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京都工芸繊維大学 文藝部

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Last-modified: 2020-03-19 (木) 09:05:04 (14d)
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活動/霧雨

主義大戦

狐砂走

 錆びた黄金の器の中にはオレンジ色のスープがあり、クッキーのような焦げ茶色の塊が浮いている。七面鳥の丸焼きや天井まで届きそうな程高いウェディングケーキ、ライトグリーンの液体が入ったガラスの水差し、オークの木でできたテーブルの上には目がチカチカするような食品が並び、錆び付いた銀のフォークやナイフはステーキやテーブルに刺しっぱなしだったりして、礼儀や体裁などの難しい事はこの部屋には無かった。

 百台程のモニターには世界中の「混乱」が映し出されていた。その中の一台にサイレン男が映ったモニターがあった。モニター室では世話しなくスーツを着た人々が走り回ったり、立て続けに電話が鳴り響き急いで対応していた。金属製のテーブルが規則正しく並んでいるものの、テーブルの上に置いてある書類はコンピュータのキーボードに分厚く覆いかぶさり、人々に忘れさせないようテーブルの端には黄色のポストイットが張られており、接着剤の効果が切れそうなのか、数枚剥がれかけていた。
 天井に届くほど巨大なホワイトボードには十二人の顔写真が張り付けられており、深緑の円形マグネットで止まっていて、マグネットから赤い糸で他の新聞記事や顔写真へ結びつけて十二人の人間関係や経歴が載っていた。十二人の行動は基本的にバラバラで集団行動に向かない性格をしていた為、十二人どの人も互いの顔写真には一本も糸は繋がっていなかった。しかし、一つの新聞記事だけは十二人全員へ糸で結ばれていた。
 

 政府の役人が大慌てにモニターで監視しながら調べ事をしているのは如何なる時でも対応できるように二十四時間態勢で準備をしているからである。今のモニターでサイレン男と話していた彼女こそ大事故の元凶である文原愛狸であり、彼女の堪忍袋が破裂する一歩手前にあったのは今から一週間前の事になる。 


「ふわぁ......眠い」
 ペンギンやクマ、ウサギ、アザラシ、シロイルカ等が布と綿でできた体で桜色の掛布団の上や中を占拠しており、瞼が振り子のように一定のリズムで開閉した少女の顔を黒いボタンで見つめていた。
(私だって好きでこんな風に脅威となった訳じゃないのに......)
 文原愛狸。二十一歳の恋愛至上主義者。全ては恋愛を第一優先する事を正義とする。彼女の部屋の壁にはこれからの予定を忘れないように九や二十五に赤い油性ペンで丸を付けた紙束で来たる月が隅に十二個小さく記載されていたり、ハートのマークを模った振り子を左右に振れながらよく見ると謎の紅いシミが付いており本人が時間を確認する度にあんな事もあったと思い出させてくれる振り子時計などがあるが、壁紙や家具の色がパステルの色に染められているにも関わらず、綿菓子のような甘い部屋にメスを入れるように上から下に純白の紙に己の存在を宣言する墨汁の文字が場違いだった。とは言え、この掛け軸はずっと前からあった。本当にずっと前から。
「全ては愛の為に。愛は全ての為に」
 別にこの掛け軸は彼女が書いたものではなく、彼女がここに住み始めた時からあり、本人は疑問には思ったものの、特に気にしなかった。しかし何故か彼女にとってこの掛け軸を失くしてはいけないと思ってしまった。そして今もいる。
 彼女は毛布の中に入っていた目覚まし時計を見て寝ようとした。

「ねーむれー、ねーむれ。ねーむれ、ねーむれ」

 外から大音量で流れていた。女の子の声で子守唄のように歌っていた。不自然な点といえば、その曲が全方向から聞こえていた。こうも一様に騒音が聞こえるものだろうかと彼女は思った。
 
 ......

 聞けば聞くほど後頭部に鉄パイプでも殴られたような眩暈と頭痛が彼女を襲った。視界は曇り、瞼を閉じた。
 
 彼女が目を開けた瞬間、理解の追い付かない環境が待っていた。
 壁や天井はビスケットのように砕け、辺りの空気を赤く染め上げる紅蓮の露が床を一様に張って、部屋の真ん中にある視界に入りきらない程の円卓には天井の罅の入った蛍光灯の光に反射しているせいか、光り輝く茜色のテーブルクロスが敷かれていた。一人を除いて彼女以外の人間は誰もいなかった。
「これで終わりだよ。文原さん。人々が築き上げてきた平穏や権力は全て無くなる。私は笑うしかない。なぜってこれからどうなっていくのか想像しただけで面白いからだよ...」
 部屋の惨状がある事実を示していた。
 彼女と笑顔の男以外の九人の「現人神」は全員抹殺されていた。それも完膚なきまでに。彼女は考えた。
(この男が全員を倒したっていうの? いや、有り得ない。まずはこいつを仕留めないと...)
  私は腰のポケットから彼に悟られないようにアサルトライフルを取り出した。
 恋愛において片想いは一方通行であり、相手には中々気づいてもらえず、気づかれたとき恋愛は初めて本格的に始まる。この銃も同じように銃口が向けられているなんて相手には分からず、撃たれて初めて気づく。文原の恋愛主義に基づいた銃である。
「おや? 私を撃とうとしているのですね。しかし残念ながらその速さでは引き金を引くことさえ叶わない」
 彼は私のすぐ後ろにいた。さっきまで目の前にいたはずなのに。
(......っ!)
 本当に気付かなかった為、私の右手で掴んでいた銃が一瞬滑ってしまった。その一瞬は私に更なる不利を招いた。
 私の胸には壁や床についた紅い血が映った刃が刺さっていた。暫くして反射して映る血の中に自分の血が混じっていった。いつ刺されたのだろう。明らかに速すぎる。こんな化け物がずっと同じテーブルについていたなんて信じられない。
 「これで強者はいなくなりましたね。大丈夫です。あなたたちの分だけ暴れてあげます」
 薄れゆく意識の中で私は考えた。この俊敏さはとてもじゃないけど、人間の肉体では不可能だ。彼の主義の能力なのだろうか? 
「お前は化け物だ」
 私は後ろの彼に言い放った。
「......」
 彼は少し黙ると、
「そうですね、私は化け物です。人間の中でより人間性のある人物になろうと努力した結果、最も人間の姿とはかけ離れたものになってしまった。君達と一緒にいたときは多少自分はまともだと思った。しかしこれだけでは足りない。もっと人間性のある人間になりたい。これから起こすのはその願いを叶える為のもの。より人間である為にはこうしないといけなかった。ではさようなら。お嬢様」
「ねぇ、『恋愛は死なない』って知っている?」
 彼の顔の表情がこわばった。人の理屈では説明が付かない事をこなす人達。それが私達異能力者である。元々神を人の形にしたものが現人神と言われ、現人神の力が異能力として使われたのが現代である。超神秘的な力であっても、アニメや漫画のような想像のつきやすいものなので元現人神対策はある程度できるのが現時点の政府の見解であるが、「これはどうしようもできない」と匙を投げるような神が存在することがある。例えば、「恋愛」を司るような者だったり。
「絶対に許さないから」
 私は彼に心臓が燃え上がり、その火が吹き出しそうな濁った声で言いながら煙のように消えてしまった。


