開始行: **夜を啓く ―― [[篠瀬 櫂>部員紹介]] [#q43d6153] ~ 1 邯鄲病(1) いつもの癖でこういう時は、耳の後ろを掻いてしまう。 研究室にまで呼び出されて、彼はいささかの不安を感じてい... どうにか心のよりどころを見つけようと、他者を寄せ付けな... 「来ていたんだね。待たせてすまなかった」 紙束を両手に持ち直して、ドクターはきびきびと部屋の奥の... 会議が長引いてしまってね、もっと楽にしてくれていいんだ... 話しながら彼女はいましがた持ち帰った書類を片付け、残っ... 「資源の無駄遣いだと思うだろうけど、文句は上に言ってくれ... 手際の見事さに彼が見とれていると、弁解じみた言葉を彼女... 「さて、ちょっと無駄口が過ぎたね。本題はここからなんだ」 いつのにか取りだしていたタブレットをホロジェクタのコン... 「治験の事前説明でもう見たよね。こいつがつまり私たちの主... そうだ。脳についてはちょっとは予備知識がある。彼はここ... 彼が予想したとおりにドクターは、皮質のホロに手を加えて... 「さあ、これで見えやすくなった」 描かれているのは歪な地図だった。 「これにも見覚えがあることと思う」 イメージングが明らかにする、脳機能の局在図。酸素化ヘモ... 「知っての通りわたしはこれを、邯鄲病を解き明かす鍵と目し... 同時多発的に人類社会に登場し、数年間にわたって版図を拡... 空中に描かれた展開図の上で、彩色された点の群れは明滅を... 「またもおさらいになってしまうけど、去年までの成果という... さらなる分裂が続いて総数は十を越えるが、活動のパターン... 「ご覧のとおり視覚野に限って見たとき、患者の脳機能は同期... 急速眼球運動《Rapid Eye Movement:REM》は浅い眠りに伴っ... 「傍証はもっと必要だったし、神経回路には個人差も大きい。... 邯鄲病患者は眠りの中で、同じひとつの夢を見続けている。... ドクター自身の口から聞くと、その言葉はあらためて[衝撃的... 自分の言葉が作り出した余韻が消えてしまったところで、彼... 「それが『これまで』のあらましだ。そしてこれは」 コンソールを操作。 「ここ数日に起こった変化だ」 展開されていた脳の一部が、その領域を広げてゆく、視覚野... 「患者の脳はいつになく同期している。これまでには見られな... 聞きながら彼は並んだ図を眺め、一見目立たない違いに気づ... 「先生、それは」 一番右のそれは、いったい誰のサンプルなんですか。 答えを聞くのが恐ろしかった。しかし聞かずにはいられなか... 「君の脳のある領域が、邯鄲病患者のものと酷似した活動を示... 彼はもう一度耳の後ろを掻いた。 治験のために取りつけられた装置、脳活動を記録するインプ... 六時間後、附属病院の一室で、彼は改造された寝台に横たわ... 「いいかい、それは釣り針として現れるはずだ。触れさえすれ... 〈それ〉についての詳細は明らかにされなかった。識閾に埋... そんな便利なものがあるなら真っ先に患者に使えばと言うと... 誰かの声が十分前を告げて、彼は現在へと引き戻される。 ガラス越しにドクターが手を振るのが見える。くたびれた白... 忙しく動きまわる数人の技師に、壁の向こうの姿は隠される。 至るところに塗られる消毒薬の臭いが鼻孔を満たし、それも... 「さあ、目をつぶって」 弛緩してゆく自分の身体を、身体を支持する冷たい金属を感... 彼は眠りへと沈降していく。 ~ 2 〈夢摘み〉 歩きつづけるうち目的地は見つかった。 大地に根を下ろしたように、いかにもどっしりとした屋敷だ... 求めていたものはここにあるのだという予感が僕を動かした... 