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京都工芸繊維大学 文藝部

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Last-modified: 2009-01-09 (金) 21:23:47 (5825d)
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読書力 (岩波新書)

  • 作者: 斎藤 孝
  • 評者: 季柚下 沙葉
  • 日付: 2008-02-10

どの口で歎異抄を進めるのか - 感想

 本書は若者の薄識を嘆き、それは読書量が足りないからとして読書(精神の緊張を伴う読書)を勧める啓蒙書。「読書によって…の力がつく」という形で終始一貫する。それ故長いプレゼンテーションのようにも思える。

 正直読書の必要性を説くのはそう難しいことではない。タバコは百害あって一利なしだが現代においては読書が害とされることはタバコを吸うことの利点ぐらい少ない。本は現時点では時間単位で取得できる文字情報の量、価格などの点で非常に有益な媒体であることは否めない。しかし、本書の内容には反感を覚えた。筆者も冒頭で「あまりにも熱く語るあまり、行き過ぎた表現もあるかもしれない」と言っているけれどまさにそうだと思う。何故本を読むのかと言う問に対して「自分をつくる最良の方法だからだ」と筆者は言う。本を読むうちにあらゆる考え方が相対化していって重層的に安定したアイデンティティーが作られる。確かにそう言う傾向はあると思う。しかし、それにしては筆者の態度は安定しすぎている。読者と共に議論する余地がないように思う。相対論は一種の結論ではあるが真実ではないはずだ。

 日本にはthe Bookが無いからBooksが必要であったらしい。しかし、the Bookも一貫した主張を述べる性質のものでは無いはずだ。むしろ今までの自分をひっくり返す力がある。the BookがBooksを否定するいわれは歴史的に見れば無いと言えないが、積み重ねて行くだけでは見えてこないものがあると思う。

 巻末には文庫百選と題しておすすめの文庫百冊を紹介している。その中で「つい声に出して読みたくなる歯ごたえのある名文」「何回か音読していると意味と雰囲気がしみこんでくるから不思議。弟子の唯円が師の親鸞の言葉をもとに編んだので読みやすい」として『歎異抄』を紹介しているが、本当にその意味がしみこんでくるのならその安定がまやかしであることが分かっているはず。いや、分かっていないのが分かっているのか。いや、それすらも怪しいことが分かっている……という感じで自分が崩壊していく。

 実際こういう挑発が無いと若者のモチベーションは保てないのかも知れない。しかし力をつけたその先に何があるのかを考えれば、今の若者の感覚も間違ってはいない気がするのだがどうだろうか。