Checkmate ―― 哉 †
『明日の午後四時に集合ということでいいですね?』
『御意です。そしたら、どうしましょう。何か目印みたいなのがあれば集まりやすいと思うのですが』
『確かに。あそこって結構な待ち合わせスポットだし』
『じゃあ、俺がエンピツのTシャツ着て行きますよ』
『いいですね! 私もそうします』
『それならわたしもエンピツのTシャツ着てこうかな。名古屋フェスで買ったやつ』
『え! ベアぶっくさんも名古屋フェスに行ってたんですか! ボクも見に行ってましたよ、もちろんエンピツを!』
『もしかしたらすれ違ってたりして、ベアぶっくさんとエドさん』
『すごい偶然ですね』
『偶然じゃないぜ。だってみんなエンピツが好きなんだから』
『ああ、そう言われると何だか、また泣けてきちゃった』
『わたしも。涙でディスプレイが滲む~』
『ま、それは会ってから思う存分語りましょうよ』
『それもそうだな。とりあえず、みんなエンピツのTシャツということで』
それって恥ずかしくないのかな。次々と会話がアップされる画面に、僕は向こう側にいるはずの人間を想像しようとしたけれど、うまくいかなかった。電気に変換されて光にされた情報に現実感が伴わない。
しかし、集まる五人が似たような格好をしていたら不審に思われないだろうか。
『長浜さんの言う通りかも。時期が時期だし、警戒されたりしないかな?』
『他人に無関心ですよ、最近は』
『それでも、統一する必要はないんじゃないかな』と僕はキーボードを叩く。『どうせなら、お気に入りのCDか音源を持ってくるというのは、どうかな?』
『それいいですね!』
『大事なのはそこだったな』
賛同が得られたことに安堵して、僕は最後に提案する。
『僕がルークのTシャツを着ていくので、それを目印にしましょう』
『おお、なかなか乙な選択ですね』
『ルークか。それって市販されていました?』
『初期のライブ会場で売っていましたよ。まだインディーズの頃の』
『私も欲しいな~』
『それじゃあ、明日の十一時に会いましょう。僕は眠くなってきました』
『OK。おやすみなさい、長浜さん』
『良い夢を』
『寝坊しないでくださいよ~』
僕はため息をついて、チャット会場のウィンドウを閉じた。
エンプティ・ザ・ピッチャーズ。ファンのあいだでは彼らの名前は省略され、エンピツと呼ばれている。男性四人組のメロディコアバンド。キスやアイアンメイデンのような王道のヘヴィメタルから始まり、紆余曲折を経て今のスタイルと、地位まで登りつめたロックバンドだ。
彼らは自分たちの経歴は一切公表せず、互いをチェスの駒に見立てており、キング、クイーン、ビショップ、ナイトが主メンバーの四人に当てられ、レコーディングや販売、宣伝にライブ会場のガードマンたちを、自分たちを支えるポーンと呼んでいた。
ここにルークが含まれていないことを、ボーカルであるキングはこう語った。
「俺たちは、自分たちを守るための城なんて要らないんだ。そんなものが在ったって、どうせ俺たちは蝶みたいにその日暮らしの生活を送るだけだから」
一説には、ルークは彼らエンピツの音楽を聴くものに与えられるというが、公式な発表はない。
「控えの投手がいない」という変わった名前の由来は、彼らが結成した地元の野球チームが、投手不足で最下位をひた走っていたことからきている。しかし野球への思い入れはそれほどなく、ただ語感の響きだけで決められたそうだ。
どこにでもいるような音楽少年から、現在という時代を背負おうまでに至ったエンピツ。
そんなエンピツのボーカル、キングが死んだ。
ある日、何の前触れもなく、ステージに上がる人数が三人に減った。
メンバーも関係者も、キングの死については口を閉ざしたまま、意味の無い憶測だけが飛び交った。アパートから出てきたところを射殺されたとか、ドアノブで首を吊ったとか、白血病で短い人生に幕がおろされたとか。ネットの普及した現代において、身勝手な噂は瞬く間に尾ひれがつき、いまや十字架にかけられて腸をえぐりだされたところにまで広がった。
死因は明らかにされないまま、葬式がしめやかに行われ、ただ不安定な悲しみがファンを覆っていった。
リーダーであるクイーンが、エンピツの活動の休止を発表した。何といってもキングの人気は凄まじく、彼がいなければエンピツの成功はありえなかったと言われている。
カリスマ的な人気を誇ったボーカルの死。キングを取られた勝負は、もうそこで投了するしかないのだ。
待ち合わせの時計台の前で待っていると、ベアぶっくさんが小走りに近づいてきた。眼鏡をかけた女性が、おずおずと自己紹介する。
僕が自分の名前を教えていると、今度は背の高い男性が僕たちを確認する。彼は、監督と名乗った。
先に集まった三人で、エンピツの曲についてディスカッションしていると、息を切らせながら女子高生がやってきた。
「長浜さん、ですか?」
