開始行: [[活動/霧雨]] **××1.0000…… [#bda8e2ad] f また、雨が降り始める。妙に白けてやる気のない空から水滴... 主な道路は数週間かけてあらかた片づけ終わった。何か月か... 土地勘はある。慣れ親しんだといってもいい。それでも地図... まだらに濡れたゴーグルは手で拭った。やわらかい合皮製の... 白いよなあ。 この辺りには誰もいるはずがないと、わかっているのにまた... プラスチック製の安っぽいショベルを、湿気を含んだ白い地... そっと息を吐く。一連の動作が終わって初めてそれまでの緊... 元の地肌はまだ見えない。 ある日突然この町が白く覆い尽くされてから、たぶんまだ十... 白が一面を覆う風景は、吹雪のあとによく似ていた。なのに... どこから来たのか詳しいことは誰も知らないけれど、それは... 誰も立ち入ったことのないふかふかの表面が、鈍い陽光を反... なぜこんなものが? なぜここに? なぜ? なぜ僕たちに? 疑問は尽きない。でも問うだけ無駄だ。答えはないし、あっ... ずっと作業をしていると、本当にこの下に元の地面があるの... 空はますます白く、地平と空の境界線がゆれている。雨の冷... ショベルを突き立てる。放る。突き立てる。放る。この場所... 「あんた、こんなところで何やってるの」 聞こえるはずのない、よく聞き覚えのある声が僕の動きを止... 「なんでわざわざこんなところにまで戻ってきたわけ」 地味なブラウスと紺色のスカートに包まれた小柄な身体。こ... 「わざわざ被災した実家の近所の除染を申し出るなんて、あん... 人影が僕を見つめたまま、呆れたように腰に手をやった。僕... そうだ。この仕草、この口調。この目。いや、そんなはずが... 「姉さん……」 あのとき、町が白く染まったその日に死んだはずでは? 言葉が喉元で詰まって、一向に出てきそうにない。 死んだはずの姉さんが、むこうから懐かしい目で僕を睨みつ... * そのXデーって日に、僕はまだ十八歳にもなっていなかった。 その日は朝いちばんから姉さんと口論をした。きっかけは希... その町、××市―市なんてたいそうな名前がついていてもやっぱ... 「あんたはまあ、工場でしょ」 答え淀む僕に対して、断固とした口調で姉さんが言った。市... 「なんでそうやって決めつけるんだよ」 僕はむっとして言い返した。それから、もっと他の可能性が... 「ふうん、じゃあ、あんたはどうしたいの」 馬鹿にするように姉さんが僕を睨んだ。僕は言い返せなかっ... 姉さんとはそれ以上口を利かずに家を出た。それが最後の会... むしゃくしゃしながら海辺の道を歩いていたらいきなり転ん... 空はいつも通りに雲だらけで、僕は無性にいらいらしていた。 果てしなく長い一駅のために汽車に揺られて高校に辿りつい... ??なんて、くだらない。僕もそんな、出来の悪い金太郎飴み... 今思えば、なにもかもがしょうもない、たいしたことのない... 見慣れすぎた、いもむしみたいな緑色の汽車がけたたましく... 『一番ホーム、上り線。快速……行き。七時八分の発車です』 終点は耳憶えのない地名で、うまく聞き取ることができなか... 眩暈のような、錯覚。墜落感。思考に靄がかかっていくよう... 汽車に背を向けた僕は、吸い込まれるように電車に乗り込ん... 電車は静かに発車した。はじめはゆっくり、でも少しずつス... 脱出するのだ。 僕はぼんやりしたまま悦に入った。これで僕も何者かになれ... 線路沿いには灰色の海がどこまでも広がっていた。くすんだ... ゆるいカーブを通り抜け、電車が海から離れるように進路を... 水平線の方から、その、妙な白い泡が次から次へと湧きだし... 僕は飽きることなく海を見ていた。電車の車体が完全に海に... ××市と外の境界にある山―なんていう名前かは忘れたけれど―... ホワイトアウト。暗転。さよなら、僕は先に行く。 気が付いたときにはもう、窓ガラスは鏡のように車内にいる... 