 ロンドン塔にて

 ロンドン塔刑務所所長に一本の電話がかかった。
「私だ。そっちは終わったのか?」
 所長は後ろの窓を目で確認したと思うと、所長室のドアに顔を向けて僅かな振動でさえも動いてくれるなと願いながら睨み、また窓に目を向けると世話しなく自分の視野を広げるように勤しんだ。
「......一本のメッセージが入りました。『ええ、はい。もう済みました。これであとは最後の一人、ヴァンダリッヒ・V・ヴェンゲールを処刑すれば終わりです。くれぐれも失敗しないでくでさいね。あなたの平穏が訪れる事を願っています』」
 通話は「あちら」の仕事が終わった事の知らせだった。サイレン男による報告。
(彼は約束してくれた。権威と金を望み通りよこしてくれると。こんな刑務所でも収入は仕事内容には見合わないはした金だ。この計画が成功すればそんな現状をひっくり返してくれるはずだ...)
 所長は席を立つと部屋を出て地下へ向かった。
「所長、護送準備が整いました! ヴェンゲールは特別独房にて拘束中です」
「うむ、私も立ち会おう。もしかすると命乞いでもしてくれるかもしれないしな。してくれたら珍しい事だ。特殊部隊はもう来ているということだね?」
「はい。対敵弾発射機部隊百名、戦車部隊五十名十台、機関銃部隊二百名。総勢三百五十名。そしてヴェンゲールは体中に特殊合金で作られた枷で拘束しているため、いつでも護送できます!」
「そうか」
 職員はまるであの怪物が脱獄するなんてあり得ないと言うかのようにハキハキと言った。しかし、所長はどんなに準備万全の報告がなされようとも脱獄されるのではないかと僅かな可能性を捨てきれない。もし脱獄されたら計画は台無しだ。脱獄という汚名を背負いながら働く事になる。
「少し用を足しに行ってくる。くれぐれも警戒を怠らないように」
「はい!」
 所長はトイレに入ると洗面台の鏡に顔を向けた。
(私ならできる! 今までこの刑務所はあらゆる凶悪犯罪者を処刑した。現人神一人くらい処刑できなくてどうするというのだ)
 所長は自分の手を見て初めて分かった。こんなにも自分の手が汗でいっぱいである事を。
(なぜ私が緊張しているのだ! 実際に護送してくれるのは職員と特殊部隊。私じゃない。大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ...)
 所長はトイレから戻ると、
「護送を開始する」
「はっ! 扉開錠!」
 職員の一言により、銀行の金庫のような自分の三倍もある円い扉がゆっくりと開いた。

「へー、今回は所長自身が俺の前に立つなんてどんな良い事があった?」
 扉の向こうからもう聞く事はないと思っていた男の声が聞こえた。
「今日は君の最後の日だ。何か言い残す事はないかね?」
 「その態度を見るからに、今日が俺の処刑の日という訳か。いやぁ、君達がこの俺を処刑するなんて滑稽すぎる。アハハハハハハハハハハハハ!」
 所長にとってこの男の笑い声は聞きたくなかった。聞くたび悪寒が酷くなる。
「そういえば、この俺を送り付けた人達はどうした?」
「......?」
「ほら、あのヤバい十一人。噂くらい聞いてるだろ?現人神」
「どうせのんきにやっているだろ? 全く...」
 


 ヴェンゲールは所長の顔つきを睨みつけた。
(あぁ、そういうこと。これは相当面白そうだなぁ)
 俺は数秒目を瞑った後、妙に手が汗ばんでいる所長とその他に向けて言った。
「おい、お前ら。そんな装備で俺を出迎えてくれるのは嬉しいんだけどよ。俺の能力を知っているヤツは居ないのかよ?」
 職員や特殊部隊は互いの顔を見合わせながら、顔を横に振ったり、「そんなの分かるかよ」っていう声を発している者が殆どだった。そして所長も知っている様子じゃなかった。
(あっ、やっぱり)
「こんな様子じゃ、誰も知らないってか? はぁ、ろくに俺の能力を知らないでここに引き取った感じかー。全く、俺を処刑するなんて高が知れる。アンタ、死ぬぜ?」
 所長の目は大きく開き、息が荒くなっていた。
「お前に何ができるというのだ! 今ここにいる部隊はこの刑務所の用意できる最高戦力だ。ビームが撃たれようが、お前を守る増援が来ようが返り討ちにできる! あまりこの私を見くびるなあああぁぁ! 」
 所長の頭には「冷静」という単語はもはや無かった。
(さっき、俺を閉じ込めたやつの所在を聞いたとき、知らない顔していたが、おそらく知ってやがる。俺の処刑に乗り出したって事は何かあったな?)
「うるせぇなぁ......久しぶりに運動してみるか」
 俺は口を大きく開けると、すぐに閉じた。