僕はその幅広の扉の正面に立ち、拳を作って数回叩いたが、... ノックの反響が止むのを確かめると、僕は扉に耳を近づけた... 巨大な扉が軋むことなく開き、中から青年が姿を現す。端正... 「待っていたよ。さあ上がって」 何を言っているのか咄嗟にはわからなかったものの、うなが... 「どうして」 どうして僕が来ることを、あらかじめ知っていたのですかと... どことも知れぬ部屋を目指して、青年と僕は廊下を歩いてい... 「ええ、ええと、そうだ。名前、名前を教えてください。あな... 何か喋らなくてはと思い、やっと口から出たのはそんな声だ... 「名前?」 そんなことは考えたこともなかった、というふうな顔をして... 本当に名前を持たずに生きてきたのだろうかと僕は訝しむ。... 「そうだな、名前がないと困るかもしれない」 今更のように彼は頷き、今度は悩むことなく言葉を連ねる。 「よし、これから僕のことは」 ユメツミと呼んでくれと青年は言った。 「夢ツミ?」 「草を摘む。の摘むだよ。僕は夢を摘んで暮らしているから」 夢を摘む。心の中で反芻して、一向に意味がわからないこと... 「君は夢とは何だと思う? 僕に言わせればそれは選択だ。あ... それは解釈をおこなうということなのだろうか。疑問に思っ... 過去が複数あるというのはどういうことなのか、僕は頭のな... 「つまりこの現実は、入り組んだ網目の結節点《ノード》にあ... なんとなくわかった気になってしまい、僕はそんな自分に戸... 「どうやらわかってくれたようだね」 そう言って〈夢摘み〉は扉を示した。あたりを見回して僕は... 「これからはここが居室になる。好きに使ってくれてかまわな... 一人には十分な広さに大きな窓、明るく清潔な部屋は居心地... 「さっきも少し話したけど」 あたふたとついていく僕には構わずに、〈夢摘み〉は勝手に... 「夢というのは過去の取捨選択。無数の可能性からただひとつ... 立ち止まって彼は小部屋に入る。窓がひとつもなくて薄暗く... 「それでは目覚めたあと、捨てられてしまった過去はどこへゆ... 天井からぶら下がるのは奇妙な細工物だった。それは一点を... 少し変わったモビールのようにも見える。しかし小部屋が帯... 「それはドリームキャッチャーといって、ある部族が使ってい... しかし僕の興味の対象はむしろ、と〈夢摘み〉は続ける。 「むしろ絡め取られた悪夢の方にある。こんなふうにして夢そ... このお守りは実際に役に立っているのかと僕が訊くと、〈夢... 「ここはたくさんある部屋のうちのひとつに過ぎない。なんで... さあ、ここはもういいだろうと彼は部屋を出て、足早に次の... 今度の部屋はいくらか広く、おまけにちゃんと窓もあったが... 「この部屋は文書保管庫だ。僕が使う紙は光に弱くてね」 立ち並ぶ書架にはぎっしりと書類が詰まって、強固な壁を形... 弱い光の下で書類ばさみを開き、細かな文字に顔を近づける。 「……沈んだままの艦隊が教室となって、永遠に生徒を待ち続け... 字は霞んでいて読みづらかった。僕は書類から顔を上げ、こ... 「いちいち開いてみて、確かめたっていい。しかし大変な作業... まあ似たようなことはそのうちに、やってもらうことになる... 「それはなかなかいい質問だ」 〈夢摘み〉は嬉しそうにそう言うが、しかしすぐには答えよ... 「まあ、でも、そうだな」 まだ回っておくべき部屋はたくさんあるから、と、要領を得... 屋敷には無数の小部屋が存在して、それぞれに特有の役割が... 「さて」 何番目かもわからないある部屋で、彼は腕を広げてみせた。 「そこにカーテンが掛かっているのが見えるだろう。そう、そ... 見れば確かにカーテンはあった。直方体を覆い隠すために設... 