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京都工芸繊維大学 文藝部

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Last-modified: 2020-03-19 (木) 08:48:23 (1738d)
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活動/霧雨

あるニンビーの諦念

鮎川つくる

  ---Not In My BackYard?---

 ぼくは国から与えられた労働をしている。ある種の加工工場だ、常に倫理的問題が染み付いて洗浄仕切れなくなっているので、存在は一般に秘匿されている、というより会話にならないように監視されている。影法師に沈んでいって、陽の当たらぬもぐらもちやみみずの帝国で操業している。ぼくが命じられている割り当て区画は、濁り声をきちんと聴くことがができるかどうかを検査するものだ、製品の脇にイヤホンの穴を埋め込んで、神経回路との電気的交信が滑らかに稼働し、ぼくら使用者へ救済の歌声を届けてくれる。チャンネル121からチャンネル450は各種性交時の男または女の嬌声、チャンネル451から480は自然音(いちばんの人気! すぐ下のチャンネルは選り取り見取りの大官能見取り図)481から1230まではクラッシック音楽(一般にみんなこいつで聴いていると宣言する)。チャンネルを合わせるだけで、苦痛を一方的に押し付けられたちっちゃな生き物からの叫び声を間接的に(それも愉快に)飲み込むことができて、罪を犯した意識も溶けてなくなるのを助ける。食事のときに、相手の命を意識するのはぼくたちくらいしかいない。生きていることは、ぼく、という一個の変換装置が、外界からの刺激を内界からの信号に変換してそれ通りに運動する、ただそれだけの意識すら介入しない単純作業なのだが、どうしてか頭でっかちのぼくらは、自然に流されて行くことを憎んでいて、大河に分け入っては立ち塞がって溺れ、苦しんでいる。ぼくもこうして働いてしまっている。
 原料は、どうしても完全なる生体は生体からしか作ることができないため、ネコやイヌに頑張ってもらっている。人間に近づくことで、いくつかの自由は制限されたが、庇護のもとでゆったりと摂食し繁殖するのは、さぞかし幸せであろう。多少の圧力は報酬に対する対価だ。ここでは人間が選択圧となって、繁殖に優等の仔らで密林だ。ぼくはここまで好色の生物は見たことがない。生まれた仔をある程度まで生育させたならば、終末へ一直線のベルトコンベアーに乗って楽しい川下り。一匹では負荷に耐えられないため、三匹を一緒くたにしている。この作業の前にこれらは投薬を受けて脳みそがけちょんけちょんの状態になる、苦痛を受けるなら、せめてもの快楽を。身体の中でも四肢は臓器が少なくもっとも合わさり易く、脳みそや各種感覚器官の集中する頭部は混ざりにくい、大抵三つの頭が一つの身体から生えていることになる。ここからがぼくの労働だが、ぶっ壊れてしまった生き物が、いよいよ「人形」らしくなる。脇腹の方にイヤホンを刺すための穴を開けてやって、きちんと音がするかを確かめる。ぼくらは少量でも日々の重圧感を押し付けているので、常にしあわせな気分だ。今日雨が降っていた、朝食がまずかった、我慢ならない流行歌の騒音を植えつけられた……なんでもいい、試験のために、正しく駆動するかを確かめるために注入する。
「グアッ・グアッ・グアアアア」
 叫び声を聴いていて、ぼくはカタカナに変換した、排除の性質をもつカタカナ。
 チャンネル0番は何にも加工しないそのままの声、ぼくは指を振りながら音の波に触れる。
「ニンビー、また0番で聴いているのか」
 目を開けると、ぼくの同僚が立っていた。名前はよく知らないけれど、いつも黒い長い服を着ているから区別できる。
「うん、こっちの方が好きだから」ぼくは隣で労働している別の同僚を見て「あちゃ、隣のは330番だね、元気にぴょんぴょん跳ねちゃってら」
