[[活動/霧雨]]
**毛糸猫 [#b1ee055e]
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速報で入った天気予報が二十年ぶりに毛糸猫の来訪を伝えていて、私は内心嬉しく思った。
実のところ、最近恋人と別れたばかりでなんだかむしゃくしゃしていたから。世界が根っこから揺らいでしまうなんて最高。なんとなくそんな気分のときにおあつらえ向きの出来事で、天に感謝でもしたい気持ちになった。
毛糸猫が災害の前触れだということは、まだ本物のそれを見た記憶がない私でも、もちろん知っている。
この世界にはときどき、どこからともなく毛糸を咥えた猫が現れる。毛糸猫というのはそいつのことだ。
毛糸猫はおかしな生き物だ。そもそも生き物と呼ぶのが適切かどうかさえわからない。だがしかし、毛糸猫は猫である。猫らしい形をして、猫らしく振る舞う。どこからどう見ても猫にしか見えない。なぜか必ず異様に長い一本の毛糸を咥えているというその一点以外には、他の猫との違いは見当たらない。まあ私は実際には見たことがないけれど、残った記録とか経験した人の記憶とか、いろんなものがそう伝えている。
毛糸猫が猫であるというのは、当たり前のようでいて、実はとても奇妙な話だ。それがどこから来るのかは誰も知らない。どうして毛糸を咥えているのかもわからないし、その毛糸がどこに繋がっているのかも、ぜんぜんわかっていないらしい。けれどそいつは、確かに猫としてこの世界に存在していた。
毛糸猫は滅多に姿を見せない。見られるのは十年に一度というにも、稀。かといって、誰も見たことがないというわけでもない。むしろそれなりに生きた大人なら、大抵は誰もがお目にかかったことがある。だから猫は、三十年と間をおくことはまずないくらい頻繁に、それも世界中を埋め尽くすくらい大量に現れる。
それくらいの間隔で、毛糸猫は、ある日突然現れるものだった。そして災害を連れてくる。自然災害ではなくて、単に災害と呼ぶ場合、それは異世界化災害を指した。
急ごしらえの天気図から、スタジオの様子に画面が切り替わる。異世界化災害への備えを、と、ディスプレイ越しのアナウンサーが神妙な顔をして告げていた。ようやく今の世界に慣れたばかりだったのにまた、と年かさのコメンテーターが困ったようにコメントする。額に汗が浮いていて、暑苦しい。
「動揺してますね」
別のコメンテーターに揶揄うように指摘され、彼は苦笑いしてテーブルに置かれたミネラルウォーターのボトルにうっかり、といった様子で手を伸ばした。つつっとボトルがテーブルの上を滑って逃げる。机の上から転がり落ちる、というところで、ボトルは不意に進路を変えてアナウンサーの手に飛び込んだ。なんだ。慣れてないじゃん。
「二十年経っても慣れないみたいですね」
ボトルをコメンテーターに手渡しながら、彼より随分と若いアナウンサーも私と同じ感想を述べた。コメンテーターは礼を言ってボトルを受け取り、中身を飲むことも忘れたまま額の汗を拭った。
次はスポーツのニュースです、と気を取り直したアナウンサーが告げたから、すっかり興味を失くした私はリモコンが手元にやってくるのを待って、テレビの電源を落とした。
災害をどう理解すべきかという問題に、決定的な解があるわけではないけれど、一般的に災害とは世の理(理:ことわり)が書き換わってしまうことだと理解されている。
世界の理には第Ⅰ相と第Ⅱ相があって、不変である第Ⅰ相の理のもとで第Ⅱ相の理が変動する……詳しいことは興味もないからよく知らないけれど、とにかくそういうものなのだと、一般教養の単位のために受講した理学入門で説明されたことがある。
今の世界の理はこういう風に表現されている。
『何かを手に入れたいと思ったら、手に入ってから掴み取らなきゃ』
いまいち要領を得ない表現だとは思うけど、記述のルールや作法があって毎回こんな調子らしい。理というからにはもっとかっちりぱっきりした定義にすべきだろうとは思うけれど、私が勝手にそう思ったところで変わるようなものでもないので、無意味な感想はさっさと投げ出してしまうのが賢明だ。
