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京都工芸繊維大学 文藝部

Top / 活動 / 霧雨 / vol.46 / この国の片隅で プロトタイプ
Last-modified: 2020-12-21 (月) 21:19:32 (275d)
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活動/霧雨

この国の片隅で プロトタイプ

そう

 木々の隙間から僅かに光が差す。昼間でも薄暗いがまだ明かりは必要ないだろう。
 足が痛くなってきたので、地面に座り込んでみる。ひんやりと湿った感覚がお尻から伝わり汗ばむ体を冷やしてくれる。
「ふぅ」
 一息つき、木々の空気を大きく吸い込む、緑の香りが体内に入ってくる。
 どこまで歩いたらいいのだろうか? 
 特に行きたい場所があるわけではない、たまたまこの森は都合が良さそうだったってだけだ。いい場所ないですか? と人に聞いてみたい気持ちもないわけではないが、こんなところに来る物好きなんて……
「そこのお前……」
 いた。
 目の前には私より十歳ぐらい年上の二十代後半と思われる男性が立っていた。黒いジャケット、黒いズボン、黒い運動靴、黒いリュック、黒装束であり、お葬式にでも行くのかと思ってしまった。あ、でもお葬式だったらスーツか、じゃあ違うか。
「女一人で何をしている?」
 男は冷たい声で訊ねてきた。 
「なんでそんなこと聞くの?」
 答える際、思わず視線を逸らしてしまった。
「女一人で来る場所じゃないだろ」
 男のもっともな指摘。確かにここは女一人で来るような場所ではない。というか人が好んで来るような場所ではない。一度入ったら二度と抜けれないと言われている樹海、詳しい大きさは知らないが、小さい町ならすっぽり収まる程度の大きさはあるだろう、道に迷えば最後二度と人工物を拝めることはない。こんなところに来るのはよほどのバカぐらいのものだ。
「そ、そういうあなたはどうなのよ? なんでこんなところに来たの?」
「俺はユーチューバーだ」
「嘘」
「どうしてそう思う?」
 男は表情一つ変えずにしらばっくれる。
「あなた、カメラ回してないじゃない」
「見知らぬ女性を勝手にカメラに収めるのは盗撮ではないのか」
「それもそうね」
 男の言葉を信じたわけではない、いや、ユーチューバーというのは嘘だと思うが、これ以上問答をしても仕方ないのでこの話は止めよう。
「じゃ、休憩も済んだし私はそろそろ行くわ」
 重たい体を起こし、ジーパンに付いた土を払う。
「どこに行くんだ?」
「どっか。じゃあね」
 軽く手を振り、背中を向け歩き始めたのだが……。
「なんでついてくるの?」
 男はなぜか私の数歩後ろからついてくる。
「お前が動画映えしそうなところに行くのかと思っているからだ」 
 コイツ……。
「私はそんなところ行かないわよ。だからあなたは勝手に一人で動画映えしそうなところに行きなさい」
 男の単調な返答、多分嘘だ。何か別の目的があるに違いない。別の目的……まさか……!
「あ!」
 私は男の後方に指を差す。男は一瞬後ろを向いた。今だ。
 私は脱兎の如く駆け出した。男はすぐに気づき弾丸のように走り出す。
 やっぱりそうなのね……コイツはユーチューバーなんかじゃない。おそらくここに来た人を襲っている変態。ここが助けを呼べない辺境なのをいいことに女性を襲い、自身の性欲を満たす人の風上におけないクズ。こんなヤツに捕まりたくない!
喉がカラカラと渇く、汗で服がにじんでくる、お腹痛い、苦しい。
 枝や土を踏む音が確実に近づいている。やっぱり体格と運動量の差、私、最近部屋に引きこもってたし、こんなことならここに来る前に走り込んでおけばよかった……!
「危ない!」
 男の叫びが耳に響く。
「え?」
 足が地面に沈む、否、私が走ってたどり着いた場所は底が見えない崖だった。そうとも知らず飛び出した私がどうなるかは火を見るより明らかだった。
 あっけない最期だったな……でもいいや……これで目的は果たせたのだから……私は全身で風を感じながら目を閉じた。

