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京都工芸繊維大学 文藝部

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Last-modified: 2020-03-19 (木) 08:49:28 (14d)
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活動/霧雨

うぬぼれのリゲル

鮎川つくる

ぼくに、ぼくの歪みを教えてくれたM女史に捧ぐ

 ぼくの毛皮は、お空で眠っている雲よりもきめ細やかで、綿菓子よりも柔らかと言われる。じっさいすっかりその通りだと、ぼくも思う。ぼくの毛皮は自慢の毛皮。それに、みんなは茶色と黒色を入り混ぜた(少し汚らしい)色をしているけれど、ぼくのそれは金剛石のきらめきにも劣らず、心をはりつけにするくらいの美しさなんだ。ぼくの毛皮は誰も持っていない色、しろ、そう、白色をしている。ぼくは特別なんだ。
 朝、目がさめると、まず第一にカーテンを開けてベッドのとなりの水槽を見る。朗らかな日の光を受けて水中で屈折して、地下にあるぼくの家全体を朝か夜かわからない不思議な空間に仕立て上げた。水草はゆらゆら寝ぼけていて、魚たちはおいしそう。取り込んだ光にぼくの腕を透かして、ずっと奥に見える血潮を感じた後は、きらきら輝くかを確認する。ぼくはもうすっかり「ぼくの色」を覚え込んでいるから、少しでも狂いがあると、特製のツヤ出し薬をはけで塗る、丁寧に塗る。……と言っても、毎日毎日刷毛でツヤ出し薬を塗らないと気が落ち着かない。背中などの塗りにくいところは、電話でクラスメイトを呼び出して塗ってもらう。ゆっくり息を吐いて、身体全体に液を行き渡らせる。そうしてもう一度透かして見ると、ちゃあんと粒になった光の玉がぼくの腕で楽しそうに踊っているんだ。
 さて、朝は支度をしないといけない。ちょうど引っ張り出してきたクラスメイトと一緒に朝食をつくる。
「ほら、食パンはここ、トースターに入れておいて。ぼくは半焼けが好きなんだ。あ、でもバターが塗れるくらいじゃないとだめだよ」
「つくるくん、今日もすてきな毛皮だね」
 ぼくはすっと腕を出して。「触らしてあげるよ」
 クラスメイトはぼくの手の甲を二、三回さすった。そして、少しだけ舐めた。くすぐったい。ちろりと見えた舌は、肉色をしていた。
 青色の縁をしたお皿にトーストを乗せ、上にマヨネーズを塗ってゆで卵を薄く切ったものを乗せた。ぼくは本棚から何か本を一冊引っ張ってきて、お皿の向こうに開く、分厚い本だったからきれいに開いて止まった。パンのみみをかじる、くずがお皿に落ちて小さく音を立てた。
「あ、きみはもういいよ、学校に行っておいで、遅れちゃいけないよ」と言って、ぼくはクラスメイトを帰した。
 電話台の引き出しからクラス名簿を取り出す。適当に指で指して、当たったところの番号にかけた。受話器をとり、ダイヤルを回す音をいっぱいに響かせる。
「……うん、そうさ、ぼくを着替えさせて欲しいんだ。いいだろう」
 五分か少しで呼び出したクラスメイトはやってきた。茶色くて縮こまっていて、あまりきれいでない毛皮の触りごごちは、掃除道具に向いている。走ってきたのだろう、前後に膨らみしぼむ胸から途切れ途切れに声を出している。ぼくは肺や心臓を想像していた、身体の中にありという臓器、本当にあるんだろうか。クラスメイトはしっかり言いつけ通り準備していて、灰色の帽子と制服、制服の二列並んで付いたボタンをじっと見ていた。
「まず、脱がすところから始めてほしいんだ」
 遠慮がちに返事して、振り切っていないぎこちなく頭でっかちの手つきで脱がし始めた。
「制服はそこに一式かけてあるからね」
 下着一枚になったぼくの身体をみて、クラスメイトはわあ、と喉奥で呟いた。
「すごいかい、きれいだと、思うかい」
「匂いを嗅いでいいかな……」
 ぼくはもちろん、の代わりにシャツを持ち上げて誘い込む。お腹に触れたのを合図にしてクラスメイトの頭をシャツで閉じ込めた。
「ほら、頭を出してごらん。伸びたって構わないから」「一つの身体から、頭が二つ出たみたいだろう……?」口を動かすたびに、クラスメイトの口にべちべち触れた。
「いい匂い……多分太陽の表面はこんな匂いをしているはず」
「さ、続けて」
 制服の上着に腕を通す、最後の仕上げ、胸元のリボン。「口開けて」
 肉色はなんて憎たらしい色をしているんだろう、不潔さを全部集めたみたいだ。苔が降りたとげとげしい荒地の舌のうえ、武器の出来損ないの歯、それらをつなぐ(しばる?)暗い赤や桃色や黒のパレット、真ん中を定めて水色のリボンを入れた。頭の上と顎の下に手を添えて閉じる。
「口を開けてはいけないよ、きみは金庫かなにかと思えばいい、ぼくはどろぼう、金庫破りのね」
 少しあいた隙間に舌を入れる、同時に身体を接着させて脇をつく。接着、粘着、どうやってぼくらがつくられたか知っているかい、どうして寂しいと思うんだろうね。穴でも掘って、身体を押し込めて、じっくりと待ってみるのが、しあわせだろう。
 歯を舐めるとざらざらとしていた、歯磨きが足りていない。リボンはすぐに見つかるが、いやらしくずらしてぼくは奥に進む、クラスメイトは奥に押し込まれて壁とぼくに挟まれた。本棚から本が一冊広がった。最後に口を話し指を突っ込んでリボンを取り出す。
「どうだい、案外塩味でおいしいだろう」「あと、このリボンを結んでくれないかな」
 リボンはすっかり藍色になっていて、強いよだれの匂いがした。ぼくは出来るだけ匂いを長く感じることができるように祈った。
 ガラスの先の落ち込んだ草原を横に階段を上ると、雨が降っていた。「ね、傘は持っているかい」「それならちょうどいいや」
 頬を擦り付けるくらいに近寄って、歩きにくいくらいだったが一本の傘の下、学校に向かった。
「ぼくは特別なんだよ、ほら見えるかい、この毛皮。しろ色をしているんだね、ほかにしろくまくらいしかみたことがないだろう」「ねこで白い毛皮だなんて……なんてぼくは特別なんだろう」「ひとみの色も美しいし、まどろんで溶けてしまうくらいにさ」