ルークのTシャツを着た僕に、彼女が聞く。
「そうです。ということは、あなたがエドさんですか」
うなずく彼女を見て、僕たちに笑みが広がる。
「すいません、ちょっと授業が長引いちゃって」
「授業に出てたんですか?」
「あ、やっぱり変ですかね。いざ死のうって思ったら、なんだか学校に行ってもいいかなって思えてきて」
「それで大丈夫なのか?」
監督さんの訝しそうな顔に、大丈夫ですよ、と答えたエドさんの顔に自信の色が現れる。
「とりあえず、あそこの喫茶店に入りませんか。立ち話もなんですから」
ベアぶっくさんの意見に賛成して歩き出す。エンピツの話で盛り上がってはいるものの、それぞれの表情には緊張の糸が見え隠れしており、これから自殺をするという事実に、少なからず恐怖のようなものを抱いていることが分かった。
そもそも、集団自殺というのは、群れることによって責任や恐怖といったものを和らげるためのものであるのだから、本当はカタツムリみたいに自分を守るルークがなくては、臆病な生き物なのだ。
死ぬことに対して。
「まさか、自分が後追い自殺するなんて思ってませんでしたよ」
店内に入り席について、それぞれ飲み物を注文する。愛想のないウェイトレスが去っていくのを確認して、胸に圧し掛かっていた重荷を下ろすように、ベアブックさんがため息混じりに言った。
「あたしもですよ。まあ、こんな終わり方も悪くないかなって思いますけど」
「むしろ、こういう終わり方のほうが俺は良いと思うよ。愛しているものが色褪せて、愛していたものになるなんて御免だからな」
「あ、それ『ピクニック』ですよね」
とエドさんが笑う。
「良いですよね、あの歌詞。あれってキングが書いたんですよ」
「知ってるって」
監督さんが自慢げに腕を組む。
「俺は恋をしていない。だから、みんなが何でそんなものに夢中になるのか解らない。ただ言えることは、」
「俺は全てを愛してる」
僕は監督さんの台詞の先を言う。
「だから俺は、求めることはしない。必要なことは、全て俺の愛してるものの中に揃ってる。キングのインタヴューだね」
そのキングの言葉に感銘を受ける二人、お株を取られた監督さんが不満そうに、その通りだと苦笑する。
それからもエンピツの話は尽きることはなかった。彼らがなぜ、ヘヴィメタルを止めたのか。メロディコアに路線変更するときのキングの心境の変化や、より深みを増した彼の声。
どこまでもストイックで、触れられないほど透明な存在なのに、網膜に焼き付いて取れない衝撃。
彼ら三人は、キングが自殺したと思っていた。なぜなら、キングは悲しんでいたからだ。
去年、この国に未曾有のテロ事件が起きた。それに関わっているとして、中東の小国を根城にするテロ集団に日本が報復戦争に出たために、多くの戦死者が出たことを、キングは嘆いていた。
しかしそれは違う、と僕は思う。安土は確かに憂えていたけれど、自殺したのではないと。
本当のことを言わなければ、きっと彼らは理想のキングの後ろをついていこうとするだろう。ここら辺が引き際である。
「安土は自殺したんじゃないよ」
僕の発言に、三人の視線が飛ぶ。
そして最初に疑問を口にしたのは、エドさんだった。
「安土って誰?」
「キングの本名だよ」
「え、嘘、だって誰もキングの本名は知らないはず」
ベアブックさんは困惑しながら、そうでしょう、と隣に座っていた監督さんに聞く。
「ああ。キングの本名は非公開だ」
「そんなの関係ないよ。僕は、キングである安土と友達だからさ」
本当のことを言えば、エンピツのプロデューサでもある。彼らを平凡な重金属から、決して錆びない貴金属へと昇華させた一人である。
「安土が死んだのは、自殺でもなければ他殺でもないし、十字架に磔にされたわけでもない」
「じゃあ、何で死んだんですか?」
エドさんが恐る恐るたずねた。他の二人も息をのんで僕の口の動きに注目している。
僕はため息をつく。
「風邪だよ」
そう、単なる風邪なのだ。そこには神秘的なものなんて何もない。
「酷いのをこじらせて、それに日頃の無理がたたって呆気なく逝ってしまった。ただ、人気絶頂のバンドのボーカルが急逝するなんてニュースはセンセーショナルだし、誰もキングの代わりなんて務まらないから、死因を隠して商売してるのさ。もうこれからエンピツでは稼げないから」
ポーンがどれだけ前進しようとも、盤上から落ちた駒は戻ってこないのだ。
「病気なの、か」
監督さんの肩が下がる。
「そう、だから僕は止めに来たんだ。きっと電子ネットワークのうえじゃ誰も信じてくれないから。まあ、直接なら信じてもらえるってわけでもないけど」
「嘘ついてるわけじゃないよね?」
「真実かどうか、それを決めるのは俺じゃない」
エンピツの歌詞をそらんじる。この一説を考えたのは僕だ。
「というわけで、もう帰って音楽でも聴きながら寝てください。キングは死んだんです、エンプティ・ザ・ピッチャーズなだけに、抗体がなくてね」