「そこには、僕がつかまえた夢のサンプルのいくらかが保存さ... カーテンの裾へと歩み寄り、壁を背にして彼は話をはじめる。 「面白い夢とはなんなのか、という問いだったね。うん。面白... 「繰り返しになるけれど、夢の中で行われているのは世界のル... 「だから世界は消しゴムによって描かれている。秩序になりそ... 僕が夢を摘むのはそういう状況と無関係ではないと〈夢摘み... 「夢は此岸へと流れついた、彼岸をなしていた要素の残滓だ。... わかりにくかったかなと〈夢摘み〉は言って、掴んでいたカ... 息を呑む。 並んでいるのは何かを収めた、円筒形のガラス容器だった。... 「そこに並んでいるような夢は、まあ言ってしまえばたいした... おはじきみたいなものだねと〈夢摘み〉は笑い、乱雑な手つ... 信じられないと僕は思っている。あんなに美しく照り輝いた... 釈然としないまま〈夢摘み〉に続き、それから数部屋を回っ... ~ 次の日から僕は、当たり前のように〈夢摘み〉を手伝うよう... 作業の多くはほどほどに体を使うもので、日没まで働いては... じわりじわりと身をすり減らすような作業に疲れると、僕は... あちこちの部屋を飛び回るうち、僕は屋敷の間取りに何か不... この建物は外観に比して容積が大きすぎ、また部屋の間取り... 屋敷に来て数ヶ月ほどが経ち、変化をつづける間取りにも戸... いつからか僕は少しずつ不満を溜め込んでいた。それは得体... 不満はあるとき形をなし、僕を行動へと駆り立てた。その日... ドアを開けるとそこは果たして戸棚の部屋だった。いつもの... 少しためらって周りを見回したあと、僕は踏み台によじのぼ... 寝台に横たわって、僕はあらためて夢の瓶を眺めてみた。 主成分は薄いねずみ色だ。ビロウドがいくつも折り重なった... 蓋を開けてやるとそれは動物のように、ぴょこんと僕の腕へ... 「あっ」 止《とど》めようとした時には遅かった。素早く耳孔へと飛... 冷たいものが頭の中心に到達し、そこで何かを置き換えはじ... ~ 硫黄の臭いが鼻を突いた。赤黒く染まった空からは、絶えず... 「おい、馬鹿だな、起きろって」 水面から顔を上げたようだった。僕は不器用に息を吸い込ん... しばらく荒い息を吐いたあとで、差し出された水を一杯飲ん... 「馬鹿らしいだろう。つまらない悪夢なんかで嫌な思いをする... 〈夢摘み〉は呆れたようにそう言うと、落ち着いたのなら、... 「この部屋では」 厚いドアを押し開いて、〈夢摘み〉は部屋の全体を示して見... 「固定?」 聞き返すとそうだと彼は応じ、作業机から一塊の岩とタガネ... 夢の棚の瓶などとは比べものにならなかった。本当に美しい... 見るうちに化石の色は褪せ、ありきたりの褐色へと変じてし... 「夢の価値は、その安定度の逆数として評価することができる」 タガネを机に戻して〈夢摘み〉は話しはじめる。広々とした... 「つまり面白い夢ほど儚く、つまらない夢ほど安定しているん... ゆえに。と彼は続ける。 「真に素晴らしい夢、夢に王たる夢の王は、この世界にまった... 言うなればそれは揮発性の、〈世界を目覚めさせる夢〉だよ。 〈夢摘み〉はそれから机の上の品々について、〈世界を目覚... 次に彼は微細な網を試したが、これは予想されていたように... 今や〈夢摘み〉は途方に暮れているようだったが、それでも... そしてまた同じように、事務仕事を片付ける数ヶ月が過ぎた... 〈夢の王〉の実体とはどのようなものか、僕は何度も想像を... 袋小路より脱する術は見つからずじまいなのだろうか、溜息... 期待していた返事はなかった。しかし〈夢摘み〉は確かにそ... 作業机をどかしてしまった部屋の中央で、彼は中空に浮かん... 