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京都工芸繊維大学 文藝部

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 *エド・ウッド [#o4659fce]
 -出演: ジョニー・デップ, マーティン・ランドー, パトリシア・アークエット, ビル・マーレー, サラ・ジェシカ・パーカー 
 -監督: ティム・バートン 
 -評者: [[哉>部員紹介#tc6461ca]]
 -日付: 2007-03-20
 **お薦め対象 [#u4bf9725]
 限界を感じはじめている方へ。
 
 **あらすじ [#tdfdfcb6]
  映画監督志望の青年エド・ウッドは、性転換手術をテーマにした映画に取り組もうとするが、出資してくれるプロデューサーがいない。彼は往年のドラキュラ俳優ベラ・ルゴシを口説き、彼を出演させることを条件に、資金を集めようとする。 
 
 **感想 [#r1001916]
 何で読んだんだっけな?
  何で読んだんだっけな?
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 現代の抱える問題、ニートとかそういう負の産物というか、それらが大きくなってきたのは、メディアにおけるフィクションが幸せばかりを描くかららしいです。
 事実、わたしたちは自分の将来や目的、生活といったものについて、どうしてもテレビや漫画といった視覚的に捕らえやすい作品に、影響を受けやすい傾向にあるように思います。
 例えば、キャプテン翼が流行すれば、小中高生男子はサッカー部に集まりますし、スラムダンクが始まればバスケ部員が増えるといった具合です。
  現代の抱える問題、ニートとかそういう負の産物というか、それらが大きくなった一因に、メディアにおけるフィクションが幸せばかりを描くから、というのがあるらしいです。事実、わたしたちは自分の将来や目的、生活といったものについて、どうしてもテレビや漫画といった視覚的に捕らえやすい作品に、影響を受けやすい傾向にあるように思います。
  例えば、キャプテン翼が流行すれば、小中高生男子はサッカー部に集まりますし、スラムダンクが始まればバスケ部員が増えるといった具合です。
 
 恋は絶対に成就するし、努力は必ず報われる。解り合えないものなんてないし、いつもハッピーエンド。&br;
 それらと、リアルの自分とを対比させて考えてしまう。そして、そのギャップに耐えられず、結果として心が苛まれる。
  恋は絶対に成就するし、努力は必ず報われる。解り合えないなんてないし、いつもハッピーエンド。
 
 バッチョがこんな名言を残しています。&br;
 「PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない」&br;
 つまり、わたしたちは得ることよりも、失うことに固執するみたいです。
  それらと、リアルの自分とを対比させて考えてしまう。そして、そのギャップに耐えられず、結果として心が苛まれてしまう。
 
 テレビゲームが悪いなんていう偏見はもっていませんが、少なくとも、あれらで物質的に失うことはほとんどありません。
 それに、ゲームにはセーブという概念とリセットという手段があります。まさに、自分の思い通りにならなかったら、やり直すことができる世界。とっても便利です。
 #br
  バッチョがこんな名言を残しています。
 「PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない」
  つまり、わたしたちは得ることよりも、失うことに固執するみたいです。
 
 と、まあわたしのレヴューは前置きが長くて申し訳ないのですが、何が言いたいのかというと&br;
 「本当に才能がない人間のする努力に、意味があるのか」&br;
 という非常にシビアかつ口に出したくない言葉なわけです。
  テレビゲームが悪いなんていう偏見はもっていませんが、少なくとも、あれらで物質的に失うことはほとんどありません。それに、ゲームにはセーブという概念とリセットという手段があります。まさに、自分の思い通りにならなかったら、やり直すことができる世界。とっても便利です。
 
 本作「エド・ウッド」を観ていただければわかりますし、インターネットでエド・ウッドを検索していただければ、すぐに彼の人となりや功績(というか恥?)がでてきます。
 彼はダメな人間です。才能なんてこれっぽちもなくて、ただ映画好きが高じて映画監督になり、自ら脚本を書き出演やプロデューサまでこなそうとするけれど、そのどれもが空回りするタイプ。
 ただ、それなら別の道を模索すればいいのに、彼は自分の才能がないことに気づかずに最低な映画を撮り続ける。
 
 夢が叶わない=挫折とはならずに、とりあえず映画を撮るために東奔西走します。
  と、まあわたしのレヴューは前置きが長くて申し訳ないのですが、何が言いたいのかというと、
 ~
 「才能がない人間のする努力に、意味はあるのか」
 ~
  という非常にシビアかつ口に出したくない言葉なわけです。
 
 いや、彼の中で夢と映画が一致しているかどうかが怪しいです。エド・ウッドの人生において、映画を撮ること以上に大切なことはなく、その出来の良し悪しは関係ありません。客観的な視点で物事を把握しきれておらず、
 それならば、周りの人間が彼の暴走を止めなければいけないのに、誰もがエド・ウッドの指示に従って動きます。何故か?彼が監督だからです。
  本作「エド・ウッド」を観ていただければわかりますし、インターネットでエド・ウッドを検索していただければ、すぐに彼の人となりや功績(というか恥?)がでてきます。
 
 現実は小説よりも奇なり。
  彼はダメな人間です。才能なんてこれっぽちもなくて、ただ映画好きが高じて映画監督になり、自ら脚本を書き出演やプロデューサまでこなそうとするけれど、そのどれもが空回りするタイプ。ただ、それなら別の道を模索すればいいのに、彼は自分の才能がないことに気づかずに最低な映画を撮り続ける。
 
 彼は、誰かのために映画を作るのではなく、自分がそれを作る過程を楽しんでいるように感じました。だから、金銭でどれほど苦労しようとも、出演を断わられようとも、決して映画を作ることを諦めないうえに、
 それがどんなにクオリティが低かろうと、作ったことに満足してしまう。
  夢が叶わない=挫折とはならずに、とりあえず映画を撮るために東奔西走します。
 
 これを観ていると、なんだかヘコんでしまいます。まるで自分自身のことを言われているみたい。
 結局、自分の限界を決めてしまっていているのは自分で、下手くそでもいいからやってみればいいのにと。
  いや、彼の中で夢と映画が一致しているかどうかが怪しいです。エド・ウッドの人生において、映画を撮ること以上に大切なことはなく、その出来の良し悪しは関係ありません。客観的な視点で物事を把握しきれておらず、それならば、周りの人間が彼の暴走を止めなければいけないのに、誰もがエド・ウッドの指示に従って動きます。
  何故か?彼が監督だからです。
 
 どっちがいいのかはわかりませんが、失敗が報われるときが来るかもしれない、ことがあるかもしれないということです。
 止めるのは簡単だし、やらないということで、本当はできるという可能性を守ることもできるけれど、笑われてもやりたいようにやりゃあいいじゃん、と問いかけてくる映画であるような気がしました。
  現実は小説よりも奇なり。
 
  彼は、誰かのために映画を作るのではなく、自分がそれを作る過程を楽しんでいるように感じました。だから、金銭でどれほど苦労しようとも、出演を断わられようとも、決して映画を作ることを諦めないうえに、それがどんなにクオリティが低かろうと、作ったことに満足してしまう。
 
  これを観ていると、なんだかヘコんでしまいます。まるで自分自身のことを言われているみたい。結局、自分の限界を決めてしまっていているのは自分で、下手くそでもいいからやってみればいいのにと。
 
  どっちがいいのかはわかりませんが、失敗が報われるときが来るかもしれない、ことがあるかもしれないということです。止めるのは簡単だし、やらないということで、本当はできるという可能性を守ることもできるけれど、笑われてもやりたいようにやりゃあいいじゃん、と問いかけてくる映画であるような気がしました。
 RIGHT:評価:A
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