僕の失踪に誰か気付いていたのだろうか。 こうして僕の視界から、完全に海が消えた。だから僕は、海... 電車に飛び乗ってからおよそ半日後、乗り換えのために降り... 「君、どこの学校の子? この辺じゃ見ない制服だけど」 駅員がさも面倒くさそうに僕に尋ねた。 「××高校です」 僕は消え入りそうな声で、それでも素直に答えた。大人の醒... 一体どこに行こうとしていたのか。何を求めていたのか。ど... 聞かれたところで僕には答えられない。形式的に説教でもさ... 情けなくて仕方がなかった。それでも捕まって、もう先に進... 「××高校って、あの××市の?」 しかし駅員は僕を問い詰めようとはしなかった。先ほどより... 「そうですけど」 戸惑いながら答える僕に駅員は黙って部屋の奥にあるテレビ... 向こうにある小さいディスプレイには航空映像が映っていた... 画面が揺れる。旋回? 映像にノイズが走る。一、二、三、... 鮮烈に青い、青い空の下に、白く濁ったうねりが寄せては返... 「あの、これって」 僕が駅員に尋ねようと口を開いたとき、テレビからノイズだ... 『こちら現在の××市の様……子で……す……海の方から白い何か……が... 「ちょっと、君、大丈夫?」 慌てた様子の駅員を置いて、僕は吸い寄せられるようにテレ... 揺れる炎から、高くそびえたつ無数のパイプが時折顔をのぞ... 火勢は時と共に収まるどころか、ますます激しくなるようだ... 僕は必死に目を凝らした。この辺りのどこかに、父の働く工... すぐそばの工場から火柱が上がった。詳しい状況を把握する... 「こりゃひどいな」 部屋のどこかしこから口々に、そんな声があがった。 その先のことは、正直あまり覚えていない。 すぐに僕はその駅の地域の警察に保護された。ようやく母親... 僕と母親は二人で母親の実家に身を寄せた。××市には一度も... 数か月のうちに母親が倒れた。そのままあっけなく逝ってし... 数年経って、僕は大学生になっていたた。高校を卒業すると... 原因究明や、後世への啓発なんて大義があったわけじゃない... 大した遺産もなかったから、バイトをしながら学費と生活費... あるとき、僕は××市の除染作業員の募集を見つけた。ちょう... 三日三晩唸って、僕は大学に退学届けを提出した。きれいな... その晩、僕は夢をみた。白く乾いた津波がゆっくりと町を呑... 白い大地の先で、巨大な海が黒い腹をゆったりと震わせた。... * 突然現れた姉さんは幻覚に違いない、と僕は思った。そう思... まだ雨脚が弱まる気配もない。こちらを睨み続ける姉さんの... 仕方がない。粉を満載した猫車を押して、見渡す限り白い世... 「久しぶりじゃん」 幻視である姉さんが、幻聴の声で僕に話しかける。 「最近元気? 何やってるの?」 何と言われても。見ての通りの除染作業員。だけどわざわざ... 「この辺り、全然変わってないでしょ?」 一見すると変わり果てたように見える街並みは、その日以来... 同意を込めて、僕はつい首をこくりと縦に振った。 「ねえ、どこ行くの?」 それにしても、実在しないはずの姉さんから強い視線を感じ... 「ちょっと、それ。手で押して運ぶつもり?」 集められた粉は全て、湾を改造して作られた集積場に運ばれ... 視界の隅で姉さんがぐるりと辺りを見渡すのが見えた。 「ああ、もうまどろっこしい。そんなのじゃ永遠に終わらない... どこまでも続く白い大地の上で、おもちゃみたいな猫車の上... どうして重機が入らないのかといえば、車両は火種になりう... 『大切な場所が灰に変わってしまうのは、きっと耐えられない... なんて、画面の向こうでは熱っぽい口調で何度も何度も語ら... わかっている。本当は誰もこんな場所になんて興味はない。... 僕は猫車を押してゆっくり歩いた。 「あんた、本当にここを片づける気なんてあるの?」 あるよ。僕は自分にしか聞こえないほど小さい声で呟いた。 