 なんかいい匂いする。なんだっけ久しく嗅いでないヤツ……お味噌? 違う、野菜を炊いてる感じの匂いだ。
「う、うーん」
 開きかけた瞼から光がうっすら差し込んでくる。
「目が覚めたか?」
 聞き覚えのある声……って!
 ハっと我に返り勢いよく上体を起こす。体の上に被さっていたボロい布団が宙を舞った。
「元気そうだな」
 先ほど樹海で私を追いかけてきた男が立ち上がり、私が飛ばした布団をキャッチした。
「ここはどこ?」
 周りを見渡すと、ボロい畳の床、所々にある茶色い木の柱、部屋の外に続く木の床の廊下、廊下の外に広がる緑の地面、ちょっと古い一軒家といった感じだろうか。でもさっきまで樹海にいて、崖から落ちたはず。なのにどうしてこんなところに?
「詳しいことは知らんが、過去の世界だそうだ」
「……?」
 男の口から出てきた意味不明のワードにどう対応していいのかが分からない、聞き間違えたのだろうか?
「おやぁ、目を覚ましたのですね」
 廊下から六十代ぐらいのお爺さんがゆっくりと現れ軽くお辞儀した。
「あ、どうも」
 お爺さんにつられてお辞儀した。
「どうぞこちらへ」
 お爺さんに隣の部屋へ案内してもらうと、そこは先ほどまでいた部屋より一回り大きく、中央には囲炉裏があり、お鍋がぶら下がっており、そこからおいしそうな匂いが漂っていた。
「よかったら一緒にどうぞ」
「いただきます!」
 お爺さんからお鍋の汁物をお椀によそってもらい、口に運ぶ。
 何これおいしい!
 具材の山菜のシャキシャキ具合といい、お出汁の塩加減といい、薄味で素材の味を引き出してるって感じ。ここ最近ちゃんとした物を食べていなかったせいか余計においしく感じる。 
「おかわりください!」
「はいはいどうぞ。たくさん召し上がってください」
 お爺さんは微笑みながらおかわりをくれた。
 私が五杯目をいただいたところで男が口を開いた。
「すみませんが、この村のことを彼女に話してもらってよろしいでしょうか」
「あぁ、そうですね。話しておいた方がいいですね」
 お爺さんがふぅと一息つく。
「そういえばこの男から異世界と聞いたんですけど、どういうことですか?」
 私は五杯目のお汁を飲み込んで一番気になっていた質問を投げかけた。
「はい。ここはあなた方の住んでいる世界よりも過去の世界ですです」
 どういうこと? 過去の世界だとしてもどうしてここがそうだと分かるのだろうか? 
「携帯を見てみろ」
 男が静かにつぶやくので私は薄地の上着のポケットからスマホを取り出すが……
「圏外」
 でも、圏外ってだけでここが過去の世界だと決めつけるなんて……。
「あなた方のいた世界の年号は何年ですか?」
「えっと、二〇二〇年です」
「ここでは一九四七年です」
「え?」
  嘘でしょ? 意味が分からない。
「一九四七年です。一昨年戦争が終わったところです」
 一昨年……一九四七年の二年前の一九四五年は世界を巻き込んだ戦争が終結した年だ。小学校の歴史の教科書で勉強したなぁ。
 うーん。さっきまで二〇二〇年にいたのに気が付いたら一九四六年って、百歩譲って逆なら昏睡状態でしたとかであり得ないことはないかもしれないけど、過去にタイムスリップはどうしても信じられない……でも、この人たちが嘘を言ってるってことも証明できない。
 つまりここは過去の世界、あるいは年号が違うだけの村、もしくは異世界のどれかであるということだ。どれが本当なのか分からないので、ここが過去の世界だという話を信じるというのは難しいが、違うとも断言できない。
「で、よろしければなんですけど……」