 教室に着くと、ぼくは真っ直ぐに図書室に向かった。本棚の奥にしまわれた机と椅子に座って、いくつかの本を置いて、そのうち一冊を抜き取る。開けると使い込まれた時間の味がして、ページを抑える親指もおんなじ匂いになった。
 そのほかには、濁った空気にきらきら反射する小瓶に詰めたツヤ出し薬を、黒色が滲んできたところに塗った。

 学校の終わりの時間になって教室に戻り、また適当なクラスメイトを探す。帰りとお風呂に入るまでの担当……「きみに決めたよ、いっしょに帰ろうか」選ばれた仔はなんと気持ちの良さそうな顔をしているのだろう。
「ねえ、つくるくんはどうしてそんなに特別なんだい」
 ぼくはじっと微笑んだ。ぼくだから特別で、特別だからぼくなんだよ、と心のなかで言っておいた。
 クラスメイトをぼくんちのお風呂に引っ張っていく。階段を降りていくと、反射する緑が、いのちのよろこびを表し、水槽から曲がって水に染まった光線は、ぼくをあまりに心地よくさせて、不思議に浮かんだ気分になってしまい、戻るのに時間がかかった。
 浴室への扉を開けると、蒸しあがった空気とそれに混じったばらの花びらの香りがぼくたちの血管を通じて抜けていった。
 浴槽に満たされたしろばらの花びら(しろいろだって、きれいだなあ)の間にお邪魔をさせてもらって、ぼくはゆっくり息を吐く。
「何時もお風呂はこうしているのかい」
「まるでフレーバーの紅茶のようでしょう」
「いいや、むしろつくるくんの方がずっといい香りがする」
「気持ちが悪くなるくらいかい」
 ……クラスメイトは黙っていた。「ごめんね、からかっただけさ」ぼくは微笑みをかけた。
 クラスメイトを返した後、別のクラスメイトを連れて来るために名簿を広げる。

 夜中、月明かりは太陽ほど強くないので、ぼくの部屋にも眠るのにちょうどいいくらいの深海のデシンが溢れ、そのうち幾らかはぼくたちに被さる。ぼくはクラスメイトの耳に甘噛みした。

 換気扇がわんわんと回転音を与えてくれている図書室で、ぼくは尻尾の先に付いた黒いしみを見て、おかしく思いながらツヤ出し薬をふりかけた。薬をかけると溶けて消えてもとのぼくの特別の色に戻る。
「つくるくん、それはなんだい」
 活字から目を離すと、クラスメイトが立っていた。ああ、図書の時間か。
「これはツヤ出し薬だよ、健康の秘訣というところじゃないかな」
「ぼくも付けてみていいかな」
 クラスメイトの黒と茶色の毛皮に、かびが生えた。暗い色に虐げられた哀れな薬だよ……。クラスメイトはぼくの手から小瓶をひったくり、次から次へと薬をかけた。さすがにもったいないからやめてくれないか、と言おうと思ったら腕をぴたりと引っ付けて
「みてくれよ、きみとおんなじくらいの色になったな」
「ふうん、ぜんぜん同じじゃないな、ぼくのは特別だけれども、きみのは偶然似たようなものさ」
 ……クラスメイトは急いでほかの仔たちの集まりに溶け込んで行った。
 ぼくは、冬の大三角や冬のダイヤモンドについて考えていた、ぼくの好きな星はリゲル、うぬぼれオリオンの星座に輝く、ひときわ青白い星……

 ぼくは帰り道、いつものようにクラスメイトといっしょに歩いていた。クラスメイトはぼくの毛皮を褒めてくれた。いつものよう。川沿いの道を南に歩く。するとクラスメイトたちの一集団が道を塞いで立っている。ぼくはなんのことだろうと思っていると、いっしょに帰っていたクラスメイトに腕を抑えられてしまった。「何をするんだい」
「何をするって、洗濯さ。洗ってきれいにする」
「ぼくはきれいさ、毎日お風呂に入っている」「お風呂って蒸し風呂のことだろう、どうして水に浸からないのかな」「それは、水が怖いから」「水槽といっしょに暮らしてるっていうのに」
 ぼくはどういうことかよくわからなくなってきた。鋭い刃で腕を切って血がだらだらと流れても、痛くないのかもしれない……。ふわふわとした雰囲気と深刻さが混じり合って、脳みそが口から漏れ出てくるよう。
 ぼくは突然の痛みを感じてやっとぼやけていた気持ちが一つの線に収束する。次に水、川の淀んだ水を一口飲んでしまう。クラスメイトたちはじゃぶじゃぶと水しぶきをあげながら、シャチやイルカのように、ぼくを追い詰め腕や足を掴み首を掴み、じゃぶじゃぶと擦り始めた。
「やめろ、ぼくの特別な毛皮を汚さないで、うっ」
 頭を沈められて吐いた息が頬を伝って登っていった、苦しい、いつ呼吸が許されるかわからない恐怖は、ふわふわのぼくに対する脅迫には十分だった。
「洗剤、それにスポンジ」
「ああっ」
 背中や頭の上に乗った冷たさが気持ち悪い、すぐに泡立ちぼくの一回りもふた回りも大きくなった影が水面に浮かんでいる。
「ほら、見てみな、白い毛皮なんて嘘さ、本当はぼくらとすっかりおんなじさ」
 しろ色なんて、儀式に使われるような、ぼくたちにはどうしようもない終わりに使われるような、そしてお空に漂う雲のような、ぼくが両手を伸ばしても届かないものに似合う色なんだと、すっ、と理解することができた。なんだか、気持ちのあまりが息に混じって抜けていく。
 ぼくの腕を見てみると、透明な泡を超えて、ぼくの下地が覗いている。川の水は少し濁っていて、川底の土もくたびれた色であったから、ものすごく暗く見えた。ぼくは今きっとこの川底とおんなじ色をしている。堤防の上から言葉を投げて刺してくる奴らとぼくの周りから言葉を投げて刺してくる奴らとおんなじだ。うっすら捉えることのできるぼくの輪郭は、ゆらゆらと歪んでいた。でも鏡のように澄んではいなかった、最後の救い、最後の優しさ、だけれども、中途半端な優しさは、ぼくの歪みにぴったり合わさって……。うるさい反射光が辛い。消えては生まれを繰り返す波の形は全く想像できない。流れの方向に目をやると、それまでぼくを特別にしていた白い塗料が拡散して消えかかっているところだった。一粒でも元に戻ろうと思ったぼくは、下流の方向に一歩一歩足を運ぶ。流れていく、ぼくが流されていく。追いつく前に全て消えた。ぱん、と、弾けるように。川の流れが両足を押し、ものすごく歩きやすかったことを、ずっと覚えているだろう。
 ぼくはふう、と息を大きく吐く、風に乗って、そのまま帰らずに、どこかで壊れてしまうよう、両手を組み合わせて口元に持って行き、ただ祈った。風には、どこかどぶ臭いにおいが混じっていたが、いまのぼくにはちょうどよかった。