要するに、何かを手に取ろうとするときに自分から手を伸ばしてはいけないのだ。手を伸ばしたらその分、取ろうとしたものは逃げる。ただし生き物には適用されない。これはどんな理のときでも大抵そう。理ごとに、死体は含むのかとか、例えば天然繊維の製品は含むのかとか、生き物の範囲は微妙に変動するらしいけれど。今の理でいえば、生き物とはつまり動物のことだった。他にもプログラム通りに動いている機械とか、そういう意図をもって運動している最中のものにもこの理は適用されない。
理が適用されるようなものに触れたいときに、じゃあどうすればいいのかというと、必要とするものがひとりでに手に飛び込んでくるのを待てばいい。飛び込んできたところで捕まえる。それだけ。私にとってはそれだけのことでも、苦手な人はうまくやれない。私は意識しないけれど、たぶんコツがあるみたいだ。強く欲しがったりしてはいけない、のだと思う。うまく言えないけれど、たぶんそれがコツ。絶対にそれが欲しいなんて執着しないこと。必要なものは向こうからやってくるはずだ、手に入らないものは必要じゃないんだって、信じてあげること。私にとっては呼吸するくらいに当たり前のことだけど、苦手な人にとってはすごく難しいことらしかった。
さっきのコメンテーターは、水を飲もうとボトルに手を伸ばしたけれど、結局水を飲まずに終わった。やっぱり、いらないものは手に入らない。自分が何を必要としているのか分かっていないなんて、古い世代の人たちは不便な頭をしていると思う。
災害ごとに時代が切り替わり、これまでに災害を何回経験したかでざっくり世代が分かれるという認識は、大抵の人が持っている。どの時代が好きだったかとか、今までで一番印象的だった毛糸猫の色は、とかいうのが世代ネタの話題として定番化している。まだ一つの時代しか知らなくて、猫も見たことがない若い子たちは置いてけぼりになる話題。だいたいの大人たちは、自分が一番初めに経験した時代が一番良かったと言う。したり顔で昔語りをする大人たちがいけ好かなくて、いつか自分もそんな大人になるのが怖くて、私はその話題があまり好きではない。
災害を経験したことがあるかどうか、特に前の時代の記憶があるかどうかは、私の年代だとかなり微妙なところだ。特に私の学年では、誕生日によって災害前生まれの子と、後の生まれの子に分かれる。私自身はぎりぎり災害よりも前の生まれ。災害中や直後はいろいろなところが混乱するから、もし被っていたら私の命も危うかったかもしれないって。今でこそ笑い話だけれど、親はときどき私に向かってそんな話をする。
そういえば、別れたばかりの元恋人は私より三つ年上だったから、災害以前の記憶が少しあるらしい。彼は今の理を扱うのが下手だった。それでちょっとした失敗をするたびに、彼はそう、言い訳みたいに弁解してきた。小さい頃に、前の理に慣れちゃったせいだって。私は生まれたばかりだったから前の理のころの記憶はない。だから、私自身は気持ちの上では完全に新しい世代の側だ。今しか知らないお前にはわからないよな、と彼に言われるたびに、どうしようもなくもやもやとした。
窓の外から、みゃあと猫が鳴く音がした。どきりとしながら外を伺うと、近所に住み着いている野良猫が路地をとことこ行くところだった。なんだ、と少しだけがっかりしたけれど、納得もする。速報されたばかりの毛糸猫がもうこんなところにいるはずがない。毛糸猫は初め、人里離れたところに現れることが多いらしい。それからどんどん増殖する。それはもうすごい速度で。猫だけど、ねずみ講式に。それで陸地という陸地が猫でいっぱいになるらしい。だけどそれももう少し後の話だ。すぐに見飽きることになるだろう猫の姿を、私はまだ見られない。
正直に言うと自覚があった。私は今の時代に向いている。逆に言うと、他のどんな時代もきっと今ほど向いていない。
毛糸猫は、咥えている毛糸を切られるときれいさっぱり消え失せてしまうらしい。猫が世界中を覆い尽くしたときに理が変わってしまうというのなら、まだ猫の数が少ない今のうちに全ての猫の毛糸を切って消してしまえば、私が生きやすい今の時代がもうしばらくは続いてくれるはずだった。たぶん、そう。理論的には。だからって別にどうこうする気もないけれど。現実的にそんなことができるはずないからというのが第一の理由。でもやっぱり、最近むしゃくしゃしてこんな世界なんて転覆しちゃえと思っているから、っていうのが本当の理由。