「うぅー」
 汗が滝のように流れ落ちる。そんなに気温は高くないと思うんだけどなぁ。
 暖かい日差しの下、学校の運動場ほどの畑の中、私は足がおぼつかなくなっていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないかも……」
 お爺さんからよかったら農作業を手伝ってもらえないかと言われたが、最近引きこもっていた私にはしんどかったようだ。大した作業はできなかったのに休ませてもらうことになった。
 畑のすぐ隣の物置の影に腰を下ろす。
 私はグロッキーになっているのにあの男は汗一つ浮かべない。これが男女の体力差、否、私が運動不足なだけか……。
「あのー」
 すぐ近くのかわいらしい声がした方を振り向くと座った私の目線の高さほどの少女が古びた茶碗を持っていた。
「これ飲んで元気出してね」
 少女が手に持っていた茶碗をおそるおそる差し出してくれた。
「ありがとー!」
 茶碗の中の液体に口をつける。
 何これ甘い! 自然の甘みが口の中で広がる。とても甘いのに後味すっきりで飲みやすい。茶碗の中身を飲み干し、容器を少女に返す。
「えへへ。お姉ちゃん元気出た?」
 え? かわいい。
「元気出た!」
 なんでだろ? 体から力が湧き上がってくる! 何これ凄い! この子の笑顔ずっと見てたい! 
「わーい!」
 少女が両手を挙げて喜んでくれた。
「あ、ところでその髪型かわいいね」
 自分でも驚くほど急な話題転換。髪型だけでなく、笑顔、声、体型等々存在、というか概念レベルでかわいいのだが、全部語っても年が一桁の少女に言っても通じそうではないので一番おしゃれがんばったんだろうなって思ったところを褒める。
「ありがとー! これね、ついんてーるっていうらしいの。知ってるー?」
 少女はウサギのように跳ねながらこちらにまぶしい笑顔を向けてくる。この子の笑顔を見てると元気が出てくる。これなら農作業三日ぐらい不眠不休で動けそう!
「ありがとね! 私、作業に戻ってくるよ!」
「いってらっしゃーい!」
 少女が手を振って見送ってくれた。私も手を振って、畑にスキップ混じりの小走りで戻った。
 五分後。
「お姉ちゃん大丈夫?」
「ら、らいしょーふ……」
 あぁ、情けない……。私は男におぶわれ再び物置の日陰に戻ることになった。 
「しっかり休んどけよ」
 男はそれだけ言い残し、畑へ戻っていった。

「いやぁ、今日はありがとうございました」
 日が暮れたあと、お爺さんの家の囲炉裏でご飯をいただいていた。
 あぁ、結局あの後、私は作業できなかったし、ひょっとして私って足手まとい? 雑炊を口の中に流しながら考える。
「別にいいだろ。向き不向きがあっても」
 隣に座っていた男がぶっきらぼうに声を投げる。
「……声漏れてました?」
「いや、なんとなく『どうせ自分は役立たずで生きてる価値のない穀粒しのゴミで、今すぐ死ぬべきだ』とかくだらないことを考えていると思ったのだが、違ったか?」
「さすがにそこまでは思ってないです」
「畑の作業以外で手伝うべきことはありますか? 例えば子供たちの相手等」
 男がお爺さんに問いかける。
「そうですねぇ……それもありがたいですね……」 
 気のせいだろうか? お爺さんの返答が少し歯切れが悪かったような……まぁいいや。
「そういえば、私たち以外にもこの村に来た人っているんですか?」 
 ふと気になったことを訊いてみる。
「えっと、それはあなた方みたいな異世界から来た人が他にもいたかということでしょうか?」
「はい」
「いたかもしれませんが、私は会ったことがありません……お力になれなくてすみません」
「そうですか……」
 
 談笑を終え、昼間私が眠っていた部屋、客室に通された。着替えとして薄い茶色の浴衣みたいな服を貸していただいた。サイズは少し大きいような気がするが、貸していただけるだけありがたい。。
 明かり代わりの皿の上にあるろうそくの火を消し、布団の中で眠りについた。
 