あるけど他にどうしろと言うんだよ。こんな、いち作業員に... いっそ全部燃えてしまえば新しく町を建て直せるだなんて、... だから僕は、永遠にも似た反復を繰り返す。そうすることし... 歩き続けるとやがて打ち捨てられた線路がようやく目の前に... 「あんたさあ、ここから出ていきたがってなかったっけ」 ふいに姉さんが声をあげた。僕はどきりとした。傍らの線路... 「ここにいる必要なんてもうないのに、どうしてわざわざ戻っ... 家賃を払うのが大変だから。仕事が必要だったから。即座に... 「家賃が、ね」 堪えきれずにそう囁いて、僕は予定通りちょっと笑った。 「何その理由」 呆れたように姉さんが言った。 「外には仕事だってなんだってもっとあるでしょ」 「いい仕事を見つけるのはそんなに簡単じゃないよ」 僕は知った風な口をきいた。 「だけど……もったいない」 言葉を選ぶようにして、姉さんはそれだけ呟いた。そういう... 「もったいないって、何がだよ」 自分の声色がわずかに棘を含むのがわかった。 「姉さんは知らないかもしれないけど、ここから出て自分で生... 目の前の猫車から少しも視線を動かさないまま、僕は言い放... 僕は黙った。姉さんも黙っていた。濡れた地面を踏むざくざ... 私だって。 足音に紛れるようにして、小さい音が後ろから聞こえたよう... 足音が止まった。降りしきる雨音ばかりが鳴った。僕は上目... 姉さんの地味な紺色のスカートが風をうけて、翻った。 一瞬ののち、強い光のような視線が、突き上げるように僕を... 「馬鹿じゃないの」 吐き捨てるように姉さんが言った。そこにあるのは僕の記憶... 「でも……」 反射的に僕は答えた。 「そうやってまた言い訳ばっかり」 姉さんがぴしりと遮った。僕は悔しいのだか、安心するのだ... 「あんたには未来があったのに」 しかし、僕が何ごとかを口にするより早く、姉さんが一転ぼ... そのときの姉さんの口調にも、表情にも、僕は感情を読み取... 僕は姉さんから目を逸らし、前を向いて歩きはじめた。 姉さんがたぶんすでに死んで、もう存在するはずのないこと... 「成仏しなよ」 姉さんを見ないようにして、できるだけぶっきらぼうに言っ... 上衣のフードから、水滴がゴーグルに垂れ落ちて、僕の視界... くすくすと、まるで空っぽな笑い声が僕の耳元を通り過ぎた。 「でもまだ憎すぎるから」 ふいに前方から声が聞こえて、僕は顔をあげた。 「何が」 訊き返しながら、僕は背後にいるはずの姉さんを探して振り... あっと思ったときにはもう、手元の猫車はバランスを失って... 僕は黙って、半分近く荷物を失った猫車を引き起こした。い... 姉さんが指す先に、薄汚れた赤茶色の小箱があった。雨に濡... 「燐寸箱」 軽く振ると、中で数本の燐寸が触れ合うような感触がした。... 「でも、これじゃ使い物にならない」 湿りきった燐寸箱を、爆弾でも扱うように、僕はそうっと革... 「やってみなくちゃ、わからないでしょ」 いつものように、気の強そうな顔をして、姉さんは僕に説教... 僕はなんだか悲しくって仕方がないような気がした。 ゴーグルに水滴がぼたぼた落ちて、そのたびに姉さんの顔が... 次に顔をあげたとき、姉さんはもうどこにもいなかった。 こぼれた粉を猫車に載せなおして、僕は再び線路沿いを歩き... 姉さんに、出ていきたいだなんて話したことはあったっけ、... やっぱりあれが僕が生み出した幻だったのかなあと思う。こ... 線路がゆるいカーブを描くところに差し掛かると、僕はそこ... 荷物を降ろしたら、少し海岸線を散歩してみるのもいいな、... どうしてまた、ここにいるのだろう。僕は自問する。 姉さんがのこした、憎すぎる、という言葉の真意が僕にはど... ぼんやり歩き続けながら、これから向かう海岸線に思いを馳... ポーチのなかで燐寸がことんと動いた気がした。 ごめん、と小さく呟いて、僕はまっすぐに歩き続ける。自分... 