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京都工芸繊維大学 文藝部

Top / 活動 / 霧雨 / vol.44 / 夜祭へ
Last-modified: 2020-03-19 (木) 09:08:39 (1493d)
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活動/霧雨

夜祭へ

福祉社

場面1 夜祭前

 玄関の間口から屋外に出ると、夏の終わりゆくさなかにわたしは放り出された。空気はひどく乾いていて、遠くのやまなみの青さがいっそう濃く見えるようだった。通りは死んだようにひっそりとしている。昼下がり、あざやかな氷色の空が夕暮れに向けて色を失おうとする中間の時間帯で、夜祭が始まるまでにはまだ時間があった。待ち合わせに遅れるわけにはいかないが、それにしても早く出すぎてしまったかな、とわたしは思った。神社まで歩くのには三十分もあれば充分だから、そうするとちょうど二時間ほど時間を持て余す計算になる。とりあえず役場の近くの気の利いた喫茶店でアイス珈琲でも飲もうか、わたしははじめそう考えたが、同じように暇を持て余した学生たちが詰め掛けているのを想像すると、その喧騒に身を置くのはぞっとしなかった。目的もなくぶらぶらと歩いていると、上空では風が強いのか、巻層雲がみるまに流されていき、厚塗りのセメントを執拗に照りつけ続ける日差しにだんだんと我慢ならなくなってきた。わたしは日陰を求めて狭い路地に曲がることにした。路地はまさに古い時代を象徴していた。路地沿いを覆う焦げ茶の御簾垣は表面が無残に磨り減っているばかりか、隙間から雑草が好き勝手に覗いている有様だったが、このようにうらぶれた路地の体裁を繕う必要もなく、それは確かにあるべき姿をしていた。路地の先にわずかに見える水平線が、まるで額縁に収められた小さなアクリル画のように映った。海鳥がその先で鳴いていた。気だるい微風が潮の香りを運んできて、わたしは海辺に降りて散歩したい気分だった。
 路地を抜け、海辺に続く長い坂道を降りていると、後ろからクラクションが鳴らされた。年季の入った白い軽トラックで、運転しているのは叔父だった。おい、坊、なにしてんだ。海辺に行こうと思って、わたしは答えた。海が見たくなったんだ、急にね。ふうん、叔父は言った。じゃあ送ってってやるよ、見船峠のあたりでいいんだな? わたしは促されるままに叔父の車に乗り込んだ。古い助手席は狭く、煙草くさいにおいがした。叔父はこの島に一軒しかない工務店勤めをしていて、今日は資材を運び終えて帰宅途中らしかった。お前、ぜんぜん日焼けしてないな。叔父は横目でわたしを見て言った。夏も終わりだってのになあ。叔父さんが黒すぎるのさ、日焼けしすぎて感覚がばかになってるんだ、わたしは答えた。それにまあ、たしかに、普段家から出ないからね。そらみろ、叔父は茶化した。作家先生はいいよなあ、涼しい部屋で優雅にお仕事ときた。それを聞いてわたしは苦笑した。勘弁してよ、ただの翻訳のアルバイトさ。
 トラックは海岸沿いを走り、窓からは白浪の飛沫がよく見えた。この辺でいいよ、そうわたしが言うと叔父は路肩に停車した。迎えは要るかと訪ねられ、このまま浜に沿って神社に向かうのでその心配はいらないとわたしは答えた。夜祭に遅れるわけにはいかないんだ、大事な待ち合わせをしているもんだから。そういえば今日は夜祭か、そんなもんすっかり忘れてたよ、叔父は得心したようだった。そうなんだ、そんなわけだから、送ってくれてありがとう。叔父はひらひらと手をふり、頑張れよと残して去っていった。車道から浜に降り、さらさらと熱を持った砂粒をサンダル越しに踏みしめ、波打ち際まで歩きながらわたしは、もしかしたら面倒な誤解をさせてしまったかもしれないと心配になった。べつにこれは浮いた話でもなんでもないのだ。夜祭で待ち合わせている若い男の名は、生天目という。高校時代に知り合った友人で、今日まで五年間も音信不通だった男の名前だ。
 足首までを海にひたし、島と外海の境界線上で、わたしは生天目のことを思い出している。

場面2 五年前、夏の午前、浜辺にて