 何もない黒い空間、見渡す限り漆黒の闇しかない何も見えない何も感じない空間に私は一人立っていた。
「梅花(うめか)」
 私を呼ぶ男の人の声、この声は……!  
 振り返るとそこにいたのは……
「お父さん……」
「久しぶりだな」
 頬に熱いものが流れ落ち、衝動に駆られるままに私はお父さんの胸に飛び込んだ。
「おいおい泣くなよ」
「だって! だってぇ……!」
「もうそんなに泣かないの」
 今度は聞き覚えのある女性の声。
「お母さん……」
「あ、あ……」 
 うまく声が出ない。もう頬をつたうものが止まらない。
「やっほー!」
「久しぶりだね」
 高校の友人の紗綾(さや)と里奈(りな)だ。二人ともこちらに駆け寄ってくる。
「うぅ……」
「梅花、少し痩せたな」
 お父さんは優しく声をかけた。
「あっホントだ。大丈夫?」
「ムリなダイエットは禁物だぞ!」
「しっかりご飯食べてるの?」
 みんな私の心配をしてくれる。
「う゛ぃ、う゛ぃんう゛ぁあ」
 声が変な感じになる。 父が優しく背中をさすってくれる。
「梅花、じゃあ行こうか」
 父が優しく微笑みかけた。
「行こっ! 梅花」
 紗綾もノリノリ。
「そうね。長居してもね。つのる話は向こうでしましょ」
 お母さんも。
「行く……って、どごに」
 少しだけ声が普通になってきた。
「決まってるじゃん……」
里奈が私の肩に手をおく。
「あなたのせいで私たちは……」
 振り向いて里奈の顔を見ると
「死んだんだ」
 血の涙を流し憤怒の表情で、私の肩を血が出るほど強く握っていた。指が食い込み肩から血が流れ落ちる。
「あ、ああ……!」
「お前のせいで……」
「ごめんなさい」
「あなたのせいで……」
「ごめんなさい」
「あんたのせいで……」
「ごめんなさい」
 四人が私の体を強く掴む。捕まれた部位に指が食い込み血が流れ落ちる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 声が止まらない。ひたすら誤り続ける意味はないのに許されるはずなんてないのに……。
「「「「一緒に死ね」」」」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「おい! おい!」
 目を開けると、男が座っていた。
「どうした? うなされていたぞ」
「あ、はい……大丈夫です……」
 ゆっくりと上体をあげる。
「せっかくだ星でも見に行かないか?」
「……星ですか?」
 男に誘われるまま外にでると、頭上には都会では見れないほど美しい星空が広がっていた。
「すごい……」
「なぁ、そういえば自己紹介してなかったな」
 男が星空を眺める私に声をかける。そういえば自己紹介をしていなかった。誰もしようとしていなかったので私も忘れていた。
「俺の名前は夜野景瑠(やのえいる)、ユーチューバーだ」
「嘘ですね」
「なぜ嘘だと思う?」
 男が臆面とせず言う。
「そもそもどうしてあなたは樹海に入ってきたんですか?」
「それは面白い動画を撮るため」
「面白い動画って具体的にはどんな動画を撮りに来たんですか?」
「それは……」
 男が口ごもる。
「これは個人的な意見なんですけど、単純に樹海を撮るよりも何か面白みのあるものを撮ってもよかったんじゃないですか? 例えば誰も寄りつかない樹海を歩いていたら女子高生に遭遇しました。とかね」
 男には見知らぬ人を無許可で撮るのはよくない、という信条があるのかもしれない。しかし、面白い動画を撮りたいのであればそういうハプニングを撮ってもいいと思うのだ。いきなり撮影しないと決めるのではなく、「動画撮ってもいいですか?」と許可を求めてもよかったかもしれない。私はユーチューバーのことなどよく知らないからどうなのかは分からないが。少なくともどんな動画を撮りに来たかと聞いて答えられないというのは不自然だ。
「そうだな。そういう工夫をしないから俺の動画の再生数は伸びないのだな。アドバイスありがとう」
 男は呼吸を整え礼を言ってきた。あくまでしらばっくれるつもりか。
「それで、君の名前は?」
「花沢実(はなざわみのり)です」
「嘘だな」
 心臓がビクッとした。どうして?
「勘だ。君は俺のことを信用していない。簡単に本名を教えるはずがないと思っただけだ」
 自覚あったのか……。
「といのは半分嘘だ。君の知り合いの知り合いってだけだ。星月梅花(ほしづきうめか)」
 思わず息を呑む。どうして? っていうか知り合いの知り合いって……。
「あの? その知り合いって誰ですか?」
「……そういえば、『異星人がこの星を護る話』って知ってるか?」
 男が露骨に話を逸らしてくるが、もういいや、どうせ答える気はないのだろう。     
「はい。知ってますよ。一九六六年から放送され、今もシリーズものが続いている不朽の名作ですよね」
 とりあえず返答しておこう。
「詳しいな」
「そうですか?」
「今も見てるのか?」
「はい。初代から全部見ました。もうすぐ放送の新シリーズも楽しみです」
「そうか」
 男は少し微笑みを浮かべた。
「変ですか?」
「変って何がだ?」
「いや……その……」
 言葉が詰まる。女なのに高校生ともういい年なのに端から見たら男の子向けの番組を視聴するのは悪いことではないが、周囲から見たら変なのではないか? どうしてもそう思ってしまう。それを自分では言いにくい。
「別にいいんじゃないか? あのシリーズは老若男女誰が見ても面白いようにできている」
 男から意外な言葉がスラリと出てきた。
「そ、そうですよね! 分かってくれますか!」
「ああ。面白くないものが五十年も続くわけない」
「はい!」
「噂に聞くとそのシリーズから生まれた言葉もあるらしいな」
「えぇありますよ。確か……」
 自身の表情が固まるのを感じた。あぁそういうことなのか。
「どうした?」
「え、あ、いや、なんでもないですよ」
 前に突き出した両手を全力で振って誤魔化す。男は首を傾げ不思議そうな顔をしていた。
「じゃあお休みなさい」
 乾いた笑顔を作って布団がある部屋に戻る。疲れた。

