BEDROOM †
鮎川つくる 作
*音声ファイルNo.1 : 「ごあいさつ」
このたび、F市立美術館にて、「BEDROOM」展が開催される運びとなりました。本展覧会では、カンボジア出身の芸術家、チョルシ・ハーのベッドに関する一連の作品を一同に集めた国内で初の展覧会です。チョルシ・ハー氏は一九六〇年に生まれ、ドイツのフランクフルト市立美術大学卒業後、岐阜県高山市、メキシコシティと拠点を点々としながら、現在オーストラリア・タスマニア州在住の六十五歳です。チョルシ・ハー氏は六十代という年齢を、人間の本来の寿命を大きく越えた、浮遊感の伴う異星人との対話のようだ、と形容しています。チョルシ氏は命の象徴としての頭骨で家まるごと一軒を覆った〈頭骨ラボ 1984〉に代表されるように、「我々の体内でガスの様に充満しているエネルギーを取り出し、全く別の物体に注入するという試み」をテーマに制作を行なっています。
*音声ファイルNo.2 : 「〈無題(あるいはアインシュタインの両親がアインシュタインを合成したベッド)1983〉」
これが芸術作品?と思われるかもしれません。唯のベッド、なんの処理も加えられていない唯のベッドが、まるで家具屋から直接搬送されたようなままで存在しています。真っ白な汚点がひとつも無い皺の無いシーツ、枠木はダーク・ブラウンのニスたっぷりで仕上げられた上等な高級感のあるシックな見た目。展示室に突如現れた日常生活の香りに驚くでしょう。しかし、この作品は、チョルシ・ハー氏自ら製造に立ち会い、完成後に丁寧に分解し、制作されたものです。鑑賞者から見えない部分全てに数式が書き込まれています。実はシーツ自体も反対側から見ればムカルナスのようにびっしりと平面を埋める文字列があり吐き気を催すでしょう。人間一体どこで「合成」されるのか……この合成のプロセスはベッドの上で行なわれる儀式です。「わたし自身を含めた、街を歩き、食事をし、美術館に行こうとしている人間たちは、少なくとも一回のセックスの結果なのだ」と氏は言います。青年期、氏自身が十歳の時に誕生した妹という存在を見るたびに、「喉を掻きむしりたくなり、頭に鉛製のおもりをいれ、血液で飼育する苦痛」を味わったことから、生命の運命に考え始めたといいます。チョルシ・ハー氏は、制作中、自分自身に水も食事も取らずとりつかれたように数式を書くことを強要しました。しかしこの狂気は、こうして指摘されるまで全く分からないのです。
*音声ファイルNo.3 : 「〈つまり、誕生 1996〉」
シャープな金属パイプがなだらかに組み合わさったベッドの上には縄文土器が設置されています。これは天井からぶら下がっており、スポットライトが効果的にみえるように周辺部だけは他の場所よりも暗く設定されています。ベッドの下から伸びた透明なパイプが土器に接着し、土器の穴からは粘着質の液が止めどなくでています。あたりには土の匂いがします。それもその筈、あたりには大量の土が散布されています。チョルシ氏は日本に滞在していたとき、縄文美術を鑑賞する機会があり、深い感動を受けたといいます。土という母体によって生み出された、生命の神秘を突く姿勢に、呆然とし、ふらふらとさまよった、と語っています。チョルシ氏はそこから工房に通い、縄文土器「風」の焼き物を作りました。「土を用いてからだを作り出したとき、ほんものの創作者になったように感じた」と氏はいいます。土器の縁には小さな顔面が付いており、乳房や正中線といった表現がみられます。歴史を、力を求めた氏は一ヵ月ほど庭に埋めてから制作を開始しました。人間は体液を運ぶ皮で入れ物だ、とチョルシ氏は強調します。
*音声ファイルNo.4 : 「〈おはよううるさい小鳥ども 2001〉」