(どうしよう...初めてこの刑務所の職員になって何だかおっかない場所に来ちゃった...)
 僕はまだロンドン塔の職員になってまだ三か月間しか働いていない。だけど先輩から「良い体験だから」だと言われて来てしまった。
(あの金髪男、口を大きく開けて一体どうするつもりだろう?)
 金髪男が口を勢いよく閉じた瞬間、職員の一人が悲鳴を上げた。
「ぎゃああああああぁぁぁぁ!」
 思わず一体何があったのかと声のする方に目を向けてみた。すると、その職員の腕から大量の血が噴き出していた。
 いや、噴き出すなんて当たり前だった。なぜなら右腕がミンチのようになっていたのだから。
 所長は悲鳴が上がった瞬間、両肩が素早く上がって、声にもならない音を出して振り返った。
「一体何があった!」
 所長が周りの職員に強く問いただすと、
「いきなりこの職員の真下から白い『斬撃』のようなものが出てきて襲ってきたんです!」
「そんな馬鹿な事があるか!ヤツは指一つも動かせない拘束状態にあるんだぞ!」
 僕は金髪男の方へ目を向けた。すると、彼の拘束具は完全に破壊され、自由に動ける状態になっていた。
「はぁ...あの胡散臭いオヤジに当たらなかったか...まぁ、ずっと動かしてなかったし当たらないか。これでガラクタの拘束を壊す事ができたし」
 僕は彼の口元を見て気付いた。
(あの人、歯で舌を切ったんだ! )
 彼が勢いよく口を閉じた時、舌を噛み切った。この行為をトリガーとしてどこからどこもなく斬撃が降ったのだろう。いや、でも痛すぎるし、そんな能力常人なら使いたくもない。わざわざ舌を噛み切っていたら不味い。
 僕は一瞬瞬きしてもう一回彼の口に注目した。すると、彼の舌は何事も無かったように完治していた。
 いよいよ訳が分からない。自分を傷つけたら攻撃が相手に降り、すぐに自分は回復する。これが主義の現人神の力というのだろうか?
「やっぱり、出力方向言わないと駄目か......」
 所長の顔は汗がだらだらと流れ、口が半開きのまま震えていた。
「君達! さっさと捕まえんか!」
 所長は確かにそう言った。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十......
 所長の命令から十秒経ったが誰も動かなかった。特殊部隊は強化プラスチックで出来た盾を持った人がおり、万一彼が銃を取り出したところで跳ね返す用意があった。しかし、誰も動かなかった。
「おい、どうしたぁ? いつでもいいぜ? あのオヤジの言うことを聴かねぇのかよ?」
 誰も言い返せなかった。銃と盾をただ構えているだけだった。
「お前らの心境を当ててやろう...... 一つは迎撃態勢って言って俺から攻撃を行うのを待っているっていう腹。まぁ、そんな流暢に構えていていいのかなぁって思うけどな。二つはお前らの完全装備した武器と盾。もし外したらどういう風に切り刻まれるか想像してしまったから動けねぇっていう腹。いやぁ、人間の肉体ってのは本当に脆弱だからな?」
 彼がそう言うと、銃と盾を構えなおすように僅かに体を動かしていた。あながち間違っていないのだろう。
「そして三つは...圧倒的俺との戦力差。絶対俺には叶いっこないと心のどこかで考えてしまい、動けないと」
 彼がそう言うと、右足を地面に叩きつけた。足音が通常のタンッではなく、
 ドオオオォォォン!
 コンクリート造りの床に亀裂が走った。
「おい、お前らあぁ!」
 金髪男は僕達に向けて言った。
「今から十秒数える。数え終わるまでに俺の前から消え失せろ。残ったやつはその勇気に免じて特別にしっかりと破壊してやる」
 所長はハッと口を閉じて彼の言葉を聞いた瞬間、
「特殊部隊と職員は全員十秒以内に持てる全ての武器であの少年を殺せ! これは所長命令である! 逃げ出した者は処刑する! 何としても十秒後にあの少年に攻撃の隙も与えるなあああぁぁぁ!」
(冗談じゃない、あの金髪男と戦うだって? 確かに僕達は武器を持っているし、戦力で言えば三百五十対一。常人なら勝てない。だけど、さっきの訳の分からない攻撃はなんだ? あれはまだ本気を出していないんじゃないか? 何とか抜け出さないと...)
 僕は全員が金髪男に気を取られている時に拳銃を構えたまま、後ろに退いた。
 僕が退くと同時に機関銃と戦車の砲台の一斉射撃が始まった。全員一心不乱に撃っていた。撃った弾が当たっているかいないかはともかく、金髪男が動いたら負けると思っているのだろう。流石にあそこまでの銃弾で余裕はないと思った。しかし、その予想は外れ、
「十」
 確かに聞こえた。金髪男は全く動いておらず、平然と数えているようだった。なぜ生きているのか分からなかった。床は機関銃で消費された黄金色の薬莢で一面を素手に覆いつくしていた。
「九...」
 激しい銃撃音とともに彼のカウントダウンが聞こえていた。一秒ごとに職員や特殊部隊からは弱音を吐き始め。
「何で死なないんだよ!」「まさか、最後まで生きているんじゃないのか?」「そんな事は考えるな! 撃ちまくれえええぇぇぇ!」
 僕は部隊よりも大きく後ろに動き、遠くからその成り行きを見ていた。もし金髪男が死んでいたら、私は職員に見つかり、処刑されてしまうだろう。でも金髪男が負けるとは思えなかった。
「八......」
 一秒ごとに彼の声は高く震えていくようだった。
「そ、そうだ...砲台を撃てば奴を吹き飛ばせるだろ...戦車部隊は銃を捨て、装填準備!」
 銃じゃ効かないと分かると戦車で吹き飛ばそうと考えたらしい。
「七......」
「装填準備完了! 撃てえええぇぇぇ!」
 彼に向かって十発の弾が発射された。
「六......」
 それでも尚、彼のカウントダウンは止まらなかった。
「五、四、三、二」
 彼の声は依然と聞こえ、銃撃も終わらなかった。
「手榴弾を投げて吹き飛ばせ!」
 一人の特殊部隊員の言葉から三十以上の手榴弾が彼に向って投げられた。
「一」
 手榴弾は一斉に爆発して、煙が独房一帯を瞬時に覆った。爆風によって床に転がっていた薬莢は空中に飛び上がり、金色の雪が降っていた。
「零。はい、時間切れー」
 彼の言葉が聞こえた時、職員や特殊部隊の顔には全てを悟ったようなのか、汗が出てしょうがなかった。
「お前らさぁ...機関銃や戦車、手榴弾でこの俺を倒そうとするのはいいんだけどよぉ...」
 土煙が消えた時、彼の正体が分かった。
 彼は全く無傷じゃなく、全部当たっていた。当たっているから僕の目の前には体がどうしようもなくズタズタに引き裂かれ、彼の血は独房中に撒き散らされ、唯一口だけが残っている状態だった。本当にミンチのような体になっていた。そんな状態であるのにも関わらず、彼は平然と喋っていた。
(不死身...?)
 その場にいた人達は驚きの色を隠せなかった。人ならざる状態にて未だに生きている。
 そして彼はビデオの巻き戻しのように体が再生していき、一秒後には完全に元通りになっていた。
「銃弾って結構痛いんだぜ? 全く...まぁ、俺はそんなんじゃ死なないんだけどさ」
 所長はその様子を見て、
「か...怪物...」
 全くその通りだ。この地球上で誰もこれほどまでの再生能力はない。
「あぁ、勘違いするなよ? この再生能力は生まれつきだったから。んじゃあ、次は俺の出番な?」
 金髪男の口角は上がり、歯を見せて右手を自分の腹に向けた。
 職員や特殊部隊員達は一斉に逃げ出した。
「こんなの無理だろぉ!」「銃なんか邪魔だぁ!」
 彼らにはもう、闘争心なんてものは無かった。所長は右手に持っていた拳銃を持って彼に対して撃っていた。まだ戦いたいと思っていたからじゃない。考える事を止めたからだ。
 彼の銃弾は金髪男には当たっているようだったが、彼には全く効いていないようだった。
「Go to hell...」
 彼はそう言い放つと、自分の右手を腹に突き刺しながら、
「出力は敵の真上より...真っすぐに」
 すると先ほどの斬撃の何百倍の大きさもあろう純白の斬撃が隊員達を襲った。もちろん所長含めて。
「うあああぁぁぁ!」「助け...」
 独房の方から夥しい喘ぎ声が聞こえた。もう誰も彼らを助ける事はできない。
「何故、何故、何故こうなった...処刑するのは私の方だったのに...」
 なんとなく喘ぎ声の中からそんな声が聞こえたような気がしたが、実際言ったかどうかはもはや誰にも分からない。僕はあまりの轟音と斬撃の眩しさに数秒目を瞑ってしまった。
 音が収まったのはすぐだった。目を開けると死体すら残っていなかった。戦車や転がっていた薬莢は砂鉄のように細かく、元の状態が何だったのかも分からない。その場に立っていたのは僕と金髪男だけだった。
 金髪男は突っ込んでいた手を抜いた。もちろん穴が開いた腹も瞬く間に再生した。
「さてと、どこへ向かおうか...」
 彼は後頭部に左手をあてて、頭を掻いた。
「おい、そこのガキ」
 いきなり声をかけられた。一体何をしてくるのだろう。
「は...はい...」
「上司が俺の手で殺されたんだから、復讐してやるとかないの? もしくは看守として脱獄しようとしている俺を倒さなければならない義務っていうものがあるんじゃねぇのか?」
 彼から戦闘の意思があるか聞いてきた。もし戦っても骨の一片さえ残さないだろう。彼の口角は上がり、目を大きく見開いて、彼の拳は握りすぎによる爪の食い込みで自傷行為が起きる寸前であった。選択を誤れば死であった。
「僕がもし戦えば、僕は死にます」
「だろうな」
 彼のその返事は戦闘すれば終わりの宣言であった。
「僕にはこの事を誰かに報告しなければならない義務があります。だから死ぬ訳にはいきません...」
 僕は正面をしっかりと見つめる事ができなかった。目を合わせるたらどう会話すればいいか分からない。下手したら消えてしまう。
「出口はどこだ?」
「え? あっはい...ここの廊下を真っすぐ行って階段で一階まで上がってそこから...」
 彼は頭がボサボサに掻きむしり、数本の金色の髪が飛び回っていた。
「めんどい」
「はい?」
「そんな長いルート覚えられるかよ。とりあえず真上なんだろ?」
「まぁ、はい...」
 「真上」という単語が彼の口から発せられた瞬間、どうやってこの刑務所から出るのか一瞬思いついたがそれほどまで強いのかと身震いがした。
「出力を俺から真上へ」
 彼がそう言うと、握りこぶしを強く力んで、拳の隙間から赤い血が流れていった。彼の真上から純白の斬撃が飛び、真上へ放たれた。この独房は地下三十七階だったはずだが、真上から白い閃光が差し込み、土煙は彼の足元で流れていた。
「じゃあな、青二才。俺はここから出る。お前もこんな賄賂だの陰謀だのと宣うロンドン塔から出て、良い所に出世しろ。ここは退屈でしかたねぇよ」