 またあのおいしそうな匂いだ。昨日ごちそうになったあのお汁の。静かにだが話し声も聞こえる。あのお爺さんの声だ。うっすらと光が視界に入る。
 あぁ、もう悪夢は見ずに朝を迎えることができたのか。

 食事を終え、農作業手伝い……では役に立たないので子供の相手をすることになった。昨日と同じ小さな小屋の日陰で昨日会った少女と談笑する。ほんとかわいい癒やされる。
「おねーちゃん」
 一緒に遊んでいた女の子が顔を赤らめてもじもじし始めた。
「どうしたの?」
「お花摘みに行ってくるね」
 あぁ、そういうことね。
「いってらっしゃい」
 あの様子だとさっきから我慢してくれてたのかな。だとしたら悪いことしちゃったかも。
「どうだいこの村は?」
 ぼんやりと遠くを眺めていた私に家でお世話になっているお爺さんが話しかけてきた。
「いいところだと思いますよ……」
「どうしたのですか?」
 思わず口ごもってしまった。多分聞かない方がいいんだろうが、聞かずにはいられなかった。  
「どうしてここが過去の世界だと言ったのですか?」
 肩がビクッて動いた。空気が凍り、背筋に悪寒が走る。
 お爺さんの表情も永久凍土に閉じ込められたかのように固まっていた。
「え、あ、や、じょ、冗談ですよ。はは、はははは」
 思わず乾いた笑い声を出さずにはいられなかった。私のあがきも焼け石に水、このドライアイスのような空気を打破することはできない。
 額から流れた汗が凍り付きそうだ。どうすればいい?
「お嬢さん……」
 先ほどまでとは違う冷たい声。やっぱり触れちゃいけないことだったんだ。 
「おねーちゃん!」
 先ほどお花を摘みに行った少女が手を振りながら戻ってきた。
「あ、おじいちゃんもどうしたの?」
「あぁ、いや、なんでもないよ。お姉ちゃんと少しお話をしていただけだよ」
 先ほどまでの柔らかいお爺さんに戻ったが、私は直前の氷の雰囲気を忘れられずただ固まった表情で首を縦にふることしかできなかった。

 再び夜が来た。夜野景瑠と名乗った男もお爺さんも昨日と同じく談笑しながら食事をしていたが、私は談笑の輪に入ることはできなかった。
 食事後、貸していただいた部屋へ戻り一人考える。やはり聞くべきではなかったのだろうか?
 布団の中で考える。聞いたところで何になったのだろうか? わざわざ過去の世界だと行ったのには何か理由があるはずなのに。それを暴いて何になる? 帰り道を知るため? 帰っても何になる? 帰ったところで私に居場所なんてないのに。
「――バレたんですか?」
「いや、だがおそらく――」
 ヒソヒソ話が聞こえる。閉じかけた目をこすりながら上体を起こす。おぼつかない足でゆっくり、物音を立てないように廊下に出て話し声のする方へ。聞いたところで何かが変わるわけではない。何も変わらない。それでも聞かずにはいられなかった。   
 声がしたのは先ほど食事をいただいた部屋。そっと覗くと二
人の三十代ほどの男性とお爺さんが囲炉裏を囲んでいた。
「バラしましょうか?」
「それがいいかもしれないね」
 バラすってえっと、ネタばらし? 何かのサプライズ? それにしては雰囲気が冷たい。
「そこで何してるんだ?」
 背後からの声に背筋に電流が流れる。
 恐る恐る振り返ると、氷よりもさらに冷たい目をした体の大きい男性が立っていた。
「ひょっとして聞いていたのかい?」
 お爺さんが淡々と聞いてくる。子鹿のように震えながら首を横に振る。ただひたすら脳が揺れて死ぬかと思うくらい振った。
「そうか。聞かれてしまったかい」
「あ……い……聞い……て……は、は……」
 声が出ない。呼吸が苦しい。自分の呼吸音が小刻みに震えている。荒い。心臓がバクバクする。立っていられない。
「下手に騒がれても面倒ですし、ここでヤってしまった方がいいでしょうか?」
 囲炉裏を囲んでいた男性のうちの一人が包丁を持って立ち上がる。
「そうなるともう一人の男の方も寝ている間に始末しましょうか?」
 もう一人の男も立ち上がり、私の横を通り過ぎて行く。
 声を出して知らせないと……! 
「あ……え……は……」
 出ない。声が出ない。息が上がっていく。意識が朦朧としてきた。
 包丁を持った男性がゆっくり近づいてくる。
「じゃあな。子供の世話してくれたのはありがとな」
 男が包丁を振りかぶる。思わず目をつぶり両手を前に突き出した。
 ドン!
 大きな物音が背後からした。
「面白いもてなしをしてくださるんですね」
 振り返ると廊下の端で先ほど歩いて行った男が倒れており、こちらに夜野景瑠がゆっくりと向かっていた。
「この野郎!」 
 私の背後に立っていた男が夜野景瑠に飛びかかろうとするが、その前に男は何かに飛ばされ、私の背後を通り過ぎて壁に衝突し、動かなくなった。
「お前らを制圧するのは石ころを弾くだけで十分だ」
 夜野景瑠は小銭より小さな石ころを数個、掌で踊らせつぶやく。
「くっそ!」
 包丁を持った男が私に包丁を振り下ろそうとするが、それより早く石ころが包丁を弾き飛ばす。私が思わず瞬きをしてしまい、再び目を開いた時には男は地面に倒れていた。
「で、何をしようとしていたんだ?」
 私の背中のすぐ近くまで来た夜野景瑠がお爺さんに問い詰める。
「すまんが、秘密を知られてしまった以上、あなた方には死んでもらわなければならない」
 お爺さんの氷よりも冷たい声。私は背筋が凍ったが、夜野景瑠は岩のように動じなかった。
「秘密とは何でしょうか?」
「しらばっくれてもムダじゃ」
「こ、ここが過去の世界じゃないってことですよね」
 私も震えているが、ようやく声がでるようになった。
「なんだそんなことか」
 夜野景瑠は大したことなさそうにつぶやく。
「詳しい事情は知らないし興味もない。何か後ろめたい事情があるんだろう。別にそれについては何も言う気は無い。どうだろうか。この村から外へでる出口を教えてもらえないだろうか?」
 落ち着いた様子で淡々と話している。
「ムダじゃよ。出口なんてない」
 お爺さんは言い切る。
「いや、あるはずだ」
「どうしてあると?」
「朝にいただいたお汁、塩加減が絶妙で大変おいしかった」
「そりゃどうも。それで、それが何だというのかね?」
「あの塩の味は岩塩じゃなくて海からとれた塩の味だった。だがこの村には海はない。だからあるはずだ。海の塩を外から手に入れるために必要な経路が」
 お爺さんは沈黙する。
「それにな、俺には仲間がいる。三日経っても俺が出てこなかったら捜索隊が出る予定だ。俺たちをここから出した方がいいと思うのだが、どうだろうか?」
「……分かった」
 お爺さんが重い口を開いた。

 それから私と夜野景瑠は村の隅っこにある木々で隠されていた道から外へ出た。お爺さんとこの村のことは世間には口外しないという約束を交わした。
「ほらよ」
 彼は村が存在した森を出て数分歩いたうっすらと街灯が光っている人気がない路地にある自動販売機で購入したココアを投げてきた。
「あ、ありがとうございます」
 私は缶を開け、口をつける。
「どうして、あの人たちはあそこを過去の世界と偽っていたんでしょうね?」
「さぁな。なんかあったんじゃねぇの? 戦争とか」
 男も自動販売機で缶コーヒーを購入し、プルタブを勢いよく開ける。
「戦争ですか……」
「お爺さんが言ってただろ。戦争が終わったのは一昨年だって」
 言われてみれば、単純に年を言えばいいだけなのにわざわざ戦争が終わった時まで言うなんて。不自然というほどではないが、言われてみれば少し気になる。
「だから、戦争で何かあって集まった集落なんじゃないか? 詳しいことは知らないけどな」
 戦争……詳しいことは分からないが、何かはあるだろう。例えば、戦争の空爆から逃げ延びた人、非国民と迫害された人……そういった人たちが集まって生まれた村。年号を偽っていた理由は分からないが、おそらく私たちと同じになりたくなかったのだろう、過ごしている時代も、全部。
「そういえば、あの様子だとあそこが過去の世界じゃないって分かっていたみたいだが、どうして分かったんだ。冷静に考えればバレバレの嘘だとは思うが、確証を得るのは難しいと思うのだが」
「ツインテールです」
「……なるほどな」
 察し早い。そう、ツインテールの語源は一九六六年から始まった『異星人がこの星を護る話』に出てきたキャラクターである。つまり、一九四七年の世界にあるはずがないのだ。
「あの、今日はありがとうございました。私はこれで」
 私はゆらゆらと歩き出す。
「どこに行くんだ?」
 男は鋭い声で私を引き留める。
「えっと……」
 言葉が詰まる。
「そうだ。すまないが、夜野景瑠っていうのは偽名だ」
 なんとなく分かっていました。
「こういう者でな」
 男はジャケットから取り出した黒い財布を開き中に入っていた名刺を私に差し出した。
「神崎零(かんざきれい)、探偵?」
 思わず名刺を読み上げる。
「よかったら依頼を聞くが」
「依頼ってそんな……」
「そういう依頼を受けてる最中だからな」
 依頼……まさか、彼があの森にいた理由って……!
「ある人に頼まれてな。君を護って欲しいって。まさか樹海へ行くとは思っていなかった」
「ある人って誰ですか?」
「それは隠すように言われている」
 なんですかそれ……でも、親友も家族もいない。私なんかを庇ったせいで……。
「あとな、こっちも今人手が足りなくてな。行く先がないなら助手としてこちらに来てくれると助かる」
「助手って随分虫のいいこと言うんですね」
「悪い話じゃないと思うぞ。お前の大切な人を奪ったのは相手には黒幕がいる」
 黒幕? 私の目が見開くのを感じた。
「黒幕の正体は不明だが、存在していることだけは確かだ。探偵稼業をしながら正体を探るというのは悪い話ではないと思うが」
 夜野景瑠、いや神崎零の話は半ば信じられないものであった。それ以前にどうしてそんなことを知っているんだ? という疑問も頭をよぎる。コイツが黒幕という可能性もある。
「分かりました。やります。探偵の助手」
 でも、もし一つでも私にできることがあるのであれば、私の大切な人を奪った黒幕に復讐できるのであれば、なんだってやってやる。
「これからよろしくな」
「こちらこそよろしくお願いします」
 街灯が照らす常闇の路地で二人は固い握手を交わした。