不要なものは手に入らないというならば、なんで恋人なんてできちゃったんだろうとつい思う。もちろん、好きだったし、その人が欲しいと思ったこともありはしたけど。
大学に入学して、友達に勧誘されて入った、ボランティアサークルで彼と出会った。二学年ぶん先輩で、でも浪人していたから実は三歳年上で。初めはちょっと変わった先輩だと思った。世話焼きな先輩が多いサークルのなかで、新入生に構うでもなく、邪険にするでもなく、といった態度を頑ななほどに保っていた。どこか周りから一線を引いているようなところだったり、他の先輩に気づかれないようこっそりみせる冷笑的な発言だったり、そういうところに惹かれた。この人とならわかりあえるじゃないかと直感的に思ったのかもしれない。向こうは向こうで私に何か思うところがあったのだろう。出会ってからしばらくして、私たちは交際を始めた。私は自分があまり色恋に向く性質ではないとわかっていた。けれど彼とならお互い自然体のまま、同じ足並みで歩んでいけるんじゃないかと思った。
馬鹿みたいだ。今になって言えるのは、とにかく全部、最初から最後まで全部、きっかけは些細な勘違いだったってこと。
付き合い始めて一年ほど経ったころ、何かの拍子で喧嘩をした。喧嘩の理由は、私の言ったサークルの愚痴が彼の気分を害したとか、そういうどうでもいいことだったけれど、お互い虫の居所が悪かったようでヒートアップした。
不意に面倒になって、私が全部悪かったからもういいでしょと投げかけたら、そういう投げやりなところが嫌いなんだよ、なんて言われた。売り言葉に買い言葉ってやつだ。嫌いなら別れればいいじゃん、と私は返した。その瞬間、空気が凍った。部屋の温度が氷点下まで下がって、彼のこめかみに青筋が浮き出るのが見えた気がした。ああ、逆鱗に触れたみたいだと私は急に凪いだ気持ちで思って、このまま別れちゃうんじゃないかなと他人事のように考えた。欲しいなと思ったものが手に飛び込んでこない瞬間と同じ感じがした。その理は人間には適用外のはずだから、そんなふうに感じるのは本当はおかしい。
別れようかと私から言おうかとも思ったけれど、なんと部屋だけでなくて私も凍り付いていたみたいで、唇はどうしても動きそうになかった。もう付き合い切れない、別れてくれと向こうが切り出すのを待って、私は頷いた。凪いでいるのと、冷静なのと、ずるいのはみんな別なんだなあと、そのとき私はそんなことばかり考えていた。
その日から、私はずっとむしゃくしゃしている。むしゃくしゃしているという以外に、自分の状態を表す言葉を私は持っていないようだった。
必要なものしか手に入らないはずだって、世界はそういうもののはずだって、私はそう信じていたい。たかだか二十年間限定の世界の理なんだって、もちろん知ってはいるけれど。
*
インターネット越しだったり、友達の友達の話だったり、日が経つにつれて毛糸猫はそれくらいの距離感まで近づいてきていた。それでも私は本物にまだ出会えていない。毛糸を辿れば猫に辿りつくんじゃないかと考えていたけれど、まず猫を見つけなければ毛糸も見ることはできないらしい。当てが外れて少し悲しい。
恋人と別れた、とそもそも私をサークルに誘った張本人である友人に打ち明けると笑われた。いつも定刻から五分ほど遅れてやってくる講師の授業はいい雑談の場なのだった。ちょっと愚痴ったら喧嘩になって、と説明すると、彼女の愚痴も聞き流せない男は駄目ねと微妙に的外れな相槌をくれる。その核心を外した言葉に助けられて、嫌になっちゃう、と私も笑った。ちょうど災害が来て世界がひっくり返るっていうんだからいい気味、と冗談めかして言ってみる。不謹慎なやつめ、と友人もまた笑ってくれた。
私も友人も物心つくころには、この世界は今の世界になっていた。それはそれとして、この世界が永遠に続くわけがないことも人々はちゃんとわかっていた。子供の頃に経験する世界の理が心身の発達に影響することは周知の事実だったから、その悪影響を最小限にするため、時代に合わせて特別なカリキュラムが初等教育に組み込まれている。