脂汗をたらしながら、彼が何事かを口走った。時が来たのだ... もはや何もすべきことはなかった。僕は意味のあることを何... そこで見たのだ。 虚空より垂れ下がる細い糸と、その先に光る小さな針を。 一切が光の渦に巻き込まれようとしていた。僕は釣り針に触... 3 邯鄲病(2) その日彼はまだ病室にいて、横たわっていつかのようにドク... 「はっきり言って、何が起こったかを把握できている者はこの... ドクターの表情からは落胆も憤りも感じられなかった。ただ... 「しかし説明を試みることはできる。君も退屈していただろう... ようやく質問を許される機会を与えられて、質問攻めを受け... 「じゃあ……」 たずねるべきことは山ほどあったが、まずは自分が目覚めた... 見た夢のことを何度も聞かれたが、そのたびに何も覚えてい... 「なんだ、そんなことも聞かされてなかったのかい。別にそれ... しかし問題は法規的なところにあるのかもしれないなと彼女... 結論から言うと、あの時目覚めたのは彼だけではなかったの... 確認されていた邯鄲病患者の全員がその日のうちに目を覚ま... 人類種を滅亡の手前まで追いやっていた疾病は、一夜のうち... そして報告されているかぎり、世界で最初の帰還者は他なら... 「わたしは今もサンプルの収集を続けているが、一連の現象に... 君はプリオンを知っているかと今度はドクターが尋ねる。 一応は、と彼は答え。確か異常に畳み込まれたタンパク質の... 「そう、組成そのものに変わったところはなく、ただフォール... プリオンの異常な畳み込みは、他のタンパク質へと伝播して... それと同じことが、邯鄲病についても起こったのではないか... 「もちろん、原因がプリオンにあるというわけではないよ」 神経発火のあるパターンが、それ自体を複製させるような機... 「現時点ではすべて仮定にすぎない。物的証拠が出るとも限ら... ドクターはまた、邯鄲病の「終焉」に際しても似たような現... 流石に無理がありはしないか。 彼は当然のように疑問を抱く。 目覚めている人間を繋ぐものは確かに多い。発達したネット... けれど眠ってしまった患者たちは、どうやって互いにパター... 覚醒に要した時間はたった一日なのだ。そんな都合のいい媒... 「だから仮定の話だと言っただろう。そうとでもしなければ説... 釈然としない一方で、彼の胸裡には密かによぎるものがあっ... それは瞬く間に世界を覆い、そして消えてゆく夢のビジョン... ドクターは彼女流の解釈について、今度はより詳細な説明を... 彼はそうした説明をすでに真剣には聞いていなかったが、ド... 何気なく窓の外に目をやり、彼は気づかれぬままに世界に起... 自分はこの一件で変わってしまったのだろうか。そうかもし... ~ 4 〈月〉の建設 夜明けが地表をなでてゆくのを、僕は高いところから眺めて... 視点は空のある一点にあって、あらゆる妨げを受けることが... 空の半球の反対の極、沈みゆく青い天体の上で、〈月〉の建... あそこに、と彼女は言う。あそこにわたしたちが手にするこ... 「そう、それにきっと、これから手にすることのないであろう... 〈月〉は僕らの到達した最終結論だ。どんな過程を辿った歴... 「あれが完成する時、僕らの生は真に完全なものになる。僕ら... 言いながらも僕は気づいている。本当は〈月〉が完成するこ... 没してゆく〈月〉はそれでも美しかった。その輪郭はあとす... 夜はもう間もなく明けるだろう。朝が、人間の時間がやって... ~ CENTER:''(了)'' ~ ~ //*この作品を評価する [#xd81193f] //#rating() 終了行: **夜を啓く ―― [[篠瀬 櫂>部員紹介]] [#q43d6153] ~ 1 邯鄲病(1) いつもの癖でこういう時は、耳の後ろを掻いてしまう。 