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京都工芸繊維大学 文藝部

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Last-modified: 2007-06-24 (日) 20:23:31 (6151d)
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幽霊本屋にようこそ! ―― 


 ここは幽霊本屋。あくまでも、これは愛称。別に、レジの前に座っているわたしが幽霊みたいだとか、幽霊が経営している本屋とかいうわけじゃない。ここは、商店街の片隅でひっそりと営業している古本屋で、もう生産中止になって手に入らないものや、販売されたものだけじゃなく、昔の雑誌についてきた冊子であるとかと置いてあるために、まるで一度死んでしまった本が集まることから、幽霊本屋と呼ばれているのだ。
 長年、この本屋を営んできたお祖母ちゃんは、就職する気がなく、かといって勉強もせずに毎日を漫然と生きているわたしにそう説明してくれた。
 そのお祖母ちゃんが死んで、親戚一同がここの処遇に困っているときに、わたしがこの店を引き継ぐことを名乗り出た。そりゃあ、わたしはニートだけれど、「やるときゃ、やるんです」と、とりあえず大きく出ながら、眉をひそめる両親と親戚をなんとか説得して、面倒な税金の処理をした後、わたしは、小さいながら一国一城の主になった。
 そこには、本を読んで暮らしていけるっていう打算があったことは内緒だ。たぶん、みんな知っているんだろうけれど。
 そして三ヶ月ほど、店の奥から店内を眺め、日に三度の掃除をする中で、この本屋の異変に感づいた。
「なんかさ、増えてるんだよね、本が。ときどきだけど」
「そりゃ増えるでしょ」
 いつものレジ前の定位置に座ったわたしの横で、現在付き合っている大学生の彼が言った。
「古本屋なんだから。誰かが売りに来たりして」
 彼は、この本屋の常連で、店主がわたしに代わり、日々、顔を合わせているうちに、何となく付き合い出した。
「その通りなんだけどね」
 と、この話題はここで終わった。

 かに見えたけど、本当のはじまりはここからで、B6の紙をまとめただけのものや、原稿用紙に手書きで物語が書かれた、本とは呼びがたい代物が目に付くようになってきて、事の真相に薄々だけれど気づき始めた。
 幽霊本屋には、三種類のお客さんがいる。一つ目は、単なる客。自分の探している本を見つけたら値段を聞いてくるし、なければ他の本屋に足を向ける人たち。二つ目に、いらなくなった本を売りに来る客。三つ目に、自分で作った本を、わたしに見つからないようにして本棚に置いていく客がいる。
 最初、興味本位でその本を読んでいたのだけれど、なかなかどうして、そういう図々しい人間の書いた物語にしては良くできているものが多くて、声を出して笑ったり、目頭が熱くなったりしてきたところで、わたしは、どうにかこれが、わたしの店だけじゃなくて、他の書店にも並んで欲しいと思うようになってきた。
 だから、思い切って本にしてみることにした。
 資金は店の売り上げから経費として落として、お祖母ちゃんの遺品整理のときに見つけた製本所のチラシをなんとか探し出して、そこに依頼してみると、あっさりと引き受けてもらえたうえに、何も言っていないのに割引までしてもらえた。表紙については、大学生の彼がイラストを描けるということで、一任することにした。
 そして、綺麗にできあがった本を店先に置いてみると、値段を決める前に、すぐに常連のお客さんに買われていってしまった。何も言っていないのに、誰も彼もが、五百円をわたしに渡して本を買っていった。製本所でかかった代金と、イラストを描いてもらった彼へのお礼、その他諸々を計算してみると、元は取れている。あとは、作者への見返りをどうしようかと思ったけれど、元々、向こうが勝手に物語を置いていったわけだし、著作権を主張してきても、数冊しか印刷していないのだから、それほどの金額にはならないので、きっぱりとその件については忘れることにした。
 不思議と、勝手に製本されたことへの苦情は来なかったし、自作の本の持込がなくなることもなかった。
 まあ、わたしもそれなりの人生を送ってきて、推理小説だって読んできているわけだから、お祖母ちゃんのしていたことについては、もうあらかた理解した。
 確かにここは幽霊本屋で、死んでしまった作品群が集まってくる。それも、有名から無名まで。きっと、ここに持ち込まれる小説やエッセイ、自伝といったものは、誰の目にも留まらずに墓場に捨てられたものなのだろう。そして幽霊となってこの店に来て、お祖母ちゃんの目に留まり、もう一度、生き返るチャンスが与えられる。もしかしたら、生き返るだけじゃなくて、不老不死を手に入れることもあるかもしれない。まさに地獄における閻魔大王みたいに、お祖母ちゃんがそうしたように、わたしも、死んでしまった作品を裁きにかけて、そのままダストシュートしたり、命を吹き込んだりするようになった。
 そういうことを前提に本棚を掃除してみると、お祖母ちゃんが製本したオリジナル本がいくつか見つかった。オリジナルかどうかの見分け方は簡単だ。それほど古くないのに、バーコードがついていない本。お祖母ちゃんが製本したけれど、売れ残ってしまった本。
どれどれ、とわたしはこれらの本を読んでみる。
 図書館で日本刀を見つけた女子高生の日常を綴った日記形式の小説。この日本刀は彼女にしか見えないけれど、でも切れ味抜群。ストーリーは、彼女がいかに危険なものを自分が所持しているかについて悩み、それについて頭の中だけで右往左往し、破滅していく様を丁寧なしつこさで描いていた。ビジュアルは映えるけれど、動きの少ない文章で、わたしはちょっと不満だった。
 もう一つは、典型的な勧善懲悪もの。その名もハルマゲドンというタイトル。ハルマゲドン=ノストラダムスという図式しか描けないわたしは、このタイトルの意味が、実は善と悪の最終決戦であることを知って、なるほど、という感想しかなかった。
 そして、わたしは思う。
 どうせなら、この二つが合わさればいいのに。
 思い立ったたが吉日ということで、それからわたしは一週間かけて、この二つを融合させる作業に徹することにした。彼は、人の作品をいじるのは良くない、と言ったけれど、わたしとしては、二度死んだ作品を甦らせるんだから良いことしてるんです、と反論した。
「作品をパッチワークみたいに合わせるなんて。まるでフランケンシュタインを作ってるみたいだ」
「残念、それは怪物を作った人間の名前で、死体から生まれた怪物の名前じゃないのよ」
 だから、この場合は、わたしがフランケンシュタインになるわけ、とわたしは日頃の読書の成果を披露して、でもこれを彼みたいに勘違いしている人が聞いたら、わたしってものすごくブサイクに思われるかも、と考えてちょっと落ち込んだりしながら。
 ノートパソコンを持ち出し、営業時間はレジの前、店先に机と椅子を出したり、気分を変えるために喫茶店に出かけたりして、わたしは何とか二つのストーリーを一つの作品にまとめあげて、製本して店先に置いた。

 三ヶ月、待ってみた。何冊か売れたけれど、反応なし。

「自信作だったんだけどなぁ」
 と、わたしはため息をつく。
「たぶん、君に一つに融合された作者たちも同じことを考えてるよ」
 すかさず彼が言い返してきた。
「世の中、そんなにうまくはいかないもんなんだよ」
 そうかもね、とわたしは思った。でも、ニートだったわたしは、お祖母ちゃんという人脈とタイミングで、うまくこの社会と付き合うことができたし、別段かっこいいわけじゃないけど、気の合う彼と知り合うことができた。これってすごく奇跡に近いことなんじゃないのかなと思う。必然という言葉は、科学とか数学とか、そういった数字の世界にしかなくて、現実には偶然しかなくて、いくつもの枝分かれした先で、ああ、この生活で幸せだな、と微笑むわたしは、限りなくうまくいっていると思う。人生の成功や失敗のどれかが欠けていたら、きっとこんなに幸せにはなれなかったのだろう。
 日々、感謝しなきゃいけないな、と思い直していると、郵便屋さんが葉書を持ってきた。
 わたしがそれを受け取っても、郵便屋さんは、どこか落ち着かない様子で、なかなか立ち去ろうとせずに、店内をしげしげと眺め回したあと、わたしをじっと見つめていた。
「何か用ですか?」
「いえ、あの、その」
 と彼はどもり、気まずそうにしながら言った。
「何ていうか、ここが舞台なのかな、と思ったりして」
「舞台?」
 わたしは聞き返した。
「そうです、あの、その葉書の送り主なんですけど、知り合いなんですか?」
 なんだか不躾な局員だな、と思いながら、わたしは葉書の裏側を見てみると、ウェディングドレスとタキシードの二人が、笑顔で大きなケーキにナイフを入れている写真が載っていた。いわゆる結婚報告というものだったけれど、写真の男女どちらとも、わたしは知り合いではなかった。表に書かれている住所は、この古本屋であっているので、間違えて配達されたわけではないみたいだけど。
 首を傾げているわたしにはお構いなしに、郵便屋さんのテンションは上がっていて、聞いてもいないことをべらべらと要領を得ない話し方で喋ってきて、ようやくたまっていたものを出し終えたのか、恥ずかしそうにしながら、バイクにまたがって走り去っていった。
「あのさ、彼は何て言ってたの?」
 隣で一緒に聞いていた彼にたずねた。
「要するに、その葉書に写っている二人は、新進気鋭の作家で、この古本屋で不思議な少女と出会った少年が、世界の悪に立ち向かっていくっていう内容の小説を書いているみたいだよ」
「それって、どっちが書いているのかな?」
 写真を目の前に持ち上げてみる。
「共作だってさ。二人が出会った場所を物語にできて幸せです、とあとがきに書かれていたらしい。さっきの郵便局員はその作家のファンだ」
「舞台ってそういう意味だったんだ」
「そうだね」
「じゃあ、わたしはどう書かれてるのか気になるね」
「たぶん、フランケンシュタインみたいに書かれてるんじゃないかな」

 彼は冗談のつもりで言ったのだろうけれど、後日、その作家の本を読んでみると、不思議な力を持った少女は、実は二人が出会った古本屋の女主人が作り出した人造人間で、やっぱりわたしはヴィクター・フランケンシュタインなのか、としみじみ思った。でも、物語の中では、女主人は幾人もの男をたぶらかす美しい女性という設定だったので、悪い気はしなかった。
 それにしても、なんであの作者たちから結婚報告が来たのだろう。わたしは、どこかで彼らに会ったのだろうか。それとも、お祖母ちゃんが対応した二人なのだろうか。

「その割には、物語に出てきた古本屋の女主人の髪形とか泣きぼくろの位置とかが、わたしに似ているんだよな」
 と呟きながら、わたしは今日もノートパソコンのキーボードを叩いている。
 今度は、お祖母ちゃんが買ってくれたマフラーを、どうしても使おうとしない女の子の不幸を、どうにかお祖母ちゃんと解りあうことで、二人が幸せになっていく話にするためのプロットを練っているところだ。
 こうやって、こつこつと死んでしまった作品を生き返らせるために、今日もわたしはレジの前で頭を悩ましている。


(了)



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