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京都工芸繊維大学 文藝部

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Last-modified: 2020-03-18 (水) 14:18:59 (262d)
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活動/霧雨

最高存在の祭典

 あてどなく死ぬ。
 目的はない。生活に困っているわけでも過重なストレスを抱えているわけでもなく、ただなんとなく。
 強いて言うなら、生きる意味が分からない。
 人はやがて死ぬ。生きている間に何を為そうが、死ぬ。ならば殊更、少なからず苦を伴ってまで浮き世に留まる理由もないだろう。一時の幸福や快楽に身を絆されるのは、理性を備えた生命体として非合理と言わざるを得ない。
 死にたいというよりは、死ぬべきだ。
 かるがゆえに僕は死ぬべきなのだろう。
 とある言葉を思い出す。
「希死念慮、だったかな」
「きしねんりょ?」
 仕切りの向こう側で、言葉の意味を測るように一文字ずつはっきりと繰り返される。誰かはわからない。若い女性ということは、まあ確かだった。
「病気とか人間関係とか、どうにもならないから死ぬんじゃなくて、漠然と死にたいと思う……みたいな」
「死にたいんですか?」
「……まあ、有り体に言えば」
 語りに語って、畢竟するにそういうことだった。

 日曜日。あるいは主日。
 近所の教会で開かれていた集会になんとなく参加していた。ぼんやりと暇つぶし程度に話を聞き終えた後、隅に設えられた懺悔室が目に留まり、またぞろなんとなく入ったのだった。
 電話ボックスを二つ繋げたような木造のそれは程々に朽ちていて、今も利用されているのかが甚だ疑問である。申し訳程度の簡素な椅子に座ってみると中々の閉塞感があって、なるほど罪の一つや二つ告白してみたくなるものだ。
 雰囲気を味わえただけでも来た甲斐があったかもしれないと立ち上がったとき。
「…………」
 壁の向こうにひっそりとした息遣いがある。
 固唾を飲む。見えないというだけで尊く、冒しがたく、緊張に足が竦む。軽々しく入ったことを咎めにきたのかもしれない。かつまた、この部屋の本懐を果たそうとでもいうのか。
 信徒ではない。無宗教で、あまつさえ無神論者。
 だけど――
「罪を、告白なさい」
 そう言われてしまっては答える他なかった。
 とはいえ取り立てて濯ぐほどの罪なんて持ち合わせていない。せいぜい自転車のライトが壊れたままになっているということくらいだろう。
 ……いや、ひとつある。
「生きていて、いいのかなって」
「いいんじゃないですか?」
 一蹴された。そりゃまあ、そうか。大概の人は生きていることに何ら疑問を抱いたりしないし、誰かに赦されずとも死を選ぶことはない。
「死にたいんですか?」
 問われて、言葉に詰まる。そんな単純なことじゃない。もっと理知的で普遍的なメタピュシカ。
 僕は語り出した。僕が死ぬべきわけを。

「死にたいんですか?」
「……まあ、有り体に言えば」
 何ともいえない敗北感を味わう羽目になった。
 話し終える頃には緊張もすっかり解けていて、雰囲気も懺悔というより駄弁っている感覚にほど近い。
「死んじゃうんですね」
「いや、すぐにどうこうって話じゃないんだけど、なんというか、生きていることに罪悪感を覚える。でもこれは僕個人の小さな問題じゃなくて、たまさか僕が感じているだけで、本来、皆平等に死ぬべきだと……まあ、うん」
「危険思想……?」
 その通りだった。生きるのが合理的じゃないから死ぬなんて到底受け入れ難い。他人に押しつけるつもりこそないが、しかしこうして話してしまうのはこの部屋の空気がそうさせるのだろうか。
「ふぅん」
 仕切りの向こうは存外に頭が弱いらしく、相づちもわかっているのか微妙なもので、しかし一方的に話す分にはちょうどよかった。少しずれた神妙なやりとりは、姿が見えないこともあって子供なのではないかとさえ感じる。
 ただこうして黙ったかと思えば一息に、
「全ての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」
 とか言うものだから、想像に飽くことはない。
「ぇへ、わたしの好きな言葉」
 聖書からの引用だろうか。照れるような物言いがしおらしい。
 言葉の意味と発言の意図を汲み取ろうと一考するも、期せず、自ずと告げられた。
「あなたも、生きていてもいいんですよ。私が認めます。ここだけの話、神さまは存在しないので、私が認めてあげるのです」
「それは……なんというか」
 僕が言うのもなんだが、教会で話すには不信心が過ぎる。しかしまあ胸が空くようで、心地よくて、僕も出来心に不敬虔を口走った。
「神々しいことで」
 どちらからともなく笑声をこぼす。クスクスと、誰かから隠れるように。
 このまま大往生できたらさぞ幸せだろう。

 さて正体について。
 結局、若い女性ということくらいしかわからないまま段落がついて、いよいよ以てその姿を目に納めようと懺悔室を出た。
 よくよく考えればあるいはわかったのかもしれない。礼拝に来ていた年代は酷く上に偏っていて、妙齢にあたるのは親に連れられた子供か一部シスターくらいだろう。
 まあ、しかし。
「え――」
 白い頭巾に黒い面紗。僕の臍くらいの高さにある明眸が朗らかに歪んでいる。ゆとりのある袖から出た小さな手をご機嫌に振って、婉然とこましゃくれたことを言う。
「またね、おにーさん」
 いやはや、修道服の子供とは思わなんだ。