研究室にまで呼び出されて、彼はいささかの不安を感じてい... どうにか心のよりどころを見つけようと、他者を寄せ付けな... 「来ていたんだね。待たせてすまなかった」 紙束を両手に持ち直して、ドクターはきびきびと部屋の奥の... 会議が長引いてしまってね、もっと楽にしてくれていいんだ... 話しながら彼女はいましがた持ち帰った書類を片付け、残っ... 「資源の無駄遣いだと思うだろうけど、文句は上に言ってくれ... 手際の見事さに彼が見とれていると、弁解じみた言葉を彼女... 「さて、ちょっと無駄口が過ぎたね。本題はここからなんだ」 いつのにか取りだしていたタブレットをホロジェクタのコン... 「治験の事前説明でもう見たよね。こいつがつまり私たちの主... そうだ。脳についてはちょっとは予備知識がある。彼はここ... 彼が予想したとおりにドクターは、皮質のホロに手を加えて... 「さあ、これで見えやすくなった」 描かれているのは歪な地図だった。 「これにも見覚えがあることと思う」 イメージングが明らかにする、脳機能の局在図。酸素化ヘモ... 「知っての通りわたしはこれを、邯鄲病を解き明かす鍵と目し... 同時多発的に人類社会に登場し、数年間にわたって版図を拡... 空中に描かれた展開図の上で、彩色された点の群れは明滅を... 「またもおさらいになってしまうけど、去年までの成果という... さらなる分裂が続いて総数は十を越えるが、活動のパターン... 「ご覧のとおり視覚野に限って見たとき、患者の脳機能は同期... 急速眼球運動《Rapid Eye Movement:REM》は浅い眠りに伴っ... 「傍証はもっと必要だったし、神経回路には個人差も大きい。... 邯鄲病患者は眠りの中で、同じひとつの夢を見続けている。... ドクター自身の口から聞くと、その言葉はあらためて[衝撃的... 自分の言葉が作り出した余韻が消えてしまったところで、彼... 「それが『これまで』のあらましだ。そしてこれは」 コンソールを操作。 「ここ数日に起こった変化だ」 展開されていた脳の一部が、その領域を広げてゆく、視覚野... 「患者の脳はいつになく同期している。これまでには見られな... 聞きながら彼は並んだ図を眺め、一見目立たない違いに気づ... 「先生、それは」 一番右のそれは、いったい誰のサンプルなんですか。 答えを聞くのが恐ろしかった。しかし聞かずにはいられなか... 「君の脳のある領域が、邯鄲病患者のものと酷似した活動を示... 彼はもう一度耳の後ろを掻いた。 治験のために取りつけられた装置、脳活動を記録するインプ... 六時間後、附属病院の一室で、彼は改造された寝台に横たわ... 「いいかい、それは釣り針として現れるはずだ。触れさえすれ... 〈それ〉についての詳細は明らかにされなかった。識閾に埋... そんな便利なものがあるなら真っ先に患者に使えばと言うと... 誰かの声が十分前を告げて、彼は現在へと引き戻される。 ガラス越しにドクターが手を振るのが見える。くたびれた白... 忙しく動きまわる数人の技師に、壁の向こうの姿は隠される。 至るところに塗られる消毒薬の臭いが鼻孔を満たし、それも... 「さあ、目をつぶって」 弛緩してゆく自分の身体を、身体を支持する冷たい金属を感... 彼は眠りへと沈降していく。 ~ 2 〈夢摘み〉 歩きつづけるうち目的地は見つかった。 大地に根を下ろしたように、いかにもどっしりとした屋敷だ... 求めていたものはここにあるのだという予感が僕を動かした... 