KIT Literature Club Official Website

京都工芸繊維大学 文藝部

Top / 活動 / 霧雨 / vol.45 / Wehavelife! エピローグ
Last-modified:
| | | |

 [[活動/霧雨]]
 
 **Wehavelife! エピローグ [#oe25f7e9]
 
 そう
 
 半年前、三月。
  木山さんが見つけてくれたデータのおかげで組織の狙いが分かったから哲さんに報告することにした。
  薄暗い部屋で電話をかける。
 「ああなんだ真くん」
 「……あ、もしもし、哲さん、実は……」
  組織の頭がおかしいような計画を話す。
 「なるほどな」
 「えぇ」
 「なぁ、一つ気になったんだがよぉ」
 「なんでしょうか?」
 「真君、似たようなことやってなかったか?」
  哲さんの言葉が心臓に突き刺さる。
  そうだった。俺にヤツらを責める資格なんてないかもしれない。
 「まぁ、俺は真君のやったことは正解だったと思うけどな」
 「……ロミちゃんのことお願いしますね」
 「おう! 任せとけ!」
  ツーツー。
  そうだよな。俺は……。
  
 

  七年前。
  目が覚めると、白い天井、白い壁が目に入った。
  私は生き残ってしまったのか……。
  ということは……かすかな希望を抱いて医者に話を聞いた。
  でも、妹は助からなかった。
  なんで私が助かったんだ? なんで何も悪くない妹が死んで、私が助かったんだ? アイツは私を狙っていたのに……妹は巻き込まれただけなのに……!
  
  手首を切った。
  死ねなかった。
 
  首を吊った。
  死ねなかった
 
  病院から盗んだ薬を一気飲みした。
  死ねなかった。
 
  看護師の目を盗んで私は屋上へ向かった。
  結構キレイな夕焼けだ。この夕焼けを見たら妹はどんな反応をするんだろうな……。
  頬に生ぬるいものが流れる。
  最期に見る景色がこれというのは、私には身に余るな。
  赤い太陽が山へ沈んでいく、私も太陽と一緒に地面に沈もう。
  白い柵を越え、私は太陽が沈む向きに進んだ。
  
  別にいいよな、最期に見る景色がこんなキレイなものでも……それくらいの贅沢、許してくれるよな。
  全身に電流が流れたような衝撃が走った。
  全身が痛む。
  今度こそ……。
  私はそのまま重い瞼を閉じた。
 
  死ねなかった。
 
  でもいつもと違い、目が覚めた場所は白いベッドの上ではなく、黒い地面の上だった。
  痛みがマヒしていたのだろうか?
  体があんまり痛くない。
  自然に立ち上がれる。
  私はそのまま当てもなく夜の町へ向かう。
 
  暗いな。
  これが夜の町というヤツか、久しぶりに見た。
  もう夜中だからか、建物の光はほとんどない。真っ暗な世界。
  他に歩いている人は見当たらない。
  暗闇の中に私一人……そうか、私は一人になってしまったのか……。
  いつも妹が隣にいてくれたから、一人になるなんて今まで考えたことなかったな……。
  急に白い光が目に飛び込んだ。車だ。
  飛びだそう。
  今度こそ死ねるはずだ。
 
  私は淡い希望を胸に秘め、白い光に飛び込んだ。
  
  死ねなかった。
 
  そうか……そういえば、私は合気道をやっていたんだっけ……無意識のうちに受け身を取ってしまっていたのか、だから助かったのか、そうか、そうに違いない。
  だが、受け身がうまくできたところでダメージを完全に無効化することはできない、そのうち死ぬだろう。
 
  この細い光はバイクだな。衝撃が一点に集中してそうだ。行こう。
 
  この光はトラックみたいだな。衝撃が大きそうだ。行こう。
 
  この光は……。
 
  何度も道路に飛び出した。
  最初に飛び出してから何度目の夜だろう? 数えてないが十回は確実に超えている。
  何回飛び出しただろう……七十回を超えたあたりから数えていない。いや、数えることすら疲れた。
  なんで死ねないんだ? いくら受け身をとれたところで一回か二回ならば助かるかもしれないが、さすがにこれだけやれば死ぬはずだ、死なないとおかしい。
  なんでだ?
  早く楽になりたいのに……。
  目の前にまた車の光が映る。
  もう飛び出すことすら疲れた。
  
  もういいや……これが妹を守れなかった私に対しての罰なんだろう……。
  
 「お姉ちゃん……助けて……」
  
  妹の最期の言葉がまだ耳に残っている。
  目の前で殺されるところを見ることしかできなかった……何のために私は合気道をやっていたんだ……!
  ははは、私ができたことなんて、所詮自分の身を守ることぐらいか……あぁ、でも、一度は守れたっけ、父さんからは守れたんだっけ?
  母さんを殺して、妹を殺そうとした父さんからは守れたんだっけ……父さんを殺したときは辛かったけど、妹を守れたからよかったって思ったんだっけ。でも、アイツからは守れなかった……。
  ははは、もう私には何も無いけどな……このまま眠ったら妹のところに行けるんだろうか……?
  もう、いいや……瞼が重い……。
 
  ん?
  誰かに体を持ち上げられた?
  重い瞼を開けてみると、私より少しだけ年上、十八歳ぐらいの細身の女の人が私を抱えて歩いていた。これが俗に言うお姫様抱っことかいうヤツか……ははは、そういえば中学時代、クラスメイトによくやってくれって言われたっけ、まさか自分がされることになるとはな……。
  彼女は私をどこへ連れて行くのだろうか? 彼女は天使とかそういうので私をあの世へ連れて行ってくれるのだろうか? 妹のところへ連れて行ってくれるのだろうか?
 
  光が差し込んでくる。
  ここはどこだ?
  瞼を開くと、白い天井、白い壁、見覚えのある景色だ、病院か……。
  ちょうど、医者が部屋に入ってきた。
 「あ、目が覚めたの? あ、そ、そうだ、えっと……」
  動揺してるな。
 「名前分かる?」
  名前? 医者の名前か。白衣に付いている名札を見る。
 「神崎……」
 「あ、いや、俺の名前じゃなくて、君の名前分かる? ごめんね、言葉が足りてなくて」
  あぁ、私の名前か、聞いたところで……記憶喪失とかになってないかを確かめるためか?
 「綺堂……亜衣……」
 
  早く楽になりたい。 
  早く妹の、芽衣のいるところに行きたい。
 

 「亜衣さん、この調子だと明日退院できそうだね」
  神崎は笑顔で話す。
 「ありがとうございます……」
 「どうしたの? 何か考え事してたの?」
 「まぁ、そんなところです……」
  神崎の額を汗が流れる。
 「聞いてもいいですか?」
 「うん」
 「私の死体はどこにあるんですか?」
  空気が凍る。
  神崎は深く深呼吸する。
 「分かった。全部話すよ。でも死体を見せることはできない。それだけは分かって欲しい」
 「……分かりました」
   
 
  この病院の関係者以外立ち入り禁止の区域を通ってしか通れないエリアがある。
  森田と木山もそのエリアにある病室で入院している。
  亜衣と神崎が向かうのはさらにその先、何重ものセキュリティーを解除しなければ通れない場所、地下三階の一室。
  鋼鉄の扉がずっしりとたたずんでいた。
 「この部屋ですか?」
 「うん。この部屋で君の死体は冷凍保存されている」
 「そうですか……」
 「なんで? とか聞かないの?」
 「神崎先生こそ聞かないんですか? どうして私がこのことに気づいたのか?」
 「……どうせいつかバレるかもしれないって思ってたから」
  わざわざ聞くまでもないって顔してるな。
  気づいた理由は二つある。
  一つ目は単純に昔のことを思い出しただけだ。七年前に病院の屋上から飛び降り脱走した時、あれだけの回数車にひかれたはずなのに死ななかった。
  二つ目は鏡原が最初にこの病院に現れたということだ。アイツは匂いで私を探していたらしい。私は哲さんのお店で保護されていたから、発見が遅れたというのは分かる。哲さんも鏡原対策でわざわざいつもより匂いをキツくしていたらしいし。
  病院に現れただけであれば、それなりに行く場所だし、私の匂いで探し当てたというのであれば、納得できないことはない。過去のこともあの時の私はどうかしていたというのもあるし、勘違いということもありえる。
  だが、二つ重なれば、それは勘違いじゃない。私は七年前に屋上から飛び降りた時に死んでいて、その死体が病院に保管されている。
  だとすれば全てが繋がる。車に何回轢かれても死ななかったのはもうすでに死んで幽霊になっていたから、幽霊が車に轢かれてもダメージを負うわけないしな。鏡原が病院に現れたのは私の死体の匂いにつられたから。
 「で、幽霊だった私を誰か、例えば屋上にいる幽霊さんにでも頼んで運んできてもらったんでしょ」
  沈黙か……どう答えればいいのか分からないって感じだな。別に怒っている訳ではないので、私の推測が正しければ肯定、間違っていれば否定、という感じでいいのだが……。変なところで考えすぎなんだよな。
 「そこから先です。私が分からないのは……どうやって幽霊の私に肉体をくれたんですか?」
 「……境界壊し」
  神崎先生の一言で謎が解けた。そういうことか……。
  
  単に実体化しているだけか……。
 

  七年前の亜衣さんは病院内でも有名な問題児だった。
  治療しても止めても自殺を繰り返す。隙があれば薬物や刃物を盗み出す。苦肉の策で拘束して、おとなしくなったと思ったら屋上から飛び降りて絶命した。
  動かなくなった彼女を最初に見つけたのは俺だった。急いで治療室に運んだが、もう手遅れだった。助けたかったのに助けられない。この仕事ではよくあることだ。仕方がない。
  重い足で部屋に戻ろうとしていた時。
 「かんざきせんせい」
  ロミちゃんが同年代の少女と手をつないで立っていた。
 「どうしたのロミちゃん?」 
  膝を降ろして話しかける。彼女と手をつないでいる少女に見覚えはない。幽霊だろう。こんな年でかわいそうに……。
 「この子のお姉ちゃんを助けてあげて」
 「お願いします! お姉ちゃんを助けてください!」
 「分かった」
  
  彼女たちから事情を聞くと、その少女の姉はこの病院から飛び降りた後、体を置き去りにして一人夜の町へ行ったらしい。
  これは俺の推察だが、亜衣ちゃんは自分が死んだと思っておらず、今頃ひたすら自殺をしようとしているだろう。
  助けたい。
  姉さんに頼んで、亜衣ちゃんの幽霊は病院まで運んでもらった。 
  どうする?
  助けるということが命を助けるということであれば方法はある。だが、それでいいのか? 生きていて救われなかった彼女の命を救ってもそれでいいのか? それにこれは……。
  寝ているロミちゃんの手を亜衣ちゃんにつながせ二人を手術台に寝かせる。境界壊しの効果で実体化している状態であれば亜衣ちゃんに手術ができる。
  
  手術内容はロミちゃんの細胞の一部を亜衣ちゃんに移植することで彼女を常に実体化させた状態、生身の人間と同じ状態にするというものだ。
  理由は分からないが、幽霊は身体能力が生身の人間より大幅に劣るので、硝君の身体能力の強化にしようした遺伝子も少しだけ組み込んでおこう。
  
  手術後には、亜衣ちゃんの死体は冷凍保存で厳重に保管することにした。
  手術は無事に成功したけど、これでよかったんだろうか?
  死者を蘇らせることは許されることではない。命あるものは必ず死を迎えるこれは世界の絶対のルールだ。これを破ることは許されていいことじゃない。
  それに、こんなことをして亜衣ちゃんは救われるのだろうか? 生で希望を見つけられなかった少女が……。
 