 神屬戸(みやこ)にて

(本当っに変わらねぇな。この町は)
 脱獄には成功した。というか、「誘導された」ってのが正しい。何せ、俺の正体についてあの職員達は何も知らなかった。俺を本気で捕まえるなら能力くらい把握してほしかった。そうしてまずは挨拶しにこの町に来た。神屬戸は主義者の現人神が集まって呼ばれた町。神に屬する場所。こうして外を歩いても匂いがしてしょうがない。町の商店街を歩いてみると、蒼いバラの装飾がある皿が緑の絨毯の上に並べられていたり、黄色の黒く薄汚れたビール瓶のケースを上下逆さまに置かれ、その上に樫の木で出来た食器棚が持ち主を探すように上部に値段の書かれた付箋を付けて店の前に立っていた。また、白地の布に「大安売り」と朱色の筆で書かれた旗がそよ風に靡かれバタバタと音を鳴らしていた。俺と同じように歩く人々は店の品物を吟味したり、店員と世間話をして互いに笑いあったりしていた。
 そんな中、とある電気屋のガラスケースに並んである薄型テレビに目が止まった。何も薄型テレビが欲しいとかじゃない。電気屋のテレビは自らの商品価値を証明するように試運転のためにテレビの電源はついており、テレビに映るニュースが少し気になった。
「今日、○○博物館で最大の秘宝である『椅子』が展示されます。なんと古代ギリシアまで存在が確認されている程古いものと考古学者である......」
 何となく見入ってしまった。いや、気のせいかと思った。一回瞬きした後に画面を見つめると次のニュースに切り替わっていた。
「一昨日、現人神対策庁本部が何者かの手によって火事が起きました。硬い防衛システムで何十年も破られませんでしたが、テロ対策専門家である○○氏いわく......」
(へぇ、どうやら派手に暴れまわっているようじゃないかぁ)
「ヴァンダー、やっぱりここに来たのね」
 聞き覚えのある声。
(まさか、この町で最初に会った知り合いがこんな奴だとは......)
「お前に会うと本当に禄な事ねぇんだよ、恋愛狂信者」
「本当に失礼ね! 恋愛って素晴らしいのよ? 例えば......」
「はいはい、それ何度も聞いたっつーの」
 俺は徐に後ろを振り返ってみた。