僕はその幅広の扉の正面に立ち、拳を作って数回叩いたが、... ノックの反響が止むのを確かめると、僕は扉に耳を近づけた... 巨大な扉が軋むことなく開き、中から青年が姿を現す。端正... 「待っていたよ。さあ上がって」 何を言っているのか咄嗟にはわからなかったものの、うなが... 「どうして」 どうして僕が来ることを、あらかじめ知っていたのですかと... どことも知れぬ部屋を目指して、青年と僕は廊下を歩いてい... 「ええ、ええと、そうだ。名前、名前を教えてください。あな... 何か喋らなくてはと思い、やっと口から出たのはそんな声だ... 「名前?」 そんなことは考えたこともなかった、というふうな顔をして... 本当に名前を持たずに生きてきたのだろうかと僕は訝しむ。... 「そうだな、名前がないと困るかもしれない」 今更のように彼は頷き、今度は悩むことなく言葉を連ねる。 「よし、これから僕のことは」 ユメツミと呼んでくれと青年は言った。 「夢ツミ?」 「草を摘む。の摘むだよ。僕は夢を摘んで暮らしているから」 夢を摘む。心の中で反芻して、一向に意味がわからないこと... 「君は夢とは何だと思う? 僕に言わせればそれは選択だ。あ... それは解釈をおこなうということなのだろうか。疑問に思っ... 過去が複数あるというのはどういうことなのか、僕は頭のな... 「つまりこの現実は、入り組んだ網目の結節点《ノード》にあ... なんとなくわかった気になってしまい、僕はそんな自分に戸... 「どうやらわかってくれたようだね」 そう言って〈夢摘み〉は扉を示した。あたりを見回して僕は... 「これからはここが居室になる。好きに使ってくれてかまわな... 一人には十分な広さに大きな窓、明るく清潔な部屋は居心地... 「さっきも少し話したけど」 あたふたとついていく僕には構わずに、〈夢摘み〉は勝手に... 「夢というのは過去の取捨選択。無数の可能性からただひとつ... 立ち止まって彼は小部屋に入る。窓がひとつもなくて薄暗く... 「それでは目覚めたあと、捨てられてしまった過去はどこへゆ... 天井からぶら下がるのは奇妙な細工物だった。それは一点を... 少し変わったモビールのようにも見える。しかし小部屋が帯... 「それはドリームキャッチャーといって、ある部族が使ってい... しかし僕の興味の対象はむしろ、と〈夢摘み〉は続ける。 「むしろ絡め取られた悪夢の方にある。こんなふうにして夢そ... このお守りは実際に役に立っているのかと僕が訊くと、〈夢... 「ここはたくさんある部屋のうちのひとつに過ぎない。なんで... さあ、ここはもういいだろうと彼は部屋を出て、足早に次の... 今度の部屋はいくらか広く、おまけにちゃんと窓もあったが... 「この部屋は文書保管庫だ。僕が使う紙は光に弱くてね」 立ち並ぶ書架にはぎっしりと書類が詰まって、強固な壁を形... 弱い光の下で書類ばさみを開き、細かな文字に顔を近づける。 「……沈んだままの艦隊が教室となって、永遠に生徒を待ち続け... 字は霞んでいて読みづらかった。僕は書類から顔を上げ、こ... 「いちいち開いてみて、確かめたっていい。しかし大変な作業... まあ似たようなことはそのうちに、やってもらうことになる... 「それはなかなかいい質問だ」 〈夢摘み〉は嬉しそうにそう言うが、しかしすぐには答えよ... 「まあ、でも、そうだな」 まだ回っておくべき部屋はたくさんあるから、と、要領を得... 屋敷には無数の小部屋が存在して、それぞれに特有の役割が... 「さて」 何番目かもわからないある部屋で、彼は腕を広げてみせた。 「そこにカーテンが掛かっているのが見えるだろう。そう、そ... 見れば確かにカーテンはあった。直方体を覆い隠すために設... 