 ほんとうにきみは救いようがないな、こんな天気のいい日に浜辺に来るのに、英文法の教科書を持ってくるなんて。打ち寄せる波のコーラスをバックに、生天目がわたしをからかった。浜辺にはいつもやつが先にいて、木組みのイーゼルにスケッチブックを立て掛けて絵を描いていた。五年前、高校二年生の夏の、ほぼ全てと言っていい期間を、わたしは生天目とともに過ごした。瀬戸内海に浮かぶこの島は群島のひとつで、本州とは橋で繋がっているため実質的には半島のようなものだったが、それなりに人口は多く島内には学校もあったので、わたしはその歳までほとんど島から出ることなく生きてきた。それにしても惜しかったなあ、生天目が言った。もう十分も早く来れば面白いものを見れたと思うぜ、なんだと思う。さあ、わたしは答えた。クイズのつもりなら、選択式にしたほうが良い問題になりそうだ。生天目はにやりと笑った。そりゃあばかに気の利いた提案だな。わかった、今から選択肢を考えるから一時間ほど待っていてくれ。わたしは、茶番はやめにしないか、と申し出た。どうせその絵がそうなんだろう。御名答、生天目が囃した。白いスケッチブックには一羽の海鳥が素描で描かれ、そのくちばしを楽器ケースのように細長い貝殻が覆っていた。さっきまでここにいたんだ、おれの見立てでは、やっこさん、その貝殻の中にいた虫か何かを食べようとしてくちばしを突っ込んだ拍子に、中の構造に尖端が突き刺さって取れなくなったんだな。なかなかにシュールだった。かわいそうに、だが、モチーフとしては上々だ。その奇妙な海鳥の絵は、全体的には荒々しいタッチだったが、羽毛の触感がわずかな陰影で表現され、紙の表面にいながらも実在感を伴って海辺の風景に馴染んでいた。見事なもんだ、わたしは素直に生天目の絵を褒めた。見事なもんか、節穴め、こんなのは手慰みのクロッキーみたいなもんさ。おれが描きたいのは、もっと自由で、巨視的な絵だ。そう言うと生天目はスケッチブックをめくり、真新しいページを開いて設置しなおした。生天目がいつから絵を続けているのかわたしは知らなかったが、どうやら明確な理想をもって取り組んでいるらしいことは彼から聞き及んでいた。さっきの絵は完成させないのか? わたしが尋ねると、生天目はあからさまに肩をすくめた。あれはあれで完成だし、別の言い方をすれば、あれが完成することはない、生天目はそう答えた。おれがいま描いているのは断片にすぎない。こうしてお前に見せているのは素描ばかりだが、なにも素描ばかりを描くわけではないよ。家ではパレット片手にカンヴァスに向かってる。おれの考えでは、絵ってのはカンヴァスに絵の具で描かれたものだけが正統だ。けれども外にカンヴァスを持ち出すのはあまりいいアイデアじゃないんだな。つまり、潮風や砂塵や日光が画面をダメにしてしまうんだ。かといって家に篭ってたんじゃあ手ざわりのある絵は描けない。イマジネーションも創作に必要だが、肝要なのは解像だ、そのためのスケッチなんだ。おれが実際に見たモチーフ、それについておれの受けた印象、紙の上に再構成するにあたって考えたこと、そういったすべてをここに保存して持ち帰る。さればこそそれは、カンヴァス上に施されるこの世界についての記述の断片、フラグメントなのさ。どれだけ解像しても解像しすぎるということはないよ。と今さら説明したところで、きみはもう知っているだろうが。わたしはただ首肯した。やれやれ、生天目はスケッチに戻った。緩やかに潮風が吹き、椰子の葉を揺らした。
 関係代名詞の格変化と先行詞による変化の組み合わせを頭の中で整理するのにわたしが苦心していると、そんな無駄なことをしてないで、こっちに来て話そうぜ、そう生天目は言った。頼むよ、椰子の木陰でわたしは目を上げずに答えた。学期明けの試験が本当にまずいんだ、落第するかもしれない。それが無駄だって言うんだ、生天目は説き伏せるように言った。確かにきみは、勉強不足のせいで学期明けの試験に失敗した。でもその追試には合格して、ちゃあんと進級できたじゃないか。これはもう決まっていることなんだから、今さらなにをしたって無駄なのさ。わかったら、その陰気な教科書を閉じてこっちに来なさい。わかったよ、わたしは観念して木陰からやおら立ち上がった。お手上げだ、我が友の仰せの通りに。ところで、次は何を描いているんだい。わたしは生天目に対峙するスケッチブックを再度覗き込んだ。ははあ、見たところ抽象画のようだが、なるほど、青色の濃淡が性格の陰と陽を表現しているんだな。きみがこういうのを描くとは珍しい。残念だが、生天目は笑いをこらえきれないといった様子で水彩色鉛筆を動かす手を止めた。きみの似非評論家気取りに付き合う気にはならないな。こいつは具象さ。あれを見たまえ。生天目は海の先を指差した。