 猫。着ぐるみを着た猫がいた。会って早々、理解が追い付かない。
「お前、何で今日は全身猫の着ぐるみを着ているんだよ...」
 数秒前を思い返してみると声が若干籠っていたような気がした。
「これ? 今日はそういう気分なの」
(どういう気分なんだよ......)
「それはともかくとして! 脱獄したってどういう事? 今更」
 俺は文原に脱獄に至る経緯を言ってやった。まぁ、巻き込まれた人達はいるのか確認したのかだの、尋問とかして情報を得るだの色々と説教が待っていた。
「へー。そゆこと。まぁ、結局その場に私がいた所でヴァンダーを止められないし、その人達の行動が怪しい。実は私の方も問題が起きていてるの」
(恋愛至上主義者の問題って恋の悩みしか無いと思っていたよ)
「一昨日ね、現人神対策庁が火事になったんだけど......」
「あー、やっぱついでに<十人>消えたってか?」
「なんで知っているのよ......」
(あー、まぁ予想は当たってたか)
「いや、今まで俺を最終兵器として隔離されていたのに急に処刑って変だろ。俺の司る主義名は<破壊主義>だから隔離しなければ世界が滅びるだなんて威圧してきたのはお前らだろ?」
(俺と文原を含めた十二人の主義者はどうやら他人にとってはやべぇ存在らしいから、政策への口出しも許されるという暗黙の了解が存在するから、まず最初に疑うのはそこだろ)
 十二人の主義者。主義者の中でも強大とされる人達。現人神対策庁が出来たきっかけがこの人達の存在であった。
「別に私は隔離に賛成していない。多数決で可決されただけ」
「十人中何人?」
 隔離決定時、俺は全く知らなかったので聞いてみた。
「十人中十人」
「十人全員俺の隔離に賛成かよ。相当俺に喧嘩を売りたいらしいな」
(嫌なら嫌だって正面向かって言えばいいのに。コソコソとやらずに)
「落ち着いて。十二人で潰しあった瞬間、この地がどうなるか分かったものじゃない」
(...)
 文原はまともな事を言っているように思えるが、着ぐるみを着た格好でそう言われても、全く説得力がなかった。
「九人は殺されて、残りの一人がやった。名前はガイウス・アリエス」
「あれか。次代平和主義者。代が変わるごとに平和主義の性質は変わるらしいが一体どんな能力を手にしたんだぁ? 歯ごたえのある奴ならいいけどよ」
 先代平和主義者である嘉規元源十郎(かきもとげんじゅうろう)を除いて誰も俺を倒した奴はいなかった。九十を過ぎた老人だったが、一切の手加減なしで戦って全くと言って
いいほど、足元に及ばなかった。第二次世界大戦を終結させた人間であり、嘉規元が死ぬまで、世界には紛争が一発も起きなかったという伝説があるほど強すぎる人間。奴が死んだ後の世界では俺に対抗する手段なんて存在しない。そもそも隔離がどうのこうの話し合われたきっかけを作ったのは嘉規元その人で、俺を倒した後に反省するまで大人しく牢屋でもいいからぶち込まれておれと一時的に拘留された為、チャンスと見た他の主義者達が隔離という案を打ち出した。
「本当に一戦交えてみてぇよ」
 俺は空を仰いでそう言った。
「...なら今ここで試してみますか?」

 聞いた事のある声。文原の声ではなく、男の囁き声。聞こえた瞬間、俺の視点は逆さになった。そして首から下が動かない。


 私はその声が聞こえるまで奴の存在に気付かなかった。現平和主義者アリエスを。
 ヴァンダーのすぐ真後ろに現れるやいなや、アリエスの右手で腰に携えていた刀の頭を触った。
 そしてヴァンダーは首を真っ二つに切られた。それはもう首の断面がくっきりと見えるくらい切れ味のいい刀で。
「...っ!」
 私は着ぐるみを煙に変化させてスーツ姿になった。
「へぇ、またあなたの能力てすか?」
彼は刀の頭に未だ手をかけていた。鞘から僅かに刀身が見えたが、紅い血がべっとりと付いていた。
「えぇ、『恋愛はため息でできた煙のようなもの』なの」
「はぁ、今まで『恋愛は...』と物や自身を一つの『恋愛』と見なしてあなたの恋愛観がそのまま『恋愛』に作用するというものですが、なんて出鱈目なんでしょうか...」
「うるさい! 私の恋愛観は正しく、全てはその原理に従う。そこには何も矛盾は生じない。そしてあなたも例外じゃない」
「ほう...それで? これから何を? あなたの救世主である破壊者は首をはねられてしまった。私の刀には細胞を溶かす薬が塗られている。常人なら死体すら残さないでしょう。彼を殺すまでには至らないがすぐには回復できないでしょう。そうですね...もって三分くらいでしょう。しかし私にとっては三分も長い時間をくれた。私が彼の再生終了までに彼が動けないよう拘束するのは容易い。あなたはたった三分しかない。今なら逃走という選択があります。私は争いを望みません」
 アリエスは右手を刀に触れたまま、目が三日月のごとき曲線を描きながら顔を笑顔にしながらもどこか威圧が感じられるような佇まいだった。
「...ふふふ。そんなのお断りね! 何が争いは望まない? 笑わせるな! 現人神対策庁を襲った癖に平和主義を名乗るなんてね。ヴァンダーに助けを求めなくても私が解決してやるわよ!」
 私はアリエスが一言話した数秒の時間でどうすればいいか考えた。おそらくアリエスの能力は自身の身体速度を極限まで早めるとかの能力だろう。辺りを目で確認すると先ほどまで周りにいた住民は急いでこの場から逃げたようだった。ここは神屬戸。能力で喧嘩するような事件が多い為、住民の判断は早かったのが吉となった。これで私は思う存分『恋愛』を振るうことができる。
「各人は言った。『恋は決闘です。もし右を見たり左を見たりしていたら敗北です』と」
 私は小さなポーチから閃光弾を放った。
「...っ」
 この閃光弾から彼は逃げられない。少なくとも彼よりも常に先手を打つことができる。
 私はアリエスの真後ろに立った。
「なるほど、この一戦を『恋愛』と見なし、私の左右を封じた訳ですか。確かにこれで私がいくら速くても左や右を僅かでも視界に入っていまえば『敗北』となります」
(これで奴の視覚を塞いだ......次は何?)
 アリエスが左か右を見ればとにかく「敗北」。私のルールは絶対であった。
「ならこうしましょう」
 アリエスは刀を触るのではなく握りしめ、こちらを振り返った。
(なんで振り返れるの!)
 私はアリエスの顔を見た。
 彼の目は閉じていた。左右見てはいけないのならば目をつぶって斬ればいいと。彼の顔は明日が待ち遠しくて夜も眠れないように目をつぶっているような、これから先どうなるか楽しみで仕方ない顔だった。
 私はとっさに恋愛はため息でできた煙なのだと念じようとしたが、あまりに相手との間合い詰めが速すぎた。誰だって急に襲われたら思考なんてままならない。
(くっ......やっぱり、私じゃ無理なのね)

 すると上から黒い四角い物体が私の前に急降下してきた。

 ドオォォーン
 
 土煙が舞い上がり、思わず私は咳き込んでしまった。
(一体何が起きたの...?)
 土煙が収まり、前を見るとそこには自分の約十倍もある大きさの電光掲示板があった。先程近くにあった電気屋の上部にある電光掲示板である。そして一人の男が私の横に立っていた。
「やっぱ、奴の言う通り瞬殺になりかけていたじゃねぇかよ......でもまぁ、左右封じたからよく出来てんのかなぁ? おい、そこの平和主義者。破壊主義者である俺がもう復活してんぞ? お前の言う通り、争いにはなんねぇかもなぁ? さぁ、一生懸命に平和を守ってみろよおおおおおおぉぉ!」


(......)
「平和」の為に様々なモノを斬ってきた。
 例えば犯罪人。
 例えば軍人。
 例えば武士。
 例えば妖怪。
 そして例えば怪物を......

 久しぶりに驚いてしまった。私の毒を塗った一太刀でここまで早く復活するとは。そしてまた斬れるとは。やはりこの時代も捨てたものじゃない。
「私の予想ではもう少し斬られていたはずなのに早いですね」
「俺の回復力を侮るのが悪りいんだろ? 奇襲ならもっと丁寧にやるべきだ」
(なるほど。侮りを止めろと申しますか)
 
 私が刀に初めて触れたのは十二の時。最初は両手で精一杯振り下ろし、一年経てば片手でも振れると分かり、二年経てばわざわざ上下に振り下ろす必要なく斬れると分かり、三年経てば鞘から抜く必要さえ無いと分かり、今となっては刀の頭に触れるだけで斬れると分かる。
 刀を手にしたとき私は度々こう思った。この刀を持っていればこの世のありとあらゆる邪悪を取り除ける事ができ、私は邪悪を斬る為に世の中に奉仕しなければならないと。
 その時は人々は飢饉に苛まれ、豪族が世に力を見せつけ、安寧などなかった。己の信条に基づき、斬って斬って斬って......
 私は遂に賞金がかけられ、軍そのものが襲い掛かり、私は死んだ。
 そして今は全うな軍など見当たらない。自分の本当の名前も知らない。だが私の前には確実に軍をも超える怪物が目の前にいる。ああ、何年ぶりだろうこの心臓の高鳴りは。
「分かりました。では本気を見せましょう」
 私は目を開き辺りを見渡した。
(私はもう鞘から刀を抜くことなんてないと思っていたが、今抜かん......)
 私は右手で刀を強く握り刀を抜いた。
 ああ、まるで親しい旧友に出会えたかのごとき感動が青白い刃と匂口から受けてしまった。今一度邪悪を断ち切ろう。
「どうやら本気らしいなぁ。文原、ちょっと暴れるが俺の楽しみを奪うなよ?」
「どうぞ、ご勝手に......って言うか私の能力の効果が効いてない! なんで?」
「知らん。そんなの戦ってみねぇと分かんねぇだろ」
 怪物は左足を道の灰色の石レンガに蹴りこんだと思うと私の目と鼻の先にいた。
 そして右の拳が私の視界の左上から迫ってくるのが分かった。右目で先程蹴りこんだ石レンガを見るとそこには石すら見えなかった。おそらく蹴りこんだ勢いでレンガは小石に割れ、その小石は砂にすり潰され、風に力なく待ってしまったのだろう。なんと強き脚力であろうか。
(しかしこうでなければ......!)
 私は怪物の鼻先を中心とし、放射線状に切り込み線を見据えた。
(横でも縦でも斜め、どれにしようか。いや考える必要なんてない。斬れれば一緒であろう。
 私は組糸で菱形に組まれた柄を五本の指で逃げられぬよう掴み、手と刀が一つの腕とみなし、振った。
 怪物が石レンガを蹴りこんでから私が刀を振るまでの時間、零点五秒。
 そして私の前には誰にもいない。足元を見ると血が放射状にこびり付き、現状に理解した。
 後ろを向くと、もはや肉塊などではなく、大量の血の池が広がっていた。
「久しぶりに斬らせてもらいました。楽しかったですよ破壊の者。でも、どうしましょう、これでは<将軍>の作戦がうまく行かなくなってしまいますが......」
 その時だった。
 私の後ろ斜め下から斬撃が走った。
「一体......」
 轟音とともに白い光の刃が私を包み込んだ。
(なるほど、破壊されたのですね......)


「ねぇねぇ! あの剣聖をやったよ! いやぁ、すごいねあの破壊者」
 吾輩はあの剣聖に破壊者の回収を依頼してみたが、案の定負けてしまった。否、負けてこそ、吾輩らはその反省を旨にこれからの作戦について話し合わなければならない。
「諸君、見えたでしょ? まったく自殺の天才だよ、あの破壊者は」
 オークの木で出来た長いテーブルの左側、右側には先程の一戦を見て歓喜していた人達がいた。
 一人はいつもどおりボロボロの灰色のTシャツを着て、髪はこれでもかと言うくらい寝ぐせが酷く、腕や脚は青黒い痣が所々にあった。靴は履いておらず足は石炭の山にでも突っ込んだように黒く汚れており、吾輩の呼びかけにも一切反応しなかった。
 一人は吾輩に振り向く顔なんてなく、サイレンで出来ていた。
「(拍手音)」
 一番上のサイレンから拍手音が出た時は決まって「最高だ!」の意思表示であった。
 そして私のすぐ横にいた黒い燕尾服を着た、目の隈が誰かに殴られたかのように濃いこの男。
「はい、勿論拝見しました。ヴァンダリッヒ様は確かに斬られました。しかし斬られながらも自身に食い込む刃を右腕で抱きしめるように肉の奥へ押し込んだのです。これはアリエス様の意思ではなく、確かにヴァンダリッヒ様の意思でやりました。これは自殺ととらえる事ができ、即ち破壊主義の能力発動条件に入ります。しかし、能力による斬撃の出力方向をヴァンダリッヒ様は明言しなかった為、斬撃の飛ぶ方向はランダムとなり、運が悪ければ自身もろとも斬撃の餌食となり、消失してしまったでしょう」
「そうだよねぇ。剣聖でも運には叶わないさ。それは吾輩らにも例外じゃない。吾輩に勝利の女神は決してほほ笑むことはないのだろうが、破壊者であれ、女神であれ打ち砕いてみせようではないか! 」
 この時を待っていた。嘉規元が戦争を終わらせてから八十年が経った。吾輩は未だに勝っていない。負けてもいない。何ともキリの悪い戦争の終わらせ方。きっとこの破壊者なら終わらせてくれるに違いない。
「ベルフェゴール君、モニター映せ。あと、ザッハトルテと紅茶を。砂糖をマシマシでお願い」
 執事長であるベルフェゴールは吾輩に対して一礼した後、スーツからリモコンを取り出して操作した。
 スピーカーから音が流れた。その音の源は勿論あの男女二人だった。
「おーい、もしもし。聞こえているかい? 吾輩だよ、吾輩。<将軍>だ。宣戦布告しにきたぞ」
 ベルフェゴールは後ずさりながら煙のように姿を消した。


 
「あー、本当に死ぬ所だったわ」
 俺は自身の肩を揉んだり、腕を組んでストレッチするなど回復し忘れている部分がないか確認した。
 すると俺が投げ落とした電光掲示板が急に電源が入った。スイッチが入ったとかの問題ではなく、そもそも埃がかかった黒いコードや基盤が外に漏れ出ているので掲示板として機能するはずがない。

「おーい、もしもし。聞こえているかい? 吾輩だよ、吾輩。<将軍>だ。宣戦布告しにきたぞ」
 電光掲示板の画面の向こうには一人の男が映っていた。
「やあ、狂犬。久しぶり見た顔だな。負け戦でも楽しみに来たか?」
 画面に映った軍服を着た黒髪の男は丸眼鏡をかけて痩せ細っていた。白い手袋をし、左胸には今までの戦で得たきたであろう赤、緑、青、黄といった色とりどりの勲章が場所を取り合いながら輝いていた。
「そんな冷たい事言うなよ。ロンドン塔の所長は君を倒そうとして玉砕していまった。玉砕したお陰でこうして遊べる。ねぇ、一緒に遊ぼう。差し当たっては腹ごしらえに上を見てよ」
 俺は上を見た。すると黒い大きな風船が浮いていた。いや、風船じゃない。肉塊だった。
 その肉塊には所々血管のようなものが絶え間なく動き、血を潮のように吹きだしながら浮いていた。よく見れば、肉塊の上にヘリコプターが四機程飛んでおり、鋼の杭とワイヤーで巨体を支えていた。
「あれは何だ」
 
「何って? ......www そんなの決まっている。 アレは元は人間だったよ......そして君達が今さっき戦った奴だ」
 彼は真似しがたい笑い声とは思えない声で右手で額に当てながら言った。
「剣聖......アリエス・ガイウス。君達が戦ったのは本人の残りカスであり、破壊者を食い止める為だけに用意した最高級の食事さ」
「はあああぁぁぁ!」
 文原は上の肉塊に対して驚きを隠せていなかった。
「ちょっとどういう事? ヴァンダーがあの剣士を確実に粉砕していたのは事実よ!」

「文原だったけ?なぜ彼は自分の能力が効かないのか不思議に思った事はなかった?」
「......」
 確かにアリエスは文原のチート能力に対し、一切干渉されなかった。俺はそれが何らかの能力だとは思ったが、一体何の規則に従っているのか俺には分からなかった。
「彼の能力は......『平和ボケ』。 現実から離れて身勝手な理想論を立てる性質。最も、彼の場合は平和主義から生まれたけどね」
 画面の右横から燕尾服を着た男性が紅茶とチョコレートケーキみたいなものを持ってきた。
「うむ、ありがとう。この男の出す紅茶はやっぱり美味しいなぁ」
 軍服の男は紅茶が入った白いティーカップの取っ手に親指、人差し指、薬指で摘み、口元の方に持っていくとカップを傾けて彼の口に流し込んだ。
「なるほど。つまりさっき戦った奴はその『理想論』の結果という訳か。なら上の奴は何だ」
 おそらく先程の剣士は平和主義を一切違わずに遂行しようとする姿を模した霊ようなものなんだろう。それが『平和ボケ』の能力。
「ご名答。なら上の正体も戦ってみれば分かるはずだ。まあ、アレを止められればの話だがね。これから吾輩は用事があってね、少しでも邪魔はされたくないのだよ。破壊者よ、血と鉄に塗れた分厚いステーキは如何かね?」
 俺は上に浮かぶ奴の正体を聞いたが、聞いても分からなかった。「百聞は一戦にしかず」ってか?
 俺には選択肢などない。そもそも相手が俺の目の前に立った時点で相手は打倒される覚悟はできているという事だ。
「お前は俺の目の前にいる。倒す。それ以上もそれ以下もねぇな」
「健闘を祈るよ」
 俺はポケットから鉛のような鈍い銀色の刃を持ったダガーナイフを持つと自分の右肩から左腰まで大きく自分を袈裟斬りした。


 画面の向こうで破壊者はナイフで自分を斬ったのが見えた。鮮血が噴き出したかと思えば、画面が白黒の砂嵐で砂同士で擦り合うような音が流れた。
(何故、人はここまでして闘争を望むのだろうか......)
 私は先程将軍の左横にある純白の円い小さなテーブルに白いテーブルクロスが掛かっており、その上にあったチョコレートケーキが将軍の口に運ばれる様子を眺めた。
「ベルフェゴール君、うまく喧嘩を売れたよ。......いやぁ、このケーキは本当においしい」
 将軍は口一杯にケーキを詰め込みながら言った。急いで食べるのは珍しいので本当においしいを思っているのだろう。
 私は胸ポケットから黒い革で表紙を覆った手のひら程の手帳を取り出し、
「そうですね、ただ余程変な現人神が現れない限り、失敗しないのでは?」
「どうして......そう思うの?」
 将軍は惚けるいるようだったが、相変わらず作戦が良く言っても下手くそであった。
 私は後ろへ目を向けた。
 ボロボロの少年、蓄音機......
 蓄音機は人間のやっていい領域を超えた存在、将軍はどうやってこの男を見つけ出したのか分からない。そして何より、社会的に物理的に最弱であろうこの少年。そもそも将軍がわざわざこの少年を見つけるのに大金を費やしたなんて噂が第二次世界大戦中に一部で回っていた。戦況を大きく変える力があるのだろう。
「あなたは負ける為にここに来たのでは?」
 将軍は小さな銀色に輝くフォークを私に向けた。
「吾輩はただ負けるつもりはない。皆は『どうやって勝とう』だとか『もっと綺麗に作戦を立てろ』だとか言い、挙句の果てには『戦わないように交渉しましょう』などと興ざめな意見が飛び交う。いつから敗北や失敗が悪だと決めた? 吾輩にしてみたら成功した者より失敗した者の方がよっぽど面白い。だって成功者は自分を見直さなくていいと思ってしまうんだよ?」
「成程、それが貴公の意見ですか。実に興味深い」
 将軍は勝ち戦は下手ではあるが、負け戦は得意であった。
「ベルフェゴール君、とりあえずステーキの食事がどんなものか見てきて欲しい」
 私は何も言わず、啓礼してこの場を立ち去った。
(将軍、楽しみにしていますよ......この一戦でどのように負けるのか。私との雇用契約は将軍が死ぬまででございます)