「そこには、僕がつかまえた夢のサンプルのいくらかが保存さ... カーテンの裾へと歩み寄り、壁を背にして彼は話をはじめる。 「面白い夢とはなんなのか、という問いだったね。うん。面白... 「繰り返しになるけれど、夢の中で行われているのは世界のル... 「だから世界は消しゴムによって描かれている。秩序になりそ... 僕が夢を摘むのはそういう状況と無関係ではないと〈夢摘み... 「夢は此岸へと流れついた、彼岸をなしていた要素の残滓だ。... わかりにくかったかなと〈夢摘み〉は言って、掴んでいたカ... 息を呑む。 並んでいるのは何かを収めた、円筒形のガラス容器だった。... 「そこに並んでいるような夢は、まあ言ってしまえばたいした... おはじきみたいなものだねと〈夢摘み〉は笑い、乱雑な手つ... 信じられないと僕は思っている。あんなに美しく照り輝いた... 釈然としないまま〈夢摘み〉に続き、それから数部屋を回っ... ~ 次の日から僕は、当たり前のように〈夢摘み〉を手伝うよう... 作業の多くはほどほどに体を使うもので、日没まで働いては... じわりじわりと身をすり減らすような作業に疲れると、僕は... あちこちの部屋を飛び回るうち、僕は屋敷の間取りに何か不... この建物は外観に比して容積が大きすぎ、また部屋の間取り... 屋敷に来て数ヶ月ほどが経ち、変化をつづける間取りにも戸... いつからか僕は少しずつ不満を溜め込んでいた。それは得体... 不満はあるとき形をなし、僕を行動へと駆り立てた。その日... ドアを開けるとそこは果たして戸棚の部屋だった。いつもの... 少しためらって周りを見回したあと、僕は踏み台によじのぼ... 寝台に横たわって、僕はあらためて夢の瓶を眺めてみた。 主成分は薄いねずみ色だ。ビロウドがいくつも折り重なった... 蓋を開けてやるとそれは動物のように、ぴょこんと僕の腕へ... 「あっ」 止《とど》めようとした時には遅かった。素早く耳孔へと飛... 冷たいものが頭の中心に到達し、そこで何かを置き換えはじ... ~ 硫黄の臭いが鼻を突いた。赤黒く染まった空からは、絶えず... 「おい、馬鹿だな、起きろって」 水面から顔を上げたようだった。僕は不器用に息を吸い込ん... しばらく荒い息を吐いたあとで、差し出された水を一杯飲ん... 「馬鹿らしいだろう。つまらない悪夢なんかで嫌な思いをする... 〈夢摘み〉は呆れたようにそう言うと、落ち着いたのなら、... 「この部屋では」 厚いドアを押し開いて、〈夢摘み〉は部屋の全体を示して見... 「固定?」 聞き返すとそうだと彼は応じ、作業机から一塊の岩とタガネ... 夢の棚の瓶などとは比べものにならなかった。本当に美しい... 見るうちに化石の色は褪せ、ありきたりの褐色へと変じてし... 「夢の価値は、その安定度の逆数として評価することができる」 タガネを机に戻して〈夢摘み〉は話しはじめる。広々とした... 「つまり面白い夢ほど儚く、つまらない夢ほど安定しているん... ゆえに。と彼は続ける。 「真に素晴らしい夢、夢に王たる夢の王は、この世界にまった... 言うなればそれは揮発性の、〈世界を目覚めさせる夢〉だよ。 〈夢摘み〉はそれから机の上の品々について、〈世界を目覚... 次に彼は微細な網を試したが、これは予想されていたように... 今や〈夢摘み〉は途方に暮れているようだったが、それでも... そしてまた同じように、事務仕事を片付ける数ヶ月が過ぎた... 〈夢の王〉の実体とはどのようなものか、僕は何度も想像を... 袋小路より脱する術は見つからずじまいなのだろうか、溜息... 期待していた返事はなかった。しかし〈夢摘み〉は確かにそ... 作業机をどかしてしまった部屋の中央で、彼は中空に浮かん... 