水平線か、わたしは呟いた。正確には、拡大された水平線の境界部、とでも言おうか。じつは数日前からこのグラデーションには興味があったんだが、やはり晴天にならないことにはね。ところで、ねえ、少し考え直してみたんだが、きみはこの青の階調を陰陽に例えたろう。この場合、空と海、どちらが陰でどちらが陽になると思うかい。なるほど、第二問というわけだ、わたしは言った。いいよ、一緒に考えてみよう。とはいえわたしの意見は明白だな、湿潤や寒冷は紛れもなく陰の要素だし、なによりも空には太陽があるだろう、したがって空が陽、海が陰というわけさ。穏当な意見だな、生天目は澄んだ目をして言った。おれにはべつの考えがある。陰陽消長、陰陽転化、ようするに陰陽は移り変わるもんなんだ。空に太陽はあれど、それは昼間の話に過ぎないだろう。夜は闇が支配者となる。なにが言いたいかという顔をしているね。おれの考えは、空はそれ自体が陰陽を内包し、海は陰陽の外側、中立の領域なのではないかということさ。うん、これは思ったより重要な着想かもしれない。というのは、わたしがその先を受け持った。対比関係にある一対の概念には、なんというのか、そう、有限な適用範囲がある、ということかな。生天目はしばらく沈黙し、言った。なんとも言えない、いまはね。少しの期間考えてみることにする。成功すれば、おそらく、おれの認識は大きく飛躍することになる。おれが何を描いているのか、何を描こうとしているのか、その正体について。きみに礼を言うのはその後でも遅くはないだろう。だといいけどね、わたしは生天目に聞こえないように言ったつもりだったが、友は寂しそうな目を一瞬したので、それが届いたのがわかった。さて! と生天目が大仰に膝を叩いた。きみはそろそろ戻る時間じゃなかったか、確か親父さんから呼び出しがあったとかで。次の瞬間、ポケットに入れたわたしの携帯電話が振動し、メッセージが届いたことを知らせた。そのようだ、わたしは言って、きみはたしかここに残ったはずだね、と言った。そうさ、まだスケッチが終わっていない。午後になったら適当に落ち合おう、わたしの言葉に生天目は、ああ、また逢おう、と返し、意識を素描に戻したようだった。サクサクと乾いた白砂の感触をサンダルで喰みながら、なだらかな石造りの段を上がり、ちょうど来たところの路線バスに乗り込んだ。

場面3 五年前、未明、路線バスにて

 お若いの、切符を落としたよ。老人の声がかけられてわたしは、自分がほとんど微睡んでいたことに気がついた。すみません、ぼっとしていたようだ、わたしは頭を下げつつ老人の差し出した路線バスの整理券を受け取って見ると、それは確かに自分のものであることがわかり、再び頭を下げた。まったくきみは、二人掛けの窓側に座っていた生天目が呆れた声を出した。車内は静まり返り、運転手の他にはこの老人と我々二人しか乗っていないようだった。窓の外は薄暗く、まだ夜明け前のようで、かろうじて海沿いを走っていることがわかった。わたしは少し混乱したものの、たしかに生天目とこの時間にバスに乗ったことがあったと思った。
 次は、油良東、油良東。運転手のアナウンスが響いたが、我々の誰も降車ボタンを押さないので、バスはスピードを下げることなく通り過ぎた。朝もやに包まれた海辺と田園の風景に挟まれながら、暗い冥府のような道をバスはひた走った。白くほのかな下弦の月が、海の果てで水平線に溶けようとしているのが見えた。たまさか跳ね上がる車体の振動が我々を共同的にしていた。
 夜釣りですか、と生天目が老人に聞いた。車壁に立てかけられた細長い釣竿ケースと、床に置かれた臙脂色のクーラーボックスを見ればそれは明白だった。ええ、老人が答えた。島の東のほうにちょっとした穴場がありまして、水道が流れ込むので、真鯛がよく釣れるらしいのです。それはいい、生天目が相槌を打った。釣りというのは魚が釣れれば釣れるほどいいからね。釣果のほどはどうでした? いや恥ずかしながら、今回は六時間も粘って二匹というありさまで。老人はクーラーボックスを開けて、中身をわたしたちに見せてくれた。よく太った、赤光りする真鯛が重なって入っていた。この真鯛以外も釣れはしたが、雑魚は逃してしまったのです。いやはや、とはいえ素晴らしい真鯛だ、このレベルの仕事には滅多にお目にかかれるものではないよ。生天目が絶賛した。ありがとうございます、これでも昔は漁師だったのですが、衰えたものです。もう一匹ばかしでも釣れていたならぜひあなた方に差し上げたかった、ですが、あいにく女房に最低二匹は釣らないと家に入れさせないと脅されているもので、老人は頭を掻いた。わたしは仰天して、たとえ仮にあと何十匹と釣れていたって、こんな大層な真鯛をただではいただけない、そんな失礼な真似はできない、と強弁した。老人は一瞬、虚を突かれたような表情をした。生天目は面白そうに目元を歪ませて、ばかだなあ、リップサービスだよ、とわたしに耳打ちした。
 ところでお二人はどういった知り合いですか、気をとりなおして老人が言った。友人です、生天目が率直に答えた。といっても、交友を始めたのはごく最近の話ですが。表現のことで意見を交わすようになったんです。わたしもそれを受けて頷いた。それはいい、老人の言った何気ないその一言が意趣返しのように機能していることに、彼は気づいていなさそうだった。実にいいですな、我々のような歳になると、新しく友人を作ることにも難儀しますから。若さは何物にも代えがたく、いまや時間による汚染は進むばかりだ。老いには精神的な面もありますからね。若者との乖離、これは本質的な意味での乖離です、この乖離によって目に見えずとも存在している境界の外に追いやられてしまうわけですな。ところで、そうだ、あなたがたが友人同士なのは分かりましたが、こんな始発のバスに乗って、どこかへお出かけですか。じつは、我々も帰路なのです、生天目が答えた。生天目にばかり会話を任せてしまっていることに罪悪感がないではなかったが、夜更かしのせいで眠く、わたしは会話が億劫になっていた。こちらもほとんど夜釣りみたいなものですよ、蛍が見られると又聞きで聞いたので、鑑賞に行ったんです。蛍といえば夏の風物詩ですからね。生天目は足元に畳んで置いていたイーゼルを指差した。うまくいけばスケッチに残すつもりでしたが、あの暗さじゃ土台無理だったろうな。残念ながら、蛍には会えずじまいでした。代わりに、焚き火を焚いて夜通し会話を楽しみました。手持ち花火なんかもあればもっとよかったな。蛍ねえ、老人は顎を自身の指で挟みこんだ。そりゃもしかして、海蛍のことじゃないですか。ほら、海の中で光る。飛ぶほうの蛍もいるにはいますけどね、見頃は六月だし、ちょっと時期外れですよ。思わずもたらされた真相にわたしたちはすっかり参ってしまった。あちゃ、ウミホタルねえ、生天目は悔しそうに言った。そいつはちょっと思いつかなかったな、ねえきみ、次はウミホタル鑑賞に挑戦する必要があると思わないか。悪くないが、でも、結局は行かなかったじゃないか、わたしはそう言った。全ての願いが叶うとは限らないさ、生天目は悲しげに言った。それでも、抱負を持つことに意味があるんだ。
 なるほど、あなたは絵を描くんですな、とすると連れの方も、絵を? 会話の矛先が急に向いたので、わたしはしばらく言葉に詰まった。いや、わたしの場合、文字です。なるほど小説家だ、老人は得心いったようすで頷いた。まあ、書くものといえば短編小説ばかりですが、わたしはしらじらしく弁解した。いや、短編というか、ほとんどは掌編、それも散文詩のようなものです。長く書くのはどうにも苦手で。長く書けば書くほど、仔細な表現ばかりにこだわって、根幹の部分が形を保てなくなっていく気がするんです。それでも、書かないよりはましだ。テーマはなんですか? そうですね、いうなれば弔いについて、あるいは循環と、その停止性について、とでもいうのかな。弔いといっても、死が常に媒介するわけではないんです。例えばある話の中では、後天的に全盲になった写真家を登場させました。けれど、その写真家の感性はずっと豊かなままなんです。なんだかよくわからないな、老人が言った。じゃあ、それはいったい誰に対しての弔いなんですか? 失われたものです、わたしはできるだけ真摯に答えた。または、失われたように見えて最初から存在しなかったもの、別れのようなものです。すみません、自分自身でもよくわかっていないので、それをいま探している途中なのです。おそらくだけど、生天目が口を挟んだ。どちらかといえばそれはわたしに向けられているようだった。おれたちは同じテーマを共有しているように思うんだ、そこにはただ空間的か、時間的かの違いがあるだけで。生天目が言わんとしていることはわかったが、それはあまり自分に根ざした感覚には思えなかった。
 興味深い話をありがとう、老人がにこやかに言った。本当にすみませんが、しばらく目を閉じさせてください。どうやら自分で思っていたより疲れ果てているらしい。ぜひそうしてください、生天目が答えた。ありがとう、いい退屈しのぎになりました、お互いにとってそうであればいいのですが。わたしたちは、老人を安心させるよう、沈黙にそれを滲ませることで答えとした。ほんのしばらくすると、老人は短く断続的ないびきを始めた。
 ほどなくバスは島で一番大きな神社に差し掛かるところだった。次は、鳥居前、鳥居前。わたしは停車のブザーを鳴らした。自宅に戻るために、路線バスの乗り換えをここでおこなう必要があった。停留所に到着すると、それじゃお先に、ああ、また連絡する、と会話を交わし、生天目と老人を車内に残してわたしはバスを降りた。徹夜明けのせいか、妙に空気がしんと冷えきっていると感じた。The blue hour.物理教師が雑談混じりに言っていた。日出前と日没後に空はどこまでも深い青に染まる。オゾン層の吸収スペクトルが地平奥の太陽光から青色帯だけを透過させる。キジバトがどこかで伸びやかに鳴いていた。薄闇のなかで無頼に佇んでいる時刻表によれば、目当てのバスが来るまで二十分も待たなければならなかった。わたしは石造りの鳥居に背をもたれ掛けた。ようやく朝日がのぼろうとしていた。

場面4 五年前、夜祭前、神社にて

 けさがた、ある夢を見たんだ、おれはそれを夢だと思っているが、ほんとうは実際起きたことなのかもしれない。筋はこうだ、夢の中でおれは、一人で打ち上げロケットを作っている。何度も失敗するが、そのたびに問題を改善して再挑戦する。トライ・アンド・エラーを繰り返し、だんだんと最大到達高度が伸びていく。ついにロケットの初速度が第二宇宙速度を超え、重力のタイラントな支配から自由になる。役目を終えた推進部は宙空で切りはなされ、残りは人工衛星となって地球の外周を回り始める。まさに感動的な場面だ。人工衛星の全てはおれの制御下にある、しかし、ここが大事だ、しかしその一方で、その体験の全ては人工衛星が享受している。つまり、ロケットを打ち上げたのはおれだが、その成功からおれは何も得ることができない。ただ打ち上げ場でぽつんと立ちすくんでいる。そしておれは人生でほんとうに行うべき仕事について理解し、すぐに取り掛かる。しかるべき時間ののちおれは、これが最後となるロケットの打ち上げを宣言する。そのロケットはおれ自身だ。打ち上げられたおれは、大気圏脱出の高熱に耐え、星の海で人工衛星となって衛星軌道上をたゆたう。宇宙空間は安らぎに満たされ、それは祝福のメタファーでもある。つまりおれという人間は幸福な結末を迎えたのさ。そしてもちろん、おれを打ち上げたのはきみだ。生天目はわたしを指差し、それで彼の話は終わりのようだった。生天目、きみは、わたしは途方に暮れながら言った。わたしなんかよりよっぽど小説家に向いてるよ。
 鳥居をくぐり、少しの傾斜をともなった、ぐねぐねと覚束ない石畳の参道を進むと、ようやく境内が広がりを見せた。手水舎から拝殿の手前にかけて、剥き出しの屋台が帯状に連なっていた。夜祭に向けて、何人もの流れ業者が夜店の屋台を組み立てているところだった。平時の静けさと比べるとにわかに騒々しかったが、夜祭に繰り出してくるであろう人出を思えば、それはほんの前触れに過ぎなかった。あたりにはわずかに香ばしく、甘い匂いが漂っていた。時刻は昼の二時を回ったところで、日差しが容赦なく照りつけていた。わたしたちはそろって汗だくになりながら、屋台の波を横切っていった。かき氷、と大きく書かれた調子のいいのぼり旗が、がらんどうな屋台の骨格からせり出しているのを、生天目が恨めしげに見つめていた。
 拝殿から向かって右側を進むと玉垣の途切れている箇所があり、それはこの神社の裏参道とも呼べる代物で、石造りの狭い階段が浜辺へと続いていた。背の高いブナの葉があたりを覆っていた。よくある凡庸な高木だが、境内にあるというだけでどこかしら神聖な印象をまとっていた。木陰はときおり海から吹く風によってサワサワと揺らされ、ホログラフィックな明滅を見せた。わたしたちは石段に座り込み、道すがら買ってきた瓶ラムネを飲んだ。夏も終わりだな、生天目が呟いた。夏はまだ終わらない、厳密に言えば、わたしは理論的と思われる反駁を試みた。終わるのは夏休みだけだ。で、英語の宿題は終わったかい、生天目の底意地の悪い質問にわたしは、素っ気なくひとことで返した。おかげさま。ラムネを一気に飲み干すと、瓶の中で透明のビー玉がからんと鳴った。夜祭には来るつもり? わたしが尋ねると、ああ、そのつもりだ、と生天目は答えた。いいね、わたしは満足げに言った。この階段の下の浜辺で待ち合わせよう。表参道はそれなりに混むから、それが最善策だ。わたしたちは石段を降りはじめた。足元に気をつけるようにとわたしは念を押した。海沿いの石は滑りやすくなっているものだ、とはいえ結局、滑ることはなかった。
 降りながら、わたしは生天目に、二つほど尋ねてもいいかい、ときいた。もちろんだ、おれたちの間に隠し事はなしだぜ。まあ、この時きみがおれに尋ねたのはひとつだけだったはずだけど、なんにせよ構わないさ。まずひとつは、わたしは言った。どうしてきみは絵を描くのかといったことだ。この先、芸術家として名を残したいのか? 生天目は思案顔でうつむき、答えはじめた。正直に言えば、わからない。功名心以外にも、もっと熱狂的な理由、よりプリミティブな根源がある気はしているが、定かなものじゃない。今のままでは不十分だ、という強迫観念があるのかもしれない。でも、どうすればそれが満たされるかはわからない。ただ、おれが望んでいるものを表現するには、絵はまずくはない、という手触りはある。それを信じているんだ。すがりついている、と見えなくもないだろうが、結局は同じことだ。でも芸術家なんて……わたしは言った、虚業じゃないか……。それはそうさ、芸術家なんて虚業だ、ビジネスじゃない。表現は自己満足のためでしかありえないね。金や機嫌取りのためにイデオロギーを殺して描くような作品なら描かないほうがましだ。だからきみ、ばかなことは考えるなよ。生天目は、お見通しだ、とばかりにわたしを一蹴したので、きまりの悪さを誤魔化すためにわたしは不要な屈伸運動をしなければならなかった。それを見て生天目は楽しそうにくっくっと笑った。どうやら、おれの忠告は役にたったみたいだな。
 とにかくもうひとつの質問は、わたしは一呼吸置いた。どうして今夜、きみは夜祭に来なかったのか。その理由が知りたいんだ。この問いかけは今度こそ生天目を黙らせるのに成功したようだった。来るって言ってたじゃないか、わたしはほとんど語りかけるように言った。きみは夜祭に来ると言ったんだ、さもなさげにね。きみと、この階段の下で夜に待ち合わせをしていたのに、結局きみは現れなかった。きみが予定をすっぽかすなんて初めてのことだったから、わたしはきみが事故にでもあったのかと思って、電話をかけても出ないし、結局夜祭が終わるまで待ちぼうけて、ばかみたいだった。そのあとも連絡が取れずに、結局五年間も音信不通になった。だからここが、わたしの記憶の中できみと最後に会った場所なんだ。よせよ、生天目が言った、おれにも事情があったんだ。そうとも! わたしは言った。どんな物事にも事情はつきものだ、そしてわたしが知りたいのは、まさにその事情なんだよ。たしかに、事情は大事だ、でもおれが知るわけないだろう。生天目は静かに反論した。いいかい、おれの気高い友達。ご存知のように、いま、きみが話している相手は、明晰夢のごとき追憶にすぎない。きみが知らないことを、どうしておれが知れるというだろう。確かにおれはここで、さもありそうな、しかしその実まったくの妄想の産物でしかない理由を並べ立て、誠心誠意の謝罪をして、きみの慈悲を求めることも可能だろう。ただそれを、つまり、きみの中に構築されたおれという人間像に対するそういった侮辱を、きみの良心は許可しないだろうという、ただそれだけの単純な話なのさ。その篤厚に免じて、この質問の答えはひとつ諦めてくれないか。わたしは釈然としなかったが、結局のところ、そうするしかなかった。
 けたたましく蝉が鳴いていた。石段の下に広がる砂浜と、その先の青い海を生天目は見下ろした。思えば生天目はいつも海を眺めていた。この島はいい場所だ、まるでゆっくり流れる時間のようだ、きみはいつかこの島から出て行くのかな、生天目が言った。いつかは出ることになる、とわたしは答えた。大学に行くならね。いつまでもここにはいられない。この島には持続性はあるかもしれないが、発展性はないだろう。上等じゃないか、生天目は言った。発展とはなにかを捨て去ることさ、そしてこの島には、捨てるべきものはなにもないと思う。島を出たきみはそれに気付くだろう。きみの作品に足りていないのは経験だ。だからさ、きみ、おれからもひとつ宿題を出そう。おいおい、そんな嫌そうな顔をするなよ。なにも数日や数週間のうちに取り掛かる必要はないんだ。宿題と言ったのはただのレトリックだよ。期限は設けない。きみが達成できたと思ったら、いつでもおれに見せてくれ。わかったよ、聞くだけは聞いてやる、わたしは言った。で、その宿題って? それこそ簡単なことだ、生天目は言った。きみが本当に書きたい小説を書いてくれないか。これまでのように手さぐりではない、完成された、きみの信念が疑う余地もなく反映された小説だ。方位磁針のような精確さをもって行く宛てを示す、きみの代表となるような作品だ。
 わたしは少し考えて、言った。たしかにやり甲斐のある課題だ。ただし、受けるにはひとつ条件がある。きみも同じ宿題を負うことだ。いいね、生天目が目を細めた。そうこなくちゃ。
 我々の後ろ、境内に立ち並ぶ屋台のほうでポップアレンジされた民謡が流れ始めた。どうやらスピーカーのテストをしているようだった。そのあまりにも野暮ったい音色に、わたしたちは思わず笑ってしまった。生天目のラムネも空になったのを見はからって、わたしはその場から立ち上がった。忘れかけていた潮の匂いがした。おれの出した宿題を忘れるなよ、生天目が言った。まったく、師匠かなにかのつもりかよ、わたしはそう軽口を飛ばしたが、それは思ったよりしっくりきたので驚いた。ある意味で生天目はわたしの師だった。その宿題については、まあ、気長にやっていくさ。じゃあ、夜祭で。そう言ってわたしは生天目と別れた。ごくさっぱりとした、まったくなんでもないような別れだった。

場面5 夜祭にて

 手紙に書かれていた通り、夜祭が行われる神社の裏手の浜辺でその男は待っていた。そこは境内に続く裏参道への入口で、五年前の今日、待ち合わせを約束した場所でもあった。お待ちしていました、男が言った。若い男で、わたしと同世代か、少し歳下に見えた。はじめまして、生天目さん、待たせてしまったなら申し訳ない、とわたしは頭を下げた。いえいえ、そういう意味で言ったのではありません、と男は狼狽えた。なんにせよ、こうして会えてよかった。急なお手紙で驚かれたことでしょう。確かにね、わたしは答えた。それにしても手紙とは、あまり確実な方法とは言えませんね。住所をご存知でしたら、直接家まで来てもらってもよかったのに。今夜、あなたがいらっしゃらなければ、明日そうするつもりでした。そう男は答えた。でも、今日はせっかくの夜祭でしたから。
 それで、本当なのですか、わたしは尋ねた。男はしっかりと頷いた。はい、祖父は今年のはじめに亡くなりました。心筋梗塞だったそうです。わたしはゆっくりと息を吐いた。そうか、生天目のやつめ……。いや失礼、きみも生天目でしたね。お気になさらず、どうか自然体で話してください、男は言った。それから少し曖昧な笑顔を見せた。本当に祖父とは仲が良かったんですね。ええ、友人でした、わたしは答えた。一年だけ、いや、あの夏だけの短い期間だったけれどもね。じつに不遜で、唐突で、夢見がちな爺さんだったけれども、わたしにとっては本当に貴重な、気のおけない友人だった。それにしてもあいつに、きみのような礼儀正しい孫息子がいたなんてね。仕草はぜんぜん似ていないけど、でも確かに、面影がある。差し支えなければ、年齢を伺っても? ぼくは今年で大学二年生になりました、男は言った。静岡の大学に通っています。なるほど。わたしは大学四年生で、大学は京都ですが、いまは帰省中です。知っての通り、大学の夏休みは長いですから。それこそ永遠にね。でもそうすると、わたしたちはかなり年が近いようだ。そういうそぶりは感じなかったけど、もしかすると生天目はわたしを孫と重ねていたのかもしれないな。それはどうでしょうね、男は答えた。実際のところ、ぼくは祖父とはほとんど顔を合わせませんでしたから。八年前に連れ添った祖母が死んでから、祖父は日本中を転々としていました。ときたま連絡をよこしてはきましたが、だいたいは祖父がいまどこにいるのか、把握しているほうが稀でした。きっとそれが祖父なりの隠居のかたちだったんでしょう。知らなかったな、わたしは言った。あまりそういった身の上話に踏み込むことはしませんでしたから。なるほどね、たしかに誰かさんみたいに自由気ままだけど、でも、なんだかお金のかかりそうな暮らしだな。お金はそれなりにあったと思います、男は口添えた。祖父は定年まで歯科勤務医をしていたので。歯科医! わたしは鉛筆の代わりに削歯ドリルを握っている生天目を想像してしまい、思わず不思議な顔になった。
 男の話によれば、その日生天目は金沢のホテルに宿泊しており、真夜中、ベッドの中で急逝したらしい。宿泊中だったのは不幸中の幸いでした、男が言った。ひっそりと孤独死を迎えた老人の終の住処というのは悲惨なものです。とにかく、祖父は手記を残していました。それでやっと、ぼくら家族は祖父の人生における最期のステージを知ることができたのです。祖父は各地で絵を描いていたのです。ようやく合点がいきました、とわたしは言った。その手記のなかにわたしの名前もあったというわけですか。ええ、男は言った。そしておそらくは、それ以上です。祖父の手記における登場人物は限りなく少なかった、ほとんどは絵のモチーフや形而上の思想についてでした。そうした稀薄な生活の中で、あなたとの交流は祖父にとって刺激的だったんでしょう。男はリュックサックから紙束を取り出した。あなたが望むのであれば、手記のコピーをお渡しします、祖父をよく知る友人として、それは妥当な権利でしょうから。おそらく、とわたしは考えた。これを読めば五年前、生天目が夜祭に現れずに去った理由がわかるかもしれない。わたしは少しだけ考えて言った。でも、その手記はわたしが読むことを想定して書かれたものでしょうか? おそらく違うでしょうね、男は答えた。ならば、断っておくべきでしょうね。わたしの返答に男は微笑んだ。実は、そう仰るかもしれないと思っていました。その意味深な反応はわたしの選択を少しだけ悔やませた。
 男は紙束をリュックサックにしまいながら言った。ぼくがあなたに会いに来た直接の理由は二つあって、ひとつめがこれでした。もうひとつは、祖父の手記の中であなたを指名して書かれていた、いわば遺言を果たしに来たのです。きっとあの宿題のことでしょう、わたしは言った。いかにもあいつがやりそうなことだ、わたしの作品を回収させるよう、指示があったんでしょう。もう読めないってのにね。前半は当たりです、男は言った。しかしながら方向が反対で、ぼくは祖父の作品を、あなたに渡しに来ました。男は紙束と入れ換えに白い布のかたまりをリュックから取り出し、その中身をわたしに差し出した。大学ノートほどの大きさで、はじめは大判の写真のように見えた。手に取ると厚みがあり、それが小ぶりのカンヴァスに描かれた絵であるとわかった。
 海辺の絵だ。わたしはまず、そのあまりに精密な筆致に驚いた。どうやら油絵のようだったが、単純に絵具を置いただけでは到底成し得ない、色と色の魔術的な融和によって、極限まで解像された風景が描き出されている。砂の一粒、飛沫の一筋にいたるまでが見分けられるようだった。そしてわたしは次第に、その程度のことは瑣末にすぎないという印象を抱きはじめた。はじめは小さな違和感でしかなかったそれは、気付いてしまえば、まさにこれこそが生天目の描き求めていた絵画であるということの雄弁な語りにほかならない。深い青を基調とした、海辺の描かれたその風景画には、あってしかるべきもの、すなわち水平線が存在しなかった。浜から海へ、そして海から空へと、あくまでシームレスに連続的な推移がなされており、昼とも夜ともつかない情景の中で、ある箇所が波飛沫を立てる水面に見えたかと思えば、次の瞬間には浮雲を乗せた空に変わっている。これが生天目の回答なのだと思った。ひとたびそれが提出されたならば、もはや正しさや巧みさといった要素は無益な装飾品に成り下がる。生天目が本物の芸術家になったことをわたしは知った。彼は高らかに自らの定義を宣言したのだ。
 わたしはたっぷり打ちのめされたあと、絞り出すように言った。正直に言うとね、まだ書けていないんです。というと? 芸術家の孫は飲み込めずに聞き返した。わたしが生天目に課された宿題です。五年もあったのに、何をしていたんだか。忘れていたわけじゃないんだが、何も思いつかなかったんだ。きっとまだ経験が足りなかったんでしょうね。うん、でも、今なら書ける気がする。
 でしたらこれが必要になるでしょう。男から差し出された一枚の写真をわたしは受け取った。真正面に映っているのが祖父の墓です。裏側には霊園の住所をメモしてあります。生天目の墓はこれといって特徴のない素朴な暮石によるもので、一種のレトロスペクティブさえ感じさせた。それをずっと見ていると、生天目、あの変わり者の友人はもうこの世にはいないという実感がどうしようもなく押し寄せてきた。そうじゃないだろ、わたしは自分に言い聞かせた。これこそはまさにわたしが立ち向かうべきものだ。友人の孫には見られないように、背を向けながら、わたしは波打ち際まで辿り着いた。紛れもなくそれは弔いだった。頬骨をつたって落ちた水滴が、海と入りまじってひとつになった。