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京都工芸繊維大学 文藝部

Top / 活動 / 霧雨 / vol.47 / ただの大学生に「鉛筆使って世界を護ってくれ」って無茶ぶりだろ!
Last-modified: 2020-12-22 (火) 20:46:07 (274d)
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活動/霧雨

ただの大学生に「鉛筆使って世界を護ってくれ」って無茶ぶりだろ!

そう
 

 世界も鉛筆のようなモノだ。
 資源は無限にあるようで使えば削れていつかはなくなる。

 地上の星空とでも例えるべきだろうか。
 夜の闇を街灯や建物の明かりが地上を照らしている。そんな街で光が届かぬ場所、コンクリートの廃ビルの隙間、路地裏で二人の男が話していた。
 二人の服装は新緑の草で編まれた民族衣装のようなもので、街中を歩いたら目立つような服装だ。
「見つけたか?」
「いや、だが近くにいるはずだ」
 二人はひそひそ声で情報を共有していた。この会話は街を歩く人に聞こえるはずもなく、彼らの存在は誰にも認知されることはなかっただろう。しかし――。
「見つけた」
 静かな少女の声が路地裏に響いた。
 二人の男ははっとなり振り返る。そこには深緑の毛布にくるまり、麻色の巾着袋を持った人影が立っていた。
「わざわざそちらから来てくれるとは」
 男のうちの一人が不適に笑いながら身構える。
「今度こそ」
 少女はつぶやき、巾着袋から何かを取り出しす。
 それを見た二人の男の空気が変わる。
「変身」
 少女は凜とした声で言い放った。
 

 憂鬱だ。
 特に何かをやりたいことがあったわけではなかった。特に目標があったわけではなかった。人に誇れるものなんて何もない。
 そんな俺は普通に生きるしかない。祖父ちゃんの強いすすめで大学に通って一年が経ったけど、特に何もない。
 退屈な期末試験が終わり帰路につく。終わったからといって特に開放感があるわけじゃない。
 雨は嫌いだ。
 特に仲のいい友人がいるわけではないけど、いたとしても雨の日に遊びに行くのも億劫だ。早く帰ってゴロゴロしたい。
 今はにわか雨だけど、予報によると夕方には大雨だそうだ。
 透明のビニール傘をさして町中を歩く。特に変わり映えのない景色。ポツポツと存在する住宅街。今日は雨だから外で遊んでいる子供はいないけど。
「僕勇気あるもん!」
 前言撤回。いた。外で遊んでる子供いた。
 二つの通りに挟まれた川、晴れた日には河原で飲んだくれている大学生を時々見る。そんな場所に男子小学生が五人。四人が一人を取り囲んでいるように見える。体格は取り囲まれている一人の男の子が一番小さい。
 嫌なこと思い出した。いつ見ても胸くそ悪い。かと言って大学生が小学生のいざこざに首を突っ込むのもやりづらい。吐き気がするけど、見て見ぬ振りをするしかない。
「おら! 勇気あるってんならやってみろよ!」
 一番体格の大きいガキが一番小さい男の子を両手で押す。
「う、うわぁあああああ!」
 少年は思ったよりも大きく飛び、うねるように流れる茶色の川へと落ちていった。予想外の事態に四人の無責任は慌てふためく。彼らは遊び半分でからかっていたのだろう。
 気がついたら体が動いていた。
 道路から河原へ飛び降り、羽織っていたねずみ色のコートを脱ぎ捨て、川へダイブした。
 くそ!
 思っていたより川の流れが速い。流される。少年どこ?
 雨の勢いがだんだん強くなっていく。川の流れもクソ速い。
「助けて!」
 川に飲まれた少年の声が聞こえた。
 あっちだ!
 自分の意思では逆らえない激流の中、体を動かす。少し方向を変えることはできるはず。
 身につけていた衣服が水を吸って鉛のように重くなる。氷のように冷たい水が体温を奪う。冬用の服、冬の川でなければもう少しはマシだったかもしれない。
 腕が何かを掴む。ポリエチレンっぽい感触。
 目を開けると小学生だ。
 小学生を掴み、最後の力を振り絞る。
 彼の顔が水の中に沈まないように必死に顔を支える。これで溺死は避けられそうだ。後は出るだけ――。
 急に体が沈む。
 今までは辛うじて顔を水面から出せていたのに、出せなくなった。急に川底が深くなった。
 先ほどまでは川底は足がつくので、一瞬は足をつくことができた。流されながらもギリギリ生き延びられた。でも、足がつかない。ムリだ。
 力を絞り出し一瞬顔を水面からだすが、掴まれそうな場所はない。しかも、追い打ちと言わんばかりに雨の勢いも増していた。灰色の空から降り注ぐスコール。茶色の川は龍のように強く、俺たちを飲み込んでいった。
 何か生きる目的があったわけではないけど、犬死には嫌だな……くそ……。やっぱり何もない俺は首を突っ込むべきじゃなかった……。
「変身」
 凜とした少女の声が聞こえた。
 気のせいか? それとも……。
 荒れ狂う水に飲まれ、俺の意識はシャットダウンした。     

「……か?」
 何もない暗闇の中、何か声が聞こえた気がする。
「……すか?」
 気のせいか。  
 何かぬくもりを感じた。同時に土の匂い、雨の匂い、あと何の匂いだろ? 
 人肌っぽいぬくもりを感じる。
 ゆっくりと目を開けると眼前に人の顔があった。
「!」
 思わずビクってなってしまった。相手も唇を離す。
「大丈夫ですか?」
 か細い少女の声だった。
 深緑の大きな毛布に頭まで全身くるまっており、顔はよく見えないが多分俺と年はそんなに変わらないと思う。
 って、え? さっきの唇の感触って人工呼吸? これってファーストキス? いや、そんなこと考えてる場合じゃない! 
「さっきの小学生は――」
「彼ならさっき親御さんが来てくれました」
 少女は細々とつぶやく。
「自分より子供の心配ですか?」
「普通じゃないですか?」
 俺の返答に少女は目を丸くする。変わったことを言った記憶はないのだが。
「あの、これ、親御さんが」
 彼女はねずみ色のコートを手渡した。川に飛び込む前に脱ぎ捨てたんだっけ。
「ありがとうございます」
「では私はこれで」
 少女は麻色の巾着袋を肩にかけゆっくりと立ち上がる。毛布から見えた足には肉がほとんどついてなく細かった。
「あの!」
 俺は気がついたら声が出ていた。
「助けてくれてありがとうございました」
 それしか言えなかった。
 どうしたの? とは言えなかった。毛布にくるまっている。明らかに怪しい雰囲気。絶対何か訳ありだ。例えば謎の組織に追われているとか。
 でも俺が首を突っ込むわけには行かない。何ができるんだよ。人質になるだけなって犬死にするのが目に見えている。怪しいのには関わらないのが吉だ。
「お気をつけて」
 少女はよろよろと歩き――。
「ちょっ!」
 俺は咄嗟に倒れそうになる少女の体を支える。
「ちょっと! 大丈夫ですか!」
「すいません……ちょっとふらついちゃいました」
 少女のか細い声。
「病院に――」
「大丈夫です……」
 少女の声は弱々しい声。絶対に大丈夫じゃない。
「分かりました。じゃあ家はどこですか?」
 返事がない。
 なんとなくだけど病院は嫌がってるみたいだ。本当はそれで終わりにするのがベストなのだろうが、嫌がっていることを無理矢理するのは気が引けた。
 仕方ない。家に連れて行くか。

 
「おいどうしたんだ?」
 家に着いたときの祖父ちゃんの第一声だった。
 雨でずぶ濡れになった俺と彼女のために祖父ちゃんはすぐに察してタオルを持ってきてくれた。
 男二人で若い少女の服を脱がすのは気が引けたが仕方ない。     
 俺は彼女のが羽織っていた毛布を脱がす。
 俺は思わず息を呑んだ。
 分かっていたことだが、想像以上に彼女の手足は細く肉がほとんどない。身につけている黒色のTシャツもダボダボでサイズがあっていない。 
 おそらく数日、いや数週間はろくに食べていない。
 歩いている時は気づかなかったが、裸足で今までいたせいで足も傷だらけであった。
 俺は意識がない彼女を風呂場に運び、祖父ちゃんと一緒に体を洗う。意識がない女性の服を脱がせることに罪悪感はあった。でもこのまま濡れた服で寝かせるよりはマシだろう。
 そのまま彼女の肩まで伸びた黒髪を乾かし、リビングにひいた布団に寝かせた。
「で、どうしたんだ?」 
 ことが一段落した俺に祖父ちゃんが問いかける。
「実は――」
 俺は祖父ちゃんに今日起きた出来事を話した。川に落とされた少年を助けようとしたこと。少年を助けようとしたけど結局溺れたこと。溺れたところ彼女に助けてもらったこと。
「そうか」
 全てを話終わったあと、祖父ちゃんは拳を握る。
 あ、嫌な予感。
 ガチン!
「痛ってえぇええええ!」
 久しぶりのゲンコツに俺は床をのたうち回る。祖父ちゃんは髪も白いし、もうすぐ七十なのにゲンコツの威力だけは落ちない。
「馬鹿モンが……」
 祖父ちゃんはそれだけつぶやいてリビングのすぐ近くの台所へ向かった。
「おい! 今日はおじやだ! なんかリクエストあるか!」
 祖父ちゃんの力強い宣言。なんでおじや……そういうことか。詳しいことは知らないけど、長い期間食事を取っていない体には消化にいいものじゃないと受けつけないんだっけ。
「卵入れて欲しいな」
 布団で穏やかな寝息を立てている彼女を横目に俺も台所へ歩き出した。

「ん……」
 台所とリビングにお出汁の匂いが充満してきたころ、布団の中の彼女が目を覚ました。
「ここは……?」
 彼女は上体を上げ、あたりを見回す。
「俺たちの家です」
 俺は台所から返事する。
「おじや好きか?」
 祖父ちゃんも彼女が目覚めたことに気づいたのか。威勢のいい声で呼びかける。
 祖父ちゃんの呼びかけに彼女は小さく頷く。
「おい志智、運んでやれ」
「はーい」
 俺は茶色いお盆におじやが入った茶碗を乗せ、彼女へ運ぶ。
「熱いので気をつけてくださいね」
「ありがとうございます」
 俺は彼女の隣にお盆を置き横に座る。
「おい! お前の分だ」
 祖父ちゃんが茶碗を乗せたお盆を二つを軽々と持って俺の隣に座る。
「いただきます」
 俺は彼女が遠慮している横でガツガツとおじやをかきこむ。
「どうしたんですか? おじや嫌いですか?」
「あ、いやそういうわけじゃなくて……」
 彼女は軽く手を合わせ、レンゲでおじやをすくいゆっくりと口へ入れた。
「熱っ」
 彼女は小さくつぶやいてふーふーと息を吹きかけながら食べる。茶碗の中の量が半分を切ったところで彼女はおじやをかきこんだ。冷めてきたのだろうか?
「ごちそうさまでした。ありがとうございました」
 彼女は深々と手を合わせ頭を下げた。 
「お口に合いましたか?」
「おいしかったです」
 よかった。俺は一息つく。
「そういえば自己紹介してなかったですね。俺は色崎志智(しきざきしち)っていいます」
「……よろしくお願いします……」
 彼女は小さく会釈する。
「君の名前は?」
「……七香(なのか)です」
「七香さんですね」
 俺の返事に彼女はこくこくと頷く。    
「あの、服は?」
 彼女、七香さんは自身の服装について問いかける。そういや、俺のねずみ色のTシャツをとりあえず着せたんだ。
「着てた服は洗ってます。それは俺のヤツです。勝手に脱がせてしまって、その、すみま――」
「いえ、ありがとうございます」
 彼女は手を振りながら俺に対して申し訳なさそうにしている。
「服も何から何まで本当にありがとうございます」
「あ、いや、あ……」
 勝手に服を着替えさせたことに対して怒られると思っていたので、少し戸惑ったと同時にほっとした。
「七香ちゃんは帰るとこあるのか?」
 祖父ちゃんが彼女に尋ねる。
「……いえ」
 彼女の表情が曇る。
「嫌じゃなかったらしばらくここにいてもいい。あぁ志智!」
 祖父ちゃんが俺の肩を音が鳴り響くぐらい叩く。痛い!
「あ、うん」
「ありがとうございます」
 彼女は再び頭を下げた。
 彼女に聞きたいことは色々あったけど、聞けずに他愛のない談笑に花を咲かせた。 


 
「普通じゃないですか?」
 普通じゃないことをやろうとしたあの人はそう言った。
 あの人は普通じゃない。見ず知らずの子供を助けるために荒れ狂う川に飛び込むことも、今日初めて会った私に良くしてくれることも。
 良くしてくださったことには感謝している。どう言ったらいいのか分からないほどに。
 私にはやらなければならないことがある。
 彼を巻き込むわけにはいかない。今日会って話しただけで分かったことがある。
 あの人は自分の命を誰かのために投げ捨てることができる人だ。 
 だからこそ巻き込むわけにはいかない。この戦いは私がやらなければならないから。私が決着をつけないといけないから。
  

 彼女との談笑が終わった後はいつも通り、風呂に入って、テキトーにくつろいで寝るだけだった。
「……」
 彼女にはリビングにひいた布団で寝てもらった。彼女はぐったりと泥のように眠りについた。
 俺も川で泳いだり、というよりは溺れたりして疲れた……はずなのに眠れない。
 明かりを消した自室のベッドに寝転がってもなかなか寝付けない。うーん。
 ガシャ。
 かすかにドアが開いた音が聞こえた。
 誰だ? 泥棒か?
 俺は物音を立てないように起き上がる。スマホを取り出し、一一〇をかけれるように準備をする。
 息を殺し、足音を立てずに階段を下る。祖父ちゃんが起きてくれたら泥棒の一人や二人どうにかなりそうだけど、その前に七香さんに何かあったら……。
 玄関の鍵が開いている。誰かが入ってきたのか……。
 ゴクリとつばを飲み、リビングのドアを開け中に入る。
 全神経を集中させる。瞬きすらするな。どんな物音も……静かすぎる。寝息ぐらい聞こえてもいいはずなのに。
 俺ははっとなって敷いていた布団に目をやると、布団の上には彼女に貸していた俺の服がたたんであった。
 七香さんがいない。どういうことだろう?
 壁のあたりを見ると、干してあったはずの彼女の毛布と服がない。まだ乾いてなかったぞ。
 最初もそうだった。何か訳ありだ。自分から俺たちを遠ざけようとしていた。
 だったらこれが彼女にとってはベストなんだ。俺が出て行ったところでできることが何かあるわけじゃない。
 そう、これでよかったんだ。
「……」
 そういえばねずみ色のコートは雨に濡れて乾かしてるんだよな。
 俺は代わりに黒いセーターを身につけ、少し薄い藍色のコートを着て夜の街へ出た。
 吐いた息が白い。
 彼女はこの寒さをあんな薄着で過ごしていたんだ。帰る場所がないのに。
 出てきたはいいが、探すあてがあるわけじゃない。
 幸い夕方降り続いていた雨は止んでいた。
 どこへ進む?
 街灯以外特に光がない夜道を歩く。
 さっきまで雨が降っていた。ということは川は氾濫している。川の近くにはいないと考えるのが妥当……でもなんであの時川にいたんだろう?
 ガサッ。
 すぐ近くで物音が聞こえた。
 音の先はコンクリートの建物の間の人一人がやっと入れそうな路地。なんか人影がある。まさか――。
 俺は自信の勘に導かれるまま路地に足を踏み入れる。なんかカビっぽい匂いがする。
 街灯に照らされていないその場所で動くものがあった。
 明らかに濡れている深緑色の毛布。
「どうしてそこにいるんですか?」
 俺は小刻みに震えている彼女に声をかける。
「ど、どうして……」
 毛布から顔を出した彼女は瞳に涙を浮かべていた。
 どうしてか……特に理由があったわけじゃない。俺なんかが心配したところで何かが好転するわけじゃない。何かができるわけじゃない。むしろ邪魔だろう。ただ気になったから? 
「分からないです」
 思考がまとまらない。
「なら、私のことは忘れて幸せに生きてください。探してくれてありがとうございました」
 彼女はか細い声でつぶやく。
 俺は小さく息を吐き壁にもたれかかる。
 何がしたいんだ俺は? 
「逃げてください!」
 彼女が突然声を荒げる。
「見つけた」
 突然、路地の中から声がした。男の声だ。
 思わず振り返り男の姿を視界に捕らえる。服装が特徴的だった。草で編まれた民族衣装のような衣装。それを纏った俺より一回りは体の大きな男の纏っている空気は普通ではなかった。つばをゴクリと飲む。ここまで強い殺気を向けられたのは生まれて初めてだ。
 掌に汗がにじむ。心臓がバクバクする。呼吸が荒くなっていく。
 俺が怖じ気づいている横で、彼女はゆっくり立ち上がり声の主を見据える。
「お前は何者だ?」
 男が俺に対して声をかける。心臓をナイフで刺されたような感触が俺を襲う。
 殺される!
 男は右手を挙げ、何かまがまがしいオーラを纏い始めた。右腕から男の体が明らかに人間ではない何かに変わっていく。
 ヤバい!
「逃げてください。邪魔です」
 彼女は震えた声で訴える。
 確かに俺はここにいても何もできない。ハッキリ言って邪魔だ。
 クソ!
 俺は訴えには勝てず唇を噛み路地から走り出した。彼女の手を握って。
「え?」
 戸惑う彼女にお構いなしで全力で走った。途中で彼女の足がもつれる。転ぶ前に俺は彼女を抱きかかえ走った。
 くっそ! 足痛い!
 体がかじかんでうまく動かない。
「アイツは侵略者……」
 彼女が小さくつぶやく。
「別世界からやってきた。詳しいことは知らないですけど、目的はこの世界を侵略して自分たちのモノにすることです」
 ???
 彼女が何を言っているのかは正直よく分からなかった。
「降ろしてください。じゃないとあなたまで――」
「鬼ごっこだ」
 先ほどの男の声が彼女の声を遮った。
 バギ!
 突然目の前の地面が割れコンクリートの破片がこちらに飛んでくる。
 やべ!
 後ろへ飛んででよけようとしたが、小石程度の大きさの破片が頬を掠める。
 頬に熱を感じた。この感触は切れたな。でも浅い。家帰って絆創膏貼ったら数日で治る程度の傷だ。問題は――。
 目の前には人影が一つ。それの足下にはひび割れた地面、コイツが砕いたのは間違いない。それの姿は形は人間であったが、皮膚は薄緑の鱗のようなもので覆われていた。鱗の怪人とでもいうべきだろうか。その眼光は刃物のように鋭く、まるで獲物を見据えた肉食動物のようだ。姿が変わったせいか、同一人物なのに先ほどとは段違いの威圧感を放っていた。
「すみません」
 パン!
 彼女の平手打ちが俺の頬に炸裂しいい音がなり響いた。俺が両頬に熱を感じている間に彼女は地面に着地する。
「今度こそ倒す」
 彼女はそれだけつぶやき、巾着袋から見慣れない物体を取り出した。それは文庫本ぐらいの大きさの角が取れた長方形の形をしていた。色は多分赤紫。
「させるか!」
 鱗の怪人は地面を蹴り上げる。舞い上がった砂埃とコンクリートの破片が俺たちを襲った。
「ひゃあ!」
 彼女は思わず手に持っていた物体を離す。彼女の手から離れたそれは宙を舞い――。
 ガシャ。
 物体は俺の腰に触れた瞬間、ベルトのようなものが現れ腰に巻き付いた。
「何これ?」
 俺は腰に巻き付いた物体を慌てて確認する。触ってみると少しひんやりした。金属っぽい。右側の側面に何か凸がある。何かのスイッチ? 押してみようとしたが、押しても沈まない。スイッチではない? もしくは押すタイプのスイッチではない? 
「今すぐ外して! そうじゃないと――」
 彼女が必死の形相で俺に掴みかかろうとするが、彼女は何かに引き寄せられる。
「確保」
 鱗の怪人が右手で彼女を抱き寄せ手首で首を絞める。彼女は両手で引き剥がそうとするが、力の差は歴然で何もできない。
「逃げ……て……」
 彼女が苦悶の表情で訴えかける。
 そうだよな。相手はコンクリートの地面をえぐるようなヤツだ。戦ったところで死ぬに決まってる。何の目的もなく生きていたけど、犬死には嫌だ。そうだよな。今日会ったばかりの人間のために命かけて戦うとかそんなの――。
「こんなことしたら祖父ちゃんにゲンコツ食らわされるな」
 俺の拳が鱗の怪人の顔面に命中する。
 痛ってぇ! 
