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京都工芸繊維大学 文藝部

Top / 活動 / 霧雨 / vol.47 / わらわら低気圧〈かいばん〉
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 [[活動/霧雨]]
 
 **わらわら低気圧〈かいばん〉 [#j2cd307f]
 
 
 あゆかわつくる
 
 
 
 
     おぼれる 魂 が ふ る え る
 
 
 
 
   1
 
  ぼくの想い出すことのできるもっとも鮮やかでもっともふるい嘔吐のきおくは、すっかり朝食をはきだしてしまったことだ。からだの奥にあって目にみえることのできない食道のうらをすらすら流れていった、まだ形をたもっていて、つくえのうえに広がってきらきらしていてきれい。べつにお腹のなかに落ちこんだからといってしきさいが無くなるわけではないんだなとすとんと分かった。はいたときにはなの穴の奥に食べ物が入ってしまって、ずっとげろ臭い。ぼくなりに責任をかんじて、泥臭いぞうきんでひと臭いげろをしまつしてしまおうと考えたけれども、ゆっくり寝ておきなさいといわれた。くしゃみをすると、苦くてとろりとしたげろがのどに垂れてきて飲み込んだ。しょっぱいあんかけの料理みたいだった。いいつけ通りによこになっていると、つま先の方を細かくゆらすと痺れていて、ここちよくねむることができて、よくある話しのように、そこから先はあんまり覚えていない。
 
 
   2
 
  ずっと気持ちが悪くて、たぶんここさいきんの寝ぶそくのせいであると思う。どうしようもないから、イスに座って深く息を吐いた。吐けばはくほどからだはびっくりするくらいに縮んでしまって、ただの点になるようだった。みみの穴のなかの拍動がうるさい。冷たい牛乳をのむことにした、なんだかのどの奥まったところが熱かった。冷蔵庫はしんしん音がなっていて、ゆっくり白い。とびらは高く、うちがわは広い。牛乳びんはほの青いガラスだった。かたく薄い紙のふたを注意深く外し、放りなげると、ゆかに着地した。でっぱりに舌を当てつつ飲むとすてきな気分になる。ころころ落ち込んではらのなかに溜まって膜をつくってひろがった。いくらか声を出しやすくなった。てきとうに、どこに行こうかと考えた。動物園にこうもりはいるだろうかと考えて、けもの臭いのは苦手だな、と考えた。
 
 
   3
 
  もういっぽん飲もうと思った。なんでかはわからない。冷蔵庫にはのみさしの分しかなかった。いちにちいっぽんの約束はどこか願いをかなえてもらうための条件のようになっていた、それに一日に二本も入っていたのは初めてだったから、電灯にすかしてみたけれども、べつだん黒いぷつぷつとか、じゃり色のはんてんはなく、あんぜんだろうと判断した。りょうてで冷たさを得るように瓶をにぎる。切れはしの布を外していっぺんに行く。舌のうえ、歯のすきま・ねもと、はなのずっと付け根、うずをまいて滑ってゆく。しかし食道に入りかけたとき、ぼくのなかに入っていきそうになって、からだはむせなさいと言った、だからむせた。げほげほと空気が逆流して、乾いたうめきを二回やった。うんうんうなって目に涙をためてつばをなんどものみこんだが耐えきれず戻してしまった。げろはてのひらにちょこんといる。砂糖菓子の半分の半分ほどしかなく、はりがあってつぶすとはじけてとびちった。真白くてほの甘い香りがした。のどの砂っぽい感触はまだ引いていない、その上にまたその上に波はおりかさなってなんじゅうにもわたるひだを生み出す。またげほげほがやってきた、たまった涙が管をとおってしょっぱいあじがして、ざらざらと、きゅう屈なはなの穴の閉じてしまいそうになって吐いた。すこしまえのものとは比べものにならない。ぼくはがまんならなくなってからだをちいさく折りたたむ、胃腸がものすごくはやくちぢんで衝動てきに、呼吸と心ぞうの、おく深い三十九度の調子でぶよぶよのげろがついてでてくる、両手をさらのようにしたが、つぎからつぎへやってくる味とないぶからの触覚にぼくの神経はていいっぱいだ、てのひらから腕の内がわへといくつもの筋になって流れていってこそばゆい、にぶい青いろにみえる静みゃくを覆い隠していく、せぼねはぼきぼきと曲がって、ひざのあたまがよく見え、くだを鳴らしながらぼくは吐く。あまいあまい。はなから垂れて血が混じっていたように思う、爪のなかにも入ってあたたかい。からだのうらからおもてにむかって押される感触はとっても初めてで気持よかった。うっうっとつぶやいて、床に薄く広がって行く。どうやってそうじしようか……と考えたが、頬をあっぱくする液体のあつりょくは偉大だった。とたん、でもそのとき、ぼくはすっかり別のことを考えていた、脚の生えたいるかとか、ひじょう食になりうるコンクリートのビルとか……、ほおのうえ辺りにできたできものが痒くてしかたがないし、ずっと首がいたくて酔っている。いろいろせおってきたけれども、ぐるりと一周をしておなじところに帰ってきてしまう。
  こんこんとさらさらしてなめらかなうつしいげろはとめどなくちいさな口からでつづけている。食道がかゆい、息がくるしい。波があって、強弱のおとをつけてどんどん床に飛び散る。ひだりてで口を覆うが、ゆびのすきまからもれだしてくすぐったい。もっとうずくまって脳みそのなかのぐるぐるの渦が、耳をとおって一回転した。めはしばしばしてきて、あたまはむずがゆく、涙がでてきた。ぼくはこらえきれなくなってげろのなかに沈んだ。水平面はたいらで少し悲しい。なまあたたくて、みけんに集まったあぶらっぽい感触がなければすぐに眠ってしまっていたとおもう。左目がしるに埋まってしまって全く見えなくなる。しあわせだった。楽しいのは午前十時くらいまでだったし、きょうは寒すぎる。はなのあたまがつかった。ぴりぴりする。服にしみて、ぼくの乳首からふとももの内側のうすいひふのところまでぴったり張り付いてはなれない。あっ、みぎめが。いいわけばかりを考えて、恥ずかしいきもちにならないようにできるだけなにも考えないようにした。ねむれない夜みたいだ。とっても元気なからだのうちにあるしるが漏れて、目にしみてしまう。
  だからこそ、みぎうでだけが空気にふれていたとき、てを伸ばしてふちにつかまろうとした。そしてげろのじゅうたんが広がっていたお陰で、そこはふちではなくなって、ぼくはすべっておちた。ゆっくりたしかめて、ぼくはわらった……
 
 
   4
 
  どうしてそんなことをしたのか分からないことばかりを想い出した。すきなカレーライスのじゃかいもを靴下にいれてはいたり、汗のしみたえんぴつのこまかい削りかすを舐めてみたり、かだんの花に塩水をやってあじがつくかためしたりした。きたない地面に寝転んでみたり、わらってみたりないてみたり。おやつをたくさんたべたけれど、お腹がいっぱいになったことはない。お医しゃさまに、あなたはふみん症ですねっていって欲しい。いちダースの薬を出されて、ただあるためにていねいに食事をして、てんねん水でひとつぶずつのむことで一日がすぎるならば、これほどあざやかでうれしいことはないだろうな。
 
 
   5
 
  めが覚めると、だれかがいたから、ぼくは「ぼくはすっかり化石になってしまったんだとおもっていました」と言った。よこになっていた。布がいちまい被さっていた。どうしてていねいなものいいになったのかは知らない、じっさい身体のあちこちがこりかたまって、ちいさな平行四辺形のはくへんが散らばっている気がする。するとひと影は「起きたのね」といった。おんなのひとの声だった。
  めを二回こすると、ぼやけていたりんかくが、たしょう、はっきりしてきた。「あなたはけものなの……?」換気のためかな、開いたまどからかぜがさしこんで、ゆれた。ぼくも揺れていて、みるとうでが真白い毛だった。こうかくを少しあげる。
 「わたしはじめて見たの、来たばっかりの仔。毛並みがちがうわ、はつなつのはつらつをしているわね」ひと呼吸。むねを手でおさえて「木にささっていたのを見たときは、ほんとうにうれしかったわ、お腹はすいていない? すばらしいわ、あなたの目、青色をしているわ」
 「きみのはとび色だね、そんなに重要なことなの」
 「そのうちくすんでくるのよ」
  ふうん、とながして、かのじょの血管のかよったみみをみていた。ちみつにはえたいっぽんいっぽんはすこし気色がわるい、けれどいろあいはすてきだ。
 「ぼく、木に刺さっていたの」
  かのじょはなんにもいわないでぼくのお腹のほうをゆびさした。ぱっくりぼくのなかみ全部が流れでるくらいの大きさの傷があった、ひくひくしていて、はなを近付けるとなまぐさいにおいがする。あっ。反応できなかった、ぼくの深いところから立ち上がった傷に、かのじょのうでがつきたてられている。ふるえる手で侵にゅうを止めようとしたけれどいたずらに表面をなでつけるだけだ。だらしなく開口したうすいすきまからおりおりと細いと息とひくつくこえがもれてしまっていた。
 「おねがい、ちょっとやめてよ」
 「どうして、後悔のないしきさいゆたかな生活だと思うけれど」
 「なんだか吐きそう……」
 「正常な反応ね、からだに入ってきた分量とおなじだけ、出して勘定をあわせようとしているの」
  かのじょはガラス瓶を押しやった。向こうのけしきが二じゅうにゆがんでいた。くちを突き出して少し吐いた。するりとしたねんまくを通って、口に短い時間ためてみる。表面にまくがあるように弾力があって、舌をかたまりに突き刺してみると、ほそい筋がたくさん含まれているみたい。ぺっと出す。はさんでいるてのひらがあたたかくなって、つめたくなる。とろんとしていてすとんとおさまった。
  きれいかな、と聞くと、そうねといった。ぼくは恥ずかしくなって顔があつくなるのがわかった。
  ぼくはまた「あっ」といってしまって、ほおの裏をかんだ。かのじょがゆびを開いてとじる、せぼねがびりびりとなってからだじゅうが充血する。下半身があなになって、いろんなえきがもれていってだい洪水。かのじょはうつくしく笑って、爽やかな午後のかぜがふいた。ちかくに果樹園でもあるのかしら、とても熟した匂いがした。
  はじめだし、これくらいにしておきましょうと言って、うでを引き抜いた。くたくたになった毛のあいだというあいだには、ぼくの血がべっとりついていてきれい。
 「ねえ、ちょっとなめてもいい」とたずねたら、きずをふさいでからにして頂戴と言われた。あたまはまだ遠いけしきをみていて、耳はずっと波のおとがする。ふとい腕のかんかくがまだ腹のなかにあって、ふくらんでいる。傷をみるとざんねんそうにいじけていて、ぴるぴる小刻みにしんどうしていた。「ちょっと押さえておいてくれないかしら」かのじょが血のついていないほうで、ほそく一直線になったさけめをすうっとさすったら、ひとりでに閉じていってもとどおりのお腹にもどった。きもちばかりふくらんでいて、やわらかい。ぼくはやくそくどおりなめさせてもらった。よりそうように顔を傾けてうでについた血をなめた。あかくてしょっぱくて甘くておいしかった。ぼくのものだとおもうと、あたたかかった。からっぽでなかっただけ、うろんさよりもずっと、うれしさのほうがかっている。かのじょは洗い流さないとね、とぼくを浴室へとみちびいた。
 
 
   6
 
  湿気があってぬくい。ぼくはなにも着ていなかった、あとで服をかってくれるとやくそくしてくれた。身長をこえる大きさのかがみがあって、はじめてじぶんのすがたを見て、気分がわるくなった。かのじょは初めはそんなふうよと言って、ぼくのみみをぴんと打った。ずっと奥までひびいて、うつろだ。ぼくのみみもうす桃色をしていて温度がたかそう。ちまみれのお腹とくちもとで、いまさらてつ臭いあじに後悔した。浴槽にはすでにみずが張ってある。
 「これから先はなにをするの」
 「きょうは水曜日だから水曜日にすることをするのよ」
  ふうんときき流した。かのじょにもたれかかったら、やわらくて良い。水面にくちをすすいだ。いくつものはもんが立って、ぼくをよわらせる。
 「あ……、」
  かのじょの鋭いつめが、へその周りをぐるぐるさそう。だめだって、とやってみたけれど、ゆびがいっぽん入った。からだをのけぞらせて受けとめようとする。こりこり当たっているのは腸なのかな……、すきまから粒になって血がどくどくでていて、浴槽のみずにふかみがくわわった。
 「だめっ、きもちいいから」
  砂糖のおかしみたいな言葉だ……。息をするのがたのしくて、血管はおんがくを伝える。かのじょが思いっきりさしこんで、ぼくはうえっと吐いた。水中のふよふよをみているあいだに傷はふさがっていてふりかえるとかのじょはわらっていた、いじわるなんだな、というと、ほほえんでいる。
 「ふつうはいっかい吐いたらお終いなのにね、あなたすごいわ」
  ぼくのだしたふよふよでしばらく遊んだ。石鹸まみれになっているあいだも、ちいさいおけにお湯をいれてあそぶ。
 「このせっけん良い匂いがするよ」
 「買ってきた実を搾って入れているの」
  洗ってもらった後は、かのじょのからだを洗った。ものすごく久しぶりに誰かちがうひとに触れたようにおもう。感触をおぼえこもうとゆっくりなぞる。
  すっかりびしょ濡れになってしまって、乾かすためのお部屋にいった。びんにはいったソーダ水をもらった。くちに付けると冷たくて涼しい。「おいしい?」と聞かれたからうんうんうなずいた。からだのうちがわにふわふわ当たるように、のどを大きくあけて飲んだ。
 
 
   7
 
  乾くまでどのくらいたっただろう。水ようにすることは、しびれ堂というお店の、お菓子をみんなでたべることだとおそわった。その帰りにあっせん所に行くように言われた。来た仔はみんなとうろくを受けないといけないらしい。
  お外にでるにも服がないから、かのじょの着るものをかりることになる。「どうかな、おかしくない」「とても似合っているわ」
  てんき予報ははれで、からっとしていた。ひざしはくっきりしていて、色あいはおだやかだ。かげはいろんなかたちでひとつひとつにさかなでも住んでいそう。ふかくていいかんじ。かのじょと手をつないで、知らない街の通りを歩いた。
 「ぜんぶ屋根があるの」通りをおおう、細いながいまくをゆびさす。
 「だいたいわね、ちょっとひらけたところにはないけど、あとは河のうえとか」
  あたりまえだけれど、歩いているひとはみんなぼくらとおなじような見た目をしていて、びくびくして手をつよくにぎってせなかにじりじりよっていく。みかねたかのじょがしんぱいしてくれただからであろうけれど、わきにてを当てたときはくすぐったくてちいさく叫んだ。とってもうれしい気分になった。
  柱のさきにはお店のかんばんや、たてものの名前が書いてある。道順はいくつも折れ曲がっていて、よくおぼえられない。途中にはしをわたって、建物のしたを通った。しびれ堂は、街のなかに五つくらいあると教えてもらった。古風なおみせだった。ガラス戸に文字が書いてあったけれど、ぼくには読めない。ずらっと列ができていて、みんな陰のほうにいた。かのじょは、たぶん日がくれるくらいまで待つから、あっせん所に行っていないさい、と指示した。
 
 
   8
 
  わされた地図の、黒くぬってあるところにあるらしい。はじめてばっかりだ。みんな忙しそうにひまそうにしていた。まちのなかの時間は、みんなのために流れている。ぼくもどんどんありふれているけれどもとがった先端に運ばれていく、絵をぶんかいしたなかの、ちいさな点のひとつぶになるのだ。
  道のりはしあわせなことに、どれもめだった形をしていた。ぐるっとまがった道のとちゅうに、いっぱい鉢植えを育てているところがあって、植物がいっぱいある。池のふちに座って休憩をした。あっせん所についたころには、すっかりひとり歩きもすきになっていた。
 
 
   9
 
  外階段がのびていて、道路のやねからつきだしている。二階のでいりぐちにはきらきらした電灯がついていて、いくぶん入りやすい。鈴のおとがして、ふあんそうな仔がでてきたから、たぶん間違いないと思う。
  銀色のとってはつめたく、にぎったところにしろいもやがついた。おしてみるとひらいて、あたまのうえで鈴がなった。なかは立派な名前にくらべて狭く、いすがついていて、かべで区切られていて、おちつけそう。ぼくがきょろきょろしていると、どうぞ、とこえをかけられた。座る。
 「ふふ、やっぱりおんなじなんですね」
 「はじめての仔はみんなそう言いますよ」
  ぼくを呼んでくれたのは、まんまるいめがねをしているひとだった。
 「あっせん所では、どうやってくらしていけばいいのかを教えているんです」
 「ぼ、ぼくはなんにもできないから、たぶんすぐ凍えてしまうとおもいます」
  そうくちにだしてみると、むねのあたりの、硬いほねの芯のあたりがぐうと落ち込んで、とてもきもちよくなった。
  あの、吐きそうなんですけれど、なにか持ってないですか、とおそるおそるたずねてみたけれども、さすが慣れているのか、小びんをすっとだした。下のところが棚にでもなってしまってあるんだろうな、すぐ受け取って、ぺっとだす。酸っぱくて、すさんだにおいがした。ふたを閉めると、そのまま机のうえにおいておく。
 「ごめんなさい、すっかり収まりました」「なにかとうろくをするって聞いていたんですけれど……」
  ほほえみがあって、ぼくのまえに紙がぺらんと出された。「でもぼく文字がわからなかったんです」かけていたまんまるのめがねを出されて「これをかけてください、書けるようになりますよ」奥には紙がいっぱい入った棚とか、いろんなものがさんらんしたつくえとかが並んでいる。
  ゴムをあたまのうしろで結んで固定すると、紙に書いてある文字が読めるようになった、ひつようなぼくの書くところは、ぼくの両目のいろだけだった、あとはぼくのげろ。
 「登録はこれで終いですよ、あとは帰りにほんやによったらどうですか、めがねも売っています、地図をわたしておきます、ぜんいんに行くように言っているんですよ」
 
 
   10
 
  ほんやは、河を渡ったところにあった。橋がたかいところにあるから、たてものも入り口から下に長かった。店先にひやけしたちゃいろい本がならんであって、店にはつたがいっぱい絡まっていた。両側はほんだなにおおわれていて、店のおくは蔭にうまっていてよくみることができない。
  文字なんてわからないのにとぶつくさしながら、ちょっとだけ手のさきっちょを深いあいいろにさしこんでみた。ぼくの毛皮はすっと染まって、少しだけ元のいろよりあかるくなった。
 「こんにちは」
  振り向くとほんやのひとがいた。すっと静かに、のっそりやってきた。かぜがふいて、葉っぱがかさこそなる。そのまま奥にいくようにされて、ぼくもいっしょにくらがりに入っていく。
 「ほんは一冊くらいもっておいたほうがいいね、いつ呼ばれてもすぐにこたえることができるように」
  背表紙やひらたく積まれた紙のかずかずは、どれもよむことができずに、けれどほこりはかぶらずにある。
 「ちゃんとはたきで掃除しているからね」ゆびさきを注意ぶかくはしらせていたのを見つけてかれはつげた。
 「ぼくまったくよむことができないです」
 「大丈夫だよ、そのためにめがねがあるんだから」
  かれはがらもののむなポケットからめがねをとりだして、ガラスについていた糸くずを息で吹きとばす。どうぞとわたされてどうもと受けとる。紐をうしろで結んで……、かれの手はあたたかく、こえ質はけだるけ、きつくないかい、ぼくはごしごしと二回くらいやった。かがみを見せられて、ぼくのあおい目とつながった。「とってもぴったりです」
 「なかなか似合っているとおもうよ、さ、読んでみて」
  ざらざらしてかびくさいほんを手に持って、「これ、『ほんとうのけつあつ』ってかいてあります」
 「いまはそんなにとんちんかんな文章にみえるけれど、とことわという訳じゃないよ、きちんと文字が分かるようになって一冊すっかり読めるようになれば、しょうがいの仕事につくことになって、やすらかになる、ぼくがほんやをするようにね。けれどほんとうにめざすんはそこじゃないんだ」
 「どうしよう、ぼくお金なんてもってないんです」
  かれはそんなこと、といって、暑いからつめたいお茶をだすよとぼくの手を引いた。やっぱりかれの手はあつくて、ぼくはやわらかくなってしまいそう。
  いくつかくらがりを通り過ぎてきたりょうめには、すこしぶりの外のあかりも、とてもまぶしい。いすを引いて、すわるよううながした。ちいさなまるテーブルの上に、お花がいけてあって、くしゃみがでた。これはしまっておくか、とかれはかびんを持っていって、代わりに氷いっぱいののみものをもってきた。ガラスのコップが当たって、氷がざらんとずれて涼しいおとがした。
  のどおくがしっとり冷えていく。吐いた息も、すこし凍っている。まだあのほんはもってきたままだ。「ほんとめがねはあげるよ、そういう決まりだから。でも代わりに遊びをしないと、そういう決まりだもんね、ひとりではさびしすぎる。ここまで来たってことは、もうあっせん所にもいっているんだろ、じゃあもうどっぷりきみの脳みそは砂糖水につかっちゃってるってことだもんね」「じゃあめがね取るよ……」
  代わりといってはなんなんだけど、かれが出したのはいちまいの布で、さっとぼくのめにあててまきつけた。ちょっと、というくちにかれの手があてられ、視界はほの白くなる。
 「ぼくたちって、くちのあたりがすごくびんかんらしいよ」
  むもむもと、ぼくのくちのなかにゆびが二本、三本としん入してくる。ぬくくて、すこやかな匂いがして、しょっぱくて息がつまりそうで、からだじゅうがだらんとする。ぼくはひょいっと抱えられて、ずどんとかたいいすに座らされた。引き抜かれたゆびについたつばの糸がちぎれてかおにべっとり付く。
 「歓待ってすてきでしょ、ぼくもめが鮮やかなときがあったんだよ、すごくうれしくてまいにちやったけれど、わらわら低気圧は呼べなかった」「ちょっと固定するよ、すこし痛くするからあんしんして」
  ああ、うでがうしろで太いひもで固定された、あしもいすにぐるぐるまき。きゅっとあてていたお腹がじっとりした汗で冷たくなる。「うっ」っと声がでるまでしっかり結べたのをたしかめてから、かれの足音がした。
 「からだはかたいひふで覆われているから、なかにいっぱいものを詰めると、あふれる分がげろになって出てくるのはしってるだろ、ちょっと長いじかん、すこしいっぱいしたら、もう」
  ちゃんとびんにつめておくからあんしんして、とやさしくぼくをなでる。あーんといわれて、素直にあけたら、のどのおくまで管がさしこまれた。おしゃぶりみたいになっていて、ぜんぜん抜けそうにない、苦しくなって、さすがにたえきれないくなってぼくはけんめいにあたまをふってあばれようとしたけれど、すっかりゴムかなにかで固定されてしまった。うんうんうなることしかできなくて、よだれがだらだらこぼれて毛がべっとり寝ていく。「ごめん、あたまを縛っておくのを忘れちゃってた……」あばれようとすこしのすきまでうでやあしやあたまを動かすと、ひもがつながっているのか他のどこかに食い込んで血が止まりそうになる。ぼくがうめいてよだれをこぼすのをたっぷり眺めてから、おへそにあついじりじりするのを感じた。のどから管とぼくのうちがわがこすれてきゅるきゅる気持ち悪いおとをたてる。
 「いまからきみの体内に、縫いぐるみの詰め物なんかにつかう、わたをいれるんだ、たくさんの血をすって、ぶよぶよになる」
  抜けないように、ほそいあなからいれるんだ、ひふがぴりぴりいって、侵入してくるいぶつに、全身がかっとなった。からだの深いところから渦がおおきくなって、しぶきをあげた。
 「っん、あ……」
  管をとおってぼくのげろが吸われていく。めのおくが痛くなって、なみだで布がべしょべしょになる。かれはききとなって、ゆびでぐりぐりとわたをいれていく、つぶれてちいさくなったわたは、戻るときにいっぱい吸って、気が遠くなる。あっ!
  げほげほとなみうつからだのせいで、ゆびさきがしびれてどんどん気持ちが良くなる。むねの骨のあたりにあたたかな熱がついて、ぼくはろう細工みたいにとけてしまう。脳みそのなかあたりでここちよい振動がながれ、はなのあなから、うわついた息がうすいけむりをともなってでていく。すばらしいじかんのつかいかただ……。
 「ぐっ、うはぁ」くちのなかでとびちったげろがはなの穴にはいってたれる、乾いてすうすうする。かれはどんどんいれつづけていて、しだいにちいさいあながいっぱいになって、へそまわりだけふくらんだ感覚になる。「あっ……」やめてぇ……かれは無理やりいれるために、ぼくのおなかを体重でおしはじめた。しぼりだされていくげろのあじも、酸っぱいのかあまいのかさっぱりわからない。じわっと広がって、せぼねがおれまがる。さいごにおおきなかたまりを吐いて、ぼくはしあわせのうちでねむってしまった。
 
 
   11
 
  ねむっていたのはすう分だったらしい。かれはぼくがだした、びん八つ分のげろをみてすごく喜んでくれた、二本くれないか、というから、ぼくは四本もらってください、といった。それからいっしょにおへそからわたをぬいた。ぼくはまたちょっともどしてしまって、わらってしまった。くじゅくじゅにぼくのたいえきをすったわたは、びんにいれてかざっておくらしい。きねんにぼくももらった。
  でいりぐちまでくると、もう太陽はしずんで、そらはうつくしくたたずんでいた。ほんとめがねいがいに、ぼくににあいそうな、かれのおふるだけれど、服をひとそろいもらった。橋をわたると、かのじょが待っていて、ぼくはかけていって乾いたべっとりついた血のあとを、もらった服のすきまからみせた。
 
 
   12
 
  しびれ堂のお菓子というのは、食べたらからだがしびれて動けなくなるから、わかりやすいようにそういう名前でよぶことになったらしい。これもあそびのひとつであるみたい。箱には、紙とあまいおかしの匂いが染みついていた。
  ぎゃく三角形のこまかいかざりつけの箱をつくえの上においたときには、ながいかげが壁にぴったりひっついていた。
 「どうしよう、もうすぐ夜だ」
 「つまらなかったの」
 「そういうことじゃないんだけれど」両手をもみほぐす。もってかえってきたほんと小びんのなんと小さいこと! くらくらして、暗やみのなかではあしの先でこづいてしまいそうだ。
 「ぼく眠れるかどうかわからないんだ」
  かのじょはそんなこと、と笑って「お菓子をたべたらいいのよ、のどの奥まで痺れるから、息がとまって意識がとんでしまうから」
  着がえるように言われたからそうすることにした。一まいのつつになった服だった、とってもうごきやすそう。なんだかあまい匂いがして、ひょうめんはかたく、しっかりした布でできていた。ボタンが二つついていて、首のすぐちかくまでとめて、しっかりしまっているのをたしかめる。
  「こういうとき」というのがどういうときかはわからないけれど、そのために、ねるところがもう一つこしらえてあるらしい。
 「好きに使っていいわよ」
 「ぼくひとりで寝るの」
 「はじめの夜はそうだってきまってるのよ」
  お皿のうえにのったしかくいお菓子を運んできて、おやすみをいうと、そのままかのじょは行ってしまった。水差しのガラスは何重にもなってあおくひかっている。つめたい表面をなぞると、たまったみずがながれてとうめいになった。しかたなくねころがっておかしをいちまい取ってみた。かたくてこなくずがぼろぼろかおにかかる。匂いをかぐけれど、なんにも分からない。すみっこをかじってみると、焼いたくだものの味がして、そこまでまずくはなったけれど、そんなにおいしくもない。ふたつにわって、かたほうをくちにほうりこむ。ぼくのだえきをすって、ぼろぼろかたまりになってほぐれていく。もうかたほうもたべると、おきあがって水をのんだ。するするうずをえがいてぼくのなかに落ち込んだ。おおきく息をはくと、こなっぽい感じがする。
  ねころがって、むねのうえに両手をおいている。けもくじゃらの全身がうずいて、なんだかいきがあらくなる。はじめにしびれだしたのは、あしとての先っぽだった。あしのゆびがやわらかい針でなでつけられたようになって、ぼくはさすった。びりびりという波は、けつえきにしたがって、おおきくたゆたう。しだいにあたまの方へしびれが伝わっていく。だんだんにげるのがおっくうになって、とかしこまれていく。ふうといきを吐くくだもびりびりして、ときどきとまってしまうようになってきた。ねがえりをうつと、おしつけられるところが変わって、ぼくは「あっ」とこぼしてしまう。たちあがろうと腕をつくが、ふにゃふにゃになってかおをおもいっきりぶつけてしまうだけだ。もっと新しいおおきなしげきになって、へんなきぶんになる。もみくちゃに動いて、いろんなところにぶつかる、かゆくてなんどもうでにかみつく。だんだん鉄くさくなって、とろとろになっていく。たすけて、と言おうとおもっても、べろをかんでしまいそう。くびのあたりからひゅうとぶきみな音がして、うえっと吐きそうになる……
 
 
   13
 
  めが覚めると、からだじゅうにべっとりとげろがついていて、香ばしさがへやいっぱいにひろがっているので分かった。
 「きのうはよくねむれたかしら」
 かのじょはぼくのとなりで立っていて、でもやっぱりげろがいっぱいついていた。「のこさずびんにしまっておかないと損だわ」
  べろのしたにも少したまっていたので、のみこんだが、ただのどがかゆくなるだけだった。左うでにはきのうのぼくのかみついた赤い歯形が、けがわのすきまからみえた。
 「かわいい歯形ね、わたしよりもちいさいわ」
  いちばんくちのすぐ下がひどい、どばっとおうぎ形に吐いたものがひろがっていた。
 「おふろに入りたいな、ぼく」
 「きのうの夜から沸かしたまんまよ、これも決まっていることだもの」
 
 
   14
 
  浴室には、あったかいお湯がはってあった。ゆげがいっぱいになって、めのおもてにもみずがたれた。
 「うへぇ、毛がごわごわしてる……」
 「ちゃんと洗剤であらわないとね、けだまになるわ」
  ぼくはされるがまま。やわらかい肉がひふにつつまれて、ぼくのむねやはらやあしのあたりをいどうしていく。
 「あなたのからだずいぶん柔らかいのね」
 「食べもののせいじゃないかな、かたい食べものってあんまりすきじゃないから」
 「こころの問題かしらね」
  かのじょがとつぜんぼくの乳首をつかんだものだから、「ふぁっ」っと言ってしまった。
 「あたまの問題かもしれないわね」
  みずのしたたるいい音がする。天井からおちたみずたまが、ぴんくの鼻のうえではねた。
 「きょうは、なにかすることは決まっているの」
  もたれかかると、すっぽりうでのあいだにおさまった。「きみもじゅうぶんにやわらかいとおもうけれど」きれいなとう骨のかたちだなあ。
 「こん晩はよるあそびの日ね、あなたも銅貨くらい持っていた方が良いわ、からだを乾かしたらあっせん所にいきましょう」
 
 
   15
 
  はじめて行ったときはぜんぜんきがつかなかったけれど、まどぐちの横には、うけつけがあって、みんなぞろっと並んでいた。
  ぼくはもってくるようにいわれていた小びんのつるつるした感触をたのしむ。
 「いきていくためにお金はひつようでしょう、あっせん所で吐いたのとお金を交換してくれるのよ」
  かんよう植物のてらてらした葉っぱをさわっていたら、すぐぼくのばんがきて、小びんを四つ出すと、銅貨を四枚もらった。ポケットにしまうのはまずいかなとおもって、かばんのなかに入れた。
  かのじょははじめて来た仔は品質がよくわからないから安いねだんでしか買ってくれないと、どっさり銅貨のはいった袋をみせてくれた。
 
 
   16
 
  よるあそびは、河をわたってすこしうらろじに入ったところでするみたい。電灯はぶーんといって、仄青くひかっていて涼しい。せまくぶきみに折れまがったかいだんで地下にむかっていった。ぼくはかのじょの手をしっかりつかんで、いっぽいっぽのちょうしをなだらかにする。いちばん深いところにくると、かびくさくしめっていて、床板はぎいといった。とびらは暗がりのせいでよく見えない。けれどとっては冷たくぼおっとしていた。ふかいしん動がする……。
  かのじょがとびらをあけた。すうっとおうぎ形にひろがる灯りにせなかにかくれたぼくは、ちゅうしんでつりさげられている仔からめをはなすことができなくなってしまった、血がながれている。
  こづかれてびくんとする。やっとあしにかんかくがもどってきた。せまい部屋にたくさんおしこんでいて、だれかしら吐いていて、すみにげろが溜まっていて、ふんでしまいそうになる。
 「くじびきでえらぶの、だれがあれをするか」ゆびしたさきでつられているかれ(……?)は小ゆびが切られているところだった、かいだんをのぼりきったさきにいるひとが、つるつるひかるナイフを振りかぶって、かれはぐえっと吐いて、ぶっしゅっと血をながした。がつんときんぞくの音がして、あたりは静まりかえった。ぼくはこわくなって辺りをみわたして、夜だったことを想い出して、ねむたくならないかなと思った。けれどみんなはとうとうとよだれがげろか、よくわからないいきものの香りをしたなにかをくちのはしからもらしていた。ねてしまった毛をみていたら、ぼくにも冷たいかんしょくがあって、ふれてみると同じような液を、だらだらながしている。
 「ねえ、これってなにかわかる?」
  ゆびで付けたりはなしたりすると、ねばついてほそい糸にまとまる。とうめいで灯りをうけててらてらしていた。けれどもかのじょはじっと吊された先をみていて、なんにもこたえてくれない。
 「わたし決めたわ、耳の先を切ってもらいましょう」「次にあなたの番よ、いまのうちから何をするかかんがえていた方がいいわ」
 「いやだ、ぼくきみといっしょに眠っていたいよ……、とっても寒いんだ、たぶんゆざめしちゃったんだともうよ」
  ぼくはぺたんと座り込んで、かれの下にたまったぶよぶよを足でつっついていた。
 「みんな帰って行くよ、どうして」
 「わたしたちが最後なんだから、あたりまえのことね」
 「決まっていることなの」
 「そうよ」
  かのじょは階段をかけていって、はさみでかれの耳を人さし指くらいの長さできりとった。かれはあちこちかけていて、なんといってもお腹からうすい肉いろのぶよぶよがみえているのがなんともおそろしい。へんな方向にてあしがまがっていて、死んじゃったかえるみたい。ま下にはいっぱいのげろがまっかになって、ぼそぼそと気持ちわるいおとがしているとおもっていたら、かれの息をする音だった。うつろなめをみて、ぼくはうらやましいとおもってしまった。
 「うげっ……ぶしゅっ、ああっ」
  ああ、ぼくももう上にいって、ましょうめんからみたいとおもった、あんなふうに、できることならいっしょにぶら下がってねむっていたい……、ゆっくりのぼって、壊れてしまいそうなむねにてをあてて、たくさん息をした。
 「ぼくもやっていいの」
  いじきたないな、とおもったけれど、がんばってのみこんできく、そうしたら、かのじょに紙を渡されて、「お金を払わなくっちゃ、あなた銅貨四枚もってたわね、じゃあこれかしら」いちばんうえにいちばん安いやつがあって、その次は十枚、二十枚と増えていった、ポッケから一枚取り出して、かのじょは受けとってだれかにわたしていた、だらだら汗がながれてあつくなった、かれの身体はあつそうだな。ずっと天井のほうでじゃらじゃら鉄のおとがして(お金を払っているから、すべてがとどこおりなく進むんだ……)、かれは立たされていた。ぶらんとして、かげはくっきりして、毛皮はふしぎなまだらになっている。ぼくは背中をおされてかのじょはひもをはずした。かれはりょううでをあげてぼくのほうによれかかる、うけとめることもできずにうしろに倒れてあたまをうった、冷たい痛みがめのおくから外にでていった。
 「あ……」
  なだらかなあたたかさで、かれは小便をもらしていた。ぼくはしあわせになって、かれの血でよごれることがうれしい。ないぞうのつるつるしたやわらかさやくだの感じをお腹で思って、うろんなめをもっとちかくでながめた。重たくて、いきがつまりそうだった。だからかのじょがふりあげたたくさんの針をみてもよけることはできない。はじめにかれのからだをつらぬいたから、「うぐっ」という声がして、次にぼくにいっぱいささって、からだがあつくなってうずくまろうとちぢもうとしたが、上にかれがのっているから無理やりまっすぐにされて、とても痛い。かれの血がたくさんあいた穴からぼくの体内に入ってまざり、かれの肉もぼくに入ってまざった。薄くなみだをながして、はなの中はしょっぱくなった。かれがさきにげろを吐いたけれども、しぼりかすでほとんど黄色いさらさらした液だった、ぼくはかたまったやつをして、まどろんでそのままねむった。
 
 
   17
 
  ぼくは、かのじょがぼくにくれたぼくの部屋にいた。かれもいっしょにねていたみたいで、先に起きてずっとぼくのはなを舐めていたという、さわってみるとぬれていて、おいしい料理みたいなにおいがしていた。
 「いま何時だろ」
 「まだ夜だね、そんなに時間は経ってないとおもうよ」
  ぼくはふうんと答えて、「傷がすっかりなおってるや」
 「そのためにちりょう班がいるからね」
  かれのむねのあたりをさすった、やわらかい毛はすとんと倒れて、またたちあがる。
 「きみもたいへんだったね、安いのはしにそうなことしかできないから」「あのちりょう班の仔はきみを拾った仔? かのじょすごいよ、耳を切るだけなんて、いちばん高いやつなんじゃないかなあ。かのじょはもうすぐ呼ばれるんじゃないかとおもうよ」
  ねっころがって天井のもようを見ていたら、かれがひょいっとのぞきこんできた。
 「きみのしんぞうの音を聞かせてよ」
 「ふくの上からでも聞こえないかな」
 「あたたかい方がすきなんだ」
  うえのふくを脱いで、下着もとった、べつに毛でおおわれているからなあ。かれはありがとうといって、尖ったはなさきをぼくにうずめた。
 「どうかな、くさくない?」きのうおふろに入っていなかったことをきゅうに想い出した。
 「全然、いいにおいだよ、きみのからだいいな、ぼくすきだよ」
 「なにか聞こえる?」いいにおいというのは、けっきょくどういうにおいなのかはよく分からない。
 「血が流れる音がする」
  かれがふれていると、とてもぬくくて、太陽がなくさむい夜にはぴったり。そのままお互いじっとしていた。だまっていたし、しん秘的だったし、息をはくのもしずかで、それをやぶったのはかれだった。
 「ぼくさみしいんだ、べつにすむところが決まるまでは、きみみたいな仔はどこにいてもいいんだけれど」
  かおをあげて、もぞもぞ上ってくる、「くすぐったいよ」かれの息がぼくにかかって、ぼくにだらんともたれかかった。
 「きみあったかいな……」
 「ふわふわしてるよ」と、ぼくの言ったことばは、うかれた熱をもってそらにのぼっていった。あちこちではじけてべとべとした液がとびちって、電灯があかるい。
 「まずは夜にたいしてどうにかしないとね」「むかし話しとかして過ごすのがけんこう的かな……」
  かれはふかく息をすってから、こっちに来たばっかりのころの話しをしはじめる。
 
 
   18
 
  ぼくはちりょう班に拾われたけれど、かれはくすり班に拾われたらしい。裏通りのふるいくすり屋でくらしていたそう。
 「たてものはわざと古くさくつくってあるんだよ、なかはとってもきれいさ」
  ぼくはふーんといった。かれはぼくの上からよこに移動して、むねのあたりが寒くなった。もぞもぞうごめくと、床かなにかのもくざいがきしんだ。
 「だからいろんなくすりを貰ったんだよ、あぶなっかしいやつとか、たのしいやつとか」
 
 
   19
 
  みせてくれたのは、小びんにはいった透きとおったうすみどり色の粉ぐすりだった。びんをまわすとつられて回って、ほろほろとなった。
 「それで、これはなにができるの?」
 「石みたいになるんだ、かんがえも息もぜんぶ止まる」
 「ぐっすりと?」
 「あれこれしんぱいするよりもためしたほうが早いよ」
  灯りがいくつもあったから、ぼくたちのかげは何じゅうにもなって、薄かったり、濃かったり、いろいろでみんな揺れていた。口を開けてと言われた、いっしょにかれも大きくあけて、あかぐろい内がわをおぼえこんだ。あたたかな空気がはなさきにあたって、口のなかが乾燥しはじめた。
  くすりはさらさらしていて、のどのひっかかりはとことわにつづくかとおもったけれど、そんなことはなくて、粉っぽい……というぼくに水をくれた。味は甘かったような、すっぱかったような。水は冷たくて、水の味がする。かれもうえを向いてくすりを飲んでいた。
 「あとは寝てればいいの」
 「五時間くらいは効くとおもうよ、調整したから」「はじめはあしのさきとかてさきから始まるんだ。はじっこだね。それであたまのほうに近づいてくる、かんがえより先にいきが止まるんだ、あのときの感覚はぜいたくだと思うよ」
 「どうしよう、のどの奥から、ずっと体内のほうまで、ふくらんでやぶけてしまいそうなんだ、きんにくのあちこちがぴんとはって、暑くもないのにあせをだらだらながして、さむくもないのにがたがたふるえて、あと、あと……、お腹がいたいわけでもないのに、背中がぐにゃっとまがって、かわいためを重力にまかせているんだ。どうやったら治るのかな……」
 「ゆっくり息をすって、まわりの空気をかんじるんだ、水は見えないけれど、たしかにある。ちょっと隠れているだけさ」かれはぼくの両手をぎゅっとにぎって、あたたかくてじんとした、めをつむって真似をして、と吸うことばっかりしたからできるだけ長いじかんそうできるようにがんばった。
 「きみは水そうのなかにいるんだとおもえばいい。いまぼくたちはその水面にいるんだ。おもりをもったら、あとは沈んでおぼれるだけ」
 「こ、こうかな」
  灯りはゆらいで、からだがねじって消えてしまう、みみに水のまくがはって、時計がとおくかすむ。にぎった手をはなして、むねのうえあたりに置いてくれた。これがおもりだ、浮びあがろうとするからだにゆっくりいいふせるための。
 「上手だとおもうよ、ふかいところまできたね」ちょっとだまってから「ぴりぴりして、おなかいっぱいになるみたいだろう」
  とくべつな言葉ではなしているんだろうか、ほしくずをにつめたら、きっとこんな味がする……。
  めはあけない、ありふれた天井、ごつごつした灯りが入ってきて、せっかくできあがった空想の水そうが、ぽろぽろ崩れてしまう。かんかくはとぎすまされていた、とがって、冷たくて、あまい。あったかくてべとべとして、やわらかくてくさい、かれのべろが、つんつんつついたとき、ぼくのまわりの力はつりあって、どこまでも行けそうだった、まぶたのにくの膜をとってぼんやりあたたかい。くちをあけると、よだれが乾いてねつがこぼれてむすんで消えてった。舌はゆっくり味わってすすんでゆき、ぼくの奥歯をはじめに舐め、くちのなかの天井をまえうしろにすばやくいどうした。なめられるたびにくすぐったくて、きもちが良かった、へそのあたりとむねのあたりからとうとうとわきあがる、さまざまないろどりがぼくたちにまとわりついてどんどんまざりあっていく。めをつむっているからべろをみることはできないけれど、じゅうけつしてたぷたぷのまっ赤のいろみだとか、たくさんつばがまとわりついててらてらにぶくてるかんじだとか、かれがおもっているだろうこと(たぶん、ぼくのなかに入りたいんだとおもう……ぼくだって……)だとかを、びくびくとかんがえをやりとりすることができた。はだをどんどん痛みつける大気からにげだして、おもたい頭をかかえていかないといけない大気からにげだして、ひろすぎる海ではなくて、ながれのつよい河ではなくて、せまくてぬるい水槽のなかで、ぼくたちは……。かればっかりにまかせるのもだめだとおもって、のどおくをさすろうとするべろのしたから、ぼくの舌をさしこんだ。くちのなかの味はせんさいだ、ほどよくあまく、泣いてしまいそう。かれのべろのうらのやわらかいぶよぶよしたところをつついた。むぼうびなぼくのからだ! 舌ばっかりにきをとられていたせいで、ぎゅっとからだがつかまれたとき、おくそこのしんけいが伝えたかんかくに、このうえないしあわせをかんじだ。どろっとした肉体は、あたりいちめんにひろがってしまう。からだのつぎはくちのなかだ、下側をじんどっていたら、かれはぼくのべろを持ち上げて、おどりをするみたいにからませた。ぼくはたまらず「んっ」とのどをならしてしまい、はずかしくなった。くすりが効きはじめてあしさきのかんかくからなくなりはじめた、あめがあがっていくようだった。あしおともせず、なめらかにすうっと。ぼくたちはしっかりお互いをひきよせあって、めをひらいた。つながったままのからだのいりぐちはそのままに、いま吸ってはいた息をももいろのはなのあなからふきかけあって、たくさんの円でみたされたまたたくとうめいなめをむすびあって、かたまった。
 
 
   20
 
 「起きた?」
  ぱっちりめをあけて、心ぞうからゆびさきやあしの方まで血がかよう。よるのことをおもいだして、めせんをそらして、ぬるく、くすぐったさをおもいだした。からだのうえにのかった、けがわのすべてがべちゃっとしているよう。それはかれもおなじみたいで、似たような血のめぐりがあった。せまってくる両のさんかくのみみや体温はぱっとはならいでひらひらとかわいい。
 「めをとじてあけたらあさってかんじなんだね……」
 「そうじゃないとくすりとは言えないからね」
 「のどがすぅすぅするな」
  からだをむりに使っていたから、あのくすりを飲んだつぎの日は体操からはじめるらしい。てをにぎって、わかった、もっとつよく、こ、こうかな、そうそう……もっとにくたらしく、ね。あしをつき合わせて引っぱりあう。ひかりのすじに細かい毛がさらさらと流れた。
 「なかなかきもちいいね」ぼくはへんに素直なきもちになっていった。
  いっぱいの赤いろをした肉が、なめらかにうずく。なだらかに運動して、とろとろしている。ほねにひっぱられて、ぬるぬる遠ざかる。ひふに浮かんでくる動きをみていたら、ぼくもおんなじように見つめられていて、きゅっとした。
 
 
   21
 
  とだなの引き出しから茶色いあめの板をとりだしてきて、はんぶんこにした。かじると、半円のあとができて、ずるっとなかみのどろっとした部分がうでにたれた、なめとると、しゅわっとやわらかくなった。あまい匂いがいっぱいになってくらくらする。
 
 
   22
 
  食べ終わると、「かのじょなんて忘れてさ、ぼくんとこに来ない?」と誘われたから「ちょっとだけかんがえさせて」と返す。
 「なにかひとこといったほうがいいんじゃないの」と心配しても、大丈夫だよ、とかるく流している。
 「ぜったいぼくの方がきみが必要だとおもう」「それに心配なんていらないさ、まいにち何十もこっちにやってくるから」
 
   23
 
  早いほうがいいよ、注射だってそうだろ、うん……、窓はあいていて、下は草いきれ、あしうらをくすぐる。からだの内側いっぱいにいきものがすみついて、つちにうまった気持ちになった。
  でもぼく、どっちかというと注射すきかな、入れられた液がぐるぐるまわるのを、想像するんだ、それでぼくのことなんかを色々たずねる……、かれをみるとうれしそうにしていた。ちょっとはなさきをなめられて、よだれの匂いにつつまれた。
 「きみんちはどこにあるの、河のちかく? 涼しい良い風は入ってくる?」
  そりゃもう、と腕をおおきく振って「ちいさい三つの部屋なんだ、寝室とか、きっと気に入るとおもうな」
  通りの屋根をみながら、てをつないで歩く。ほはばは息のながさとおんなじ、ときどき立ち止まっては、すこし、顔のかたちとかをみあう。はなはどんな形? あなはあいてる? めのいろ、みみのうらの匂い、息のあたたかさ。
 「みて、二階にいっぱいうえきばちがおいてある……」
 「たぶん薬草とかじゃないかなあ」
  やねのないところでは雲をみながらあるいた。ときたまどっちかがつまづいていっしょにこけた。
 「あっ……まっかだ……」
 「どんな気持ち?」
  ぼくはちゃんとかんがえてから「水に溶けるってこんなかんじなんだとおもう、お塩とかお砂糖とか。すぅっとして、ひえていって、だらだらゆらゆらきれいな調子でするするひらひら血がもれる」
 「えへへ、ぼくもそう思う」「舐めたげるね」
  かれが口からじゅくした桃色のながいべろをすっとひろうして、ぼくのあしをがっしりつかんでなめはじめた。
 「うっ、うう」
 「ちからかげんはどう? もっと深い方がいいかい」
  あたたかな肉体がべったりあたって、にごった赤いろとてらてらしたとうめいがまじりあって、白い毛のあいだに液がたまっていく。
 「しおからいや」「ちりょう班のようにはいかないけど、ばいきんがはいるのはちょっとはおさえられるといいね、ほら、もう止まった」
  かれがひざをすりむいたら「ほら」っとずいっときずぐちをさしだす。「怪我してるね」、あざやかに、傷のふちはぎざぎざとして、だえん形だった。ちいさなすなつぶがいっぱいついていて、息をふきかけたら、あたまのうえの方で「ああっ」とかれがこぼした。ふだんからだからでない舌をとりだすと、ほてったからだからねつがにげていった。ぼくのよだれのあわい匂いがいっぱいになって、かれのきずの血とひふといきもののいっしょくたになった匂いをささえる。したから上に向かってぺろっとなめた。かれの感じる、びりびりしたここちよさをおもった。
 「ほんとだ、ちょうどしょっぱくていいね」つばでねってのみこんだ、もういちどべぇっとして、ぼくたちはごきげんになった。
 
 
   24
 
  このたてものの三階にあるんだよ、と上をみたけど、通りに付けられた屋根のうえにあってここからは見えなかった。丸いアーチになった入り口についた灯りは、だいだいいろできれい。壁をぺしぺしたたくと、静かにぺしぺしといった。たぶん石かなにかでできているんだろう、触ると冷たい。くるっとまわってくらがりにかれがさきに入っていった。白い毛皮は、やみのなかでこい緑いろにみえた。「はやくおいで」うでを広げてまっている。はしって入ると、静かでみみにいっぱいはんきょうする細かい音がした。ちょっとかびくさい。
  階段をのぼる。おどりばのかべのおくまったところに黄色いはながいちりんさしてあった。「これなんの花なんだろう」「ぼくは知らないな」「かたちは良いね」「匂いもだね」
  あんないされたのは、くもりガラスのはまったとびら「さあ、ここがぼくの部屋だよ」とびらはぎぃとあいた。うらがわのちょうつがいはさびがめだつ。ゆかは木のいた、天井はクリームいろで、まどからは河がみえた。家具がつまっていて、あんしんするつくりだ。
 「まずはおふろにはいろうよ、すなつぶとかくずとかが、みえないけれどいっぱいついているもんなんだ」
  浴室につれていかれて、はながらのタイルをなぞった。
 
 
   25
 
  じゃぐちをひねるとお湯がでた。暗いままがすきらしく、よわよわしい灯りがぽつんとついていて、ぼくたちのりんかくが染まる。ゆげがわいて、からだがうるおう。浴槽にたまるまでのあいだ、きているものをぬいでまつ。いちばんそとがわにはりついたぶあつい熱のかたまりが、ちかづいたぼくたちどうしのつながりになって、ぼんやり浮かぶ。ほの白くひかる。
 「なんだかいまのきみはあやしいね」と言われたから、「きみのほうがずっとそうだよ」と言い返した。
 「さっ、」じゃぐちのまわす音は汚くあどけないさえずりみたい「いっぱいになったよ」ほてったこころのまま、あたたかなお湯につかる……毛皮はぺたっとたおれ、ぶくぶくに水分をすう。ふぅっと息をはくと、からだがしぼんでねむりそうになった。ふたり分の体重にたえられず浴槽からみずがもれた。いくつものすじがかよって、いきもののようにあふれる。
  さわって、ここをね、とかれは、ふるえる手でぼくをつかんだ。ちょっとこわばったけど、すぐにやわらくして、ふれた。ぼくも、ここに、ってかれの手をみちびいた。つまんで、ひねって、たまになめた。はだのうすいところの血液がにつまって、くらくらするのをかんじる。
  からだを洗うのもいっしょだった、浴槽からでて、せっけんをひろげる。くすぐったいね、とお互いをみあう。
 「きみは青いろのめか、新鮮そう」
 「ぼく、きみみたいに黄いろのめの仔は、はじめてみたなあ」ふいにかれがひゅぅと息をふきかけてきて、ふざけあった。いらないきもちはぜんぶなくて、ぼうっとしているかんじだった。まどろんで、うつくしい。
 
 
   26
 
  浴室の空調をかえて、けがわがかわくまですわって待つ。そのあいだあったかい飲みものをもってすごす。
 「ぼくはね、不安なんだよ、夜になったらくすりを使うけれど、量もちょっとずつだけど増えてるんだ。もしかしたら、効かなくなるかもしれない」
  かれのこえはぶるぶるふるえて、ちいさかった。あいたくちに、ぼくは舌をさして、ふれる。ぬちゃっとなって、尾をひいた、細くてこうたくがあった。
 「ここでずっとくらしていると、よばれることは知ってる?」
 「なにかおしごとがもらえるんでしょ」
 「そうなったらおしまいだよ、ずっとしばりつけられる。ぼくそんなのはいやなんだ、でもね、うわさなんだけど、よぶっていうのがあるらしいんだ、ほんなんて燃やしちゃおうよ……」「よぶっていうのがゆいいつのでぐちらしいんだ」
  それからぼくのほうにたおれてきて、はじめてひざまくらしたものだから、ここちはどうかな、ときいてみたけれど、だまったまま、ぼくのおへそのほうに顔をむけて、じっとだまっていた。かれのみみをにぎったりさすったりして、かたさをたしかめる。からだはすっかりかわいている。
 
 
   27
 
  寝室は、まんなかにねるところがあって(ぬのとかがいっぱいしいてある)、まわりにいっぱいぬいぐるみの手とかあしとかが、おいてあってほこりっぽい。かれはすっかりおぼれきってしまっていて、こきざみにふるえて、きもちよさそうに苦しんで、ぼくのねつをえようとしている。だからぼくもぴったりくっついていた。
 「そこに寝ていて」
  ぼくはねっころがった、まわりのぬのやわたが、ずずっとせまってきてちょっとおそろしい。ねごこちはよくて、ずっとねていてもからだはいたくならないだろうな。よこになったからだは、いきをするたびにじょうげになみのように揺れる。みじかいうでにみじかいあし、そういうものをいしきした。とつぜんかれはうやかくなって、ぼくのうえにのっかってきた。めやはながすぐちかくにある。かわいたタオルの匂いがする。
 「いままで、ひとりでくらすようになってから、いろんなところでぬいぐるみのうでとかをくすねてきたんだ、それでここにならべて、かみついたりしていた。けれどわたのあじしかしなくて、つかい込んだよだれのすっぱい匂いとかしないんだ、だえきをすうわたのあじとかね」「でもいまはきみがいるんだ、息をすってはいて、ちがめぐって、たましいがあってね」
  注射するまえに消毒をするように、かれはぺろっとうでのうちがわをなめてから、きばをさしこんだ。めをみひらいて、うぐっというこえがでて、あとからしっかりした痛みが、びりびりやってきて、かわいて熱がにげていって、たらたら血が流れているのがわかる。からだの奥そこからいろんなものがおしだされて、なみだめになって、さらさらしたはなみずがでた。
 「いたい、いたいよ」
  かれがかんだところから離れて、てでおさえた。どくどくいって、ぼくがかるくなってしまったみたい。ふわふわとした、へんなところにいる。血のまじったべろはいっそう赤くなって、歯の白さがめだった。けもののような味がした。ぼくのしおからさなんだとおもうと、きもちがわるい。
 「ごめんね、でもきぶんはよかったでしょ」
  ほうたいをまきながらかれはいった。「べつに病気なんてもってないから」「もちろんぼくがわらわら低気圧をよんだら、きみもいっしょに出ようね、きみがよんでも、だよ」
 
 
   28
 
  日がくれるまで、ぼくたちはよこになって、となりどうし、しっぽやうでや舌をまきつかせて、ぼくがうえにのったりかれがのっかったり、ぐるぐるまわってすごす。けっきょく、血がながれるていどのかみつきは、ぼくたちあわせて何十回もやったとおもう、おたがいちなまぐさくなった。
 
 
   29
 
  「たのしいね」といいあったころは遠く、つめたく、おもい夜があった。
 「ぼくやこうせいになんてなれないよ、でも、日のひかりにあたったらやけどしちゃう……」
 「まったきやみだよ、くわれておいしいえさになっちゃうんだ」
  ぼくたちのどっちがいったのかよくわからない、ぴっちりだきよせて、あたまからぬのをかぶって泣いていたからだ。ぼくのながしたなみだはかれのはなみずになり、ぼくのはなみずはかれのなみだから生まれた。けがわにはさまれたくうきは、体温でものすごく熱くなる。おぼれている、とても。
 「ねえ、きもちいい、いまものすごく気持ちいいね」
  ぼくは「うん、うん」といっぱいうなずいた、かれはぼくのおへそをつめでひっかいた。
 「ぼくたち、ほんのあかちゃんだよ、まだお乳がいるんだ、でも、こうやってぶちぶちにきられて、おもたい暗がりにつぶされようとしている」
 「はなみずをこうかんしない……」
 「ふんってするね」灯りはぬののぬいめからもれて、まるいせんいのかたちとか、なみぬいの様子がよくわかる。
  はなのあなをかたっぽだけてでおさえて、いきをふくと、なまぬるいねとねとしたはなみずがくちのうえにいっぱいついた。「はやく舐めとって、なんかへんだ」
 「うわっ!」どこかで鳥がぎゃあっと啼いた。ぼくはこわくなって叫んだ、かれのぬくもりがほしくて、もっとひっついたらはなみずがついてしまった。「こわい、こわいんだ、むねの骨のあたりがじいんとして、せなかになにかがいそうなきがする。ぼくもういやだ……」
 「わかった、とっておきのくすりを取ってこよう。いっしょに行くんならそれでいいでしょ」
 「うん……」かれのお腹のはしをぎゅっとにぎる。
 
 
   30
 
  かぶっていたぬのをばさっととると、細かいいとくずがまって、つめたい空気がどっさり入れかわる。ずっといきぐるしかったんだということに気がつく。ずっとびんかんになったぼくのこころは、あたたかいものにつつまれたい。ぶあついとまとのかわをむいたら、べろべろのなかみがでて、表面はささくれていて、すこしにぎるとつぶれてしまう。
 
 
   31
 
  くすり棚は、ぼくふたつぶんくらいある、とびらつきの、上等そうなものだ。
 「おおきいね、もらったの」
 「ううん、ここにもともとあったんだ」
  かれが棚のとびらをあけるうごきはしぜんだ。古めかしい木のにおいと、くすりのとがったぱちぱちとするにおいが、ぼくのかおに当たる。とりだしたのは、こびんにはいった真っ赤なつぶ。
 「なんのくすりなの」
  だまってこっちをむいて、あたまのうごきのせいで、かれの顔にあたる灯りの調子がかわる。
 「のんだ仔どうしの、からだをまぜるくすりなんだ」
 
 
   32
 
  しゅじゅつ台のうえに、ぼくはのったことがない。
 「あしはこう、てはこう、わらってるほうがいいんじゃないかな」
  せなかをぴったりつけることを考えたら、あんがいぼくのからだはまがっていることがわかった。
  ますいやくすりで、ぼくはねむったことはない。
 「ぼくは、うわついたきみのめを、ちらっとみるのがすきだから、そのままがうれしいな」
  いつもほかのひとばかりで、ぼくはしんだことがない。
 「ずっとかくして持ってたんだ、ほんとうはきんしされてて、すごく高いし、つくりかたも、もうだれもしらないんだ」
 「おくちをあければいい?」「うん……。ああ! きみのよだれのにおいがする」「ぶんりょうは知ってるの」「ちゃんと勉強したよ」「もとにもどれる?」「いちにちくらいできれちゃうんだ」「ざんねん……」「もって四・五回くらいかな」「たくさんだ」
  いまのぼくのこえは、水中ではっしたあぶくのようで、うまくおぼれていることができていることがわかって、うれしいな。
 「さあ」おもおもしい。きたいとか、心ぞうにいく血のりょうがとつぜんに増えて、いろんなものがぶあつくなる。
  くちのなかに、にがい味がひろがる。よだれとまざってとろりとべっちゃっとし、じかんをかけてながれていった。
 「うへえ。にがいや」
 「ほんとだ」「ぼくもはじめてだから。だいたいはあまいとか、そんなふうにできてるんだけどな」
  かれはぼくのうえにまたがっていた。あしのつけねのあたりで骨がいっぱいあって座りやすそう。ふるふるふるえる。
 「ちゃんとのんだ?」
  うんとこたえるかわりの、べえっとしたを出す。むねにかおをこすりつけて、けがわをなでていった。「ぼくの毛ってやわらかいの」
 「こんなのにであったことないってくらいかな、こういうふくがほしいよ」わらって「もうぜんしんにまわったころかな」
  まどから風がはいって、月光はいくつものすじになっていた。かれのゆびのさきにはかわいい爪がついていて、ぼくにむかってふりおろされる。ひらかれてつめたい空気にふれたところをそうぞうしたけれどそうじゃない、みてごらん、くびをおこすと、ぼくのからだにずぶりと沈み込んでいる。
 「すごい!」
  そのあいだにもずぶずぶはいってくる。「このあたりかな」うちがわをぎゅっとつかんで、ぼくはあまりのきもちよさに耐えきれなくなってげろを吐いた。ずっと吐いていなかったから、ものすごくこくて、ぶよぶよして、くちのまわりから離れない。
 「やめて、あ……、」うみにうちよせる波の気持ち、はらっぱをとんでいる虫のきもち。かれのうでをねっとりつかむ。
 
 
 
 
    からだはねばねばしたものでできた
    すいそう
 
    大気にふれると くさる
    くさって
     きもちわるいみためになって
     (たくさんの小さな円や
      ちぎった紙のだんめんみたいな)
       とける
 
    ひふはうすい皮のようなもの
    かたくて、うちに海をたたえている
    でも広くないし
      くらくもない
    かといってあかるくもないし
         あたたかくもない
 
 
      熱のないねんえきのあつまり
 
    
    (うわずったこえなんて出して
     しあわせそう?
     うそつけ……だまされないぞ……)
 
    おもいねんえきは、
    しぜんに底にしずんでいこうとするのに、
    まとめあげるたましいは、
    これをゆるさない
 
    おもいねんえきは、
    おぼれてしまおうとするのに、
    まとめあげるたましいは、
    これをみとめない
 
    たくさんのいのりをして
    ようやくたましいのなかにねんえきをながしこみ
    えきたいのいきものになる
 
     (なるまでは、おきているときはおぼれて
      ねているときをながくする)
 
         えきたいのいきものは
         大気なんてすてて
         たましいをとかして
         ねんえきののぞみどおり
         (つまりぼくのねがい・ぼくのゆめ)
 
 
 
            お ぼ れる ……
 
 
 
         底で
         いたみなく
         たましいを
 
 
            こわす 
 
 
         ……さいごにふるえて……
 
 
      されど
 
     そ こ に は なに も ない
     だって
     かんじるものがいないんだもん
 
     い い ね 、 そ れ
 
 
 
 
  ぼくにみえたけしきは、いちばんすきな(ちょっとからだにさわってみたいと、(そのやわらかそうなうでとか、ふとももとか)おもうほどの)ともだちが、となりに座っていて(おいしそうなのみもの(けつろして、たくさんの水滴がついている)をもっている)、こっちをむいて、ひとくちくれた((どうやって?)(どうやって!))、ほんのり、ほん……のり、ほっぺたが赤くなって、うれしくなって、あっ、いってしまって、うっ。あ、あ……うん。えっ。「おいしいなって、言ったんだよ」と、いうようなか ん  じ
 
 
   33
 
  ねえ! ふまんそうなかれのむすっとしたしめった声で、ぼくのけしきいちめんは消え、かわりにみえるものが、みえているようにわくせんがいっぽんになり、息をすった。
 「ご、ごめん」「なんか、とめられなくて……」
 「ぼくを置いてかないでよ……」「しんぱいしたんだから。きみのひょうじょうをみせてあげたかったな。とろんとして、ふるふるしていた」
 「じっさいきぶんもものすごく良かった、だいじなことをしったきがするよ」
  あしはぜんぶ混ざったようだった。「いっぽんのあしからぼくたちのあたまか」
 「きしょくわるいね」とぼく。
 「きみが置いてきぼりにしているあいだ、とめておくの大変だったんだらな」
  さあ、とひと呼吸おいて、かれはぼくへのせん水をはじめた。深いたびだ。きもちのたかぶり、ろっこつのふるえ、おんどのあがっていくけつえき、じわりじわりと、とりもどせない変化がおきているという、よかん。夜明けまえの、やくしゃの交代。どんどん、あらくてすかすかのぼくのからだがみたされていく。たくさんのきもちがうかんで、みなぎる。したたって、かたまりになる。さかいめはなだらかになくなって、それまでぼくにつきまとうくびすじの裏がわやひかがみにある、ゆうれいのかんじが、すっと消えて、すきとおったなかに、てをつないでたっている。ぐわわわ。うねりは高まって、しずくはふえる。ぼくはせなかをなんどもうちつけてはねてうけとめた。
 
 
   34
 
  きこえる……?
  うん……聞こえるけれど
  よかった、うまくきみのなかにはいれたよ
  うへっ、ちょっときもちわるいや
  あっ、いまのきみのかんじょうのうねりが、ぶわっとぼくのところにもきたよ
  かんかくをわけあってる……?
  うん
  つながっている?
  そうだね
  きみはからだをうごかせるの
  ほら
 (みぎうでが持ち上がって、ぼくのちくびのまわりをなでる)
  す、すごいや!
  へんにこうふんしないでよ、
  歩いてみてもいい?
  ごじゆうにどうぞ
 (ぼくはすうほあるいてみた。そのたびにびくびくして、むねのうずきをおさえるのにせいいっぱい)
 (かおのきんにくがたくさんうごく。あつくなってぱっとする、たのしい! 歯のおくがむずがゆくなって、したで舐めとった)
  かがみをみようよ
  いいね、それ
 (ぼくの部屋ではないのに、かがみのばしょがわかった。つながりが深くなっているような気がして、おもわず吐いた)
 (ゆかにこぼしたぶんを、じっとながめる)
  においかいでもいい?
  なまもののにおいがするな……
  さわろうよ
 (さわってみた、さわってみたのはぼくなんだろうか、かれなんだろうか)
  いいさわり心地だ……
 (てのうえにのせてみる)
  
 
 
    と、ともだちがいっしょだと、
    いろんなことができるよね
    たとえば おおごえをだすだとか
    たとえば やりたいほうだいできるとか
 
    つめたい部屋にはいっても
    ぼく(たち)があたたければもんだいない
 
    いたいけがをしちゃっても
    ぼく(たち)できずをなめればもんだいない
 
    ふあんなときはそうだんするし
    くらいときにはこづきあう
    (じぶんのからだだけど)
    (じぶんのからだじゃない!)
 
 
        ぽつねんと
        なんてしら
        なくてもい
        いようにな
        る
 
        ひとり な
        んてしらな
        くてもいい
        ようになる
 
 
    みんなせいいっぱいやろうとしてる
    じかんのむだ
    を
    ぼく(たちで)がかいけつしちゃった
 
    
 
  ……これで ひるまは ぼく(  )のおもい どおり
 
 
 
 
   (35)
 
  ゆめみごごちの、ぼくのことば・こころ・きもちは、とじこもっていて、ゆめのそうちをぐるぐるまわしている。
 
 
   36
 
  かがみのまえに立った。つるつるしていて、みえるものすべて、ぎんいろを吸って、そこにある。ぼくたちはもじもじしたようすで、てやあしをぶらぶらとうごかす。ぼくのいしだったし、かれのいしだった。
 「めをみて……」
 「ほんとだ」かってにくちがうごいてこえをだすかんかくは、かなしばりににていて、たのしい。
  ぼくたちのめは、みぎと左でちがういろになっていた。ぼくのふかい青いろと、かれのあざやかなきいろ。くすんですりへっていくなかで、たしかに「ある」。おたがいをおぎなういろ、かたほうから、もうかたほうへながれる。そのぎゃくもしかり。
 「ねえ、そとにでてみたい」
 「きっさ店はたくさんあるよ」
 「うん……たのしみ」
 「ふくを着ないと」
 「めはめだっちゃうからあのめがねでもしていこう」
  ふくは、かれがもっていたのをきた。「いいの? きみのじゃなくても」そでを通すと、しらないぬののはだざわり。しらない染みついたにおい。あわいしきさいだ。「いや、きみこそ、しんせんみがないんじゃないかなあって……というかほんとはもうしってるくせに」「えへへ、そんなにつーんとしなくても。ぼくのいちぶになってしまったみたいで、そっちのほうがいいんでしょ」じんわりしたぬくもりに、こうだいなゆめをおもう。「……うん」おぼれる。「じゃあぜんぶぼくが動かしてあけるね、のみものをえらぶとか。あるくとか」
 
 
   37
 
  しっけがある。しめっていて、ぼくたちのけがわにはりつく。ぼくはのりものにのっているきぶんだった。みようとおもっていないものをみて、かごうとおもっていないにおいをかいだ。おとはたくさん、さわるものも。よるは深く、だれもであるいていない。屋根のうちがわで、ほしがでているかどうかも知らない。
 「だれもいないね……」
 「でもね、よるせんようのおみせっていうのもあるんだよ」「それでまどからだれもいなくて、くらいよるよなかをみるんだ。まどのましたにはたいてい花だんがあって、あおとかむらさきの花がゆれている」……「あっ、いま、きみかってにしゃべったね。ぼくのいちぶなんだから、ぼくのねがったときいがいかってにしちゃだめだよ」
  ぼくはうれしくなって、そうだよとどろどろになって、かれはばつだよ、とうでをつねった。いっしょにいたっといった。やわらかいにく、やわらかいあじ。
  めがねのいちをちょうせつしたら、またつねられた。つぎやったらかみつくからね、といわれて、ぼくはつねられたところをあまがみして、かれもいっしょになって、たちつくす。こってりあとがつく。
 
 
   38
 
  きっさ店からもれだした灯りで、あたりはにじんでいた。ちかからやってくるようだ。「ひのひかりをみないということをえらんだんだから、とうぜんのことだね」なかにはいくらかかげがみえる。でもひとりできているのはぼくたちくらいだった。なれたどうさでまどぎわにすわった。ふきぬけになったちかの庭に、花だんがあって、かれのいうとうりかぜがふいてゆれている。いろんなゆれかた。
  めがねをしているせいで、かいてあるもじはゆがんでいて、ようやくよめても、「みみずのふくろうはむだづかいににている」なんていう、わけのわからない文になっている。でもかれは、ゆびさしでこれと、これと……あとこれ、というように注文をしていた。「まえにもきたことあるの、ひとりで?」「ううん、つれていってもらったんだ。そのときとおなじのをたのんだだけ」「でもみっつもたのんじゃって、ぼくそんなに食べられないよ」「いいんだ、べつに」
 
 
   39
 
  のみものはすいてきがあるせいで、なかみはよくわからない。しろくにごっているきがする。はこばれてきた料理のどれも、ゆげはなく、つめたい。「なにこれ……」ぎんいろの食器でつつくと、ぶよんとさゆうにしんどうした。「料理であそばないってならわなかった?」「ごっごめん」
  ほかにはちゃいろい液。まずそう……。「これをかけるの」「こうやって、でもかおりはいいじゃん」「それに量が……」
  おさらには、ちょっとみどりで葉っぱのもようがかいてあってきれい。ぼくはおさらをもうちょっとみていたかったけど、あたまはぐるっとうごいて窓をみた。
 「ひとばんじゅう、ひかりをあびて、けんこうにわるくないのかな」「さあ。でもきれいに染まってさいてるよ」
  てがうごいて、食器をつかみ、ふるふるした、だらしなくかたちのさだまっていない、料理をつかんで、くちにいれる。「つめたいし、あじがぜんぜんしないよ。それにぼく、べつにおなかがすいてるわけじゃないし」「でもまだまだいっぱいあるよ」
  ふたくちめ。「からだがどんどんひえていくよ」「まだたくさんあるから」
  さんくちめ。ぶるぶるふるえてきた。だからぼくはおぼれることにした……
 
 
   40
 
  ぼくがおぼれると、かれがいた。
 「やあ、きぶんはどう」
  ぼくはすりよっていく。
 「ひふがぴりぴりしていてかゆい」「こころはつながっているんじゃないの」
 「まだ弱いんだよ、からだどうしをむすびつけただけだね。たましいまでなんて、とても」「それに、それはだれものぞんでいない。ふたりがりょうほう、いてしまう」
  けろっとして「はなみずでもふきなよ」
 「べつにたれてないよ」
 「からかっただけさ」
  ねころんで、せなかにぴったりはりついてもらう。
 「さむいのはきらい?」
 「とてもきらい……きらいということをいうだけでも、おそろしくなる……」
 「こころがびんかんになっているんだよ。いまのきみはおぼれるためのもくてきはあるけれど、とてもうまくもぐれるじょうたいとはいえないな」
 「からだがかたくなって、ぽろぽろくずれそう」「ちょっとしたくさのすれるおとや、あしおと、ぼくを呼ぶこえみんな、はものみたいにおどしてくる」
 
 
   41
 
  かれはまだあのよくわからない料理をたべつづけていた。かんしょくはやわらかく、かみごたえがなく、つめたく、あじはしないのに、しおあじばかりがつきささる。のどをとおるふにゃふにゃとしていて、くうきのとおる余裕をうばう。ちっそくしそう……。「どうしてつらくないの……」「どうしてだろうかしんじつを、きみはもとめる……?」「もったいぶらないでよ」
 
 
   42
 
  きがつくとぼくはくびをしめられていた。かれのわらったかお……
  すこしずつちからがつよまって、血がながれにくくなり、ぴくぴくふるえるかれのての筋。
  どうして……
  きもちいいだろ
  それはそうだけれど、でも
  でも? でもなんなの、いってごらん
  ぼくはおろおろしていた、そのあいだにもあつはたかまって、なにかがこぼれでそう。
  きみにかんかくをおしつけているんだ。
  どういうこと……(またほおがぴりぴりしてきた、ちいさなみみずがはしりまわり、奥底からわく)
  
  きみは どうしてじぶんが って おもったことは いちどもなかったの ?
 
  えっ、というぼくのこえは、すぐにうめきでうわがき。まっであってすぐだからな……とかれ。こりこりしたくびのほねはかたくしなやか。
  ぼくはかいほうされたいんだ。しばりつけられるなんてもってのほか。からだはおもく、たましいはあつい……。ずっと寝ていたい、だってねているあいだはなにもかんがえられないから。ゆめはみるけど、そんなの起きるまえにわすれてしまえばいい、めがさめてしまったら、きもちいいことだけをしようよ。
  してんがかわって、ぼくはかれをみおろす。かれのくびをしめつけているのはぼくだ。
  いやだ! やめてよ。せきこんでみずっぽい。のどおくがかゆい!
  ぼくはぼく自身でぼくをくるしめていることになるが、てのさきはかれがうごかしているようで、どうすることもできない。あたまをふりまわし、じゆうにうごかせるぶぶんでひっしにもがくけれど、このどうしようもなさは、じゅうぶんにひたれてしまう。
  ほんとうにたまたま、ぼくたちのちからでどうにかなったわけじゃないよ。ぐうぜんきみがぼくのまえにあらわれて、ぼくはそれをうけとめただけ。いみなんてないんだ……。だから、いたくないほうほうで、きもちぃままで、ぼくはぼくのたましいをこわす。ぐたいてきには、きみのなかにうめこむんだ。ぼくのかわりにきみに生きてもらう。ぜんぶおしつけるんだよ、からだはあたたかいだろ……ぼくのぶんもあるんだから。きみもうまいことやればいいとおもうよ。くすりはもうないけれど、あとはよべばいんじゃないかな。
 
 
 
     よるになって
     ひとりぽつねんと
     じっとうずくまって
     きょうをふりかえって
     きょうふにしびれて
     なきそうになっているの?
 
      あほうのすることだね
 
     わらえないじょうだんだ
     さんざんおぼれたあとに
     まだみずにつかろうとする
     ひるまのぶんで
     すっかりかわききってすかすか
     さすってもでない
     だってないんだもん
 
      わんわんないていまなんじ
 
     がんばってねむろうとするけど
     りきんでしぼりだされるのは
     あとあじのわるいふるいおもいで
     られつ……くさり……つながり……
     こうかくがさがる
     ぼくはなにもしてないよ?
 
      たましいをもてあます
      あそびになんてむいてない
       (あそびかたとか、しらないし)
 
     おめめぱっちり
     しかいはすんでいる
     ひるねばっかりしている
 
     おくすりをのもう
      (それとも、あたまをぶんなぐる?
       ぐわんとやって、ちぎれたきおく)
       ……さいこうだ
     のんで、きえて、たおれて、ばいばい
     
     それともはなのあなからなにかいれてみる?
     つついてみる?
     
     とにかくねむることができたらいい
     たましいはしんだふりをしてくれる
 
  ……そうしたら、よるまもぼくのおもい どおり
  (になる んだよね?)
 
 
 
   43
 
 「きがついた?」「そのままめざめなかったらよかったのにね!」「お店からここまでもどってきて……」「きみがねているあいだ……さんざんいたみつけてみたんだ」「どくどく、心ぞうといっしょにうごくちのかたまりを、くちにふくんで、はきだす。きたないからまどからすてた。かわをゆったりながれているとおもう……」「ごめんね、うれしくって、ちょっとちょうしがおかしいみたい」「ふくをぬいでからだをあちこちさわってみたんだ……」「ぼくたち、そうとうやわらくて、ふわっとしていて、きれいなめのいろ……」「きみがおきるのをちゃあんとまっていたんだからな」「のこりのくすりをのみほすんだ」「からだはもうわけられなくなる……たましいも。それで」「ぼくのはきみにぜんぶあげるね」「ぼくはきえて、きみはのこる……」
  かがみのまえにいすを置いて、うきうきはなしがはずんでいる。「ねえ……」ぼくがくちをうごかそうとすると、りょうてでふさがれる。あったかいぼくたちのて……
 「こらこら、きみはうごいちゃいけないよ」「なんならしばろうか?」「えへへ、うそだよ」
  かがみのぼくたちがわらった、かがみのなかのめに、しせんをあわせたけれど、すぐにぼやける。まじわらずに、ずれている。
 「ほら、みて、さらさらとした、ぼくたちへの、おいわいのおとだよ」
  びんづめの、くすりをさらさらふちにそわせる。なみなみとうごき、なだらかだ。ふたをあけると、いちどあけてしまったから、しっけをすってそう。
 「あーん」なんと言おうとぼくにどうこうできるちからはない。
 
 
   (44)
 
  ぼくは、どうだっけ。なにをねがって、どんなゆめをもって、どんなことにきぼうをつかおうとしていたんだろう。
 
 
   45
 
  のどおくを、ねんまくのすいぶんをすいながらくすりはすすんでいく。ちいさなつぶになって、おおきなかたまりになる。おくそこにおちこんで、もうでてこない……。かれは、わらっていた。ぼくたちのかおはこぼれでそうになっていて、ふかみをましていく。じゃあね、さよなら。それだけいって、ぼくたちのからだははじかれた。ぼくのからだから、かれのぶんが、ぼとっとじめんにおちる。
 
 
   46
 
  めをとじて、くらいひょうじょうはしていない、ぬけがら。ぼくはむねにてをあててみて(なんのいみもないとわけっていたけれど)、よびかけてさがしてみたけれど、はんのうはない。ぼくはもういちどすわった。ひどくつかれているようで、やけになりそう、まどをわったり、それまでていねいにはなしをしていて、いきなりおかしなこうどうをとったらどうおもうかな……なんてかんがえている。じゃぐちをひねったままにするとか。
  たましいのぬけたからだはつめたい。ぼくがあたたかいから、つめたいんだ。
 
 
   (47)
 
  またはきそうになる。ずんずんたかまるあつりょくに、こえきれそうにない。いつもしぬのはたにんばかり……
 
 
   48
 
  よくわからないけれど、たぶん、このへやはこれからぼくがつかうことになるんだろう。からだをねるところまではこんでいく。ここでうまれて、ここにかえってきて、ここからしゅっぱつして、ここでおわる。だらんとしていて、ただのおもさしかない。わきをつかんでうごかす。とちゅうなんどもとまって、しびれてあしをもむ。たくさんのこまかいはりでさされているかんじが、あつまったりひろがったり、いきものみたいにぼくをたのしませる。
  わたのまんなかにおくと、くべつがつかなくなった。ぼくもよこにならんでほこりのまったへやでまどろむ。どこかのすきまからひざしがさしこんでいて、たいようがのぼったんだな、とおもう。からだについているはなをかんでみた。あじはしない。はがたがついただけ……。まぶたをあけようとはおもわない。うつろな、にごった、しせんのはずれためなんてみたら、きっともうねむられなくなる。
 「ねえ、ぼくたち、ずっ……
  いいおわるまえに、はきたくなってしまってどうしようもなくなる、めにあつがたまってなみだがでてきて、こきゅうがへたくそになる。よごすわけにもいかないし、からだのなかはくうどうだということをおもいだして、くちからそそぐ……
  すうてきこぼしたけれど、うまくそそぐことができたとおもう。うででくちもとをふきとって、はにこびりついたのをあつめてのみこむ。からだについたくちをてでおさえながら。からだにはうれしいことに、ぼくがげろをいれたからか、ぼおっとねつをはっするようになった。これでぼくのためのせいこうなおもちゃができたってこと……?
 
 
   49
 
  「おはよう」おきるとまず、こえをかける。そこから、あさのしょくじ、つまり、げろをからだにいれるじかん。ほこりでへやをいっぱいにするのがすきになったから、わたをつかんでかんで、ちぎってりょうてでたたいてこまかいいとくずをいっぱいにする。さしこむ灯りできえたりあらわれたりして、あんしんする。そのまんなかにからだをおいてあげて、はなをつまんで、すこしあたまをもちあげて、たてにひらくくちにあわせてよこから、かぶせてそそぐ。なるべくゆっくりめをとじて、ふんいきをあじわう。そそがれるたびにびくんとなればいいのにな……。ねつをもついがいはむはんのう。
 
 
   50
 
  たましいのある、ひるまは、じごくのように、おもたくてつらい。くろぐろした、べちょべちょのてあしがぼくをつかまえにくる。かげからはいだし、きたならしいひょうめんでぼくをなでる。たちまちたたかうきもちがなえてしまって、ぐったりしてしまう。そうなればもうえじき、おいしいえさ、おしょくじ、だいすきなおやつ……。たべられてあなだらけのこころは、ぶるぶるふるえて、うきあがることもできず、くさっていくしかない。
  そんなのいやだ! だからたましいをわすれるように、なにかにおぼれる。さすがにみずのなかにまでやつらははいってこられない。
  からだのうえにのっかって、ぼくのからだをうちつける。かわいたたかいおとがして、たまにだきしめる。せなかにうでをねじこんで、あたまをうきあがらせ、くちのなかをしたでさわる。はいて、げろをおしこむ……。うちつけると、ふわっとして、たまにはくしゅのようなおとがする。おいわいされているとかんじる。ほこりがまう。きらきらきえる。あっ、もうだめ、どばっとすべてをだしきって、ぬるいからだにあついからだをおしつける。すきまにえきがはいりこみ、くさいにおいがする、このにおいが……だいすき……なんだ。おいわい……
  つぎはからだをうえにして、ぼくがしたになる。おもいからだをのせて、うごけないなかで、うつぶせになって、いちばんよわよわしいせなかをかくす。ぼくんなかにはいってるみたい……。おたがいむきあって、あしをからませたり、けがわのやわらかさをたしかめたりする。なんもしゃべんなくてさ、だって、ぼくのなかにいるんだもね、もしかしたら、あじのこのみとかが、すこしかわっているかもしれない。
 
 
   (51)
 
  ほんとうにそんなことあるんだという……、ぜんぶおはなしだったらって……
 
 
   (52)
 
  ぜんぶあたまのなかのできごとだからよかったんだ、けっきょく。「やあ」とでもいわれてしまえば、はにかんで、しりごみして、じっとまっていることしかできない。
 
 
   (53)
 
  うらやましい。くすりを、くすりがほしい。
 
 
   (54)
 
  ぼくのたましいなんて……
 
 
   55
 
  「おやすみ」くすりがきくまでのあいだの、ほんのすこしのあいだでも、けっしてゆだんしちゃいけない。おおきなぬいぐるみがあった。おなかのところにチャックがあってつめたい。あけるとなかはくうどうで、ぼくたちのからだふたつぶんくらいならはいる。からだをはこんで、おしこむ。あしからいれて……ないぞうのないあし。くびをおらないように。りょううででひらいてやる。はいりきったら、ふわふわのなかにぼくもいっしょになる。「ねえ、うみにおよぐさかなと、かわにおよぐさかなのどっちがすき?」「ぼくがうみかな、しおからくておいしそう」「ね、ね、はなはきいろいのがすき? それともあかいやつ?」「ぼくはあかいのかな、それもきになってさくやつ。とおくからでもよくみえて、すごくうれしくなるんだ」あかりはとどかず、さんそはうすくなる。あつくいきれたくうき、せまいなか、からだのどこもなにかとふれている、ひとときのあんしんあんしん……。ふわっとくすりがきいて、まったくねむりこける。
 
 
   56
 
  めがさめると、チャックをあけて、とけたものみたいにだらりとそとにでる。たくさんのくうきをすい、みじめなきもちになる。さんかくにすわって、からだのとなり。ぐっすりねてる? ずるい……。ほっぺたをつねって、いますぐおこしたい。ぐうぐうねて、そんな……どうしてぼくのまえにあらわれたの、ほかのやつでよかったじゃん。
 
 
   (57)
 
  こころはむしばまれていく。ぜんぜんきもちよくない、ぼろぼろくずれていっているようで、むちゃくちゃにへんけいしているようで、じつはまっさらふつう。
 
 
   (58)
 
  たすけて……
 
 
   59
 
  からだをみた。からだのよこにねころんだ。からだがみているだろう、けしきをみる。もくめをかぞえる。めだまだらけ。こってりしていてあたまがいたくなる。ぐわぐわゆれて、まっすぐあるけなくなる。げろをはいた。とめられずはなにはいってかゆい。なまぐさくなる。くちでおさえてもすきまからぼとぼとたれてきたない。からだのくちからそそごうとする。あてがって、とまらない……、ずっとつづいている。どくどくと。なみなみと。
 
 
   60
 
  やっととまった。
  くちをはなすと、あふれたげろがとびちってぼくのけがわをよごす。からだのはなはべっとりふさがり、あたりがなまもののないぞうのなかになる。のどおくをみてみると、うごめいているぼくのげろ。からだはおどろくほどにねつをだしていて、やけどしちゃう。
 
 
   (61)
 
  でぐちはどこなんだろう……
 
 
   62
 
  からだをさすっていた、いつものように。ゆいいつのつながりだ。いかりであり、おもしはたつためにひつようだもんね。あたたかい。ねつをもとめて、しょくじをしたり、おふろにはいったり……。けんとうちがいの、そのばしのぎばかり。でもだからといって、それいがいどうするのか、かんがえるのはめんどうくさい。
 
 
   (63)
 
  そうなんだ、めんどうくさいんだ。
 
 
   64
 
  ぼくははじめてからだのまぶたをあけてみる。どうしていまだったんだろう。わからないことだらけ。なにかのきたいだったんだとおもう。めのまえのえさにとびつかないと!
  まぶたをあけると、まっしろなしろめと……だとおもっていたけれど、すべてまっくろだった。ふれたぼくまではいいろに、こいみどりいろになりそうなまっくらやみ。きがつくと、かびがはえたみたいに、まるいくろいてんがぽつぽつ、ぜんしんのあちこちにちらばっている!
  あっ、みみが……さんかくのみみが、まるがたにかわっていく。はなすじがつきだして、くろめがちになって、いやにとがったしっぽ……これじゃあねずみみたいだ。
  からだのへんかはとまらない。くちもとから、だらだらとぼくのげろがもれだす、かんがえをもってうごいているようだった。
 「ね、ねえ、こっちにこないでよ、ぼくわるさなんてしてないから」
  からだをゆっくりうすくつつみはじめ、ぼくのほうにむかってくる、じりじりあとずさるおしまいはかべ、あしはわらっていて、ぼくもわらうしかない。これはいいぜっこうの、さいこうのきかいだ! とはおもえない。ぼくってこんなんなんだ、こしぬけやろうだな……ねがいはよわく、うすく、もろい。だからくすりでなんとかしなくちゃあって、ずっとおもっているのに。げろはうれしそう。なんでかはわからない。すっかりあきらめるということをうけいれてしまったから? あしさきに、あいさつするみたいにぴちょんとふれる。「うん、う……、ん。すきにすれば、いいよ。もう、ぼくってさ、あっ、すいそうがひろがって……」ぼくがおぼれていくと、いっしょになってげろがひろがっていった。やっぱりぼくがだしたものなんだなあ、ちゃあんとおんなじようにうごいている。あしにすっかりまとわりついた。こんとかたいのがあたったから、これがからだなんだともう。にゅるっとそこぬけなかんかく、おなかのくだのうちがわをさわられたかんじ……、まざりだしたんだな、とおもった。でもふかくおぼれているからきにしない。ぜんぶはせんすいをすすめるものにしかならない。ももいろのえきだ……あかりがゆらゆらゆれて、こうせんはそこまでてらす。ぼすんとかたいそこにあたって、ちょっとくうきをもらす。むねのほねはこまかくぶるぶるしんどうし、ぼくはちょっとはく。はいてきもちよくなる。めはとろんとして、おとはとおくなり、そのほかのごかんはなにもかんじない。あ ん し ん し て ね む り こ け て あ さ ま で と な り に い る よ ほ ん と う に ? す か す か の く う ど う だ ら け の か ら だ は な に か の え き で み た し て あ げ よ う た ま し い を こ わ そ う ……たましいをこわす。げろがぜんしんをつつむころには、ぼくはちいさなたまごのいってんになっていた。
 
 
   65
 
  げろのまくがわれたなかからでてきたのは、ばけものとしかいいようがないくらい、みじめないきものだった。しろいろとくろいろのつぎはぎのからだ。ゆがんだしっぽ、ぴんとたったみみ、もうかたほうはまるくちがうかたち、うでやあしのながさもちがっていて、むりやりまぜこぜにされたみたい……こんなの。
  さんかいのまどから、かわやたてものせんようのにわをみた。なまりいろのみずはおおきくはくどうしている、にわのきは、どれもうっそうとしていのちをすっている。ここから……できないよそんなの。いろいろのじょうけんがそろってないと……すいせいをたまたまみる、というくらいに。
  ぼくはろうかにでた。かがみをみたくないから。うごくものとぼくのたましいがおさまっているからだがおんなじということにくらくらして、たおれそうになる。まどがあかるい、まえにたつ、したをみる。だめ。
  まだいっかいならどうにかなるかもしれない。かいだんをおりる。きのきしむおとがこわい、こわくてたちどまるけれど、すすまないとかるくならない。だんだんおかしいことにきがついて、ぼく、え? びんかんなこころをかかえる。
  いっかいのまどは、こだちのせいでいくぶんかくらくなっていたけれど、さいてき。まどをあけて、かざられていたかびんをどかして、とびおりる。あしとてをつかってちゃくち。てにどろがつく。あとはさんかくずわりをして、しくしくする。めそめそする。なんだい、ぼくはよくやったよ、とってもかわいらしいし、そう、ここじゃないどこかでぼくは、いっぱいじょうとうなふくをきて、おいしいしょくじをたべさせてもらっているんだ。うみにおよぐさかながたべたいな、といえば、やいたのとか、にたのとか、なまのやつをたんまりくれる。いろんなくだもののにおいがして、からだをくまなくあらってもらって(はずかしいところはとくにねんいりに!)、よるはねかしつけてもらう。ぼく、ひとりってこわいんだ……あたたかななかで、きがつくともうあさ。あるひぱっとぼくはきえる。すべてがそのままで。ぼくのめは、ただぼくをみてくれるこだけをみるためにつかわれる。すべてがやわらかく、かつぬくもりがある。ぶるぶるふるえるこころに、やさしいおゆをあたえる。じっくりつかってふにゃふにゃ。なんてしあわせなんだろう……
 
 
   66
 
  くらべて 、 ぼくは
 
 
   67
 
  ぼくはへやにいた。ほかにもたくさんのほかのこがいて、あれ、ぼく、……まちがい?
 
 
   68
 
  あのこは、おうたがうまいね。あのこはじがじょうず、それであっちのこはものしりで、えっと、あのこはうんどうがとくい。
 
 
   69
 
  きづいてしまって、
  いみなんてなかったんだなあって
   おもって
 
 
   70
 
  あめがふりはじめた。はなのあたま、みみのうしろ。じめんからたつあめのにおいがこくなる。ぽつぽつがざあざあになりどうどうになる。いくつものあまつぶがぼくにあたってあなだらけ。つちはどんどんどろになり、はねてぼくにつく。かまうもんか……、
 
 
   71
 
  ざあざあぶりのあまつぶはいたい。みずをすったけがわはおもい。したをむく。なにかこえをかけられた。
  もういちど。
 「おめでとう」
  さんかいめでようやくこえのほうをむいた。くびはこりかたまっていて、せっちゃくされていた。
 「おめでとう」
 「なにがおめでとう、なの」ちょっといらいらしていた。
 「きみはよんだんだ、わらわらていきあつを」
 
 
   72
 
  みるとあおぞらからちょくせつあまつぶがふってきている。「なにこれ、どういうこと……?」つきだされたてをにぎる。あったかい。
 「ぼくはね、むかえにきたんだ。きみを」「よんだ、きみをね」
 「でもぼくなにもしていない……」ほろっとつぶやいたのはそんなことばで、かおのくろくしんしょくされたところをあわててかくす。「そんなことしなくても」
  やさしいてつきで、じっとてをのけてぼくのめをみた……「なんてふくざつないろあい……」みどりにあおいすじがはしって、はじっこはきいろくみえた。
 「これはいっぱいまじっちゃっただけさ、きみのほうがずっといい」「あちゃあ、きれいにまじってるね」
 「きれい?」
 「ああ、うでがにほんとびだしてない、とかっていうことだよ」「それに、あっちについたらぼくがきちんとてあてしてあげる」「かわいそうに」「きれいにたましいはこわれている、からだだけまじっているんだ」
 
 
   73
 
  ついておいで、といわれて、ことわるりゆうはもうない。
 
 
   74
 
  ぼくたちはてをつないでいった。あいかわらずあめはふりそそぎ、じめんにできるみずたまりは、はもんだらけでぼくたちをうつしかえす。
 「ていきあつをよぶと、それはもうすくわれたもおなじなんだ。せいかつはほしょうされている」
  かれからもらったあまがっぱをきた。おおきさもちょうど。かれもおんなじのをきている。みみがぴょんとたっている。
 「すむところもいいところだよ、おにわがあって、さかながおよいでいる」
  あまおとにほちょうをあわせる。かわのほうにむかっているらしい。
 「しょくじもおいしいよ、あたたかくて、じんとする」
  こんなにかわにちかづいたのは、おもいかえすとはじめてだ。きしにこぶねがつけてあって、さきにかれがのりこむ。「ほら、おいで」のばすてをつかんでゆっくりのった。ふにゃふにゃのみずがいどうして、ゆれる。
 「ぼくたちがこれからすむところ……ぼくがいますんでいるところはふねでいくんだ。はしのしたにいりぐちがあって、ちかにひろがっている。あっ、なかはあかるいからあんしんして」
  さくにまきつけていたひもをとりはらって、かれはながいぼうをかわぞこにつきさしてふねをすすめる。みずはすぐちかくにあって、むねがおもおもしい。
 「だれもであるいていないね」
 「きみかさはもってる?」
 「そういや、もってない……」
 「ここにはあまぐがないんだよ、ぼくたちがきているこれいがいね。あめがふっているのにであるくこなんていないよ」
  まちなみは、すこしはなれてみるとまったくちがういんしょうで、やねのうえはごちゃごちゃしてきたない。たちのぼるゆげをおさえるふた。
 
 
   75
 
  おおきなはしがみえる。はしのしたはくらくてさむい。こふねをはしのしたにとめて、ぼくたちはおりる。はしげたのまんなかに、いしでできたとびらがある。
 「すごいや、こんなのあるんだ」
  かれはおもそうなとびらを、いっしょうけんめいあける。
 
 
   76
 
  いりぐちはせまいへやだった。「ここにあまがっぱをかけておいて。くつはここかな」ちいさいたなのうえにおはながかざってあって、においをかいだ。
 「ほらこっち、はやく、おふろのしたくはばっちりできてるんだから」
  ゆびさすさきにつづくかいだんはしたにのびている。でもさんだんめくらいらかなみなみとそそがれたみずにつかっている……
 「だいじょうぶ、おはなしのなかのものだとおもえばいいから」
  あしをふみいれると、ここちよいすいあつでからだがおさえつけられて、つめたさにあたまがすっきりする。
 
 
   77
 
  てをつないで、ふらふらのよちよちあるき。せんすいしていって、そこについたら、めをあけるようにいわれて、それをまもった。
 「ついたよ」
  おおきなろっかっけいのはこだった。きらきらつぶがとじこめられてほのあおくひかりをはっするいしでできた、おおきなへや。てんじょうはとおくかなた、ほんとうのあおぞらかとおもう。ゆかのもんようはすみずみまではしっていてぼくをとらえる。「きれいでしょ」「うん……とっても」
 「どこからひかりがそそいでいるんだろう……」
 
 
   78
 
  よくしつはこっち、ろっかっけいのそれぞれのめんにとびらがあった。ひとつはかいだんがみえたから、ここからおりてきたんだろう。
 「あっ、そのまえに、ぼくはぬがないといけないね」「えっ?」かれはじっとたちどまって、ぼくをつきぬけてとおくをみている。「ねっ、どこをみているの」くちからよだれがたれて、じめんにはねた、ぼくについた……。ぶくぶくとくだをとおるえきたいのよかん。ぼくはちかづいていって、ゆさぶってみたけれど、かたくてうごかない。とつぜん、いっぱいのげろをはきだしはじめた。ぼくのむねにべっとりついて、だらだらながれる、ちょっとこそばゆい。いきおいはとまらず、ぼくはくちをおさえてみたけれどやくだたない。むしろかおにかかってすこしのんでしまった。じんとして、ふるえて、いきがあらくなって、そのままぺとんとすわってしまう。おしりのあたりまでつめたいげろがついてしまう。ひろがってまくがはられて、ひろがってく。まっしろのゆめのなか、こぼれでるのはねつっぽいうわごと……
  はくのはおわったみたい。からだとぼくのあいだに、こんもりやまができる。ぼくのあしのほとんどをのみこんでしまっていた。
 
 
   79
 
  かれのげろはまだぼくのなかにのこっていて、ぼくはちょっととんでしまった。からだからなにかがぎょうしゅくされてとびだした。
  まえのめりになって、げろのうみにもぐる……
 
 
   80
 
  おきて、といわれた。
  えっ。いつもぼくのしらないところでつきがのぼって、たいようがしずんでいる。
  めをあけると、げろのなかでうずめくひかりのすじと、いきもののないぞうの、くさりかけのこうばしいにおいがした。かおをぬいても、はりついたのはけのおくまではいりこんでいる。ぶよぶよのげろはあつまってまるくなっていた。するとみるみるのびてぼくのようなかたちになる。うでができてゆびがわかれて、けがわができてみみのかたちはなさきのちのいろ、きれいなめ……
 「やあ。あらためてはじめまして、だね」
  こわくなってちいさくなる。「こわがらなくてもいいよ。ぼくはねんえきでできてるの」ずん、とよってきて、「かお、ちかいよう」「このからだ、ほしい?」ぼくとおなじあおいろ、なんにもしらないよ、とじゅんすいな、えいえんにつづきそうな。「えっと……」ゆびをくちにあてられて「そんなだいじなことはかるがるしくいうもんじゃないよ」ねんえきがくちにちょっとはいって、またくらくらする。「さ、ちりょうしにいこう」ぼくはついていく。
 
 
   81
 
  よくしつはひろく、よくそうはとてもおおきい。「みずみたいなのにおゆにはいってもだいじょうぶなの」「こいからだいじょうぶだよ」
  あたたかい……
  あめにぬれてからだがつめたかったことにきづく。「きみ、ぶるぶるふるえてたよ」
  みずのながれるおと、しつど、しずくがたれるおと、よくそうのうえのくうきのつめたさ。
  かれはうでやあしをひらいてまっていた。ぼくはすっぽりおさまる。ねつっぽいねんえき。「いまからからだぜんぶをぼくのなかにいれることになるけれど、あんしんして」
 「わっ」あしからどぷんとしずみこんでねつにつつまれていく。はあっとはくいきにゆげがこもり、かれはわらっていた。おしりのほうからうしろにさがっていく、こくて、ぶあつくてふかい。あこがれやあんしんや、そういったすばらしくて、とてもてがとどきそうにないものが、たくさんつまっている、やすらぎ。さいごはかれがやさしく、ぼくのあたまをおしこんだ。
 
 
   82
 
  ひだりほお……みぎみみ、ひだりあし、……みぎうで、くろくなっていたところのひふがほどけてなかみがもれだしていくかんじ……「ねえ、ちをだしすぎてしんじゃったりしない?」「いまきみのからだをちょっともらってまたつくりかえているんだよ、しんじゃったりはしないな、いたいのはいやだろう」うん、とうなづいてみる。
 
 
 
     ぜんぶをうけとめようとする
     ただのみえっぱり、よくばりなんてことば
              をつかうかちすらない
     ふかくて、
     とてもじゃないけれど
     いきがつづかない
 
     だれにめいれいされたんだ
 
     ごめん…
     なんかやるきがでないんだ
 
      ごめん…
      ぼくってそんなにきのきいたこと
                いえないからさ
 
       ごめん…
       あんなにたのしそうなこと
          いっしょにいるのはつらいかな
 
        ごめん…
        きみみたいに、そんなに
               じょうずにできないや
 
     だれにきをつかってる?
     かわいこちゃんになりたかった
     それがなにかはよくしらないけど
 
     おなかがすいてくちをあけたのに
     どうしてたべものははいってこないの……?
 
 
 
   83
 
  からだのなかをうずめくちいさなむしは、ぼくをくらっておおきくなる。でもぼくは、じぶんのからだを、せっせときりだして、だめっとおもっていても、えさをあげる。おいのりをするようにちいさくまるまって「おねがいします……ぼくをたすけてください……」とか「ぼくをちりょうする、すてきなくすりをわけてください……」ともごもごしゃべる。
 
 
   84
 
  ゆったりしたちょうしで、かれはうたっていた。みみのなかを、げんのしんどうがとおって、からだがぜんごにゆさぶられる。せぼねがぐにゃりとなって、ちょうどよいところにつぎのおとがきて、それにつかまる。ころころころがって、りょうりされていく。なかにいるぼくも、おんなじきもちになって、ぐっすりねむる。からだをさすられて、いしきをとばす。
 
 
   85
 
  まだよくしつにいた。おとがはんきょうして、くうきのながれるおとに、あんしんする……。かれのひざのうえにあたまをのせてもらっていて、ちょっとわらった。てごろなたかさできにならない。「ありがとう……すこしはきぶんがよくなったよ」「からだみてごらん、すっかりきれいにもとどおりだ」あかりにすかしてみると、まっしろ。すっかりぼくだ……
 
 
   86
 
 「なぜふるえているの?」
 「ぼくふるえている……?」
 「うん、すごくこまかい。あたまはくらくらしない?」
 「なにをみているの」
 「ぼく? きみの、たましいかな」
 「どんなふうにみえる……すきとおってるのかな」
 「まさか」かれはわらった「にごってるし、とってもくさそう」いつもぼくのしらないところで、すっかりせかいがまわっている。
 
 
   87
 
  さあっ、もうすっかりおそいしねむろう。ぼくはとたんにこころぼそくさむくなる。だいじょうぶだよ、ねっとりしたねんえきがかたからせなかにながれる。むねにむかってながれる。けれどゆかまでおちてこずに、ぼくにしみこんでいく。あつくうわついたねんえき。よくしつをでるといっきにかんそうしていて、めからなみだがでそうになる。いきがしやすくなって、かわいていった。ぼくたちはすみっこをあるく。かべにてをあてて、なだらかにすすんでいった。
  となりのかべにつくと、すこしたかいいちに、てつかなにかでできたとびらがあった。
 「このさきがねるところだよ」
 「とってもせまいんだね」
  ひろいところはすき、ときかれたから、あたまをふって、ひろいところにいると、しんでしまいたくなるんだ、といった。
  とびらはおもい。くうきとそうでないところをわけているんだろう、まじりあわないように。あいたさきにあるのは、ねっとりしたふかみのあるくらがり。
 
 
   88
 
  ふわふわしたまくをぬけると、かれがひろがってまっている。すっぽりおさまって、えきがそそぎこまれる。
 「あ、あ、あつい……」つかむうでのひくひくとしたうごき、けつえきのながれ、ねつ、すべてがかたいおりになってぼくをしめつける。ふたりがねころぶと、もうみうごきできない。おくゆきはあるけれどたかさはない。かれがあしでとびらをしめた。
  くらがり
  あおむけになると、ぼんやりてんじょうにほしやつきのもようがうかぶ。どんどんせまってきて、つぶされそうになる。こんなけしずみのぼくにそんなことしてくれるなんて、やさしいんだなあ。
 「ぼくたちは、ひるまになればあのうっとうしくてじまんしたがりのたいようにやかれてうつむくようにおしつけられている、よるまになれば、それまでだれもたすけてくれなかったほしが、つきのめいれいでいっきにまたたき、ぼくたちをあざわらう。あのてんのひとつひとつが、あくいなんだ……」「こんなのをみるのはやめよう」かれがてをよこにひくと、ほしはきえて、ぼくたちのすがたになった。どうくつのなかのみずみたいなみどりのわくせんは、じゆうにはしりぬける。
  せなかにぬるいまくがあたる。「ねるとえきがそそがれて、からだがうく。そのなかでねるんだ」
 「くすりは! ちゃんとあるの……あれがないとさいきんぜんぜんねむれそうにないんだ」
 「かんたんだよ、ぼくのからだをのめばいい」
  ただじっとみつめるしかない。
  ぼくにおおいかぶさるかれのはなのいろ……
 
 
   89
 
 「きみはぼくのなまえをしっている?」
 「しらないよ、そんなこと」
 「ぼくのすきなたべものは? きらいなこと、よくすること、どうしてこんなすがたになったのか」
 「しらないって、だってきいたこともないんだもの」
 「でもしろうとしなかったじゃないか」「くるこくるこ、こんなちょうしだもん、ほんと」
  かれはじっくりからだをおろしてくる。はじめにあしのつけね、おへそのしたから。「やめて、なんかながれだしてるみたいだ……」「くちですってもいいし、おしりのあなにいれてもいい、どんどんとけあっていくんだよ」
  からだにこげついていく、こうばしいにおいがして、まどろんでいく。せぼねはやわらかくとけ、おもさでせなかにしずんではりつく。ぴったりはりついたところから、ぼくはおわっていく。かわりにかれのはじまり。むねのあたりまでやってきた。だきよせられてういたからだはしょくざい。あたりをみまわせばみどりのとりあわせのやさいと、あざやかないろのソースでちょうわをとる。ぼくはきょうりょくなちからでおしつぶされている。ああっ、はいぼくをあらわすためにあげたひだりてにも、からみついて、うまる。
 
 
   90
 
  このまとわりつくかんじは、あるいはふゆのさむいころにふくをぜんぶぬいでしまったときのはだのうえになめらかにはしるねつ、あるいはあめあがりのひのどうろからわきたつあぶらっぽいあめとしっけのにおい。いきをとめようとおもったことはなんどもあった、りゆうはとってもちっぽけなものだけれど、そのたびにあきらめてしまっておおきくすう。なんなら、いかしてくださってありがとうございます。といってしまうんだ。
  ぼくはびちびちせなかをうちつけつづける。いたかったらてをあげてください、という、あげてみたけれど、はずかしくなってすぐにさげる、そんなかんじ。はいてしまいそう。のどおくのつるつるしたかんしょくが、うらがえってぼくのそとになり、かたくかわいたけがわとひふが、うちがわにはいってちくちくする。ふといなにかがからだのうちがわのくだをいっぱいにひろげて、なまあたたかいえきをだしつづける。くだのつるつるしたももいろを、するどいつめでひっかきたい。なまぬるさのなかに、ふっとうするちをたらりときょうちょうしてすずしいかぜをかんじよう。
  ぜんしんはぴりぴりふるえる。こうするときもちがよくなるんだよ、ということをよくしつでまねをした。はじめてのとき、よくそうのふちにつかまって、だらだらあせをながしかおをいっぱいにしかめてたえた、そのあとも、うずきはおさまらなくて、ぼくはへべれけになった。とことわのあんしんはどくだった。あのきれいなきいろいはなにはどくがあるらしいけどくすりにもなるらしい。しらないことばっかりでほろほろこぼれるぼくのえき。げろくさいなまあついどろっとしたぴんくいろのえきがぼくのすべて、はなしかけてもけんもほろろ、ぼくがやってもけんもほろろ……。なんにもきょうみがわかないみたい……
  ざまあみろ、といわれた。だれに?
  うねうねとうごくひかりのわのなかにいて、ふいにからだがういた。うまれるまえの、きゅうでんにいたころのきおくは、すっかりかわいてけしずみになってけしとんだ。ここからさきはおぼえていない。
 
 
   91
 
 「おはよう、……ちょうしはどう?」
  ぼくはひさしぶりにだれかになまえをよばれたようなきがした。ぜんしんはびりびりけがかたまってぐたぐたになって、ないぞうの、いきものをきったときの、くろぐろとしたむねのうちと、ハッピーなあたまのなかがいっしょくたになったにおい、うでをぺろっとなめると、かれはうへぇといった。
 「そんなにおかしかった? でもなんでぬれてるんだろ」
  てんじょうはさらさらかがやくれいのおおきなろっかっけいのへや。しんしつのとびらはあいていて、とうめいなえきをはきだしおわったところ。きりかぶのみきのようにひろがっている。うごくとぺろぺろしたおとがする。
 「そりゃあぼくらがあのえきたいのなかにいたからだよ」かれはねんえきでできているからかしら、ふつうのままだ。
 「あじはどう?」
 「しょっぱいかな……あとはにがい」
 「いきものってのは、しょっぱいかにがいかてつくさいか、これしかないんだ」
 
 
   92
 
  めざめはこのころではいちばんいい。つかれはない、というかんじで、たいようがまたのぼる、というじじんのくらい、きぼうとゆめがぼくのなかにつまっていた。どんなものごとも、きちっとせいりがついて、わけて、しまうことができた。またよくしつにいく。ぼくはかれのくちのあじがしりたいといった、いや、いってない、おもっただけだ、でも、ひょうじょうにでていたのか(どんなふうにみえたんだろ)、こころよくおおじてくれて、かおをつかまれて、いきができない……
  ねっとりした、とけかかったアイスクリーム。ゆめのつまったあじ。ぼく、じつはかいねこにあこがれていて……。くびをまっすぐにされてながしこまれる。うんうんうなって、はなからいきがぬけていく。くちをとじようとおもっても、えきはふくざつにかたくなったりやわらかくなったりをくりかえす。そうげんにいるきぶん。あーんとして、えさをいれられるきぶん。くものみねをみたきぶん。こかげにいるきぶん。せかいがちいさくなって、ぼくたちだけがいるきぶん。
  ちゅるちゅるとおとがしてなまなましい。みずとねんまくがはねてぶつかるおとは、きいているだけでへんてこなきぶんになった。いろをうしなって、ちがうところにとんでいった。
  ひきはがされたとき、ぼんやりあいたくちからねんえきをないているみたいにだらだらたれながし、へなへなちからなくゆっくりしたにむかってしずみこんでいく、はなすじがかれのからだにあたりつづける、ぼくのいどうしたせんじょうがついて、まえのめりにたおれこんだ。そこからはく、ただはく。かれはいとおしそうにぼくをみた。めはしんあいのはーとのしるし、まとうきもちははつじょうもよう……。
  いっぺんはくごとにじょうきょうはいっぺん。びくんびくんと、むねをおさえてしずめようとする、きもちがよくてしかたがない。けしきがゆがみだした、ぽろぽろながすなみだはあめあがり。ふらふらこぼれることばはみなみかぜ。すっとてをだすかれ。にぎる。にぎったてがどろどろにとけているのにきがつく、どうしよう、かんかくがないんだ、かたいかわをまったくわすれてしまった! おちついて。さざなみは、おおきなはもんにたべられる。でもっ。
 「うあっ!」
  ようしゃなくのびるては、のどのおくをこすっていた。そう、そこ、あ……あ、
 「どうしてもゆうことをきかないこには、もっとおいしいおやつをあげるのがぼくのかんがえなんだ」「そのかわり、どうとうのかちはもらうけれどね」
 「あり、あっ。ありがひゅお、あ、ひゅ、う、ございな、ああ、す……」
  げろのうみにとびこむ。ぼくのための、かってにゆれてくれるゆりかご。
 
 
   93
 
  めがさめると、ほんがいっぱいのへやにいて、しっけていていきがしやすい。ゆかにはじょうとうなえんじのじゅうたん、あしでさすってみるときもちいい。ふかいきのつくえにむかって、かれはかきものをしていた。
 「おはよう、ねちゃってた……」てをかくにんすると、いつもどおりのやわらかなしろいけがわ。
 「ここはおべんきょうとか、ほんをよんでちしきをつけるためにつかうへやだよ、あっちのとびらはしょくどうにつづいている」
 「ぼくがおきるのをまってくれていたの」
 「……うん、つれていきたいところがあるから」
 「うれしいな、なんか、でそうだよ……」
  かれはずん、とせまってきて、よこになっているぼくのうえにとびのる。「なにかでるの、ならぼくにもみせてほしいな」ぐっとくびがしめられる、ああ、いっ……さいこう……。「かおあかいよ」「ねつがあるんじゃないの」
  なつかしいおんがくがながれる。くるしそうなかおつきになって、すぐにもどった。なみのうちよせるあいだのじかんくらいのみじかさ。
 「さ、そとにいくよ。がいしゅつ、だね」
 
 
   94
 
 「みえる? ねぼすけさん。ここからでよう、とおもっても、まくがあってでられない。はいるときはかんたんなんだけどね、だいたいそんなもんだろう」「たましいのない、ただのからだならつつぬけなんだけどね」
  かいだんをのぼっていったさき、たしかにさわるとぶよぶよしたものがあってぬけることができない。
 「ぬけるほうほうはかんたんだよ、ぼくはぬけられる。だからぼくのからだのなかにうまればいい」
  もうせなかにまわっている! ぼんやりつきだしたにほんのうで、もごもごかんがえているあいだにしっぽからうまって、おしりにはっとつめたいかんしょく。じわじわのみこんでいって、らせんじょうにたかまるはずかしさとまんぞく。
  ふくをぬいでも、いちどまとわりついたきおく、せんざいのにおい、どうみられたかというかんかくははっきりのこる。まくをぬけてするっとかれははなれた。うでをぺろっとなめて、かためだけいっしゅんつぶった。
 「きみのあじはもうすっかりおぼえこんでいるよ」
  おかねをはらったようにぼくがすきなことばをいつもくれる。
 「あとさ……」きりだす「どうしたの?」とぼく「このねんえきのいきもののぼくがまちをあるいたらめだっちゃうよね、いれものがいるんだよ」「つまり……」
  かたをがっしり、ちからづよい。「いたいよ」「がまんしてね、いっしゅんだから、まばたきとおなじ」いきをすうとなまぐさいねんえきのにおい、するっとがばりとくちをあけさせられ、ようしゃなくはいってくる。つるつるのどおくをすべってゆき、なみだめになる。とめようとしてもえきたいにつかむとってはない。ん、んん、……げほっ、うえ……
  かすれたこきゅうをすうかいする。あたりにはとびちったしろいてんてん……。むねをかきむしっても、ぬけるのはぼくのけ。
 「おいおい、しっかりしてよ。ぼくのからだのかわになるんだからさ」
 「くちをかってにうごかさないでよ」
 「ほっぺたのぴりぴりしたかんしょくがいいね、たいくつしない。さあっ、いっぽいっぽあるいていこう、こんばんのおかずをちょうたつしようね」
  ずがいこつのうえにのったにくは、ひきしまってきんちょうしている。きちっとしたにたれてしまって、かれはきにいらないのかようくほぐす。「せっかくのかわいらしいおかおがだいなし」はりついたかわのうちがわでとろんとしたねんえきがたぷたぷと、なみなみそそがれていて、ぼくととけあう。さかいめがなくなって、じいんというかんじょうのはもんが、ちいさくねつをもってひろがった。そとはまだあめがふっていた。はしのしたは、しめったどろのいいにおいがする。
 
 
   95
 
 「かりはね、とてもじゅうようなんだ。このからだをたもつためには、みんなからあつめられるげろをのまないといけない。けれど、ひんしつはまちまちだし、なにしろあうあわないがあるからね、いつもたりていないんだ。おなかがすいてこころぼそい……だからこうやってまちにでむいて、きにいったこをさらうんだ。からだじゅうのあなというあなからしみだしたねんえきが、もくてきのこをつかまえてえいようにする」
 「……そん、なばけものじみたことしてるの……」このむねのいたみ。
 「いまだってきみをえいようにしようとおもったらできないことはないんだぜ」「けれどそんなことしないよ。きみはちかせかいにあらわれたてんしさんだから、まばゆいすずしいあたたかみのあるてんしのわっかをつけてやわらかくあめでとけそうなてんしのはねをせおった、ぼくをたすけにきてくれる、ね」「まずはきっさてんにいこう、きみもおなかがすいているでしょ」
 
 
   96
 
  みどりいっぱいのおみせのなかを、かれはずんずんすすんでいく。めまぐるしくかわるけしきをぼくはあじわう、ごつごつしたちょうこくがいっぱいのだいとかおっきなはっぱのかたちとか。
  どすんとまどぎわにすわる。あかるい。そとはうすいカーテンごしにみえて、いやなもの(きたないとか、みにくいとか)をかくしてくれていそう。すわるなり、かれはなれたちょうしでふたつかみっつくらいちゅうもんしていた。にこやかにあいそわらいとかもしていて、ぼくのきんにくがうごく。
 「なかなかよさげだろ、きみもこうやっていつつくらいはきにいったばしょをよういしておかないといけない。あるていどのおおきなとおりにめんしていて、それでもすいているところ、ずっといるためにね。とおりをじっとみて、きにいったこがあればおぼえておく。すぐにおいかけていってもいいし。まっ、ちょうちょとかねずみをつかうのがふつうか」「ひるまにでているつきってふしぎだね、あいつだけ、たいようでもないくせいにおちてこないんだ……」
  うらやましそうに、ぐぐっとあたまがおそらのほうをむいた。ほねがぽきぽきなる。
  かれはちゅうもんをすませると、ほおづえをして、ぼおっとまどのそとをながめていた。くすんだめだまのいろばっかりだ、といった。
  れいぼうはきちんときいていたけれど、ぼくのしんぞうのなかをとおってぜんしんの、あしのさきとかあたまのおくそこまでいきわたっているかれのからだのことをおもうと、ちがいっぱいにつまる。
  やってきたおりょうりはいろとりどり。おやさいがどろどろになってたべごたえのあるスープとか、かまなくてもいいからすごくらくだった。
 「おいしい? ぼくもまえはすきだったんだ、ひさしぶりにたべると、なかなかいいね」
 「なんか、こう、ものすごくちかくでしゃべってもらいたかったんだ、ずっと……それでね、」「……えっと、みみのすぐよことかで、はなすときにでるいきがかかって、なんて、ずっとあこがれてたんだ」
  ゆめがかなってよかったじゃない、といわれた、おなじくち、おなじのどをふるわせて、まったくおなじこえだ。
 
 
   97
 
  ほらみて、あのこ。あたまのなかのこえだった、こていされたしせんのさきに、きれいなみどりのいろをしためのこがいた。「ふさふさだね、すっごくやわらかそう」「たぶんにくしつもいいとおもうよ、おいしそう……」とおりすぎてきえていった。「どうするの」「あわてないで」
  ぼんやりひらかれたてのひらから、じわっともりあがったひふ。たちまちしろいねんえきがたっぷりしみだす。やがてこんもりしたかたちがねずみのかたちにかわっていく。「こうやってねんえきをきりはなしていろいろおしごとをさせることができるんだ」ゆかにちかづけていってぽとりとおとす。さっとはしっていっていっしゅんしかみえなかった。「これであのこにはしるしがつく、あとはあっせんじょのたんとうのところがきっちりこんぽうして、ぼくのところまでとどく」
 「あの……、ねえ、どろどろにとかしたり、それをのんだりするのは、きもちいいことなの……」
 「きみはねむったりしょくじをしたりするときどうおもう、それをやめるとからだがおかしくなって、にどとやめられなくなるくらいきもちいいよ」
 
 
   98
 
  こうかをすうまいおいてかれはたちあがる。「もうもくてきはすんだからね、つぎはちょくせつおむかえにあがろう。きみはどうおもう」
 「ちょうどばけものじみたことをやってみたくなっていたんだ、なんか、もう、つよいかんじょうでみたしていたい、からっぽを」あそびかたは、べつのだれかからおしえてもらえばいい。
 「いいこころがけだね、なにかでいっぱいにしてつねにあふれさせておけば、すくなくともかわいてしんじゃうことはない」
 
 
   99
 
  ぼくはうきうきしながら、かれのむかうさきをたのしみにする。ぼくのからだはかってにうごかされている。いとでぐるぐるまきにされたいのは、そのいっぽんいっぽんがちがうだれかにつながっているからだ。
 「ずっとまえからめをつけておいたんだ。ちょくせつへやでくおうってことで、おうちまでしらべてもらったんだ。ちょうどきみもいるし、わけあいっこでもできたらいいね」「こんなにはやいだんかいから、こうやってひとりでもいきていけるというのはきけんなんだよ、さっさととりのぞかないとね」
 
 
   100
 
  かんじのいいいりぐちだった、かれはべろっとぼくのからだからでた。げほげほやって、のどをかきむしる。「ちょっとかるくなったかな?」ぼくのおなかをさすって……のこりはこのなかだね、きみのくさいよだれをかんじるよ、ちとか、しぼうとか、まくとか、そういうにおいをね。くちをもごもごやって、よだれでのこったねんえきをのみこんだ。はらにどすんとたまって、しあわせになった。ながしばのほうからゆげがでていて、おやつのじかんかな?
 「おちゃをのむひだよ、ぼくけっこうすきだったな」
 「ずいぶんまえ……?」
  いやらしいしつもんだったみたいで、ちょっとぷんすかしていた。はなをつままれていきができなくなった。くちはべっとりふさがれた。く、くるしいよ……「くせのわるいかいいぬには、しっかりしつけをしないとぼくがわるいことになっちゃうからね」「ほら、きみのほうからこえをかけな」
  つんとせなかをおされて、とびらをあける。ぼくは「やあ、こんにちは……」といった。けれど、「こんにちは」なんてしっててもなかなかつかわないなあとぼんやりしていた。「ごめん……、なかないで」どうしてだろう。このこはとつぜんほろっとなみだをながした。ちかよってなめてみるとしょっぱい。くさったけのにおい。ゆうぐれのさいごみたい。
 「ど、どうしよう、ぼくどうしたらいいかわかんない……」
 「せなかをさすってあげて、おなかどうしをさすりあわせればいいんじゃないかな」
  ぼくはかれのいうとおりにしてみた。あったかなおなかどうしをかさねると、ぼおっとちいさなたいようができる。じょうげにうごくと、うるんだめだまのおくに、たしかなみずのながれをみつけた。そのままゆかにおさえつけて、またおこす。べろをとりだして、はなのあなにとんとんとふれてから、さしこんでみた。ふるえていたけれど、どんどんおちこんでいってにどととりだせないへんかになっていた。しんしんふるゆきは、あったなかてのなかでみずになる、すすってもあじなんかしないみずに……。
  ちいさなかたがぼくのあごのすぐしたにある。やわらかくて、おいしそう。けもののははきば。くちをおおきくあけて、がぶっとかぶりついてみる。はぎとったりはしない、ただあなをあけるだけ。しんぞうはぴょんとはねた。ぼくのむねにおしつけられつつ。ゆびでまわりをおすと、しろいけのまわりがにじんでいく。めんどくさくなってべろでおしてみる、なかなかちょうどよいりょうがしぼりだされて、ちをすこしのんだ。みみのうらで「ばけもの……」というこえがした。うれしくなってもっとかんだ。「ひっ」とみじかいこえがして、すぐにとまって、なんだろうとおもうと、かれのてがすっかりあたまをひろがっていて、ねんえきのなかにあった。
 「このこのたましいはどうなる?」
 「こわれるね、もうなんにもかんじない、なんにもかんじないとかんじるものがない」
 「うらやましい、ぼくもはやくそうなりたい……」
 「でもちょっといたいとおもう。いきができなくなるし」
 「いたいのはやだな……」
  ぼくはあのこがのんでいたすっかりさめたのみさしをのみつつ、じっくりながめていた。ときどききもちわるくなってめをそむけると、「ちゃんとみてべんきょうしないと」と、べとべとのてでむりやりむかされた。きもちわるくなんてない、どきどきして、むねをうつ、けつえきのうねりにたえられなくなってそむけてただけなんだ……あとはかれにさわってほしかった、なんなら、のうみそのなかにもはいりこんでほしい……。
  あたまのほうはもうべちゃべちゃでただのまるがあるだけ。かれはうしろにまわってうまのりになっていた、おしりからせなかにむかってぴっとりついている。こうするとからだのまえうしろがそろってたべやすいらしい。ろうそくがとけるみたいにじわっとひろがっていった。さいごまでぴくぴくしたうでがじっとなってしずかになる。にかいいきをおおきくはいて、げろをちょっとこぼした。
 「すごくきぶんがいいよ、すっきりめがさめたあさみたい」
 「なんか、ぼく、みててたのしかったな……」
  ちょびっとてをにぎって、あったなかどろどろにさわった。こっちみて、といわれて、なんだろうとむくと、くちからあまったぶんのねんえきをいれられる。くちのはじからもれてたれて、さんかいくらいきもちよくなって、そのままねむる。
 
 
   101
 
  おきると、くちいっぱいにおかしのあまいあじがしていた。
 「あれ、なんかかいぐいしてる」
 「いったろ、からだがいるって。かってにきもちよくなってねむるなんてひどいね……こらっ、かってにへんなほうむかないで、ぼくはかわのすいめんをみてるの」
  むねからはっせられるしんどうが、ゆびさきまでつたわっているのをかんじるのはおもしろい。このうねりに、かれのねんえきもくわわっているとかんがえるとなおさらだ。
 
 
   102
 
  かえるとしょくどうにいろんなスープがおいてあった。どれもつめたくて、しょっかんがいろいろちがっているやつ。だれがよういしたの、とふあんそうにたずねると、あっせんじょのところのたんとうのこがしてくれるんだよ、だいじょうぶ、ぜったいすがたはおたがいみえないようになってるから。
  ふうん、とかえして、つめたいのどごしをつるんとやった。かれはずっとおくられてきたこびんをあけてなかみをのんでいた。「そうだ、ちょうしもいいし」げろでつくったちょうちょをいっぱいとばしてくれた。あかりにはんしゃして、なんどもにぶくひかる。はなのさきについたやつはそこではじけて、たれたねんえきをぼくはなめる。
 
 
   103
 
  おふろにはいるとき、ぜんしんまっしろのけでおおわれていることをおもいだす。それをつたえると、「じゃあぼくのからだがねんえきでできてるってこともわすれてるの」
 「はあっ、やめて、しずんじゃう……」
 「かわいいらしいね、てのひらってかんじ」「ぼくがさいきんどんなきもちだったかっていうのをしるいいきかいじゃないか。もらっておいてそんはしないとおもうよ」
  てあしのまわりにはりつき、おへそまわりをつつむねんえきはぬるい。ぼくもおふろのおゆでそうとうあたたまっているせいだろう。なんだかなまぐさい、なまぐささからくささをとりきったにおい、ないぞうのにおいがする。ふかい。ぶよぶよのりゅうどうするひふのかんかくははじめてでとらえどころがない。ぬいぐるみのなかにはいったような……、とつぜんぶあつくなったにくのそうに、からだのうごかしかたはへんかする。
  てをのばして、ぜんぶはきだそう。
 
 
   104
 
  けっきょくそのままでねむった。たらたらあせがながれて(でもそれもけっきょくねんえき?)、ねていたところがべっとりしていた。かれはすべってでていって、ぼくのうえにのる。すうかいべろをつきあわせた。あいさつ。
 「きょうはにわにいこう。たいくつなんてかんじたらおしまいだ」「ちていにあるみずうみ、あおぞらのようにみえるはてしないてんじょう、どこからかさしこむひかりでてらされ、くさばながたくさん」
  てをひいてつれていかれたのは、にわ、とよんでいるところだった。とびらがあいて、みえたけしきにむかってひかりにむかってぼくはわーっとはしりだす。
  ちゅうしんにこだかいおか、あわいいろのそうげんは、みずのながれにゆれている。うまってしまったくうかんをあるくのは、もぐっておよぐことににていた。そしてしろいさかなが、しんだようにおよいでいる。あおいひかりは、ひだとなってむこうからこちらにやってくる。なんどもぼくをつきぬけていった。
 「ほら、さかなをみよう」
  おがわにはさかながおよいでいる。いっぴきにひきさんびきよんひき……ごひき。もっとたくさんとおくもいれるといる。
 「かわいいね」
 「うん……、なんかかぷかぷしている」
 「いいことおしえたげる、みてて」
  みずのなかにうでをつっこんで、ねんえきをさかなにあげた。さかなははじめなんともなかったが、すぐにぶるぶるふるえだして、おおきくぼうちょうをはじめ、いっしゅんけもののすがたにみえたが、はぜてただのしろいろになってながされていった。
 「これって……」
 「ぼくのねんえきをにんげんがたべるときみたちみたいなけものになる」
 「にんげん……ってなに」
 「とぼけるな」「いらいらするんだよ、きみみたいなくずをみていると」くびをしめられてぼくはこえをだせない。「え、え、どういうこと……ぼく、きずつけちゃったらあやまります、おしごともするよ、だから……ぼく」
 「しゃべらないで」
  めになみだがうかんできた。あたまはつよくうったみたいにいたみがして、はりさけそう。すきまからもれだすきいろいしる。
 「きみたちのげろはぼくのえいようになる。ぼくのげろをにんげんにのませるときみたちになる。きみたちのげろをきみたちにのませるとからだがくろくなってこわれる」「このせかいのためにぼくはひつようとされている。だからいろいろなけんりがみとめられているんだよ」「とうかつしているのはあっせんじょのやつらだけれど。もくてきはあいまいになっていくんだ、そもそもないから。ただつづけようとしているからつづいている」
 「さて、いろいろしゃべったけれど、これだけはいってなかったね、ぼくのげろをきみたちがのんだらどうなるか……」「どうなるとおもう?」
 「えっと」ぶんなぐられる。
 「しゃべっちゃだめっていってるだろ、くず」「せいかいはね、ねんえきのあたらしいばけものができるんだ」「ぼくはかいほうされる、きみにすべてをおしつけることで」
 
 
   105
 
  ぼくはなにもいうことができない。ずんずんいたむほっぺたからなみだがながれる。あくむなんだとおもう。あくむ……
 「ほんとかおいてあるへやはおぼえているだろう、にっきをつけてるからよんでごらん」
  おさえつけがなくなって、ぼくははしった、たぶん、たいくつにあけたおおきなかぜあななんだろうとおもいながら……
 
 
   106
 
  まえみた、かれがかきものをしていたのがそれだった。ひょうしににっきとかいてある。なんだかよだれとか、はなみずとかがいっぱいでている。いすにもすわらずたったままよみはじめた。
 
 
 
 
      ぼくのにっき
 
  (ふるえでページがうまくめくれない)
 
 ・ がつ にち(くうらんだ)
  ぼ、ぼくのからだ、ねとねとして、ほねがない! はりあいもないし、しんじゃう……? いたい? あ、あいつは(なんどかけしたあとがある。ちょっとかみがくしゃっとしていた)、てがみをのこして、ぼくにおくりものがあるという。おなかがすいた……、スープでおなかがいっぱいになるわけがない……
 
 ・ばんごう:いち(がつ・にちのところがせんでけされてかわりにこうかかれている)
  そ、そうだよ、ぼくもまねをすればいい、で、でもどうやって! おしえて……、はこのひもをはずし、ふたをあけると、きれいなめのえさ……。せはぼくとおなじくらい。くちにぬのされて、ぷるぷるふるえている……。ともぐい
 
 ・ばんごう:いち、つづき
  もうだめだ。ろうそくをたくさんたてて、あのねどこをつかう。きもちのおもさをしった。てつだってくれないからだは、なまりよりもずっとおもい。
 
 ・ばんごう:いち、つづきのつづき
  ……はじめて、ねんえきにかえてそれをのんだ。どうしよう、へんなきもちになった。いっぱいはいてる……いろんな、うえとかしたとか、あなというあなからはいてる、ちょうせつしてるんだとおもう。
  さいごに、このこのめはみどりいろ。
 
 ・ばんごう:に
  あっせんじょにてがみをだした。きっちりこんぽうされていて、いろいろやりやすい。さいごまでかいわできるようにしてみた。いっぱいむちゃくちゃなことばをかけられた。さいごになって、ほんしんをいえないようにできているのは、ほんとうにかなしいね……
  さいごに、このこのめはえんじいろ。
 
 ・ばんごう:さん
  たったいっかいでなれてしまっている! ど、どうしよう、びょうきかな……
  だから、とどいたあと、はさみでゆびのさきを、ほんのちょっとだよ、きってみた。おもいだしたくない……きりとられたにくのかたちがあらわれたかとおもうと、ちがうわがき。どくどく、なみになっていた、いやになってすぐにねんえきにしてたべた
  さいごに、このこのめはあいいろ。
 
 ・ばんごう:よん
  だいぶおちついてきた……わるくない、さいしょからずっとそう。
  さいごに、このこのめはきいろ。
 
 (「ばんごう:ご」から「ばんごう:はち」まではめのいろのことしかかいていない)
 
 ・ばんごう:きゅう
  てがみにへんじがきた。こんなのはじめてだ。あけると、みじかいカードに「かりにいってください」とかいてあった。それからなんしゅうかんかがまんしていたけれどどうしようもない……、そういや、あ、あいつがいっていた。ちょぞうこがあるって……
 
 ・ばんごう:きゅう、つづき
  ちょぞうこはとってもおっかない。いしのだいがならんで、みんなよこになってならんでいる。からっぽのからだはみょうにさむざむしていて、ぼくにはたえきれない……ためしにうでをねんえきにしてのんでみた、とてもまずくてくえやしない……ひさしぶりにいちどかんだものをはきだしたきがする。
  さいごに、そのこのめはとびいろだった……
 
 ・ばんごう:じゅう
  もちろんてがみはおくりつづけたけれど……もうかんがえるのはよそう。
  からだにはいるかんかくは、ふしぎ。ぬるぬるしていて、すいだされるかんじだった。でるときはもっとおかしい、いったんぼくのかたちをなくさないといけない。もうばけものっていうきがして……まくをこえてまたはいる、ひさしぶりのそとは……もうぼくに がつ にちはなんのいみもないけど……あかるくて、ぼくがやってることがきゅうにちっぽけでばかなようなきがした。
 
 ・ばんごう:じゅう、つづき
  あ、あいつがおしえてくれたきっさてんにいく。ここしかしらないし……。まどからみて、どうやってさがすっていうのさ! このまえねずみをつくろうとしたけど、べちょべちょしたすいてきをうごかすことしかできなかった。
 
 ・ばんごう:じゅう、つづきのつづき
  もうよくわからなかったから、おみせのなかをみまわした。なら、ちょうどいいのがいたんだ……きれいなくろいめをしてること、とびいろのやつ。くろめのこがべたべたしていた。たぶんきたばっかなんだな、さびしさでいっぱいになっているばか、さっさときえたらいいのに、ぼくはゆるさない。
  いっしょにたちあがる。たぶんトイレだ。ぼくもついていく。とびらをあけて、かぎをかけ……、ぼくのてをかぎあなにつっこんであける。おどろいた、まんまるとあけられためをわすれることはできないなあ……
 
 ・ばんごう:じゅう、つづきの……
  たのしい、とおもったのはこれがはじめてだった。おなかがすいていたし、しかたないよ。くろめのこはすっごくなめらかだった。のみきったとき、てんじょうをぼうっとみつめて、あかりがきらきらして、とてもうれしかった。もういっぽうは、げろにしてそのまますいどうにながした。
 
 
  ぼくはぷるぷるふるえている、てはあせでぐっしょりして、にっきちょうのはしのいろがこくなって、インクがにじむ。
 
 
 ・ばんごう:じゅういち
  かりはたのしい、ちょぞうこのからだをそとでしょぶんして、あたらしいからだをつれかえってくるのにもはまった。みんななきじゃくってぼくにすがりつくんだ、ぼくはそのたびに、じごくにいけ! とつばを……まあねんえきだけど……をかけた。みてていらいらするこたちをいっぴきいっぴきつぶしていくのは、とてもちがみちていく。
 
 ・ばんごう:じゅういち、つづき
  あっせんじょへのてがみも、ないようをかえてみた。こっちにきたばっかりなのにひとりですんでる、たぶんかれらにとってきけんなやつらはどこにいるの、ときいてみたら、ていねいにいちらんひょうがおくられてきた、じょうとうなかみのやつ。まずはうえからせめていこうよ。
 
 ・ばんごう:じゅういち:つづきのつづき
  ばあ、とおどけてみると、とってもくるってるみたいだった、けれど、やつらのほうがずっとおかしい。
  はじめにくちをふさいで、てあしにはりつく。もううごけないよ、おちついて、やさしくこえをかけた。からだのうちがわからじっくりかえていく。どろどろになったちょう、はい、しんぞう、ほね、のうみそ……とくにあたまをせめたとき、はじめのほうではからだをびくびくうちつけていた。たぶんきもちよかったんだろう。とってもおいしかった……
  さいごに、このこのめはむらさき。
 
 ・ばんごう:じゅうに
  なかなかぼくもいいかんがえをしたとおもう。ゆかいちめんにひろがってじゅうたんにばけるんだ。いっぽ、たったいっぽ。いつものとおりただいまというと、ずっぽりしずみこんでぼくがやさしくだいてあげる。こわがらないで……。でもまちぶせはひょうじょうがみえなくてつまらない。
  さいごに、このこのめはだいだいいろ。
 
 
  ぼくはにっきのいちばんあたらしいところをみた。しおりがはさまっているところ……
 
 
 ・ばんごう:にひゃくろくじゅう
  ついにきた。
 
 ・ばんごう:にひゃくろくじゅう、つづき
  にわに、いつもはれているちかのにわに、あめがふった。あいつがいっていた、わらわらていきあつだって……。ぼくはぜんしんがぎゅるぎゅるまわるのをかんじた。ようやくかいほうされるんだ、あの、あのくずみたいなだれか、に、このうんめいをちゅうしゃして、めちゃくちゃにできるんだ……
 
 ・ばんごう:にひゃくろくじゅう……
  うわついて、からだはかるい。とてもきぶんがいい。ねんえきのからだのままでいくなんてはじめてだ。わらわらていきあつのあめが、なだらかにぼくにしんにゅうしてきて、ぱちぱちわたあめみたいにはじけた。きもちよくて、なんどもはいた。
  あのおばかちゃんは、からだがはんぶんくろくなってうずくまっていた。そういういしのぞうかとおもった。なつかしいね……げろをのませるなんて。てをさしのべるとかわいらしくほおをこすりつけてきた。むかしむかしのぼくをみている。
 
 ・ばんごう:にひゃくろくじゅう……
  なかなかかわいいね、ぼくも、「こどもはなんにんほしい?」とか「なまえはそうだんしてきめようね」とかいいたくなった。よだれのあじも、ぼくごのみ。
 
 ・ばんごう:にひゃくろくじゅう……
  つれかえっていろいろなことをおしえる。やっぱりからだのなかのいごごちはさいこうだった。だれかをたべていきていくことしかできないやつら……。それに、やつのはくげろはとてもおいしいし、からだにものすごくてきごうしている。あるいているところをみても、ゆめばっかりみているのかしら、とおもうほどふわふわしていて、ぼくがやつにきもちよさといばしょをあたえるということいがいになんのきょうみもないみたい。
 
 ・ばんごう:にひゃくろくじゅう……
  なにかをおしえられたり、なにかをされたり、よろこばされたりするだけのかちが、きみにあるとおもってるの?
 
 ・ばんごう:にひゃくろくじゅう……
 
  こんにちは、
  おつかれさま、のほうがいいかな
  よくここまできたね
  さあ、うしろをみてごらん
  きみは
  えいえんにしあわせだ
 
  ぼくは、
  きみのことがだいすきでしかたがないんだよ
 
 
  ぼくは、
  ふ り か え っ て ……
 
 
   107
 
 「やあ、こんにちは、きぶんはどう」のびたかれのりょうてあしはすばやくぼくにくいつき、まばたきをしたあとこうとうぶにつよいいたみ、ほそいあかるいリボンがめのまえにただよう。くびをこりこりといたみつけられてひゅうひゅうゆう。かれはわらっていた。にくしみをすべてたれながしぼくのはなのあなをふさぐ。そのままほっぺたにいっぱつ。きばでくちのなかがきれてしょっぱくつめたくなる。「だいじょうぶだよ、ねんえきのからだになればはものできれることもなくなるし、そもそもけがもしなくなる」あしをばたばたさせてもゆかにぶつかっていたいだけ。つかもうとしてもねちっこいねんえきがてのうちにのこるだけ。ゆかにしかけがあったらしい。てあしがこていされた。あばれているうちにうでがきれていたい。つづいてすぐにくちのなかにくだがいれられてのどのおくまでおしこまれる。しろくなっていく。「だいじょうぶ、いきができるようにつくってるから。まずはねんえきをいっぱいのんでもらわないと。はなしはそれから」「ぐ、う、んんんん! っんぐぅ!」くるしいしいたいしへんなところにあたってかゆいのにとりのぞくことができない。どんどんはらのなかにたまっていって、くだがすいあつでびくびくゆれる。ああ! あつい、いたみやかんかくがぎょうしゅくされていって、へんかがはじまる。ほねのかんかくがない……、ちからをいれてもはんのうするところがない。「おっ、さっそくねんえきになりはじめたね、しあわせでしょ、ぼくのときなんてうれしくってなみだがでたよ」おなかをおもいっきりふみつけられる。「ぐはっ」くだのうえのほうでぎゃくりゅうしたねんえきとぼくのちがまじりあってぴんくいろのにくになったのがみえた。「こりゃいけないね、もっとあつをつよめないと」よりいっそうはいりこんでいく。からだがおいつかなくなってへんなけしきがみえて、おなかがふくらんでいく。ぜいぜいいきがしてぐるぐるおなかがなる。もうなにがなんだかわからない。てあしのかんかくがなくなった。べちょっとひろがっている。「おっ、いいかんじだ。もうきみのなかにはいれるね。からだをたもつひけつは、おしりのあなをしめるくらいのちからかげんと、からだをいめーじするちからだよ」かれはうでをへそにつっこんで、とけあわせる。「んん! んん!」むりやりからだがかたまってかたちづくられる。ああ、ああ、ぼく、ぼくのからだ、おしまいだ。いろいろのこうそくがはずされた。けれどそのままぐったりとする。いたみがひいてきた。くちのなかなんてきったっけ。ほおのいたみ、おなかのねつはとんでった。「なかなかいごごちがよさそう、とってもうれしいよ」ぐったりとけたからだをかかえおこす。おへそどうしをせっちゃくさせて、ぜんごにこすりつけはじめた。「あ、あ、ほら、きみもきもちいいでしょ」「や……やめ、て」こすりつけはとまらない。なにかとがったのがおしつけられて、まくをぽしゃんとやぶってなかにはいってくる。「あっ……もう、おかしくなるんだって……」ほっぺたがあかくなって、ちのめぐり? がよくなっているひょうじょうと、くちからふらふらとでてくるゆげとかんじょう。かれがよりいっそうぼくをつかんで、ふっとうしたねんえきがぼくにそそがれた。ぎしきはそれだけだった。たちまちこわばったぼくはとけて、だらりとふたたびよこたわる。もみてをして、あしからつかっていった。おふろにはいるみたい。ぼくはうけいれるしかない。いしつの、かたまったふるいどろどろと、しんせんなねんえきはなかよくとけあっていく。はんぶんはいった。かたうでが、りょううでが、かおだけ……。「さいごに、いい?」「ぼくきみといっしょになれてすごくうれしいなあ……!」
 「うそつけ」
  にやりとわらって、
 「ざまあみろ」といった。
  ぽちゃんとあたまをしずめた。はもんもできず、かれのからだはなくなった、たましいはこわれた。かいほうされた。
 
 
   108
 
  ぼくはへんかについていけない。あるこうとしたらあたまからおちた。べちょっとゆかにぼくの、ぼくのねんえきがついてちょっとからだがへった。もったいなくなっててでふきとった。あ、ああ。きぶんが、わるい。いっぱいはきそう。けれどのうみそのはこのなかではいってくるってしまっていて、まったくからだのそとにとりのぞけない。
  しょ、しょくどうにいこう。ここにいたくない。でもどこかすわってつくえにのかってきゅうけいしないと……
  しょくどうはだだっぴろい。いすがたくさんあって、つくえはながい。そうしたら、つくえのまんなかにふうとうが。ぼくははらがたった、くやしくなった。ぼくのむねめがねてなぐりかかったけれど、ぐにゃっとうでがしずんだ、きもちわるくてえきをこぼした。またてでかいしゅうした。
 
 
  よかった、これをよんでるってことは、ぼくはうまくにげきったんだ
  にくまないでくれよ、ぼくもおんなじきもちだったんだから
  きみはしょしんしゃでいっぱいこまるだろうから、しんせつなぼくはすごしかたとかおくりものをよういしました。どうぞたのしんでください
 
 
  つづくにまいめからよんまいめはいっしゅうかんのよていひょう、するべきことがかいてあった。くしゃくしゃにちぎってしまおうとおもったけれどやめた。ぽろぽろないた。
  そしてごまいめ、ちいさなカードに、「ろっかっけいのへやにおくりものがあります」とある。ふらふらむかう。しんだひとみたいに……
 
  へやにはいってすぐきづいた、よこたわってる! からだ! おいしそうな!
  めのいろはあお、こんなすきとおったかがやきなんて……きっとやってきたばかりのこなんだろう。うでをあしをしばられてうんうんうなっていた。めにいっぱいなみだなんてためてしまって……
  ちょ、ちょうどおなかがすいてるんだ。いっぽいっぽちかよる。ぼくにきづいて、さらにぼくのおかしなところにきづいて、がくがくふるえている。しんどうがゆかをつたってあしにかんじる。
  こわがらないで、おともだちだよ。やさしくこえをだした、ぼくはあたまのなかで、はなのあな、ぼうこうにつづくあな、おしりのあな、のどにつづくあな、からだじゅうのあなにねんえきをそそいでくらうところをかんがえれ、ぶるぶるこうふんでふるえている。