「で? 画面破壊してどうすんの?」
 ヴァンダーが自分の体を傷つけたため、画面の内側から斬撃が飛び出し木っ端みじんに消えてしまった。
「俺はちょっとあの肉塊を壊す。お前はお前の仕事があるんだから、単独行動だ」
「あっそ」
(はいはい、自由気ままで結構)
 私はヴァンダーをそのままにしてその場を去った。

......bbbbb
 
 私のジャケットの内ポケットにあったスマホが鳴った。

 送信した人の電話番号を見ても見覚えのない番号だった。
(一体何なの......)
 思わずスマホの電源を切ってしまった。

......bbbbb

 確かに電源を切ったはずだった。しかし尚、電源が鳴り止まない。また電話番号を見てみると、先程の番号だった。
(だから何なの!)
 また電源を切ろうとしたが反応しない。そして勝手に受信されてしまった。
「......」
 言葉は無く、耳を澄ますと何発かの銃声がスマホから流れた。
 その直後だった。気配なんて無かった。
 手には紅い液体がべっとりと付着しており、激しい痛みが襲った。
 どこから撃たれた訳ではない。きっかけとしたら銃声音だけである。
 スマホからはラジオ体操の曲が流れ、
「『今日も元気に体操しましょう! まずは......』」
(一体何をした? そしてこの曲を流すとかどうかしてるんじゃないの?)
「『撃たれて消えましょう! はい、一、二、三、四』」
(駄目だ......急に目の前がかすんできた.....)
 私は陽気な音楽が流れ続けながら意識を失くしてしまった。


 我、音を表すことは全てを想像するに値すると思う。
 彼はある日、全ての事象は音で表現できると確信し、音楽家を目指した。才能などはなかったが、目的の為には手段を選ばず、音を出すのだから視覚はいらないと思った。
 同時に触覚や嗅覚も不要であった。一方、発声する口はより多い方がいいと思い、自身の体を少しずつ改造して、もはや拡声器そのものとなってしまった。

 第二次世界大戦時、我は捕虜してなるべく刑が執行される日を先延ばしにするよう、音楽を引き続けていた。もはや、その音には意味など無かった。
 そんな時、将軍が現れた。
 彼の要求はこうだった。
「君の経歴を全て抹消し、来たる日まで隠居してくれるなら、こんなつまらない日常から出してやろう。吾輩が信じられないのなら、解放した時に私を殺してもいい。それは吾輩の結果が生んだ事だし、結局吾輩は憎悪で満ちた人々の誰かに倒されるのが運命だとおもっているからね。でも吾輩はなるべくその運命を先延ばしにしたい。その点で言えば今の君と似ているね。とりあえず......だ。今決めて欲しい。ここか吾輩か」
 我はこの申し出を受け取った。
 我には音を出す以外には何もできない。何かに触れる感覚も、食事をして楽しいと思う喜びも感じられない。この様になったのは我がそう望んだからだ。我には何も無く、代償を支払えば何かを得られると思ったのだ。
 表音主義者。万物はそれぞれ一つの音で表現できると主張する主義。誰かに音を届けるのは容易であり、彼女には銃声をくれてやった。銃声とは即ち銃が撃った事に他ならない。
 彼女はそれで死んでくれた。本当にあっけない。
 
 それどころか、この神屬戸で政府から要注意人物とされた十二人。
 その内の九人、本当は行方不明なだけであって、死んだわけじゃない。
 
 将軍の考えが全く分からないのはその点だった。
 この事件の発端は我が文原に「その九人が全滅されてしまった光景」という幻覚をサイレンで起こした事だった。勿論、将軍からの命令だった。理由は「九人が行方不明になって、死んだ事にすれば慌てるだろうから」と。何とも曖昧すぎる。
「『どうして行方不明なのですか?』」
 将軍のお考えが知りたかったが、笑いながら
「知りたい? でもね、教えない。だってすげぇ面白くて教えたらつまらないから。時期に分かるよ」
 将軍は正直馬鹿なのか賢いのか分からなかった。その時ウザいとは思った。サイレンで五月蠅そうな頭をしている我でさえ。
 
 しかし、将軍に忠誠を誓っていたのは同情すべき過去があったのだと知ったからだ。そして考え無しに動いてはいないのだと確信できるからだった。九人の行方不明も何かあるのだろう。
  
 サイレン男はオークの木の机にあったライトグリーンの液体が入った水差しに手を伸ばそうとした。
 
 コツコツコツコツ......

 我の目の前の扉の奥から足音がしてきた。
 おかしい。この場所を知る者は将軍と執事、貧しい病弱な少年くらいである。だが、全員違う場所にいるのは分かっている。そしてこの足音は聞いたことがない。
 そして、金属の蝶番でさび付いた部分が擦れ合いながら金めっきで所々剥がれかけた装飾の高さ十五メートルはあろう扉が開いた。
 
「罪人は何処かな?」
 我にはその声の主の姿を目で確認する事は叶わないが、知っていた。
(最高裁判所の裁判長十三人の一人、飯島刑喜(いいじまけいき)。そして行方不明だった九人の一人だと......)

 彼は黒いコートに紅いネクタイを付け、白い手袋をしていた。
「『ここに何の用だ?』」
「決まっているじゃないか。 お宅が僕に対し罪を被った故にこうして君の目の前にいる。破壊狂者ヴァンダリッヒは怪物と戦っていて、他にも何やら将軍のご命令とか言って、主義者達が暴れまわっているようだから、一人ずつ丁寧に裁いているのだよ」

 将軍から聞かされていた計画の一つとして、わが軍の主義者を好き放題暴れてさせて、町を混乱させるというものだった。十二人の要注意人物がいなければ、止めるものなどいないという考えだった。実際、主義者の仲間を集める為に大戦から何十年も時間が経ったのだ。今や、政治に影響が出るほどだった。

「最も、罪人に聞いてこの博物館にいるからと聞いて来たのだよ。この博物館の出資者も何とも不明瞭でね。怪しい者から順に裁いたよ」
(「裁いた」とは?)

「で、今から君の罪を問おう。どれだけの犯罪を行ったのかなサイレン君?」
「『急な招かれざる客がやってきたようだな! このヒーローが退治してやろう!』」
「へぇ、それって僕が幼稚園生の時に見たアニメのセリフの声か。どうやら自分の声が無いらしい。ここでそのセリフを使われるのは不愉快だ。その罪は重いぞ?」