 こっちは拳が砕けるかと思ったのに、受けた怪人にはびくともしていない。
「なん……で?」
 彼女は信じられないと思っているのだろう。
 俺は再び拳、蹴りと怪人に何度も四肢をぶつけるが、びくともしない。怪人が軽く左手を払うと、俺の体は数メートル飛ばされ地面を転がった。
 全身が痛ぇ。夕方の雨でできた水たまりの水分を吸って服が重くなる。それでも俺は足を震わせて立ち上がる。
「逃げて……こんな見ず知らずの私のために命を粗末にしないで……」
「やだね」
「どう……して?」
 こんなことしたらまた祖父ちゃんに「馬鹿モンが……」って言われてゲンコツなんだろうな。
「じゃあなんで七香さんは川で溺れていた見ず知らずの俺と少年を助けてくれたんですか?」
 彼女がハッとなる。
「そうなんですよ。ひょっとしたら俺は犬死にするかもしれないです。生き残ったとしても、何も関係ない俺が首を突っ込むべきではなかったって後悔するかもしれないです。ですけど、そんなものどうでもいいんですよ。人が人を助けることに理由なんて必要ないんですよ!」
 俺は改めて腰に巻き付いた物体に手を当てる。
 右側の突起部分、押してダメなら引いてみろ。
 引いてみると抜けた。あ、やっちまった。
 抜けたものに視線を送ると、鉛筆状の形をしていた。多分黒色の鉛筆、先が削れてる。小学生の頃使ってたな。懐かしい。ってそんなことしてる場合じゃない。
 怪人の方に意識を戻すと、退屈そうに左手で口元を覆っていた。あくびをしているんだろう。しかし、右手で彼女を掴む手は緩めていない。彼女が隙をついて脱出しようとするがうまくいっていない。グズグズしている俺に攻撃をしてこないのは親切なのか慢心なのか、どちらにせよ隙がない。
 俺は再び鉛筆を元あった位置に差す。鉛筆ってことは鉛筆削りみたいに回したらいいのか?
 俺はなんとなく一回転させた。
「ぐっ!」
 突然体に電流が流れたような激痛が走り、膝が地面に衝突する。
「自滅か」
 そうか……怪人はこうなることを知っていたのか。だから手を出さなかったのか! 彼女が使い方を教えてくれなかったのもこうなることを分かっていたからか……。
 彼女は怪人に対してこの物体を使おうとした。これが怪人に対抗できる手段であると思ったけど、甘かったか。
 やっぱ、何もできないのかよ……命の恩人一人救えないなんて、そんなこと……そんなことあってたまるかよ!
「うおぉおおおおおおおおおお!」
 俺は激昂しながら立ち上がる。
 怪人は一瞬驚いたように見えたが、すぐに落ち着きを取り戻す。無駄なあがきだと思ったのだろう。だがその余裕は一瞬で消えた。
「NORMAL COLOR PENCIL」    
 腰の物体から電子音声が流れ、俺の体を黒いオーラが纏う。
「嘘……」
 彼女がつぶやく頃には怪人の顔面に俺の拳が炸裂していた。
「ぐっ!」
 怪人は飛ばされ近くのレンガの屏に衝突、屏が壊れ砂埃が舞った。怪人の手から解放され、よろめいた彼女を支える。
「はぁ、はぁ」
 俺の腕の中で彼女は息を切らせる。
「大丈夫ですか?」
「え、えぇ」
 彼女は小さく頷き、緊張の糸が切れたかのように倒れそうになる。俺は崩れ落ちる彼女を支え、近くの壁にもたれかかるように座らせた。
 俺は改めて自分の両手を確認した。
 黒いオーラが消えた自分の腕は人間のものではなかった。形は人間だが、色が黒い何かで覆われている。鎧とは少し違う。強化スーツとでもいうべきだろうか。水たまりにぼんやりと自身の姿が映る。はっきりとは分からなかったが、黒い鎧のような強化スーツを身につけた自分が映っていた。
 先ほどの電流が走ったような痛みは消え、今では体に力がみなぎってくる。弱々しい彼女がなぜ川で溺れていた俺を助けることができたのかが分かった。
「ふぅ」
 俺は改めて正面を見据える。結構いい手応えがあったのだが、簡単に終わってくれないか。
 先ほどぶっ飛ばした鱗の怪人がレンガをかき分け立ち上がる。
「このやろう」
 鱗の怪人は小さくつぶやき構えようとする。させるか!
 俺は跳躍し、右拳を怪人の肉体にたたき込む。腕は痛むが、スーツのお陰か先ほどよりかはマシ。後退する怪人に続けざまに拳を放つ。
「調子に乗るな」
 怪人を見ていたはずなのに、視界が雲が敷き詰められた夜空に変わる。
 瞬間、背中が地面に衝突する。足払いされたのか。
 こちらが立ち上がる前に怪人は俺をボールのように蹴り飛ばす。腹部に衝撃が走り、地面を転がり距離を取る。すぐさま立ち上がるが、痛みで膝をつく。
 やばいな。怪人と俺の格闘技術には大きな差があるようだ。まともにやり合ったらこちらが不利になる。
「ドライバーのペンシルを回転させて」
 壁にもたれかかっている七香さんが俺にか細い声で呼びかける。
 ドライバー? ペンシル? 回転……あぁ、ドライバーは腰に巻き付いてるヤツで、ペンシルはそれに差してる鉛筆みたいなヤツか。
 とりあえず言われた通り、ペンシルを一回転させる。すると、黒いオーラが全身から現れる。
 体が羽のように軽い。これなら!
 俺は走り出し黒いオーラを収束させた右拳を怪人にたたき込む。怪人を数メートル飛ばすが、怪人も予測していたのか、俺はカウンターパンチを腹部に受け、数歩下がる。
 やっぱり簡単に逆転はさせてくれないか。
 俺は腹部を左手で押さえる。結構痛いのをもらってしまったが、今の一撃は怪人にも相当なダメージになっていたようで立ち上がった怪人は足が小刻みに震えている。
「なるほど。仕方ない」
 怪人は小さくつぶやき、奇行に走った。自身の体を纏う鱗を剥がし、こちらに投げつけてきたのだ。
 なんか嫌な予感がする。
 俺は咄嗟に横によける。投げつけられた鱗が俺のすぐ隣に落下し――。
 ドガン!
 爆発した。コンクリートの破片が目線の高さまで舞う。
 すぐ隣で起きた爆発で少しよろめく。こんなの食らったらひとたまりもねぇ。
 俺はすぐさま体勢を立て直すが、眼前に鱗が迫る。
 あ。
 ドガン!
 爆発の直撃を受けた俺は大きく飛ばされレンガの壁に衝突する。壁に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
「まさか俺に奥の手を使わせるとはな」
 怪人が勝ち誇ったようあざ笑う。その体は震えており鱗を剥がした二の腕からは赤い液体が流れていた。
 マズい。体が痺れる。   
「ペンシルを変えてください!」
 七香さんが何かをこちらに投げる。キャッチすると、そこにあったのは空色のペンシルであった。
 俺は言われるがままにドライバーから黒色のペンシルを抜き、代わりに空色のペンシルを差して回す。
「SKY COLOR PENCIL」
 空色のオーラが俺を包んだ。
 腕を見ると、黒色だったスーツが空色に変わっていた。
「色を変えて何になる」
 怪人は再び鱗を投げつけてくる。
 このドライバーもペンシルも分からないことだらけだ。でも、ドライバーのお陰なのだろうか。何をしたら何ができるかは分かっていた。
 俺は軽く手を払う。すると、周囲に風が起こり、鱗の軌道を逸らす。飛ばされた鱗は俺から離れたところで爆発した。
「なっ!」
 体が軽い。俺は風を纏い弾丸のように飛び出す。怪人は俺の突進を紙一重で躱すが、すれ違った際の風圧でよろめく。
 今だ! ってあれ? 止まれねぇ!
 勢いをつけすぎたせいかブレーキがきかない。俺は地面に腕をつき、転がり摩擦で勢いを殺す。地面が少しえぐれ、コンクリートの破片が舞う。 
 なんとか方向転換に成功した俺は今度は跳躍する。羽のように体が軽い。
 すぐ近くの建物は明かりが消えているが、少し遠くを見ると明かりがついている場所がおおい。地上に光る星のようだった。
 七香さんはこの街を、世界を護るために戦っていたんだ。一人で「鉛筆使って世界を護ってくれ」っていう無茶ぶりをボロボロになるまで実現しようとしてくれていたんだ。
 俺はペンシルを一回転させる。空色のオーラが俺を包んでいく。
 だから俺は戦うんだ! 
 オーラを右足に収束し、怪人目がけ急降下する。
 怪人も俺の頭上からの攻撃を察し、両手をクロスさせ防御態勢を取る。
「うおぉおおおおおおお!」
 空中から風とオーラを纏った俺のかかと落としは怪人の両手に防がれる。それがどうした。俺の渾身の一撃はそのままガードもろとも怪人を地面に叩きつけた。怪人が衝突した地面に亀裂が走り破片が視線より上のところまで舞い上がる。
「やったか」
 肩で呼吸を整えながら、俺は怪人に背を向け七香さんの方へ歩き出す。
「後ろです!」
 彼女の叫びで後ろを振り返ると、怪人が眼前に迫っていた。
 やべっ! 
 防御態勢をとるよりも先に怪人の拳がクリーンヒットする。
「これでどうだ!」
 俺がひるんだ瞬間、怪人が鱗を剥がす。         
 この距離でか! 
 俺は咄嗟にペンシルを一回転させる。
 ドガン!
 鱗の爆弾は俺の目の前で爆発した。
「な……んだと……」
 地面に転がった怪人は驚愕を隠せなかった。
 怪人は理解できなかったのだ。自分が地面に転がっていることではない。手を伸ばせば届く距離での爆弾を投げたのだ。自身が爆発に巻き込まれることは承知のことだった。彼が理解できなかったのは俺が無傷でいることだ。絶対に躱すことのできない至近距離で投げたはずなのに。
 危なかったぁ。俺は心の中で冷や汗を垂らす。
 怪人が投げつけた鱗が皮膚に接触する直前、ペンシルを回転させ発生させた風で爆弾を怪人に返し、自身は風のオーラで爆風から身を守ったのだ。かなりきわどかったけどうまくいってよかった。
「お前の奥の手はもう通用しない」
 俺は勝利宣言をし、怪人を見据える。彼は歯ぎしりし、俺をにらみつける。
「どうして俺たちの世界を侵略しようとするんだ?」
 気になっていたことを口にする。どうやら相手もしゃべれるようだ。ひょっとしたら対話ができるかもしれない。
「……そんなもの決まっているだろ」
 怪人の眼光がさらに鋭くなる。
「俺たちが生きるためだ!」 
 怪人は鱗を十数枚引きちぎりこちらに投げつける。彼の腕からは赤い液体が吹き出る。
 やべぇ! 
 咄嗟にペンシルを一回転させ風を起こす。風で爆弾を自身に届く前に全て爆破させる。爆風も全て風で防ぐ。
「ハァ、ハァ……まだだ……!」
 渾身の攻撃を防がれたにもかかわらず、怪人の眼光は消えない、いや、もはや狂気だ。対話はできない。
 何がそこまで彼を動かしてるんだ? 侵略する理由は色々ある。例えば、向こうの世界の資源が少なくなったから、こちらの世界に求めたとか。
「ペンシルを黒色に変えてください」
「あ、はい」 
 七香さんの指示でハッとなる。今は考え事をしてる場合じゃない。やらなきゃやられる!
 黒って、あぁ最初に使ってたヤツか。
 俺は言われるがままにペンシルを黒色に変える。
「NORMAL COLOR PENCIL」
 ドライバーの電子音声と共に強化スーツの色が黒色に戻る。
「ペンシルを三回回転させてください」
 再び指示がくる。
 俺は言われるがままにドライバーのペンシルを三回転させる。すると、先ほどよりも濃い黒のオーラが全身を覆う。
 みなぎる力が一回転させたときの比ではない。
「ふぅ」
 俺は息を吐き、怪人を見据え走り出す。
 怪人もふらふらと立ち上がり迎撃態勢を整える。
 俺は跳躍し、右足にオーラを収束させ突き出す。同時に怪人も右拳を突き出す。俺の右足と怪人の右拳が衝突し、余波で空気に振動が走る。拮抗したかに見えたが、均衡は一瞬で崩れた。
 俺の右足が怪人の右拳を砕き、ボディに炸裂した。
「がぁあああああ!」
 俺の蹴りを受けた怪人は数十メートル飛び、断末魔と共に爆散した。    
「今度こそ終わりですよね」
 七香さんが小さく頷いたのを確認し、俺はドライバーを腰から外す。体を纏っていたスーツは粒子となり消失する。
 ドライバーからペンシルを抜いて確認する。
 さっき見た時より少し短くなってるような気がする。気のせいか?
「じゃあ、帰りましょうか」
 俺は座り込んでる彼女に手を差し出す。
「あの……」
「帰る場所ないならうちに来てくださいよ」
「ですが……」
 彼女の口がこもる。
 今日会ったばかりの人からいきなり言われても返事に困るのは当然か。うーん。だったら。
「じゃあ今晩だけでも泊まっていってください。いきなりいなくなったら祖父ちゃんびっくりしちゃうんで」
「……分かりました。お世話になります」
 俺の手を取ってくれた七香さんの頬には光るものが流れていた。それが何を意味しているのかは今の俺には分からない。
 今日、出会ったばかりの人にそこまで聞くのは踏み込み過ぎだろう。
 俺は彼女に何も問わずに帰路についた。