終了行: [[活動/霧雨]] **××1.0000…… [#bda8e2ad] f また、雨が降り始める。妙に白けてやる気のない空から水滴... 主な道路は数週間かけてあらかた片づけ終わった。何か月か... 土地勘はある。慣れ親しんだといってもいい。それでも地図... まだらに濡れたゴーグルは手で拭った。やわらかい合皮製の... 白いよなあ。 この辺りには誰もいるはずがないと、わかっているのにまた... プラスチック製の安っぽいショベルを、湿気を含んだ白い地... そっと息を吐く。一連の動作が終わって初めてそれまでの緊... 元の地肌はまだ見えない。 ある日突然この町が白く覆い尽くされてから、たぶんまだ十... 白が一面を覆う風景は、吹雪のあとによく似ていた。なのに... どこから来たのか詳しいことは誰も知らないけれど、それは... 誰も立ち入ったことのないふかふかの表面が、鈍い陽光を反... なぜこんなものが? なぜここに? なぜ? なぜ僕たちに? 疑問は尽きない。でも問うだけ無駄だ。答えはないし、あっ... ずっと作業をしていると、本当にこの下に元の地面があるの... 空はますます白く、地平と空の境界線がゆれている。雨の冷... ショベルを突き立てる。放る。突き立てる。放る。この場所... 「あんた、こんなところで何やってるの」 聞こえるはずのない、よく聞き覚えのある声が僕の動きを止... 「なんでわざわざこんなところにまで戻ってきたわけ」 地味なブラウスと紺色のスカートに包まれた小柄な身体。こ... 「わざわざ被災した実家の近所の除染を申し出るなんて、あん... 人影が僕を見つめたまま、呆れたように腰に手をやった。僕... そうだ。この仕草、この口調。この目。いや、そんなはずが... 「姉さん……」 あのとき、町が白く染まったその日に死んだはずでは? 言葉が喉元で詰まって、一向に出てきそうにない。 死んだはずの姉さんが、むこうから懐かしい目で僕を睨みつ... * そのXデーって日に、僕はまだ十八歳にもなっていなかった。 その日は朝いちばんから姉さんと口論をした。きっかけは希... その町、××市―市なんてたいそうな名前がついていてもやっぱ... 「あんたはまあ、工場でしょ」 答え淀む僕に対して、断固とした口調で姉さんが言った。市... 「なんでそうやって決めつけるんだよ」 僕はむっとして言い返した。それから、もっと他の可能性が... 「ふうん、じゃあ、あんたはどうしたいの」 馬鹿にするように姉さんが僕を睨んだ。僕は言い返せなかっ... 姉さんとはそれ以上口を利かずに家を出た。それが最後の会... むしゃくしゃしながら海辺の道を歩いていたらいきなり転ん... 空はいつも通りに雲だらけで、僕は無性にいらいらしていた。 果てしなく長い一駅のために汽車に揺られて高校に辿りつい... ??なんて、くだらない。僕もそんな、出来の悪い金太郎飴み... 今思えば、なにもかもがしょうもない、たいしたことのない... 見慣れすぎた、いもむしみたいな緑色の汽車がけたたましく... 『一番ホーム、上り線。快速……行き。七時八分の発車です』 終点は耳憶えのない地名で、うまく聞き取ることができなか... 眩暈のような、錯覚。墜落感。思考に靄がかかっていくよう... 汽車に背を向けた僕は、吸い込まれるように電車に乗り込ん... 電車は静かに発車した。はじめはゆっくり、でも少しずつス... 脱出するのだ。 僕はぼんやりしたまま悦に入った。これで僕も何者かになれ... 線路沿いには灰色の海がどこまでも広がっていた。くすんだ... ゆるいカーブを通り抜け、電車が海から離れるように進路を... 水平線の方から、その、妙な白い泡が次から次へと湧きだし... 僕は飽きることなく海を見ていた。電車の車体が完全に海に... ××市と外の境界にある山―なんていう名前かは忘れたけれど―... ホワイトアウト。暗転。さよなら、僕は先に行く。 気が付いたときにはもう、窓ガラスは鏡のように車内にいる... 僕の失踪に誰か気付いていたのだろうか。 こうして僕の視界から、完全に海が消えた。だから僕は、海... 電車に飛び乗ってからおよそ半日後、乗り換えのために降り... 「君、どこの学校の子? この辺じゃ見ない制服だけど」 駅員がさも面倒くさそうに僕に尋ねた。 「××高校です」 僕は消え入りそうな声で、それでも素直に答えた。大人の醒... 一体どこに行こうとしていたのか。何を求めていたのか。ど... 聞かれたところで僕には答えられない。形式的に説教でもさ... 情けなくて仕方がなかった。それでも捕まって、もう先に進... 「××高校って、あの××市の?」 しかし駅員は僕を問い詰めようとはしなかった。先ほどより... 「そうですけど」 戸惑いながら答える僕に駅員は黙って部屋の奥にあるテレビ... 向こうにある小さいディスプレイには航空映像が映っていた... 画面が揺れる。旋回? 映像にノイズが走る。一、二、三、... 鮮烈に青い、青い空の下に、白く濁ったうねりが寄せては返... 「あの、これって」 僕が駅員に尋ねようと口を開いたとき、テレビからノイズだ... 『こちら現在の××市の様……子で……す……海の方から白い何か……が... 「ちょっと、君、大丈夫?」 慌てた様子の駅員を置いて、僕は吸い寄せられるようにテレ... 揺れる炎から、高くそびえたつ無数のパイプが時折顔をのぞ... 火勢は時と共に収まるどころか、ますます激しくなるようだ... 僕は必死に目を凝らした。この辺りのどこかに、父の働く工... すぐそばの工場から火柱が上がった。詳しい状況を把握する... 「こりゃひどいな」 部屋のどこかしこから口々に、そんな声があがった。 その先のことは、正直あまり覚えていない。 すぐに僕はその駅の地域の警察に保護された。ようやく母親... 僕と母親は二人で母親の実家に身を寄せた。××市には一度も... 数か月のうちに母親が倒れた。そのままあっけなく逝ってし... 数年経って、僕は大学生になっていたた。高校を卒業すると... 原因究明や、後世への啓発なんて大義があったわけじゃない... 大した遺産もなかったから、バイトをしながら学費と生活費... あるとき、僕は××市の除染作業員の募集を見つけた。ちょう... 三日三晩唸って、僕は大学に退学届けを提出した。きれいな... その晩、僕は夢をみた。白く乾いた津波がゆっくりと町を呑... 白い大地の先で、巨大な海が黒い腹をゆったりと震わせた。... * 突然現れた姉さんは幻覚に違いない、と僕は思った。そう思... まだ雨脚が弱まる気配もない。こちらを睨み続ける姉さんの... 仕方がない。粉を満載した猫車を押して、見渡す限り白い世... 「久しぶりじゃん」 幻視である姉さんが、幻聴の声で僕に話しかける。 「最近元気? 何やってるの?」 何と言われても。見ての通りの除染作業員。だけどわざわざ... 「この辺り、全然変わってないでしょ?」 一見すると変わり果てたように見える街並みは、その日以来... 同意を込めて、僕はつい首をこくりと縦に振った。 「ねえ、どこ行くの?」 それにしても、実在しないはずの姉さんから強い視線を感じ... 「ちょっと、それ。手で押して運ぶつもり?」 集められた粉は全て、湾を改造して作られた集積場に運ばれ... 視界の隅で姉さんがぐるりと辺りを見渡すのが見えた。 「ああ、もうまどろっこしい。そんなのじゃ永遠に終わらない... どこまでも続く白い大地の上で、おもちゃみたいな猫車の上... どうして重機が入らないのかといえば、車両は火種になりう... 『大切な場所が灰に変わってしまうのは、きっと耐えられない... なんて、画面の向こうでは熱っぽい口調で何度も何度も語ら... わかっている。本当は誰もこんな場所になんて興味はない。... 僕は猫車を押してゆっくり歩いた。 「あんた、本当にここを片づける気なんてあるの?」 あるよ。僕は自分にしか聞こえないほど小さい声で呟いた。 