[[活動/霧雨]]
**隠遁者と砂漠 [#bd1bc823]
鮎川つくる
詩人Iへ捧ぐ
1
薄らと眼を開けると、朗らかな卵黄色の日の光から鮮やかな寒色の目立つ、わたしの庭が見えてきました。すっかりはげ上がった頭に、冷たい風が吹き抜けて行きます。往来の多い大通りから階段を下って細い川沿いにあるこの庭まで、豊かな喧噪がゆったりとたゆとうています。この微睡み、安寧への訪問は簡単なことです。滑り止めのほそい溝がたくさん付いた硬質な石畳を一歩一歩着実に歩き、豊かな幼少期を過ごした樹木を加工した木製の柵を目印に(これはひっそりと息を潜めて座っております、是非とも童心の双眸で見透かしてください、隠れんぼうと同じことです)、そこが庭への入り口となっております。建物と建物の隙間の藍色の蔭で深呼吸でもされますと、それはもう心地よいことでしょう。しかし喧噪はまだ続いています。手すりをもってください。木々のあいだ、葉と葉のあいだからのぞく、蔦の絡んだバルコニーやゆっくり進む小舟に眼を奪われたは、簡単に転倒してしまうでしょう。ああ、忘れていましたが、わたしの息子夫婦が商売をしている、檸檬のアイシングをかけたクッキーを一袋でも買っていただけると尚良いのですが……。ええ、そうです。確かにわたしがお願いをすれば、息子は喜んでキッチンの黒い木のように繊細なオーブンを使って、部屋中を甘い香りで溢れさせてクッキーを焼いてくれるでしょう。しかし、彼らが商いとして菓子作りを始めてからは(よく自己の欲求を勝手に充たすだけだなどと言われますけれど)、必ず対価を支払っているのです。小さなあめ玉ひとつにも、じゃらじゃらと硬貨を鳴らして答えます。いいや、本当に一度食べてご覧なさい。彼らの焼く一等の洋菓子は、良い仕事が施されていて――いいや、仕事だなんて冷たい言葉ではないな、景色が、景色が見えるんですよ。ずっと心に眠っていた憧憬の光景が。豊かな水、無上の灯り〈ルビ:「灯り」に「ひかり」〉が、重力に従って下っていくように自動再生されるのですよ。手に取って口に近付けるうちに気が付く檸檬の芳香、一口舌にのって気が付く純粋な衝撃の「美味」。今日も川底にほど近いベゴニアの咲く庭へと、気体の小さな分子に乗っかって、小麦粉や砂糖の匂いが香ってきます。
薄らと眼を開けると、朗らかな卵黄色の日の光から鮮やかな寒色の目立つ、わたしの庭が見えてきました。すっかりはげ上がった頭に、冷たい風が吹き抜けて行きます。往来の多い大通りから階段を下って細い川沿いにあるこの庭まで、豊かな喧噪がゆったりとたゆとうています。この微睡み、安寧への訪問は簡単なことです。滑り止めのほそい溝がたくさん付いた硬質な石畳を一歩一歩着実に歩き、豊かな幼少期を過ごした樹木を加工した木製の柵を目印に(これはひっそりと息を潜めて座っております、是非とも童心の双眸で見透かしてください、隠れんぼうと同じことです)、そこが庭への入り口となっております。建物と建物の隙間の藍色の蔭で深呼吸でもされますと、それはもう心地よいことでしょう。しかし喧噪はまだ続いています。手すりをもってください。木々のあいだ、葉と葉のあいだからのぞく、蔦の絡んだバルコニーやゆっくり進む小舟に眼を奪われたは、簡単に転倒してしまうでしょう。ああ、忘れていましたが、わたしの息子夫婦が商売をしている、檸檬のアイシングをかけたクッキーを一袋でも買っていただけると尚良いのですが……。ええ、そうです。確かにわたしがお願いをすれば、息子は喜んでキッチンの黒い木のように繊細なオーブンを使って、部屋中を甘い香りで溢れさせてクッキーを焼いてくれるでしょう。しかし、彼らが商いとして菓子作りを始めてからは(よく自己の欲求を勝手に充たすだけだなどと言われますけれど)、必ず対価を支払っているのです。小さなあめ玉ひとつにも、じゃらじゃらと硬貨を鳴らして答えます。いいや、本当に一度食べてご覧なさい。彼らの焼く一等の洋菓子は、良い仕事が施されていて――いいや、仕事だなんて冷たい言葉ではないな、景色が、景色が見えるんですよ。ずっと心に眠っていた憧憬の光景が。豊かな水、無上の灯りが、重力に従って下っていくように自動再生されるのですよ。手に取って口に近付けるうちに気が付く檸檬の芳香、一口舌にのって気が付く純粋な衝撃の「美味」。今日も川底にほど近いベゴニアの咲く庭へと、気体の小さな分子に乗っかって、小麦粉や砂糖の匂いが香ってきます。
白い木が横に渡されストライプ柄になった家に、鉄製の椅子から立ちあがって入っていくところです。窓サッシがからから鳴る音が軽やかに、わたしの老いぼれた身体の重量を吸って昇ってゆきます。照明としてちらつく蝋燭を横目に、花緑青の壁に手を当て二階に行きます。静けさに沈んだ小川から昇ってゆきます。ふと見てしまった手の甲の皺を、抓んだり引き延ばしたりしました。店となっている二階の入り口にはまったガラス戸の《パンフトリー洋菓子店》という裏返しの文字をぼんやりみていました。通りを風船をもった少年が走り抜けて行きました。紺のエプロンを着け、デニム生地の帽子を被った息子が慌ただしく厨房を行き来しているのが見えました。
「フラッグ、お金はここに置いておくからね、檸檬クッキーを一袋もらってゆくよ。」
レジスターの横の店の印が付いた封筒の上に、何枚かの硬貨を置いて、また下に戻ってゆきます。キャビネットから円周にアール・ヌーボー風の花柄が描かれている皿に、十枚入りのクッキーのうち、数枚を出して、日光のもとでじったり食べるのです。川の流れる音を想像して、時々静寂を銀色の川魚がはねて破ります。湯気のように沸き立つ憧憬は、ここのところ、ずっと――いいえ、はじめて食べたときからずっと、若いあの頃、砂漠の質感が、砂漠の静謐さが、広がってきて、老いて弱まった力では、どうしても抑えることができないのです。……まさしく砂のちいさな直径一つ一つまでを思い出すのです。……
2
商店街のアーケードはガラスでできていて、いつも雨で割れないだろうかと思っていました、硬質なガラスは、上等の鼓膜となって、何人か集まった集団の声音ばかりを何重にも増幅するのです。お気に入りの書店は、商店街の本通りにあったので、ぼさぼさの髪を掻きむしりながら、タイルの目地ばかりを、ポケットに手を突っ込みながら見ていました。息を吐けば臭く、耳は敏感すぎてほつれてゆき、鼻水はずるずると流れていました。いつもできるだけ本通りを通らないように、人気の無い脇道のカーチ・パー通りの二階を歩いていました。うららかな午後です。空気ですら整列しています。ガラスに光りが当たって、ふとくなっている部分では分解されてスペクトルが綺麗に見えています。こつ、こつ、という靴音がやけに大きく響きましたが、ほとんど気にはなりません。吹き抜けから一階を見やっても、人影はまばらです。むしろ店先におかれた観葉植物の照りつけるクチクラ層のほうに関心が向いてしまいます。幾分か涼しくなったと言っても、数歩歩けば汗ばみ脇の下がじっとりと濡れていきます。汗を吸い込んだシャツの繊維と繊維の間隙を通過して色が暗い方に推移していく様子を思いうかべました。
いつも使う道ですから、よく知っていて、且つ知覚されたものはすべて覚え込んでしまっています。ですから、あの画廊を発見したのは、正しくコンマ一秒以下であったと言い切ってしまいますね。わたしは老人に話しかけました。老人はニット帽から白髪と黒髪を覗かせ、斑雪の様相を呈していました。服は毛糸かなにかでできた褐色、ズボンの色はカーキ、安定的な服装、皺が深く刻み込まれ、わたしが声をかけてから数秒は、その両目に被さるたるんだ黄ばんだ皮膚を退かすのに難儀しているようでした。
