選定 ―― 五島顕一 †
例えば神戸市児童連続殺傷事件にて犯人は遺体の頭部を小学校の面前に置き、被害者の口に犯行声明文を差し込んでいたが、その中で犯人は被害者を「野菜」と表現していた。
事件の異常さやマスコミの大反応も影響しただろうが、京都日野小児童殺傷事件然り、物言う犯人は興味を惹く傾向にあるようだ。最初は誰もが驚きを持ってそのニュースを受け取ったはずだろうが、ごく一部の人は犯行声明文を賞賛して犯人を神格化した。
不愉快だ。作家が登場人物の異常な人間性を鮮やかに描いたならば、作家が上手い。しかし犯人が自信の異常性を告白しても、彼が異常であるという結論にしか至らない。彼らは何も新しいことをしていない。しかも、彼らがつまずいた切っ掛けはほとんど人間関係の問題であり、今でも多くの人々が表現し続けている事象である。何も殺人までしてやっと表現できるような難しい題材ではない。彼らは新しくない。
今、とある少年が道を歩いていたとする。どこにでもいる普通の少年だ。名前などどうでもいいのだが、語りやすさのために田中太郎君としようか。そして、田中君が歩いている道の向こうから小学生が一人で歩いていたとする。
さて、田中太郎君はこの小学生を殺すだろうか。
発問に怯まないで欲しい。冒頭の話題を受け取って頂いているのなら、やや突飛な展開が続くことを覚悟されているはずだ。
条件を増やそう。
田中君は高校生だ。
その日の朝はいつもの起床時間より二十分も遅く、しかも母親が体を乱暴に揺すりながら大声で起こした。その勢いで母親と口論になり、いちいちの家族に当り散らしてから急いで登校した。
走って登校するが結局は二分遅刻する。息が切れ切れのところに体育教官が現れ、学年と組と出席番号と氏名を言わされ、書き留められる。言われるのはねぎらいではなくて小言だ。
教室に着いたときには、当然ながら既に授業が始まっている。教員から苛立ちを込めた声で「遅いぞ」とだけ言われる。教室の生徒は田中君を振り返り、田中君が席に着いて教科書などを取り出し始めてやっと黒板に顔を戻す。
不快な家族、教官、生徒。田中君が見ている他の生徒の後姿は、全く製品的に作られた野菜のようであった。全く同じ制服に身を包んだ彼らは、薬品と遺伝子改変によって整形された製品野菜に見えた。
ここまでで分かる田中君の影は、彼が他の人と馴染んでないことだ。それを自己正当化するために他者を物扱いにしている。誰ともつるまずに他人を内心で蔑み、全世界に向かって敵対的中立を保っている。
三十分後、もう一人遅刻して入ってきた生徒がいた。制服の着こなしはだらしなく、教官が諦めて注意しないような不良生徒だ。
田中君にとっては、この不良生徒が曲ってしまった胡瓜のように思えた。同じ畑に居合わせながら、排除されるべき不完全な物体だ。
弱者を攻撃する思想状況には、時々に浄化的な考え方が含まれる。しかしこの不良は強そうに見えたので行動は発現しない。
放課後、授業で披露を溜めた田中君は下校路を歩いている。そこで元気そうな小学生がこちらへと歩いてくるのを認める。跳ねるように歩みを進める子供が見せるはつらつさに田中君は気を滅入らせる。当然だ。彼にとっては他の人物など敵であり、元気であることを見せつけて彼の散々な一日による疲労を無理矢理に回想させる害悪である。さて、小学生は未熟者に見え、その意味では田中君よりも劣っているかもしれないが、
結局、田中君は小学生と擦れ違った。今後の彼の人生において、何らかの事件の犯人になることは無かった。発問の時点で私が書いたことを読み直して欲しい。田中太郎君は「どこにでもいる普通の少年」だ。