私たちの時代のカリキュラムは、取りたいものに手を伸ばす癖をつけることを目的とするものだった。私の通っていた小学校では、毎週のように虫取りに出かけ、ウサギを抱き上げて世話をした。ちゃちなラジコンカーが各教室に配置されていて、それを捕まえて遊ぶことが推奨されていた。理の外にあるものを使って、何かに手を伸ばすという行為になじませようとしていたのだった。当時はその意義もわからないから、同級生がきゃあきゃあと声をあげて駆けまわるその時間が私は嫌いだった。馬鹿げた遊びを楽しむことを強いられることをただただ苦痛に思った。
そんなカリキュラムの一環でも、一度だけやけに印象的だった授業がある。まだかなり幼い頃だ。十歳にも満たないころ。その日は虫取りをする校庭にも、いつものウサギ小屋にも行かなかった。子供たちは教室に着席させられたままで、先生が一人ずつの机になにか小さいもの――確かペットボトルのキャップだったと思う――を一つづつ配った。子供たちは誰も、何が起こるのかわからずにそわそわとしていた。私も戸惑った。
「これから先生はあなたたちにそのキャップを取るように言います。ですが、いつそれを言うかはわかりません。もし先生がそれとって、と言ったら、みなさんはすぐに机の上のキャップを手に取ってください」
キャップを配り終えて教壇に落ち着いた先生は、私たちにそう告げた。なぜそんなことをするのか不思議だったけれど、私たちはとにかくキャップをすぐ取ればいいということは理解した。いつ言うかわからないけれど必ず従うように、との指示に教室内の緊張は留まることなく高まっていく。どきどきとうるさい心臓をなだめながら、私たちは固唾を飲んで先生の挙動に注目していた。
ふいに先生の視線が少しだけ動いた。先生はわざとらしく口を大きく開ける。何かしゃべる、と私たちの意識が先生に集中した瞬間、どっ、と背後で突然大きな音がした。驚きのあまり私は体をびくりと硬直させた。周りの同級生たちも同じような状況だったと思う。そんな混乱の中、先生の大きな声がした。
「それ、とって」
その瞬間の記憶は私もあまりはっきりしていない。ただ、先生の声に一拍おいて、教室中で、からんからんと軽い音が響いていたことばかりよく覚えている。私はぴんと伸ばされ、何も掴んでいない自分の腕を見た。そして呆然とする。失敗した。床に転がってしつこく音を立てつづけるキャップを、信じられないものを見るような目で見た。何かを掴み損ねることなんて、その当時から私にはほとんどないことだった。
「キャップを取れなくたって大丈夫ですよ、落ち着いて」
遠くのほうから先生の声がしていた。
「びっくりさせてごめんなさい。さっきの音は、先生がスピーカーを大きな音で鳴らした音です。びっくりしたときには失敗して当たり前なんです。だから取れなくたって大丈夫。安心してください」
まだ浮足立った様子の私たちを安心させるように、先生は落ち着いた声色で続けた。
「いいですか。人間はもともと、何かを手に取りたいと思ったときには手を伸ばすものなんです。そういうふうに生まれついているものなんです。それはあなたたちみたいに、生まれたときからものが向こうから飛び込んでくることに慣れた人にとっても同じことです」
先生がぐるりと私たちの顔を見回す。教室はやっとのことで落ち着きを取り戻し始めていた。先生は話し続ける。
「いつか必ず、今のようではない世界になる日が来ます。当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなる日が来ます。ですがみなさんには、世界が変わってしまったってきちんと生きていける力が備わっています」
そのときの私は話の意味を完全に理解したわけではなかったけれど、何か大事な話がされているということを感じ取ったようだった。
「何年先になるかは先生にもわかりません。ですがその日になってもきっと大丈夫。あなたたちなら大丈夫です。今日はそれだけでも覚えて帰ってくださいね」