「ほとんど毎日カーチ・パー通りを歩いていますけれど、きょう初めて気が付きました。」
「ええ、うちは砂漠が描かれた絵画のみ扱っているんですよ。」
床には木箱やしわしわになって染みが虫食いのごとく張り付いた書類が散乱していましたが、十二枚飾られた絵の前には通路らしく空間がぼっかりあいておりました。なるほど、これだけ密度がある分、逆に少しだけ抜き去ることで、ここまで絶大な効果をもたらすことができるのか、わたしは店内の様子をこのように意味づけしました。ええ、意味づけです。わたし達はいつもこれをやっています。もっと幼かった頃、先生や両親に悪事の訳を幾度となく問われました、そのたびに、わからないという立派な理由を言い張ったのですけれど、全く効果はなくただ火に油を注ぐ結果でした。フラッグも同じことを言っていましたね。わたしもすっかりこちら側の人間になったということです……いや、はじめから、だったんでしょう。染色体に遺伝子の配列として彫刻されているんですよ、きっと。
「どうして画廊の中が片付いていないのか……」
しわがれ声が聞こえ振り向くと、老人が立っていました。おもったよりも立派な体格で、双眸には力がほとばしりスパークしていました。今思えば、古代エジプトのミイラも同じ表情なのだと思います。あなたは臓器を抜かれて防腐処理される気分はどうですか、……わたしもよくわかりませんがね。画廊の中を進んでいくごとに、油絵の匂い、油の妙にむせる匂いが強まっていきます。
「絵をご覧なさい。砂漠の絵です。」
老人が指さしたのは、砂漠の砂が風によって整列させられた模様を描いたものでした。次の絵は、「砂漠の舟」ともいわれるラクダと、ラクダに乗った人を描いたものです、もっとも生き物はとても小さくふらふらと迷い込んだ蠅と言われればそうだと納得してしまうほどでした。このとおり、老人はただ「絵を見なさい」といい、わたしはただ見ました。油絵の匂いをすっかり感じなくなり、商店街の食べ物の匂いがやけにはっきり香ると考えているともうすべての絵を見終わって出入り口に立っていました。モスグリーンの毛のちびたマットがひいてありました。
「あなたは感じましたか、砂漠の静謐さを。胸からどこから湧き上がってくるのか、砂、砂、砂のイメージ、いいえ、イメージなどではありません。それは実際砂なのです! あなたはあなたの砂に、砂漠に気が付くのです。」
わたしはあまりひとりでする哲学以外は好んでいないものでしたから、老人の突然の熱演にいささか拍子抜けし、ぐっと身構えました。
「ええ、いまあなたの脳髄の筋収縮がみえました。筋収縮と弛緩は同時に起きるんですよ、すべては1とマイナス1を取り入れて0に帰ろうとするのです。この0はヴァギナです。ここから生まれ、ここに帰って行く……。いや、失礼、背景知識としてどうしても必要なのです。」わたしはちらと床に散らばった雑誌を見ていました、《月刊・現代有機化学:三月号》。老人は息継ぎをして続けます。声帯はびりびり震え、増幅板としての絵もびりびり応答します。「わたしの画廊にある絵はどれも強力なのです、砂漠には何がありますか、いや逆ですね、何がありませんか。そうです、すべてです。このすべてはなんとも象徴的ですね。何にも無いのです。ですから絵とバランスを取るために店内に物を過剰に置いているのです。観葉植物、かごの雑貨、籐の椅子、雑誌、古新聞、古き良き香木をね。もしこれらの装置がなかった場合を想定していただけると良いのですけれど、全くもって吸い込まれてしまいますよ、砂に溺れてしまいますよ。蟻地獄みたいにね、おまけに餌はあなたというわけですよ。ここは入り口であって出口ではないのです。」なんと若々しい話し方でしょうか! しわがれた声(過剰な飲酒によるもの?)が無ければ、眼を瞑ってしまうと青年と、わたしと同じくらいの年齢の青年と錯覚するのではないでしょうか……。画廊をでて、本通りに向かう角から老人を見やると、来たときと同じように崩れて苔むしていました。わたしは唐突の恐怖を感じました。センシティブになってしまって、どこか遠くで聞こえる啼く鳥にもこころを驚かせてしまいました。
この夜、とても驚いたことに、わたしの机の上に、南の砂漠地帯へと飛ぶ飛行機のチケットが封筒に収まって、息もせずすっと置いてあったのです。ええ、確かに過ぎてしまった過去はあまりにも淡白な情景として流れ去ってゆくものですが、このときは生涯最大と言って良いでしょう。ゆっくり画廊の濃密な記憶から探ってゆくと、海外に渡航だなんて一切したことのないわたしが、実にてきぱきとした、大胆な行動かつ的を射た適切さで航空券を購入していたのです。対応してくださった女性従業員の目の下のほくろや、やけに分厚いフレームとレンズの眼鏡まで思い出すことができました。ベッドに横になって、天井の染みを数えましたが、浮かんでくるのはデカルトのことばかりでした。
3
翌日、降り立った空港の南風に砂の味を感じて、肋骨の辺りが疼きます。観光地のピーチ湖へはバスが出ていますが、砂漠地帯へはバスなんてないのでタクシーを使いました。ちびた蝋燭のような管制塔、ちっぽけな土産物売り場、無料の給水器、皮がやぶれた待合ソファーを通り抜けて乗り場に向かいます。黄色いタクシーのドアを開けると、運転手は半袖で健康的に日焼けしており、陽気な白い歯が印象的でした。
「お兄さん、ほんとにサーダ・ファスタまで行くのかい、親戚でも住んでいるの」
ハイウェイを快走しているなか、運転手は窓枠の手すりに腕を乗せてハンドルをいじくりながら聞いてきましたので、「いいえ、砂漠に行くんですよ」と答えると「物好きだなあ」とぼやけた声を出しました。「砂が浸漬しているんですよ」とわたしも聞こえるか聞こえないかの独り言をやりました。タクシーは走ってゆきます。灯りの灯っていない街灯がずんずんと通り過ぎていきます。急にブレーキを踏んだので何事かと座席から浮くと「なあに、よく警察官が監視している場所なんでね」と言いました。メーターをみると百二十キロは出ています。わたしは眠気が起こってきた頭で、「お兄さん」と言われるようになったのはいつからだろうと考えていました。
砂漠に半分浸かったサーダ・ファスタの街についたのは二時間ほど経ってからでした。財布から紙幣を出して車から降りると、砂埃を巻き上げてタクシーは去って行きます。唯の色も溶けた一点になるまで見つめていました。さすがに人はだれも歩いておらず、時折吹く砂っぽい南風のみがわたしにぶつかります。ぽつりぽつりと、アスファルトで舗装された道路沿いに建つ家はどれも、砂漠の色に対抗しようと赤や青や黄色という原色を奇抜に使いますが、どれにも砂の侵入した跡がありました。アスファルトの粒同士のあいだにも砂が溜まって目地の様になっています。ちょうど、花道のごとく道は砂漠にぶつかって飲み込まれていました。とぼとぼ境界線に向かいます。念願の砂を踏みつけます。ああ、足をゆったりと喰らってわたしをずっとり飲み込みます。わたしは絶頂に似た強い刺激を受けました。砂ブーツの足裏の跡が付くかと思えば、あっという間に別の砂に更新されました。
目の前に大きな砂丘が横たわっています。女性、男性だなんて性別を超越、吸収、圧倒する超自然の人間の裸体がそこら中に転がっています。わたしは興奮して坂になった砂に身体の全面を押しつけました。眼をじっと閉じて、皮膚の丸出しの顔面で熱しられた砂粒のエネルギーを受け取り、口をあけて唾液と砂を混ぜ込んで団子をいくつも作ります。両手を押し当てて引き上げると、上からさらさらと黄土色が流れていって、わたしの砂漠に与えた作用は砂漠に還元されてゆきました。砂っぽい口蓋を洗うために、皮を固めた円形の水筒を取り出しました。ふたを開けると、心地よい「ポン」という音がしました。水を二三度噛んで吐き出します。強く唾が混じって泡立ちました。けれどすぐに砂漠に浸透してゆきました。砂漠とは最上の緩衝剤なんですよ……。
わたしは興奮して砂丘に上りました。あまりに慌てていたので、最初の数回はいたずらに砂をほじくっただけでした。砂の尾根はずっと向こうまで両側に広がっています。太陽の乾いた匂いがします。心臓の二回の血液を送り出す拍動が聞こえます。しかし砂と空気と太陽と光、これしか有りません。風の音もありますが、風がやむとたちまち聞こえなくなります。静かです、夜です、海底です、深海です、静謐です! 静かさがうるさいほどに溢れています。……わかりますかね、わたしのこの心情が。砂を掬いました、砂を掬うとくぼみができました、でも風がすぐに埋めてゆきます。この修復力、なんと素晴らしいことでしょうか、生体の何千倍もの力ですよ。
わたしの体内の砂漠は、この現実の砂漠と、同じ地形であるため最大の親和性で迎えられていました。わたしはおもむろに歩き始めました。尾根道を歩くと、ぎゅぎゅぎゅと粒同士が擦れ合う音が微かにしました。ここでは昼も夜も、ただ太陽が出ているか出ていないかの違いしか無いんですよ。砂丘の天辺はナイフのように切り立ち、またそれがアナログに移ろっていくのです。巨大な人間の巨大な寝返りですね。日の当たる場所は蜜柑色になり、蔭は藍色の湖となっています。さっきまで熱せられていた部分が、じっくりと日の名残りを保って水に沈んでいきました。
わたしは砂漠に住んでいる生き物のことを考えました。フェネック、スナネズミ、もちろんラクダ……、いま考えると、何もない砂場に飽きてしまったのだろうと思います。それでこのとき、組み立て式の檻を使って、夕暮れから温度の下がる時間に持っている干し肉を餌にしてフェネックを捕まえようと考えていました。耳の大きな小さなキツネ。彼彼女たちは隠遁者でしょう、砂漠というびっくりするほど大きく冷たく鋭利な夜に身を置いているのですから。もはや宗教的な「何か」がなくてはしがみつくことすらできないですよ。それで捕まえたフェネックをよく観察します、きっと様々な発見があるでしょう、その巨大な耳には血管が通っている? 黒い鼻は犬のように湿っている? けもの臭い? 疑問はつきませんね。もしかするとおまぬけなやつは昼間からのこのこ餌につられて出てくるかもしれませんね。そうすれば熱い熱い砂をかけてあげましょう。そして身体の穴という穴を砂で埋めてしまいましょう。砂漠という装置はきっと、自らの皮膚に入ってきたものを受け入れてくださるでしょう。……こう考えたことでわたしはとても気分が悪くなってしまいました。わたしの脳みそのひだひだの形はそこらの通りをふらふら歩いている学のない青年と同じなのでしょうか。奥底に眠る胃から食道へとぶよぶよと水分をたくさん吸って、一緒にべったりと張り付くタールやガムを洗い流してくれれば、どんなに良いだろうと思いましたよ。ええ、とても若いですよね。未熟のバナナは堅くて不味いですよね。わたしもまだ熟していないキウイを食べてあまりの酸っぱさに驚いたことがあります。しかもそのあと胃腸が痛くなって喉の奥が痒くなって、自らの身体なのに取り除くことのできないもの、の存在はかなり応えましたよ。
あ、どうぞ檸檬クッキーを食べてくださいね。紅茶はアールグレイが好きなんですが。これは秘密でお願いしますね。ただ香り付けされて紅茶の味が何もわかっていないという評価が付いてしまいますので……。それにせっかくの檸檬の香りを同じ柑橘類のベルガモットを重ねる必要がありますまい。ダージリンをどうぞ。ストレートがわたしは好きですので、夏摘みです。きっとうららかな春と夏の気候を堪能して、ゆったり足でも伸ばしているんでしょうね。
砂漠に座ると、粒は骨格に従って動き、止まり、丁度良い形の椅子に早変わりいたします。何重にも肌を覆う垂れ下がった布のおかげで、太陽の熱も、ただ按摩のひとつに感じます。太陽は何倍も大きく見えました。不思議なものですね。
座ったまま、なんだか立ち上がる理由も見つからなくて、一回水を飲み、日蔭に移動した以外は特に何もせず横になっていました。わたしは星のことを考えていました。星占いのことをどう思っていますか。わたしはあまり信じてはいませんね、人の運命がたった十二種類に分類されてしまうのは、あまりにむなしすぎるので、空虚ですね。それに、子供時代に父の新聞の星占いでは、大抵魚座か牡牛座が最低の運勢と占われていましたから。そうですよ、新聞を読んでみたかったのですが、子供には政治も経済もとんと見当が付かないし、使われている言葉も難しかったものですから。ですけれどわたしは星座が大好きなのです。特に冬の星座が。冬の大三角から、リゲル、アルデバラン、カストル、ポルックス、カペラ……全部見つけることができますよ。特に御者座がお気に入りで、あの五角形! またアルファ星のカペラは小さなメスやぎという意味なんですよ。星図にはやぎを抱いた優しそうな老人として描かれますね。どの星図をみても御者座はすぐにそれだとわかりますね。
気が付くと東の空はもうすっかり色が無くなってしまっていて、急いで西の空をみると、太陽が沈んでいました。地平線がはっきり見え、海のように反射も無かったので、綺麗な「Ω」に見えました。マジックアワーをゆっくり鑑賞しても良かったのですが、夜に備えなくてはいけなく――おっしゃる通りで! でもわたしは子供の頃から宿題は後回しにする性格だったんですよ。ともかく、事前にキャラバン隊がサーダ・ファスタの近くを通ると言うことを、あの航空券を売ってくれたふとい縁の眼鏡の女性が教えてくれていたのです。ラクダの糞は燃料になりますからね。ランプは持ってきていたのですが、せっかくですからたき火をしたくて。ランプに灯を灯すと、わたしの蔭がぼうっと刻印されて、砂漠のひだもまたはっきりとよみがえってきましたね。コンパスと地図――地図と言っても目立つ岩場がかいてあるだけですが、歩いた時間などから正確に記録をしていたもんで、ラクダの糞の列はなんとか見つかりました。砂漠のひだと見間違えているんじゃないかと思って、ランプの灯を近付けてころころした球をじっと見ました。ええもうスケッチできるくらいにね。それで焚き火をやりました。木の棒で家を作るみたいに骨組みを立てて、根元に糞を置きました。はじめは木が燃えだして、すぐに糞に燃え移っててらてらと燃え始めたので安心しました。
もう日はすっかり沈んで、夜のとばりが降りていました。空を見上げるとこぼれて落っこちるくらいの数の星が押しのけ押しのけ輝いています。いつも図でしか星を観察したことがなかったので、省略されてしまった星の量に驚きました。焚き火から離れても、わたしの腕の形がすっかり蔭になっているのです! それから、かなり風が冷たくなってきました。何度か火が消えてしまいそうになりましたけれどね。口元も布で覆って肌の露出を減らしました。びゅうびゅうという音よりも鋭く細い音の波が何度も耳元を通過してゆきました。夜に吹く風がわたしの心臓の皮を一枚ずつ丁寧に剥がしていったのです。タマネギなどではありません。せいぜい二枚ほどの皮膚でしか無いんです。砂は研磨剤となって、あちこちに眼には見えない傷を付けていきます。それが何重にもなってやがて心臓の髄が露出してしまいます。葡萄の果肉のように、マスカットの配色で滴る水分、受け止めるのは足下の広大な砂粒の集合体です。また風が吹きます、今度は砂嵐でした。無数の星座を薄めながらこちらに向かって来ます。昼間ならもっと早く気が付くことができたでしょうが、最初水の蒸発の場である眼球に異物が入ったことで砂嵐を知りました。うずくまってどうしても隠すことのできない顔を砂漠に向けて立ち向かいます。服のひだが翻る音がばたばたと聞こえます。風がごうごう抜けていきます。防護している上半身や下半身も、砂に削られて質量が減ったように感じました。嵐の通過を背中で確認すると、わたしは起き上がろうとしましたが左腕が埋まってしまっていて引き出すのに難儀しました。急激に動かしても、かたつむりに動かしても、どっちみち肉体の他の部分を埋めようとするのです。わたしは砂漠に降りたって口を濯いだ水の様子や、思考実験のフェネックを思い出しました。そして砂漠に追いやった張本人の画廊の老人を思い出していたのです。……このとき、どうして隠遁者が聖者なのかを悟ったのです。これは想い出のなかに判断できることですが。なんでも純粋な情動には言語は必要ないのですよ。罠は楽しそうな空間を創造する装置であるからこそ罠なんですよ。遊園地は罠ではありませんが、美術館は罠、強力な罠の一種なのです。昼間の暑さは気になりませんでした、風が乾いていたからですね、けれども夜間の寒さは身に応えます。はじめに足先と手先の異常な冷えを感知しました。暖かな血液がじょじょに粘ついていき、お終いに凍って固体になってしまう……。焚き火は消えていました。ラクダの糞や木の棒一本も見えなくなりました。実に寒かったんですよ。わたしは、また燃料を探し始めました。ランプの灯がどれだけ身体を温めるのに貢献するでしょうか。星灯で地図の曲がった線を見ます。地図の赤い✕の印のところにキャラバン隊が逗留しているはずです。あの砂嵐は小さかったですから、目印を覆い隠すほどではないでしょう、しかし砂漠は緩衝作用なのです。急がないと間に合いません。満天の星空のもとを、ガラス玉の空気のなかを、凍った蔭がうごめいてゆきます。足を置き体重をかけるたびの沈み込む受け入れる感触はすでに恐怖に変わってしまっています。子供の、すぐに破られる曖昧な心情スケッチとでもいいましょうかね。光速で伝わってくる焚き火のちらちらした揺らめきの方角を目指しました。数十分は歩きましたね、でもこの時間で時間的解決が起こって少しずつ心臓の皮がひっつき始めたのです。かなり前からランプを地面に近付けて歩くと腰が痛むのでやめていたのですが、ふと、立ち止まって休憩のついでに、砂場の上を軽く滑らそうと思いました。二三回左右に振ると、糞の引き延ばされた楕円の蔭があちこちにあります。わたしは嬉しくなってすっかり砂漠に座り込んでしまいました。また砂粒の上等な椅子の感覚が蘇ってきました。あなたは今日ここに来るまでになにか生き物に出会いましたか。ええ、まあ鬱陶しい蠅や羽虫が大概でしょうね。生き物の大半は隠れているのです。こんなに巣を堂々と作って存在を誇示している存在はなかなかいませんよ。目立つ生き物、堂々としている生き物というのは大抵どこかに脅威を装備しています……
多少運動で暖かくなり、焚き火を再開しようと糞に火を付けました。ぼうと燃え上がります。オレンジの綺麗な炎が熱とともに眼から体内に入って行きます。放射状に蔭ができはじめます。放射状? どうしてわたしは放射状だと断言したのでしょう。右隣に青黒く稲光の様に反射している、大きな二つの鋏と尖った尻尾の先端についた針を見つけてしまいました。焚き火の方をじっと見つめて蔭が走って行きます。わたしはサソリのせいで治りかけていた心臓の皮が再び剥がれおち、丸出しになってしまいました。喉奥から噴出する空気の量に咽頭が破れるかと思いました。脳から多量の命令がとりとめもなく出て末梢は混乱に陥ります、サソリに怒りににた感情も覚えました。全身がこわばって、いま傷をうけても出血しないだろうと思いました。わたしは立ち上がっていました。走りました。キャラバン隊の方角はもうわかっていますからね。息が危険なほど乱れます。叫びたくなりました、実際叫んでいたかもしれません。街を歩いていても皆叫びたいのです。昔の友人に突発的に「ホー」と叫ぶのがおりました、当時はおかしな野郎だと思っていましたが、いまでははっきり彼の気持ちに寄り添うことができるでしょう。頭上でぐるぐると天球が回転して行きます。ふと地球の自転を思い出しました。あまりに早い運動に、わたしは目が回って足がもつれ合い砂漠に倒れてしまったのです。ここでも砂粒はわたしをしっかり怪我をしないように受け止めました。「おい!」と声がかけられました。男が立っています。隣のラクダの黒曜石の瞳は夜の情景をすべて写し込むフィルムでした。わたしは、ああ、助かったと思いました。ですが「サソリが怖くて」だなんてだれがいえるでしょう。
「砂漠にずっと憧れがあって、きちんと調べてきたのですが……。」
存分に見栄を張りました。隠遁生活への憧れだなんて! 男は鼻で笑って、何も言わず暖かなスープを飲ませてくれました。キャベツかなにかとベーコンがサイコロ状に切られて浮かんでいました。塩味が消化管から吸収される様子がよくわかりました。
翌日、日が昇ると、キャラバン隊はラクダ三十に人が二十という大きな集団であることがわかりました。貴金属や工芸品と農作物を交易していると言っていました。またキャンプ地から大都市サラダランドの鉄塔やビル群がぼやけて見えました……。
一日ぶりの都市の空気、人の香りやものの香りですね、はとても心地の良いものでした。あちこちで人の息づかい、声が聞こえてきます。誰かの吐いた息をまた吸うとうことがどれだけ身体に必要かを充分に悟りました。キャラバン隊の男は、街に着くと砂まみれの布を全部取って都会的な……運動に適していなさそうなデザインということです、服を着ていました。見た目とは違ってあちこちの可動域は大きいそうです。別れ際に紙幣を五枚わたしに握らせました。通貨という強力な錨が投げられたのです。そうです、このあと食事に、とすこし上等なレストランに入りましたよ。初めてフカヒレというものを食べました。そこで妻に出会ったんです。三年前に逝ってしまいましたが。エレガントなひとでしたよ。身のこなしや生活からどことなく天然の芳香が香ってくるのです。――寂しくはないですよ、息子夫婦もいますし、こうしてあなたが訪ねてくれますからね! さあ、もうすっかりここらも夜に入ってゆきますよ。
4
「おや、カーテンが閉まっているな。」
庭から家に入る窓にはどこもカーテンが掛かっていました。わたしはフラッグを呼ぼうと窓をノックします。次に眼に飛び込んできたのは色とりどりの料理の数々でした。十数枚はあろうかという皿の上に野菜、魚、肉と並んでいます。方形の波形のグラタン皿やポタージュがなみなみ注がれた器もあります。花萌葱色のテーブルクロスから真っ白な蝋燭が燭台の上に乗っています。なんだねこれは……ともごもご口の中でつぶやきながら部屋に入ると、フラッグとジェシカが蝋燭の刺さったケーキを持って現れます。《シラド・パンフトリーさんお誕生日おめでとう》とかいてあります。今日がわたしの七十八回目の誕生日であることを想い出しました。テーブルにつくと、マッシュルームのグラタン、えびのカルパッチョ、白身魚のムニエルなどわたしの好物が並んでいます。きっとあのケーキはシフォンケーキでクリームは檸檬クリームでしょう。わたしはありがとうありがとうといいながら、料理を食べ始めました。どこまでも談笑が続いていきます。大アルカナ二十一番の心地とは、こういうものなのでしょう。