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京都工芸繊維大学 文藝部

Top / 活動 / 三題噺 / 逸失
Last-modified: 2008-06-24 (火) 12:04:44 (5785d)
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逸失 ―― garand


 男は死のうとしていた。男は考えた末、死ぬ事に決めたのだ。だが男の中で何かが引っ掛かっていた。考えていると、一つの考えが頭をもたげた。俺は何かを忘れているのではないだろうか。その考えが浮かぶと、男は死ぬ事など後回しに考え始めた。俺はずっと忘れていた気がする。俺は何を忘れているのだろう。しかし頭を研ぎ澄まそうとすれども、その度にぼやけてゆくようで、考えども考えども答えは出ない。仕方なく、男は死のうとしているのを当分止めにして、他人に答えを求める事にした。
 男は精神科医を回った。けれども医者達は男の不安定な精神状態を指摘するだけで答えは出なかった。男は催眠術師を回った。けれども催眠術師達は男の前世を指摘するだけで答えは出なかった。男は占い師を回った。けれども占い師達は男には探し物があり、そのために不安になっていると指摘するだけで答えは出なかった。男はありとあらゆる人々を回ったが答えは一向に出なかった。男はあきらめようかと思い、これを最後と占い師に立ち寄った。その占い師は他の占い師と同じような事を指摘した。あきらめようと男が去ろうとしたその時、この方を尋ねてみなさいと占い師は言った。
 男は占い師に聞いた場所を尋ねた。そこは世間から忘れ去られたかに見える、鬱蒼とごみが積み上げられた場所だった。タンスや机が落ちてこないか注意しながら、自動車や何かの機械を乗り越えて進み、洗濯機とコンピュータとエアコンの間に出来た隙間を潜り抜けると、そこには老婆がいた。幾つ位であるのか判断できない、遥かな長い年月を生きてきたのであろう老婆は言った。
「思ったより、早かったね。もっと後になるかと思っていたんだがね」
老婆の姿を見て、その声を聞いた男は何かを思い出しそうになりながら、叫んだ。
「何処にあるんだ」
なぜそう叫んだかは男にも解らなかった。そう叫ばなければいけない気がした。老婆は黙って、ごみの山の一角を指差した。
 男はごみを動かしごみを掘り、動かして掘った。腕は傷だらけで血が流れていたが、それにも気付かず掘り続けた。段々と男の顔は若々しくなり、更に力強く掘り続けた。段々と青年の体格は小さくなり、掘る作業が困難になってきたがそんな事には気付かず少年は掘り続けた。
「見つけた」
少年は、きらきらと輝く、ぼんやりとしてよく見えない円形の物を掘り出して言った。
「ありがとうおばあさん、見つかったよ。それじゃあね」
少年は見つけた物を、ズボンの後ろに付いた、穴の開いたポケットにねじ込むと、どこかに向かって駆けていった。
 少年が去ったゴミ溜めの中で、老婆は独りごちた。
「後何回、わしが死ぬまでに来るだろうかね」
老婆はごみ溜めの中、これから先の長い長い一生の唯一の暇潰しについて考えるのを続けた。ごみ溜めにはくぐもった笑い声が響いたが、しばしの後、長い長い、普段通りの静寂が戻った。

(了)



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