恋人と別れた話の続きで、その授業の話を友人にした。お互い、出身地は離れていてもちろん小学校も違う。似たような授業をやった覚えは、と聞いたが、友人には心当たりがないようだった。
いい先生だったんだね、と友人に言われて、私ははて、と首をかしげた。印象には残っても、その授業も先生も、良いか悪いかなんてことをこれまで考えたことがなかったことに気づいた。言われてみれば良い先生だったような気もして、そうかもねと返事をしたら、友人はどこか呆れ顔だった。あんたって色々考えてるんだか何も考えていないんだか、よくわからない時があるよね、なんて言ってくる。よくわからなかったから、私がふうん、とだけ言うと、そういうところだよ、と下手くそなデコピンをされた。
今のあんたは大丈夫じゃなさそうだけど。聞こえても聞こえなくてもどっちでもいい、というくらいの音量で友人がそう言うのが聞こえたから私は何か言い返そうとしたけれど、そこで講義室にちょうど講師が駆け込んできてこの話はそこまでになった。
*
それから幾日も経たないうちに、私はようやく毛糸猫と出会った。ようやく見つけた、と思ったときには猫はもうそこらじゅうにいて、私は一日で毛糸猫を見飽きた。猫は種類も色もばらばらで、てんで統一感がない。対して猫が咥える毛糸は黒一色だった。どこかへと伸びる黒い毛糸が街中に張り巡らされる様子に、私は香典を飾る水引を連想した。
猫が増え、毛糸が辺りを覆うにつれて、理にも異常が出始めた。理が理として機能しなくなりはじめたのだという。私自身の日常では、ものを取り落しやすくなったという程度の実感しか湧かないけれど、ここと地続きのどこか起きた災害関連事故や死傷者が連日報道されていた。確かに災害と呼ばれるだけのことはあるようだ、と私は思った。だからといって、その危機感がどこか遠くのものであるのも否めなかった。
猫は一日ごとにすごい速度で増えた。大学もしばらく臨時の休校に踏み切った。危険になりうる物質や機械がそこかしこに点在している構内から人を締めだしたいのだという。猫と毛糸が邪魔で、とうとう交通まで麻痺してしまったから、そもそも通学できない人も多かった。
このころ、私は安全確保のために部屋の整理をした。重たいものはなるべく床に直接置いて、刃物はタオルで包んだ。どこまでやれば安全かなど誰にもわからなかったけれど、万が一事故を起こして怪我で運ばれたとき、未対策なら非難轟々間違いなしだから形だけでも手を入れることに意味があった。
途中、小さい手鏡を見つけた。確か貰い物だったはずだ。いや、正確に言うと、元恋人からの贈り物だった。
交際を開始してから初めてデートに出かけた日、彼はささやかなプレゼントをくれた。少し気取った雑貨店の片隅にひっそり陳列してあったというそれは小ぶりでも愛らしい装飾に彩られた手鏡で、今日の記念に、なんて一緒に贈られた気障なセリフも含めて当時の自分はとても好ましく思った。
結局、その手鏡は自立しないから不便だという理由で普段使いにはならなかった。せめてきちんと飾ってやろうと思うだけ思って、そのまま部屋に転がしてあった。鏡面保護のフィルムさえ剥がさないまま、今日まで忘れていた。
薄情な、と私は自分に対して思った。きらきらした手鏡を眺めていると、苦いものが喉の奥の方にせりあがってくる感覚がした。むしゃくしゃというのも少し違う。内側から自分を苛むように痛んだ。私は必死に思い出そうとした。贈られた瞬間は確かに嬉しかったのだ。そのとき確かに恋人のことを大切だと思っていたはずなのだ。新品の手鏡は、そこから流れた時間などはじめから存在しなかったかのような顔をしてきらめいていた。あんまりにも綺麗で、傷一つなくて、見ていられなかった。
処分してしまおうと思ったが、しばらく待っても手鏡は私の手には飛び込んでこなかった。仕方がないから私がのろのろ腕を伸ばすと、手鏡は私の腕よりも少しだけ速くじりりと後退した。
私はそこで諦めた。考えるのをやめて手鏡をその場に捨て置いた。それきり手鏡のことは忘れるように努めて、部屋の整理を続けた。部屋が満足のいく出来栄えになるころには、手鏡のことなど忘れてしまおうという私の企みはおおむね成功したようだった。
