情報と初期値を少しずつ変化させることで、神様が降臨するときを待っているんだ」
 さて、君はどう思う、とフェルミは僕にたずねた。「君は、もっとも神様を作り出す、マリアに近い存在として設定されたていたのにね、アルミニウムが邪魔してしまったんだ。神は愛なり。君のその、君自身では得体が知れないであろうその感情にこそ、神様が宿るはずだったんだけど」
 こちらを見る彼は、たぶん羨んでいるのだろう、と僕は思った。
「くだらないね。何一つ、理解できないよ」
 それだけ言って、僕は涙を流した。
「ああ、本当にくだらない。それでも、僕たちが涙を流すのは、いや、それこそ、ほんの単純なことにさえ心を痛めるっていうのは、神様のなせる業なんだぜ」
 フェルミウムは、静かに夜の中へと姿を消した。独りになった僕は、照る月を見上げた。
 そこには、答えなんて書いていないのに。

(了)



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