天井から六点で逆さに吊られたベッドには紐で枕などが結びつけられています。床には散らばった本の断片、ガラスの破片、埃、液体の染みなどが無造作に散らばっていますが、本当にそうでしょうか。あるところは紙くず、あるところは埃などと演じ手はころころと交代していきますが、何気なしに散乱した雑多な物体は床に倒れた人間を縁取っています。夜眠っていたわれわれは、朝になるとベッドで目覚めます。このとき、この瞬間に今日の私たちは開始するのです。始まったわれわれは、突如投げ出され、肉体と記憶を与えられます。どこどこに住む、なになにという、だれかである、という状態です。正しく子供がおもちゃ箱を逆さにしておもちゃを取り出し、役割を与えるようなものです。この吊り下げられているベッドは、チョルシ氏が直前まで実際に使っていた物です。四頂点は〈おやすみ静かなムシケラズ 2001〉に使われているため切り取られています。
*音声ファイルNo.5 : 「〈いやでいやで、いやでいや 1988〉」
まずはこの悪臭のためにだれも寄りつきません。「もし嘔吐してしまったならば、ぜひあなたの吐瀉物を速やかに作品に加えていただきたい」、ベッドの脇にはそう書かれたパネルがあります。アクリルパネルの先は蠅とウジと羽虫の舞踏会です。チョルシ氏は自身が作り、そして夕食とするはずだった食事を病院の一室に放置し続けました。病室にはもともと使われていたベッドをひとつだけ残し、その上に料理を並べてゆきました。「ベッドにやどったこのベッドを使った何人もの病人の息づかい、呪い、苦痛を食材という元生物が引き受けたためにより腐敗がすすんだ。これは見えなくなってしまった病人たちの気持ちやそういった非物質的なものの、残された最後の演舞なのである」と氏は言います。展示の前に、チョルシ氏は着ていた服に接着剤を塗り、このベッドの上に寝転がりました。「生命の誕生とともに病気も誕生しただろう。我々はいまだに抜け出せずにいる、そして、一度入ってしまえば抜け出すのは難しい」。チョルシ氏は服を脱ぎ捨て脱出しました。しかし吐き気は収まらず駆けつけた看護師に吐きかけ、悪臭は二週間は取れませんでした。それほど深く強く、不在のエネルギーが存在しているのです。余りに大きすぎる爆音は、逆に聞こえなくなるように。
*音声ファイルNo.6 : 「〈おやすみ静かなムシケラズ 2001〉」
暗室の幕をくぐって入るとグランドライトからぬるっと這い出すベッドの四頂点が目に入ります。睡眠は一日の終わりです。意識は一旦途切れます。寝ている間はなにも覚えていません。とめどない睡魔に襲われてベッドに沈み込んだり、まったく眠れずにいやいやベッドの上でのたうち回ったりします。しかしどうしてか逃れることは出来ません。なぜならば、深い領域に踏み込んでいるからです。地面のなかではなく、どこか、具体的に記述できない精神世界ににた場所にわれわれは一旦帰還するのです。ベッドはそのための乗り物として機能します。
*音声ファイルNo.7 : 「〈25世紀のR.I.P. 2025〉」
ベッドがあります。鋭いギロチンのような刃がもう振り下ろされた後のようです。枕元にはベットりとついた血が乾いて茶色く変色しています。ベージュ色のすすけて小さく縮こまった粒がいくつかシーツに付着していますが、これはチョルシ氏自身の脂肪です。チョルシ氏は、この展覧会のための作品の一部となったのです。自らベッドに寝転がり、設置した刃に命を吸わせたのです。肉体は回収されましたが、このとき残った記憶された窪みや下まで垂れていった血液はそのままです。鑑賞者はベッドの近くまで手を近付けることが出来ます。両手を向けると、おぞましさから来る冷たさと、生命の温かさを同時に感じます。魂からくるエネルギーは、こうして人々の記憶に焼き付き、なかなか取り除くことができないのです。人間は、ベッドにて合成され、誕生し、起床し、病気になったときは横たわり、一日を終わらせ就寝します。そしてベッドの上で最期を迎えるのです。