ところで、彼と出会ったボランティアサークルに私はまだ出入りしていた。四回生になった彼はもうほとんどフェードアウトしたような状態だから、別れたってサークル活動に特に問題は起こらなかった。
大学が閉鎖されてサークル棟も使えなくなったけれど、誰かが不幸になっている、こんなときこそ水を得た魚のように動きはじめるのがうちのボランティアサークルだ。地域行政が主導する、猫と毛糸に埋め尽くされて外出が困難になってしまった人たちを助けるプロジェクトに、サークルとして参加することになった。
やることは単純。要請があった人の家まで行って、出入り口を塞ぐ猫を取り除くだけ。しかも実際にやることは猫が咥えた毛糸を切るだけだというから、そう難しい話ではない。それでも大量の毛糸を切り払って通路を確保するのはそれなりに重労働だから、高齢者だけで暮らす家庭にはなかなか重宝されていた。
毛糸を切ると、笑ってしまうほどあっさり猫は消えた。何故一体どうしてそんなことが起きるのか、確かに不思議ではあったけど、それを考えるのは私の役目ではない。
いざやってみると私は毛糸を切るのが下手だった。先端を猫が咥えているはずの毛糸は不規則に動くから、なかなかうまく捉えられない。災害が始まってすぐのころ、私は全ての猫の毛糸を切ってしまおうと夢想したのを思い出した。この調子では冗談にもならない。仕方がないから、カッターナイフの刃を目いっぱい出して、毛糸の方から刃に引っかかるのを待った。たまたま近くに来た友人がじっとカッターを構える私をみて、なにやってんのと軽く笑った。
それでも私は招集があるたびにこのプロジェクトに参加した。私がほとんど戦力にならないことはとっくにみんな知っていたけれど、誰も気にしなかった。こういう取り組みは参加すること自体に意味があるものなのだ。
毎回しつこくカッターを構え続ける私に、友人があるときハサミを寄越した。こっちのほうが危なくないでしょ、と言う。出しすぎたカッターの刃はときどき毛糸の束に負けて折れてしまうのも事実だったから、私は逆らわずに受け取った。
私の隣にしゃがみこんで、友人は鮮やかな手捌きで毛糸をぷっつり切った。しゃん、と金属が擦れ合う軽い音の合間で、あんたも頑固だねとため息をつく。彼氏ができて、別れたりしたらちょっとは変わるかと思ってた、なんて。なにそれ。
きょとんとした私の前で、眉間にぐぐっと皺をよせて友人はしばし考えこむような素振りをした。こんなこと言ってくれる女友達なんてすっごい貴重なレアキャラだからね、と冗談みたいな調子で言って、友人はふっと真剣な顔をする。
「そうやって、賢いふりして、諦めるのが一番みたいな顔をして、大事なことを考えないでいるのって、良くないと思う」
咄嗟に私は、わかったようなよくわからないような顔を作って、幼い仕草で首をこてんを傾げてみせた。一拍遅れて、友人の表情に悲しげな色が走った。そんな気がした。的外れだったらごめん、カッター使うなら気を付けてね。友人は低い声で言って、それきり隣で黙りこくったまま毛糸をぷちぷち切った。
一旦手放したカッターをもう一度拾い上げるために四苦八苦するところを、今は友人に見られたくなかった。見られてはいけないのだ、と思った。空気がまた硬度を増したようだった。恋人と別れ話をしたときとよく似ていた。呼吸が苦しくなったから、毛糸が首に絡みついたのかと思って私は手の甲で何度も喉元をこすった。つるりとした自分の首には何も絡んでなどいないのだと、確かめた後も息苦しさは続いた。
素直に作業に戻る気にもなれなくて私は手の中にあるハサミを曖昧に弄んだ。そろそろ夕刻に差し掛かろうとしていた。ほどなくしてその日の活動は終了となった。私は毛糸を掻き分け掻き分け、一人帰路についた。
*
翌朝、目が覚めると毛糸猫はもうどこにもいなかった。慌ててテレビをつけると、どの局でも災害の終わりを伝えるニュースで持ち切りだった。あまりのあっけなさに私は信じられないような思いがして、窓から外を見てみると、地面はもう猫も毛糸も痕跡すら残さずにがらんどうになっていた。
時代は変わったらしい。一夜にして、すっかり変わってしまったらしい。少なくとも、今日から新しい時代が始まるのだと約束されているのだ。私は全然変わらないのに。怖いもの見たさで、部屋の片隅に転がっていたボールペンを手に取ろうとしてしばらく待ってみたけれど、やはりと言うべきかペンはぴくりとも動かなかった。
スマートフォンに着信があって、みればサークルからだった。今回のボランティアは昨日で終わり、今日は安全に気を付けて自宅で待機するように。そんなような内容の連絡だ。新しい理のことがまだ詳しくがわからないうちは、下手に動くと危ない。私はぼうっとテレビを眺めた。画面上部にはじっと、テロップが大きく光っていた。
『ハンプティは元に戻った。王様の馬も家来もいなくとも』
やっぱり意味ははっきりしない。割れた卵が元に戻るとでも言いたいのか。それでもこれが新しい理を記述する言葉らしかった。
まあ、いいや。強がっているのが我ながら良くわかったけれど、私は小さくそう呟いた。昨日までの世界と今日からの世界は少し違うらしい。毛糸猫を止められなかったから。座して待つだけでは変化する世界を押しとどめることなんてできないのだから。でもきっと、世界が変わってしまうのなんてよくあることなのだ。何十年かに一度理が変化してしまうからというのももちろんだけど、引っ越しをするとか、使い慣れた家電が壊れてしまうとか、恋人が出来たりいなくなったりするだとか、そういう出来事だって確かに自分にとっての世界をちょっと変えてしまう。それと何が違うだろうか。何も違わない、と私は確かめるよう思った。それなら話は簡単。小難しく考えずに状況を受け入れてしまえばいい。もとより諦めるのは得意なほうだ。
諦めついでに私は部屋をもう一度整理しなおすことにした。災害はひとまず終わったのだから、自分の部屋の中くらいには日常を取り戻したかった。どこに手を伸ばしても、あらゆるものがぴくりともしない世界は静かだ。自分以外に動くものがないことがひどく不気味だった。悲鳴でもあげてしまいそうだと思った。実際に私は息を思い切り吸い込んだ。冷静な自分がそれを知覚していた。ざわ、と揺れる内心を意志の力で抑え込む。五秒間、吸い込んだままで呼吸を止めて、それから細く息を吐いた。吐きながら、受け入れろ、受け入れろと頭の中で何度も唱えた。もう失われてしまったものに固執したって仕方がないことはわかっているはずなのだ。世界が転覆してしまうことを私は望んでいたのだと、そのときになってようやく思い出した。思い出してひどく悲しいような気分になった。
引き摺られるようにして、私は貰った手鏡のことを忘れようとしたことまで思い出した。最悪だ。思わず脱力してその場にへたり込んでしまう。なぜ自分がこんなふうに不安定にならなければいけないのかと思うと、何もかもに腹が立った。私はむくりと起き上がった。起き上がって手鏡を探した。早く見つけなければどうにも収まらなかった。急にそういう気持ちになったのだ。投げやりになるという点において普段の私はやはり優秀だったようで、どこに手鏡を放置したのかもうさっぱり覚えていなかった。我ながら感嘆するが、それはそれとして舌打ちしたくもなる。もう一度見つけて、どうにかしなければという焦燥で一杯だった。
焦燥感にも飽きてきたころ、私はようやく手鏡を見つけた。なんてことはない。ごちゃついたカラーボックスの天板の上で、ちゃちな雑貨に埋もれつつもきらきらとしてそこに在った。私は少しだけ躊躇った。躊躇って、喉の奥でぐうと小さい唸り声をあげてから、ゆっくりとそれに手を伸ばした。また逃げられるかと思ったけれど、手鏡は伸ばされつつある私の腕の前でじっとしていた。私の腕の影が落ちて、きらきらともしなかった。あっけなく手が触れて、私は手鏡を掴みあげた。あまりのあっけなさに私は拍子抜けした。時代が変わってしまうとか、世界が転覆するだとか、そういう大仰な言葉で言い表そうとしていたことが、こんなにどうってことのない――わずかに違和感はあるものの、せいぜいそのわずかな違和感でしかない現象に過ぎないのだと、私はそのとき思い知った。
私の手には手鏡があった。女の子への贈り物として相応しい佇まいのそれは、私からすれば別れた男の痕跡として相応しいものだった。まだ付いたままにされていた保護フィルムをはがすと手鏡はなおさら愛らしくきらめいた。己が渡った手と手の間にどんな歪みがあったかを、その手鏡は知らなかった。贈られた日から今日までの間に世界が変わってしまったことも多分知らないのだろう。一度も使われたことのない手鏡はただ傷一つなくきらきらと在った。私はそれを憐れに思う。
私は手を離した。掴むときと違って、躊躇いもしなかった。手鏡はつるつるしたフローリングに吸い込まれるように落下していった。一メートルほど落下すると、それは硬質な音を響かせた。ガシャン、と。可憐な見た目に似合わない、無骨な音がした。手鏡は期待したよりもずっと粉々になった。フローリングの上を滑って、破片が部屋中に飛び散っていた。その全てを認識して、私は驚いた。ようやく少しだけ後悔をした。だって部屋の掃除をしなければいけなくなったから。下手なことをした。それに、らしくないことを。
硝子の破片を踏まないように、玄関まで箒を探しに行った。ついでにサンダルをひっかけて、ドアを開けて外を見た。猫も毛糸も見当たらなかった。街はもうすっかり見慣れた景色に戻ってしまった。何かが変わっただなんてとても信じられなかった。
箒を掴んで部屋の奥に引き返す。ドアを閉める前の一瞬、玄関から光が差し込んで、フローリングに飛び散った鏡の破片が一斉に輝いた。魔法がかかったようだと思った。現実逃避するように、ロマンティックなことを考える自分につい、苦笑いする。意識的に無心になって、外側から中心に向かうように破片を箒で掃き集めた。半分くらいまで進んだところで、私はあれ、と思った。手は休めずに、さらに半分進んだ。円の中心にあるものを私はもう見つけていた。駆け寄ったりはせず、破片を丁寧に集めながら私は少しずつ中心に近づいた。ハンプティは元に戻った。王様の馬も家来もいなくとも。つまりはそういうこと。掃き集めた破片を一か所にまとめて、私は床のうえから真新しい、傷一つない手鏡を拾い上げた。それはもう、あっさりと。違和感一つなかった。当たり前のように手鏡を拾い上げ、握りしめた。華々しく失って、仕方ないなと諦めてみせることを世界はもはや許さなかった。
「どうしよう」
困惑は声に出た。誰もいないのに、誰に聞かせるわけでもないのに私はそう呟いた。どうしたらいいか分からなかったのに、どうにかしなければと強く感じていた。どうにかしなければと強く思うこと自体、私にはこれまでないことだった。
私は片手に手鏡を握りしめたまま、スマートフォンを手に取った。震える手で友人に電話を掛ける。数コールで友人に繋がった。言葉が詰まって黙っていたら、どうしたの、珍しいねと向こうから言われた。囁くように私は話し始めた。
「猫、いなくなったね」
「そうだね」
「ニュース、見た?」
「見たよ」
「何が起きるか知ってる?」
「少しはね」
「ねえ」
「なに」
「どうしよう」
「なにが?」
「私、どうしたらいい」
脈絡がなくて要領を得ない私の質問を、彼女は笑わなかった。
「私もまだどうしていいかわからないんだよね」
突き放すようでいて、同調するようでいて、それにしては優しい響きだった。温かいものが身に染みて、私はたまらずしゃくりあげた。いけないと思っても、どうしても止められなかった。友人は黙っていてくれた。私が落ち着くまでじっと聞いていてくれた。
人心地ついた私に向かって友人は、ちょっと安心したよ、なんて言ってきた。急に泣いたりしてごめんと謝ると、違うって、と笑う。状況が落ち着いたらお茶しにいこっか、と誘ってくれた。とても嬉しい提案だと思ったから、私はこくんと首を縦に振った。すぐに電話だから伝わらないことに気が付いて、小さい声でうん、と言った。困惑する気持ちが消えたわけではなかったけれど、友人をお茶をする予定があるのだと思うとなんとかやっていけそうな気がした。本当に、現金なことだ。それでも私は救われたような気持になった。ありがとう、と呟くと、友人は聞こえなかったふりをして、行ってみたいカフェの名前をずらりと挙げ始めた。
失恋の話とか聞き足りないかも、なんて揶揄われたから、趣味悪、と対抗した。スマートフォンの向こうで友人が声をあげて笑った。あんまりにも楽しそうに笑うものだから、私もつられて笑い声をあげた。