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京都工芸繊維大学 文藝部

Top / 活動 / 霧雨 / vol.1.2 / 狂愛
Last-modified: 2007-06-21 (木) 18:12:37 (6150d)
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狂愛 ―― お亀納豆


 父が亡くなった。授業中に呼び出され、病院に駆けつけた時には既に父は帰らぬ人となっていた。過労だったそうだ。母と、僕より先に病院に着いていた弟が泣いているの見て、これからは僕が父に代わり母を守っていくのだと強く思った。

 親戚とは殆ど付き合いも無く、また彼らは遠くに住んでいたので、準備を手伝いに来てくれるとは考えられなかった。式に来てくれればましというものだ。
 僕と弟は母を支えようと必死だった。しかし、たかが高校生と中学生の僕達には限界があった。そんな時、父の同僚で友人でもあった柴田という男が手伝いにやって来てくれた。彼は父の生前、よく父に誘われて家に遊びに来ていたので面識があった。僕と弟も彼に好感を持っていた。
 葬式は簡潔に行われた。柴田は式の最中も何かと母の世話を焼いていた。悲しみに沈む母を慰めているようだった。彼は以前、僕に、母は姉のようだと語った事があった。そんな彼の言葉は嘘だとは思えなかったから、僕は彼の行動にやましい気持ちがあるとは考えもしなかった。
 だが、僕は母が柴田を見る視線に、女が男に向けるものを感じた。母は縋れる存在を求めているのだろうか。僕ではその存在足り得ないのだろうか。

 父の葬式から三週間が経った。母は頻繁に何処かへと電話をかけていた。どうやら何かと理由を付けて、柴田に電話をかけているらしかった。母はほんの些細な事でも彼に相談していた。しかし母が僕や弟に何かを相談する事は無かった。

 それからまた一週間程が過ぎたある日、弟が階段から落ち、頭の打ち所が悪く、此の世を去った。
高校から帰宅した僕を迎えた母は何処か壊れた泣き笑いのような表情で「悠二が死んじゃった」と告げた。その時、弟はまだ階段の下で手足をあり得ない方向に曲げ、頭から血を流し、倒れていた。母は完全に錯乱しているようだったので、僕が救急車を呼んだ。

弟の葬式の準備も柴田は手伝いに来てくれた。母が連絡したのだ。既に亡くなった友人の息子の葬式にまで関わる道理があるのか、僕には善く理解らなかった。流石に父の死から一ヶ月しか経っていないのでは放っておけなかったのかも知れない。
母は僕の前では泣かなかったが、柴田の前ではそうではなかった。まるで柴田を離すまいとしているかのようだった。僕は少しずつ、しかし確実に柴田という男に憎しみを覚えるようになっていった。
 
どうすれば母は柴田の事を忘れてくれるだろうか。そう考えながら、僕は自室のベッドに寝転がっていた。すると母が僕を呼ぶ声が聞こえた。すぐに行くと答えた僕は一階へと向かった。声のした方向からすると母は居間に居るらしい。
居間に入ると母が手を後ろに組み、立っていた。
「こっちに来て頂戴」
そう母が言うので、僕は母の方に近づいていった。
ぞぶ。
え・・・?何だ、腹が熱い。見ると、僕の腹の中央少し右よりの部分から直方体の木片が生えている。これは・・・包丁の柄だ。そう認識すると同時に僕は床に倒れ込んだ。まさか、弟が階段から落ちたのも母の仕業なのか?
「母さん・・・柴田と、結婚するのに・・僕達が邪・・魔・・・・だったの・・か・・・?」
そう訊くと母は心底不思議そうな顔で「何を言ってるの?」と言った。
 じゃあ、どうして・・・。そう言おうとするが、口から血の塊が出て、言葉にならない。しかし、母は僕の表情から、言いたい事を察したのか、言葉を続けた。

「だって、お葬式をすれば、また柴田さんが来て下さるじゃない」

何という事だ。母はそこまで柴田の事を想っていたというのか。何故、柴田なのだ。何故、僕ではないのだ。僕は、僕はこんなにも。こんなにも母を、母を。母を愛しているというのに。僕を生んでくれた人間としてではなく、一人の女性として、僕は母を愛しているというのに。
ああ、可哀想な母さん。弟を殺した時は上手く誤魔化せたかも知れないが、今回は無理だろう。そんな事も理解らないくらい母は柴田の事しか考えられなくなってしまっているのだろうか。このままでは息子二人を殺した残虐非道な人物として母は世間の冷たい視線に晒されるだろう。
そんな事はさせない。僕が母を守るんだ。
僕は最後の力を振り絞り、自分の腹から包丁を引き抜くと、それを母の胸に突き立てた。
驚愕の表情を浮かべたまま、くずれ落ちる母。良かった。これで僕と母はいつまでも一緒だ。僕は薄れゆく意識の中で、手を伸ばし、動かなくなった母の手を握った。
これからは僕がずっと母を守っていくんだ。愛しているよ、母さん。

(了)



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