  俺の罪は誰が許してくれるのだろうか? 誰も許さないんだろうな……。
 
  *
 「死体を保存したというのは、ひょっとして私を肉体に戻すためとかですか?」
  亜衣は鋭い目で問い詰める。
 「いや、それは……」
  正直、どうして冷凍保存を選んだのかは分からない。ただ、できなかった。処理することが。
 「そうですか……」
 「ごめん……」
 「なんで謝るんですか?」
  謝罪なんて求めてない。 
 「それは……」
 「別にいいんですよ」
  確かに神崎先生が私にしたことは許されることではないだろう。
  最初、戸惑いはあった。気が付いたら幽霊と話せるようになっていて。
  神崎先生から絆創膏型の『境界創り』を受け取っていた。これは黒山さんのヤツと違って、装着したら完全に押さえることしかできない。
  それでいい。この力をあまり使いたいとは思っていない。芽衣に会えるわけではないから。家で外したこともあるが、仏壇の方を見ても、芽衣の姿を見たことなんてない。
  辛かった。私には芽衣に会う資格なんてないということは分かってる。それでも、そばにいて欲しかったから。こんな力なかったら、芽衣が近くで見守ってくれてるなんて幻想を抱いて心の支えにできたかもしれない。
  でも、役に立ったことはあった。
  三ヶ月前、月代さんが変な集団にさらわれたことがあった。彼女の居場所を幽霊に聞いて、助け出すことができた。
  この力のおかげで月代さんを助けられた。月代さんを助けられたおかげで三島さんも助けられた。
  だから――。
 「私はよかったと思いますよ。神崎先生のしたことは神が許さなかったとしても、私は許します。って偉そうにすみません」
  神崎はうつむいたまま返事をしない。
 「あの、屋上に連れて行ってもらえませんか? いつまでもこんな暗いとこにいても気が滅入りそうですし」
  
 
  雲一つない青空、先ほどまで薄暗い廊下にいたせいか、太陽がより眩く感じる。
  柵にもたれかかっている女性が一人、肩にかかっている胡桃色の髪が太陽の光を浴び輝いている。
 「いつかこの日が来るって思ってた……」
 「神崎千尋さんですよね?」
  亜衣が問いかける。
 「えぇ、そうよ。そういえば真は?」
 「席を外してもらったんですけど、ダメでしたか?」
 「いや、いいよ。あなたとはゆっくりお話ししたかった……ううん、謝りたかった」
  冷たい風が流れ、髪で隠していた亜衣の右目の傷がさらされる。
 「ごめんなさい。あなたに生きることを強要させてしまって……あなたのこれからを……」
  言葉が詰まる。どう言えばいいのだろうか? 私は彼女を助けたかった。生で救われず死を選んだ彼女を。死を選んでも救われなかった彼女を……。救いたかった。でも、そのための方法は余計に彼女を苦しめた。彼女を――。
 「千尋さん、頭を上げてくれませんか?」
  私は謝罪が欲しくて彼女に会いに来たんじゃない。
 「でも……」
 「私はあなたたちを恨んでませんよ。むしろ感謝してます。死ぬこと以外考えることができなかった私を助けてくださって……生……今の私は生きているといえるのか分かりませんが、ですが、私はあなたたちに救われました。いや、あなたたちだけじゃないです。白川や黒山さん、金田、森田さん、木山さん、哲さん、芽衣、周りの人たちが私を救ってくれました。こんな私を……だから、ありがとうございました」
  そっか。救われてたんだ。私逹が道を踏み外してでも救いたいって思った彼女は救われたんだ。
  目頭が熱くなる。幽霊でも出るんだ。
 「ウェハヴェイフェ……」
 「どういう意味ですか?」
  千尋のつぶやいた言葉に亜衣が首をかしげる。  
 「さっき、亜衣ちゃん、自分は生きてるかどうか分からないって言ったよね」
 「言いましたね」
 「We have life これ、ローマ字読みしてみて」
  えっと、We でうぇ、Have はう゛ぇ、Life えっと、ぃふぇ……ん?
 「あの、VEとLIのローマ字読みの小さい『え』と小さい『い』が重なっているから発音できないと思うんですけど」
 「細かいことはいいの! とりあえず分かってくれた? ウェハヴェイフェの意味」
  えっと、英語か。中学でやった以来ほとんど勉強してないなぁ……えっと、確か――。
 「……私逹は命を持っている、ですか?」 
 「間違ってはないけど、ちょっと不自然な日本語だと思わない?」
 「まぁ、そうですね」
 「私ならこう訳すかな、『私たちは生きている』って」
  命を持っている、つまりそれは生きているってことか、なるほど。
 「って、生きてるんですか? 私、死んで幽霊になって実体化しているだけの身ですけど」
 「いいに決まってるでしょ。私もあなたも死んでるけど生きている。ってことで」
 「あ、はぁ」
 「要するに気持ちの問題なの。ほら、普通の人も疲れたときとか『死んだー』とか言ってるでしょ」
 「そういう問題ですか……?」
  少し違和感はあるが、そうかもしれない。生きてるというのは結局気持ちの問題なのだろう。例え、他の人が死んでると思っても、自分が生きてると思えばそれは生きている。そういう考え方もあるのかもしれない。
 「考えすぎはよくないよ。こういうのは感覚なんだから」
  命を感覚で済ますなよ……でも、そういうものか。命なんて目に見えないしな。
 「そうですね」
 「他に聞きたいことある?」
  茶目っ気に笑いながら訊ねる。
 「いや、今は特には」
 「そう」
 「じゃあ、私はこれで」
 「もう行っちゃうの?」
  どこか寂しげな雰囲気で呼びかける。多分、自分と話せる人は私と黒山さん以外いないから、寂しいんだろうな。
 「神崎先生待たせてるんで」
 「そう……」
 「また来ます」
 「うん。また来てね」
  優しい微笑みで送り出してくれた。
 

