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京都工芸繊維大学 文藝部

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Last-modified: 2021-05-18 (火) 21:34:55 (127d)
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文藝部通信 2021年 5月

 部員の気まぐれで始めることになった文藝部通信。今月はなんだか引退気味の3名でお送りする予定です。
 それでは、いってらっしゃいませ。

第1回目

 こんにちは、みどりです。最近は文章を書く習慣がすっかりなくなっていて、かなりヤバイです。

 さてさて、記念すべき文藝部通信の第1回目というわけで、何を書こうしら。というのも、1回目がこけてしまうと、そもそもこの企画が存続するのか怪しくなってきますからね。ここはね、やっぱりどちゃくそ面白い記事を書いてやりたいと思うわけです。この場所に書く内容は、部活動とはあまり関係なく、かなり私的な内容でも良いということなので(知らんけど)、最近あった面白いことを自由に表現豊かに書いていきたいと意気込んでおるわけなんです。

でも、問題があって、最近まじで現実に変化がありません。忍耐が求められることは多々あるんですが、なんとそのたどり着く先にあんまり新鮮味がないんですよね。ダラダラ浅い日常を送っているのかもしれないです。それはキミ、やばいよ? なので、現実世界のことを書こうにもちょっとネタがないんですよね。

しかしながら、ほんまにやばいんか?って思ったりもします。不思議なことに、ほんのりと楽しかったなあと思う時間を思い出してみると、けっこうダラダラしていた時間が思い浮かんだりするんですよね。もちろん、その当時は、こんなことしている場合じゃないのにって思ってもいました。不思議ですね。過去は時間とともに、ほのかに美しくなるんでしょうか。例えば、自分の場合、文藝部の部室で皆とダラダラ話していた時間(失礼な言い方!)がこれに当てはまります。今週〆切の課題溜まっとるんやが、、、と思いつつも、文芸っぽい話(実は何を話していたかほとんど覚えていないので仮の表現)をしていたのでしょう。皆で笑っている様子はぼんやりと覚えています。思い返すと、ああいう時間がほんのりと暖かく感じられるのです。

 それはそれとして、ぼちぼち日常を冴えるようにせんとヤバイっすね。何となくですが、そう思っている今日この頃です。たぶん、人は同じ場所にずっと留まることはできなくて、いつかは違うところに行ってしまうのでしょうね。

それでは、私はこの辺で。2回目はf先生に頼もうと思っています。が、もし断られたら、福祉社先生にお願いしようかな、、、。

部員による講評
・福祉社「ふにゃふにゃ書いてますね」
・f「中身なくて良いんですね」


第2回目

(栄えある? 文藝部通信第二回。今回の書き手はfでお送りします)

 五月。

 ゴールデンウイークにはじまって、素敵な陽気と病気の雰囲気が混ざり合う、五番目の、あるいは二番目の月。ありきたりな感傷でも時の流れの速さにはやはり驚かされるもので、私が初めて京都工芸繊維大学に入学してからこれで六度目の五月になる。文藝部に入部したのも一回生の春だったから、当然これが文藝部員として迎える六度目の五月。修士二年。またはM2とも。例外もそう珍しくないとはいえ、一般的な工繊生の感覚からすれば既に最高学年にあたるだろう。私自身は入学以来変わらず偉大な先輩方の背を仰ぎ続けているものだから、いつまで経っても後輩気分が抜けてこないとか、そんな事情はさておいて。
 今年もまた、五月がやってきた。

 なぜ四月ではなく五月になってわざわざこんな話をしているのかと言えば、ごくごくつまらない理由による。五月は、私の誕生月だから。だからそこに一年の始まりと終わりがある。
 まったく個人的事情による、個人的感傷だ。けれどまあいい。誰にでも、年に一度くらいそういう月があっていい。私のそれは年度初めの翌月なのが、どうにも締まらないところだが。

 いつになく早い梅雨が来て、五月の憂鬱に似合いすぎた曇天が広がる今年の五月。
(これは完全に余談になるが、五月病の苦しみをじりじりと責め立てるような五月のうららかさが、残酷さが、私はけっこう好きだ)

 ともかく、私はこの五月でまた一つ年を重ねることとなった。もはやいちいち喜んでみる気持ちはないが、さりとて悲しいわけでもなく。それでもそろそろ二十代も半ばといって障りない年齢に差し掛かり、若者でいられる残り時間、みたいなものを少しずつ意識し始めたり。学校の外に一歩出れば、私を取り巻く世界は既に大人の世界にずいぶん変わって、そのギャップにときおりはっとさせられる。そして、うっすらとそこから阻害されていることに気が付く。無自覚に蔑まれている視線を感じる。卑屈すぎると思われるかもしれないが、そうではなくてただ、ひとつの現実として。
 私はまだ学生だから。たぶん、だけどきっとそう。「大人たち」は口を揃える。たくさん勉強してえらいねと、語る口調のやわらかなやさしさ。けがれなき幼気をいつくしむ響き。いつくしまれるものは誰か、ああ。私か。気が付く。あたたかな嘲りに。でも、ただ、気が付くだけ。
 学びの門の内側は、温かく淀み心地がいい。

 だからといって私自身、本物の子供だったときと比べて、何も変わらずにいられたわけではなかった。京都の街で過ごす五年少々の年月はあっという間のようでいて、五年前に同じ街に存在したはずの、まだなんとか十八歳だった女の子のことを思えばその間にある断絶に、つい、くらりと目が眩みそうになる。遠い。何が決定的だったのかは分からないけれど、私だって確実に変質している。
 電車に揺られる高校生を見かけたときなんか、大学生ともういくつも変わらないはずなのに、その顔立ちに未熟さの欠片をみつけてぞっとする。子供は大人と比べ物にならないスピードで成長するのだとしばしば耳にするけれど、思い知るのは最中ではなくてふっと後ろを振り返るようになってからだ。 気が付いたときにはもうどうしようもなく遠かった。

 大学生と呼ばれる期間のうちに経験すべき出来事は、私だってそれなりに経験してきた。つもりだ。その一つ一つが少しずつ沈殿し、堆積して、私を現在の私へと押し上げた。面白みのない表現だが、特に面白くもない事象を面白そうに書く必要もないだろう。私はただ、生きた。暮らした。その過程で、おそらく多少は成長した。
 十代の頃、無意味に増やした傷が時間と共にゆっくり乾く。泥の下にやわらかく埋もれているから、多少痛んでもどの傷跡かももうわからない。そういう、誰もが通る大人への通過儀礼を、六年かけて贅沢に甘受する。モラトリアム。鼻で笑うようなその言葉を、私は笑う資格がない。それだけ。そう。それだけのこと。

 ところで、つい先日に鍋が壊れた。
 実はこの文章は、ここからが本題だ。これ以前は長ったらしい前置きだった。以降は回りくどい悲しみである。

 marie claireの片手鍋。実家を出て一人暮らしを始める私に母親が持たせてくれた鍋がとうとう壊れた。寿命は五年と少し。私が消費し終わった大学生活のぶんと同じだけの時間だ。

 その鍋が壊れたのは深夜のことだった。昼食時に使った鍋を、せめて今日中にとスポンジで洗いはじめた瞬間だった。両手で支えていたはずの鍋は、気が付くと、右手にある物体と左手にある物体に分離していた。え? と戸惑い、それからようやく鍋が壊れたらしいことに思い至った。

 私の手の中であっけなく分離した本体と取っ手は、もともと一本のビスで結び付けられていたようだった。ようだった、とわかったのは、そのビスがすっかり腐蝕して、ぼろりと折れていたからだ。あまりにもひどく腐蝕していたから、その日の昼まで、熱湯を湛えて重い鍋を支えてくれていたことが信じられないほどだった。私が一人暮らしをするのと同じだけの期間、いつも乱雑にシンクに投げ出されていたそれは、もうどうしようもないほどにぼろぼろになってしまっていた。腐蝕の原因は、長年に渡り長時間、洗いもせずに放置することを繰り返していたことだろう。折れたビスを知覚したあとで私は瞬時に断じた。厳密には本当の原因など知りえないとはいえ、私にとってはその回答が真実だ。

 新しい鍋を買わなければ。そう、私は何よりまず思った。新しい鍋のイメージに、つい、心が浮き立った。
 直後に悲しみを覚えた。そんなふうに軽んじられる手元の鍋を憐れに思った。ひどく悲しい気持ちがした。ばかげている。すべて私一人の思考だと言うのに。憐れみは喪失感を伴った。どうしてこんなになるまで粗雑に扱ってしまったのだろうかと。ようやく胸をよぎったのは後悔だった。

 それほど強い愛着を持っていなかったつもりでも、いざ壊れれば思い出がよみがえる。
 前の週末に、その鍋で二人前の親子丼を作った。いつものように、美味しい、なんて言ってもらった。
 冬には白菜をみちみちに詰めて、一人前の鍋キューブで煮た。無精する気で直接鍋から白菜をつついたけれど、結局最後じかに口をつけるのは憚られて途中で取り皿を引っ張り出した。
 新生活だと張り切って、自炊を始めたばかりの私がまずい料理を作ったりしたのもその鍋でのことだった。
 空の状態でコンロに乗せると、取っ手の重さに引きずられて転倒するから舌打ちしたこと数知れず。
 それでも小さくて取り回しがよく、適度に安っぽくて、一人分のお味噌汁を作るのに最適だったから、いちばん気軽に使える鍋だった。

 最後に作ったのはインスタントのざるそばで、その前の仕事は牛スジ肉の下ゆでだった。気に入っているつもりはなかったけど。本当に、なんにでも使っていたのだ。生活そのもののような鍋だった。

 鍋はビスから折れていた。逆に言えばビス以外は無事だ。ビスさえ新しいものに代えれば、問題なく直るのかもしれないとも思う。けれど私にはその鍋を直すつもりはあまりない。喪失、なんて言葉を使いながらもあっさりと、新しいものに買い替えることを検討している。
 私は薄情だ。言い逃れはするまい。自分で選んだわけでもなく、母親に持たされただけの鍋にそこまでしてやる義理もない。その鍋は生活そのものだった。だった。もはや過去だ。とりあえず、当面の生活をやれるようにと。その言葉と共に手に入れた。押し付けられた、とすら思っていたかもしれない。結局は使い倒した格好だけれど。そして五年が経ち、壊れた。

 その鍋は、壊れたときにもう過去になった。十八歳だったはずの私と同じだ。遠いものだ。懐かしみはしても、必死になって手を伸ばすべきものではない。五月が巡る。私が少しずつ歳を重ねる、その過程で失われたものの一つだ。たかが鍋でも。だってそれは生活だから。入学してから、この五月まで、それは確かに私の生活だったのだから。
 私には私の生活を手放す権利がある。私には鍋というモノを粗末にする権利はない。けれど自分の生活を過去に葬ることならできる。それでその鍋は犠牲になる。犠牲にしてもいいと言っているわけではない。善悪や、どうすべきかという問題ではなくて。結果として、その事実だけが残る。壊れた鍋は捨てられるという事実が残った。

 可哀想に。

 私はとても薄情なので、自分が壊し、捨てることに決めた鍋に同情することができたりもする。
 新しく買ったお気に入りの鍋は、丁寧に手入れをされて、うっとりした目で見つめられることになる、と夢想する。これは私の酷いところだが、自分で気に入って選んだものならばきちんと大切に手をかけられる性質である。
 私は壊れた鍋を思い出さない。何かの拍子に思い出しても、ディティールはすっかり失われている。銀色のステンレス鍋だったことは覚えていても、蓋の持ち手の樹脂の色だとか、取っ手のカラーリングの詳細なんかは忘れるだろう。ちなみに蓋の樹脂は赤い。取っ手は黒い艶消しプラスチックで、同じ赤の樹脂が細長い楕円形をして表と裏に走っている。滑り止めだ。ブランド名が刻印されてもいる。

 忘れてしまうにしろ、そのディティールを少しでもどこかに留めておきたいと言う欲望はあるのだ。だから私は書く。ただの壊れた鍋のことを。寂しいから。私には私の生活を過去に葬る権利があるし、それと同時に葬られた生活を惜しむ権利も持っている。矛盾はしていない。それらは同時に成立する。
 切り捨てたものを精一杯に惜しむ。そのために、私は特に気に入ってもいなかった鍋のことを、その見た目や、思い出や、気持ちのことを、ここに書き残す。しばらく眺めて、眺めるのにも飽き、早々に処分するのも面倒くさくて、キッチンの隅に転がしたまま新しい鍋で味噌汁を作る。可哀想だと思うかもしれないが、可哀想だと思うだけだ。可哀想だと思うだけ、立派なものじゃないか。

 薄情でなければ、残酷でなければ、人は成長できないと思う。成長なんて結局のところ変わっていくことなのだから。
 古いものを(愛するにしろ)切り捨てて、新しいものを歓迎しなくちゃどこにも行けない。たかが鍋のことだけど。

 五月の陽気はきらきらとして、その残酷な気分にぴったりのはずだった。新しい年の始まり。
 ふるい年の終わり。いま、窓の外には雨が降っている。雨曇りの灰色の空。水滴。悼み。
 洗濯ものが乾かなくて困る。生活は続く。私は生きて、たぶんそろそろ大人になっている。

 京都の梅雨はどうも湿っぽい。

(以上です。次の更新は福祉社さんにお願いします。よろしくおねがいします)