 彼が何か言おうとしたので遮って「でも人間を使っていた時代に比べればましだろう」
「どうして0番なんだ、どうして198番や948番では駄目なんだ」
 きっと彼はぼくの言葉をカタカナで聴いているんだろうな。ぼくは何も言わずに別の新しい製品に目を向ける。触れる。「グアッ・グアッ・グアアアア」
 休憩時間は、ぼくは本を読む、呪いの人間にされて死ななかった人たちの手記、マイナス一とプラス一を足しても零にはならない。読書していても、ぼくをカタカナで認識するものは多い。「やあ、ニンビー」と話しかけてくる。しかし、一秒後にはぼくもそいつも「人形」に触れてしあわせだ。
 一度、国からの命令で、難民支援への一環として、「人形」を売り込もうという計画のためにキャンプや施設を訪れたことがある。国際社会からの冷淡な緻密の白眼視に負けたためだ。ここでは存在全てが崩れていて、全力で壊れていた。ぼくはある施設に住む小さな女の子に、寝室を見せてもらった。ぼくは両手に製品の入ったアタッシェケースを抱えてぎこちない歩きになっていた。
「これが君のベッドかい」
 ……少女は頷く。
 施設の中は人や生活などがごちゃごちゃと入り混じり重なりうるさい。聴けばみんな両親がいないらしい。ぼくはどうして彼らに製品を売り込まなくてはならないのだろう。ぼくらと、層や桁や、そう言ったあらゆるものが異なっていた。少女の寝室の薄汚い黄色の壁には「LOVE ME」と青色で書かれている。
 今思い返しても、ぼくは五感すべてをできるだけ鈍感にして……と思っていたが、帰り際に持ってきていたサンプルの「人形」三体を使ってしまったんだった、おかげさまで、こんなに淡泊で爽やか、地中海の夏を吹き抜ける暖かく乾燥した風、ぼやけた縁取りの映像でしか再生されない。
 このあいだ、美術館に抽象美術を見に行った、美術館の外見は浜に打ち上げられ死んで地面に潜りつつある化石のような骨組みをしていて、この骨組みを売って資源のないような国に売りましょうよ、と美術館館長に進言したところで一体何が変わるというのだろう。数々の電気製品に乗って地下深くに独特の床の形状や地層を切り拓いた大地下空間を眺めつつ潜って行く。いちばん深いところ(地下三階の展示室)には、「つくる」という手段(?)に悶え苦しんだ結果が陳列されていた。この芸術家達は幸せだろうか、それとも苦悩し身体をくねくねと蠕動させ自分自身に祈りを捧げているがために不幸と見なすか。伝統的美術観への反駁や作者と受取手の間を媒介する謎の力への意識や完成され尽くした中に突いてゆく未完成か、王者の舞踏会に違いなかった。野良酒場での貧相な血肉の踊りではなかった。そしてぼくも楽しく踊りに加わっていた。
 だからぼくは一つの行動を起こしたくなった。「だから」というのはおかしいと思う、ぼくの裡にそういった傾向が存在していて、直線を延長させグラフ上で閾値に達したのがたまたま近い時点であっただけだ。これはぼくによる静かな反抗と改革と素晴らしい思考実験の具現化なのだ。
 ぼくはイヌやネコなどの仕込みに使う肉を柔らかくする薬を取ってきておいて、夜を待った。宿直室の半開きのドアーからは光が漏れていて、居眠りでもしていれば嬉しい限りであって、覗いて見ると暇そうに爪を掃除していたからやめた。結局三日待った。居眠りしている首筋に注射器を刺してやって液を流し込む。相手の身体がくにゃくにゃになり机と椅子の間に拡がる。ぼくはリュックサックの要領で担ぐ。意識の抜けた人間の重量は体重よりずっと動作を拒絶する、ということを覚悟はしていたが、実際ぼくの身長を縮めようとしてきた。足のことを無視して引きずったもんだから、靴と床が擦れて耳障りな音がしたが、次第に感じなくなった。妙に平らな蛍光灯の灯りが目を刺激する。しん、と静まった内に起こる靴音と引きずる音は唐突な恐怖を与え、曲がり角のところから何か不気味な色をした芋虫か何かが朝食の気軽さで挨拶をしていそうだ。突然首筋に冷たい感覚を覚え、怯えながら手で触ってみると、彼の唾液が髪の毛の濾過を超えて流れ出している。後ろを振り返ってみればズボンから垂れた想像しうる限り全ての体液や身体から出すことのできるものが垂れ流しになっていて、なめくじの筋ができていた。蛍光灯の密度のせいで、夜の波みたくなっていて、きれいだな、と呟く。
 いくつかの角を曲がって、ようやくベルトコンベアーへの入り口まで運ぶ。点検用の穴に身体を蹴って入れる、いちばん手前のレーンに乗った、関節が変てこに曲がって、潰れたカエルみたいになっている。ぼくは憐れだなあ、と思いながら開始のスイッチを下に下げると、心地よい電子の胎動が彼を人で無くして行く。彼はカエルのまま少々乱雑に運搬されていく。あちゃ、機械が足すくみをしているからどうしたのだろうと考えていると、負担に耐えるための協力者を準備していたのだ。彼は潰れたままで何も話さない。やがて奥とその奥のレーンから茶色と白のイヌと黒いネコがやってきて仲良く巨大なアーチの口にピクニックだ、どうしたんだろう、帰って来る頃には一つの身体を三つの頭で分け合っている。破れたシャツの合間からモザイク状の毛皮の失敗作が見え、腰には尻尾が突き刺さっている。人間の頭部、イヌの頭、ネコの頭、ここまで近くに寄り添っているのは初めてだ、それにどの口からもたらたらと涎が漏れ続けている。ぼくはこのグロテスクな装いに静かに興奮していた、ある蝶の話、メスは求愛に翅を開け閉めするが、オスは実はその二十倍の速さを求めていたのだ……。彼、もはや彼らは逃れることのできない狭い部屋に押しつぶされていて、ベルトコンベアーに乗ってしまっていることや複雑に絡み合った神経回路についても知らない。そしてぼくはガラスの向こうの高台から、じっくり見下ろしている。ははは、ははは。こんな愉快なことあるだろうか。難民キャンプでぼくは、彼らの話す文章をいとも簡単に言うことができた、喉が勝手に話していた、また、ぼくはよく分からない絵画の前で舞踏会に参加していた、宝石や貴金属の踊りを踊った。そしていま、ぼくは自分のほんの一粒の興味で一人無くした。ベルトコンベアーの終着から彼らを引きずり出し、ぼくの担当台のそばに置いておく。取り敢えず眠ろう、なんだかとても眠い。
 翌朝目が覚めて時計を見ると午前五時だった。何か生暖かいものに当たったと思ったら、三つの顔が生えた彼らだった。ぼくが彼らに触れると、ぼくはたちまちしあわせになって、彼らは「ぷしゅ、ぷしゅ、ぷしゅ、うええ、うええ」と言ってゲロを吐いた。あまりにもゲル状にまとまっていたので、こういう生き物なのかと思った。ぼくはそれから十回は彼らに触って、十回ともぶよぶよのゲロを吐いた。また少し眠る。
 ドアーが開く音がして、ぼくが顔をあげると、表情が入り混じってくしゃくしゃになった同僚が立っていた、彼も吐いた、でも透明なさらさらした液で、朝食はシャケと白米だろう、水をたんまり吸ったぼんやりした白い玉と良いアクセントになっているシャケの戻し液だ。昨晩のなめくじを見なかったのかと思ったが、見た上での確認だったのだろうな、とぼんやり考える。彼の後ろから次々新しい同僚がやってきて、みんな吐いて、気が治ったら一部がぼくの両腕を掴んで、赤ん坊の気分を味わう。去り際に「ばいばい! また会おうね」と言うと、腹を殴られた、ぼくも少しだけ戻した。口いっぱいが苦く酸っぱく、喉が痒くなった。
 車に押し込まれて、息を吸って吐く頃には広々した病室のベッドの上に拘束されていた。
「ここはどこなんですかね、病院みたいだけど」ぼくを運んだ一人に聴く。
「精神病院」彼は短く切った。
「ねえねえ、ぼくってかわいそうですか」
 誰も何も言わずに出て行く。
 入れ替わりに白衣をきた医者が入ってきた。白衣も白だし病室も白、死ぬときもめでたいときも白、ぼくはいまどちらの白から歓迎を受けているのだろう。
「あの、ぼくってかわいそうですか」
「これが君に話しかける最後だからね。そうだな、君はかわいそうなんじゃないかな」刺々しい言い方。
 医者は出て行った。ぼくのことをかわいそう?