あるけど他にどうしろと言うんだよ。こんな、いち作業員に... いっそ全部燃えてしまえば新しく町を建て直せるだなんて、... だから僕は、永遠にも似た反復を繰り返す。そうすることし... 歩き続けるとやがて打ち捨てられた線路がようやく目の前に... 「あんたさあ、ここから出ていきたがってなかったっけ」 ふいに姉さんが声をあげた。僕はどきりとした。傍らの線路... 「ここにいる必要なんてもうないのに、どうしてわざわざ戻っ... 家賃を払うのが大変だから。仕事が必要だったから。即座に... 「家賃が、ね」 堪えきれずにそう囁いて、僕は予定通りちょっと笑った。 「何その理由」 呆れたように姉さんが言った。 「外には仕事だってなんだってもっとあるでしょ」 「いい仕事を見つけるのはそんなに簡単じゃないよ」 僕は知った風な口をきいた。 「だけど……もったいない」 言葉を選ぶようにして、姉さんはそれだけ呟いた。そういう... 「もったいないって、何がだよ」 自分の声色がわずかに棘を含むのがわかった。 「姉さんは知らないかもしれないけど、ここから出て自分で生... 目の前の猫車から少しも視線を動かさないまま、僕は言い放... 僕は黙った。姉さんも黙っていた。濡れた地面を踏むざくざ... 私だって。 足音に紛れるようにして、小さい音が後ろから聞こえたよう... 足音が止まった。降りしきる雨音ばかりが鳴った。僕は上目... 姉さんの地味な紺色のスカートが風をうけて、翻った。 一瞬ののち、強い光のような視線が、突き上げるように僕を... 「馬鹿じゃないの」 吐き捨てるように姉さんが言った。そこにあるのは僕の記憶... 「でも……」 反射的に僕は答えた。 「そうやってまた言い訳ばっかり」 姉さんがぴしりと遮った。僕は悔しいのだか、安心するのだ... 「あんたには未来があったのに」 しかし、僕が何ごとかを口にするより早く、姉さんが一転ぼ... そのときの姉さんの口調にも、表情にも、僕は感情を読み取... 僕は姉さんから目を逸らし、前を向いて歩きはじめた。 姉さんがたぶんすでに死んで、もう存在するはずのないこと... 「成仏しなよ」 姉さんを見ないようにして、できるだけぶっきらぼうに言っ... 上衣のフードから、水滴がゴーグルに垂れ落ちて、僕の視界... くすくすと、まるで空っぽな笑い声が僕の耳元を通り過ぎた。 「でもまだ憎すぎるから」 ふいに前方から声が聞こえて、僕は顔をあげた。 「何が」 訊き返しながら、僕は背後にいるはずの姉さんを探して振り... あっと思ったときにはもう、手元の猫車はバランスを失って... 僕は黙って、半分近く荷物を失った猫車を引き起こした。い... 姉さんが指す先に、薄汚れた赤茶色の小箱があった。雨に濡... 「燐寸箱」 軽く振ると、中で数本の燐寸が触れ合うような感触がした。... 「でも、これじゃ使い物にならない」 湿りきった燐寸箱を、爆弾でも扱うように、僕はそうっと革... 「やってみなくちゃ、わからないでしょ」 いつものように、気の強そうな顔をして、姉さんは僕に説教... 僕はなんだか悲しくって仕方がないような気がした。 ゴーグルに水滴がぼたぼた落ちて、そのたびに姉さんの顔が... 次に顔をあげたとき、姉さんはもうどこにもいなかった。 こぼれた粉を猫車に載せなおして、僕は再び線路沿いを歩き... 姉さんに、出ていきたいだなんて話したことはあったっけ、... やっぱりあれが僕が生み出した幻だったのかなあと思う。こ... 線路がゆるいカーブを描くところに差し掛かると、僕はそこ... 荷物を降ろしたら、少し海岸線を散歩してみるのもいいな、... どうしてまた、ここにいるのだろう。僕は自問する。 姉さんがのこした、憎すぎる、という言葉の真意が僕にはど... ぼんやり歩き続けながら、これから向かう海岸線に思いを馳... ポーチのなかで燐寸がことんと動いた気がした。 ごめん、と小さく呟いて、僕はまっすぐに歩き続ける。自分... ページ名: