KIT Literature Club Official Website

京都工芸繊維大学 文藝部


Last-modified:
| | |

  • 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
[[文藝部通信]]
 
 *文藝部通信 2021年 6月 [#m20873b2]
 ~
 
 *第3回目 [#z362acc6]
 
  お鉢が回ってきたものの特に書くべきこともないので書き散らす。福祉社です。
 
  文藝部通信、と銘打って始まったただの部員ブログだが、結構いい試みだと思う。私なんかはかなりの筆無精で、最近は霧雨にも全然作品を出せていないため、ブンゲイブンゲイした文章を書く機会がめっきり減ってしまった(論文や就職関係の堅苦しい文章ばかり書いている)。なので、こういうライトな文章を気負わずに書ける機会があるといいリハビリになる。
 
  これは私だけかもしれないが、作品として小説や文章を書くときは必要以上に気を張ってしまう。思うに、生み出された作品は望むと望まざるに関わらず自分を構成する要素になってしまうからだ。なので、これを自分の一部だと見なされてもよい、と慎重に判断したものだけを選り好んで放出している。セルフブランディングとかそういう計画的なものではなくて、ただ単に臆病なだけだと思うのだが。だからこういった、作品としてカウントされないであろう一時的な文章だとすごく楽に書けてありがたい。
 
  ただまあ、院生からスタートして院生で回してるのはよくない。なんか内輪ノリでやってます感が出てしまうし、ここはこういう場所ですよと前例を作ってしまうと後輩が本当に書きたいことを自由に書けなくなってしまうかもしれない。続く人たちは、ぜひ自由に自然体で書いていってほしい。それが企画を長続きさせることにも繋がるだろう。
 
  時節のことでも書く。梅雨きたな、と思ったらすぐに持ち直した。連日晴天なので洗濯物が溜まらなくてよい。先週末は気候に浮かれて南禅寺や蹴上インクラインにふらっと行ってみたら景色が良すぎて驚いた。京都にいる期間ももう長くないので、まだ行っていない場所には積極的に出かけたい。伏見稲荷の山頂とかにもそろそろ行ってみるべきかもしれない。
 
  東京に就職した地元の友人の結婚式に招待されたのだが、諸事情で断ることになってしまった。とても残念だ。結婚式に参加したことすらこれまでにないので、一度くらい行ってみたかった。大学の友人たちはあんまり結婚しそうにないし、もうしばらくは機会がないかもしれない。なんにせよ、招待状が来るだけでもありがたい。
 
  三体の最終巻が出てしまった。研究室の後輩にⅠとⅡを贈ってもらったにも関わらずいまだに読めていないので、罪悪感が半端じゃないのだがなかなか時間が取れない。他にも積み本がたくさんあって、このさき全部崩せるのか分からない。片手間も惜しいというほど忙しいわけではないのだが、どっしり腰を据えて何かをやれるほどの余裕もないという、微妙な塩梅だ。空き時間はユーチューブでアル中カラカラの動画を見ている。もうかなり見たのに未見の動画がおすすめに湧いてくるのが本当に不思議だ。
 
  そういえば、老人ホームと化しつつある我らが文藝部に新入生が入ってきてくれた。めちゃくちゃありがたい。短歌をやっているらしいので、鮎川名人とバトル展開があるかもしれない。やめろー短歌は人を傷つける道具じゃねえ!俺とバトル短歌で勝負だ! それはさておき、やっぱりコロナ事情で部活動の露出が減っているらしくて、文藝部の存在すら知らない新入生が大勢いるらしい。平時なら部活紹介オリエンテーションで存在の認知くらいはされているはずなのでややもどかしい。私が入学した年なんかは、先輩方はその場でロクに紹介もせずになぜかシュタインズゲートの寒い寸劇をやっていて完璧に目立って(浮いて)いた。その後部室の見学に行ったときも炬燵でバチバチに麻雀を打っていて、これが大学生か……と圧倒されて入部してしまった。これこそは悪名は無名に勝るの典型例だと思う。
 
  こんなもんでいいか。なにも分からない。とりあえずこれでいいにしよう。院生ループを抜けたほうがいいのは重々承知だが、弁邪明君が書きたそうにしていたらしいので、次は彼を指名しておく。それでは、さようなら。
 
 #ref(suiro.jpg)
 (南禅寺 水路閣で撮れたいい写真)
 
 *第4回目 [#z362acc6]
 
  嵐山よりこんにちは。弁邪明です。就職関係の文章書きたくねえなあ(特に手書き)、でも追加で書くしかないなあと思っていた矢先に、この通信の投稿順が回ってきました。書きたそうにはしていません。はい。
 
  さて、早起きが苦手な私は、研究室の近くに住みたいと願い、それがかなって嵯峨嵐山駅近くで下宿をしている。下宿して1年と少しが経つのだが、不動産屋で部屋探しする段階で、日本はコロナ禍に覆われ始めていた。確か一回目の緊急事態宣言を発令すると発表していた頃だったと思う。実家が大阪にあるので、教授から「5月末までは来ないで」と言われ、私もう京都に住むんだよなあと思いつつも、大学の掲げた自粛要請(大学が提供しているサービスを活用したオンライン授業の実施や研究室活動の禁止)に従っていた。観光名所として知られる嵐山だが、当時は外国人の姿が見られないのは勿論、駅に着く直前けたたましい汽笛を鳴らしながらゆっくり停車するトロッコ列車(場合によっては乗客がカラオケで景気よく歌っている事もある)は走らなくなり、店もほとんど閉まるなど、ここを我慢すれば乗り越えられると誰もが信じていたはずだった。
 
  これを投稿する時点では落ち着いてはいるものの、主要都市で感染者数がぶり返すわ、何だかんだで変異型がやってくるわと報道された事もあった。私としては医療の逼迫がどうこうよりも、飲食業界は「複数回も緊急事態宣言されると流石に無理」と断腸の思いで閉店すれば、助成金なんか貰えなくたって良い、酒を客に持ってこさせるなどの抜け道を通って営業するなんて事をしていて、個人単位で見てもゴールの見えない自粛へに疲れを感じている人が居るように感じる。更にはそういう人達が自身の疲れか怒りかの捌け口をワクチンや、「マスク」「自粛」の二大似非警察に扮して撒き散らしているのだから恐ろしい。
 
  嵐山に住んでみたは良いが、嵐山の観光名所の事など、これっぽちも伝える事が出来ない。パンフレットの文章をコピペしてこれが嵐山の魅力ですとか言っておいた方が手間をかけずに伝えられる。
 
  少し話題を変えたい。私が文藝部に入った理由はバリバリ理系の大学に存在する当部への好奇心と他の部のノリについていけなくて消去法した結果だった。自分が思い描いた事をただ文章に起こす、起こせなくても企画に参加する専門になれば良いと思っていた。入部した時から話が持ち上がっていた京都の文学フリマに出店し、合宿(と称した旅行)も二回参加してきた。特に合宿では直前まで課題に追われてそれを終えた後の良い羽伸ばしになったし、二回目の城崎温泉は独り夕方まで温泉巡りをした。大学生活で極端なインドア派になっていた私にとっては企画や申請などの準備に至るまで関わった時期なので、これらの経験は思い出として深く残るだろう。舞台に温泉地が登場する小説は多いので、温泉ネタを使って合宿の場所決めしたら楽しいだろう。本当にコロナが憎い。
 
  文章、とりわけ小説を書いていた頃のリハビリを兼ねてこれを書いていたが、もうネタが無くなってきた。部屋と研究室との距離が近く、途中で帰って家事をこなしているが、手が本当に空いてしまった時の部屋での過ごし方に結構毒されている。現状の私自身が怖い。このままだらだら書くのもダメだと思うので、次は菴田しおりさんにでも投げてみようか。