阿修羅ガール †
- 作者: 舞城 王太郎
- 評者: 哉
- 日付: 2006-07-30
お薦め対象 †
愛に飢えているかたへ。
あらすじ †
アイコは金田陽治への想いを抱えて少女的に悩んでいた。その間に街はカオスの大車輪!グルグル魔人は暴走してるし、同級生は誘拐されてるし、子供たちはアルマゲドンを始めてるし。世界は、そして私の恋はどうなっちゃうんだろう?東京と魔界を彷徨いながら、アイコが見つけたものとは―。三島由紀夫賞受賞作。受賞記念として発表された短篇「川を泳いで渡る蛇」を併録。
感想 †
「愛だよ」
(本作より引用)
なんだか偉い賞をもらったようだけれど、これはそれに見合う作品でしょうか。
どこにでもいるような、ちゃらんぽらんな女子高生アイコの一人称で進んでいるかと思えば、「夜もヒッパレ」なんて、懐かしい番組のメンバーに助けられ、突然、ファンタジーの世界へと物語が飛翔する。
滅茶苦茶で荒唐無稽なストーリーライン。そしてこの作者特有の、改行を無視した、こちらが息切れしてしまうぐらいの畳み掛けるような文章。地に足つかない漂う浮遊感。掴めない全体像。そのくせ、急速に収縮する結末。
なんてアイロニー。
こういうのを、メタ視点のパースペクティブって言うんだろ?ほら、こんな感じの純文学っつうの?こういう小説が流行りなんだろ、最近のさ。いまどきの女子高生ってこんな感じ、みたいな。とりあえず、ここをこうして、こんなふうに飛び出して、次はこういうふうにして、そうそう、あれも入れときゃ満足する、みたいな。それで、ああ、そうだ、こいつを忘れてたぜ。それで、これをねるねるねるねは、ひっひっひ、練れば練るほど色が変わってこうやってつけて、
ほら出来上がり。
という印象を受けました。適当です。まさに勝手気侭なのに、これ以外は考えられないという感じ。これは、おそらく計算なのでしょう。同作者の「煙か土か食い物」を読んだときにも思いましたが、とりあえず問題が出てきたら後回しにしない。そして後回しにしないと、手元ばかりに集中しすぎて俯瞰できなくなり、大事なことを忘れてしまう。でも忘れているのは読者であるわたしだけで、舞城王太郎はサヨナラホームラン並の爽やかさをもって読者を場外まで運んでしまう。
これを受け入れられる人というのは、どういう人なのでしょう。よほど器が大きいのでしょう。わたしには無理です。しかし、インパクトに気おされながらも読み終わったあとに考えさせられたということは、うまく言えませんが、右手に入っていると思ったコインが左手に入ってた。つまりはそういうこと、なのでしょう。抽象的でごめんなさい。
とりあえず疾走感を楽しんでください。この作品に流れているのは、おしとやかなクラシックでもなければ、お洒落なジャズなんかでもありません。しいて挙げれば、終わらないドラムロール。
本当に不思議な作品でした。