 朝食がまだだということで、運ばれてきた。運んできた看護師にも「ぼくはかわいそうですか」と聴いてみたが、何も答えてくれない。手の拘束を外してもらって平らげる。食べ終わったからたぶんまた拘束するんだろうと思って待っていたが、何にもされなかった。
 トイレのときは全身の縛り付けを解いてくれたし、風呂にも入った。ぼくはずっと考え事をしていた。考えすぎて脳みそが変形するくらい。三度の食事やそのほか色々な用でやってくる看護師皆に話しかけたが、唯一新米のあまり躱したりいなしたりが得意でない看護師は、ぼくのことをかわいそうだと思うと言った、病気だからだそうだ。
 今読んでいるイスラーム建築の一連の歴史についての本に対して考えごとをしている。影響を受けたり影響を与えたり、全く相反する行動を同時に行い、偶然に踊らされて行く様子にぼくを重ねた。このぼくはぼくを超えた超自然的なものだ。ぼくはどの文脈で置かれるかに注視するようになった。文脈から切り離されて、自由に飛んで見たいと思う。けれど、必死に羽を羽ばたかせ上昇していく雀と、羽を広げらくらく下降する雀を見ていて、ぼくの両腕を見て、ぼくは眠る。
 あるとき、トイレか何かの帰りでベッドから降りていたとき、ぼくは犬歯で指の腹を切って、滴る血で「LOVE ME」と壁に書いてみた、しかし薄い鮮血の文字はどこまでも陳腐で、ぼくは何度も何度も壁を殴る、初めて拳を意識して殴った。血はたくさん飛び散った。ぼくはベッドに押さえつけられていて、見ると指に絆創膏が巻いてある。
 それから、何につけて看護師が部屋にいるようになった、投薬もあった。看護師に天気や、窓の外を歩いている人がいるかを尋ねる。それぐらいなら答えてくれて、天気や人の装いを知る。そうして街歩く人と姿を重ねて考えて……できなかった。ぼくは彼・彼女たちの思考が全く掴めない。そしてそれは医者や看護師の間でも相互にそうであって、それに彼らはぼくをかわいそうだと言う。しかしかわいそうだなんて最もエゴイスチックな祝福は、亡霊のように立ち上がる集団の箱にぼくらが勝手に知らないうちに接続してしまっているところから始まっているのだ、さらにいくら喉いっぱいを血で赤色に潤いを与えようともがいても、箱の監視者たちによって取り除かれてしまう。どこか遠くの街にでも出かけてしまおうか、ええ? 気に入らないTV番組のチャンネルを変えるような気軽さで? どうしようもない、どうしようもない。諦めて今日も眠ろう。そうだ、明日の朝はうまいソーセージでも食べさせてもらおう。この病室がエレベーターか何かになって、ぼくは潜って行く、潜って行く。深い海の底、諦念、諦念……