 
  人類の生と死をごちゃ混ぜにする。これだけを聞いても何を言っているのか分からないだろう。これはある組織の計画だ。
  人間は争う。エネルギーも食料も不足している。それを解決するにはどうすればいいか?
  そもそもなぜ問題が起こるか? 生と死があるからだ。
  問題を解決するには二つの境目を無くせばいい。
  では、どうやって二つの境目を無くすのか? 壊すのか?
  死者と生者の間の境界を壊す装置があればいい。そうすれば全ての問題が解決する。
  黒山露水(くろやまろみ)はそのために組織に作られた人間だ。
  彼女を炉心として組み込んだ装置で生者と死者を全て同じ存在にしてしまおうというのが組織の狙いだ。
  最初、これを知った時、頭のおかしい計画だと思った。でも、人のことは言えなかった。俺も亜衣さんに似たようなことをしていたんだ。俺は彼女を生きているのか死んでいるのかよく分からない状態にしてしまった。彼らの頭がおかしいのであれば俺も同じぐらい頭が飛んでいる。何なんだろ、俺って……。
 
 「神崎先生、こんなとこでうずくまって何してるんですか?」
  屋上へ続く階段で座っていると、亜衣さんが話しかけてきた。姉さんとの話は済んだのだろう。 
 「随分早かったね。もういいの?」
  よいしょっと立ち上がる。
 「ええ」
 「そう、じゃあ、俺はそろそろ戻るね」
  随分考えこんでしまった、そろそろ仕事に戻らないと。
 「あの、一ついいですか?」
 「何?」
 「ありがとうございました。私を救ってくださって。ひょっとしたら神崎先生が私にしてくださったことは許されないことかもしれません。ですが、私はそのお陰で救われました。ですから――」
 「ありがと」
  彼は最後まで話を聞くことなく階段を下って行った。
 「最後まで聞いてくださいよ……」
  あの人はずっと自分を責め続けている。でも、もう責める必要はないってことを。誰もあなたを恨んだりしていないってことを言わせてくださいよ……。
 「大丈夫」
  後ろを振り返ると千尋さんがいた。
 「もう少し時間はかかると思うけど、伝わるよ。きっと……だから、真のことお願い」
 「分かりました」
  私たちは神崎先生に救われた。今度は私たちがあの人を救おう。救えるのか? 救えるだろ。
 
  ウェハヴェイフェ……私たちは生きているのだから。