脂汗をたらしながら、彼が何事かを口走った。時が来たのだ... もはや何もすべきことはなかった。僕は意味のあることを何... そこで見たのだ。 虚空より垂れ下がる細い糸と、その先に光る小さな針を。 一切が光の渦に巻き込まれようとしていた。僕は釣り針に触... 3 邯鄲病(2) その日彼はまだ病室にいて、横たわっていつかのようにドク... 「はっきり言って、何が起こったかを把握できている者はこの... ドクターの表情からは落胆も憤りも感じられなかった。ただ... 「しかし説明を試みることはできる。君も退屈していただろう... ようやく質問を許される機会を与えられて、質問攻めを受け... 「じゃあ……」 たずねるべきことは山ほどあったが、まずは自分が目覚めた... 見た夢のことを何度も聞かれたが、そのたびに何も覚えてい... 「なんだ、そんなことも聞かされてなかったのかい。別にそれ... しかし問題は法規的なところにあるのかもしれないなと彼女... 結論から言うと、あの時目覚めたのは彼だけではなかったの... 確認されていた邯鄲病患者の全員がその日のうちに目を覚ま... 人類種を滅亡の手前まで追いやっていた疾病は、一夜のうち... そして報告されているかぎり、世界で最初の帰還者は他なら... 「わたしは今もサンプルの収集を続けているが、一連の現象に... 君はプリオンを知っているかと今度はドクターが尋ねる。 一応は、と彼は答え。確か異常に畳み込まれたタンパク質の... 「そう、組成そのものに変わったところはなく、ただフォール... プリオンの異常な畳み込みは、他のタンパク質へと伝播して... それと同じことが、邯鄲病についても起こったのではないか... 「もちろん、原因がプリオンにあるというわけではないよ」 神経発火のあるパターンが、それ自体を複製させるような機... 「現時点ではすべて仮定にすぎない。物的証拠が出るとも限ら... ドクターはまた、邯鄲病の「終焉」に際しても似たような現... 流石に無理がありはしないか。 彼は当然のように疑問を抱く。 目覚めている人間を繋ぐものは確かに多い。発達したネット... けれど眠ってしまった患者たちは、どうやって互いにパター... 覚醒に要した時間はたった一日なのだ。そんな都合のいい媒... 「だから仮定の話だと言っただろう。そうとでもしなければ説... 釈然としない一方で、彼の胸裡には密かによぎるものがあっ... それは瞬く間に世界を覆い、そして消えてゆく夢のビジョン... ドクターは彼女流の解釈について、今度はより詳細な説明を... 彼はそうした説明をすでに真剣には聞いていなかったが、ド... 何気なく窓の外に目をやり、彼は気づかれぬままに世界に起... 自分はこの一件で変わってしまったのだろうか。そうかもし... ~ 4 〈月〉の建設 夜明けが地表をなでてゆくのを、僕は高いところから眺めて... 視点は空のある一点にあって、あらゆる妨げを受けることが... 空の半球の反対の極、沈みゆく青い天体の上で、〈月〉の建... あそこに、と彼女は言う。あそこにわたしたちが手にするこ... 「そう、それにきっと、これから手にすることのないであろう... 〈月〉は僕らの到達した最終結論だ。どんな過程を辿った歴... 「あれが完成する時、僕らの生は真に完全なものになる。僕ら... 言いながらも僕は気づいている。本当は〈月〉が完成するこ... 没してゆく〈月〉はそれでも美しかった。その輪郭はあとす... 夜はもう間もなく明けるだろう。朝が、人間の時間がやって... ~ CENTER:''(了)'' ~ ~ //*この作品を評価する [#xd81193f] //#rating() ページ名: