ストーカー †
- 作者:アルカジイ&ボリス・ストルガツキー
- 評者:篠瀬櫂
- 日付: 2015-04-26
作品について †
ストルガツキー兄弟はロシア人で、本作はロシアSFの代表的な作品だそうです。ロシア語での原題は『路傍のピクニック』(意味するところはのちほど説明します)なのですが、タルコフスキー監督によって映画化された際のタイトル『ストーカー』が有名なため、邦訳にあたってはそちらが採用されたとのこと。
あらすじ †
異星文明が地球を訪れ、人類と直接に接触することなく去っていった世界。のちに来訪と呼ばれることになるこの事件は、地表に様々な痕跡を残します。
来訪によって環境が変化し、もはや人の住むことのできなくなった地域は、軍によって立ち入りが禁じられ、一部の研究者のみが出入りを認められることとなりました。しかし立入禁止区域(作中では特にエリアと称されます)で見つかる異星文明の遺物を欲しがる者は多く、そうした需要を満たすべく密かにエリアに侵入する者たちがあらわれます。ストーカーとは、かれらを指す言葉なのです。
腕利きのストーカー、レドリック・シュハルトの人生を追って物語はすすみます。かれは表向きでは研究所の助手をつとめ、当局の追及をかわしながらも、いくどとなくエリアへ赴き、遺物と引き換えに高額の報酬を手にしてきました。
エリアで見つかる奇妙な遺物。時に死を招く不可解な現象。シュハルトに伸びる当局の手。違和感と緊張が全編を満たします。
感想 †
本作はSFのサブジャンルのひとつ、「ファーストコンタクトSF」に属します。知的生命体と人類が接触する中でおこなわれる相互理解を描くこのジャンルにあって、本作は相互理解の不能性を強調しているといえます。発見される遺物の数々は、現代の科学では解明することのできない性質を帯びており、科学を前進させることがあるにせよ「なんのために造られたのかわからないもの」にとどまります。
人間たちが車でピクニックにゆき、たくさんのゴミを放置して帰ってくるとします。ガスの空き缶やライター、切れた懐中電灯やアルミホイルといった、ある意味で科学技術の結晶であるそうしたがらくたを見て、路傍の動物たちにわかることなどあるのでしょうか? 原題である『路傍のピクニック』はそうした比喩として、異星文明を理解することの不能性を示しています。
そうした思弁的な要素に加えて本作を読み応えあるものとしているのは、他ならぬストーカーの存在です。かれらが使うスラングの数々、遺物の種別やエリアで見られる様々な超常現象の呼び名には想像力をかきたてられますし(例としては重力凝縮場を意味する〈蚊の禿〉や、致死的なゲル状物質〈魔女のジェリー〉などがあります)経験と勘によって死の危険をくぐり抜けていく姿はたのもしさを感じさせます。かれらが血肉を備えた、いかにも人間くさい人間として描かれていることが、この独創的な舞台設定に説得力を与えているのです。
このように魅力的な本作ですが、わたし個人には少々読みづらく感じました。章ごとに年代がうつりかわり、独特の用語が多用されることもその一因でしょう。それでもなお、『ストーカー』がSF史に残る傑作であることに違いありません。スリルあふれる物語をお好みの方に、SFにリアリティを求める方に、そしてなによりも、理解しがたいなにものかに惹かれる方におすすめします。